「骨董商Kの放浪」(12)

 師匠は、軸を箱に戻すとそれを手にし、土蔵の入口に立っている当主のところへ行き頭を下げた。「どうか、これを譲ってください」当主はあきれたように、「さっきも言ったじゃない。何ひとつ売るつもりはありゃせんよ!」中肉中背の50代半ばの当主は、毛皮のコートに手を突っ込みながらぞんざいに言いはなつ。「あっちの方は、たたむようですがな。こっちは跡取りもおるし、そんな気、毛頭ないので、早よ、お引き取りしとっけんか!」と土蔵の扉を開けた。師匠は回り込んで、当主の前で土下座をした。「お願いいたします!」それを見て当主は苦笑し、「どもならんよ。突然来て」当主が歩を進めると、師匠は這いつくばるようにしてそれを追う。

 「わたしは、50年ほど前に、この絵を先代さんから見せていただきました。そのときからずっと頭から離れませんでした。お願いします!」さすがに当主も「まあ、立ってくださいな。話しもできん」その声で師匠はゆっくりと立ち上がる。当主は、「それはあたしの祖父ですな。祖父は、骨董がわかっていたからな。でも親父(おやじ)の代で、あちらの土蔵の分は全部処分しましたげ。残っているのは、こちらの分だが、今はそんな気はないね。まあ、先のことはわからんけどな」と言ったあと、寒風が吹いたせいか、開けた扉をまた閉めた。と同時に、場の空気が変わるのを僕は感じた。

 

 外の物音がシャットアウトされ、内部の静けさがあたりを包み込むと、当主は師匠に向きの直り一歩歩み寄った。そして、腕を組み大きく息を吸い込んで「そんなに値打ちもんけ。その絵は?」と、急に商売人風な態度になった。ひょっとしたら、本業はそうかもしれない、と僕はそう思った。才介も静かに目を動かしながら様子を窺っている。当主はにたりと薄笑いを浮かべながら、「ほな、いったい、いくらくらいするもんけ?」と、師匠の抱えている箱に目を投げた。

 興味本位なのか、その問いかけに、師匠は当主を見つめたまま思案している。期せずした急展開に、僕はそれをじっとみつめるばかり。師匠の眼が一瞬光を帯びたそのとき、指が勢いよく一本立てられ、「1000万円ではどうでしょう!」と甲高い声が土蔵内に響いた。僕は驚く。当主はにやりとし「へえー」と言ったあと、「あんたらが、その値段を付けんなら、もっと高いんだろうねえ」と、へらへらと笑いながら、僕ら三人に顔を向ける。才介が当主を睨んでいるのが見えた。

 当主は師匠をみつめ「わかった。じゃあ、3000万ではどうだい?へっ?」と蔑むような言い方で、不敵な笑みをもらした。その顔を、師匠は直視する。しばし不穏な空気が流れた。そして、ゆっくりと師匠が口を開いた。「その値段なら、譲ってくれるんでしょうね?」師匠の鋭い眼光に、「ははっ、待ったなしだけどな!」と当主は軽笑した。師匠は笑みを含んでその場で声を張り上げた。「才介!鞄持って来い!」才介はすぐさま師匠の革の鞄を運んでくる。師匠は、そこから風呂敷包みを取り出す。包みを解くと、大量の札束が姿を現した。僕も才介も目を丸くする。当主も同様だ。「3000万!有り金、全部だ!」師匠は当主の前に突き出した。口に出した以上引っ込みがつかなくなったのか、当主はその札束を見つめたまま、地蔵のように動かなかった。

 

 又兵衛の掛軸は師匠が手で持って帰ることとなり、僕らは、最初の家で手に入れた10本ほどの軸だけを車に入れて福井を出発。中途の名古屋のビジネスホテルで一泊した。僕らは、栄にある小さなおでん屋に入り夕飯。「とんだ出張だったな」才介は、ようやく人心地ついたか、おでんを次々と注文しながら、熱燗を喉に入れる。僕は大根をつつきながら訊く。「しかし、又兵衛って、そんなに高いものなのか?」「知らねえな。第一、本物かどうかもわかんりゃしねえだろ」「しかし、50年前に見た絵をよく覚えていたもんだな」「よっぽど取り憑かれたんだよ、その絵に」才介は紅しょうがの入ったつみれを口に入れたあと「まあ、執念ってやつだな」とつぶやき、「師匠は、目利きなんだか目くらなんだかわからないときがあるけど、執念だけは、あるな」とつけ加えるように言った。

