「骨董商Kの放浪」(3)

 ネエさんの店の応接間の床(とこ)には、赤色をした、頭の後ろが大きな瘤のように隆起している牛の形をした土器が黒い敷板の上に置かれ、床(とこ)の隅には、胴部に円いスタンプ状の彫り込み文様のある、ほどよい高さの石製の筒瓶があり、そこに女郎花などの草花が生けてあった。先ほどまで内科の先生が腰かけていたところに僕は座り、ネエさんは新しく入れ替えたアイスティーを僕の前に置いた。先生はあの後すぐに用事があると帰っていったので、自然とネエさんと二人でお茶を飲むことになったのである。

 「優しそうな方ですね」僕が、先生の目尻の垂れた笑顔を浮かべそう言うと、ネエさんは「何でも興味があって、いろいろ持ってるのよ。一度お家に行ってみればわかる。びっくりするから」と意味ありげな目をし、ふふふと笑う。さぞ立派なものが豪奢な居間に並んでいるのだろう。僕はその時そう解釈した。

 ネエさんは暖かいジャスミン茶に口をつけ「実はあのコリントスの小壺も、あいちゃんのコレクションに加わったのよ」と頬を緩めた。僕はきょとんとして「あいちゃんて…?えっ、あの人、奥さんのために買ったんですか?」と訊くと、ネエさんは一二度瞬きをしてから、大声を出して笑った。「アハハハ、そうか。あなた知らないんだった。あの人独身よ」ネエさんはカップをソーサーに置くとやや前のめりになり「愛染(あいぜん)かつら」とささやくように言った。「ん?どういうこと?…あいぜん、かつら?」何だかどこかで聞いたことがあるぞ。僕は頭のなかでその文字を呼び起こす。確か「愛染」だったような。僕は目の玉を上に動かしながら考える。そして思い出す。そうだ。以前に犬山がそんな題名の映画の話しをしていた。戦前に流行った映画で、確か…。僕はその内容を思いおこしながら、頭のなかを回転させた。「えっ!まさか、看護婦と恋愛!?」それを聞いて、ネエさんが目を見開き「アッ、ハッ、ハッ!」とさらに大笑いし、「そっちじゃない!」と片手を大きく横に何度も振った。「えっ?」フリーズした僕の瞳を見つめながら、ネエさんはやや顔を近づけ、「愛染…か・つ・ら」と最後の三文字を一字一字発音した。「わかんなかった?あの人、かつらなのよ、ハハハ。だから、同業者の間では、愛情も込めて、あいちゃん、って呼んでるの」僕は先生の頭を思い出そうとしたが、さすがに気にも留めなかったわけで。「あいちゃん先生ですか?」と改めて訊いた。「そうね」ネエさんはにっこり笑った。

 「ところでさ、K君。さっき言ったこと。本当なの?」ネエさんが居住まいを正して訊いてきた。話は本題に入る。「はい」と、顔が紅潮するのを感じながら返答すると、「なるほどね」とネエさんは小さく頷いた。僕は両手を膝の上に乗せ「どうしたらいいでしょうか?」と単刀直入に訊く。「そうねえ」とネエさんは首筋をなでながらテーブルを指で数回叩いた後、ジャスミン茶を一口含んだ。「師匠に訊いてみようか。師匠のところ若い人探していたから」見つめるネエさんの目に「師匠?」と僕が問うと、「うん、師匠って呼ばれてるの、その人。ちょっと怖いけどね。でも目は利く」その時僕にはこれ以外の選択肢はなかった。覚悟を決め、「お願いします」と頭を下げる。「わかった。まあ、あなた根性ありそうだから」生まれて初めて根性がありそうだと言われ、僕は悪い気がしなかった。

 

 その帰りに、僕は久しぶりに犬山得二の部屋に行った。犬山は僕の顔を一瞥し「生きてたか」と言い、すぐさま顔をテレビ画面に移した。見ると、古臭いカラー映画が流れている。「また、昭和かよ」と訊くと、「やっぱりいいなあ、芦川いづみ。いい!吉永小百合も可愛いけどな」と満面の笑み。「いつの映画だよ」の問いに「昭和36年だ。『あいつと私』」全く興味がなかったが、確かに吉永小百合は可愛いと思った。犬山は何度も観ているこの映画を途中で切り上げ僕の方を向いた。「その後どうだよ。骨董修業は?」そう訊かれ、僕は「それなんだけどさ」と切り出す。

 僕の話しを大筋聴いて、犬山は腕組みをした。「で、その師匠っていう爺さんのところに行くの?」「それしか道はないだろ」僕が言うと、犬山は「その通りだ」と強く首肯した。「だから、その師匠って人のことをおまえ知らないかと思ってさ」「うーん。日本橋だろう。そんな名店の集まるところに、おれは行かんからなあ。全然知らん」「そうか」と言うと、犬山は「まあ、当たって砕けろだ」と軽快に言いはなして、リモコンの再生ボタンを押した。犬山の本棚の上は、相変わらずフクロウの山であった。その一番端にあるあっけらかんとした表情の置物だけが、横に倒れていた。

