「骨董商Kの放浪」(16)

 N婦人の一件があったあと、僕はしばらく家に引き籠っていた。婦人との出来事もあったが、あの李朝(りちょう)白磁を見極められなかったショックもあったわけで。あんなに、東博や民藝館や、大阪まで行って数多くの李朝白磁を見てきたはずなのに。「やっぱり、やきものは、手に取って見ないと駄目だ」僕は、骨董の難しさを痛感していたのである。

 

 僕は頭を整理するために、先ず、時おり立ち寄る京橋の朝鮮陶磁専門店に電話をかけ訊いてみた。店主は、「あれか。美術俱楽部に出ていた瓶ね。あれは、悩ましいものだけど、やっぱり難しいだろうね。膚(はだ)の質感と手取りの重さがね」との感想。僕はそれを聴いて、支店長のあの瓶をもう一度見たくなった。あのときは、あまりきれいに見えなくて、手に取ることもなく、さらっと流した程度だったので。僕は宋丸さんの店に電話をかけ、Reiに支店長の白磁の角瓶について訊く。Reiは、それは宋丸さんがおさめたモノとの返答。やはり、そうか。それならなおさらだ。僕は拝見したい旨を伝える。Reiは支店長に話しをつけてくれ、さっそく翌日の昼過ぎに、僕は支店長の家を訪ねることになった。

 

 前回同様、横の通路から部屋に入る。今日は土曜日なので、会社は休日。支店長は僕の急な訪問に少し驚いたようだったが、快く応じてくれた。僕は頸(くび)の無い角瓶を手に取る。意外に軽い。なるほど。この重量が正しいのだろう。次に白磁の膚(はだ)をじっくりと観察。前回は、薄暗がりだったが、今日は陽光が降り注いでいる。僕は眼を凝らす。白の色は決して上手(じょうて)ではなかったが、清い透明感があり、四角い板を合わせた繋ぎ目の線もやや頼りなく見えるが、それがかえって真面目な作行きを感じさせた。確かに、N婦人の角瓶は、今思うと、その線があまりにも鋭く強調されていて、何か奇(き)を衒(てら)ったような不自然さがあった気がする。瓶をみつめる僕を見て、「完品でも出ましたか?」と支店長は訊く。「いや、ちょっと難しいモノが出て」「ああ、偽物(にせもの)ですか?アハハ」と笑ったあと、僕の前に先日宋丸さんのところで見た、漢時代の褐釉(かつゆう)の耳杯(じはい)を置いた。「結局、買ったんですか?」僕の目に、支店長は苦笑いして「また、月賦です」と頭を掻いた。

 

 それから二週間が経ち、ようやく少し元気が出てきたので、僕はReiに会いたくなった。Reiは、この出来事をどう感じるだろう。少し早いかと思ったが、午前10時頃に着くように家を出た。この時期としては珍しく、向うの方に真っ黒い雲がみえ、午前中なのに、一雨来そうな空模様。天気予報でもそんなことを言っていた。僕は折りたたみの傘を手にして宋丸さんの店を訪ねた。

 

 店の前に立つと、何だか様子がおかしい。展示室の電気が消えている。いないのか。そんなはずはない。今日は平日。この時間なら、Reiは確実に出勤している。扉を押してみる。すると、開いた。やはり、やっているのか。「すみません」と小さな声を発すると、左手の扉のない応接間には電灯がついており、人の気配が感じられた。僕が首を伸ばすと、そこには、宋丸さんの姿があった。しゃがんでいたのか、僕の気配を感じ、宋丸さんはすくっと立ち上がる。そして、僕と目が合う。その顔が普通でなかった。と同時に、僕は宋丸さんの服装に目がいく。黒のスーツに黒のネクタイ。喪服であった。これから葬儀にでも出かけるのであろうか。僕はしばらく宋丸さんと見つめ合う。やがて、宋丸さんが口を開いた。「やあ、K君。変なところを見られちゃったなあ」なんか変だ。これは、葬儀に向かう準備ではないと直感した。

 

