「骨董商Kの放浪」(14)

 皆の雑談がおさまった頃、いきなり司会役のあの贋物(がんぶつ)爺さんが立ち上がって挨拶。この手の爺さんはこういうときに必ずしゃしゃり出る。三代目に感謝の意を込めてのやや長めのスピーチ。僕は仕方なく聞きながら周りを見る。参加者のほとんどが女性だ。僕と同卓の向かいに、あの眼鏡の女性の姿もある。スピーチが終わり、ようやく食事が開始された。

 「今日は素晴らしかったわ。清朝(しんちょう)官窯(かんよう)」N婦人は言う。「特に、あの明るい黄色一色の小さなお皿。品格があったわ」確か、三代目がその色を「レモンイエロー」と形容していた。「それと、もう一つ。鮮やかな桃紅色をした小瓶。あの色をピーチブルームと言っていたかしら」僕はその器形を「太白尊(たいはくそん)」と三代目が紹介していたことを思い出す。N婦人は続ける。「清朝官窯というと、華美な印象があって、うちには無かったけれど、単色の小ぶりな作品は何て魅力的なのかしら。まるで宝石のよう」食事をしながら、僕はしばらく婦人と歓談。時おり胸の十字架に目がいく。食事中、おもむろに僕は訊いた。「あの、奥様。最初から講義に出てましたか?」「いえ。わたくしは、宋時代にだけ興味がありましたので、その二回の授業に参加いたしましたが。面白くてね、実物が触(さわ)れて。ですからそのあとも続けて。こんな気持ちになったのは、ほんとうに久しぶりね」婦人はそう言って、食事を口に運ぶ。「でも、お若い骨董屋さんね」の微笑みに、「いえ。まだまだ半人前で」僕は蒸しパンをちぎって口に入れる。その様子を見ながら、婦人はお茶を一口。そのあと遠くに目をやり、「若いって、素晴らしいことね」とぽつりとつぶやいた。

 食事会も終わり、それぞれの帰り支度が始まる。僕は最後にN婦人のところに行き挨拶。すると婦人は、「そうだわ。是非今度うちにいらしてください。わたくし、普段若いひととお話しすることがなかったので、今日はとても楽しかったわ」と言って、連絡先の書いたメモを渡してくれた。

 

 その日の夕方にReiから携帯に電話が入った。「もしもし、Kさん」「どうしたの?」「今どこ?」僕はそのとき、京橋の或る骨董店にいた。昨秋の骨董イベントで知り合った、主に朝鮮陶磁を得意とする中年の男性店主と話しをしている最中で。「京橋」と告げると「じゃあ、今から店に来て」との依頼。僕は理由も訊かず、宋丸さんの店に向かった。

 店に入ると、男性客が一人、応接間で宋丸さんと談笑している。Reiは僕を見て微笑み、客間に案内する。「おう、来たかい。青年」と宋丸さん。僕が腰かけると、目の前の男性が「どうも」と笑いかける。僕も「どうも」とお辞儀。男性はまだ30歳半ばくらいだろうか。けっこう若い。スーツ姿で、髪は今どき珍しい七三分け。眼鏡のなかの細い目をさらに細めて「わたしは、このあたりで、小さな会社の支店長をしておりまして」と名刺を差し出した。「すみません。名刺なくて。僕は、Kと言います」そう言うと、「あの、骨董イベントとかでおみかけしました。確か、オリエントのお店だったかな。アハハ」「はい」と答える。支店長は、何やら楽しそうだ。

 「K君。ちょっと頼みがあってなあ」宋丸さんが、正面の飾り棚にある、漢時代の緑釉(りょくゆう)の壺を指さした。「これを、支店長がお買いになった。それで、届けてもらいたいんだよ。支店長の家に」僕は、漢時代の緑釉壺を見る。高さ40センチくらい。緑の釉が艶やかに流れ、一部がきれいに銀化(ぎんか)している。なかなかの作行きだ。「わかりました」僕が言うと、支店長は「すみません。諸事情がございまして、この日時にお願いしたいのですが」とそっとメモを渡した。そこには三日後の午後8時45分とある。「すみませんね。細かい時間帯で。このへんがうちの家内がいない、ベストタイムなので」と言ったあと、アハハと笑う。「いや、あんまり骨董買ってるなんてばれたらヤバいんですよ。うちまだ、子供小さくて」支店長は頭の後ろを掻く。「小さいモノだと、そのまま持ち込めるんですがね、家に。これ大きいから、ヤバいでしょ?だから、この時間でお願いしたいと思って」そして、またアハハと笑う。それを見て宋丸さんは「まあ、頼むよ」。僕は支店長の憎めない笑顔をみて、「承知です」と快く引き受けた。

