「骨董商Kの放浪」(13)


 3月の初旬の或る日の午後、三代目の次の講義に向けて予習をしていた僕は、気がつくと、うたたねをしていた。その心地よい眠りを、携帯の着信音が妨げる。見ると才介からだ。僕は少々ムッとしながら「何だよ」と出ると、才介は大きな声で「寝てたのか?おい、K!寝てる場合じゃねえぞ。朗報だ!」と興奮している。訊くと、福井の最初の旧家から仕入れてきた掛軸の一本が高く売れたらしい。「どういうこと?」「だから、残りもんに福があったってこと!」と依然興奮気味。よく訊くと、師匠が、知り合いに頼んで美術俱楽部の市(いち)に出品したところ、10点のなかの1点が中国の古画だったようで、これが何と600万で落札されたとのこと。僕の眠気もふっとんだ。「まじっ!」「だから、明日にでも師匠のところに行って、取り分もらおう!」と言う才介に、「だって、今日売れたんだろ?」僕の問いに「美術俱楽部の市は、その日に小切手くれるんだよ。だから明日な!」と答えて才介は電話を切った。

 翌日師匠の店に出向くと、「おまえら、情報早いな」と、顔をしかめてこめかみをかいた。「まあ、取り敢えずだ」と言って、二つの封筒を僕らに渡す。そこには「人足(にんそく)料」と書いてある。才介は「すんません」と封筒を手にするや渋い顔をする。僕も「ありがとうございます」と頭を下げる。才介は「師匠。又兵衛売れたときは、ひとつお願いしますよ」と目力を入れて頼む。師匠は、「わかってる。わかってる」と後ろを向きながら左手を上げた。上げた手の上方に「愛国」の扁額が見えたが、何となく店内が閑散としている感じがした。僕が周りを見回していると、「おまえら、まあ今日はこれで帰れ」と師匠が言う。その言葉を受けて、僕らは再び頭を下げてその場を辞した。

 エレベーターのなかで才介は封筒を開け中身を確認する。30万が入っていた。「ちっ、これしきかよ。ジジイ」と言ったあと、「しゃあない。又兵衛が売れたら、この何十倍はいただかんとな。あのくそ寒いなか、福井まで往復したんだから」と、封筒をジャンパーの胸ポケットにおさめた。僕が「そういえば、店のなか、風呂敷の山が減っていた気がする」と言うと、「この間の美術俱楽部で処分したんじゃね」と、才介は意に介さない。

 1階に降りエレベーターが開くと、そこに黒服に色眼鏡の強面(こわもて)の男が立っていた。左腕にはきつい光りを放つ派手な金時計。男は、僕らをじろりとにらむと、入れ違いにエレベーターに乗り込んだ。表に出ると、何やら風体の良くない二人連れが、くわえ煙草でビルを見上げていた。

 

 それから2週間が経った或る日、僕は久しぶりに犬山得二の部屋を訪ねた。犬山から連絡をもらったからである。内容はわからないが、風呂敷を一つ持って来てくれとのこと。玄関のドアを開けた僕の顔を見るなり、犬山は「商売、どうでっか?」と笑い、お茶の用意を始めた。「おまえこそ、書いてるのかよ。文学」「まあな」室内に昭和歌謡が流れている。犬山は解説。「筒美京平ヒットメドレー。ちなみに今流れているのは、弘田三枝子の『渚のうわさ』。昭和42年。おれに言わせりゃ、元祖Jポップというところだ」そのテンポのよいきれいなメロディーに、僕もしばし耳を傾ける。

