骨董商Kの放浪(44)

 ロンドンに入り3日が経った。下見は今日と明日で終了。明後日は本番である。本日午後2時過ぎの下見会場は、参加者の急増とともに種々な言語が飛び交い、場の空気もいっそう熱を帯びたものになっていた。

 「また、出張中ね」空になっている元染壺のガラスケースを前にSaeが口元を緩めた。昨日の午後から元染の下見者が一気に増したようで、時おり立ち寄るこのケース内には、ほとんどの確率で作品が置かれていなかった。奥にある五つの個室は満室で、昨日挨拶した英国人のヴァイスプレジデントが、個室から次の個室へと壺を抱えながら行き来している。今日の午後から続々と本命と目されるひとが集まってきているのだろう。Xiaの姿もみえないので、個室を占拠している中国人の重要顧客を相手に奔走していることと思われる。

 「やっぱり、凄い人気ですね。漢宮秋」ぼくは方々から発せられる中国語を耳に受けながらマダムに顔を向けた。「奥の個室は、全員中国人ね。今日からXiaさん、大忙しだわ」喧嘩をしているかのように聞こえる歯切れのよい中国語の響きが、周囲に緊迫感を与えている。この光景は、香港ではごく自然に展開されたが、ロンドンではまた異なった感じになるのだろうと想像していた。しかし、遠慮の知らない彼らの剝き出しの熱気は、紳士淑女の社交場たる雰囲気を蹴散らかし、昂然と突き進んでいる。これが、急成長している現在の中国美術市場の実態なのである。

 ぼくは常に注視している馬上杯のケースに向かった。始終近くに寄って見ていると勘づかれてしまうので、遠目から確認する。誰かが下見をしているのだろう、先ほどまであった杯がなくなっていた。昨日の午後から、時どきこうして定位置から姿を消すことがあった。それを見るたびに、ぼくの胸はちくりと痛んだ。マダムはもっと沈鬱な気分になっていることだろう。陳列ケースの奥に設置されているテーブルの一つで、馬上杯を見ている集団が目に入った。5~6人の中国人である。その中央にいるウエーブのかかった長い髪がしきりに左右に揺れている。Lioである。昨日ここで会ったときもLioは馬上杯を下見していた。そのときは3人であったが、今日はまた違うひとたちを引き連れている。同業者なのか顧客なのかわからなかったが、馬上杯に焦点を当てていることは自明であった。

 この場にいる七割が中国系の人であり、三割が欧米人であった。日本人は少なかった。ぼくらをいれても10名もいない。そのほとんどが、30代から40代と業界でも若手の商人だった。その一人がぼくに近寄ってきた。たまに美術俱楽部の個人会で顔を合わせる30歳くらいの、まだ青年の域を抜けてない感じのするDという男性である。異国の地で知った顔を見たこともあるのだろう、普段は話しかけてこないのに、にこやかな笑みをみせながら向かってくる。Dの家は北陸の旧家で、江戸時代から五代続く道具商として知られている。そういう育ちのせいか、若いながらも、叩き上げの商人にはない落ち着きと自信を漂わせていた。それはややもすると傲岸ととれるところもあったが、小賢しいひとたちの多い骨董業界のなかでは、腹黒さを感じさせないタイプの商人として、ぼくのなかでは好意的に映っていた。

 「やあ、来てたんだ。ロンドンに」「はい。2日前に」「何かあるの?」Dは何の衒(てら)いもなく訊いてきた。「いえ、特に……。勉強で」ぼくはそう言うと周囲を見渡し、「でも、日本人は少ないですね」と尋ねた。「うん。10年前までは、この時期になると、主力のひとたちがどっと押し寄せて、賑わってたらしいけどね。ぼくは知らないけど。でも、こう、すっかり中国人に荒らされちゃあ、出る幕なしってとこなんじゃないの」Dは鼻をつんと上げると、いつものクールな言い回しで答えた。「何かお目当てのモノがあるんですか?」ぼくは返した。「そうだねえ……。ここだと、強いてあげるとすれば、万暦の豆彩の馬上杯じゃない? エスティメート安いし」ぼくは陳列ケースに目をやった。まだ、Lioたちのもとから戻って来ていないようだ。ぼくはDに顔を向けた。「競るんですか?」Dはすました顔で、「まあね……、といっても、買えないと思うけどね」「いくらになりますかね?」ぼくは目を据えた。「ふ~ん、どうだろう」Dは腕を組むと首だけを背後に回した。その先には、依然として馬上杯を中心に据え、真剣に向き合っているLioたちの姿があった。「彼女たちが、買うんじゃないの。強いから」「えっ、彼女たちって?」Dはゆっくりとぼくに向き直ると、「中国の業者たちは、みんなで金を出し合って買ってるからね。それですぐ転売して、分けるんだ。だから、少々高くても買えるのさ」と鼻で笑うような言いかたをした。

 美術品は、基本それを好むひとが、自分自身で買う(注文する)ものと相場が決まっている。ただ業者間においては、数人が金を出し合って買う行為がみられる。いわゆる「乗り」と呼ばれる商法である。右肩上がりの中国古美術市場では、優れた品を買っておけば値上がりする可能性は高いため、値の張るモノに関しては、こうした「乗り」が横行しているのだ。そして、その額の規模も年々膨らんでいる。億という単位になると、当然一人の持ち出しも大きくなるわけで、すると幾人かではなく十人以上の「乗り」になる場合も出てくる。そうなると自ずとリスクは高まる。そのうちの一人が金を払えなくなるケースが出てくるからだ。オークションで買い落したはよいが、期限内に払えなくなってブラックリストに入り出禁になったという話しは昨今よく耳にする。これは、オークションにおけるマナーを著しく軽んじている行為であり、こんな例は以前には決してなかったものだ。このように、マーケットが活況になればなるほど、いろいろな弊害が生まれているのは確かであった。

 「あとは、オークションの手数料が高過ぎだよ。20%も取られちゃあ、商売人にとってはお手上げさ」Dは口をゆがめ軽く両手を広げた。ぼくも同感だというように肯いた。

 大手のオークションで買う場合は、20%の手数料がかかる仕組みになっている。つまり落札者は、ハンマープライスという実際額の1.2倍を支払わなければならないのだ。100万で買ったら120万。1000万の場合だと1200万が支払額となるわけである。10年前まで10%だった買いの手数料が一気に20%になったことは、オークションで仕入れをするディーラーにとってみれば、痛恨のルール改定なのだった。「まったく、ですね」そう言うと、「まったくさ」とDはそっけなく答えた。

 オークション手数料が跳ね上がった背景には、コレクターが直接参加し買うようになったことがあげられる。オークション発祥の地イギリスでは、かつては上流階級のコレクターの注文を受け、出入りのディーラーが参加し落札するのがいわば商慣習となっていた。それは日本も同様で、蒐集家たちは概ね下見から競りまで美術商に任せるのが通例であった。よって、つい15年ほど前までは、オークション参加者の大半がディーラーだったのである。だが、最近は個人蒐集家が直接参加し買い落すことが頻発しており、特に中国美術市場はそれが顕著である。手数料の20%は、ある意味コレクターに比重の置かれた設定といえよう。オークションは、もはや美術商ではなく個人蒐集家のための場となっているのだ。

 

 Dがぼくの後ろの方に首を伸ばした。「ところで、きみと一緒にいる女性は、奥さん?」ぼくもその方を振り返る。周囲に目を配るようにして小さな歩幅で歩いているSaeの姿が目に入った。その隣にはマダムがついている。「と、奥さんのお母さま?」Dの問いに、ぼくは大きく手を振った。「いえ、いえ、違います」「へえ……じゃあ、ガールフレンド? きれいなひとだなあ、やるねえ、きみ」「いや、違うんです……」確かに周りから見れば、ぼくら三人は何やら興味深い対象として映っているのかもしれない。「実は……お客さんというか、そんな感じで……」「ふ~ん……」Dは再びSaeたちに視線を投げると、「なんか、えらい、セレブな感じだね。やるねえ、きみ」とぼくに目を移し、「それじゃあ、彼女たちの注文を受けて来たってわけかい?」と問うた。「まあ、そんなところです」話が長くなりそうだったのでその辺で打ち切ろうと思い、ぼくはきっぱりと答えにっこりと笑った。そのとき、Dの左肩の5~6メートル奥から、こちらに視線を注いでいる男性が目に入った。50過ぎくらいか、ダークグレーのスーツを着こなした髭面の欧米人である。胸には薔薇色のハンカチーフをさし、両手をポケットにつっ込んで不敵な笑みを浮かべながら、先ほどからこちらをじっと見ている。

 「さてと……じゃあ、ぼくはこれから、サウケンに下見に行くよ」とDは片手をあげた。――「サウケン」とは、サウス・ケンジントンの略で、そこにはB社の支店があり、そこでサブのセールが3日後に開かれるのだ。こちらは、比較的安価な品が多く出るので、若い日本人ディーラーたちは、皆そこを目当てにロンドンに来ているのだろう。「きみも、下見に来たらいいよ。ブリストルの個人蒐集家のワンコレクションが出ていて、けっこう面白いモノがあるから」「ありがとうございます。明日行こうかと思っています」Dは二三歩進んでから急に立ち止まり、踵を返し振り返るとぼくの顔をみつめた。「思い出した。あの、女性……」Saeの方に指を向ける。「あのひと、ひょっとして、エリタージュハウスのお嬢さんじゃない?」「はあ……」と肯くぼくの顔をみて、「やっぱり、きみ、やるねえ」Dはそう言って会場から出て行った。

 

 Dがぼくの前から去るのを待っていたかのように、先ほどからこちらを窺っていた欧米人がニヒルな笑みを浮かべながら近づいてきた。「わたしは、こういうものです」差し出された名刺を受け取る。イギリス人の美術商で、ボロウという名であった。「はじめまして、こんにちは」ぼくも名刺を渡した。彼はぼくの名刺を一瞥するとすぐにポケットにしまい、「日本人の業者もずいぶんと若くなったものですな」と薄い笑みをつくった。彼の言葉に少しなまりがあるように思えたのと、その物言いが何か見下すような感じがして、ぼくは眉間に皺を寄せた。ボロウは片手をポケットに入れ、もう一方の手で顎髭を触りながら、唇の端を少し上げるようにして話し始めた。

 「昨日、あなたは、ギリンガムさんの店で二つの小さな皿を買いましたよね?」ぼくが肯くと、「それを一枚分けてもらえませんかね?」と言ってきた。「どういうことですか?」ボロウは少し胸を張るようにして、「いえね。わたしはあなたが買った前日にギリンガムさんのところで、その小皿を見ているのですよ。そのとき、一枚だけでも結構ですと言われて、リザーブを入れたんです。そうしたら、あなたが二枚とも買ったというじゃありませんか。だから、その一枚を譲ってもらえないかとね。もちろん、相応の利付けをさせてもらいますよ」――そんな話はギルから聞いていなかった。

 ぼくが当惑していると、「どうしたの?」とSaeが隣にやってきた。すると、ボロウは急に表情を変え満面の笑みを浮かべると、両手をすり合わせて一歩歩み寄る。「ああ、これはこれは、奥さまでらっしゃいますか。実に、おうつくしい」Saeは眉をひそめた。「今ね、ご主人さまに頼んでいたのですよ。昨日ギリンガムさんでおもとめになった小皿のことを……」ボロウの話しを聴いているSaeの表情がみるみるこわばっていった。

 「わたしのお客さまから注文が入りましてね。一枚だけ欲しいというのです。ギリンガムさんに言いましたら、それなら買ったひとと交渉してくれというのでね」そこでSaeが言下に言い放った。「お断りします!」「しかし、二枚もあるのですから、一枚くらい譲っていただいても、よろしいのでは?」ボロウは瞳だけをぼくの方に動かすと、「あの値段ではなかなか二枚で売れないでしょう?」と目を細めニヤリと嗤った。それを見るなりSaeは、「もうすでに、売れましたので。二枚一緒に。ご心配なく!」ときつい目で応答した。「さあ、行きましょう」Saeはぼくの腕を引っ張りその場から離れようとすると、ボロウは「おやおや、気の強いワイフだ。本当に、お願いしますよ。一枚ずつ持とうじゃありませんか」Saeがくるっと振り返る。「あなた、今のわたしの言葉が耳に入らなくて? もう買い手がついたと言ったでしょ?」彼女の怒気を含んだ物言いに、ボロウは再び薄笑いを浮かべ、「そうですか……。わかりました。そういうことなら、仕方ない。それでは――、わたしも、万暦の馬上杯を競わさせてもらいますよ。ハハ」語尾の笑い声を無視するように、Saeは急ぎ足でマダムのいる方へ向かった。

 「何かあったの?」マダムが心配そうに駆け寄ってきた。「ううん、たいしたことではないわ」Saeはいったんマダムに笑顔をみせたあと、両拳を握りしめ、「なんなのよ、あいつ。ギルがそんなこと言うはずないじゃない。あんなに大事にしていたお皿のことを。それに、なに? あの喋り方。東北なまりね、気障な田舎者め!」といきり立った。「でも、どうして、ぼくらが馬上杯を競るなんて知ってるんだろう」ぼくはあの言葉が引っかかっていたのだ。「知らないわ!」Saeの怒りはすぐにおさまらず荒い息を吐いている。しかし、なぜ知っているのか……。まさか、B社の情報が漏れたのではなかろうか? そう考えているとき、Xiaが早足で近づいてきた。

 「どうされましたか?」「ううん、なんでもないわ」Saeの表情を読み取り、Xiaはぼくに目を合わせた。「いや、今、あっちにいる、髭をはやしたイギリス人ディーラーが、馬上杯を競りますよって。ぼくらが競るのを知っているかのような口ぶりで言ってきたので」Xiaは向こうにいる赤いポケットチーフに目を留めた。「ああ、あのひとですね。会場でよくみかけます。ヨークのディーラーです」Xiaは小さく頷くと、Saeに顔を向けた。「あのひとは、そんなに強くは買いませんよ」ぼくは訊く。「でも、なんでこちらが馬上杯を競ることを知っていたんでしょうか?」Xiaが視線をボロウの方に向け、「たぶん、皆さんの行動をつぶさに見ていたんでしょうね。それで、鎌をかけたのかもしれません」「こちらの情報が流れているということはありませんか?」ぼくの疑問にXiaは強く首を横にふった。「オークション会社から漏れることは一切ございません。それがわれわれの仕事ですので」マダムがSaeに優しい眼を投げる。「Saeさん、オークション会場には、いろんなひとがいるから。気にしないことよ」「ううん、全然気にはしてないわ。大丈夫よ」Saeは片手を開いて応えると表情を元に戻し、Xiaに尋ねた。「Xiaさん、今の時点で、馬上杯の注文は入っているの?」「はい。アブセント・ビッド(absent bid)が3件入っています」Xiaは冷静な目で答えた。「でも、いずれもそう高くない金額です」

 当然こちらの数字はXiaに伝えていない。しかし、ぼくらの本気度をみて彼女なりに想定しているのだろう。その答えを聞く限りは、たぶん安いエスティメートの範囲内か、それを少し超えたところまでの数字だろうとぼくは思った。Xiaが付け加えた。「あとは、なんといっても、明日の最終日です。下見が完全に終了した時点で、またお知らせします」「お願いします」ぼくらは頭を下げた。

 

 その日の夕食は、ピカデリー通りに面した日本料理屋であった。こちらに駐在している日本人がよく利用する店で、定食、寿司、天麩羅、蕎麦、うどん等、一般的な日本料理ならひと通り揃っている。だいたいの食事が終わり、ぼくが締めのざる蕎麦をすすっていると、マダムが湯呑みを両手で包み込むようにして、ぼそりとつぶやいた。「馬上杯、どうかしらねえ。買えるかしら……」窓側の方を見やっている。あたりに並ぶテーブルはほとんど埋まっており、がやがやとした人の話し声が断続的に聞こえている。日本人に交じって欧米人も何組かおり、皆楽しそうに食事をしていた。しかし、マダムの目線は彼らにではなく、ずっと遠くに当てられていた。

 Saeはデザートのいちごに小さなフォークをさすと、「買えると思うわ。3000万円は、エスティメートの上限の10倍でしょ。父に訊いたら、もし自分が買うんだったら、2000万がいいところだろうって。それでも、エスティメートの下値の10倍よ。コレクターの値段もそのあたりじゃないかしら」そしていちごを口に含んだあと、「あとは、中国人ね」と言った。「本当に、そこよ」とマダムも同意する。

 ぼくの頭に先ず、Lioの姿が浮かんだ。「実は、昨日から香港の女性ディーラーが目星つけているような下見の仕方をしてるんだ。彼女は結構強いよ」二人がぼくの顔を見る。「それは、かなり脅威ね……」マダムが俯き、Saeも手をとめ何やら考えている。そして口を開く。「日本円で3000万というと、ハンマーは……、12万ポンドかしら」現在1ポンドがだいたい206円なので、オークション手数料20%を加算すると、12万ポンドがほぼ3000万円に相当する。それを受けマダムが、「いざとなったら、もう1ビッド。13万ポンドまでは覚悟するけど、それ以上になったら……無理だわ」とため息を吐いた。Saeがなだめる。「大丈夫よ。今日の時点では、強いビッドが入ってないわけだし……。Xiaさんはあと一日の間に入ると言ってたけど、3000万といったら、コレクターズ・プライスよ。いくら香港のそのディーラーが強いといったって、業者値段でそこまでは踏まないと思うけど」

 Dも参戦はすると言っていたが適度な金額までだろうし、ボロウは口先だけのようである。肝心のLioであるが、香港で話したときは、興味はあるがおそらく買えないというような言い方をしていた。ただ今日の下見の状況をみると、業者連の「乗り」も考えられる。しかしこれも、あくまでも商売になる金額までだろう。高買いはしないにちがいない。Saeの言う通り、3000万は立派な値段で、まさにコレクターズ・プライスだ。――となると、これまで聞いた数字なかでは、宋丸さんの言った5000万が最高額であるが、これは絶対買い落すための宋丸流の付け値であって、三代目もなかば法外と驚いていたわけであり現実的とはいえない。あとは本当に、中国人コレクター同士の、バカみたいな意地の張り合いの対象にならないのを願うばかりだ。

