骨董商Kの放浪(22)

 僕はその夜まっすぐに帰る気力を失い、時折り夜空に浮かぶ満月を見上げながら、あてもなくふらふらとし、そして最後に犬山得二の家に辿り着いた。犬山は机で書きものをしている最中であったが、僕の遅い訪問に特段驚きもせず、無造作に伸ばした髪をかき上げながら僕を部屋に招き入れると、無言で卓の上に盃を置き、そこにゆっくりと酒を注ぎ込んだ。僕はそれを、定まったことのように自然と口に運ぶ。外から小刻みに聞こえてくる秋の虫の声に耳が慣れてくるにつれ、僕は次第に平静を取り戻していき、ようやく今日の出来事を語った。

 いつものように、目をしばたたかせながら、その一部始終を聞き終えた犬山は、自分の酒を一気に飲み干した。「おまえも随分とけったいな道に入ったもんだな。面白くてしようがないや」犬山はそう言うや否や立ち上がり、冷蔵庫から手製のポテトサラダを取り出して、割箸と一緒に卓の上に置く。僕はそれをつつく。犬山も箸でつまんで、いったん右の掌にのせ口へ放り込んだ。

 「しかし、その総長ってひとは、それはそれでバカだな。清いバカだ」犬山は口を動かしながら、妙に愉しげに酒を自分の盃についだ。「でも、贋物は贋物だ。あれは、いけない」僕が心底の思いをぶつけると、犬山は肯(うなず)きながら、また一息に盃を傾けて、「そりゃ、そうだ。その通りだ」と僕を直視した。「だが、最後は蒐(あつ)めるひとの自由だ。おまえはその自由を奪うことはできない」僕は無言でそれを受けとめる。「真贋は、最重要だけど。それが全てじゃない。総長の姿勢がそれを示している」そのとき、僕は総長の純真無垢な笑顔を思い浮かべていた。贋物とわかっていながらそれを受け入れる総長の度量の大きさに敬服はするが、それはまた別次元のように思えた。

 犬山は、左手のなかにおさまっている、継ぎはぎだらけの唐津の杯をしげしげと見つめながら、「所詮、道楽の世界だ。自分が愉しいのなら、それはそれでいいじゃないか」と結論づけた。僕はじっと考えてから「おまえの言っていることは、よくわかる。でも、やっぱり贋物はいけない。おれはそう思う」ときっぱりと言った。それに対し、犬山は腕を組んで大きくうなずいた。「そうだ。それで正しい。おまえは、それを貫け」

 犬山の向こうの窓越しに、煌々と光る満月が見えている。今日は中秋の名月だ。僕はその月に誓うかのように「ああ!」と、腹に力を込めて声を出した。

 

 僕は、昨年古物商許可証を取得し個人で売り買いを始めたが、これから完全に個人事業主として商売を始めるにあたり、本日は才介の家に来ていろいろと指南を受けることに。懸念していた名刺も完成し、確定申告のやり方など細かな点を聞いているとき、才介の携帯が鳴った。表示された着信番号に首を傾(かし)げながら、才介はぶっきらぼうな声で「はい」。声の主がわかるや、突然正座をしてかしこまり、張りのある声に。「そうですか。はい、わかりました。それでは、ファックスで送ってください」才介は、ふうっと息を吐いて気色ばんだ。「おい、ついにエキスパートから連絡が来たぞ」「E氏か?」僕が訊くと才介は強く頷いた。「査定の結果が出たので、今から書類をファックスで送るそうだ」「ついにか!」。