 宋丸さんが出社するのは、たいてい午後の半ば過ぎ。普段この時間帯は、Reiしかいないのだ。そして、そのReiの姿がない。僕は怪訝そうに「今日、Reiちゃんは?」と尋ねると、宋丸さんは立ったまま、「今日は休みなんだよ」と答えた。「休み?どこか具合でも悪いんですか?」「いや、そうじゃないんだ。今日は店が休みなんだ」「えっ?」

 宋丸さんはようやく動き出し、僕の方へ歩み寄る。「おいおい、どうやら僕は、ぼけっちゃったみたいだなあ。鍵を閉め忘れてたよ」と言って苦笑いしている。声に力がない。「毎年、この日は休みにしているんだ」宋丸さんの答えに、僕は礼服に目をやり「お葬式か何かですか?」と訊く。宋丸さんはしばし無言。そして、くうを見つめ「ああ、まいった」と言うなり、身体を応接間の方に向けた。そしてそのまましばらく動かなかった。

 やがて振り向かずに言った。「そうしたら、K君。一緒に弔ってくれよ」弔う?宋丸さんが応接間に足を踏み出した。僕はわけもわからず後について歩き出した。

 

 応接間の正面の床(とこ)飾りを見て僕は仰天した。小ぶりな南宋官窯(なんそうかんよう)青磁の浅い碗が置いてあったからである。その前には、香炉のなかに線香が一本立っている。向こう側には写真立てが飾られている。その写真を見て、僕はさらに仰天する。写真のなかで微笑んでいる貫禄のある老紳士が、N婦人のお義父(とう)さまだとわかったからである。すると、この青磁の碗が、あのN婦人の話していたモノであるにちがいないと推測した。しかし、なぜここに?僕はただ、今それを言葉にすることは、差し障りがあるような気がして黙っていた。

 僕はその青磁を見ようと床(とこ)に近づく。そして、また、さらに仰天する。何と、碗が中央から真っ二つに割れていたからである。継(つ)いではあるが、割れ目がはっきりとわかる。僕は振り返り宋丸さんの顔を見ると、宋丸さんはソファに座るよう促した。

 

 それから、宋丸さんの、この青磁碗にまつわる壮絶なストーリーが、ゆっくりと幕を開けたのである。

 

 宋丸さんが、この仕事に就いたのは15歳のとき。修業先は、4~5人の店員がいる大店(おおだな)で、店主はすでに名の知れた骨董商。数々の名品を扱っていた。ときは戦争が激化する時代。店のひとたちも次々と戦地へ送り込まれたが、そんななかでも、モノは少しずつではあるが動いており、先ずは店主の手伝いをする丁稚(でっち)として、この業界に入ったとのこと。身体の弱い自分を、よく店主は見切らずに育ててくれたと目をうるませる。当時の宋丸さんの教材は、店主が、戦前に中国で入手した貴重な陶片群。そのなかに、南宋官窯の青磁の陶片が幾つかあり、毎日それを見て勉強していたという。「あのときは戦時中で、なかなか良い品を見る機会もなくて。僕は、一日中陶片ばかり見ていたよ。でもそれが愉しかったんだなあ」

 

 やがて戦後になり、年々市場も活況となり、優れたコレクターが出現し、モノの流通が盛んになった昭和35年の或る日、この碗が美術俱楽部の市(いち)に出た。すでに店主は亡くなっており、三十を超えていた宋丸さんは、店の中核を担っていた。宋丸さんはそのときのことを、「僕の人生の一大事」と話した。何たって、丁稚の頃に毎日のように見ていた陶片の完形品と出会ったからである。しかもそれは、日本に数えるほどしかない南宋官窯青磁。宋丸さんは身体中の震えが止まらなかったという。

 当日、かなりの高値であったが、宋丸さんはそれを競り落とし、店に持ち帰って眺めていたところに、戦前からよく通われていたN婦人の義父がたまたまやって来られ、この碗を一目見るなり、是非欲しいと言ったのだ。「大旦那は、たいそうなお目利きで、名品を逃すことはなかったなあ」宋丸さんは振り返る。「店主亡きあと僕が担当でね、よくお宅に伺ったよ。この碗をお届けしたのも僕でね。大きな洋館のなかには、名品がたくさん並んでいた。その一番目立つところに、この碗を置いたのを覚えている」と、宋丸さんは懐かしそうに回想したあと、「それ以来、僕には魔物がついたんだよ」と眉間にしわを寄せ、突然厳しい顔つきになった。