 それが終わり次の曲に変わったとき、犬山は切り出した。「いや、ちょっと頼みがあってな」と言って、茶の間のテーブルの上に一枚の便箋のような紙を出した。万年筆か何かで書かれた縦書きの文字が、何行にもわたっている。「何だこれ?」僕の目を見て犬山が語る。「実は、この間実家に寄ったときにな。物置から出てきた。祖父(じい)さんが集めた骨董類は、全部親父(おやじ)が売っぱらったって聴いてたんだが、少しは残ってて」「えっ、これ。ひょっとして有名な作家か何かの字か?」気が急く僕に、犬山は「まあまあ、話しを聴け」と軽く片手を上げる。「これは、おれの祖父さんの字だ」「何だよ。おまえの祖父さんのか」「そうだ。祖父さんの日記から剥がしてきた」「で、何でおれを呼んだよ?」犬山はまた手で制して「とにかく、最後まで聴け。この内容がいいんだよ」と指をさす。「これはな、おれが生まれたときの喜びを綴っている。祖父さんにとって、初孫の誕生を心から祝福している内容だ。祖父さん70歳の作だ。自分の古希の喜びも兼ねている」犬山は文面の一箇所を指す。「ここを見てみろ…まっつぐに育てよ、とあるだろ?祖父さんは江戸っ子だ。まっすぐが、まっつぐになっている。いいじゃないか。祖父さんらしくて」僕の肯(うなず)く顔をみて、犬山は両手を膝に置いた。「そこでだ、おれはこれを一生の宝物にしたいと思った」「うん」「ゆえに、これを表具仕立てにして残そうと思う」「掛け軸にか?」「そう。それで、おまえを呼んだ」「なるほど」「だから、どこか表具屋に持っていって仕立ててもらってほしい。箱もだ」僕は、先だって師匠から又兵衛の絵の表具を頼まれたことを思い出した。「よし、わかった。まかせろ」「あんまり派手な色は嫌だぞ。控えめな色の素地で頼む。時間は急いでないから、ゆっくりでいいぞ」犬山はそれをクリアファイルに入れ封筒にしまい僕にわたす。「それで、風呂敷か」と風呂敷を広げると、「いや、これだけじゃない」と言って、犬山は自分の机の下から古い箱を持ってきてテーブルの上に置いた。

 

 「これが出てきた。骨董だ」僕はその箱に目をやる。結構古そうだが、この間の又兵衛の比ではない。昭和初期くらいか。開けると、16~17センチの色絵の皿だった。虎の絵が描かれている。箱の上蓋には墨書で「天啓赤絵(てんけいあかえ)虎図皿」とある。このとき僕は、つい数日前の三代目の講義で、このような皿があったことを思い出した。確か、明時代末期の17世紀前半だったか。そうだ。天啓(てんけい)年間(1621-27)のときにつくられたこの種の色絵を「天啓赤絵」と言っていた。宮廷用の磁器の焼造が中止を余儀なくされた末期に、貿易用として大量につくられたもので、このくらいの寸法の皿が圧倒的に多く、かなりの数日本に将来されたと、三代目は説明していた。その天啓赤絵の皿がここにあった。講義ではスライド写真のみだったので、実物を見るのは初めてだ。

 虎と地面の岩肌、そこから生えている一本の木と草が染付の青で描かれ、地に咲く花々と、虎の上空に揺れるように配される幾つかのぐるぐるした雲と太陽が、赤を主に、黄と緑の色釉を使ってラフに表現されている。染付の青で縞柄があらわされた虎の地には黄、口に赤の色がさしてある。裏を返すと、中央に「天啓年製」という四字が二行にわたり染付で記されている。官作(かんさく)にはない、自由奔放な気分に溢れていて、僕は天啓赤絵の持つ味わいを感じていた。

 「へえー、面白いモノだな」僕が手に取りしげしげと見ていると、犬山は覗き込みながら「それを、おまえにやろうと思ってな」と言った。「えっ?だって、祖父さんの遺品だろ?」「まあな。でも、おれはあまり好かん。趣味じゃない。箱の字も前の持ち主の字だろう。祖父さんのじゃない」と言ったあと、「おれにはこれがあるから充分だ」と風呂敷のなかに置かれたままの封筒を指した。「しかし、さあ。おれはまだ値段がわからんよ」と言うと「これはおまえにやるんだから、おれには関係ない」「いや、そうはいってもさ」僕の抵抗に、犬山は目をしばたたかせながら、「別におまえに貸しをつくるわけじゃない。おれは、この皿の価値がわからない。祖父さんはわかっていた。だから、この皿の価値をわかる人のところへいくのが、祖父さんの思いかもしれない、と思う」僕はそれを聴き、こいつは何て懐の深いやつだと感心した。「まあ、少しは飯のタネになるだろ」犬山はそう言って、広げた風呂敷のなかへ箱を置いた。部屋には南沙織の「17才」が流れていた。

 

 僕は取りあえず、この天啓赤絵の値段を調べるために、先ず才介に電話をした。才介は話しを聴くなり「天啓赤絵の皿は、安いぞおー。今流行らんからな。官窯(かんよう)だと滅茶高いんだけどな」と言ったあと「10万くらいか。うん、そんなもん!」と解答。「わかった」と僕は電話を切った。

 