 オークション会社に預けてある雍正(ようせい)の筆筒(ひっとう)の評価が出たのだ。僕らはファックスの前に座り固唾をのむ。やがて、機械が作動し印刷された紙が音を立てながらゆっくりと出てきた。ツーという、送付完了の合図音が鳴るや否や、才介は慌てて引き抜いて、紙に顔をぐっと近づけた。目で文字を追ったあとサッと僕に顔を向ける。「おい、エスティメート・プライスって何だ?」「評価額のことだろ」僕は即座に答える。「あれ、いくらで買ったんだっけ?」僕はまた即座に答える。「10万」それを聞いて才介は、「マジかー」と天を仰いだ。「どうした?」僕の問いかけに、「やっぱり、駄目だった」「どういうこと?」「その評価額が、10万~15万なんだよ」と言って、その紙を僕に手渡す。僕は、それを受け取りながら、「やっぱりね。そんなもんだろ。世の中、間違ってない」と目を通す。才介は、いったん気落ちしていたが、予想通りということもあってか、「まあね。もともと10万だから、われわれは正しい金額で買ったってことだな。ハハハ」と言って、首の後ろに手を回し、乾いた笑いを繰り返した。

 僕はその書類に目を落とした。確かにエスティメート・プライスの下に、100,000~150,000とある。まあ、そんなところだろうなと納得しながら、その左にあるマークを見て僕は仰天した。「おいっ!ち、違う!これは、ほ、香港ドルだぞ!」僕は、価格単位に記された「HKD」を指さす。才介は、キツネにつままれたような顔をしている。「どういうこと?」「だから、これは香港ドルの単位だよ。日本円じゃない!」才介は、まだ朦朧としている。僕は頭を回転させる。「香港ドルは、今、1ドル15円くらいだから、10万香港ドルは、150万円だ。だから、評価額は、150万円~225万円ということだ!」それを聞き才介は、「マジかー!」と再び天を仰いだ。

 

 才介は、急に神妙な顔になり「こりゃ、たいへんなことになった」いったん崩れた体勢を戻し、再び正座をすると、「K、おまえ、ちょっと、エキスパートに連絡してくれ。おれは動悸がおさまらないから。頼む!」と手を合わせる。こういうタイプは案外気が小さい、と思いながら僕は「わかった」と答えてE氏に連絡。E氏は、ご覧になりましたかと言ったあと、「どうでしょう?ご出品願えますでしょうか?」と訊いてきた。僕は才介の顔を見る。何度も大きく首を縦に振る姿が目に入る。「お願いします」僕の返事に、E氏は今後の段取りなどを詳しく説明してくれた。

 

 「って、これからどうすればいいの?」動揺がまだ落ち着かない才介に、僕がきめ細やかに説明。才介は、その都度、うん、うんと聴く。今後のスケジュールとしては、香港開催のセールであるので、先ずは文化庁に連絡して輸出監査証明書を取る必要があり、そのあと、梱包し保険を掛けて輸送。香港に到着したら、カタログの作成のための撮影などをおこなう。ということなのだが、これらは全てオークション会社で代行してくれるとのこと。つまり僕らは何もしなくてもよいらしい。

 「E氏曰く、掛かる諸費用は、売却後差し引かれて支払われる、ということで、これは大した額じゃないと言ってた。それと、リザーブ・プライスを訊かれたけど、最低10万香港ドルで売れる見込みが高いので、下値をリザーブにしたらどうかと」才介は、僕の説明が今いち飲み込めないようで「リザーブって何だよ」と訊く。「つまり、差し値というか、これ以下では売りませんよっていうこちらの決めた値段。それが、10万香港ドル、150万円で大丈夫だろうって」「最低でも150万円で売れるってことか?」「そうらしい」「本当だろうな?」「まあ、プロがそういうなら、そうだろう」「よしっ、売ろう!売ろう!」才介は立ち上がり、万歳三唱。それを見て僕はたしなめる。「気が早いよ。買うひとが一人もいなければ、不落札といって、戻ってくるんだから。そうしたら、諸費用だけ取られるって、この書類に書いてある」それを聞いた才介は、へなへなと地べたに座りため息を吐いた。「なんだ。売れないこともあるのか」その様子を見て「でも、エキスパートがあそこまで言うんだから、それ以上に売れるんじゃない?」僕の一言に、才介は再び立ち上がる。「だよな。どうせ元手はしれてんだから、ここは大船に乗ったつもりでいよう」と言ったあと「そのセールっていつだよ」と、僕から印刷された紙を取り上げる。「11月の末頃の予定って書いてある」僕の返答に、才介は両手を打ち合わせ大きな音を立てた。「よし!香港へ行こう。香港だ!」思わぬ展開に僕も高揚する。「香港か!」「そうだ。ついに香港上陸だ!」才介はその紙を掲げながら、「香港、香港」と奇妙な節をつけておかしな踊りを始めた。そのけったいな姿を見て自然と笑みこぼれていき、それに応じ身体のなかが熱くなっていくのを覚えた。いつのまにか僕も「香港」を連発しながら、そのリズムに合わせて手拍子を取ってはしゃいでいた。