 

 途端に、激しい雨が降り始めた。店の窓を強く打ち叩く。しばらくすると、遠くの方から雷鳴が聞こえてきた。その不気味な効果音のなか、宋丸さんの話しは続けられた。

 宋丸さんの勤めた店は、後を継いだ長男が急逝したこともあり、たたむことになる。宋丸さん45歳のとき。そのあと独立し、ひとりで商売を始めることに。「僕はそのとき躍起になってモノを探していたよ。また、名品が出た時期でなあ。みんな競争だ。我先にという、焦りもあったかもしれない。そんなときだよ。大旦那の具合が悪くなったのは」

 

 雨がさらに強まっていき、その音がけたたましく鳴り響いた。雹でも混じっているのかもしれない。そして、それに応じ、窓から入る陽が一気に暗くなっていった。

 「僕はチャンスだと思った。もう一度あのモノを扱える。そう思うと、どうしようもなくなり、何度もあのお宅を訪ねた。お嫁さんに嫌がられてなあ」

 宋丸さんは深く目を閉じ、両手をだらりとソファの上に垂らした。

 「何回目かのときだ。大旦那は、これを博物館に寄贈すると言い出した。僕は焦った。そして、自分が博物館に取り次ぐので預からせてくれと頼んだんだ。僕の頭は完全に狂っていた。このモノしか眼に入ってなかったんだ」

 

 首(こうべ)を垂れた宋丸さんの目は、閉じているようにも開いているようにもみえる。

 「やがてお嫁さんから、返してくれとしきりに電話がきたよ。でも僕は返すまいと思った。そして、それ相応のお金を携えて、再びお宅を訪ね、玄関先に置いたんだ。お嫁さんは大きな声を出して、その札束を僕に向かって投げ返した。そうしたら、そこへ大旦那が杖をついて現れ、ゆっくりと首を縦にふって、それはあなたに譲ると言い残し、すぐに部屋へ戻って行かれた」

 

 雨の量がいっそう増していく。その激しい音は微妙な強弱をつけながら、耳のなかに入ってくる。窓からの採光も、もはや無いに等しい。展示部屋の電気が消えているせいもあり、店内はまるで夜のようになった。

 

 「その数か月後に、大旦那が亡くなったことを新聞で知ったよ。だが、僕は密かに喜んでいたんだ。これで正真正銘、この碗が僕のモノになったんだと」

 そのとき突然窓から閃光がさした。瞬間フラッシュを浴びた宋丸さんの姿が僕の目に映る。その直後、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。僕はビクっとする。しかし、宋丸さんは微動だにしない。すぐまた鋭い雷鳴が響く。宋丸さんは凝然として黙したままだ。僕にはそれが、ひどく長い時間のように思えた。三度目の大きな雷鳴のあと、宋丸さんの口が静かに開かれた。

 

 「大旦那の死を知り、改めてこの青磁の碗を手のなかでじっと見つめた一瞬のことだった。僕の脳裏に、それはあなたに譲ると言ったときの、あの御仁(ごじん)の何とももの悲しくて、でも何か達観したような眼の光が浮かんだんだ。今まで、僕の目の裏に焼き付いていたにもかかわらず、決して現れることのなかった、いや、僕がそれを拒んで封じ込めようとしていた、その深い表情が。まるで映像のように映し出されたんだ。そうしたら、僕の手のなかにあった碗が自然に動き出し、床の上に落ち、きれいに真っ二つに割れたんだ。僕は愕然として、慌ててそれを拾った。そしてそれを手にしたときだ。僕の眼に鮮やかに入ってきたんだ。その割れた碗の断面が!その瞬間、僕は正気に戻ったんだ。厄が落ちたというのかもしれない。骨董の持つ執拗で忌まわしい得体の知れない負の世界から、僕は引きずり出されたんだ」

 