 「ということで、わたしはこれで」と両膝に手を置く支店長に、宋丸さんは「支店長、ちょっとこれも見ていきませんか?」と、小さな箱からモノを取り出して、テーブルの袱紗(ふくさ)の上に置く。同じ漢時代の褐釉(かつゆう)の楕円形の杯で、両端を平たい縁で飾ってある。長さ10センチほどの「耳杯(じはい)」と呼ばれる器。これは副葬用としてつくられたものであるが、もとは銅もしくは漆製で、酒を容れる杯として用いられた。

 耳杯を見るや否や、支店長はのけぞり「ちょっと、待ってよ、宋丸さん!何でこういうもの、見せるかなあ、アハハ」と指をさしながら笑ったかと思ったら、少し腰を浮かせて覗き込む。眼が真剣だ。そして体勢を戻して、「困っちゃうなあ、もう!どうしてこういうモノ、最後に見せるかなあ」支店長はソファに腰を沈めると、額に激しく手をこすりつけたあと、また考え始めた。

 

 三日後の夜8時半過ぎに、僕は支店長の家の側(そば)にいた。指定された時間まであと10分。奥さんに見られないようにと思い、一本脇道で、大きな風呂敷包みを持って佇む。時計を見る。やがて45分になった。よし。僕は玄関先まで足を運ぶ。しかし、玄関から漏れる光が見えない。いないのか。僕は後ろに下がって、二階建ての一軒家を見回す。全ての照明が落とされていて、あたりは、しんとしている。おかしい。日にちを間違えたのであろうか?僕は、横の勝手口の方へ回ってみる。ここも明かりがない。すると、人影が見えた。支店長か?どうやらそのようで、支店長はあたりをしきりとうかがいながら、大きく手招きを繰り返す。僕がそれに応じると、早くしろとばかり、手に力を込める。近くまでいくと、家の横の扉が開いた。支店長は小声で、「早く、早く」と促す。僕はそれにしたがって、狭い庭を通って暗い部屋のなかに案内される。支店長は、ようやく部屋の明かりをつけた。そして一息つくと、「すみませんね。Kさん」と言って、すかさず押入れを指さす。「ここですか?」「そう、そう。ここに早く入れて」押入れを開けると、いろいろなものがひしめいている。その下の段に、ちょうどこの風呂敷包みが入るスペースが確保されていた。「ここです。ここ!」急かす支店長の声を聞きながら、僕は手を伸ばし包みごと指定された場所に置く。と同時に支店長は、さっと襖を閉め、ふぅーと大きな息を吐いて座った。何かひどく悪いことをしているような気分だ。「支店長。そんなに怖いんですか?」の問いに「怖いんです」と答える。「そこまでしてでも買いたいんですか?」の問いに「買いたいんです」と支店長は大きく肯いた。

 僕は、ようやく落ち着き、室内に目をやる。あまり目立たなそうな骨董品が何点か飾られている程度だ。そのなかに、李朝白磁の四角い瓶のようなものがあるのに気づいた。高さ15センチくらいか。頸の付け根から上が欠損している。白い膚(はだ)の色は、そんなに良いとは思わなかった。僕の目線を気にして、「いやー、壊れモノですよ。僕なんかが買えるレベルはこのくらいで」と謙遜する。「だって、宋丸さんの店でお買いになってるじゃないですか」と僕がそれを否定すると、支店長は頭を掻いて「全部、月賦です。その途中でまた買っちゃって。こりゃ病気です」と無邪気に笑った。

 

 東京の桜が開花を迎えた或る日。僕はN婦人のお宅へと向かっていた。東京の高級住宅地の一角。500坪はあろうか。古い石造りの門柱の間を通り、左斜めに沿って緩やかな坂を進むと、映画に出て来そうな大正時代の洋館があった。大きな木の扉が開かれ、年配の黒服の女性が僕を奥に通す。歩く度に床が音を立てる。シックな廊下の向うに、燦燦と陽の入る素敵なリビングがみえる。その中央のテーブルの横に立って、N婦人は僕を待っていた。「ようこそ」と婦人。僕は椅子に腰かける。やがて、さきほどの黒服の女性が、コーヒーとケーキをテーブルに置く。僕は室内を見回す。豪華なシャンデリアだ。天井も高い。厳かな花唐草文様のベルベットの壁。そして大きな暖炉。クラシカルな落ち着いた空間が広がっている。僕が感激していると、婦人はゆっくりと口を開いた。「ここはね。建ったのが大正14年。空襲のときも、このあたりは焼けなくてね」「貴重ですね。大正時代の建物」「そうね。でも、もうそろそろお別れね」その言葉に僕は耳を立てた。