 僕は、今日の師匠のやり方に、やや感動をおぼえていた。「有り金、全部かあ」それに対し、才介は「師匠らしいな」とぽつり。お銚子をもう一本注文してから、「しかし、今日のおれたちの取り分は、全部、あの又兵衛にかかってるってこと、忘れんなよ。師匠に高く売ってもらわんと」僕が「今積んである掛軸はどうかな」と訊くと、「ばかやろう、ありゃ、あいつらの申し訳程度に残していったもんだろ。二束三文に決まってる」と言いながら才介は「スジ頂戴」と注文し、盃をグッとあける。

 「しかし、K。おもろいもんだな。師匠の昔話があだになったかと思ったら、あいつらが蔵のなかをきれいにしたことが、また、あだになったわけだから」僕は徳利を才介の盃に傾ける。才介は「まあ、とにかく。又兵衛の絵をじっくり見させてもらいましょう!」と言って盃を高く掲げた。僕も、師匠をとりこにした又兵衛の絵に、俄然と興味が湧くのを抑えきれずにいた。

 

 その日、僕は久しぶりに酔った。師匠の執念が、あの又兵衛の絵を引き寄せたのだ。そして、この仕事を通じてみせた、師匠の眼を思い浮かべていた。それは、獲物を狙う鋭くそして粘っこい光りをはなっていたが、同時に、その奥に何か退廃的なものが潜んでいて、それが時おり、孤独な冷たい光りとなって現れてくるような気がしてならなかった。

 

 2月の第二水曜日の午前10時。僕は三代目の第三回「宋時代(1)」の講義を受けていた。宋は11世紀から13世紀にかけ、北宋南宋の二つの王朝が、各約150年ずつ、計約300年続いた時代である。士大夫(したいふ)と呼ぶ超エリート階級の人たちが国を治め、彼らは文化芸術に傾倒したため、この時代には豊かな文化国家が形成された。文人(ぶんじん)と呼ばれる彼らの登場とともに、書画などに傑作が生まれ、今なおそれは文化財として世に受け継がれている。陶磁器も同様で、名窯(めいよう)と呼ばれる名立たる窯がいくつか興(おこ)り、青磁をはじめ、白磁、天目(てんもく)などの優れた作品が数々生み出されている。宋時代のやきものを「宋磁(そうじ)」と呼び、特に日本ではお茶の文化で珍重され、多くの名品が伝来している。中国陶磁のなかでも、宋磁は一目置かれる存在なのだ。よって講義は、今回次回と二回にまたがる。僕は、三代目の授業を受けながら、宋磁の美意識を頭に叩き入れていた。

 

 いつものように、最後の15分間で、三代目の持参した宋時代の優品が何点か長テーブルの上に置かれる。それに応じて、皆がテーブルを囲む。僕はそのとき、受講者のなかの一人の老婦人に目が注がれた。とても気品に満ちた雰囲気が全身を包んでいる。年齢は70を優に超しているが、背筋の伸びたすらりとした姿勢は齢を感じさせない。顔立ちも端正で、薄い縁の眼鏡もその一部になっている。口元に笑みを湛えながら、作品を注視している姿は、ただ者ではないオーラを発していた。

 「この人、前からいたかなあ?」と思いつつ、僕はその御婦人が気になった。彼女は、最初は後方で三代目の解説に首を縦にしっかりと振りながら聴き、やがて順番で前に来ると、北宋時代の青磁碗の前に歩み寄り、微笑を浮かべながら手に取った。この扱いぶりが、素人ではないと僕は感じた。三代目もわかったらしく「慣れてらっしゃいますね?」と話しかけている。婦人はにこりと笑みを返し、次の白磁の鉢に手を移す。僕は、かっこいいなあとその御婦人の所作に見惚(と)れていた。

 受講後、エレベーターに向かって歩いていると、「こんにちは」と声をかけられた。その声に振り向くと、同じ受講生の唯一若い世代と思われる、眼鏡の女性が微笑んでいる。上だけ赤い縁のある、いかにも度のきつそうな分厚い眼鏡が印象的だ。ただ、長い黒髪ですらりと上背のある清楚な立ち姿は、どこかのブルジョア風な雰囲気をまとっている。「わたしたちくらいですね。若い人」と言われ、「やっぱり内容が内容だけに、年配の方が多いですよね」僕も賛同する。僕は、この人はいくつくらいだろうかと考えていた。この大人びた感じは、たぶん僕より間違いなく上かと思うが、30にはなってないだろう。Reiくらいだと簡単に年齢が訊けるのだが、この辺になると、ちょっとデリケートだ。すると彼女は、「どうしました?」と笑う。結んだ口が左の方にきゅっとあがる笑顔は、どこか魅力的でもある。「あっ、すみません。別のこと考えてて」彼女は、スリムなブランドもののバッグを前に持ち替え、「ひょっとして、骨董屋さん?」と、首を傾け僕の顔を覗いた。僕はドキッとして「わ、わかります?」と目を向けると、「何となく」と彼女は答えた。僕は間を嫌うように「あの、中国陶磁が好きなんですか?」と、いきなり核心をついた質問を投げてみた。「はい。うちにいろいろあって。どんなものなのかなあって、それでこの講座をとったの」と口角をあげる彼女を見つめ、やはりこの人もただ者ではないと確信した。