 

 僕が日本橋にある師匠という人の店を訪ねたのは、それから二週間後のことである。そこは、日本橋といっても大通りではなく、かなり裏通りにある古びたビルの4階だった。入口の前に立ち、意を決して「すみません」と扉を開けた。店と言われたので商品が並んでいるものと思っていたが、店内は、何やら茶色い風呂敷が被さった様々な形の山で占拠されていた。その下には箱に入った、もしくはむき出しになった商品が積みあがっているのだろう。僕はあたりを見回すが、ひとの気配がない。これ以外に部屋はなさそうにみえたが、もう一度声高に「すみません!」と言った。

 しばらくしたら、いきなり入口の扉の横のドアが開き、小柄な老人がズボンのベルトを直しながら出て来た。それが師匠だった。黒シャツにグレーのズボン。髪は短く白髪が目立っている。師匠は眼光鋭く僕を見つめ「何だ」と言った。その声は、トーンの高いよく通ったものであった。「すみません。僕は、オリエントのお店の方から紹介されたKという者です」そう言うと、師匠は「ああ、あんたか。そういやあ、今日来るって言ってたな。まあ座れや」と店の中央にあるソファを指さした。僕は風呂敷の山をかいくぐり、ソファに腰を下ろした。

 それから1、2分経ったろうか。僕には1時間以上に感じる長さであった。師匠は僕から視線をそらさず一向に口を開かない。この張り詰めた空気から逃れたいと思い、僕は壁の方に目を向ける。殺風景な店内にかかっている「愛国」と書かれた大きな扁額を見てさらに息がつまり、僕は「何にも飾ってないですね」と余計なことを言ってしまった。すると師匠はようやく口を開いた。「モノなんかなあ、易々(やすやす)と人に見せるもんじゃねえんだ」僕は「はあ」と言って目を落とす。「おい、あんちゃん、いくつだい?」師匠の言葉に僕は姿勢を正して「二十六になります」と答えた。師匠は「なにい?にじゅうろく?だと。ばかやろう、十年早く来い!」と言って、テーブルの端に丸めて置いてあった風呂敷を投げつけた。「えっ?」その風呂敷が僕の右肩にぶつかるや否や、師匠は立ち上がった。「十年早く来い!」とまた同じ台詞を投げた。僕は思わず立ち上がり、「すみません」と言ってドアに向かう。「出直して来い」師匠の甲高い声を背中に、僕は慌ててその部屋から出て行った。

 

 それからすぐにネエさんの店に行き現状を報告した。応接間の床(とこ)には、前回同様こぶ牛(うし)が鎮座している。「やっぱりねえ」とネエさんは左手を頬に当てた。「何ですか?十年早く来いってのは?」僕の質問にネエさんはゆっくり口を開いた。「要するに、骨董修業は、若ければ若いほどいいってこと。若いほど吸収が早くて習得できるってことね。大学出てからじゃ遅いってこと」「それじゃ僕は滅茶遅いってことじゃないですか」僕が落胆すると、ネエさんは「そんなことは全然ない」と否定した。「早いに越したことはないっていう程度よ。K君はまだ若い。大丈夫」ネエさんの励ましに僕はちょっと持ち直した。「しかし、十年早く来い、出直して来いじゃ、どうにもならないですよ」僕が頭を掻くと、ネエさんは顔を上げ「出直して来いって言われたんだ。じゃあ、脈ありね」と言ってニッと笑った。

 「じゃあK君、しばらく私の仕事手伝わない?来月再来月と催事もあって忙しくなるから。うん、それがいい。そうしよう!」ネエさんは手際よく事を決めた。「少しはお小遣い稼ぎにもなるしね」そう言われ、僕は思わず頭を下げた。「ありがとうございます」そして、頭を上げた僕の眼にこぶ牛が映った。その造形が際立っていることを改めて知り僕は尋ねる。ネエさんは、これが紀元前一千年紀に、イラン北部のアムラッシュ地方でつくられた注口(ちゅうこう)土器であることを教えてくれた。

 

 それから僕の生活は大きく変わった。バイトをセーブして、午前中はいろいろな展覧会を見に美術館を訪れ、午後はネエさんの店や、他の骨董店に出入りしてモノを見る勉強を繰り返した。特に東京国立博物館東博)には足繁く通った。何しろ数多くの優秀な作品が常設展示しているからである。本館には、古代文物に始まり、奈良、平安の仏像や仏画、鎌倉から室町の水墨画や茶道具、江戸時代の絵画や陶磁器といった、日本の歴史を彩る美術作品が一堂に会しており、東洋館には、中国の仏像、青銅器、陶磁器、絵画、漆工品とネエさんの主力分野の西アジア、エジプトなどのオリエントもの、それと韓国美術が賑やかに展示されていて、平成館考古展示室には、縄文土器や埴輪が勢揃いしており、法隆寺宝物館には、正倉院より早い時代の仏教彫刻や金工品が並んでいる。