 宋丸さんは、ようやくすくっと顔を上げた。そこにはとめどなく涙が流れている。

 「僕は、割れた碗の断面をじっと見ていた。僕の眼に映ったのは、極めて薄い黒い土に、ガラスのように澄んだ青い釉(くすり)が、何層にもわたって厚く掛けられていた姿だった。そうだ。それは、僕が、十代の頃に、何遍(なんべん)も何遍も繰り返し見た、あの陶片とそっくりなものだった。僕は、そのことをずっと忘れていたんだ。でも思い出すことができた。大事なひとと、大事なモノを失ってようやく」

 

 すると宋丸さんは、人目をはばからず号泣した。その獣のような低い泣き声は雷鳴と重なり、異様な音と化してしばらく室内に響きわたった。この話しを聴いた僕は、深く目閉じ、大きくうなだれ、そして打ちひしがれていた。この清澄で麗しい青の色の裏に、こんなにもせつない悲話が隠されていたなんて。

 

 宋丸さんは、ひとしきり泣いたあと、立ち上がり、床(とこ)の間の前へ進みしゃがみ両膝をつき、上着の右ポケットから数珠を取り出した。「今日はN様の命日だ。僕は毎年、ここに祭壇をつくってお弔いをしている。割れたこの碗は、僕の一生の宝物になった」その言葉を聞き、僕の頬を涙が伝う。僕も一緒にしゃがんで写真に手を合わせる。雷鳴が消え、雨の音も弱くなるにつれ、少しずつ、窓からの光が勢いを取り戻していった。

 

 やがて宋丸さんは立ち上がるや「あーっ」と仰いで、「こんな話し、ひとに聞かせるなんて、思ってもみなかったなあ」と低音を響かせ「僕も齢をとったのかなあ」と笑う。その笑顔を見て僕は訊く。

 「宋丸さん。その陶片、見せてくれませんか?」「これか?」「はい」「よし、見るか」テーブルの紫の袱紗(ふくさ)の上に置かれた碗は、見事に真っ二つに割れていた。簡易的に接着されているだけなので、少し力を入れると、きれいな断面が現れる。僕はじっと見つめる。それは、当然、これまで見たいくつかの青磁の陶片のなかでも、抜群に眩しいモノであった。僕が手にしている様子を見ながら、宋丸さんは「こんなに、大馬鹿ばっかりやってきたのに、やめられないんだよ。この仕事」と言ってカカカと笑った。

 

 表に出ると、すっかりと雨はあがっていた。澄みわたる青い空。僕は見上げる。「雨過天青」の四字を思い浮かべながら。それは、自然の創り出した翳りのない美であった。しかし、人間が作り出した美には、それが美しければ美しいほど陰(かげ)があり、その陰に翻弄されてしまう人たちがいる。ただ、こうした人たちは、みな、純真なのだ。純真がゆえに、翻弄されてしまうのだ。宋丸さんの言う「魔物」というものに。僕は、先日ネエさんの発した「骨董の持つ宿命」という言葉が頭に浮かんだ。これも、宿命なのだろうか。

 

 僕は歩きながら、今日のことをReiに話したら、どう思うだろうかと想像した。間違いなく、あの清らかな黒い瞳から、大粒の涙を次から次へと流し続けることだろう。僕に訴えかけるような目をして、「どうして…こんな…悲しい…はなしを…、するんですか!」と。言葉をとぎって、その都度涙が、その瞳のなかから繰り出されることだろう。そんな気がする。

 僕は、これは胸のなかに秘めておこうと。しかし、決して忘れてはならないものとして刻み込んでおこうと。そう感じていた。

 

 いつのまにか、僕は、自分の足が自然とN婦人の家へと向かっているのに気づいた。あれから一カ月が経つ。駅に降り、前回行った通りの道を進んでいく。そして、その場所に着いた。しかし、そこはすでに更地になっており、新しいマンションが建設されようとしていた。あの大正時代の館(やかた)は、幻のように、跡形もなくなっていた。

 

(第17話につづく 8月5日更新予定です)

南宋官窯輪花碗 12-13世紀

南宋官窯陶片

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