 ぼくは、香港で初めて馬上杯の話しを聞いたときにマダムの語った言葉を思い出した。「ねえマダム、一番最初、香港で話をしたときに、馬上杯を持っているひとがみつかったら、そのひとに頼みたいことがあるって言ってたじゃないですか。それって、どんなことですか?」「うん、あれね」マダムはぼくとSaeの顔を交互にみながら、「うちの主人の仕事にも関係しているんだけど、ほんと近い将来SNSが飛躍的に普及していく時代がくると思っているの。だから、もし持っているひとが承諾してくれて、そうした媒体を使って世界中に呼びかけることができたとしたら……姉に会える可能性は拡大に広がると思っていて……」「なるほど。インターネットの力を使うってことですね」Saeは大きくうなずいた。「そう。今アメリカでは、様々な大学生の間で、自分の情報や相手の情報を、そのサイトの参加者に向け公開し合うことのできるシステムが始まっているの。自分の直接知らないひとへ向けて。これは、今後世界中でおこなわれるようになるって主人も断言している」マダムは、テーブルに置かれた携帯電話を手に取ると、「このフューチャーフォンだってここ数年で進化しているけど、携帯電話の形態もより機能的に変化していって、ここからSNSを利用することだって可能になるはずよ」ぼくは自分の携帯を取り出して見た。これは海外用に空港でレンタルした機器である。携帯で海外電話やメールのやり取りができること自体非常に便利であると思っているが、それがもっと進歩的になるのだろうとぼく自身も思っていた。これからはこの小さな機器一つで、世界中のひとたちと繋がることができるようになるのだろう。

 「だから……、見ず知らずの中国人に買われては、困るのよ……」マダムは眉根を寄せて宙をみつめると、ため息を吐きながらぼそりと言った。まったくその通りだとぼくは思った。「たしかに、そうですね。非公開主義者の持ち物になったら、それができないですものね」それを受け、そっと瞼を閉じたマダムの顔を、Saeは思いを込めたまなざしで、しばらくじっとみつめていた。

 

 レストランを出ると、ようやく暮れたロンドンの空に、ぼんやりと黄色い上限の月が浮かんでいた。ぼくらは月を正面に見ながら、ホテルまでの道のりを歩いた。途中近道をするため細い路地に入ると途端にあたりは暗くなり、数メール先も見えづらい道がしばらく続いた。少々物騒に思えたのか、Saeがぼくの横に少し身体を近づけてきた。前をいくマダムのトレンチコートのクリーム色も深い影に覆われている。その長く狭い通りをようやく抜けると、車が一台通れるほどの通りに出た。小さな店がぽつりぽつりと並んでおり、一つ先の角にあるスーパーから漏れる明かりが、路面をうっすらと白く包んでいた。

 その前を通りかかったときである。「きゃっ!」とSaeがぼくの腕にしがみついてきた。驚いて路上を見ると、年老いたホームレスが石のように座り込んで、じっとこちらを見上げていた。ぼくが大きく一つ息を吐(つ)く。「ああ、びっくりした」そのときスーパーの扉が開き、ビジネスマンらしき背広姿の青年が出てきた。彼は、お釣りのコインを片手でもてあそぶようにしながら屈むと、浮浪者の前に置かれたブリキの箱のなかに落とした。そして笑顔をみせ、「どう? 商売?」と訊いている。それに対し老人もすすけた歯をみせ笑みを浮かべている。それを見たSaeが、歩き出してからクスっと笑った。「ふふ。ああいうところ、欧米らしいわね」

 するとSaeは「あっ、そうだ」と言って急に立ち止まった。「わたし、今日、間違えられちゃったんだ」「えっ?」と訊く。「あのムカつく気障なやつにだけど」Saeはそう言うと、いったんぼくに向けた掌を、自分の胸に当てた。「――ワイフ、ですって」と、笑みをこらえるようにしてじっとぼくをみつめる。それを見て、マダムが両手で口を覆い、声を出して笑った。「あっははは。そうよねえ。そう思われるわよねえ」そして、ぼくら二人を眺めるような目でみてから、「……そうすると、わたしたち三人は、まわりには、どんなふうに映ってるのかしらねえ?」「それなんですけど。下見会場にいたちょい上の同業のひとに、あのセレブな二人は、きみの奥さんとお母さま? って最初言われました」ぼくの答えに「やっぱりねえ」とマダムが笑顔でうなずきながら、「オークションの下見会場では、どうみても、奇妙な取り合わせだもの、わたしたち三人組。けっこう注目の的になっていると思う」それを聞きぼくは膝を一つ叩いた。「ああ、だから、あのヨークの業者に目をつけられたのかぁ……。それで、馬上杯を競るかもって思われたんだ」Saeがぼくの上着の袖を引っ張った。「ねえ、Kさん」「ん?」「それで、なんて答えたの?」「えっ?」「だから、きみの奥さんとお母さま、って訊かれて」「ああ、だから、説明するのも面倒だったから、あの二人は、ぼくのお客さんだって言っといたよ」Saeは大きな瞳を一度瞬きし、「そうしたら、なんて言ってたの?」「やるねえ、きみって言ってたけど……」ぼくはそのときのDの顔を思い出しながら、「ああ、やっぱり、出入りの商人か、みたいなクールな目でみていたな」と言った。また、ボロウもぼくのことを「ご主人」と言ってはいたが、その目には、こいつは上流階級にかしずく一介の商人にすぎないという蔑みが感じられた。特段気にはならなかったが。

 それを聞いたSaeは何かを考えるふうに歩を進めていたが、「ねえ」と言うと立ち止まり、くるっとぼくの方に体勢を向けた。ぼくも思わず立ち止まる。そして相対するとSaeは一歩踏み出し、ぼくの両腕をしゃんとつかんで真面目な顔で言った。「じゃあ、堂々としていて」「ん?」「イギリスでは、アート・ディーラーという仕事は、格式が高いんだから」「はあ……」「英国皇室御用達のお店だってあるのよ。Kさんの仕事は、とてもかっこいい職業なの。だから、いつでも、そういう気持ちでいてほしいの」何か先生に諭されている生徒のような気分であったが、ぼくは「うん、わかった」と素直に答えた。Saeは「よろしい」とうなずくと、再び前を向いて歩き出した。その背中をみて「あっ、そうだ」と今度はぼくが思い出す。「その、ちょい上の同業者から、きみのこと、ひょっとして、エリタージュのお嬢さんじゃない? って、最後に訊かれた」「それで?」「はあ、て、うなずいたら……」「で、そのひとは、なんて、言ってたの?」「やるねえ、きみ、って感心したような顔をして出て行ったよ」Saeは、「ふ~ん。なんだか、面白いひとね」と言うと、おかしそうに口元に手を添えてうふふと笑った。

 

 二人をメイフェアのホテルまで送り、それから10分ほど歩いて自分の宿泊先近くにある公園の入口にさしかかったところで、ジャケットのなかの携帯電話が振動音をたてた。ぼくは携帯を取り出す。これはレンタルした電話であるため、この番号を知っているひとはごく限られている。今別れたばかりのSaeかマダムか、何か言い忘れたことでもあったのだろうか。携帯を開き耳に当てる。女性の声がした。「もしもし……」その声を聞き「あっ」と反応する。Reiであった。「もう遅い時間でしょう。ごめんなさい。今、大丈夫ですか?」ぼくはそのまま公園のなかのベンチへ向かう。「大丈夫、大丈夫。しかし……そっちこそ、朝早いんじゃない?」ぼくの腕時計は午後10時半をさしていた。ということは、時差が8時間あるから、日本は午前6時半か。「そうね。朝起きたところ」Reiの元気な声が耳に心地よく入ってきた。

 Reiと話しをするのは、ロンドンに発つ前日以来である。5日ぶりだ。「もうそろそろね。オークション」Reiの声にぼくは答える。「うん。下見は明日までで、ついに明後日が当日」「どんな感じなの? 馬上杯?」「今のところ、まだ、そんなに強いビッドは入ってないようだけど。明日になってみないと……。う~ん、でも、やっぱり、当日にならないとわからないんじゃないかなあ」「そうよねぇ。買いたいひとは、ギリギリまでそぶりはみせないものね」「うん、まあね。本当、始まるまで予想はできないよ」

 すると、Reiが小さな笑い声をたてた。「変なのよ、宋丸さん……」「えっ、どういうふうに?」「毎日ね、『馬上杯は、いつだよ、いつだよ』って、訊いてくるの」「へええ、エリタージュの方が上だって一蹴してたくせに。興味、もってるんだ」「そうみたい。ここのところ、一日中カタログの写真とエリタージュのものが出ている展覧会図録の写真を横に並べて。見比べるようにして、真剣な眼をしてみてるの」「ずっと世に一点しかないって思い込んでたのが、もう一点あったから、興味もったのかな。今回のやつが良いことがわかってきたのかもね」――ぼくは実見してみて、両者とも甲乙つけがたいほど美しいと感じていたのだ。「昨日もね、『いつだよ』って言うから、明後日です、って答えたら、『何時だよ』って、時間を訊いてくるの。だから、イギリス時間で午前10時開始だから、馬上杯の順番までは2時間くらいかなあと思って、日本時間で、だいたい午後8時くらいじゃないですかって答えたのよ」「うん、たぶん。そんなもんじゃないかな」「そうしたらねぇ……」Reiは一度大きな笑い声をたてたあと、それをこらえるようにしながら、「『おい、それは、生中継されるのかよ?』だって。もう、笑っちゃったあ」ぼくも笑った。「生中継? オリンピックじゃないんだからさあ、オークションが中継されるわけないじゃん。さずがの発想だな、宋丸さん」「なにやら、パソコンとインターネットのことを言ってると思うんだけど、『今は、小さなテレビで何でも見られるんじゃないのか?』だって」「ハハハ」ぼくは笑いながらふと考えた。先ほどのマダムの話ではないが、今後IT技術が長足の進歩を遂げれば、海外のオークションも携帯電話の画面でライブ参加できるようになるのかもしれない。宋丸さんの突飛な発想もあながち的外れなものではなく、時代の先端をいっているのかもと思え、ぼくは笑うことをやめるとしばし夜空を仰いだ。

 「今回は、何か良い仕入れできました?」Reiの問いに、ぼくはわれに返ると思い出し、「ああ、そうそう。香港で、すごい鉅鹿、手に入れたよ」と声を弾ませて答えた。「えっ、それは、どんなモノですか?」とReiがすかさず訊き返す。「これはねえ、なんとも、言葉ではあらわせなくて。見ないと……。とにかく強烈な染みの入った鉢」「どんなふうに、ですか?」「だから、それは言葉じゃ伝えられなくて。とにかく、見たらびっくりする」ぼくの頭に、雪原に林立する樹木の景色が浮かぶ。「でも……、宋丸さんには、刺激が強すぎるかも」「ええっ! 宋丸さんに、刺激が強すぎって……、よけいに気になるわ。ねえ、どんな感じの染みですか?」「だから、それは……見てのお楽しみってところかな」「ほとんどが染みに覆われてるとか?」「そうではないけど。でも宋丸さんが見たら、トゥーマッチって感じで、相手にしてくれないかもね」それに対しReiはしばらく突っ込んでいたが、やがて他愛のない話題に移り、最後に「それじゃあ、Kさん、明後日また電話しますね」のReiの言葉で会話は終わった。ぼくは小型電話をジャケットのポケットにしまうと公園の出口へ向かった。先ほどより高さを失った弓張月が、目の前でほんのりと輝いていた。

 

 下見最終日である14日。朝、ぼくはいつものようにレストランで朝食をとった。目の前のプレートには、昨日からソーセージが一本加わり三本になっている。けっこうなボリュームだ。その二本目にナイフを入れたとき、テーブルに置いてあった携帯が光った。Saeからである。「どうしたの?」と訊くと、マダムは、今日は気分がすぐれないので下見会場には行かずホテルの部屋で一日過ごすとのこと。「きっと、前日で気が昂っているせいだと思うわ」Saeはしんみりと言う。「うん。気持ちが落ち着かないんだろうな。その方がいいよ」「じゃあ、わたしたちは、予定通りということで」Saeは電話を切った。

 今日ぼくは午前中にサウケンの下見をし、12時に大英博物館の入口で彼女と待ち合わせ、鑑賞後に遅めの軽い昼食をとってから、下見会場に行くというスケジュールであった。昨日のボロウの発言ではないが、毎日のように会場に張りついているのも妙に思われるし、今日の目的は終了時間間際にXiaから最終情報を得ることだったので、午後5時のクローズの二時間前、午後3時くらいに行くのがよいだろうとSaeと取り決めていたのだ。

 

 下見会場に着いたのは、予定通りの午後3時だった。会場内には、昨日とは違った熱い雰囲気が漂っていた。終盤の緊張感を含んだ喧騒が、そこかしこにあふれている。さっそく馬上杯のケースまで行く。端然と置かれていた杯をみて、ぼくらは少々安心する。もう充分下見をされたせいではなかろうが、不思議と昨日よりも綺麗に感じられた。いや、その思いは日ごとに感じられた。それはまるで、多くのひとの目に触れることで輝きを増していく見目(みめ)麗しい女性のようであった。だから、ぼくは杯にじっと眼を据え心のなかで祈りを捧げだ。このある種のフェロモンは、どうかぼくらだけに強く注いでいますように、と。

 その後ぼくはSaeと離れ、元染壺の飾られている独立ケースへ向かった。ここはやはり人気のようで、またもやなかは空の状態だった。本気で獲得するひとたちによる最終チェックが、奥の個室でおこなわれているのだろう。やがて、ヴァイスプレジデントが壺を持って現れ、ケース内の定位置に戻した。ただちに、手に取ることの出来ないひとたちによって人垣ができる。その光景を後ろから眺めていると、ひとりの老紳士がぼくの横に立った。ギルである。ぼくが軽く頭を下げると、ギルは笑みを浮かべながら壺に目線を送り、慇懃な口調で話しを始めた。

 「この壺ですがねえ、これはわたしのずいぶんと若い頃に取り扱った品でございますよ」「これを……ですか?」ぼくは少し驚いて尋ねた。「正確にいうと、当時わたしの勤めていた会社ですがね。もう50年くらい前でしょうか。まだイギリスの良き時代でしたよ。買われたお客様はまもなくお亡くなりになり、お宅も移られてしまって、この名品の行方が長らくわからなくなっていたのです。それが……、つい昨年のことでした――」ぼくの視線が、元染からギルへと走る。「ここのオークションハウスのスタッフから連絡をもらいましてね。見ていただきたいモノがあると……」「はい」「それが、この壺でした。わたしは、驚きました。どこにあったのですか? と尋ねますと、スタッフは、『これは、あなたの会社で扱ったモノでしょうか?』と逆に質問されたのですよ。わたしどもの会社の古いシールが、底裏に貼ってあったのです。わたしは、はい、と答えました。紛れもない元青花の元曲図様の一点物ですから、忘れることなどございません。するとスタッフは、『これを手に入れた方のお子さんの一人がこちらに持ってこられたのです』と言ったあとに、『その家のどこにあったと思いますか?』と訊かれたのです。わたしが首を傾げていると、スタッフは笑いながら答えました。『長年、その家の傘立てに使われていたのです』わたしは、えっ! と言って天を仰ぎました。そして、思ったのでございます。高尚な趣味というものは、なかなか二代は続かない、一代限りのものかもしれないと……」「……」「わたしは、尋ねました。それで、この壺は、どうされるのですか? と。――はっはっはっ。それは、まったくの愚問でございました。『今度のオークションセールに出品します』という解答に、わたしはホッと胸をなでおろしたのでございます。今だと驚愕の価格になり、おそらく中国の資産家の手にわたることになりましょう。そしてそれがまた、すぐに転売されるやもしれません。しかし……、再び傘立てに使われることはなくなるでしょう」ギルはそう言うと、丸い背を揺らしながらゆっくりとその場を離れた。

 

 ラスト一時間というタイミングで、Dが現れた。「最後になると、けっこうな賑わいをみせるね。明日は盛り上がりそうだな」沈着な様子であたりを見回すと、ぼくをみつめ「馬上杯、競るの?」とストレートに訊いてきた。「……はあ、まあ……」曇りのないDの眼をみて、姑息な手段を使って邪魔などしないだろうと思い、ぼくは正直にそう答えた。「エリタージュのお嬢さんがバックにいたら、きみの勝ちだね」「そうでしょうか?」「業者価格にはならないだろうから。ぼくは降りるよ」そして、「あとは上海のウーさんさえ来なければだけどね」と言った。「上海のウーさんて?」ぼくの問いにDはやや自慢げに答えた。

 「たぶん、元染の壺はウーさんが買うだろう。あとは、馬上杯。これも、滅多にないモノだから、ウーさんが目をつけたとしたら、きみは買えないね」ぼくは言葉につまった。それは最も恐れていたことだったからだ。どこまでも競る中国人の成金コレクターが相手となったら、マダムの額を簡単に超えていくことだろう。

 「その……上海のウーさんて、香港に出た成化豆彩の馬上杯を買ったひとですか?」「ああ、そうだよ。16億円したやつ。彼は今、飛ぶ鳥を落とす勢いだからね」ぼくは眉間に皺を寄せると、覗き込むような目線をつくった。「……来ますかね? ウーさん」それに対し、Dはあっけらかんと答えた。「まあ、それは、わからないけど。来たら買えないし、来なけりゃ買えるさ」それを聞いてぼくは腕を組み、しばらく俯いて考え込んだ。う~ん……。しかし、今さら考えてみたところで、どうしようもない。ここまできたら、運を天にまかすしかないのだ。

 そんなぼくの心情を意に返すことなく、Dは首を左右に動かしている。「そういえば今日、彼女のお母さまいないね」「はい。今日はきていません」Saeの姿をみつけたDが「いいの、彼女ひとりにしておいて」と訊いた。ぼくが「はあ」と言いながらDの視線を追ったとき、昨日の顎髭のイギリス人ディーラーが、ちらりとこちらを睨むようにして、ぼくらの目の前を通過した。今日はショッキングピンクのポケットチーフをしている。相変わらず薄ら笑いを浮かべているその後ろ姿をみつめながら、Dに訊いた。

 「今、前を横切ったイギリス人業者、知ってますか?」Dは、こともなげにこたえた。「ああ、ドロボウさんね」「ドロボウさん?」「うん。本当は、ボロウという名前のヨークの業者だよ。まあ、平たくいうと詐欺師だね、あいつ。口八丁手八丁で金持ちの家から名品をただみたいな値段で抜いてきて儲けてるやつ。だから、ぼくらの間では、ドロボウと呼んでるんだ。気をつけた方がいいよ」「それはうまいニックネームですね」さっそくSaeに教えてあげようと思い手を叩いて大受けしていると、Dは、何がそんなにおかしいのかというような目でみていたが、ほどなくしてぼくの肩を叩いた。「おい、向こうでお嬢さんが呼んでるよ」みるとSaeがこちらに向かって手をあげている。「じゃあ、失礼します」頭を下げるぼくに、Dは「グッド・ラック」と言って片手を開き、人差し指と中指を交差させた。