 

 昨日才介から、明日午後、師匠の店で又兵衛の絵を見ることになったと、連絡をもらったので、僕は、受講後軽い昼食をとり、そのまま師匠の店に向かった。僕の到着を待っていたようで、姿をみるなり二人は立ち上がる。

 師匠は、机に置かれた箱に手をやる。長さ50センチ以上の大きさ。蓋を開けるとそのなかにまた箱がある。二重箱だ。なかの箱は、かなり古く表面がこげ茶色になっていて上蓋の真ん中に墨書があるが、字は、箱の色と同化していて判別できない。師匠は、その蓋を開けて中身を取り出し、一応床(とこ)になっている場所に、それをゆっくりと掛けた。僕らは、息を凝らして見つめる。掛軸が、するするとまるでスローモーションのように下へ降りるにしたがい、中央に描かれた絵が姿を現した。その絵を見て、僕は予想外の衝撃を受けた。それは、人物が克明に描かれた墨絵であった。極彩色の輝きに満ちた荘厳な風景画を想像していた僕は、あっけにとられる。

 

 横が40センチほど、縦が1メートル近い画面に描かれていたのは、二人の人物であった。両者とも平安時代の装束を纏っている。宴席のあとか、千鳥足風の男は後姿で、その右にいる女性の左手が寄り添うように男の背中に回り、首を傾けて男を覗く女の顔がしっかりと描かれている。源氏物語の一場面だろうか。右上には朧月が浮かび、二人は廊下から次の間の戸を開けて、まさになかへ入ろうとしている。何と生々しい情景だろう。特に驚くべきは、男の白い上着の下から見える装束と、女性のきらびやかな十二単(ひとえ)が、墨の濃淡だけで精緻に描かれている点である。

 僕は、近づいてその繊細な筆のタッチを確かめる。それは、旋律を奏でるような手慣れた線だ。僕は才介とともに、この絵をしばし見据える。後ろから、それを満足そうに眺めている師匠の姿を肌で感じながら。

 

 岩佐又兵衛は、江戸時代初期に活躍した絵師。在世中から、独自の風俗的な人物表現を確立したことから、「浮世又兵衛」と呼ばれ、浮世絵の祖とされた。73歳で没するが、絵師として最盛期の40歳頃から60歳頃の20年間を福井で過ごし、この期間に傑作を数々生み出している。又兵衛の名は後世まで轟き、現在では、優れた作品の殆どが著名な美術館に収蔵されている。

 

 僕は後ろに下がり、全体を眺める。衣(ころも)の精密な文様描写。繊細かつ軽妙なタッチであらわされる人物。そして、薄い闇に包まれているような背景の表現。それが、墨一色で、微妙な諧調を持たせながら、情緒深く描き出されている。幽玄な雰囲気に満ちた美しいモノクロームの世界が、そこに現出されていた。

 

 「これが、又兵衛の絵だ」師匠は感無量という顔で目を細める。才介も大きくうなずき「吸い込まれるようだ」と感想を述べる。僕は、ただ圧倒されていた。

 それは、屈託のない明るさと全く対極にある、独特のほの暗さと気うとさを持っている。「陽」ではなく「陰(いん)」なのだ。その「陰」の持つ凄みが、僕の眼を離さなかった。この一種幻影的ともいえる絵が発する「陰」のオーラは、ある種の寂寥感も加わって、どこかこの又兵衛という絵師の生き様をあらわしているような気がしていた。

 

 ひととおり鑑賞したあとで、才介が訊く。「で、師匠、これはいったいいくらするんですか?」師匠は、絵を見つめながら腕を組みにたりと笑う。「このぐらいになると、言い値の世界だな」「言い値!」「そうだ。どんなに高く言おうが罰はあたらねえ。何といっても、これだけの作は、もう出ないからな」「ってことは、いっ、1億くらいしますか?!」才介の問いに、師匠の眼があやしげに光る。そして、またにたりと不敵な笑み。それを見て才介が「しかしそうなると、一度学者さんとかに目をとおしてもらった方が…」と言ったところで、甲高いトーンがそれを遮った。「ばかやろう!わしの眼に狂いはねえ!これは真作で、新発見だ!」

