骨董商Kの放浪(31)

 年明け早々に、香港から雍正筆筒の代金が才介の口座に入金された。手数料を差し引き840万円ほど。「半分送るぞ」と、ぼくの口座に約420万が振り込まれた。そこから、Saeから借りた300万を返金する。手許には120万ちょい。300万を失ったことを考えれば上出来である。

 年も改まり、美術俱楽部でブンさんの所属している個人会の初競りがあり、ぼくと才介はブンさんの店員ということで参加。そこで才介は、香港で仕入れた細々とした品を売ることに。品選びは、ブンさんを中心に当然才介も手伝う。「今、中国モノは上り調子だから、このあたりでも結構売れるぞ」ブンさんの太い腕がこまめに動き、才介が持ってきたなかから20点ほどをブンさんの荷と一緒に、赤い毛氈の敷かれた飾り台の上に並べた。堆朱の小ぶりな香合や筆、奇石と呼ぶ奇怪な形をした黒い石の置物に翡翠のような色をした印材など。香港では、細かなモノを50点ほど仕入れているので、今回はその一部である。

 自分たちの荷飾りが終わると、ぼくらは下見を始めた。この会は会員500名という美術俱楽部で行われる個人会としては最も規模が大きく、名の知れた業者は皆入っている。反面、間口も広いので怪しげな奴らも多い。下見会場には、三代目の姿があり、贋作堂がうろついていた。こうした「交換会」と呼ばれる業者間によるオークションが、毎週のように美術俱楽部を会場として行われているのだ。

 今回は初競りということもあり、出品点数が2000点ほどと例会よりかなり多い。よって、下見が一日、競り日が一日と二日間にわたる。競りの当日は、売り順によって、飾り台から「ぼて」と呼ばれる黒い和紙を貼った長方形のトレイのような籠にモノが移され、それが会場内を回り最後は競り台に運ばれる。流れているぼてのなかで、最後にモノの確認をする業者も少なくない。会場正面の競り台には、会を主催する何人かの業者が立っており、中央の競り人の差配によって売り買いがなされていく。茶道具、古陶磁、古書画、刀、近現代絵画、新作陶器など様々なジャンルのモノが出品されているため、主催者側の業者にはこれらの分野に精通したひとたちが入っていて、各々の専門のモノが競り台に上がると、彼らが「発句(ほっく)」という最初の値段を発して競りが始まるのだ。例えば、志野茶碗の場合は、主催者の茶道具商から「○○円!」という威勢の良い発句が入り、それを受けて会場内から声が上がると、競り人が値段と声主を確認し、最終価格を発した業者に落札されるというしくみ。オークションでいうと、競り人はオークショニアということになるが、海外のオークションが、オークショニアの提示した値段を受けてパドルで購入意思を示すのに対し、美術商による交換会では、買主が自ら声を出して値段を示し、それを競り人がひろっていく形になる。したがって、「10万円」という発句のあと、「100万円」と、一気に値段が飛ぶこともしばしば。競り声も、相手を抑えるような鋭く威圧的な場合もたびたび。交換会は、プロ同士の戦いなので、オークションとはまた違った緊迫感が漂っている。

 二日目の午後にブンさんの売り順が巡ってきた。売主は出品物の確認をするため、競り人の側に立つ。ブンさんが前に立つと同時に、才介の荷の入っているぼてが次々と競り台の上に載せられていく。「売れてくれよ」と才介が小さく手を合わせた。発句はほとんどが「3万円」であったが、右肩上がりの中国骨董市場を反映しているのか、方々(ほうぼう)から声があがり値は伸びていった。最終的には、それらは予想をはるかに上回る額で落札され、最後の品が売れると同時に、才介は思い切りぼくの背中をバンと一つ叩いた。

 