 Saeのところにいくと、「あのひとが、やるねえ、きみ、のひと?」と訊く。「そうそう。昨日言ってたちょい上の同業者」SaeはDの方を見やると「ふ~ん」と、さして関心のなさそうな返事をしてから、隣に立っている恰幅のよいイギリス人を紹介した。「このひとはね、こちらB社のチャアマン。つまり、一番偉いひと」チャアマンは優しく微笑むと、握手をもとめて手を伸ばした。年齢は60歳を少し超えた感じか。茶系のサマーツイードのジャケットが、幅広の鼈甲縁の眼鏡とマッチしている。柔和だが貫禄のある笑顔に、ぼくは少々顔をこわばらせながら右手をさしだした。チェアマンは握る手に力をいれ、「遠いところをようこそおいでくださいました」と言っていっそう微笑むと、「なにかこちらでできることがあれば、遠慮なくお申しつけください」と丁寧な言葉遣いで言った。「どうもありがとうございます」ぼくは、恐縮というふうに頭を下げる。それからしばらくチャアマンとSaeは話をしていた。そして、終了10分前になって、それまで姿の見えなかったXiaがぼくらの前に現れた。

 「こちらへどうぞ」Xiaが個室の一部屋にぼくらをとおした。終了間近であるのに、隣の個室からは中国語の大きな声が聞こえている。ぼくらが腰かけると、Xiaは抱えていたファイルを開き最終報告をした。「最終的に、アブセントは8件入りましたが、おそらくそこまで強い額ではないかと思います」アブセント・ビッド(absent bid)は、当日参加できないひとが書面で入れる金額である。本気で買うひとは、電話か会場で直接競るので、アブセントの指値はそれほど高くないのが通常である。

 Xiaは続けた。「そして、電話ビッドの参加が3件入っています。電話ビッドなので、どこまで競るのかは読めませんが、うち2件はおそらくそう高くは来ないと思います。「ただ……」そこでXiaは目線をそらし口を噤むと、いったん間を置いてからSaeの瞳に焦点を合わせて言った。「1件は、強いビッドをしてくる可能性は高いです……」それを聞いてSaeは冷静に「そう」とうなずくと、「いくらくらいまで来るでしょうか?」とXiaをみつめた。Xiaは細い首をやや傾けたがすぐに戻し、「わかりません……」と低い声で答えた。

 そこでSaeは、大きく息を吸い込むと結ぶ唇に力を込め、目を上に向けたまましばらく黙っていた。やがて眉根を寄せると、射抜くようなまなざしでXiaをみつめ、重い口を開くようにして尋ねた。「それは……B社の重要顧客?」それに対し、Xiaは数度瞬きをしたあと、目を伏せて答えた。「申し訳ございませんが、お答えすることはできません――」このときぼくは、先ほどDの言っていた上海のウー氏のことが頭をよぎった。Xiaのこの様子をみて、ウー氏の電話ビッドが入ったと思ったのだ。相手が大手オークション会社の大物顧客であるなら、どうあがいても太刀打ちできまい。Dは言っていた。来たら買えない、来なけりゃ買える、と。――それが来てしまったのだ。勝負ありか……。とぼくは落胆のため息を吐いて肩を落とした。Saeはもう一度深呼吸をすると、「わかりました」と言って立ち上がり、まっすぐに出口へと向かった。

 

 先ずはホテルに戻り、マダムに報告をしなければならない。ぼくらはひどく沈んだ面持ちで、ホテルまでの閑静な道のりを黙々と歩き続けた。小雨が降っている。しかし、この程度の雨は強くならずにすぐやむだろうというのを、ぼくはここ数日の滞在で重々承知していた。イギリスでは日常なのだろう、誰も傘をさしてはいない。Saeはずっとジャケットのポケットに手を入れたまま無言で歩いていたが、ホテルのすぐ近くにある目印となっている大木の下に来たところで、唇の端をキュッと上げて言った。

 「さあ、ホテルで美味しい紅茶を飲みながら、考えましょう」Saeの黒い髪についた微小な雨粒が、暮れなずむ日の光りを受けて、きらきらとガラスのような輝きをもって揺れていた。ぼくはその透明な粒の塊りをみつめながら、「うん。そうだね」と気を取りなおすようにうなずいた。「でも……、強敵出現って感じだな」Saeは、ぼくの言葉に「まあね」と言うと天を見上げた。顔中に降り注がれる細かい雨をまるで光のように浴びながら、暖かく深い笑みをたたえてはっきりと言った。「もう、何も考えない方がいいわ。答えは一つよ。あの馬上杯は、本当に欲しいと思ったひとのところにいくということだけ」ぼくは、Saeの、この包み込むような泰然たる微笑が好きだった。「うん。その通りだ」大きく肯くぼくの顔をみながら、Saeは言った。「だから、この件は、マダムには伝えないわ――」

 

 今日は、ホテルのバーで軽い食事をとることになり、ぼくとSaeは先に入りマダムを待つことになった。室内は、厳かな外観を思わせるシックな装飾が施された落ち着いた空間だった。内部の壁面にあるヴィクトリアン調に装飾された本棚には、イギリス文学の古典が並び、壁にはイギリス画家の作品が掛けられ、アホガニー材で仕上げられたテーブルは、艶やかな赤褐色で覆われている。金髪の女性が紅茶の載った銀のトレイを持って現れ、ひとつひとつ静かにテーブルに置いた。

 ぼくもSaeもうつむいたまま、ある一定の時間をかけながら、同じ動作でもって、一口そして一口とカップを口に運んでいた。こんなふうだったので、味など感じないと思っていたが、普段紅茶をあまり飲まないせいなのか、イギリスの水が紅茶によほど合うのか、どちらともわからなかったが、ぼくはこのとき不思議と紅茶が美味しいと感じたのである。ひょっとしたら、先ほどのSaeの悠揚迫らぬ態度がそういう気にさせたのかもしれない。しっかりと味気のある紅茶を口のなかで感じていると、深紅のカーディガンを纏った女性が入ってくるのが目に映った。マダムが軽く笑みをみせながら近づいてくる。カーディガンの緋色が鮮やかにみえたのは、決してそれ自体の色だけではなく、少し血色を失ったマダムの顔の白さのせいかもしれないとぼくは思った。

 「いかがですか? ご体調」Saeが腰を浮かせて尋ねた。「ごめんなさいね。心配させて」「なんか、顔色がよくないみたい」Saeが覗き込む。「ううん。もう大丈夫。ちょっと、朝の寝覚めが悪くってね……」マダムは注文をとりにきた女性に、アッサムと言って、厚手の上着を胸のところで深く重ねると、張りのない声で尋ねた。「どうだった? 馬上杯の状況は?」Saeが笑顔で答えた。「特に、変わらないわ。何件かの電話ビッドが入ったみたいでしたけど……」マダムはそれを聞き「そう」と力なく答えた。それはまるで、とるにとらない質問をしたときにつく、にべない相槌のような言い方だった。

 やがてマダムのアッサムティーが運ばれてきた。ミルクを容れようと右手を伸ばしたとき、上着のなかの黄色いブラウスに飾られた大きな翡翠のブローチが顔をのぞかせた。香港で初めて会った中華レストランで、そして、Saeのところに馬上杯を確認しに来たときにしていたあのブローチである。「本当に素敵ですね、その翡翠のブローチ」Saeがうっとりと眺める。この翡翠の色は、さらりとした浅く透明な緑ではなく、緑の筋がいくつか内包された深く美しい色をしていた。マダムは右手で胸の上を包むようにして、「今日はなんとなく、そんな気分なの」とささやくように言った。マダムの顔に一瞬赤みがさした。マダムはミルクのたっぷり入った暖かい紅茶を一口飲むと、「今日の朝ね、姉の夢をみたのよ――」と頬を緩ませて話を始めた。

 

 「よくね、小さいときに、家族で頤和園(いわえん)にピクニックに行ったのよ。夢のなかで、わたしはまだ7つか8つかで、姉はもう小学校の上級生だったわ。姉が『今日はみんなで頤和園に行くから早くしなさい』って、わたしの手を引っぱってるの。『お祖父さまもお父さまもお母さまも、先に行って待ってるから、あなた、早く支度をして』って優しい目で促すの。わたしは、もう行きたくて、行きたくてしかたないのよ。でもね、どういうわけか、家を出ようとすると、なにか忘れ物をしているような気がして、また戻ってしまうの。それでまた家を出ようとすると、身体が前に動かないの。気持ちは行きたくてしようがないのに。それで、わたしはもどかしくなって、大声で泣いているのよ。なんで? なんで? って言って。そうしたら……」マダムはいったん目を閉じ、ふっと息をつくと、「夢って不思議ねぇ……」と言って話を継いだ。

 「ふと見上げたお姉さんが、急に大人になっているのよ……。姉が……あの烏の濡れ羽色の綺麗な長い髪で、わたしを抱きしめるのよ。『大丈夫、大丈夫、慌てなくっても』と言って。そして、わたしの涙をハンカチで拭ってくれるのだけど……。それは、姉がずっと大事にしていた木綿の白い、片隅にだけ花柄のレースがしてあって、その上に赤の刺繍で姉の名前が入っているハンカチ。わたしは、もちろん自分のを持っているんだけど、そのお姉さんのハンカチが欲しくってねぇ。何度も頂戴って言ったんだけど、いつも姉は、豊かに微笑むだけで、『これはあげない』って。最後まで、くれなかった……。そのハンカチで、わたしの頬を伝っていく涙を丁寧に拭いてくれるの。わたしは、とても暖かい気持ちになったのよ。と同時に、姉のぬくもりが蘇ってきて……。とても切なくなってねぇ……」

 夢でありながらリアルに語られるマダムの話を、ぼくはただしんみりと聞いていたが、これは何か前兆なようなものではないかと感じていた。夢とはそういうものでもある。Saeも同様だったようで、マダムの手をそっと包み込むようにして握ると、「マダム、明日はきっと買えますよ。そして、お姉さんが待っているって……わたし、そんな気がする」と優しくみつめた。ぼくも、そうあってくれと、胸元で玲瓏な輝きをみせる翡翠に、祈りを込めたまなざしを送った。

 「夢って、起きたときははっきり覚えていても、だんだんと忘れていくじゃない」マダムは右手でティーカップの取っ手を持ち、左手で支えるようにして口元へ運んだ。「だから、今日はいつまでも姉のぬくもりを胸のなかに閉まっていたくて、ずっとベッドのなかにいたのよ」「そうだったんですか……」そう答えるSaeをみつめて、マダムは言った。「なぜ、姉がハンカチをくれなかったが……わかる?」「……いえ」マダムはぼくに視線を移した。ぼくも首を横に振った。「中国ではね、ハンカチを、手巾と書くの。手巾――それは”てぎれ”と読むから、縁を切るという意味があるのよ。だから、ハンカチを贈ることは、関係を断ち切るということなの。別れるということ。それを知ったのは、ずいぶんと大人になってからだけどね。そのとき判ったわ。わたしがあんなにせがんでも、姉がハンカチをくれなかった理由が――。でもねぇ、やっぱり欲しいのね。だって、今になっても、こうして夢にでてくるんだから」そう言うとマダムはかすかな微笑を漏らした。Saeがテーブルに片手をついて身を乗り出すようにして言った。「だったら、それが夢に出るってことは、まだお姉さんとつながっているってことじゃないかしら。きっと、そうよ」マダムは顔をSaeに向けると、眼を潤ませるようにして、「そうね……。そうだと、いいわねぇ……」とつぶやいた。

 

 その後二人のホテルを出たぼくは、薄暗がりの細い路地を通る気分になれず、いったんピカデリー通りに出てから遠回りをしてホテルに帰ることにした。ピカデリーの繁華街は電飾の明るい光に満ちており、短い夜を楽しむかのように多く人出で賑わっていた。乗りのよい若者たちの叫声や行き交う人びとの愉し気な話し声が飛び交い、どこからかリズミカルな音楽が流れてきていて、ロンドンの夜のひと時を華やかに刻んでいた。

 交差点にさしかかったところで、アコースティックのギターの音色が耳に入ってきた。路上でひとりの長い髪をした若者がギターを片手に熱唱している。何人かの人びとが彼の周りにたむろして歌声を聞いており、ギターケースのなかにはコインと札がまばらに入っていた。ロック調の派手なリズムがしばらく続いていたが、ぼくが通り過ぎようとしたときには曲調が変わり、優しいメロディにうつっていた。どこかで聞いたことのある曲だなと、ぼくは立ち止まって耳を傾けた。やがて信号が変わり、向こう側へ渡ろうとしたときに曲のさびの部分が耳に入ってきた。それを聞いてタイトルを思い出した。レット・イット・ビーだった。ぼくは通りを渡るのをやめて、彼の側に歩み寄ると、ケースのなかにコインを投げ入れた。

 

(第45話につづく 4月29日更新予定です)

イングリッシュ・ブレックファースト

 

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骨董商Kの放浪(43)

 5月12日のロンドンの朝はどんよりと曇っていた。三階建ての古めかしいホテルの二階の小窓からは、両脇の煉瓦壁に挟まれるようにして細長い石畳の路地が伸びていた。昨夜降った雨の影響か、路面がところどころ鈍い光りをはなっている。その風景を目にし、ぼくは顔を緩ませた。そうだ、自分は今ロンドンに来ているんだという実感が胸をつき、つい微笑んでいたのだ。ぼくは窓から入る冷たいが澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むや、部屋を出ると階下へ向かった。

 今日はB社で下見をすることになっている。昨夜のマダムの決意表明を受けぼくの気分は高揚しており、朝からなんだか沸々と力が湧き上がっている。早速一階にあるこじんまりとしたレストランへ行き朝食を頼んだ。三つしかないメニューのなかからイングリッシュ・ブレックファーストを選ぶ。すでに何人かの宿泊客がテーブルを囲み、若い男性従業員が料理を載せたトレイを手に運びながら、その間を行き来している。やがてぼくの前に大きな皿が一つ置かれた。

 30センチ以上あるプレートの上には、色とりどりの具がぎっしりと盛りつけられている。手前中央のフライドエッグの右には、太く短いソーセージが二本。左には厚手のバックベーコンが三切れ。目玉焼きの上方には半分ずつにカットした焼トマトと幾つかのマッシュルーム。10時の方角に斜めに切られたバタートーストが二枚、その三分の一が皿からはみ出すように乗っかっている。続いてテーブルの右側に、銀製のポットとともに紅茶のセットが置かれる。典型的なイングリッシュ・ブレックファーストであった。

 そのボリュームに、ぼくは生唾を呑み込んだ。イギリスと日本の時差は8時間。今は深夜の時間帯。真夜中に食事をする癖のあるぼくは、現在異常に腹が空いていたのだ。ソーセージの程よい焦げ目に食欲をそそられ、それを一口。「ん!」すかさずナイフを動かしもう一口。「これ、うまっ!」つい発したぼくの小さな叫び声に、給仕の若者が振り返る。それをよそに、また一口放り込む。パリッとジューシーというより、ねっとりとしてスパイシーである。そしてこの味は、ぼくの味覚に激しく合っていると感じた。昨夜の伝統的なイギリス料理も美味しかったわけであったが、何だか大英帝国の威厳めいたものが先行しているように思え感動はしなかった。それに比べるといたって矮小なのかもしれないが、明確な風味が感じられ、ぼくはいたく気に入ってしまったのだ。続いて、これも適度な焦げ目のついたベーコンを切り口に入れる。うんっ、気持ちの良い塩辛さだ。そして、その隣の焼トマトを半分。塩辛さを見事に調和させる芳醇な甘み。またその横にゴロっと転がっているマッシュルームの素朴な味。そして紅茶を喉に注ぎ込む。――――完璧だ、とぼくは孤独のグルメさながら、一口食べるごとに「ん!」と感嘆の唸りを繰り返しひとり悦に入っていた。

 ――毎食これでいいぞ! と、イギリス料理は美味しくないという風評を吹き飛ばすこの朝食を前に、単純な野郎だと思われるかもしれないが、本当にそう思ったのだ。

 

 朝食を堪能すると、ボンドストリートにあるB社へ向かった。駅から大通りに出るとそのまま左へと進む。しばらく歩き道幅の広い一方通行を左に折れると、そこはボンドストリートの入り口だった。

 ここはロンドンでも目抜きの通りである。それに相応しく、通り沿いにある建物の二階の窓あたりから、ずらりと種々なフラッグが突き出ている。英国皇室御用達の老舗やハイブランド店など、それぞれのトレードカラーとロゴタイプに装飾された旗々が、両側から誇らしげに吊り下げられているのだ。ぼくはそれらのフラッグを見上げながら通りを進んだ。当然英語表記なので、たいていは左から右へ店名があらわされているが、時おり上から下あるいは下から上へアルファベットを並べているところもあり、また稀に右から左というのもあった。ところどころにイギリス国旗が掲げられており、いかにもロンドンの中心街という格調高さを顕示していた。

 オールドボンドストリートを過ぎるとニューボンドストリートに続く。その通りを1ブロック越えた右手にB社のビルがあった。厳かな白亜の建物である。間口の決して広くない玄関を通りなかへ入ると、長い廊下があった。左側はカフェになっており、右側にはずらりとテーブルが並んでいる。奥には階段があり二階へ続いている。廊下を進んでいると右手から声がした。「Kさん」白いテーブルから手をあげるSaeの姿が目に入った。隣にはマダム。「おはようございます」ぼくは近寄ってSaeの横に腰かけた。「今日の午後から混み合うだろうって」Saeが新情報を伝える。下見は午前10時から始まっているが、この時間はほとんどひとが来ていない。「早いうちの方がゆっくり見られるから、さっそく行きましょう」Saeが奥の階段へ向かい席を立った。

 二階は下見会場になっており、その上の三階がセールルームのようである。二階の会場には180センチほどの高さのガラスケースがずらりと並べられ、三段もしくは四段に仕切られているケースのなかに、ぎっしりとモノが置かれていた。その一つに向かってSaeは進んでいき、そして立ち止まった。目の前のケースの中段の真ん中に、万暦豆彩馬上杯が飾られていた。ぼくは息を呑んでそれをみつめる。「これ?」ぼくの問いにマダムがうなずく。「そう、これがわたしたちの家にあったモノ――」マダムは落ち着き払った物言いで指をさす。何かを達観したような言い方に、ぼくはずいぶんと冷静だなと思いつつ、杯に視線を合わせた。

 以前香港で見た成化年間の本歌の豆彩に比べると、色の一つひとつが濃いように思えたが、やはり豆彩らしい上品な柔らかさが全面に漲っていた。万暦五彩の特徴ともいえる文様で空間を埋め尽くす煩雑さは微塵もなく、中国陶磁の最高峰ともいうべき成化官窯の持つ気風を漂わせている。「すごいです!」ぼくは唸った。マダムが目線を馬上杯に沈ませるようにして言った。

 「一昨日、これを見たときに、すぐにわかったわ。一瞬で、うちにあったものだって。フラッシュバックしたのよ、居間のガラスケースに飾られていたときの姿が。そうしたら家族の顔が目に浮かんで……。だから、わたしは泣いたわ。大声を出して。恥ずかしいくらいに泣いたのよ……」Saeがマダムの肩にそっと手を置いた。そうかぁ、やっぱり……。マダムの思いは計り知れないものがあるのだ。以前エリタージュの馬上杯を胸で抱えるようにしてみつめていたマダムの姿が眼裏(まなうら)に映る。

