「骨董商Kの放浪」(10)

 才介は、帰りの車のなかで、終始不機嫌そうだった。しばらく続く一本道を片手ハンドルで進めながら、「あのジジイ、ろくな仕事もってこない上に、手当も少ねえ、いっつもだ」才介はちらっと助手席の僕に目をやったあと、「あんたも、そのつもりでやるんだな」と言う。「知り合いの人が、目利きだって言ってたけどな、師匠のこと」この発言に才介はふっと笑って、「目利きには間違いないだろうが、商売の仕方がきれいじゃねえ」バックミラーをちらっと見たあと「おれは正直組みたくねえんだ」と、アクセルをやや踏み込んだ。

  それから、急に顔つきを変え「ただな、ちょっとした噂を耳にしてな」才介の細い眼がうっすらと輝く。「先月新券が出ただろ?」と始める。この年の11月から、新しいデザインの新紙幣が発行された。「あれでよ、世の中のタンス貯金があぶり出されて、金(きん)や高級時計などの商品に代わってるらしい。美術品も然(しか)りだ。つまり今、いわゆる裏の金が表に回ってる状況で。それで、この間、師匠のところに現金持って買いに来たやつがいたらしい。結構な額だったとブンさんが言ってた。師匠、こっち系と繋がりがあるって話だから」と言って頬に当てた指を斜めに引く。「だから、今、師匠は金がある。そういうときは、あのひと気前がいいからな。だから今回の仕事、引き受けることにしたんだ」

 ようやく車が首都高の入口に入ったとき、才介は「そうだ」と思い出したように話し始めた。「あんた、学があるんだから、中国美術について勉強してくれよ。おれ、頭悪いからさ。知識がないんだ」それを受けて僕は訊く。「知識、関係あるんか。この商売」「それが、あんだよ。結局のところ。モノを買うときはさして要らねえけど、売るときは、やっぱ、蘊蓄(うんちく)があった方が何かと有利なんだ。頼むぜ」と言って、才介は少しだけウインドウを下げた。瞬間、冬の冷たい空気が入り、車内をいくぶん浄化したように思えた。

 

 年の瀬に向かって世の中があわただしくなっていく頃、僕は教授のお宅を訪ねることになった。東博で会ってからひと月ほど経った或る日、教授からお誘いの連絡が入ったからである。僕は手土産も携えず、駅から続く坂道を上っていた。あたりは敷地のある家々が続いている。上りきった高台の一角に、その家はあった。なかなか瀟洒な西洋風の建物である。重厚な石の門をくぐり、玄関でブザーを押すと、伏目がちのおとなしそうな奥様が出迎えてくれ、僕を客間へと案内した。

 その部屋は、難しそうな本が壁一面を占拠していた。一つだけある大きめの窓からは、午後の心地よい日差しが入り、照明がなくても充分な明るさを保っている。室内も西洋風らしいアンティーク調。僕は慣れない椅子に腰かけ背筋を伸ばす。目の前には卓面が革張りしてある古いイギリス製の机。漫然と洋書の棚を見つめていると、そこへ教授が現れた。「やあ、ようこそ」と、黒縁眼鏡の奥に独特の光を宿しながら、右手を軽く上げた。僕は立ってお辞儀をすると、教授は座るように促す。僕が座ろうとして、アンティークの椅子の肘掛けに右手を置いたとき、僕の右後ろの壁に飾られてある額が目に入った。

 部屋に入ったときは、何かの絵かと思っていたが、その額の中央にあったのは、宋丸さんのところで見たあの縄文土偶の「目」だったのである。「あっ!」と僕が指をさすと、教授はにやりと笑う。「あまり良いんでね。こうして額装にしたんだよ」僕はそのとき、やっぱりと感じていた。ひょっとしたら教授が買ったのではないかと思っていたからである。でも…。それなら何故Reiは教えてくれなかったのだろうかと考える。そうか、確かに。これは店の秘匿義務か。彼女はちゃんと仕事を果たしているのだ。

 僕はなるほどと肯(うなず)きながら、その額に近寄る。久しぶりに見るが、やはり秀逸である。額縁は、黒色のメタルを使い薄めに仕上げられなかは白地をバックにしている。そのため、その中央に飾られている「目」が、いっそう引き締まって見える。宋丸さんもこだわっていた、モノの見せ方がここにあった。それにより、モノの本質が引き出され、その美を充分に堪能することができるのだ。僕は期せずしての再会を喜んだ。