 その日の晩は、ブンさんの仲間たち6~7人と食事。ブンさん行きつけの西銀座にある割烹料理屋の座敷で、わいわいがやがやと話しが盛り上がる。熱燗の銚子が何本か運ばれてくると、才介がそれを持って先輩方に注いで回る。「しっかし、才ちゃんの荷物、今日よう売れとったなあ」香港ママを紹介してくれた大阪の業者が、飲んだ杯を才介に返すと徳利を傾けた。「おかげさんで。上手くいきました」才介は満面の笑みでその杯をぐいっとあける。皆の皿が空いたのを見て、ブンさんが店員を呼び追加の品を注文。ブンさんも自分の荷物で一つ高く売れたモノがありご機嫌の様子。濃く太い眉と切れ長の鋭い目が、笑うと一気に崩れ愛嬌のある顔になる。この真顔とのギャップがブンさんの魅力になっている。ぼくがブンさんにお酌にいくと、その愛嬌ある笑顔で「なあ、Kちゃん、おれは中国モノあまりやらないから知らんが。なんだか凄かったらしいな、香港は」ぼくは返杯を受けてから「いやー、こんなくらいのものが16憶ですから」目の前に置かれた高さ6~7センチの向付を指して答えた。「成化の豆彩か」「まあ、日本にはないでしょうけど」それを聞いてブンさんが目を光らせた。「この間、パリのオークションで元染(げんそめ)が出ただろ?」「あの3億円で売れた大皿ですか」先月、パリでおこなわれたセールに元染の大皿が出品され3億円で売れたとニュースは、ぼくらの間では話題になっていた。

 「元染(げんそめ)」とは、元時代(1341-67)につくられた青花(染付)磁器の呼び名で、単に元時代の染付を縮めたもの。白磁にコバルトの青で文様が描かれる染付(中国では青花と呼ぶ)は、今ではごく一般的であるが、その始まりが元時代。その後の明時代以降、染付はやきものの主流となり、優れた作品の多くが江西省にある景徳鎮窯で生産された。元染は、大形の作品が多く、その象徴的な器形が口径40センチを超える大盤である。その一つが3億で売れたということ。

 ブンさんは続ける。「あれが何で、評価額の何倍もの値段で売れたかわかるか?」「何でですか?」「あれは、日本からの出品だったからだ」「はい。それは、図録に書いてありました」元染の出ている頁に、このモノが1972年に日本でおこなわれた展覧会に出品されたと書かれてあった。「今のオークションでは、来歴が重要視される。裏を返せばそれだけ贋物が多いってことだ。日本の古い展覧会か書物に出ていれば、間違いのないれっきとした証明になるからな。だから高くなったんだ」その言葉を聞きながら、先日犬山が語っていた「売立図録」の話しを思い出した。図録に出ているのと出ていないのとでは大違いだ、とあいつも力説していた。「所載物かどうかで、値段が何倍も違ってくる。たしかに、昔からそういうところはあったが、これからは、もっと顕著になる」ブンさんはそう言って杯を手にし、「こうなってくると、日本からどんどん海外に流れるな」と、それが良いことなのか悪いことなのか、どっちともつかない表情で酒を口に運んだ。元染のニュースは、この間の香港セールを目の当たりにしているぼくからみると、さほど驚くものではなかったが、この仕事をしている者にとっては大いなる関心事なのだ。

 「そうだ」ブンさんはいったん杯を置くと、僕に顔を寄せてきた。「さっき、才介には言っといたが、おれのお客さんで終活をしているひとがいて。まあ、ガラクタだが数がやたらとある。だからあんたら二人にやってもらおうと思ってて。大企業の元社長さんだ。ごっつい家に住んでる。小遣い稼ぎにはなるだろう」それを聞きぼくは「ありがとうございます」と頭を下げた。

 そろそろお開きの時間となりブンさんが「お勘定」と言って手を上げると、完全に酔っぱらっている才介が腰を上げるや片手を伸ばしそれを制する。「ブンさん、ブンさーん!今日は、今日は、おれに、おごらせてぇ、くださいっ!」「まあ、まあ、才介。そうしたら今日は、割り勘でいこうや」「いや、いや、駄目でーす!おれが、おれがあ、払いますっ!」才介は、ふらふらとレジに向かって歩いて行った。

 