 ぼくがしんみりと聞いていると、後ろから声がした。「あちらで、ご覧になりますか?」振り向くと、30歳くらいの細身の女性がにこりと微笑んでいる。Saeが彼女に手を向け紹介する。「こちらが、B社の中国陶磁部門の担当者」前髪を眉の上できれいに切り揃えたショートボブの女性が名刺を差し出した。「夏(Xia)」とある。「日本人じゃないんですか?」「はい。わたしは中国人です。でも、高校から大学まで日本で過ごしていたので、日本語は話せます」それは流暢な日本語だった。Xiaは細い腕を会場の奥へ向けた。「あちらの部屋でお待ちください」

 ぼくらはいくつかある個室の一つに通された。そこへXiaが馬上杯を両手に抱えて入ってきた。「どうぞ」と言って四角いテーブルの上に置く。「わたしたちは昨日見たから、Kさんどうぞ」Saeの声にぼくはそっと手を伸ばした。

 目の前にすると、色彩の艶がいっそう増したように思えた。宋丸さんは、エリタージュの方が上だと断言していたが、ぼくはさして違いはなくよく似ているなと感じた。横に並べて見るとその差が判るのかもしれないが、その美しさに甲乙はつけられないような気がしたのである。ぼくは少しずつ杯を回転させながらじっくりと見る。そして、赤い花文様のところで手を止めると、花の斜め左上に賦された小さな緑の釉に眼を置いた。これが、このモノがマダムの家にあったという決め手となった箇所である。

 「ここですね。緑がちょっと飛んでいて」ぼくの指先を見てマダムが答える。「そう。わたしはまだ小さかったけれど、よく覚えてるわ。その緑色」Saeが側に立っているXiaに顔を向けた。「Xiaさん。その後、これは注文が入ったかしら?」「いえ。まだです。ただ、コンディション・レポートの問い合わせは10件ほどきています」Xiaは持っているファイルに目を落とすとそう答えた。

 ――コンディション・レポートとは、作品の状態を示した文書のこと。クラックという罅(ひび)が入っているかとか、チップという欠けがあるかとか、修理の箇所がどこにあるかとか、各出品物の状態を細かくあらわしたノートがファイルされており、下見に参加できないひとや、参加するが事前にチェックをしておきたいというひとがこれを利用する。

 出品作品の状態は値段に大きく反映するので、このレポートは精確でなくてはならない。中国陶磁のなかでも官窯という宮廷用につくられた作品は、特にコンディションが重要視される。パーフェクトでないと強い値段がつかないからである。少しでもキズがあると値は安くなり、その具合によっては格段に落ち込むモノもある。現在市場をリードしている多くの中国人は、殊にこのキズの有無に拘泥する。当然キズのない完全無欠な状態であるに越したことはないが、キズがあっても生まれの良い、美質の高い作品が世の中にはたくさんあるのも事実であった。にもかかわらず、昨今市場を席巻している中国人バイヤーたちは、キズが少しでもあると、それを嫌う傾向が強い。日本人はキズを気にせず質を重視し、キズものでも喜んで買うひとが多いが、彼らは違う。極端に言うと、キズの有る名品より無キズの偽物の方を買ってしまったりするのだ。要は、お金は出すがよくモノを判っていないというひとたち――成金にありがちなまだ成熟されていないレベルのバイヤーが結構いるわけであり。裏を返すと骨董の真贋の見極めは、そう簡単に習得することができないということなのだ。

 「これはもちろん無キズですよね?」馬上杯を手にしたままXiaに訊いた。「はい。擦れた部分はほとんどないので、コンディション・レポートは、概ね良好という内容になっています」「そうなると、買い手は多そうですね……」ぼくのつぶやきに、Xiaは笑みを崩さず黙したまま二重瞼の綺麗な目を杯に向けた。

 ぼくは再び杯をみつめた。経年で生じる赤や黄色の上絵付に現れる擦れも確かに少なかった。状態はパーフェクトだ。官窯磁器は状態が命である。香港で仕入れた鉅鹿などは染みに値が付くわけだが、官窯ではそれはNG。極小の欠けがあっただけで値が半分ほどになることもある。――皇帝の器には、一点の曇りもない完璧な状態が求められるのである。

 「他に何かご覧になりたいものはありますか?」馬上杯を見終わった様子をみてXiaは尋ねた。図録の写真にはだいたい目を通していたが、馬上杯に気がそがれていて正直他のモノまで意識が及んでいなかったことに気づいた。会場を見回りながら興味あるモノを選ぼうと思い、「今来たばかりなので、ちょっとあちらを見ながら決めます」ぼくが立ち上がろうとすると、Xiaが思いついたように提案した。

 「まだ静かですので、今のうちに元青花の壺をご覧なりませんか?」「えっ、見られるんですか?」「はい。もちろんです」最も高額である元染壺を手許で見ることができるとは思わなかった。「わたしたちも昨日見せてもらって」Saeの言葉に「本当?」と驚くぼくの様子をみて、Xiaは「今、お持ちします」と言って部屋を出て行った。「きっと今日の午後からひとがどっと押し寄せてくると、たぶんガラスケースのなかでしか見れなくなっちゃうから」Saeにそう言われ、ぼくは口を真一文字に結ぶと鼻から大きく息を吸い込み、両腿を何度もさすった。三代目が20億円はすると言っていた漢宮秋の壺を手に取ることができるのだ。ぼくは胸の高鳴りを感じながら待つ。しかし……、あの華奢な女性が持って来ることができるのだろうか……? 壊しでもしたら一大事である。

 ぼくが不安げな表情で個室の入口をみつめていると、Xiaが入ってきた。手ぶらである。えっ、と思ったら、その後ろから背の高い男性が壺を持って続いた。「エクスキューズ・ミー」金髪碧眼の四十代の男性はテーブルの中央に壺を置くと、微笑みながら名刺をぼくに差し出した。ヴァイスプレジデントとある。Xiaの上司のようだ。いかにもエリートらしい精悍な顔つきで、右手を差し出した。握手をすると爽やかな笑みを浮かべ「ごゆっくり」と言って部屋を出ていった。

 ぼくは名刺をみつめ「ヴァイスプレジデントって、すごっ、副社長のこと?」とSaeに訊く。「直訳するとそうだけど、欧米では、ヴァイスプレジデントはひとりじゃなくて、たくさんいるのよ。その部署のトップのポジションというくらいの地位で、社長の下という意味ではないの」それを受けXiaが言った。「彼は英国人のいわゆるキャリアなので。そういう肩書のひとでないと、高額商品を触ることはできないことになっています」なるほど。会場には多くのスタッフがいて、下見をするひとたちの要望に応じてガラスケースのなかから物を取り出し、ケースの間のデスクの上や奥のスペースに設置されたテーブルに持ち運んでいる。皆若いひとたちで、もちろん慣れてはいるだろうが、粗相があってはならないわけであり。さすがに高額商品となると、しかるべき地位の社員しか触れないのは当然だろう。すると、それを見る方のひとたちはどうなのだろうか。取り扱う側よりも見る側の方に、リスクはあるように思える。下見会場に参加するひとたちすべてが、取扱いのプロではない。ずぶの素人だっているはずだ。万が一のために保険はかけているだろうが、この元染壺を手に取りたいというひと全員を受け入れるものなのだろうか。

 「これって、見たいひとは誰でも、手に取って見られるんでしょうか?」Xiaは首を横に振り「いいえ」と答えた。「これを買われるであろう重要顧客か、もしくはよく知っている古いディーラーか。こちらで選択をしたひと以外は、お断りをしています」それを聞きぼくはSaeに目を向けた。それを見てマダムが言う。「そう。つまり、Saeさんと一緒だから、わたしたちは手に取ることができるわけよ」Saeが笑って答えた。「正確にいうと、わたしじゃなくて、わたしの父よ」エリタージュにある中国陶磁の一大コレクションは、Saeの祖父が大元を築きファーザーがそれを受け継ぎ成してきたもので、世界的にも知られていた。各オークションハウスも一目置く存在なのである。

 ぼくは改めて、主役の名品に目を注いだ。そこには、写真では伝わらない迫力があった。原料であるコバルトをふんだんに使った青花の濃厚なブルーが目に沁みる。特にたっぷりと載った部分は、青を通り越して黒に近い照りをみせている。そして、なんといっても画力の凄さだ。聳え立つ岩肌の大胆な描写と、女性の衣装の細かい柄文様にみえる繊細な線の筆致など、専門の絵師でないとあらわせない超絶さが随所にあった。

 元はモンゴル民族による国家で、それまで中国を支配していた漢民族を低い層に堕とし虐げたといわれている。これは、宮廷画家の地位をはく奪され片隅に追いやられた漢人の名手が、その思いの丈をぶつけて描いた渾身の作といっても過言ではない。それほどの迫真性に満ちあふれていると感じた。いかなる背景はあろうが、優れた作品には作者の魂がこもっているものである。ぼくは圧倒され、壺に描かれた絵をしばしみつめていた。これから異国へと旅立つ王昭君の浮かない表情が眼に入る。それはより現実味を帯び、ぼくをもの悲しい気分にさせた。

 Saeがテーブルに両手をついて壺に顔を近づけ、ふっと笑った。「やっぱり、凄いわね。間近で見ると」ぼくは口元を緩め冗談めかして訊いてみた。「買わないの?」「ふふ。そうね。たしかに、こんなのがあったら最高でしょうけど、さすがに、ちょっとねぇ……」そう言うと、ゆっくりとXiaに首を動かした。「こちらはもう注文が結構入ってるんじゃないかしら?」すぐにXiaが肯(うなず)いた。「はい。現在のところ電話ビッドが7~8件入っています。おそらく、当日は20台用意してある電話が全部埋まるでしょう」マダムが納得というような顔をし、「これだけのモノだから、たいへんな金額になりそうね」「じゃあ、23億円、超えますか?」ぼくの頭に三代目の言葉が浮かぶ。「いくかもしれないわね。ここのところの過熱ぶりをみると」マダムはそう言うと小さな笑みを漏らし、王昭君の顔の部分を指先でそっと撫でた。

 

 その日の午後は別行動となり、ぼくは独りメモ書きの紙を持ち、Saeのいるホテルからすぐ近くのマウントストリートを歩いていた。曇りがちであった空は、すっかりと晴れわたっている。三代目によると、マウントストリートはいわゆる骨董街の一つで、以前は名店が軒を連ねていたようだが、最近では通りの様相も変貌し古美術店もめっきり減ったということだった。そのなかで唯一といってもよいくらい残っている名店があり、そこではたまに往年の蒐集家の旧蔵品が出るという。半世紀前までは英国にも貴族階級の名コレクターが数々いたが、世の趨勢とともにこうした特権階級の富が失われていくと、営々として築かれた名コレクションも、主(あるじ)の死にともなって散逸するケースが一般的となった。これを引き継ぐことのできる蒐集家がイギリスに現れなかったことで、百年以上続いた固陋(ころう)な老舗が次々と終(しま)うことになったのである。

 「どうやら、ここだな」ぼくは古びた煉瓦造りの建物の前で手にしたメモ書きを確認し、もう一度店の外観を見回した。どこを見ても特に店の名前らしきものがなく、厳めしいフラッグも突き立てられてもいない。本当にここだろうかと、ぼくは首を傾げ不安気に入口のガラス戸の前に立った。するとその扉の上方に伝統的な欧文フォントで店の名前が記されていた。それを見て、やはりここでまちがいないと、そっと扉を開いた。「すみませ~ん」声を出してなかへ入る。そこは、濃いベージュ色の壁に囲まれた、いたって質素なギャラリーだった。一面に敷かれたモスグリーンのカーペットが、英国らしい重みを感じさせる。

 やがて、チャコールグレーのスーツを見事に着こなしたひとりの老紳士が現れた。刻まれた深い皺が七十を優に越していることを思わせる。この店の主人のようだ。背丈はぼくと同じくらいだったが、背中が大きく丸まっているので一見小柄にみえた。老紳士は、まるで深い芝の上をゆったりとした足取りで歩む駱駝のように、口元の皺を引き上げながら静かにぼくに近づいてきた。

 「ようこそ、おいでくださいました。お客さま」貴族に仕える執事のような物腰の柔らかい言い方だった。ぼくは慌てて挨拶をした。名刺を差し出し、三代目の名前をあげながら本日参った旨を伝える。すると、大きな瞳が細く下がり「こちらへ、どうぞ」と片手を後方へ広げ、ゆっくりと身体を回した。それにつれ湾曲した背中が目に入る。ぼくは老紳士の背をみつめながら、奥にある応接室に向かっていった。

 部屋は、テーブルを挟んで二人掛けのソファがあるだけの簡素な設えだった。日本であればお茶が出てくるのだろうが、ひとりで切り盛りしているのか、他に人の気配がない。老ディーラーは隣の商品棚らしきところから、一点一点緩やかな動作でモノを運んでくると卓の上に置いた。皆寸法の小さな皿だった。そのなかで、北宋時代の影青(インチン)と呼ばれる青白磁の色が際立っていて、ぼくはそれを手に取りしばらく陶然としていた。「うつくしいです」老紳士はぼくの反応に笑みを浮かべると、大きな鷲鼻に小ぶりの丸眼鏡をかけ、「これは、英国東洋陶磁学会の展覧会に出品されておりますから、特別に優れた作品でございますよ。お客さま」と言って器を裏返し高台内に指をあてた。そこは「Oriental Ceramic Society」と印刷された楕円形のシールが貼ってあり、中央の空欄に「1954」と数字が万年筆で書かれている。おそらく、1954年の英国東洋陶磁学会の展覧会に出品されているということだろう。

 ――英国東洋陶磁学会(Oriental Ceramic Society)は、1921年にイギリスで発足した世界で最も権威のある陶磁学会である。この展覧会に出品されることは、コレクターにとって名誉なことであり、来歴を重視する現市場では大きなアドバンテージにもなっている。この影青の小皿は、ロンドンでも数少ない昔を知る店に相応しい一品といえた。

 老齢の美術商は、再び商品棚の奥に消えた。三代目によると、彼はもともと高名な老舗の番頭を務めていて、その店のクローズにともない、独立して店を出したということだった。長きに亘り英国の良き時代の名立たる蒐集家と交わり、古美術の髄を存分に味わってきたのであろう。この質実な雰囲気からすると、現市場に乗って利益を追求する気はさらさらなく、自分の扱ってきた品々を、少しずつ丁寧に思いを込め、数寄者のもとに送り出しているように思えた。

 老ディーラーは小さな白い支那箱を大事そうに抱えて戻ってくると、弓なりの背中をいっそう丸めるようにしてテーブルの上に置き、屈みながら上蓋を開いた。なかにはこれも小ぶりな皿が入っている。皿の両端を丁寧につまんでぼくの目の前に差し出した。径6~7センチの至極小さな皿で、日本でいうと、塩を盛る「塩皿」くらいの寸法である。染付で何やら文様が描かれているが、一目では判らず、ぼくは手に取るとぐっと顔を近づけた。

 見込み中央には、長い提げ手を持つ竹籠と、そのなかに散りばめられたいくつかの花々が軽やかな筆致で繊細に描かれていた。俗に、花籠(はなかご)文という吉祥図案であり、その周囲を松、竹、扇子などの文様が舞うように巡らされている。おめでたい図柄として時どき目にする文様であった。

 よく見ると、艶やかな染付のコバルトの色の上に、赤と黄で極小の点がちらほらと置かれている。ちょうど竹籠の下と提げ手の部分に、ちょこんと付いているのだ。それがなんとも可愛らしかった。裏を返す。二重円圏内に、「大明萬暦年製」銘が染付の二行書きで記されていた。銘の書体からして本格的な万暦官窯の作品である。その高台内の銘の左側に一つシールが貼り付けてあった。コレクターのイニシャルだろうか、「RAB」の太文字が地の山吹色にくっきりと浮かんでいる。

 ぼくは再び返して見込みをじっと見た。紫がかった濃いコバルトの色が、万暦官窯らしい特徴を示している。特にこれは、滑らかで鮮やかな発色を呈しており、上手(じょうて)の作と判った。そして、そこに賦せられた赤と黄色の僅かな点にじっと眼を置いた。これはいったい、どういうことだろう――。

 万暦官窯の主流は、青花磁器の上から、赤、緑、黄、茶などの色を載せた色彩豊かな五彩(ウーツァイ)と呼ぶ作品である。日本では、色絵とか赤絵と呼び、なかでも万暦の作は「万暦赤絵」と呼んで殊にもてはやされた。もちろん上絵付のない青花のみの優品も数あるのだが、万暦官窯の真骨頂は、種々な色で覆われた五彩磁器なのである。

 五彩の手法は、青花磁器をつくった後に、様々な色を釉の上に配し、再び低温焼成して焼き付ける。つまり、二度窯に入れることで完成するのだ。手間がかかるこの工程では、当然コバルトの青よりも、上絵の赤や緑といった色に比重が置かれるわけであり、その華やかさを獲得したことにより、中国陶磁は新たな境地に入ったともいえる。

 そのなかにおいて、これは相当な異色作だ。作品的にみれば、青花だけで充分完結しているのだが、ほんの少々赤と黄を使っている。せっかくもう一度窯に入れるのだから、もっと色をさして上絵を強調したらよいところを、あえて赤と黄の点彩だけに留めているのだ。そこには、官窯とはいえ陶工の遊び心を匂わすような小洒落た面白さがあった。そして、その瀟洒な趣が、かえって品格ともいえるある種の威厳を、僅か6~7センチの豆皿に与えているように感じた。

 こんなに小さいのに、充分な気品を放っている。正に、官窯中の官窯だ。ぼくが眼を爛々と輝かしながら小皿をみつめていると、老ディーラーは再び支那箱のなかに手を入れ、浅い底から掬うようにして、もう一枚小皿を取り出しぼくの前へ置いた。新たに出された小皿を見て「えっ」と声を漏らす。同じ図柄で、同じように赤と黄の上絵が点々と付いている。その位置は微妙に違っていたが、同手の作品だった。一枚でも珍しいのに、二枚もあるのか――。ぼくは思わず目を丸めて老店主の顔を見上げた。彼は愉しそうな笑みつくりながら、裏を返した。同様に万暦銘が記され、これも同様に「RAB」の文字シールが貼り付けてある。そのシールに皺枯れた人差し指を当てると、老店主はゆったりとした口調で語り始めた。ぼくはそれに応じ、肯いたり首を振ったりした。

 