 

 教授の奥様が紅茶を持って現れたので、再び椅子に腰かける。それから、教授は次から次へと細々としたモノを持ってきた。中国最古の王朝である殷(いん)時代の白い陶片と青銅製の小さな鐘、中国戦国時代の玉(ぎょく)製の帯鉤(たいこう)というベルトバックルと10点ほどある金太郎飴のような丸いガラス片、唐時代の花形の銅鏡(どうきょう)などなど。今まで見たことのない中国の骨董が目の前に広がる。出すごとに教授は自慢気な様子。僕はただ圧倒されるのみ。ただ、実際に手に取って見ることの出来るチャンスはなかなかないと思い、出されるモノを食い入るように見入った。

 

 そうこうしているうちに、窓からの採光がやや薄くなり出した頃、教授は、長方形の木箱から、何やら金属の細い箸(はし)のような形状の飾り板を取り出し、卓の上に置いた。30センチ近い長さで、細長い二本の箸状の板の上部には、はなびらのような形の板が付き文様が彫り込まれ、表面は銀のような輝きをみせている。僕がじっと見つめていると「これは、唐時代の銀製の簪(かんざし)だよ」と、教授はまたにやりと笑う。

 箸のような長い二本の部分を髪に挿したのであろう。上部の一番メインの装飾部分は透かし彫りになっており、そこには、二羽の鳳凰が蓮華(れんげ)唐草(からくさ)の中にあらわされている。しっかりとした線彫りを近くで見ると、短い線が繋がって一つの線になっていることがわかる。これが、唐時代の銀製品の文様の彫り方のようだ。そして、髪から見えるこの上部の部分にのみ、鍍金(ときん)が施されている。実に、豪華なものだと僕は感じた。「こんなの、初めて見ました」僕が言うと、「そりゃ、そうだろう。滅多にあるモノじゃないからね」教授の深いまなざしにまた光が宿る。

 

 すると教授は、「これを付けた人を見せてあげようか」と意味深な笑みを向けた。「えっ?」僕がその意味を飲み込めないでいると、教授は部屋を出て、何やら30センチ四方の薄い木箱を持って現れた。かぶせるように乗っている上蓋をはずすと、なかに薄い和紙が三枚入っている。その和紙を除けた時である。僕に衝撃が走った。そこには、目の覚めるような美しい女性が描かれていたからである。

 長さ15センチほどであろうか。縦長の絹地に、豪奢な衣服を纏った一人の女性の上半部が、華麗にあらわされている。女性は面長でふくよかな頬をしており、その髪は上に向かって独特な形で束ねられている。大きな襟のついた異国風の衣装を身につけ、胸に当てている左手は残っているが、それ以外は失われていた。女性の描写力はさることながら、そこに賦された彩色が絢爛であった。漆黒の髪の色、頬には薄紅、額の中央には、当時の化粧法であろうか、小さな花弁のような形で強い赤がさしてある。圧巻は、衣装の部分で、唐時代らしいエキゾチックな柄に、白、青、黄、赤で彩色がなされ、なかでもターコイズブルーの青が、強烈な印象をはなっている。僕の眼はしばしその女性像に奪われた。

 教授の説明によると、これは、約百年前に中央アジアトルファンから出土したもので、日本の探検隊が将来したものとされ、鮮やかに色が残っているのは、中央アジアの乾燥地帯に長らく保存されたゆえのことであるということ。図柄であるが、唐時代の高貴な女性の間で、当時男性用の胡服(こふく)を着るのが流行したようで、これは、いわゆる男装の麗人を描いた像である、ということであった。

 

 僕の眼はしばらくその女性像に注がれ、放心状態でいた。奇跡的に残っている1300年前の女性の美が、僕の意識を別の次元へ導いていくかのようである。その様子を見ながら教授は、眼鏡に手をかけ「世の中に唯(ただ)一点のモノ」と静かに言った。僕は、やっと我に返り、その横に置かれている銀製の簪に目を向けた。確かに、この豪華な簪は、このような貴婦人の髪に挿さっていたものに違いない、と確信した。

 

