「骨董商Kの放浪」(18)

 師匠が飛んだことに関して、ブンさん曰く、先々代から繋がっていた右翼団体の、当代の親玉が亡くなったことが最大の要因だという。親分の父子関係が一触即発の状態だったようで、先代と友好的だった師匠に対し、若は相当な嫌悪感を抱いていたらしい。それまでなんとか保っていた関係が、先代の死によって崩れ、金を借りている師匠への風当たりが急激に悪くなったとのこと。こうなると、師匠は、当分表舞台には出てくることはできないだろうと。そして、その行方も当然ながら誰も知る者はない。

 師匠は、あの又兵衛の絵をどうやって処分するのだろうか。それは皆目見当がつかないが、僕は何となく、師匠はあの絵と心中するのではないだろうかと感じていた。師匠の執念が集積した眼の光と、又兵衛の絵の妖艶な怖さが、宋丸さんの言う「魔物」にぴたりと通じ合って、のっぴきならない方向へ動いていくような気がしたからである。

 

 6月に入り、ネエさんの店では骨董フェスティバルに向けての準備が始まった。今回の出品点数は、やや多めの35点。そのうちの1点が、僕の「天啓赤絵皿」である。このイベントの企画として、各店舗1店、目玉商品を最終日に売ることになっている。その1点を僕の赤絵の皿にしようかと、ネエさんの提案。「えっ、何で僕のものに?ネエさんのブースじゃないですか」それに対しネエさんは、「値段的にもちょうどいいし。その方が目立つし。普通に飾っていたら、絶対売れない、でしょ?」そうだ。この皿は、宋丸さんの付けた200万という強い値段があるのだ。確かに、普通に飾っただけでは売れないに違いない。しかし、売るためには、何か方策が必要だ。ネエさんは、頬に手をあてしばらく考えてから言った。「わたしは、ネットやらないし、情報を効果的に広めることができないから。正攻法でいこう」「正攻法?」「うん。初日には各店舗、お買い手さんがたくさんみえるでしょ。だから、そこで宣伝する。二日目も同様。要するに二日間でみえるお客さんに下見をしてもらって、それで買う人を探すしかないわね」僕も、それ以外に方法はなさそうだと思えた。

 

 それから数日後のこと。先月、美術館であいちゃんと一緒だったカリスマ骨董商Zの娘であるMiuを訪ねて、僕は都心の名門大学のある駅に降り立った。ここから歩いて10分のところである。あのときMiuは、「うちにある曜変天目を見に来てください」と言い、そしてそれが、「新しくて古いモノ」という、何とも解釈の難しい表現をした。僕はそれが無性に気になっていたのである。

 僕はその場所に立った。裏通りに面した、一見通り過ぎてしまうような存在感のない店である。入(はい)り口に立てかけてある「骨董Z」の看板も全く主張していない。ここが本当にカリスマの店なのか?僕は扉を開けた。そこは二坪ほどの三和土(たたき)に古民芸風な円いテーブルと、それに合わせた椅子が二脚置いてあるだけで、展示棚といえるかどうかわからない、古材を組み合わせた木工細工のようなものが、壁の一方に掛かっているだけの質素な内部。土間から高さ50センチのあがり口の向こうに四畳半の部屋がある。扉はない。つまり入口からは、すぐ正面に畳部屋が見える造りになっている。そして、そこは茶室になっていて、床の間には、かなり年代物の良さ気(げ)な裂(きれ)が額装して飾ってある。その部屋の中央に、50代半ばの優しそうな主人がちょこんと正座をしていた。顔を見るなり、それがMiuの父上、つまりカリスマ骨董商Z氏であることがすぐわかった。にこやかに笑う細い目が、そっくりだったからである。