 ――リチャード・バーネット。お客さまは、この名前をお聞きになったことはございませんか?  そうですか。……そうでしょうねえ。お客さまはお若いのでお知りにならないでしょうが……。それでは……どうでしょう、パーシヴァル・デイヴィッド卿の名は知っておられますかな? そうですか、知っておられる。はい、そうでございましょう。中国陶磁のコレクターではあまりにも有名ですからねえ。バーネットさまは、そのデイヴィッド卿がおあつめになられた時期に、同じように中国陶磁を蒐集された有名なコレクターなのでございますよ。いえいえ、今では知らない方も多くなりましたので、お気になさらずに。それはもう、たいそうなお目利きでしてねえ。バーネットさまは、あのデイヴィッド卿が一目置いたほどの名コレクターでございました。わたくしどもの若い頃には、イギリスにもこうした見識の高いコレクターがたくさんいたものです。皆さまお亡くなりになって、コレクションも散逸してしまいましたが……。バーネットさまには、若い時分からご贔屓にさせていただいておりましてねえ。このシールは、そのバーネットさまの所蔵品に付けられております。「RAB」。このマークのモノをみるとねえ、やっぱりすごいなあと感服の至りといいますか、審美眼の高いおひとだったんだと、つくづく思いますねえ。ほんとうに。

 

 老ディーラーは目を細めるとゆっくりと深く首(こうべ)を垂れ、両方の指の先をそっと小皿の縁に当て、慈しむようなまなざしをそれに注いだ。ぼくも裏面の「RAB」に目を落とした。リチャード・バーネット――。「R」と「B」はその頭文字だろうが、真ん中の「A」はいったい何だろうと疑問がわいたが、このときそれは、ぼくにとってどうでもよいことであった。それを問う前に、ぼくは訊きたいことがあったのだ。――この小皿の値段である。ぼくは、どうしようもなく、この瀟洒な一品に魅了されてしまっていたのだ。

 

 ――お値段ですか? お気に召されましたか。ありがとうございます、お客さま。こちらは、二点一組になってございまして、お値段は、2万ポンドでございます。

 

 2万ポンドというと、日本円で約400万である。う~む……。ぼくは腕を組み、首をひねった。そりゃあ、そうだろう。小さくても、秀抜な作品である。簡単に買える額のはずはない。ぼくは大きく一つ息を呑み込むと両腿に手を置き背筋を伸ばし、粛然とした気持ちで目の前に並んだ二つの小皿を交互にみつめた。正当な美しさと可愛らしさの両方が、この僅少の皿にあらわれている。英語であらわすと、ビューティフル&チャーミングとでも言うのか。なんと、心をくすぐる作品であろうことか。ぼくは深く眼を閉じるとしばし熟考し、そしてある結論にたどり着いた。二つで400万なら、一つだと200万か。よしっ。一つなら、何とかなりそうだ。ぼくは尋ねた。

 

 ――おひとつでございますか? わかりました。それは、どうもありがとうございます。それでは、お客さま。少しだけわたくしの話に耳を傾けていただけますでしょうか? よろしいですか? はい、ありがとうございます。これは、世にも珍しい品物です。一点だけでも充分な価値がございます。ですから、おひとつだけおもとめになりたいというお気持ちは、まったくよくわかります。しかし、こういう稀なる品は、もともとペアでつくられている場合が多ございます。中国陶磁は、装飾性の強い大形の瓶や壺、それと極小の珍奇な置物などは、たいてい対をなしてつくられるものでございます。これもその一つだと思います。おわかりかと思いますが、これは極めて稀有な作品でございます。わたくしも長年中国陶磁に携わってきましたが、ついぞこの二点しか見たことがございませんでしたよ。ああ、ごめんなさい。話が長くなってしまいましたねえ。でも、もう少しそのままお聞きくださいませ。

 この裏のシールをご覧ください。先ほど申し上げましたとおり、これはリチャード・バーネット旧蔵品でございます。バーネットさまは優れたコレクションを築きましたが、亡くなられた後は、奥方さまがそれを受け継いでコレクションを拡げました。ミセス・バーネットも旦那さま同様、いやそれ以上の高い鑑識眼をお持ちの方でございましたよ。それは、もう、びっくりするくらいの。今、お客さまの左にあるお皿ですが。はい、それです。それは、旦那さまがイギリスで手に入れたものでございます。あるとき、同じようなものがもう一点あることが、英国東洋陶磁学会の権威ある学者によって判明したのです。お客さまの右にあるお皿です。そうです。それが、イタリアフィレンツェの高名な蒐集家のもとにあったのでございますよ。このお方は、たいそうなお屋敷に展示室を設けて、ご自身のコレクションを飾られていました。バーネットさまが亡くなった後、奥方さまは足しげくフィレンツェの御屋敷に通い、そのお方と交流を深め、そして約束を取りつけたのでございます。この皿は自分が亡くなった後はあなたに譲る、といったお約束を。奥方さまは、よほど執着されていたんですねえ。この小さなお皿に。それはまるで、ご自分に課せられた使命であるかのようでございました……。しかし、なんということか、そのお方がお亡くなりになった直後、すべてのコレクションが遺族のひとたちによって売り払われてしまったのです。奥方さまの落胆ぶりは、それは凄まじいものでした。見ていられないくらいでしたよ。わたくしどもは、もういたたまれなくなって、懸命に小皿の行方を追いかけたものでした。

 しかし、みつかりませんでした……。それから、どのくらい経ったでしょうか。十年くらい後の話だったと思いますねえ、あれは。奥方さまが久しぶりに、旦那さまの故郷であるスコットランドエジンバラを訪れたときのことでございました。小さな骨董店に、この小皿が並んでいるのをみつけたのでございます。なんという奇蹟でしょう。いや、奇蹟ではない、これは旦那さまが引き合わせたんだって。もっぱらわたくしどもは、そう思ったものでしたよ。そのときの奥方さまのお喜びようったら、それはもう。あのおうつくしいお顔をくしゃくしゃになさって……。今でも目に浮かびますよ。わたくしも一緒に涙したものでございます。

 ――奥方さまのお名前ですか? はい。アンでございます。Anne。バーネットさまのコレクションは、旦那さまと奥方さまのおふたりで築かれたものでございます。ですから、シールには「RAB」の三字がご夫妻の絆を示すように、太い文字で記されております。そう考えますとこの二枚の小皿は、バーネット・コレクションを象徴するものかもしれませんねえ。実に、まったく。

 だから――、離れ離れにしたら、不可(いけ)ません。わたくしは、そう思うのですよ。お客さま。

 

 了解した! とぼくは思った。そして、言った。もう一日待ってください、と。老齢の美術商は曲がった背中を微動だにせず、結構でございます、と優しく微笑んだ。よしっ、こうなったら、頼るところは一つしかない。ぼくは上着の内ポケットから携帯電話を取り出すと、Saeに連絡をとった。

 

 

 「それは、ギルのお店ね」Saeの長い髪がそよ風にふわりと揺れた。

 ぼくは、メイフェアにある小さな公園のベンチに座り、豊かな緑の風景を眺めながら思案していた。出発前にF会長から定窯碗の入金があり少し余裕ができたが、さすがに400万となるとぼくの全財産に等しいわけであり、悩ましいところであった。ただ、あの小皿のストーリーを聞いた以上は、一つだけ買うわけにはいかず。そうなると、取り敢えずSaeに立て替えて支払ってもらい、日本に戻ってから返そうと考えていたのだ。

 「Kさんさえよければ、パパに買ってもらえるんじゃないかしら。そんなに珍しいモノだったら」「そりゃあ、そうなってくれたら嬉しいけど……。でも、無理に勧めたくはないし」「わかった。取り敢えず、わたしの方でギルに話すから、代金はこちらで送金するわ。そうしないと、品物を受け取れないでしょ?」ぼくは深く頭を下げる。「そうしてくれると、まったく、ありがたいです」

 5月中旬のロンドンは、翌月からのベストシーズンに向け、日も長くなり晴れる日も増え、過ごしやすくなっていた。こうして静かな公園のベンチでのんびりしていると、東京の喧騒が慌ただしく感じられ、都会的とはいったい何だろうという思いがぼくの胸に浮かんだ。上を見あげた。透き通った青い空が広がっている。ぼくはその青の色をみつめながら、この空は東京よりもずっと遠くにあるような感じがした。大学時代に一度ベトナムホーチミンを訪れたことがあったが、あのときの空の色は、今にも落ちてきそうな強い藍色をしていた。イギリスの空の色は、今まで見てきたどこのそれとも違う、何か不思議な清らかさがあるように思えた。冬になると日照時間が短くなり、毎日のように重苦しい鉛色に包まれ、夏であっても移ろいやすい灰色の雲に覆われることが多い――そんな場所だからこそ、この青い空の色は、何か尊さを持って遥か彼方からやってくる、そういうもののような気がしたのである。そして、その魅力的な空の色と重なるように、ギルという背むしの老美術商の姿が瞼の裏に映った。それは、この青空と表裏一体である英国らしさなのかもしれないと、ふと思ったのだった。

 

 Saeがくすりと声をたてた。「ん? どうしたの?」「だって、今、こうして、ロンドンの公園でKさんと一緒にいるなんて……、なんか不思議。一年前は想像もしてなかったから」「まあ、たしかに、そうだね」Saeは手を合わせると両腕をまっすぐ前に伸ばし、ぼくの顔を見ながらキュッと口角を左にあげ微笑んだ。アクアスキュータムのスーツが公園の景色と調和している。Saeはゆっくりと腕を下げると、合わせた両手をチェック柄のスカートの上に置いてうつむき、「わたし……、将来パパから仕事を受け継がないかって、言われているの」とつぶやくように言った。「わたし、ひとり娘だから、いずれお婿さんをとって、家を継ぐのかなあって思っていて。それも、いいかなあと思うんだけど。でも何だか最初から、敷かれているレールに乗っかるみたいで……」

 微風にSaeの長い黒髪がまた揺れた。それを整えるように指先でいったん髪を梳くと、大きな瞳をぼくの顔にあてた。「Kさんみてると、なにか、生きてるなあって気がして」ぼくは思わず吹き出した。「なんだよ、急に。生きてるって」Saeの真剣なまなざしをぼくは見返す。「ただ、もがいてるだけだよ。ぶざまにさあ」Saeは首を横に振った。「違う。ぶざまなんかじゃないわ。Kさんの眼、とても活き活きしているもの」彼女は瞳に力を込め問うた。「充実しているでしょ? 今?」

 三年前に会社を辞めてから、いや、辞める前のことまで含めて考えてみると、今は確かに愉しいと思った。将来に対する不安はもちろんあるが、その不安すら気にする余裕もないのが本当のところであって、それはつまり、充実しているってことなのだろうか。今は正直、一日一日のことしか考えられないのだ。

 「うん。まあ。そうかも」ぼくは少し間をおいてからそう答えた。Saeがふっと笑みを浮かべた。「わたしもよ。実は今、充実しているの。Kさんや、マダムと一緒にいると、生きてるって感じがする。でも、そうじゃないときは……、なんか……、生きてないっていうか……」Saeは再び長いまつ毛を下に向けた。意外なその言葉にどう答えてよいかわからず、ぼくは少しのあいだ口を閉ざした。やがてSaeはぼくの顔をじっとみつめると、二度大きく瞬きをし、覗き込むようにして訊いた。「ねえ、Kさん。今わたしのこと、お嬢さまのくせに悩みがあるんだって、そう思ってるでしょ?」「いや、いや、決してそんな……」「本当に?」「うん、本当。でも……、きみもそうやって、悩むんだなあって思うと……、ちょっと、びっくり」「ほら、同じことじゃない。やっぱり、そう思ってる」Saeは口をとがらせた。ぼくは答えた。「違うよ。でも……、なんか……、うん。ほっとする」「えっ、何? ほっとするって?」Saeは不思議そうな顔をして、しばらくぼくに目線を注いだ。そして、ふっと口元を緩めると、「Kさんって、相変わらず、面白いわね」と言って、両手で口を覆うと身体を小刻みに揺らし、くっくっと笑い出した。

 ぼくはこれまで、Saeのことをお嬢様だからといって距離を置いてみたことはなかった。しかしどこか心の隅で、自分とは違うという思いがあったことは否定できない。Saeも自分自身の将来に悩みを抱いていることを知り、なんだか身近に感じて、心がやわらいだような気分になったのである。

 Saeは笑ったかと思ったら、大きな瞳をかすかに細めて遠くを見やり、「わたし……、これでいいのかなあって。いっつも、不安なのよ……」と言って口を結んだ。

 ぼくの目の先に、ゆるやかに流れていくちぎれ雲が映った。やがてこれは、風に吹かれて大海を渡っていき、そしてそのあとはどうなっていくのか。途中で消えゆくのだろうか、それともまた大きな雲に吸収されていくのだろうか。はたまた同じ形を崩さずに進んでいくのだろうか。その行方の誰も知らない小さな雲の群れを、ぼくはしばらくぼんやりとみつめていた。

 

 「さあ、ギルのことろへ行きましょう」Saeが勢いよくベンチから立ち上がった。「そのあと、もう一度下見会場へ行きましょう。マダムも待ってるわ」「うん。了解」薄い雲がかかりやや翳りをみせた緑のなかの小径を、ぼくはSaeと並んで歩き出した。ほどなくして、Saeが再び口元に手をあて、くすりと笑った。「何?」ぼくの問いかけにSaeは「ううん」と小さく首を左右にふって、「Kさんって、面白いわね」と先ほどと同じ台詞をつぶやくとまたくすりと笑った。そして、笑いながら急に歩く速度をあげた。「えっ、何が?」ぼくが彼女に顔を向けたとき、雲の谷間に隠れていた太陽が一瞬顔をのぞかせた。その陽光がポプラ並木に反射して、Saeの上着の格子柄の模様をいっそう際立たせた。

 

  (第44話につづく 2月26日更新予定です)

青花花籠文小皿一対 明・万暦在銘

 

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骨董商Kの放浪(42)

 ロンドンへ出発する前日の大型連休明けの月曜日。ぼくは月二回美術倶楽部で開かれる或る個人会に参加していた。この市場(いちば)は雑多なモノが大半を占めるが初生(うぶ)口が多いことで知られ、そのなかには一級品も混ざっていて時おり高値まで競り上がることもある。よって、百五十人ほど参加する業者たちにも幅があった。会場の床を覆う赤い敷物の上に足の踏み場もないほどの荷物が並べられていて、皆モノとモノとの僅かな隙間に足をつっこみ身体を折り曲げながら下見をしている。ぼくが低い姿勢で縄文土器の破片の一群を一つひとつ手に取って見ていると、後ろから声がした。

 「明日から、ロンドンだろ?」才介である。「うまく買えるといいな、マダム」才介も屈んで、土器の欠片を手にする。「うん」「おれも行きたかったんだけどな。遠いし、費用かかるし」と苦笑しながら、隣の唐津風の盃をつまんでちらりと裏を返すとすぐに戻し、壁面に置かれている花瓶の一口に歩を進めた。グレーのパーカーの背中に向け、ぼくは訊く。「今日、三代目、来るかなあ?」「うーん。この会、来るときと来ないときがあるからなあ」壁面の飾り台に並んでいるモノをさらっと目で流しながら、「まだみかけてないけどね」才介は入口付近にある荷の塊に向かっていった。

 今日この会に来たのは、仕入れはもちろんのことであったが、主要な目的は三代目に会うことだった。あの馬上杯の値段に関して、三代目の意見を知りたかったからである。先日宋丸さんの見解を受けて三代目はどう考えるか。是非とも彼の予想価格を聞きたい。会が始まってしばらくみえないようだったらお店へ伺ってみるか。その方がゆっくり話せるし――とぼくは思っていた。

 結局二時間ほど待ったが三代目は現れなかった。電話で済む内容でもあったが、直接会って訊いた方が腹に入ると思ったので、ぼくは南青山へ向かった。

 相変わらず一見(いちげん)を寄せ付けない威圧感のある建物の扉をそおっと開ける。アポを取っていなかったので、特に静かに取っ手を引いて、「すみませーん」とか細い声を出しつつなかに入る。と同時に来客を告げるピロロンという音が店内に響き、それにぼくがびくついたところで若い女性社員がやってきた。三代目は在店しているようで、ぼくは一階にある二つの応接間の大きい方へ通された。「少々お待ちください」女性は扉を閉めた。

 床の間には李朝白磁の壺が飾られていた。高さが20センチくらいで胴部が面取りになっている。その一部分にこぶし大の染みがじわっと入っていた。ぼくは近づいてそれを手に取る。この染みは、内側から入ったものであった。おそらく油か何かを容れてあったのだろう、内面に濃い黄土色が大きく広がっている。鉅鹿(きょろく)とは異なるタイプの染み模様だったが、それが李朝白磁らしい景色を出している。そこに三代目が入ってきた。「すみません。勝手に触ってて」「どうぞ、どうぞ。ゆっくり見てよ」と、いつものすがすがしい顔で手のひらを向けた。ぼくは白磁を敷板の上に戻すと、「意外ですね。李朝が飾ってあるなんて」「そお? うちは、東洋古美術全般やるからね。李朝も専門だよ」「そうでしたか」座ったぼくの前にお茶が出される。

 「どうしたの? 突然」「はい。ちょっとお訊きしたいことがありまして」ぼくはお茶を一口飲んでから切り出した。「明日からロンドンへ行くんですが」「行くんだ、ロンドン」「はい」「ぼくも行こうかと思ったんだけど、用事が入っちゃって。それに買うモノなさそうだし」「それで、そのセールに、万暦豆彩の馬上杯が出ているじゃないですか」「うん。出てるね」「いったい、いくらくらいになりそうかと思って。それを知りたくて……」「ふうん、あれかぁ」

 三代目は立ち上がり部屋を出て行くと図録を持って戻ってきて、頁を開いた。「これねえ……」落とした目をすぐこちらに移し「買うの?」と訊く。「ぼくじゃないですが。競ろうとしている知り合いがいて。どのくらいになるのかと……」「なるほど。値段かあ……、難しいね」三代目は顎をさすりながら「エスティメートはかなり抑えられているけど……どのくらになるのかなあ……」と小首を傾げ考えている。ぼくは続けた。「この間、宋丸さんに尋ねたら、5000万出さないと買えないっていうようなことを言われまして……」「5000万!」三代目は目を見開き「そりゃ、宋丸さんらしいね」と言って口元を緩めると腕組みをし「う~ん。そこまでは、いかなと思うけどねぇ」とさらに首を傾けた。「そうですか」「まあ、どうだろう……1500万から3000万ってとこじゃないかなあ。ざっくりとだけど」――これは犬山の勘の値段あたりである。

 三代目は両手で図録をやや高く持ち上げ写真をみつめると、「パッとみたところ、2000万出すひとはいるだろうけど、3000万となると限られるね。……万暦だからね」「万暦だから?」「うん。万暦は、今の中国人バイヤーの趣味とはちょっと違う。もともと日本人好みだから、宋丸さんなんか昔を知っているひとは強く踏むだろうけど、今の市場では決してそう高くならないと思うよ。ただ、そうはいっても、これは成化を写した稀な豆彩だから、日本人より中国人が買うんじゃないかな。でも、本歌とか今流行りの清朝官窯なんかと比べると、飛び抜ける値段までにはならないと思うけどね」三代目は図録を広げたままテーブルの上に置いた。