 翌日の朝、ぼくは新聞の一面を見て驚いた。『中国古美術、日本から続々と流出-チャイナマネーで高騰』という見出しと、元染大皿の写真が目に入ったからである。記事は一面の四分の一を占めている。内容は、先月のパリに出品され約3億円で落札された元時代染付の大盤は、長らく日本人が所有していたもので、昨今の中国バブルにより、こうした品々が海外のオークションに流れ高額で中国人が購入しており、この勢いは当分おさまらないだろう、というものだった。最後にそのコメントをしたひとの名前が出ている。それは南青山の三代目だった。ぼくは、その文に何度も目をとおす。三代目の最後のコメントが頭に残った。「美術品はいつの世もお金のある方へ動くのが宿命。名品は格差のある社会にとどまる。社会が平均化している日本ではもはや中国に太刀打ちできないでしょう」その通りだと思った。この間の香港セールに出た小さな色絵馬上杯の16憶円と闘える日本人は、おそらくいないだろう。昨晩ブンさんも言っていたとおり、今後は日本からどんどん名品が海外に流れることに違いない。

 

 一月から二月にかけて、美術業界はいたって静か。国内ではちらほらと小規模な交換会が行われる程度。海外のオークションはどこも開催されていない。フェアなどのイベントも全くない。美術館の展覧会はというと、どれもありきたりの内容で特別感はない。要するに、シーズンオフなのだ。なので、一月の中頃になってから、ぽつぽつと仕事を始める業者も少なくない。しかし、そんな悠長なことはいってられないぼくは、巷の骨董市に足を運んだ。

 ここは、品川駅港南口に直結しているビル奥の、まあまあ広いスペースを二フロア使って隔週日曜日におこなわれている。ただ、ほとんどが古着や古道具類で目ぼしいモノはないのだが、休日ということもあり、毎回何やかやと人が集まっている。暇人のぼくは時間をかけながらゆっくりと、床に広げられた品々を見て回った。二階、三階にまたがり30ほどの露店を三周したが、案の定買うモノは無し。ぼくが駅に戻ろうと歩を進めたとき、独りしゃがんでモノを手にじっと考えている男性の姿が目に入った。しばし見つめる。どこかで会ったような。そして二三歩近づいて了解する。「あっ」近づいて「お久しぶりです」と挨拶。ぼくの声に優し気な眼が振り向いた。カリスマ骨董商Z氏である。

 「やあ、あなたでしたが。こんにちは」Z氏は目を細めて立ち上がる。「たしか、Kさんでしたよね?」「はい。でも、驚きました。こんなところにもいらっしゃるんですね」「よく来ますよ」Z氏はいつもの吸い込まれそうになる笑顔をみせ、「ぼくはね、美術俱楽部の会とかは逆に行きませんでね。こうした露店の市の方に出向くことが多いんですよ。こちらの方が性に合ってるのかもしれませんね」「こういうところで、仕入れたりもするんですか?」「もちろんです。そのために来ているんですから」なるほど。考えてみれば、「新骨董」という領域をつくろうというひとだ。それも何となくうなずける気がする。ぼくなんかには及びもつかない独特の感性でモノと対峙しているのだろう。確かに、美術俱楽部に出入りするひとびととは、次元の違う空気を宿している。

 ぼくは先ほどまでZ氏が手にしていた紙切れに目を注いだ。10センチ四方のなかに何やら絵が描かれている。「絵画の断片ですか?」ぼくはしゃがんでそれを手に取る。右半分は、薄緑色の葉に覆われた樹木が。左には濃い紫色で山が描かれ、山の緩やかな稜線に沿って四本の木の頭の部分が見えている。その上には空が水色で塗られていた。水彩でもなく、油絵でもなく、岩絵の具のような質感に、ぼくは日本の江戸時代初めくらいのモノかと思い、「大和絵ですかね?」とZ氏に目を向けた。「いや、これはインドのモノですね」「インド?」「はい。ミニアチュール。その上半分くらいじゃないでしょうか。おそらく下には、何人かの女性像が描かれていたと思います」「細密画ってやつですか」

 ぼくは以前、総長の家でミニアチュールというペルシアの細密画を見せてもらったことを思い出した。文字通り精緻な筆致で描かれた図様に、鮮やかな色彩が躍動していた。確かに、その雰囲気によく似ている。空の水色も清らかに映ったが、樹木の葉の緑色が濃淡を使い透き通るような色合いで、一枚一枚丁寧に描かれている。それを見て、ぼくは心が奪われた。と同時に、この存在に全く気がつかなかった自分を悔いていた。と同時に、カリスマの炯眼に敬意を表していた。