 僕が名乗ると、Z氏は畳の上から笑顔で、椅子に座るように勧めた。僕は腰かける。すると、Miuが四畳半の奥から出てきて、Z氏の隣りに座る。「よく来てくれました」と、二人のこぼれるような笑顔が僕の目に映った。「いやあ、例の曜変天目が気になって」そう言って僕が頭を下げると、Z氏は「あれですね」と言って奥へ引っ込んだ。するとMiuは、茶室から下り僕の横の椅子へ移動。そして僕を見つめ、「そうなんです。百聞は一見に如かず、です」と癒しの笑顔。

 僕は、再び殺風景な狭い店内を見回す。そこに広がる質実な空間に、これが本当に噂のカリスマ骨董商の店かと改めて驚くが、その独特の空気感がかえって、カリスマ性を引き立たせているようにも思えた。

 やがて、Z氏がモノを手にして来る。そして、畳の上に置いた。それを見て、僕は上がりかまちに腰を据え拝見。そこには、先日美術館で見た曜変天目茶碗があった。その口の三分の一ほどが欠損していて、この天目を焼いた建窯(けんよう)独特の黒い土が確認できる。しかし、何といっても、表面の大きな結晶から放たれる虹色の光彩が眩しく輝いている。僕の眼はそこに吸い込まれる。なるほど。これはピカ一の曜変天目の陶片だ。

 僕は息をのんで訊く。「すごい陶片ですね!」それに対しZ氏は「古いものではないんですよ」と、微笑みながら返答した。「えっ?」解せない僕の顔を見て「すごいでしょ!」とMiu。「どういうことでしょうか?」僕の目を見てカリスマは説明する。「これはね。一応現代陶芸家の作品なんです。本人は認めませんがね」「?」「これをつくっているひとは、瀬戸に住んでましてね。代々、曜変天目の再現に邁進していまして。ただ、一度も成功はしてない。これも失敗作」Z氏は右手で軽く持ち上げ高台裏を見る。建窯の黒い土がそこにあった。僕が「古い建窯の土じゃないですか?」と指をさすと、「はい。間違いなく、建窯の土です。本物ですから」「でも、現代作家の作品なんですよね?」Z氏はゆっくりと首を縦に動かした。

 

 「このひとは、建窯の地層から南宋時代にあたる土を採取し、当時の材料を使い、当時の焼成方法に則(のっと)って、つまり当時とまったく同じ条件で、曜変天目の再現に努めているのです」「ふむ」「何人かの陶芸家が現代風の美しい曜変天目を作品として世に送り出していますが、これは、それとはまったく意味の違うモノなのです」なるほど。世の中曜変天目ブームもあり、曜変天目をうつした作品が人気でよく売れていると耳にする。僕もそうした作品は、なかなか美しいと惹かれるときもしばしば。ただ、それは人工的なモノといってしまえばそれまでだ。僕は考える。「でも、そこまでして、なぜ再現を」つぶやいたその一言に、Z氏は僕の目を見据えて言った。「はい。それは、彼が曜変天目の美に、支配されたからではないでしょうか」「支配された?」ここにも魔物に取り憑かれた人間がいたのである。

 

 Z氏によると、今から25年ほど前。知り合いの美術館の先生の計らいで、曜変天目を実際に手に取る機会があり、そのときに、陶芸家も一緒だった。彼は曜変天目を再現する名目もあり、その場に参加していたという。齢は自分とそう変わらない。Z氏は、国宝の曜変天目を間近で見て、何か異空間にいるような、現実とは思えない気分であったと、目をつむる。「ケースのなかでも強烈な気を放っていましたが、手に取ると、表面に浮かぶ結晶の一粒一粒が、射し込む光の角度によって揺れ動いたのです。光を浴びることで息づく、まるで生き物のように。わたしは言葉を失いました。この世のものでない、まさに人智を超えていると。見終わったあと、興奮冷めやらぬ気持ちで碗を次のひとの前に置きました。そこにいたのが彼でした。若き陶芸家は、畳に置かれた碗をそのまましばらく見つめたあとで、ゆっくりと手に取ると食い入るように見つめ、あっという間に元に戻し、大きく肩を落として沈んだ表情をみせたのです。何という反応をするんだろうと、わたしはその姿を見て、彼に深く興味を持ったのです」と、Z氏は陶芸家との邂逅を語る。