 ――万暦は明時代の後半から終盤期にあたり、50数年という長い治世のなかで夥しい数の官窯磁器が景徳鎮で焼造された。そのほとんどが皇帝の住まう紫禁城(しきんじょう)や円明園(えんめいえん)などの離宮に置かれたが、一部分は明代末期に流出し日本に渡ってきている。江戸時代の初め頃だ。こうしたモノは抹茶の世界で殊に珍重され伝世した。特に赤絵と呼ばれる五彩磁器が高い人気を誇り、「萬暦(ばんれき)赤絵(あかえ)」の名で近代以降も趣味人に尊ばれている。

 今回の馬上杯は、五彩のなかの豆彩という手法でつくられたモノ。豆彩の本歌は成化官窯で極めて稀少品。よってこの間の香港セールのように小ぶりなものでもトップの値が付く。成化豆彩を写した作は清代官窯でも制作されており、本歌ほどではないにしろ出てくると結構高い。これは万暦につくられた倣古作。清代の整然さとは異なるが、万暦特有の大らかさのなかに成化官窯の高い品格があらわれている。またその稀少性も加味されると、やはり中国人が買いにくることは相違ない。

 

 「実は、エリタージュにある馬上杯ですが……」ぼくは開いた頁にいったん目を向けてから、話しを始めた。「あれに古い領収証が付いていまして。昭和45年の」「へえぇ、本当? 当時、いくら?」興味津々というまなざしを受け、「1200万だったんです。昭和45年で」とやや語気を強めぼくは答えた。それに対し「ほおお」と、三代目はそう驚きでもない反応をして背もたれに体重をかけると、目線を上げ数度小さく首を動かした。「昭和45年というと、1970年かぁ……。中国陶磁が良い時代だな」「良い時代ですか?」「うん。日本が高度経済成長期まっただ中で、中国陶磁が一番高かった頃だよ。『鑑賞陶磁』が流行したピークのときだね」

 ――「鑑賞陶磁」とは、茶道具とは一線を画する中国陶磁蒐集の一形態。中国陶磁は、日本では古来から茶道具の観点で蒐集がなされていたが、昭和初期以降、鑑賞美術の対象として捉える欧米流の蒐集スタイルが確立されるようになると、それは1960年代から70年代にかけて流行し、名蒐集家による大規模なコレクションが次々と形成されたのである。

 「あの当時だったら、そのくらいはしたんだろうなあ……」三代目は宙をみつめ半ば陶然とした表情を浮かべた。「今だったら、いくらに相当するのでしょうか?」ぼくの問いに若き経営者は首を横に振った。「いや。そんな、今に当てはめて考えたら駄目だよ。美術品というのは、そういうものじゃない。そりゃあ、貨幣価値からすれば、当時の5~6倍くらいだろうけど」ぼくは即座に計算する。「というと、6~7千万ですか?」「まあね、単純に計算するとね……。でも、美術品の価格というのは、そんな簡単に算出できるものじゃない。あの当時は、お金持ちと庶民との格差も大きかっただろうしね。今と比べ物にはならない」

 昭和45年の1200万は最盛期に流通したトップクラスの価格であり、それを現在の貨幣価値に当てはめて計算することは適正でないことは理解できた。また当時の中国陶磁の値段は、市場(マーケット)を主導していた日本人の趣向によりつくられたもので、現在の中国人市場の価格とはまた異なる。

 

 馬上杯についてひと通りの話しが済んだのち、三代目は開かれたところから頁を右へめくり出し、手を止めると図録を返しぼくの目の前に向けた。「しかし、今回は、なんといっても、これだよ」そこには馬に乗った三人の女性を描いた元染の壺があった。カタログの表紙を飾っている作品である。「こんなの、なかなか出るモノじゃないよ」興奮気味に人さし指で頁を数度叩く。「何かの物語の場面ですかね?」ぼくの質問に「うん」と答えると、開いた図録をテーブルに置き、お茶を一口飲んでから説明を始めた。「この作品は、元曲(げんきょく)に取材した図で――」

 ――元曲とは、元時代に隆盛した雑劇と散曲を総称した古典劇のこと。当時絵入りの版本が流布していたことから、元青花の文様となる人物意匠や背景などはそこから引用されているのである。

 「これは、『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』の名場面――」

 ――「漢宮秋」とは、前漢王朝の皇帝元帝(げんてい)とその後宮の一人王昭君(おうしょうくん)との悲恋の物語として有名。匈奴(きょうど)の単于(ぜんう)の圧力に屈した元帝は、寵愛していた王昭君を泣く泣く差し出さねばならなくなった。表紙にもなっているメインの図様は、王昭君が漢国から匈奴国へと旅立つシーンが描かれている。お付きの宮女二人に挟まれた王昭君の表情は不安に満ちており、展開写真では、鷹を腕に載せ馬に乗った屈強な匈奴の武将たちが王昭君一行を先導する様が、また場面転換に使われた大きな岩場の先には、梅の枝を手に美女の到着を待ち構えている口髭を蓄えた単于があらわされている。コバルトの濃淡を自在に活かした描写は、画院の画家の手によるものと思われ、名場面を劇的に描ききっている。

 

 「こうした元曲に基づいた絵画的な作品は、数が少ないんだ」図録を手にしたぼくをみつめ三代目は続けた。「元染っていうと、モンゴル王朝の時代だから、イスラム圏に名品が多数運ばれたんだけど、こうした元曲を題材にした作品は国内向けに限定的につくられたといわれている。だから、数が少ない。しかも、みんな出来がずば抜けている。おそらく絵付けは、プロの絵師が描いたんだろうね」

 たしかに、王昭君や付き人の細緻な意匠の柄は細い筆先を巧みに操り、ダイナミックにあらわされた岩山は力強い筆の運びで一気に仕上げられている。コバルト一色を柔軟に使い分けたその画力は、まさに宮廷画家の手によるものといえるだろう。

 三代目の話しを聴きながら、ぼくは展開写真を目で追った。思い起してみると、今まで見てきた書物にある元染壺の主文様は牡丹唐草がほとんどで、あっても蓮池水禽(れんちすいきん)である。人物図というのは確かにあまり見ない。しかもこれだけ見応えのある図様となると先ずないであろう。出色の作品である。

 「これは一見の価値があると思うよ。用事がなければ、ぼくも見に行きたいところだけどね。――だから、燃えると思うね、この一点は」三代目は深い笑みでゆったりとうなずいた。「燃えますか?」ぼくの問いに「うん」と言って、「20億円くらいいくかもね。最近の高騰ぶりからみると」と答える。20億となると評価額の3~4倍である。三代目は図録を手許に引き寄せると改めて頁に目を落とした。「ひょっとしたら、レコードつくるかもなあ」

 ――これまでの中国陶磁最高額は23億円。昨年香港で出品された清朝雍正(ようせい)在銘の琺瑯彩(ほうろうさい)と呼ばれる小碗についた値である。ただそれまでは1989年につくられた唐三彩大馬の9億円であった。当時世間をあっと言わせ15年にわたり破られなかった大記録は、ここ数年であっけないように塗り替えられていった。昨年から今年にかけてのマーケットをみると、10億超えはもはや驚きではなくなっている。なので、今三代目の口から出た数字も決して大げさなものではなく、妥当な額といってよいだろう。中国陶磁市場は、中国大陸のバブル経済を背景に、ここ数年で急激に膨張しているのだ。

 

 ぼくは再び漢宮秋の名場面が描かれている壺の展開写真をじっとみてから、左頁の解説文に目を移した。「PROVENANCE」の表記の下にこの壺の来歴が記されている。それによると、1930年代から英国の著名なコレクターのもとに蔵されていたとあり、その人物の名が生没年とともに紹介されていた。それを読んで、ある疑問が頭をもたげた。「今、この元曲をモチーフにした作品は、当時国内向けにつくられて海外には輸出されなかったと仰いましたが、なんでイギリスにあったんでしょうか?」ぼくの素朴な質問に三代目はにこりと笑みを浮かべると「中国陶磁の流通に関してだね」と言って丁寧な説明を始めた。

 ――現在世界の市場を回っている中国美術品の多くは、20世紀初めに中国から流出したものである。その要因となっているのが1911年に勃発した辛亥(しんがい)革命であった。清王朝の崩壊とともに、紫禁城離宮、皇族の屋敷や高級官僚の邸宅などに収蔵されていた宮廷美術品が流出をしたのだ。革命前後の混乱期にはそれが著しく、それらの多くは、宋・元・明・清代の名だたる書画、玉器、翡翠などの宝飾品や官窯磁器などの至宝で、元曲を描いた青花もそれに含まれた。こうした逸品の数々は、故宮博物院にとどまるものもあったが、米・英・仏・独・日本などの海外へも流出している。今回の元染壺も、こうした経緯のなかでイギリスに渡ったモノと思われる。

 「――あと、20世紀初期から大陸の主要な場所に鉄道が敷かれるようになって。河南省あたりで。その工事中に、漢から唐時代の王侯貴族たちの墳墓に埋葬された古代の文物が掘り出されて市場に出回ったんだ。唐三彩とかね。だから、20世紀の前半というのは、悠久の歴史を飾る古美術品が一挙に世界市場に登場した時代なんだ。現在名品と位置付けされているモノの大半は、この頃に出てきたということだよ」

 三代目の説明を聴いてぼくは思った。おそらくエリタージュの馬上杯も、この時期に中国から渡ってきたものだろうし、マダムの祖父のそれも、清末の高官から譲り受けたというわけだから、こうした事象を背景に動いたのだろう。三代目は結論付けるように言い切った。「今、中国陶磁に何十億も出せるひとは、中国人しかいない。残念ながら日本人では皆無だろうね」それは、今回の目玉となる元染が、中国人同士の競り合いになって驚くべき数字に達するに違いないことを示していた。

 

 「ロンドンは初めて?」図録をゆっくりと閉じると三代目は訊いた。「はい」うなずくぼくの顔を微笑ましくみつめ、「ロンドンは、中国陶磁を勉強するには最高のところだよ。大英博物館、ヴィクトリア&アルバート美術館、そしてなんといっても、デイヴィッド・ファンデーションがある」「それって、デイヴィッド卿のコレクションのことですか?」「うん、そう。中国陶磁の個人蒐集では世界随一とされるコレクションが、ロンドン大学近くにある邸宅に展示されている。ここは、絶対見に行かないといけないよ。じっくりと、一日かけてね」

 デイヴィッド・コレクションは、中国陶磁をかじった程度のぼくにでも、その名は耳にしたことがあった。何しろそれは「小宮廷コレクション」と称されるほどで、他の追随を許さない領域に到達した崇高なコレクションなのだ。

 「パーシヴァル・デイヴィッド卿は、1920年代から中国を訪れ政府関係者と強い関係を築くと、他では手に入らない第一級の品々を射止めていったんだ。おおよそ十年間で。その眼力は並外れていたことは確かだろうけど、宮廷コレクションが流出し易かった時代に居合せていたのも、このコレクションの成り立ちに大きな影響を及ぼしていると思う。今いくらお金があっても、それは不可能なことだからね」そこでいったん三代目はお茶を口に含むと話しを継いだ。「ただそうはいっても、イギリスには当時他にも貴族階級の名蒐集家が綺羅星(きらぼし)の如くいたわけだから、そのなかで群を抜くということは、やっぱりデイヴィッド卿のコレクションにかける執念が、尋常じゃなかったんだろうね。そうでないと、これだけのレベルには達しない」「執念ですか……」「うん。資力があることはもちろん重要な要素だけど、蒐集にかける情熱……いや、情熱を超えた執念ってやつかな……。いかなることがあってもこの手にするぞっていう、強い思いがあったんだろうなあ。だからこそ、あんなコレクションが築き上げられたって思う」このときぼくの脳裏に、埴輪の皇女と対峙しているときの教授の異様な眼の光りが浮かんだ。

 「せっかくだから、オークション以外にもディーラーの店を見て回ってきたらいいよ。といっても、ロンドンもだいぶ世代替わりして名店がなくなっているけどね。今、いくつか知ってる店を紙に書いてあげるよ」三代目は立ち上がると部屋を出て行った。戻ってくる間、ぼくは閉じられた図録の表紙にある元染壺をみつめていた。王昭君の不安げな表情に目を向けながら、この壺を買うのはきっと余程の執念を持ったひとだろうと、そして同時に馬上杯も同様であろうと、ぼくは感じていた。

 

 

 五月初旬の香港は、気温は東京より2~3度高いくらいだったが、日差しの強さと湿度の高さのためすでに夏の暑さを感じさせた。今回は半島側ではなく香港島に宿を取り、スーツケースを預けると早速ママの店へと向かった。香港は約半年ぶり。懐かしい匂いがぼくを包む。ホテルから20分ほど歩き身体中が汗ばみ始めた頃、文武廟の前に着いた。そこから通りを渡って階段を降り、すぐ右手にあるいかがわしい狭い路地を通り抜けると、ぼくはママの店の扉を勢いよく押し開けた。

 「あらぁ、いらっしゃい。待ってたよぉ」ママは椅子から立ち上がると二重瞼の大きな瞳を輝かせ、ぼくの側に近寄ってきた。真っ青なワンピースに頭を下げる。「おひさしぶりです」そのぼくの顔をじっとみつめてママは言った。「あなた、ちょっと、格好良くなったんじゃない?」「何言ってるんですか。半年足らずじゃ、変わらないですよ」「そうかぁ、アハハハ!」ママは相変わらず快活に笑った。

 「で、あまり、時間ないのよね?」ママは時計に目をやる。時刻は午後三時にさしかかろうとしていた。ぼくは今日香港で一泊してから明日の朝早い便でロンドンへ発たねばならない。短い滞在なのだ。「そうなんです。だから、ちょっとこの辺り見てきていいですか?」せっかく来たので、ハリウッドロードを見て回りたかった。「うん、そうしな。お店早いとこで5時に閉めちゃうところあるから」「すいません」ぼくがすぐに扉に手をかけたとき、「あたしのところでも、あなた好きそうなモノあるから、あとで見てよ」「わかりました!」

 久しぶりの香港に気分が高揚したぼくは、骨董街へ向かって軽快に階段を駆け上がった。

 

 Lioの店の前に立った。隣のビルは建て替えているのか竹の足場で覆われている。工事中の音が響くなか、ぼくは店の扉を押した。動いたので店にいるようである。すると、奥にいたLioがぼくの顔を見るなり、「ハロー!」と言って駆け寄ってきた。黒いノースリーブが白い肌を際立たせている。Lioのどうしたの? という瞳に、明日からロンドンへ行く途中で香港へ寄ったことを伝える。すると、わたしも明後日出発すると言う。「じゃあ、現地で会えますね」とぼくは答えた。

 Lioの店飾りは半年前と変わっていたが、内容的にはそう変化はなく、中国本土から入ってくる新石器の土器、漢、唐、宋の白磁青磁がおおよそであった。他の店と似たり寄ったりのそれらを確認するように、ぼくは店内の陳列品を見て回ったが、特段気に入るモノはなかった。すると思い出したようにLioは踵を返して奥へ下がり、紺色の支那(シナ)箱を一つ抱えて戻ってきた。上蓋を開けると、なかに口径15センチほどの白磁の鉢が入っている。それを取り出しテーブルの上に置く。白磁には茶褐色の釉が棒状に何本か流れている。それを手に取って近くで見るや、ぼくは「おっ」と声を漏らした。鉢の内部と側面部に流れている茶褐色は、釉ではなく表面についた染みだったからである。

 ――キョロク、とLioは日本語で言った。確かにこの温かい白い地の色は、鉅鹿のそれである。しかしこの染みの色は、宋丸さんのところで見た瓶のようなほのかに柔らかいものではなく、豪放な烈しさを感じさせた。それは本体の白磁と対抗しているかのような濃い色合いだった。だからぼくは、一瞬白磁に鉄釉が掛け合わさっているように思えたのだ。

 外面の口縁部から底部へと流れる数条の茶色い染みは、泥土を幅広の刷毛で塗りたぐったかのように太く、その間に生じている長短の貫入のなかにも深く泥が入っている。その泥模様は、さながら雪原のなかに立つ木々のようだ。内部にも強い土色がところどころ覆っている。長年泥濘に埋まっていていたその痕跡は、ややもするとただ汚らしいモノと括られてもしまうかもしれないが、そのギリギリのところで、美術品たる魅力を十二分に発していた。その斬新ともいえる強烈な染みの形状に、ぼくは心を囚(とら)われていたのだ。脳裏に、Z氏の「新骨董」という言葉がよぎる。まさにそれに価するモノかもしれないと思っていた。

 ひっくり返し高台を確認した。見紛うことない鉅鹿特有のねっとりとした鼠色の土があった。無釉の高台内には二つの小さなシールが貼り付けてある。薄汚れていたが、円形の内側に沿ってローマ字が並んでいる。隣には赤色で縁取られた隅切りの長方形のなかに、「A-27」と見える。コレクションの整理番号だろうか。書かれている文字は薄くかすんでいる。「――フランスのオールド・コレクション」とLioは言った。

 欧米のコレクターたちは、自身のコレクションにこうした独自のシールをつくって、主に目立たない高台のなかに貼り付けているケースが多い。たいていは、名のあるコレクターのそれで、時おり美術商のシールもある。日本の場合は箱を伴うのが慣わしであるが、欧米はそういう概念がないため、シールがその役割を果たしていた。しかし、これが重要な来歴の証明となっているのである。

 Lioが、これは先月フランスで入手してきたと伝えた。ぼくは知らなかったがフランスの有名なコレクターの持ち物だったらしく、円形のシールを指さし優れた作品であると彼女は説明する。確かに、昨今出土して来るこの手の白釉の作品と比べても、何となく古格のようなものを持している。20世紀初期に出土した本場ものの鉅鹿だろう。

 

 ぼくは鉢を手に立ち上がると、窓辺にいって射し込む外光の下でじっくりとみた。白地のなかに立ち込める激しいほどの茶褐色の染みが、午後三時の強い光りを受けいっそう色を増し、揺らめいているようにみえた。その異様なほどの強い染み痕は、ある種生々しく、一夜にして沈んだ町の悲劇をあらわしているようにも思えた。そして、醜と美の表裏一体にあるこの染みに固執し愛蔵したフランス人蒐集家の、尋常でない執念のようなものを感じていた。ぼくは眉間に皺を寄せしばらくみつめてから、「ふうー」と一つ息を吐きLioに目を向けた。