 「わたくしも、少し齢をとり過ぎたわ」婦人は、ブラックコーヒーを飲みながら話しを始める。「わたくしがここにきたのは、昭和13年。22歳のとき。67年前」僕が頭のなかで計算を始めると「そう。わたくしは、来年90になるのね」僕はびっくりする。「お嫁にきてね。まだ何もわからなくて。でもお義父(とう)さまが可愛がってくれて。いろいろなところへ連れて行ってくださって。たくさんの美術品に囲まれて。とても愉しかったわ」リビングから望む広大な庭は、手厚く整えられている。そこから射し込む陽光を受けながら、婦人の話しは進んでいく。

 「うちは、代々医者の家系でね。主人も、お義父さまも。その兄弟も。この家は、お義父さまの先代、主人の祖父がお建てになってね。でも、みんないなくなったわ。わたくしには子供がなくて。主人が亡くなってから20年。もういいかしらね。でも、とても楽しい人生だったわ。感謝しかないわ」

 大きな暖炉の上には、たくさんの写真立てが並んでいる。婦人の人生がそこに刻まれているのだ。僕がそれを見つめていると、婦人はふっと息を吐いて、場の空気を変えた。

 

 「さあ、今日は美術品のお話しをしましょう。この間から、素敵なモノをたくさん拝見させていただいたのですから。蘇ってきたわ。美しい記憶が」婦人は気品のある微笑をみせた。「わたくしがお嫁にきたときは、お義父さまは名の知れた蒐集家(しゅうしゅうか)だった。とにかくモノがお好きで。常に愛情を持って接していたわ。モノをご覧になるときのあの優しい眼は、今も忘れられない」婦人は感慨深げに話ししたあと、「今、大阪の美術館にある、李朝の鉄絵の虎を描いた壺がここに飾られていたわね」と言って、右手の広々とした棚をさした。僕は思い出す。年末にReiと行った大阪の東洋陶磁美術館に陳列されていた壺だ。同類のものがなく、よく図録で紹介されている名品。僕は改めて驚く。

 「主人もその兄弟も、骨董品には興味がなくてね。わたくしが好きだったものだから、お義父さまは本当に喜んで。買ってきたものを先ず、わたくしにお見せになるの」婦人はコーヒーを口にし、「庭には茶室もあってね。毎週、お友だちを呼んでは、お茶をしていて。わたくしも一緒に。それがまた、愉しくってね」と笑みをみせる。

 僕は、婦人が前に宋時代を好きだと話していたことを思い出し、「宋時代のやきものも、たくさんあったんですか?」と訊いた。「たくさん、あったわ。とても美しい青磁の花入れがあって、わたくしは、そこに花を生けるのが楽しみだった」「この間の、南宋(なんそう)官窯(かんよう)の青磁もあったんですか?」僕は、三代目の授業で見た陶片を思い浮かべる。ガラスのような青色と全体に入るひび。「そう。あちらの飾り棚の一番目立つところに置いてあったわ。このくらいの大きさ」と言って婦人は手で形をつくった。径が15センチくらいの浅い茶碗のようである。「色がとてもきれいでね。授業で、何と言っていたかしら」「雨過天青(うかてんせい)」「そう。まさにその澄んだ青色が輝いていたわ。それに、ひびが何重にも入っていて。触るのが怖くってね。いつも、そおっと両手で持つだけ。力を入れた途端に、壊れてしまいそうに思えて。お義父さまの自慢の一品だったわ」僕はそっと訊いてみた。「それって、もうお手元にはないんですか?」婦人は目を閉じ深く肯いた。「それに関してはね、あまり愉快ではない話しがあってね」

 庭に向けられた婦人の目は、さらに遠くをみつめている。「有名なお店から買ったのよ。そのお店の担当のひとがしょっちゅうみえてて。でも、わたくし、そのひとをあんまり好きじゃなくてね。お義父さまは喜んで、そのひとからモノを買ってたわ。それから20年くらいして。お義父さまがご病気になると、そのひとが頻繁にくるようになって、何ということか、最後は奪い取るように持ち去っていってしまった。そして、それからまもなくして、お義父さまはお亡くなりになった。あの青磁のお茶碗を失ったのが、ショックだったのかもしれないわね」