 僕はただひたすら、これらの本物と対峙した。いつ来ても同じものが観られることに意義があると感じ、僕は暇さえあれば東博に足を運んだのである。なかでも度肝を抜かれたのが、縄文時代の「火炎式」と名付けられた土器と、目の大きな宇宙人のような土偶であった。人智を超越したフォルムと表現は、もはや日本のみならず世界の至宝といってもよいと感じ、何回見ても新鮮だった。「岡本太郎が騒ぐのも無理もないな」僕はその度に感嘆の声を漏らした。

 

 そうこうしているうちに、ネエさんの出展する催事が始まった。都心の古いビルの二フロアを使い、50ほどの店舗が参加する骨董イベントである。僕は手伝いとして入れてもらい、主に店番をした。店といっても2坪ほどの狭さである。ここに飾り棚を設営し、店から20点ほどの品を持参、ネエさんはとっかえひっかえしながらポジションを決めた。飾り付けが終わると、ネエさんはにんまりした顔で腕を組み、ぐるりとブース内を再度確認し小さく頷くと「よし、完了!」と言って僕に顔を向けた。「始まるまで、ちょっと探索してきたら?」それを受けて、僕は他の店を見に回った。骨董イベントなので、概ね古いものである。美術館に並んでいる立派なモノではなく、本当に細々としたモノ。朝鮮の白磁、中国の染付の皿、更紗などの古裂、安南(あんなん)というベトナム陶磁、なかには、犬山の部屋にあった唐津の陶片ばかり並べている店もあり、その他日本の木彫、浮世絵などなど、様々な種類の骨董品が、これからやって来るコレクターたちを迎えようとしている。僕は高揚していた。こんな気持ち、いつ以来だろう。それはまるで学園祭の直前のような。身体中でそれを感じながら、その時を待った。

 三日間行われる初日の開始は午後3時。既に長蛇の列ができている。そのひとの多さに僕はびっくり。そして開場とともに人がなだれ込んできた。ネエさんは次々と訪れるお客さんの応対でたいへんだ。僕も横でサポートしながら、品物について訊かれると丁寧に説明したり、ニッコリ笑顔をつくったり、せわしく立ち居ふるまった。ネエさんの店舗では、ほとんどといってよいほどひとに会わないので、僕は汗をかきながら必死になって接客をした。

 やがて人の流れが一段落したときである。「まあ、教授。ご無沙汰です。ようこそ」いつも以上の明るい声で、ネエさんが飛び出して行くのが見えた。その向こうにいる教授と呼ばれた男性は、無精ひげで黒縁眼鏡、年恰好でいうと80くらいか。やや背は高め。年代物のジャケットに両手を入れ、ゆっくりと歩み寄り、ネエさんの出迎えに「やあ」と片手を上げ笑みを返した。上客らしいな、と僕は教授を見つめる。教授は、背中を丸めてブース内を一回りし、あっという間に出て行ってしまった。「何だ」と思っていると、またすぐに戻って来たかと思ったら、突然僕の前に立った。

 「あなた、ここの店の人?」教授が僕の顔を覗く。「ああ…、まあ、そうです」と答えると、僕の顔に目を向けながら、おもむろにズボンの右ポケットをまさぐり始めた。僕はちらりと見やる。やがて教授は、くしゃくしゃになった浅葱色のハンカチを取り出し、僕の眼の前に差し出した。「ん?」僕はその手を見つめる。ハンカチのなかに隠されていたのは、4~5センチほどの鍍金の仏像の顔だった。身体はなく首から上の頭部だけだ。それは、切れ長の目に魅惑的な笑みを湛えている。僕はこの妖しげな微笑(びしょう)をどこかで見たと思い記憶を辿った。この面長な顔立ちに切れ長の眼は…、最近見たな…。そして思いつく。そうだ!東博だ。たしか、東洋館の中国の仏像の顔にあった。すると、教授の手がやや動き、それに合わせ顔が九十度回転した。「うっ!」瞬間、僕の目が見開く。仏像の顔の左頬に、異様な窪みがあったからだ。おそらくここにペンチか何かを当て、首を引きちぎったのだろう。その痕跡が首の周りにも残っている。しかし、その左頬の抉(えぐ)れた痛々しい傷痕が、かえってこの仏頭の本来の美質を際立たせているようにも思えた。

 僕はさっと顔を上げ、教授に目を向けた。そこには古拙(こせつ)な笑みを湛えた老人の顔があった。

 

(第四話につづく 3月25日に更新予定です)

 

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鍍金仏頭 北魏時代

アムラッシュ牛形注口土器

火炎式縄文土器



 

遮光器土偶 縄文時代晩期

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