 「彼はそのとき、こう言いましてね。先代までは、余技として曜変天目を目指していたが、自分は完全な再現のみに励んできた。そして、たった今気づいた。自分がやってきたことが何て浅ましいことであったかと。碗を手にした瞬間、恥ずかしさのあまり自分が情けなくなって、見つめることができなかったと。そして、これまでのことは全部擲(なげう)って、全身全霊をもって本物をつくると」それから彼は、中国の現地へたびたび行き、そこから原材料を輸入し、当時の製法を習得し、自宅の窯で焼き続けた。しかし、相手は曜変天目。当然手ごわい。何せ世界に3点しか遺されていないのだ。彼は、失敗を繰り返し、繰り返し。ただひたすらに焼き続けている。身を粉にして。一心不乱に。

 

 「わたしは、そんな彼の生き様を見て、真のアーティストだと思いました。だから、気になっては時々伺い、未完成品を見続けたのです」Z氏は両手を膝の上に置き、僕から目を離さない。「夥しい数打ち捨ててある未完成品のなかから、わたしは、完成された部分の陶片を見つけ、それらを抽出しました。半分だったり、三分の一だったり、四分の一だったり。その部分はすでに、紛れもない完成された曜変天目だったのです。瑞々しい黒のなかにある結晶が、光を受けて呼吸をしていたのです。活きていたのです。彼は、完全な形が出来るまでは、認めないと主張しましたが、わたしは、その欠片(かけら)に値打ちを見出したのです」僕を見据えたZ氏の目は、にこやかな形状を保っていたが、その奥に、ほとばしる熱い血潮が見えた気がした。

 

 「すでにこの陶片には、骨董の持つ業(ごう)のようなものが宿っていると、わたしはそう思いました」「業(ごう)?」僕は、そのインパクトのあるフレーズを頭のなかで反芻しながら、もう一度その口の欠けた茶碗を見つめた。カリスマは「はい。人を惑わす、狂おしい、それゆえに、何世代にもまたがって伝え遺っていく魔力のようなもの」と、「骨董の持つ業」をそのように譬(たと)えた。このとき僕の頭に、先日ネエさんが口にした「宿命」という言葉がよぎった。ただ、これらの言葉を受けとめるだけの度量は、まだ僕にはなかった。

 黙っている僕を見て、Z氏はまるで楽しそうに言った。「骨董の持つ業は、決して否定的な意味ではありません。それは、極めて神秘的なものなのです」そのときのZ氏の、柔らかながら芯のある、穏やかな笑みに、僕は吸い込まれそうになるのを感じた。これがカリスマか。僕は一瞬そう感じた。

 「だからわたしは、彼に頼みました。これらを骨董品として扱いたいと。すると彼は、これらはもう、自分の関知するところでないので、Zさんの目利きで、いかようにもしてください、と言いまして。それでわたしはこれを、新しい骨董品と位置付けて取り扱うことにしたのです」「新しい骨董品?」「そうです。いわば、新骨董として」「新骨董?」初めて聞く名称に僕は一瞬戸惑うが、ただ、それが何を意味しているかが、何となくわかる気がした。

 

 「骨董品は、すべてが古いモノではないと、わたしは感じたのです」その言葉を受けて、僕は床飾りの額装された、一見薄汚く見えるが、一種蠱惑的(こわくてき)な気を発している古裂に目を向けた。この存在が先ほどから気になっていたのである。「ひょっとしてこれも古いモノではないのですか?」それに対しZ氏は、「これは、5年ほど前に、わたしが北アフリカアルジェリアを旅したときに手に入れた雑巾です」と答えた。「雑巾?!」僕の反応にZ氏は断言する。「はい。これも新骨董です」僕はその雑巾に目を向けた。これがエジプトかどこかの古代の裂と思っていたので、かなり驚いた。

 