 「これを仕入れるんですか?」「はい」とZ氏はにこり。「今日はこれと出会えただけで来た甲斐がありました」ぼくは訊いてみた。「これも、新骨董、ですか?」Z氏はうっすらと笑みを浮かべ「いえ、これは17世紀のモノですから。新しいモノではありません。ただ…、」カリスマは宙に視線を置くと眼に力を込めた。「格好いい額に仕立てたら、必ずやモダンになるでしょう」確かに。紙自体は年代を経てくたびれ下の方はちぎれているが、本質は優れているのだ。見せ方によってまったく違った顔を見せるに違いない。ぼくは、以前教授のお宅で目にした、見事に額装された遮光器土偶の目を思い出していた。古いモノでも仕立て次第で新たな息吹が吹き込まれる。飾り台や展示ケース、額装や表装など、骨董は上手な手の入れ方によって、何倍もの輝きを見せたりするのだ。

 駅へ向かう帰り道すがら、Z氏は静かに言った。「実は、今、うちに名品がきています」「名品?」「はい。名品です」「名品」という言葉を受けて、僕の胸は高鳴り、そして踊った。「Kさん、よかったら見にきませんか?」「えっ、いいんですか?」ぼくの身体が急に熱くなる。カリスマの言う「名品」とは…。その言葉だけでは、まったくもって想像できないが、とにもかくにも興味深い。「はい!伺います」取りあえずぼくは即答。カリスマはにこりと僕に笑みを向けて言う。「是非。娘も待っていますので」名品は想像できなかったが、このときぼくの頭のなかに、Miuの癒しの笑顔が出現した。

 

 ぼくと才介は、都心からやや離れた場所にある豪壮なお屋敷の庭内に来ていた。先日ブンさんから頼まれた、大企業の元社長の家の片付けをするためである。ぼくはあんぐりと口を開けたまま庭を見回す。優に千坪は超えているだろう。ひょっとしたら千五百、いやもしかしたら二千坪はあるか。まるで小規模な公園を歩いているようだ。ぼくらを先導しているのは家主である元社長。恰幅のよい80歳くらいだろうか、豪放磊落といった雰囲気のする禿げ頭の老人。横に、精悍な顔つきをした黒いドーベルマンを従えている。この犬が十歩ずつのタイミングで振り返りぼくらを睨む。

 するとご主人が急に足を止めた。「あれれ、こっちじゃないなあ」そして周りを見て確かめる。「ちょっと待てよ。こっち、じゃなかったか」止まっている間中、犬がこちらを向き口を開け尖った歯をみせている。「ごめんなさいね。ちょっと迷っちゃったよ」ご主人は、はははと笑うと、「こっちだ」と指をさしまた歩き出した。自分の家で迷うなんて、どんだけ広いんだよと思いながら、ぼくらは後に続く。そして、「あった、あった、あれだ」ご主人は30坪ほどの二階建ての木造家屋に向かって歩を早めた。近づいていくと、「ここにね。置いてあるんですよ」正面の扉に手を掛けるが、開かない。「ん?おかしいな。鍵がかかってるわ。こりゃ、困ったなあ」ご主人が考え込む。ぼくらはドーベルマンの視線をもろに受けながらその場に佇む。鍵を取りに玄関まで戻る途中で迷うんじゃないか、何となくそういう展開になりそうだと思っていると、ご主人が携帯電話を取り出し話し始めた。「ああ、おれ、おれ。あのねえ、物置の鍵、持ってきてくれる。わるいけど」10分程して奥方が鍵を持って現れた。奥方に、すみませんねと頭を下げられぼくらは恐縮。ご主人が扉を開けなかへ入る。続いてドーベルマン。ぼくらはそのあとに。「あのね、靴脱がなくてもいいから、そのまま上がってください」ぼくらはそれに従い家のなかへ足を踏み入れる。と同時に、黒犬が一回振り返る。いわゆる普通の一軒家だ。人が住まなくなってかなり久しい感じのよう。「ここはね、うちの運転手一家が住んでいてね。もうかれこれ30年以上前かな」と説明しながら、「どうぞ、こちらです」と、ご主人は入ってすぐ右手の部屋へ促した。