 

 それからしばらくして、僕は教授の家を訪ねた。定期的にお誘いがあり、ここへ来るのはこれで四回目。いつものように、伏し目がちなおとなしい奥様が出迎え部屋に案内、そして紅茶を出して下がると同時に教授が現れる。教授は嬉々として、僕がこれまで見ていなかった日本・中国の骨董品をいろいろと持ってくる。外が明るいせいか、相変わらず照明を消したままだ。そんななかで、僕は夢中になって教授のコレクションを拝見。あっという間に時間が経つ。ひとしきり見終わったあと、僕は思い出す。そうだ。以前ネエさんの言っていたエジプトの土偶を見たい。僕がその話しをすると、教授は、それは自分の寝室にあると言った。寝室と聞いて、僕が少し躊躇っていると、遠慮なくと言って通された。

 そこはベッドと机が置かれた八畳ほどの部屋であった。机の横の飾り棚にガラスケースが置いてあり、土偶はそのなかに飾ってあった。僕はその造形表現に驚嘆。裸体の女性が、両腕を四十五度の角度で上に開き、手の先を内側にUの字に折り曲げている。圧巻は、その細くて長い指先まできちんとあらわしていることだ。顔の造作はなく頭部のみ。胸の部分は乳房が表現され、締まったウエストからやや太めの下半部が付く。ただ脚の造作はなく一体化している。高さ30センチという大きさも、この像の華麗さに一役買っているようだ。下半部に緑色の加彩の痕跡が残るが、これが頭部や腕にも見られることから、全体に施されていたのかもしれない。その造形は、まさにモダン・アート。「凄い…」僕は感嘆の声をもらした。教授はその横でにやり。「これは、動かすのが怖いから、ずっとここに置いてあるんだ」よく見ると、ケースのなかに専用の台が設置されており、土偶は厳重に固定されていた。ネエさんが騒ぐのも当然と思い、僕は教授に感謝した。

 しばし見入ったあと、僕はその隣に飾ってある額に目を移した。教授のデスクの正面の壁面に、額装された土偶の絵が掛かっていた。近づいて見ると、それは埴輪の女性の頭部だとわかる。水彩画だ。僕が、誰か画家の作品かと思い尋ねると、教授は自分で描いたと言った。

 「埴輪ですね」僕の問いに教授は笑みをもらす。「最高の埴輪」それは、残された首の細さから、まだ幼い少女の像のようにみえた。「少女のような感じですね?」「うん。たぶん皇女。年頃は十二、三かな」「皇女?」「そう。これは昔、天皇陵から出土したモノ」教授は深い笑み。「どこにあるんですか?」僕の素朴な問いに、「わからない」と教授。そして、「どこかにある。そしていつか出てくる。僕はそれを待っている。だから寝る前に必ず願いをかけている。この額に」眼鏡の奥に、まるでハンターのような光が宿る。僕は少しゾッとして後ずさりをした。すると、足に何かがぶつかった。振り向くと、教授のベッドがそこにあった。枕にのせた顔を右に傾けたとき、ぴたりと視線の合う位置に、その絵が設置されているように見え、僕は少々不気味な気分に襲われた。

 