 僕は、陶芸家の生み出した曜変天目の陶片と、アフリカの雑巾を代わる代わる見つめ、そしてじっと考えた。しかし、これはもう、僕の明晰ではない頭脳の範疇を遥かに超えている。「正直頭がついていきません」と頭を下げると、Z氏は「少し今日は、難しい話しをしましたかね。でも、単純なことなんですよ」と言って柔らかく微笑んだ。その言葉を聞いて僕はさらに悩む。すると、先ほどからこのやり取りを見つめていたMiuが笑顔を向けた。「難しいようで、実は簡単なことかもしれません」その純朴な瞳を見て、僕は何となく理解したような気分になった。

 

 6月の中旬の週末の3日間、骨董フェスティバルが、或る都内の会場で開催される運びとなった。初日の開始は午後3時。午前中に搬入を済ませ、昼過ぎから飾り付けに入る。今回初出展のネエさんは、いつもよりやや広めのブース内に、飾り台を駆使しながら陳列に取りかかっている。当然僕も手伝う。「ちょっと、こっちの方がいいかな?それとも、こっちにしようか」とネエさんは、次々と品物のポジションを入れ替えながら、僕に訊く。「そうですね。それでいいと思います」僕も気合が入る。だいたいの飾りが終わると、ネエさんは「問題は、これね」と、天啓赤絵の皿を箱から取り出した。「わたしの西洋骨董品とかみ合わないから、どこに置くかよね」ネエさんは皿を手にしながら、心地よいスペースを探る。「何たって、今回の目玉商品だから。目立つところに置かないとね」ネエさんはいったん皿を置くと、少し高めの陳列台を取り出し、向かって右側に位置をとった。「そうね。やっぱり、このくらい高い台の方がいいね。そうすると、オリエントものと一線が引けるし。うん。ここだ!」右側のスペースを少し広くとり、高めの飾り台の上に黒い皿立てを置き飾る。「どう?」ネエさんの問いかけに「はい。いいです!すごく目立つし、他の品ともバランスがとれてます」僕は満足気に答える。それから、ネエさんは価格の書き込まれたカードを置いた。「ちゃんと表記しとかないとね。最終日に向けて」そこに書かれた「¥2,000,000」という数字を見て、僕は少々気が遠くなった。

 

 飾り付けが終わり、あと一時間ほどで開場だ。僕は、他のブースを回る。そして、U氏の姿をとらえた。その瞬間、前回の飛天にまつわる一件が脳裏に浮かんだ。そして、それを評したU氏の「ある意味、骨董って怖いよな」の言葉が蘇る。それは、骨董の「魔」の面を言い当てたものであった。僕がU氏のブースに向かおうとしたとき、「よお!」と声が掛かった。見ると才介が立っている。「おまえ、どこから入ってきたの?まだ、始まってないぜ」「スタッフだとか言って、適当に入ったんだよ」才介はにやりと笑った。

 今回のフェアは、主催が大手出版社ということもあり、なかなか簡単には出展できないのだ。よって才介は参加できず。しかし、ちゃっかりと開場前に入っているところは彼らしい。「おまえのさあ、名品。見に来たんだ」と、才介は含み笑いをして、僕の背中を押してネエさんのブースに向かう。そして、陳列された赤絵の皿と値段を見て、「マジかよ、おい!絶対に誰も買わないぞ。ハハハ!」と指をさして笑い転げた。そこへネエさんが登場。「へえー、あなたが才介君」指をさされた才介は「どうも」と頭を下げる。「K君の話しに出てくるイメージ、そのまんまね」の笑みに、才介は僕を睨んで「どうせ、悪いことしか言ってないでしょ?」と訊く。「まあね」ネエさんは明るく返事した。「でも、たいへんだったわね。師匠」ネエさんの問いに、「知ってるんですか?師匠のこと」と才介は驚きの顔。「うん。わたしも若いとき、ちょっぴり世話になってね。だから気になってるのよ」「そうでしたか。僕は単に使い走りでしたが」才介は後頭部をかく。そして、天啓赤絵の皿を指して、「しかし、姉御。これはいけませんよ!」それ対しネエさんは手を振り「やめてよ!姉御だなんて」僕が「ネエさん」と言うと、「あっ、ネエさんですか。じゃあ、ネエさん。これは無謀というものです」と才介は改めて皿を指さした。「まあね」ネエさんはまた明るい返答。「でも、ひょっとしたら、があるかも…じゃない?」それに対し才介は、「いや、絶対に無いです。以上!」と右手を水平に切り締めくくる。そのしぐさを見てネエさんは「あはは、あなた面白いね」と高らかに笑った。その笑い声を聞きながら、僕はとても複雑な心境に陥った。