 「いくらですか?」――4万香港ドル、とLioは答えた。日本円にして60万である。正直この値段が妥当なのかどうなのかわからなかったが、欲しいと思った。その様子を見てLioは、ユア・プライスと言って、日本円で52万を提示してくれた。実は、ぼくは今回香港に寄ることもあり、50万円ほどの現金を携えていたのだ。迷うことなくそれでOKした。Lioは長い髪を一度かき上げ微笑むと、支那箱を丁寧にラッピングし始めた。ぼくはそれを眺めながら、「器が10万、染みが40万かな……」とぼそっとつぶやいた。それを聞いてLioが不思議そうな顔を向ける。ばくは慌てて、何でもないというふうに片手を振った。宋丸さんに倣って内訳を考えてみたのである。

 エアパッキンされた品物を渡すとLioが訊いた。「ロンドンでは何か買うんですか?」うーん、と言ってから「興味のあるモノはあります」と答えた。Lioはじっとぼくの目をみて「ひょっとして、元青花の壺?」唇の端を上げて問う。ぼくが目を丸め右手を何度も横に振ると、クスクス笑った。ぼくは訊き返した。「それ、買うの?」――ノー・ウェイ!と、今度は大きな声で笑った。Lioは両手を胸のあたりで軽く合わせると、「一つ、好きなモノがあります」と言う。何? の問いかけに「万暦の馬上杯」と答えた。「えっ」と一瞬声が出る。思わず持つ手に力が入り包装したプチプチが音をたてた。「――それ、買うんですか?」固唾を呑んで答えを待つ。「でも、きっと買えないと思う。高くなりそうだから」ぼくは息を凝らし半歩Lioに近づいた。「いくらくらいになりそうだと思いますか?」Lioは小首を傾げた。外から入る工事の音がしばらく耳朶(じだ)を打つ。やがて、Lioはいつものきれいな笑みを崩さずに、「わからない……」と答えた。

 

 夜の食事は以前連れてきてもらった潮州料理店であった。今日はママと二人きりである。瓜などを刻んで入れたチヂミのような料理がなかなか美味い。「おいしいですね」ぼくは大皿に盛られたうちの半分ほどをあっという間に平らげた。そのあとのかなり胡椒のきいた鳥のスープを飲み終えると、身体中がほてってくるのを覚えぼくは立て続けに水を飲んだ。そこで、ママはハンドバッグから小さな袋を取り出した。

 「あたしの旦那の十三回忌の法要なかったら、ロンドン行けたんだけど」ママの掌には黄色いお守りが乗っている。中央には赤い糸で縫い合わせた「心想事成」という四字があらわされている。全体的に色がややくすんでいるようにみえた。

 「これねぇ、あたしとリョウコが出会ったときに買ったお守り。香港で一番有名なお寺だよ。そこで偉いお坊さんに、特別につくってもらったよ。このお守り」ママは続ける。「あたしたち、若い頃、辛いことたくさんあったけど、香港に来て、親友になって、今とても幸せになって……」ぼくはじっと耳を傾けた。「あたし、毎週このお守り持って、そのお寺にお参りいってるよ。どうか、リョウコがお姉さんと会えますように。ずっと、祈ってる」「はい」とうなずく。「リョウコも持ってる、同じお守り。二つでひとつ。あたし、そう思ってる。世の中に二つしかないお守り。今日もお願いしてきた。だから……、何? あたしの……身代わり? 日本語、そう言うの? あたしの……」ママのまなこから大粒の涙が溢れ出した。「……あたしの代わりと思って、このお守り、持っていって」思わずこぼれた涙を急いで指で拭うと、「辛かったねぇ、このスープ。ハハ」ママは顔をゆがめながら笑顔をつくった。

 差し出されたお守りを、ぼくは大事にそっと掌の上に置いた。それはとても軽かったが、これまで手にしてきたどんな美術品よりも遥かに重いような気がした。ママは黄色いお守りに指をさし、「この言葉『心想事成』、願いはかなうっていう意味。赤い糸で縫ってる。赤い糸、日本も一緒でしょ? 結ばれてる、でしょ?」「はい」とうなずく。「この赤い糸、中国では『紅線(ホンシアン)』て言うよ。決して切れないひとの結びつき。あたし、赤い糸で縫ったこの文字に手を置いて、いつもおまじないかけてる。だから、きっと会える。リョウコはお姉さんと、運命の赤い糸で結ばれてるから……絶対、会える。そう言ってあげて」ママは目を潤ませ洟(はな)をすすりながら、そう言った。ぼくは唇をぐっと噛み締めると、「わかりました」と深くうなずき、そして念を押すようにもう一度、首を縦に大きく動かした。

 

 翌日の早朝にSaeからメッセージが入った。「Kさん! わたしたちは、無事ロンドンに着きました。さっそくボンドストリートのB社会場で下見をしました。やはり、マダムの家にあった馬上杯で間違いないようです。まだヴューイングも始まったばかりでひとはあまり来ていません。Kさんの着いた日の晩に打合せをしたいので、詳しくはそのとき話すわね。あと――、下見会場にはお姉さんらしきひとはいませんでした。取り急ぎお知らせまで。気をつけていらしてね。 Sae」

 もしかしたら、出品者がお姉さんかもしれないという犬山の説を一応Saeには伝えてあった。しかし、やはり、そうでなかったようだ。ただ、今回の馬上杯がマダムの祖父の旧蔵品であったことが確定され、ぼくの気持ちは改めて引き締まった。ぼくは左胸に手を当てた。上着の内ポケットには昨夜ママから預かった黄色いお守りが入っている。――しばらくして、ぼくは機上の人となった。

 

 香港から途中のバーレーンで一時間給油をし、都合16時間のフライトの末イギリスガトウィック空港に到着したのは、現地時間の午後三時半を少しまわった頃だった。ここからエクスプレスに乗ってロンドンのヴィクトリア駅へと向かう。所要時間は30分ほど。車窓を流れていく艶やかな緑の芝とチューダー調の家々にぼくの目は釘付けになる。そして列車を降りると、そこはもうロンドン。ハリーポッターの世界だとぼくの胸は一気に高鳴った。ドーム型の巨大な天井はガラス張りになっていて、夕刻でありながら明るい陽が射し込んでおり、大きなイギリス国旗が吊り下げられている。いくつもあるホームの一つには、臙脂色とダークイエローの二色を組み合わせたクラシックな列車が停車していた。夕方の混み合う時間帯なのか、たくさんの人びとが往来している。ぼくはすぐにホテルに向かわなければならないのに、しばし立ち尽くしその光景を見入ってしまっていた。来たぞ、ロンドン! それは、一度は行ってみたいと憧れていた場所であった。ホーム右端の赤煉瓦の壁に感嘆の視線を送っていたぼくは、はっとわれに返るとすぐに地下鉄の入口に向けスーツケースを転がした。

 

 午後六時になってもまだ日は明るかった。気温は香港と比べ10度以上低く空気は冷たいが、それほどの寒さは感じなかった。むしろ爽やかで気持ちが良い。数日後に勝負の本番を迎えるというのに、ぼくの気分はうきうきと弾んでいた。

 今晩の食事場所はSaeとマダムが宿泊しているホテルのなかのレストラン。その道すがらにある緑に覆われた大小の公園のなかを抜けて、ぼくはホテルの前に立った。いかにも歴史を感じさせるジョージアン様式の白い建物。決して大きくはないが貫禄がある。シルクハットを被ったドアマンがぼくにちらりと視線を当てた。ぼくが緊張した面持ちで近寄ると、彼はにこりと微笑み黒い扉を引いた。

 トラディショナルな内装に見惚れていると、「Kさん」と声がした。長い髪を肩で弾ませながらSaeが近づいてくる。「お疲れさま」ジャケットにタイというぼくの姿に目を凝らし、「うん。よく似合ってるわよ」と口角を上げた。「なんだか、場違いなところにきたって感じ」ぼくがにっと歯をみせると、「大丈夫よ。紳士(ジェントルマン)にみえるわよ」Saeは楽しそうにふふふと笑った。「ここに泊ってるの?」「うん、そう」「なんだか凄いホテルだね」先ほどの外観を思い出しながらぼくは訊いた。「英国でも古いホテルじゃないかしら。200年くらい前にできたみたい。世界で初めて電話が繋がれたホテルなんだって」言われてもピンとこず、ぼくは「へえぇ……」としか言葉が出なかった。

 「さあ、二階のレストランでマダムが待っているわ。まだヴューイングは続くけど、だいたいの打ち合わせを今日しようと思っていて」Saeはエレベーターに向かう。二階で降りるとすぐ右手がレストランだった。内部は古風な外観とは異なるモダンな空間で、紳士俱楽部のようでありながら、現代的で洗練された雰囲気を醸し出している。奥のテーブルで立っている女性の姿が目に入った。「Kさん、遠いところ、ありがとうございました」上品なグレンチェックのスーツを纏ったマダムがお辞儀をした。「いえ、いえ」ぼくは小さく手を振り「おひさしぶりです」と微笑んだ。

 

 ボリューミーなフィレ肉をパイ生地で包んだメインディッシュを終えると、Saeが現況報告をした。「明日からのようね、ひとがたくさん来始めるのは。だから明日からの三日間の様子で全体的な動向が読めるって、オークションハウスの担当者が言ってたわ。活気とか雰囲気とかで、高くなるとかならないとか……」下見は昨日から始まり、明日は12日。下見期間は14日までで、15日が本番当日。たいてい多くのバイヤーは、セール当日の2~3日前に集まって来る。Lioも明日到着すると言っていた。「じゃあ、今のところは、全く予想できないってことなんだ」ぼくの顔を見てSaeがうなずく。「うん。前にも言ったけど、確実な予想は当日になってもつかめないみたいだけど、最新情報は知らせてくれるって」それを受けマダムは目を閉じ「それはありがたいことよ」と言う。「Saeさんのお父様がB社の重要顧客だから、それが可能になる。買おうとしているひとたちは手の内をあかさないから予想は難しいけど、情報はあるに越したことないから」

 運ばれてきた紅茶のソーサーを手許に引き寄せながらマダムは続けた。「明日になると、たくさんのひとがやって来るわ。香港ほどではないにしろ、主要なバイヤーは皆集結する」「主要なバイヤーって、トップコレクターのことですか?」ぼくの問いにマダムはカップの取っ手に指をかけたまま、「そう。本人は来ないかもしれないけれど、その仲介人であるディーラーたちが集まって来るでしょう。なんたって、『漢宮秋』の壺が出ているんだから」――今回の目玉の元染の壺である。

 「そんなに有名なんですか? 『漢宮秋』?」ぼくの頭に王昭君の物憂げな表情が浮かんだ。「そうね、有名ね。古いひとはたいてい知っている。あれだけの作であれば、世界的に有名な美術館だって本気で買いに来る。でも、今だったら中国人の方が強いでしょうね」三代目の推測通りになれば、途方もない値段が付きそうだ。それがいったいいくらになるかは知らないが、バイヤーが「漢宮秋」の壺に集中することで、万暦馬上杯が上手い具合に買えるのではないかとぼくは期待を抱いた。「コレクターたちの意識が元染の壺に集中してくれて、馬上杯が安く買えたりしたら、いいですよね」「そうね。そうなってくれたら願ったり叶ったりだけど……」マダムは背筋を伸ばした。「でも、決めたのよ。さっき主人と電話で相談して、値段を――」そう言うと、カップを口に運んだ。ぼくも一口飲む。Saeもまだ聞かされていなかったようで、真剣な眼をじっとマダムに注いでいる。マダムはカップを静かに托の上に置くと口を開いた。

 「3000万円――。これが、わたしたちのできるベストの値段。これに賭けるしかないわ」ようやく陽が落ちたのか、窓から入る光は明るさを欠いていたが、そのなかで、マダムの眼は透明な輝きを放っていた。そこには、覚悟を決めたひとにだけある凛とした潔さがあった。その澄んだ強い眼を、ぼくはうつくしいと思った。Saeが言った。「エスティメート下値の10倍ですね。1500万円あたりとオークションハウスも予想しているから、その倍ですね。かなり強い金額だと思います」

 ぼくは頭を整理した。犬山の勘の値段は別として、三代目はざっくりと1500万から3000万と予想し、2000万出すひとはいるだろうが3000万となると限られる、というような言い方をした。宋丸さんは5000万出せば買えると踏んだ。それを三代目は、そこまではいかないだろうとみた。しかし、こうした意見をここで述べる必要はないと、ぼくは決意あるマダムの眼の色をみてそう思っていた。

 「これに賭けるしかない」――この言葉に、すべてが込められているのだ。

 

 ぼくは鞄のなかから黄色いお守りを取り出し、マダムの前に置いた。「ママからです」Saeが覗き込む。「可愛い……」マダムは何ともいえない深い笑みをたたえてじっとみつめた。「ナツコも来てくれたのね……ありがとう」そして、横に置かれてあったハンドバッグのなかに手を入れ、掌のなかのものを並べる。黄色いお守りだった。「――同じもの?」Saeが思わず声を出す。「二つでひとつ……」マダムは同じように微笑むと「これで、勇気凛凛ね」と言った。Saeがマダムに訊く。「これ、ママとマダムのもの?」「そう。わたしたちの絆」「へえぇ、そうなんですね」Saeがお守りに顔を近づける。「とても綺麗な色だわ。黄色に赤。何て書いてあるのかしら……『心想事成』? 思いは叶うってこと?」「そう」とマダムは答えた。「とてもいい言葉だわ……。でも、そっくりすぎて、取り違えちゃわないかしら?」マダムは緩やかな笑みを浮かべ「大丈夫」とうなずくと、両の手をそれぞれのお守りにそっと添えた。「お互い、長い間、ずっと見てきたから、間違ったりはしないわ……」

 

 ぴたりと横に並んで置かれた瓜ふたつのお守りは、その後の出来事を暗示しているかのようにぼくの眼に映った。

 

(第43話につづく 1月12日更新予定です)

 

青花「漢宮秋」図壺 元時代(13-14世紀)

白無地鉢(鉅鹿手)北宋時代(11-12世紀)




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骨董商Kの放浪(41)

 三畳台目(だいめ)の茶室の京間一畳に座っていた。ぼくは下座。真ん中の次客の畳にはZ氏。つまりぼくの右隣りに座る。正客の席は空いている。ぼくの正面の点前畳では、Miuがお茶を点てていた。ライトグレーのパンツスーツが、一定のリズムを刻んで穏やかに動いている。この小間(こま)の右壁に設えた間口半間(はんげん)奥行尺五寸の床の間には、先ほど教授の家から持ち帰った仏手が飾られていた。Z氏は、もうかれこれ15分近く、射抜くような眼でそれを睨んでいるのだ。

 現金5500万円と一緒にこの石彫を持ち運んできたのは、今から30分ほど前のこと。「自分の所蔵品を一つ合わせるから、それでなんとかしてもらえないかねえ……」という相談を預かって、ぼくとMiuは戻ってきたのだ。埴輪の価格は7000万。もらったお金は5500万。つまり、あとの1500万を、この仏手で補ってくれという話しである。ぼくは即座に思った。そりゃあ、無理だろうと。これに、それだけの値打ちがあるのかと問われたら、無いと言わざるを得ない……というのが、今のぼくの正直な感想だ。いくら高く見積もっても500万というところだろうか。市場の会に出したら、下手すると200万もいかないかもしれない。魅力的な彫像ではあるが、いかんせん ”手” だけである。顔の部分――たとえば、雲岡(うんこう)とか龍門(りゅうもん)という有名な石窟寺院の如来や菩薩の頭部だったら、モノによっては数千万円という高値が付くだろうが、これは全体像のほんの一部分――いわば不完全な作であり、しょせん壊れ物といってしまえばそれまでのモノである。無論、不完全なモノに美を見出すことが骨董の醍醐味としてあるわけだが、それはおおよそ一定の額にとどまり、なかなか高い値段が付かないのが実情だ。ただ、骨董の値打ちはひとによる。マニアな世界だから、これにそれだけの価値を付けるひともいないわけではない。何せ、あの教授が部屋に飾って大切にしていた代物だ。並みのモノとは一味も二味も違うことは確かであり、ぼくが思っている以上の額になることも充分に考えられるだろう。ひょっとしたら、将来グンと高くなるのかもしれない。そんな潜在的価値を秘めているようにも感じる。

 ――とはいえである。Z氏の話しに立ち返ると、あの埴輪の皇女は、所蔵者から7000万で売ってくれと委託されたモノであり、その上その持ち主は余命いくばくもないというのだから、早くにお金に換える必要性があるわけであり。となると、これをすぐに換金したところで1500万に満たないのであれば、あとはZ氏がこの仏手を1500万で引き取るか、もしくは、この件をご破算にして埴輪を戻してもらうか――。二者択一であるような気がしていた。

 

 骨董の売り買いには、こうしたケースが間々みられる。購入額が大きくていっぺんに支払えないときなどは、自分の所有物を下取りに出して、代金とモノとの合わせ技で売買を成立させるのだ。所蔵品をその都度上手に入れ替えることで、自身のコレクションを発展させていく蒐集家は少なくない。名コレクションは、たいてい、このようにして形成されていくものなのである。したがって、価値のあるモノを持っていれば、時価の相場で引き取ってもらうこともでき、時にはそれがオークションなどで、買った値以上の額で売れたりすることもあるわけで――。株や不動産などと比較すると明確ではないが、充分な資産価値の対象になり得るのが骨董なのである。(残念ながら、偽物をつかまされてしまった場合は完全にアウトであるが……)

 

 Miuが点てたばかりのお茶をぼくの前に置き、にっこりと微笑んだ。眦(まなじり)を下げた目の形は父にそっくりであるが、その父の目には先ほどから眉間に皺が寄っている。ぼくはゆっくりとお茶を何度か口に運び、最後に音を立て飲み切ると茶碗を畳の上に戻した。それは米色(べいしょく)青磁だった。ぼくは、以前つかまされた贋物が頭をよぎったが、それ以上に、Saeのところで見た最上手の下蕪(しもかぶら)の花入(はないれ)の色を思い出していた。酸化炎焼成が完璧になされたのだろう、均一のとれた黄金(こがね)色の釉(うわぐすり)に、氷裂(ひょうれつ)と呼ぶにふさわしい大小様々な貫入(かんにゅう)が幾重にも入り、そのガラス質の表面は得も言われぬ麗しさをみせていた。現代作家の作品と思われるこの碗も、二重貫入と米色釉が見事に融合しており、故意なのか、自然と入ってしまったのか、ひび割れの箇所に繕われた金直しが、いかにも古色たる気分を表出している。――これも、「新骨董」なのだろうか。

 お茶を一服したぼくは、再び床に目をやった。Z氏は、凝然と石彫を見据えたままである。詫びた鼠色をした土壁に、灰色がかった石の肌の色合いが溶け込むように映っていたが、両手の割れた断面から見える石の地色が意外にも黒かったので、それが輪郭線のような役割をはたし、床の間から像が浮かび上がってくるように見えた。ぼくは、その造形美に改めて惚れ直していた。