 10月の骨董フェアは、ネエさんの店と才介の店とほぼ両方の手伝いをし、両者とも上々の出来栄えで終了。最終日の片付けのあとで、三人で打ち上げ。才介は、ネエさんを姐御と呼ぶ癖が治らなく、再三ネエさんから駄目出し。しかし、結局はまた姐御に戻ってしまい、ついにネエさんは降参。才介は、今回と来月のフェアで、香港出張の軍資金をつくると意気込み、11月末の香港行きの話題で大いに盛り上がった。最後は、ネエさんの酒の強さに僕らは白旗を揚げ、共に潰れてその夜が過ぎていった。

 

 フェアのあと、僕はSaeから電話をもらった。来週の金曜日の午後にエリタージュに来てくれとのこと。エリタージュとは、先日伺ったSaeのファーザーのフレンチレストランの名前。正式にはエリタージュ・ハウスという。エリタージュとはフランス語で「受け継ぐもの」という意味らしい。この日、9月のニューヨークのセールで入手した、宋時代の青磁の名品が到着するとのことで、見に来ないかというお誘い。僕は当然了承。その日の午後早くに出向いた。

 僕はSaeに案内されて3階のギャラリーへ。そこには既に荷が到着していた。頑丈な木箱梱包のケースの側(そば)には、E氏とファーザーが立っている。僕が頭を下げるとファーザーは微笑み、「Kさん。ついに着きましたよ。名品が」と言って木箱を指さした。E氏もにこり。そして横にいる梱包業者が荷をほどいていく。なかにはさらに段ボールの箱があり、それを開いてモノを取り出すと、設置されたテーブルの上に置いた。と同時に、ファーザーとE氏が近づいて手に取り確認。僕もSaeと一緒に傍(そば)に寄る。その品を見て僕は目を瞠(みひら)いた。米色青磁だったからである。「南宋官窯の米色青磁の瓶です」E氏が説明。高さは20センチ少々。円筒形の長い頸の胴部が、下へ向かって緩やかに膨らみ、広くて高い高台が付いている、一般に「下蕪(しもかぶら)」形といわれる花入(はないれ)であるが、これはその部類のなかでは、より重心が低いタイプで、それを示す胴のカーブが特徴的。特筆すべきはその釉(うわぐすり)であり、大小さまざまな貫入(かんにゅう)が表面を覆い、酸化炎焼成による淡褐色の青磁釉がムラなく均一に掛かっている。裾に向かってゆったりと膨らむ胴部は、左右対称の見事な造形を成し、ガラス質の強い釉質が、玉(ぎょく)という宝石のような石を彷彿とさせる。これぞ官窯という非の打ちどころのない逸品。「南宋官窯の米色青磁は世界にも数少ないですが、これはそのトップだと思います」E氏の言葉に僕はただうなずくのみ。

 ファーザーが僕に歩み寄る。「Kさん。どうぞ、手に取って頂いて結構ですよ」驚く僕の目を見て「娘が是非あなたに見せてあげたいと言いましてね」とつけ加えた。微笑むSaeに目をやり、「ありがとうございます」とファーザーに礼を述べたあと、僕はふぅーと軽く息を吐いて手に取った。何という軽さだ。この大きさでこの軽さは、やはりボディがかなり薄いことを物語っている。そして、釉に眼を近づけ改めて驚かされた。薄茶色の青磁釉はよく見ると、うっすらと青味があったからだ。やはり、青磁なのだ。言い知れぬ感動が僕のなかに押し寄せる。そして、テーブルに置き、距離を置いてもう一度見る。大きな貫入と細かな貫入が、まるで計算され尽くしたかのような見事な諧調をみせている。表面から発する煌めきは、単にガラス質の釉の清澄さだけではなく、この大小のヒビの絶妙な交差に因(よ)るものだろう。それはもはや、やきものを超越した何か別の次元のモノに見えてならない。

 しばらく、この米色青磁を重心として、粛然とした時間が流れていくのを僕は強く感じていた。これぞ、本物のなかの本物。ここには真実の美がある。たとえ世の中が壊滅したとしても、これだけは不滅なのだ。僕は、名品の持つ絶大なる力をひしひしと感じながら、ただひたすらこの瓶に意識を集中していた。