 そのあと、この皿を持って宋丸さんの店にいった。Reiが笑顔で出迎える。「宋丸さん、まだ来てないですよ」と言われ、僕はReiに意見を訊こうとこの皿を見せた。Reiは見るなり、「天啓赤絵ね」と言って手に取る。「知ってるの?」「はい。よく見るわ。この手のお皿」「僕の友人から譲ってもらったんだけど、この価値をわかる人におさめてほしいってことで」Reiは考え込む。「同業者のやつに訊いたら10万くらいだって言うんだ」「そんなに安いんですか?」「何かそうらしい。今流行らないんだって」それを聴いてReiは言う。「でも、Kさんは、このお皿を価値のわかる人に売りたいんですよね?」「うん」僕が答えると、Reiは「誰がいるかな。これを好きそうなひと」僕も考える。「あいちゃんには向かないしなあ。といって教授にはもっと向かないし。総長の趣味とは思えないし。うーん」と僕が悩んでいると、Reiは、薄緑色をした長いスカートのなかで、大きく脚を広げたと思ったら、直角に曲げた右脚のくるぶしあたりを左脚の膝の上にのせた。瞬間、彼女のスカートがやや翻る。そして、上半身を少し前かがみにし右手指を頬につけた。Reiは、半跏思惟像のポーズをとって、うーんとうなった。「Reiちゃん、その脚、ちょっと」と僕の発言を無視して、Reiはさらに思考する。「うーん」。そして、素早く体勢を戻し、頬にあてた人差し指を僕に向け「やっぱり、宋丸さんです!」と結論した。「宋丸さん、買ってくれるかなあ」僕の反応に、「違うわ。Kさんは、これを価値のわかるひとに売りたいんでしょ?そうしたら、値段は宋丸さんにつけてもらいましょうよ。10万円なんかで売ったら、モノに失礼です!」と、まるで宋丸さんが乗り移ったかのような解答。一緒にいるとこうなるのかなと僕は半ば感心した。

 

 Reiと話しをするのは久しぶりだった。いつも明るい彼女を見て安心すると同時に、少し気になることもある。「ねえ、Reiちゃん。宋丸さんといつも一緒にいて、嫌にならない?」僕は訊く。「何で?」の返答。「いやさ、宋丸さん、変人だからさ。若い女の子は嫌がるんじゃないかと思って。ここに二年もいて、飽きない?」僕の質問にReiは、爽やかな笑みをつくる。「全然。宋丸さんは、優しいし。ジェントルマンですよ」「うん。まあ、それは何となくわかる」「怒られることはあるけど、愛情があります」「ほお。結構心酔してるんだ」少し間をおき、Reiは「はい」と言って澄んだ笑顔を向けた。

 

 Reiとの雑談が終わりかけた頃、宋丸さんが店に入ってきた。僕を見るなり「どうだよ。元気かよ」と微笑みながら、ソファに腰かける。「宋丸さん、ちょっと見てもらいたいモノがありまして」と僕が風呂敷包みを解こうとすると、「おいおい。K君。また妙なモノを持ってきたんじゃないかあ?」とカカカと笑う。

 僕が皿をテーブルの上に出すと、宋丸さんは「いやー、これは参ったね」と言って手に取る。「実は、これを大事にしてくれる人に売りたいんですが、値段を決めてほしいんです。僕はわからないので」Reiが宋丸さんの前にお茶を置く。宋丸さんは「お嬢さん。そこの袱紗(ふくさ)敷いて」と指示。Reiはそれに従う。袱紗の上に置かれた天啓赤絵の皿を眺めながら、宋丸さんはゆっくりとした口調で「いいもんだよ」と褒めたあと、「そうだなあ。虎の図は少ないからなあ。昔は200万と言うんだろう」と目を細める。「今はどうなんですか?」「うーん。そうだなあ。やっぱり、200万か」と答えた。「えっ?でも、今は安くなっているですよね?それでも200万?ですか?」「やっぱり、そう言いたくなるね。見ちゃうと」の宋丸さんの言葉を受けて、Reiは僕の顔を見つめ、こくりと肯いた。

 