 六畳くらいのなかに、引っ越し用サイズの段ボールが三十箱ほど積み重なるように雑然と置かれていた。ちらりと見える段ボールのなかには、木箱が窮屈そうに詰め込まれている。「このなかにね、おれが間違って買っちゃったモノがね、入っててね。ハハ」ご主人は笑いながら、今度は左手のおそらく居間だったのだろうやや広めの部屋に入っていった。「こっちはね、絵だね」部屋の半分を占拠している絵画の箱を指し、「たいした絵描きじゃないけど、付き合いでね。あとは、貰いもんとか、いろいろでね」2メートル近くの大きな額が10点くらいあるのを見て、「おい、これ1回じゃあ、到底無理だぞ」と才介が顔を寄せてきた。今日借りてきたバンでは乗り切らないのは一目瞭然だ。「ご主人、これ、1回じゃあ無理ですので、何回かに分けて運びます」それに対し、「ああ、そう。でもね、あまり時間かけないでよ」「はい、もちろん」ご主人はいつの間にか不織布のマスクをしている。「ほこりがね。わたしは、喉が弱いから」そして、「あっ、そうだ。あんたたちもマスク要るでしょう」と言ってまた携帯を取り出し、「ああ、おれ、おれ。あのねえ、マスクね、二つ…」「ご主人、大丈夫です。大丈夫。ぼくらは大丈夫ですので」ぼくらは制する。マスクごときで、またここまで奥方にお出ましいただくわけにはいかず。ご主人は、「ああ、そう」と言って携帯をポケットにしまった。

 

 「先ずは、大きいモノから運ぶか」「そうだな」と、絵画の置いてある部屋に入ると、次の間に、50センチ四方の木箱が6点置いてあるのが目に入った。これもデカい。大皿か何かの箱のようだ。「ご主人、こちらもでしょうか?」と訊くと、「ああ、それねえ」と顔をしかめた。「恥ずかしくてね。あんたたちの兄貴分の、何てったっけ?」「ブンさんですか?」「そう、そう。そのブンさんに、見せられなくてね。でも、いずれ処分しないとなあ」ぼくは真新しい箱に目を落とす。いかにもわざとらしい古色をつけた貼り紙には「元青花牡丹唐草文大皿」と書かれてある。「開けてよろしいでしょうか?」「まあ、どうぞ」ご主人は苦笑しながら、こめかみのあたりを掻いた。上蓋を取ると、40センチを超える染付の皿が出てきた。先月のパリのオークションに出た3億円の元染とまったく同手の大皿。しかし、これは見るからに完全なニセモノである。

 「ははあ、改めて見ると、ひどいねえ」ご主人が上から覗くように見て自嘲気味に笑った。「おれが、まだ骨董買い出したときでね。結構つかまされたよ」大盤を持ち上げると、その下に領収証が入っていた。それを見てぼくらは目を剝いた。「30,000,000円」と記されてあり、そして、その下に「玩博堂」の名が。ぼくと才介は目を合わせ唖然とする。すかさずぼくが、側に重ねて置いてある同じような大きさの箱を指さして訊いた。「すみません。こちらも全部同じところからお買いになったんですか?」ご主人はバツの悪そうな顔をして「まあね」と、首筋をなでながら答えた。僕はモノを箱に戻しながら、これらを市に出したところで、せいぜい1点、1万円だろう。いや、それ以下かもしれない。こりゃあ、ひどい。ぼくが領収証を睨んでいると、才介が「ご主人、これは、ひどいです。詐欺ですよ!」と声を荒げた。「まあな。おれが悪い癖つけちゃったかもな」ご主人はそう言うと、「これは、最後でいいよ。どうせ、二束三文だろうから」と鷹揚に笑った。

 ぼくらは、車を玄関からぐるりとこちら側に回して止めると、車内にモノを運んだ。ご主人は「あとはお任せします」と言って母屋に戻っていった。ただ、忠犬だけはその場に残り、ぼくらの作業を見張っている。「何だか、やりずれえなあ」才介はぶつぶつ言いながらモノを車に押し入れる。ようやく最後のモノを入れ車がパンパンとなったところで、「今回はこれまでだな」とぼくらは後ろの扉を閉めた。すると、ドーベルマンが「ワン、ワーン!」と大きくほえながら、母屋の玄関の方向へ走り出した。その声に才介がビビる。どうやら終了を主(あるじ)に伝えにいったようだ。「しかし、おっかねえ犬だな。めっちゃ迫力あるわ」才介が首をすくめる。「この広大な屋敷に老夫婦二人暮らしのようだから、番犬としてはこのくらいがちょうどいいんじゃないか」「まあね。入口のでっかい門のところに、『警察犬』ってステッカー貼ってあったもんな」やがてご主人が現れた。「どうも、ご苦労さん」「すみません。二週間後にまた来ます」預かった品はすぐに美術俱楽部に運び、ブンさんの所属している交換会に出す流れとなっており。それがひと月に二回あるのだ。