 やがて、ファーザーが口を開いた。「これは、明治時代から日本にありましてね。いや、ひょっとしたら、もっと前からあったのかもしれない。明治の頃に或るコレクターから出て、それからはずっとひとりのコレクターが愛蔵していてね。その方が亡くなっても、ご家族が大事にしていて。その間、うちの父がずっと欲しがっていたモノなんです。代が変わりようやくこの度、こちらのオークションに出て、そして、わたしが手に入れたわけです」ファーザーはちらりとE氏に目をやる。E氏は「本当に良かったです。海外に行かなくて」と頭を下げた。「早く飾ってみましょうよ」というSaeの声で、皆は展示室に向かった。

 

 第一級の米色青磁は、僕に何か大切なものをもたらしたことは間違いなかった。はっきりとはわからないが、本物の美の境地を目の当たりにして、僕はとても勇気が湧いてきたのである。僕は礼を言ってその場を去ろうとすると、Saeが追いかけてきた。

 「ねえ、Kさん。これからアフタヌーンティーするって、約束していたじゃない!」「えっ?」「さっき、何で、携帯出なかったの?」Saeはそう言って睨む。「携帯?」「そうよ。携帯に電話しても出ないから、メッセージ送ったでしょ。お茶しましょうって」「マジ?」「うん!」僕は上目遣いで考える。「あっ!そういえば携帯…」僕はその場でしゃがんで、バッグに手を入れなかの物をいろいろと引っ張り出した。「失くしたの?」とSae。「うーん」僕は焦って記憶を辿る。「ヤバし。家に置いてきたかも」「えーっ」「ごめん」「もう!」

 僕は床に散らばった所持品をバッグに戻した。Saeもしゃがんで手伝う。そのとき白いお守りが目に入った。すかさずSaeは「可愛い」と言って手にする。あっ、と僕は声が出掛かる。Reiからもらったお守りだ。Saeはそれを僕に手渡す。「意外と信心深いのね」それに対し、「いや、これはもらったもので」。するとSaeは「ご両親から?」と質問。僕は答えにつまる。「両親じゃなくて…」しばらく不穏な空気が流れる。Saeは美しい大きな瞳で僕を見据え「恋人から?」と尋ねた。僕は急いでお守りをバッグに入れながら「いや、そういうんじゃなくて」。その慌てぶりを見て、Saeはゆったりとした笑みを浮かべた。「いいのよ、わたし。Kさんに恋人がいても」「ちょっと待ってよ。恋人なんかいないよ」どぎまぎする僕の様子を見てSaeは「ふふふ。わかったわ。そうしたら、その彼女に振られたら、わたしのところに来てね」と笑いながら立ち上がると、レストランへと歩を進めた。

 

 11月中旬の骨董ショウも滞りなく終了し、僕と才介は香港行きの準備に取りかかった。僕は才介のところへ行き旅程を確認。出発は26日の午前10時の便。宿泊先は、九龍(クーロン)エリアの尖沙咀(チムサーチョイ)にある安ホテル。当然二人一部屋。イベント会場のある香港島のホテルは皆高いゆえ。尖沙咀からはフェリーで10分のところに会場があるので、全く不便はない。香港では、ブンさんの知り合いの紹介で、香港ママと呼ばれている、日本人を旦那に持つ50歳くらいの面倒見のよい女性ディーラーがいろいろと世話をしてくれるとのこと。既に連絡済みで、頼もしい限り。その香港ママに渡す品物がいくつかあり、これを二人で手分けして持っていくことになっている。今日はそれを仕分ける作業もあり。あとは、才介と半分ずつ出し合った軍資金の300万。向うでの仕入れは基本すべて現金払い。これは僕が持っていくことに。28日がオークション当日。現場ではE氏が待っており、準備万端。帰りは29日。3泊4日の出張である。

 

 しかし、僕はその香港出張で、とんでもない大失態を犯してしまうのである。 

 

(第23話につづく 10月11日更新予定です)

米色青磁下蕪瓶 南宋官窯 南宋時代(12-13世紀)

加彩土偶 プレ・エジプト文明

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