 

 それから婦人は、家にあった美術品の話しを、楽しそうに語り続けた。一つ一つ、紡(つむ)ぎだすように、その情景を思い浮かべながら。

 

 「お義父さまが亡くなって、その後いろいろな骨董屋さんが買いにきたけれど、義父(ちち)の愛情が注がれた美術品は、しばらくそのままにして売ることはなかった。もちろんわたくしも思い入れがありましたからね。でも、やがて主人も亡くなり、この家もわたくしひとりになり、齢もとって、もうよろしいかと思って、すこしずつ整理を始めたのよ。ここも維持費がかかりますからね」

 婦人はゆっくりと立ち上がり、暖炉の方へ歩を進めた。「みんな、その価値のわかる方のところへ、受け継がれているのではないかしら。神の御導きのとおりに」僕も婦人の傍に近寄る。婦人は、暖炉の上に置かれた数多くの写真立てを順繰りと見つめる。その一つをさして、「これがお義父さま。その隣りがわたくし。あらあら、若いわね」と笑う。それはモノクロの写真であった。たぶんこの部屋のどこかだろう。三つ揃えのスーツの貫禄ある紳士が、ガンダーラ風の仏頭の黒い飾り台に手をかけ立っており、その隣りに和装の婦人が寄り添っている。二人ともにこやかな表情だ。

 「昭和25年の写真。忘れもしない。このハッダが家に来たのときに撮ったもの」僕は、婦人から「ハッダ」という言葉が出たので、その仏頭の写真に集中した。この特徴ある髪型は…。僕は「あっ!」と声が出そうになる。これは、ひょっとして、ネエさんの店にあったものではないか?よく似ている。「名コレクターの旧蔵品」ネエさんの言葉にもあった。僕は「これは?」とハッダを指さす。婦人は静かに目を閉じてから、話し始めた。

 

 「このハッダはね、お義父さまのお気に入りの一つ。前の所有者は有名な画家。そのひとが持っていたときから、ずっと狙っていたと言っていたわ。だから手に入ったときは、本当に喜んでいたわね」僕はもう一度そのハッダを見つめ「これは、今、どこにあるんですか?」と訊いた。「これはね。西洋骨董の老舗から買ったモノ。義父(ちち)が亡くなったあとも、ずっとここに飾っていて。20年前、もっと前だったかしら。その西洋骨董店を通じて、展覧会の出品依頼がきたことがあったわ。そのとき、お店の若い女性社員が取りに来てくれてね。たいそう感激していた」

 僕は、ネエさんだと思った。「10年前くらいだったかしら。その女性から譲ってくれないかと、手紙をもらったり、電話をくれたりしたけれど、その気がなくてね。でも、少しずつ整理を始めて、最後に残していたこのハッダとその他の細かいものを、その女性に渡したわ。1年前のことかしら」

 

 これは、何という話しだろう。僕は立ち尽くすしかなかった。モノを重心として、常に揺れ動きながら、しかし定められた方向へと確実に動いていく時の流れの渦のなかに、僕は巻き込まれているのかもしれないと思っていた。

 

 庭から小さな鳥の鳴き声がする。僕はその音でようやく我に返り、そして静かに口を開いた。「そうでしたか。では、もう、すっかりご整理をされたんですね」その言葉を受けて、婦人は再び写真立てに目をやり、そのなかのひとつに焦点を当てて、何やらじっと考えていた。そして、婦人は今までみせなかった眼の光を僕に向けた。

 「実はね、たった一つだけ、残っているモノがあるのよ」それを聴いて僕の目は見開く。その瞳を見据えて、婦人ははっきりと言った。「それを、あなたに扱っていただきたくて、ここに呼んだのです」

 

 そのとき、N婦人の首にかけられた十字架に、光が宿ったような気がした。それは、蠟燭の炎が消える前に一瞬明るくなるような、そんな光だった。

 

(第15話につづく 7月15日更新予定です)

ハッダ塑像 3世紀

黄釉輪花盤一対 清・雍正(1723-35)在銘

桃花紅太白尊 清・康煕(1662-1722)在銘

緑釉壺 漢時代(1-2世紀)

褐釉耳杯 漢時代

 




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