 

 運転席でハンドルを握るや、才介がいきり立つ。「しかし、ひでえもんだな。贋作堂!」「あれは、完全な詐欺だ!」僕も激しく同調。「ああいう、大金持ちの家に入って…。あれ、何点あったよ?」「6点だ」「一つ3千万として…1億8千万か!」才介が叫ぶ。「今日のは氷山の一角だろう。そりゃあ、銀座の大通りに店構えるわけだ!」ぼくは贋作堂の商売の実態を垣間見て、ある意味愕然としていた。「しかし、あんな真っ赤なニセモノ、判(わか)らないもんだろうか?」ぼくの素朴な問いに、「あのご主人も言ってたろ。骨董を買い始めたときにつかまされたって。証明書のない世界だから、最初は判らないもんだと思う。そこにつけ込みやがるペテン野郎どもがいるわけだ、骨董の世界は」贋作堂の、目尻は垂れているが、その奥の瞳は決して笑っていない表情が頭に浮かんだ。と同時に、三代目が常日頃言っている「骨董は入口が最重要」の意味を痛切に感じていた。

 

 大きな交差点を右に曲がったところで、才介が話題を変え張りのある声を出した。「ここのところ、おれ、商売調子いいんだよ。筆筒の代金も入り。この間の初会でも良く売れて」「そんな感じだな」「多少金もできたから、ここで一つ大きな商売でもして、店構える資金をつくろうかと思ってんだ」「店、出すのか?」「うん!具体的には決めてないんだけど。その足掛かりをつくろうかと思ってて」才介の口から、「店」という言葉が出てくるとは予想してなく、ぼくは正直びっくりしたが、考えてみれば当然のことなのかもしれない。まだ駆け出しのぼくには現実味がなかったが、この仕事をしている者にとって、自分の店を持つことは、先ず誰しもが目指すところである。才介はこの仕事を始めて十年くらいは経っており、あと数年で三十を迎えるわけで(ぼくもそうだが)。そうなると、自然と考えることだろう。自分の行く末について。

 

 美術俱楽部で荷物を下ろし一階の会場でモノを広げているとき、近しい年齢の同業者が近寄ってきた。「来月の温泉市に、いくつか中国モノのうぶ口が出るらしいぞ」「本当か!」それを聞き才介が気色ばんだ。「温泉市」とは、大分県の別府で行われる現金市場(いちば)のこと。温泉地で開かれるので自然とその名がついている。「うぶ口」とは、まだどの業者の目を通っていない、直にお客から出る荷物のことをいう。業者間による「交換会」と呼ばれる市は、全国各地で行われていて、会で仕入れたモノを別の会で売って儲けを出すひとも大勢いる。たとえば、場末の小さな会で買ったモノを、美術俱楽部などの大きな会で売って利益を出すという商法だ。したがって、どの会でいくらで売れたとかいう情報はたいへん重要となる。会を渡り歩いて商売をするひとらにとっては、これが生命線となるわけであり。

 それに対し、まだ誰の目垢(めあか)のついていない、つまりは、お客から直(じか)に出たモノを「初(うぶ)」という表現をし、会では一目置かれ、その荷物「うぶ口」は、競い合って高額になることが間々あるのだ。またそういうモノは、大概古くから日本に入ってきているので、良い来歴が加味されたりすると、海外のオークションではいっそう高値が付く。特に昨今、中国モノはそれがはなはだしい。先だっての元染大皿のように。

 

 温泉市の情報を知った才介は、勢いよく立ち上がると、「よし!何だか、良い風が吹いてきたな。いっちょう、勝負といくか!」と拳を握り、眼を光らせた。

 

(第32話につづく 1月27日更新予定です)

青花花卉唐草文盤 元時代



 

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