 時間が経過するにつれ、室内に入る外光が弱まり、あたりに蒼然たる空気が立ち込める。しかし、教授は照明をつけることなく、不敵な笑みを浮かべたままじっと佇んでいた。僕も無言で佇んだ。この薄く弱い光りが包む静謐な空間のなかで、鮮烈な色がより際立ち、それに彩られた女性の姿が、いっそう美しく浮かび上がっていくように見えた。

 

 今年も終わりを迎え、僕はネエさんの店を訪ねた。ネエさんは、店内に正月用の飾りをしている最中だった。「小さい店だけど、一応ね」ウインドウの陳列を終えると、応接室でお茶を飲みながら、僕は、最近の報告として、師匠の件と教授の家を訪問した件を伝える。ネエさんはゆっくりとお茶を口に入れがら、「そうねえ、師匠の仕事の内容はよくわからないけど、その才介君というのが一緒なら、心強いじゃない」どこが心強いのかよくわからなかったが、まあ、言われればそうかもしれないと思った。そして、「教授のところには、途轍もないモノがあって」と言ったとき、「あっ、そうだ!前にネエさんの言っていたエジプトの女性土偶を見るのを忘れてた」僕はあの唐美人の絵画で頭がいっぱいになり、すっかり忘れていたことを悔しがると、「まあ、今度の機会でいいんじゃない」とネエさん。「でも、あなたはラッキーよ。教授は、絶対自分のモノを人に見せない。特に私たち商売人には」「でも何で僕なんかに?」の問いに、ネエさんは笑みを含めて「わたしたちは、どうしても獲物を狙いにいく眼になっちゃうでしょ。でも、あなたにはまだそれがない。邪気の無い眼をしてる」そして一口お茶を飲んでから、「きっと教授は、モノを出してあなたに見せながら、自分の眼の高さを再確認しているんだ思う」「再確認?」「そう。自分が一番だっていう、再確認」なるほど。 僕はこのとき、東博の展覧会の最後に低い声でつぶやいた「やっぱり僕の持っているモノにはかなわない」という言葉の意味と、先日の薄暮のなかでも電気もつけず、射抜くような眼をしてモノと対峙していた姿が、ぴたりとつながり、ネエさんの言っていることが、よくわかるような気がした。

 

 床には、マトゥラーと呼ばれる赤い色をしたインドの石の仏頭が飾られている。僕はぼんやりとそれを見ながら、ふと思い出す。「そういえば、前にここにハッダの仏頭が飾ってあったじゃないですか?」僕が指さす。「めっちゃ、すごいやつ」ネエさんは、「うん」と言って、持っていた箱を商品棚にしまってから「そうね」と壁に目をやる。そして両手を軽く合わせると、ゆっくり話しを始めた。

 「宋丸さんの、百年待った、じゃないけど。あれはね、わたしがこの仕事を始めた25年前くらいかな。そのときに出会ったモノで、あれを扱いたいと、それからずっと思い募っていて。そして、やっと扱えることができた」一口お茶を含むと、「願っていると、いつかめぐりあう」ネエさんはそういうと、僕の方に顔を移すと、「でもねぇ、わたしの手許にあったのは僅か三週間。あっという間に売れていってしまった」ネエさんの複雑そうな笑顔を見て、僕は、前から訊きたいと思っていたことを口に出した。

 「自分が本当に気に入ったモノが、売られていくって、どんな心境なんですか?」その質問にネエさんは、うつむいたまましばらく目を閉じていた。そして顔を上げると、口元に笑みをみせ、「嬉しいに決まってるじゃない。でも…ちょっぴりね、淋しい気もある」ネエさんは僕の瞳に焦点を当て、「でも、それがわたしたちの仕事。自分が気に入ったものを、大事にしてくれる方におさめる。その橋渡しがわたしたちの役割」僕は真剣なまなざしでネエさんを見つめる。「昔から嫁に出すって言うけど、まさに、そんな心境かもね。お客様にお渡しする時にはね、大事にしてもらうんだよ。って、いつも心のなかで、言ってるんだ」その時のネエさんの何とも深い笑みを、僕はとてもきれいだと感じた。モノへの深い愛情が溢れているその言葉に胸がつまり、僕は深くうなずくことしかできなかった。

 

 年末の宋丸さんの仕事納めの翌日、僕はReiと大阪へ向かった。大阪市立東洋陶磁美術館の名品たちをこの眼で見るためである。その日Reiは、臙脂のタートルネックにベージュのダッフルコート姿。東京駅の待ち合わせ場所に笑顔で駆けてきた。念願の美術館見学と冬休みの始まりもあってか、Reiは行きの新幹線のなかからハイテンション。二時間半間断なく喋り続けていた。