 それを聞いて才介は、二度三度頭を下げる。「じゃあ、師匠。売れたら、おれたちの分、頼みます」それに対し師匠は「ああ、わかった。安心しろ」と言いながら、絵の前に立って表具の端をつかんだ。「ただ、これは直さなくちゃな」確かに長年手を入れてなかったようで、表具は全体的にかなり傷(いた)んでいる。よく見ると、象牙の軸頭のあたりは、切れかかっていた。これではせっかくの絵が見劣りしてしまう。「わしの昔から知ってる表具屋は高いしなあ。どこか最近の表具屋知らんか?おまえら」と目を向けるや否や、「わかりました。調べてみます」と才介は間髪入れずに答えた。

 

 才介が帰ったあとも、僕はしばらくこの絵を眺めていた。水墨画でありながら、まるで着色されたような、いやそれ以上の存在感を発揮している。それは、繊細で精緻な筆使いに因(よ)るものであろうが、それだけではない何かをはらんでいる。画然としているが、幻でもあるような不思議な気を感じながら、僕は絵の細部に眼をやる。

 僕の眼を惹きつけてやまないのが、女の顔の表情だった。後姿の男の顔を右横から覗き込むように見つめる十二単の女性。男の顔が描かれていないだけに、画面で唯一描かれているその女の顔が、よりいっそう強調される。面長で妖しげな笑みを湛えたその顔立ちは、美しさのなかに翳りがあるようにみえ、それが僕に、教授の持つあの左頬が抉(えぐ)られた仏像の微笑(びしょう)を想起させた。そしてこの絵につきまとって離れない一種淫靡な光が、師匠の退廃的で孤独な眼のそれと通じているような気がしてならなかった。

 

 2月下旬、三代目の「宋時代(2)」の講座で、僕はある言葉に反応した。「雨過天青(うかてんせい)」である。これは、以前宋丸さんのメモ書きに記してあった四文字で、そのときは何だかわからなかったが、これが、南宋時代の宮中で用いた官窯(かんよう)青磁という、ブルーイッシュな青磁の色をさすことを知った。三代目は、その青磁の陶片を授業の最後に皆に見せてくれた。

 それは確かに、雨が過ぎ去った後の、澄みわたる湿潤な空の色をしている。手にした陶片を見て、もっと驚いたのが、断面に見える土と釉(ゆう)の層であった。黒色をした胎土(たいど)は極めて薄く、そこに掛かる釉の方が厚いのだ。これはたぶん小形の皿の破片か、3ミリほどの薄い土を、5ミリほどの釉がサンドイッチのように挟んでいる。三代目が近づいて、「薄胎厚釉(はくたいこうゆう)」と説明。「薄いボディに青い釉を何層も掛けることで、このような状態になります。なかなか完品は少ないですが、やはり、ものすごく軽いモノです」僕の「完品はあるんですか?」の問いに、彼は「有名な鉢が東博に飾ってあります。重要文化財」と言った。僕は、東洋館の中国美術の展示室に、こんな色をした大きな鉢があったことを思い出す。ガラス質の鮮やかなブルーが僕の脳裏に浮かんだ。

 僕は再び陶片に目を移す。この「薄胎厚釉(はくたいこうゆう)」の他に特徴的だったのが、釉の表面に縦横に入っている貫入(かんにゅう)と呼ぶひびであった。氷が欠けたときに現れるような、幾重にも広がるひびが全体を覆っている。そこには、今にも崩れそうな脆弱(ぜいじゃく)さがあった。この胎の薄さと、全体を覆う幾重ものひび。こんな状態で、よく形として成り立つなと僕は仰天し、宋時代の製陶技術の高さをまじまじと思い知った。

 

 講義が終了し、教室から出かけたところで、僕はあの御婦人と目があった。僕が軽く頭を下げると、婦人は笑顔をみせ「ずいぶんと熱心に見てられましたね」と訊く。「あの雨過天青という言葉が気になって」僕がそう言うと、婦人は「そうね」と言って遠くを見つめた。「うちにもあったわ。きれいなお茶碗が。とっても軽くってね。触るのが怖くって」「えっ?完品が、ですか?」婦人はゆっくりとした口調で答える。「ええ、そうね。昔の話しね」そのとき、婦人の首にかけられているプラチナの十字架が静かに光った。

 

(第13話につづく 6月24日更新予定です)

 

岩佐又兵衛 「源氏物語図」

南宋官窯青磁陶片 12-13世紀

 

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