 その数日後、僕は風呂敷包みを携えてネエさんを訪ねた。お願いがあったからである。ネエさんはディスプレイの模様替えをしていた。僕の出現に「ああ、ちょうどよかった。グッドタイミング!」と応接間に。「ちょっとさあ。見てくれない。持ち込まれちゃったんだけど、わかんなくて」ネエさんはそう言いながら、何やら古そうな箱を開ける。「中国陶磁なのよ」と言って取り出したのは、天啓赤絵の皿だった。「たぶん、安いわよね。こんなの」と指さすネエさんを見て、僕は非常に驚く。こちらは二羽の鳳凰が描かれている。その皿を前に複雑な表情の僕を見て、「どうしたの?」とネエさんは訊く。「何と言いましょうか…」僕は手にしていた風呂敷包みを開いた。

 

 これまでの経緯を話すと、ネエさんは「うーん」と顔をしかめた。「200万って。そりゃ、宋丸プライスよ」「はい」「なかなかそれじゃ、商売難しいんじゃない」やはりそうか。ごもっとも。「それでお願いなんですが。6月、骨董フェスティバルに出ますよね?」「うん」とネエさん。昨年秋に行われた骨董フェスティバルが、今年は会場スケジュールの関係で、6月の開催となり、ネエさんの店は初出展をすることになっている。「実は、そこで、この皿を売りたいんです」僕のお願いに、「200万で?」「はい」肯く僕を見て「なるほどね。確かに今度のフェスは、他のフェアに比べると規模は大きいし、いろんな人も来るし。ブースもちょい広めだし」ネエさんはそう言って腕を組んで考えたあと「いいわよ。わたしの荷物とちょっと毛色が違うから、ブースの端になっちゃうけど、よかったら飾っても」と快諾してくれた。「ありがとうございます」の御礼の言葉にネエさんは「大丈夫よ。売れても場所代請求しないから」と笑顔で僕の肩を叩いた。

 

 僕はそのあと風呂敷から、犬山に頼まれた封筒を開け、二つ目のお願いをした。「知り合いでわかりそうな人に訊いてもらいたいんですが。表具をしてくれるひといませんか?」するとネエさんは「表具屋さん?」と訊く。「はい」「そこにあるわよ。この通りを渡って右手の方、ずっと行ったところ」僕の「安いですか?」の問いにネエさんは、にこっと微笑む。「うん。値段は安く引き受けてくれて、仕事は丁寧だっていう評判。わたしは行ったことないけど。絵やるひとはよく使っているわ。表具って高いからね」それを聴いて、僕はすぐその表具屋に向かった。

 ネエさんの書いた地図を片手に、あっという間に到着。灯台下暗しか、と思いながら、こじんまりとしたその店に入る。すぐに眼鏡をかけた背の高い50歳くらいの店主が、にこにこと現れる。そこで、犬山から預かった紙を取り出して見せる。僕は落ち着いた色の表具をリクエストし、店主は、いろいろな布地のサンプルを持ってきて丁寧な説明。細かな部分はわからないので、任せることで了解。値段も箱込みで8万と手頃だ。ここなら又兵衛の表具もうまくいきそうな気がして訊いてみた。「かなり古い表装が傷んでいるのを直したいのですが、そういうのもできますか?」店主は笑顔で肯く。「もちろんです。見ないと詳しくは言えませんが、もとの表具をできるだけ残したいという方も多いので。大丈夫ですよ」よし、これは渡りに船だ。さっそく師匠に報告しようと僕は思った。店主は手にしたモノに目を向け、「こちらですが、箱までつくると、ふた月ほどかかりますよ。出来上がりましたらご連絡いたします」「よろしくお願いします」僕は笑顔で了承した。

 

 三月の第四週目の水曜日、「清(しん)時代」の授業をもって、3カ月に及ぶ三代目の講座は終了した。打ち上げではないが、受講生らが三代目を囲んで昼食をとることになり、僕も参加。センターの一階にある中華レストランに、20人ほどが集まる。卓は二つにわかれ、僕は三代目とは別卓。都合6回の授業となると、皆それぞれ交流も生まれ、和気あいあいの雰囲気。僕が席につこうとすると、隣りはあの気高い老婦人であった。婦人は優しい笑みを浮かべて「どうも」と言う。僕は「失礼します」と腰かける。すると婦人はどこで聞いたのか、「あなた様、骨董屋さんなのね?」と訊く。「はあ、まだ駆け出しというか。そんなもんです」と答えたあと、少し雑談。婦人はNと名乗った。

 「N婦人か」と僕は頭に入れる。これから起こるN婦人との忘れることのできない一件を、このとき僕は知る由もなかった。

 

(第14話につづく 7月4日更新予定です)

天啓赤絵虎図皿 明末時代(17世紀)

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