 大阪で昼食を済ませてから、いざ、東洋陶磁へ。煉瓦壁の重厚な建物の入口から階段を上り、2階には中国陶磁と韓国陶磁の展示室が繋がるように配置されている。陳列ケースの高さは、110センチと一般の美術館より高め。それは陶磁器が、一番見栄えのする高さを意識して設定されたもの。

 僕らはまさに陶磁器を「鑑賞」しながら、次々と眼にする優れモノに感嘆の声を出したり、大きくうなずいたり、指をさして意見を交換したりしながら、進んでいく。特に高麗青磁は、東博の化粧箱と匹敵する、いやそれ以上の青の釉(うわぐすり)の冴えわたる作品が幾つもあった。朝鮮陶磁も圧巻のラインナップで、志賀直哉旧蔵の白磁の大壺は当然であるが、青山二郎旧蔵の「白袴(しろばかま)」と銘打った初期の白磁壺が実に魅力的で、二人してしばらく見惚(と)れた。

 

 そのあと、順路を遡って中国陶磁の部屋へ。そこには、各時代を代表する名品が並んでいる。そのなかで目を惹いたのが、唐時代の豊頬(ほうきょう)美人の土偶だった。キャプションに、「加彩婦女俑(よう)」とあるので、こうしたやきものの像を、正式に「俑(よう)」というようだ。この婦女俑の飾られている陳列ケースのみ回転式になっており、高さ50センチほどの大きな唐美人が、ゆっくりと回っている。なので、二分程見ていると、全体の容姿が判明する。顔の前で合わせる指先を、首をやや右に傾けて見つめるしぐさが可愛らしくもある。ただ、ふくよかな頬と腹部は、貫禄満点。僕は真っ先に教授の家で見た美人画を思い浮かべた。比べると、この俑の方が、顔がふっくらとしている。髪型も違うが、やはり大きな髷を結っているのは一緒だ。よく見ると、髪の上の箇所に、溝が一筋横に入っている。なるほど。ここに簪(かんざし)を挿したのか。これは、実物をモチーフにしてつくられた作品なので、僕は、あの簪はやはりこのような高貴な女性の髪に付けられたことを改めて認識する。Reiは、これと双璧の豊頬美人俑が京都国立博物館にあると言って、これから京都に行こうと言い出した。僕もその勢いにつられて京都へ。博物館に着いたのが閉館時間ギリギリだったが、無事入館。しかし、残念ながら、その作品は展示されていなかった。

 京都駅周辺で食事をとって、僕とReiは帰途につく。帰りの新幹線のなかで、しばらく展示作品の感想をあれやこれやと言い合った。しかし、旅の疲れか、しばらくするとReiは眠りに入った。

 

 今日一日、僕はReiの瞳をずっと見ていた。黒く澄んだきれいな瞳。それは、屈託のない、真っ直ぐな、そして純真な輝きを持っている。健康的で、穢れの無い、瑞々しい色をしているように感じた。宋丸さんの瞳はどうだろう。何かを達観しているが、まだ夢を追いかけているかのような前向きな光彩をはなっている。教授のは、時空を超越した美の本来の姿を捕えようとする深くて鋭利な光である。総長はどうだろう。間違いなく、少年のような純粋であどけない、性善説に満ちた輝きである。あいちゃんも、同じように、無垢で透明な眼である。才介はどうだろうか。屈折した輝きのなかで、しかし、芯の強い果敢な光を感じさせる。ネエさんの瞳は、全てを受け入れる寛容ある、温かい愛情に満ちた輝きだ。

 

 Reiの閉じられた瞳を見つめながら、今僕の瞳はいったいどんな輝きをしているのだろうかと思った。ネエさんは、邪気の無い眼をしていると言っていたが、本当にそうだろうか?実はそういう風に見えるだけで、実際はまだ輝きすらしていない、ひどくつまらない色をしているような、そんな気がしていた。

 

(第11話につづく 6月3日更新予定です)

 

「胡服の女性」絹本 唐時代(7-8世紀)

銀鍍金鳳凰蓮華唐草文簪 唐時代(8世紀)

加彩婦女俑 唐時代(8世紀)

 

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