 

 午後3時の開場とともに、予想以上にたくさんの人が堰を切ったように入ってきた。僕は、ネエさんのお客様の対応はもちろん、天啓赤絵の紹介も怠らない。早速に、あいちゃん、支店長、総長らいつもの面々もみえたが、誰も注目をしていないのがわかる。こんなに数多くの来場者があるにもかかわらず。やがてReiの姿がみえた。Reiは僕に近づき「いよいよですね!」と熱い視線を投げる。「うん」僕は浮かない顔でそれを受けとめる。初日の開始時間から早々(はやばや)と、ネエさんの商品が好調に売れていく様子を見て、僕は何となく取り残された感じになった。

 

 初日、二日目があっという間に過ぎていった。結局、この赤絵の皿を手に取るひとは、一人もいなかった。二日目の終了時に、曇っている表情の僕を見つめ、ネエさんは励ます。「まあ、K君。来る人来る人に宣伝はできたと思うよ。中国モノ買いに来る人も結構いただろうし。うちのお客さん以外の人たちも、見ていったじゃない」

 しかし実際のところ、僕は手応えを感じていなかった。確かに宋丸さんの言っていたように、天啓赤絵の皿のなかでも虎の図は珍しいし、絵付けもかなり丁寧で、優品であることは事実。しかし、この手の皿はごまんとあるわけで。やはり相場観は否めない。才介がつけた10万は安いかもしれないが、現実的な数字でもある。だとすると、やはり200万は厳しいだろう。そう思いながら、しかし、せっかく犬山の意をくんでのことだから、ベストを尽くそうと、僕は気持ちを入れ替えて最終日に臨んだ。

 

 最終日、11時の開場とともに、各店舗の目玉商品が一斉に売りに出される。今回の主役は、神田の骨董商が出品している、染付で秋草の描かれた頸(くび)の欠けた李朝の瓶だとの噂。その店は僕らと同じ会場にある。おそらく、それを目がけて争奪戦が繰り広げられることだろう。

 

 11時になり、扉が大きく開かれると同時に、20人ほどの人が入ってきた。われ先にと、走っているひとが何人かいる。そのとき僕の目に映ったのは、場内を颯爽と歩く若い女性の姿であった。遠目からでも、その美貌がわかる。彼女が通り過ぎるや、周りの店舗の人たちの目線が次々に向けられる。女性は入口から迷わずに、すぐ右手の通路を歩いている。その先には、ネエさんのブースがある。近づくにつれ、顔立ちも判然とする。くっきりとした大きな瞳が特徴的だ。しなやかに流れるような長い黒髪が、上背のあるすらりとしたプロポーションと融合し、華麗な容姿を演出している。

 彼女は速度を落とさずに真っ直ぐに歩を進めていく。そして突然、こちらのブースの前で立ち止まった。僕は驚きの顔で見つめる。すると、彼女は僕の方へ向かって「お久しぶり」と言った。その口元をやや左に上げて微笑む表情を見て、僕は思い出す。「ひょっとして…、文化講座にいた方?」「はい」眼鏡の女性だ。僕が言葉を失っていると、彼女はゆったりとした笑みをこぼしながら、「今日はこれを買いに来ました」と言って、天啓赤絵の皿を指さした。

 

(第19話につづく 8月26日更新予定です)

 

天啓赤絵虎図皿 明末時代

 

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