 Z氏はやや背筋を伸ばし姿勢を正すと、一度しっかりとうなずいてから、口を開いた。「はい。わかりました」仏手をみつめたまま、「Kさん。これで、了解しましたと、先方にお伝えください」いつもの歯切れの良い言い方で、そう頼んだ。「承知しました」とぼくは答える。Z氏は以前、骨董の持つ魔力のようなものを “美力(びぢから)” と喩えたことがあった。今その言葉がぼくの脳裏をかすめた。1500万という現実的な値段よりも、この仏手に潜んでいる未知の ”美力” に賭けたのかもしれないと、ぼくは思った。

 Z氏は、普段の柔和な眼で問いかけた。「Kさんは、この仏が手にしている箱のなかには、何が入っていると思いますか?」ぼくは思わず、手前座にいるMiuに目を向ける。Miuは唇を結んで、笑みをこらえるかのような顔をしていた。ぼくは先日これを見たとき、この箱には西域から長い道のりを経て請来された貴重な仏典類が入っているのではないかと思っていたが、Miuは、人間の願いとか望みのようなものが詰まっているのではと話し、これを「希望の箱」と名付けたのだった。その発想にいたく感服し、ぼくは密かにこれを「希望の箱」と命名していたのだ。それを言おうかどうか迷っていると、Z氏は自ら語り始めた。

 「このなかには、光の粒のように舞っている天使がいて、と同時にそれと等しい数の魑魅魍魎がいて、それらが犇(ひし)めき合っているような、そんな気がしているのです。右手でそれをそっと開けようかとしているところを、下からがっしりと掴んでいる左手が、開けまいとさせているように感じるのです。開けたら何か大変なことが起こってしまうような。それが、善いことなのか、悪いことなのか……。いわば、 “禁断の箱” とでも云うのでしょうか」

 「禁断の箱」――なるほど、そうきたか。「希望」より、ぐっと踏み込んだカリスマらしい発想である。ぼくの頭に一瞬、彼がかつて言った「骨董の持つ業(ごう)」というフレーズが浮かんだ。

 「ちょっと、妄想が過ぎましたかね」そう言って、カリスマは唇に薄い笑みをつくった。その顔に向けぼくは訊いてみた。「もしそうだとするなら、Zさんは、この箱を開けますか?」カリスマは笑みをそのままに少し間をおいてから、「開けるでしょう」ときれいに答えた。すると同じ質問が返ってきた。「あなたは?」ぼくも考えた末「開けると思います」と答えた。これにより俗世の扉が開かれるのだとしても、それを受け入れ生きていくのが人間だろうと、そんな風に思ったのだ。

 Miuが言った。「パンドラの箱も、開けると悪と災いが世に溢れ出るって言われてるけど、最後には希望が残ったわけですよね。だからわたしは、やっぱりこれは、希望の箱だと思います」なるほどと、ぼくは静かに首を動かした。するとにわかに、なぜ教授はこの仏手を手離したのかという思いが、ぼくのなかに湧き上がってきた。念願の埴輪を手に入れるための下取りに選んだわけであるが、これに見合う持ち物は他にもたくさんあっただろうに。どうして、これに決めたのだろうか?

 Z氏が腕を組んで床の間をみやる。「わたしは、さっきからずっと、なぜこのモノを選んだのかを考えていました」このひとも同じことを考えていたのだ。単に、値段に見合うものなのかどうかを見定めていたわけではなかったのである。

 「この石彫は、めったにない優れた美術品ですよ。あの埴輪の女性に執着していたひとが、代金が足りないという理由で、なぜこれを手離したのか……。それに対しての疑問が、ずっと頭のなかを占めていたのですが、ついに答えがみつからなかった……」Z氏はいったん唇を噛むと、小さく数度うなずいた。「……魔がさしたのかもしれませんね……。それ以外に答えが浮かばない。ひとというのは、時に、そういうものなのでしょう」

 

 

 大型連休真っただ中、午後三時のエリタージュ・ハウス。アフタヌーンティーの時間もあって、何人かの有閑夫人がぼくの前を歩いている。ぼくはそれをするりと追い越すと、そのままエレベーターに向かい二階の個室へ。Saeが待っていた。

 あの夜、ここからマダムに連絡したときのことである。案の定「えええっ!」と、突き上げるような声が受話器から耳に響いた。それを聞きつけたSaeがぼくの側に近寄ると、そっと電話機を受け取り、この経緯を懇切丁寧に説明したのだ。翌日Saeが送った画像に対し、「間違いないわ! これだわ!」マダムは息を乱しながら、そう答え声を震わせていたという。当然だろう。ついにこの日がきたのだ。セールは15日。ヴューイングは10日から開かれるという日程。マダムは逸早く見たいということで、10日に合わせてロンドンに入る段取りとなった。同じ便でSaeも同行することになり、マダムはほっとしたようにお礼を言うと、諸々の旅程準備はSaeに任せるということで決まったのである。

 ぼくはというと、全部Saeに甘えるわけにはいかず、南回りの格安航空券を購入し、英国入りすることにした。宿泊先も、「うちで出すから一緒の方がいいんじゃないかしら」というSaeの申し出を断って、そこから徒歩10分の廉価なホテルを予約。Saeは不満そうだったが、なにか自分だけの力でマダムの役に立つのが、本当のような気がしていたからである。

 それと、南回りにしたのは別の理由があった。それは、行きしなに香港に寄ることができるからだった。実のところ、ママの都合がどうしても合わず、ロンドンに来ることができないということになり、その前に寄ってほしいと言われたのである。何か渡したいものがあるという。日数はかかるが運賃は安いし、ちょっとした仕入れをすることもできそうなので、ぼくにとっては好都合だったのである。

 それとは別に、今日Saeのところに来たのは重要な目的があった。今度のセールの図録が届いたというのだ。Saeが手許に持ってくる。「これ」と差し出した図録は、厚みが1センチ半ほどの、ずいぶんと簡素なつくりをしたものだった。ロンドンのは、だいたいこんな仕立てのようで、香港のような豪華さはない。表紙の人物の描かれた元青花(染付)の大壺が目に入る。どうやら、これが今回の目玉のようだ。

 厚みのない図録のなかを早速く括(くく)っていった。そのなかほど前の、Lot75に馬上杯の写真が載っていた。見開き2頁を使っている。メインの左頁には、出品作品が実際のサイズより大きめに出されていた。六つある唐花のうち、黄色い花が中心に据えてある。右頁には、やや小さめにその他の面の写真がずらりと展開されている。そのなかの、赤い花に目が注がれた。花の左斜め上に、くっきりと緑色の釉がみえる。それを確認したあと、ぼくとSaeはお互いの目を合わせた。その右隅には、エリタージュの馬上杯の写真が類品として紹介されていた。これは、先月Saeの送った写真画像であり、その下に「Japanese private collection」と記されている。

 右頁に目を移した。作品名は「A VERY RARE AND IMPORTANT WUCAI STEM CUP, MARK AND PERIOD OF WANLI」となっており、解説文を読むと「これは成化(せいか)年間の豆彩(とうさい)をリスペクトして万暦(ばんれき)年間の官窯(かんよう)で写した復古作。万暦年間の豆彩自体数が限られており、そのなかにおいても極めて稀な作例。同手の作品が唯一日本の個人収蔵家のもとに存在する」とある。

 ぼくはその下に記載されている評価額に注目した。「£10,000-15,000」。日本円に換算すると200万~300万というところか。ずいぶん安いなとぼくは思った。

 「評価額、こんなものなのかな?」やや首をひねりながらSaeの顔を見る。「わたしも、よくわからないけど……。ここのオークションハウスの担当者に訊いたら、もともとリザーブの値段が安いって言ってたわ」

 ――リザーブというのは、出品者の了承する最低価格をいう。リザーブ額はおおよそ、評価額下値の七掛けか八掛けくらいなので、今回の場合でみると、140万か160万あたりかもしれない。つまり、それ以上であれば売却するということなのだ。ただ、これだけの稀少品である。当然評価額を超えていくことに違いない。ぼくらが香港に出品した雍正(ようせい)の筆筒は、リザーブ値の六倍にもなったのだ。

 

 「いくらくらいになるのかしら」Saeが訊く。「うーん。正直こんなの類例がないから、まったくわからないなあ。オークション会社のひとは、なんて言ってるの?」「訊いたけど、さすがに教えてくれなかったわ」「なるほど」

 すると、Saeはテーブルの上で組んだ腕をすり寄せ顔を近づけた。「実はね、うちに買ってくれませんかって依頼がきてるの」「まじっ?」ぼくも身を乗り出す。「だから、パパに訊いたのよ」「うん、で?」「そうしたら、パパ、一つあるからいいだろうって。要らないって」それを聞いて、「ほお、そうなんだ」とぼくは息を吐きながら椅子に背中をくっつけた。

 それからSaeはいつもの豊かな笑みを浮かべると、「でも、よかったわ」と言ってティーカップに指をかけた。「え? なんで?」一口飲んでソーサーに置く。「だって、マダムが買うでしょう。パパが買うなんて言ったら、こっちが困っちゃうじゃない」と小さな笑い声を立てた。「まあ、それも、そうだね」ぼくも同意の笑みをもらした。

 ぼくは図録を再び手にし、ぱらぱらとめくりながら、「一番高そうなのは、この表紙になっている元染の壺かあ」とその頁で手をとめた。ロット番号35。元染特有の濃厚なコバルトブルーを駆使し、馬に乗っている三人の女性が描かれている。「何かの物語の一場面かしら」Saeが横から覗く。目玉商品らしく、これ一点に6頁をさいている。全体の展開写真とともに、英語の説明文が長々と書かれていて、ぼくは読む気力を失っていた。しかし、評価額を見て、目を剝いた。「£2,500,000-3,000,000」とある。実に5~6億円である。

 「すげえ、これ! そんなするんだ」「誰が買うのかしら」「そんなん、中国人に決まってるじゃん!」このとき、香港の成化豆彩杯の16億円が頭に浮かんだ。あれを購入したのは、ママの知っている上海人だとの話だった。この壺も、そのひとが買うのかもしれない。――そのひと、カタログの表紙になっているモノ、みんな買ってるよ。あのときママはそう言っていた。巨大なチャイナマネーが、現市場を席捲しているのだ。それを思うと万暦の馬上杯も高値が付き、そういう成金に持っていかれてしまうかもしれないと、ぼくは急な不安に駆られ曇った眼をSaeに向けた。

 「でも……もの凄く高くなっちゃって、マダムが買えなかったら、どうすんだろう。マダムだって予算があるだろうし……」Saeは頬に手をあて「ふうん」と考えこみながら「そうねえ……」と言ってゆっくりと紅茶に口をつけた。そして、カップを静かに置くと、大きな瞳をぱっちりと開けて断言した。「でも、ここまできたんだから、買えるわよ。神様はそんな結末は用意しないものよ」その悠然とした回答にぼくの気持ちがふっと和(やわ)らぐ。自然と素直に「うん」と答えていた。

 「でも……わたしも、Eさんに訊いて探ってみるわ。どのくらいになりそうか。これからは情報戦だから」「そうだね。ぼくも、宋丸さんとか、三代目に訊いてみるよ」Saeは「そうね」と微笑むと、指をぼくに向け「彼女のところにでも行って訊いてきてよ」と言った。「あのさぁ、彼女じゃないので……」「Reiちゃん、だっけ?」――知ってるのかよ。

 Saeは遠くの方に眼を置くと、「彼女、とてもまっすぐな眼をしてたわ」とつぶやくように言った。「わたしと、違って……」Saeはぽつりとそうつけ加えると、ぼくの顔を見ずに、両手でカップをそっと包み込んだ。

 

 エリタージュからの帰り道、ぼくは犬山得二の家に立ち寄った。例のごとく六畳の居間で半分寝ころびながら、古い邦画を見ていた。スナック菓子か何かを口に放り込んでいる。「おう、なんだ。来てたのか」見ると、古いカラー映画が流れている。「何の映画だよ」「モスラだ」「モスラ? ……ああ、蛾のお化けみないな怪獣映画か」「ばかやろう、モスラをそんな風に言うな。モスラは、蛾と蝶のあいのこだ」「ああ、そう」ぼくはどうでもいい返事をして卓袱台の上を見ると、犬山は紙袋に無造作に片手を突っ込み、そのなかの小さな豆をいくつか口のなかに入れている。「おまえも食うか。南京豆」「南京豆?」「ほうよ。婆さんの実家から送られてきた。本場千葉県産の上等な南京豆だ」ぼくもそれを一つつかむ。薄茶色の皮に覆われている。「おまえさあ、今どき、南京豆なんて言うやついないよ。これ」「ばかやろう、南京豆は、南京豆だろ」と、また皮ごと放り込んだ。「皮、むかないのかよ」「おまえ、知らないな。この皮が栄養あんだよ。ポリフェノールが満載だ。これだから素人は困る」とボリボリ食べている。ぼくもそのまま口に入れる。すると犬山は、「おっ、出た。出た」と言ってすくっと立ち上がるや、両手をフラフラと揺らしながら歌い始めた。

  「モスラーヤ、モスラー、ドゥンガンカサクヤン、インドゥムウー」独特の曲調に合わせ、身体を気味悪くくねらせたところでこちらに顔を向けた。ぼくの白けた目線にぶつかると急に身体の動きをとめたので、さすがにやめるのかと思っていたら、「ルストウィラードア、ハンバハンバムヤンッ」とまた歌い出し、奥の部屋の隅にあるおんぼろギターに向かって奇妙な足取りで進んでいったところで、ぼくは声を張り上げた。「最後まで、歌うな!」その声で、ようやく動きを止めた犬山は居間に戻ると、「古関裕而がつくった名曲だぞ」と言って天井を仰ぎ見「カサクヤーンム!」と最後のフレーズで締めくくると、どかっと座布団に腰を落とした。

 

 豆を一粒二粒口に入れたとたん思い出したように、「そうだ、そうだ」と卓を大仰に叩くと、「おまえに、言うことがあったんだ」犬山は急いで顎を動かすとごくりと飲み込んで、「文革の話し、してただろう?」今回のマダムの件は犬山には報告済みで。「ああ」「それだ。文革は、毛沢東が死んで、四人組が逮捕されて終息したんだけど、その後文革のときに没収された古い物は、持ち主の元に返されたって話しもあるぞ」「へえ、そうなんだ」ぼくは理系の人間なので、歴史にはとんと疎い。

 「だから……その馬上杯も、お姉さんのところに戻ってきているかもしれない」「まじか?」「となると……」犬山は瞬きを繰り返し丸眼鏡を鼻の上でしきりに動かすと、「今回のやつは、お姉さんが出品したってことも考えられる……」「えっ、どういうこと?」「向こうだって、妹の消息は当然気にしているだろう。有名なオークションを利用すれば、その情報が世界に広がる」「うむ」「そうすれば、何らかの形で、それが妹まで行き届く可能性がある。今の中国では、自分の所有物をインターネットで拡散するとなるとすぐ網にかかるし、それは愚策だ。公的なオークションを利用すれば、所有者の匿名は保持される」

 丸眼鏡をみつめながらぼくは訊く。「そうしたら、その次は、どういう展開になるんだ?」「オークションは、下見が何日か設けられているだろう」「ああ」「その下見会場にお姉さんがいれば、誰が下見をしているかがわかる」「うん」ぼくはごくりと喉を鳴らした。「そこで、会場を訪れたマダムと再会する――という筋書きだ。どうだ?」「なるほど!」「そして、その上……」犬山はまた袋のなかに手を突っ込み数粒取り出すと掌のなかで回しながら、「売れたら、結構な金が入る。それを姉妹で半分ずつ分ける。一挙両得だ。はは」と言うと、勢いよく口のなかに入れた。

 

 確かに、犬山の説は有り得ると思った。お姉さんが現在も馬上杯を所有しているのなら、妹に出会う手段としてこの策を講じることは、考えられないことではない。マダムと同様お姉さんにとっても、馬上杯は再会のきっかけをつくることのできる重大なピースだ。オークションに出品して大々的に宣伝されれば、マダムの眼に留まるかもしれない。その確率は決して高くはないが、といって他に妙策がないのであるとすれば、藁をもすがる気持ちでこの出品を決断したのかもしれない……。

 もし仮にそうだとしたら、その場合は――――。

 下見会場で待ち構えていたお姉さんが、それを見にやってきたマダムをみつけ、そこで再会するわけである。間違いなく、お互い歓喜の声を上げ、抱き合って、飛び跳ね、泣いて、喜び合う。それでこのストーリーは完結することになる。めでたし、めでたしだ。

 

 ぼくは、いったん頭のなかを真空状態にしてから、もう一度考えてみた。

 

 本当にその台本通りに事が進み、めでたし、めでたしになるのか……。ぼくはそんな簡単にはいかないような気がしていた。ぼくは、沈思黙考する。

 もし今回の出品者がお姉さんだったら、なぜロンドンに出品したのだろうかと――。

 あのときマダムは、香港へ渡ったのである。妹は香港のどこかにいると思っているに違いない。中国美術のメインオークションは、先だってのように香港でも開催されるし、香港市場の方が活況著しいのだ。当然妹が住んでいるだろう香港のオークションに出品した方が、再会できる確率はより高くなるわけであり……。これはあくまでも個人的な推測であり、何の確証もないのであるが、ぼくは、やはり、マダムが馬上杯を手に入れなくては事態が収まらないのではないか、という気がしてならなかった。

 他人(ひと)の手に渡っていた馬上杯を取り返し、そしてお姉さんと巡り会う。これがこの物語に相応しい結末であり、これこそが本当の大団円であると、これは、誠に勝手なぼくの筋書きなのだが、なんとなくそんな気がしているのだ。そしてそこには、そうなってほしいというぼくの願望が緊(ひし)と込められており。

 

 だから、この馬上杯が、マダムの手の届かない値段になってしまっては、困るのだ。

 

 「いったい、いくらくらいになるだろうか?」ついさっきSaeの口にした台詞を、ぼくは自分に問いかけるように犬山に向けた。「評価額はいくら?」「日本円で、200~300万か」それを聞き、犬山は口を動かしながら鼻の下を掻いた。「まあ、おれの勘だけどな。その10倍くらいじゃねえか」「えっ、に、2000~3000万? まじ?」「世界に二点しかないっていうんならな、そのくらいの価値はあるんじゃないの」「そりゃあ、さすがにないだろ。評価額の10倍なんて、今まで聞いたことがないよ」犬山は不敵な笑みを浮かべ、再び「勘だよ」と言ったあと、「こういうときのおれの勘は、けっこう当たるんだ。はは」――う、ううむぅ……。先日の香港でのオークションを体験しているぼくにとってみれば、この数字はあながち法外ではない……。

 ぼくは再び考え込んでしまった。マダムは、買えるだろうか……。もし買えない場合は、どういうことになるのだろうか……。……まあ、でも、それを考えるときりがないか……。うん、そうだ。ここは、「神様はそんな結末は用意しない」という、さっきのSaeの言葉を信じよう。

 

 ぼくは気を取り直してテレビ画面に目を向けた。まったく同じ顔をした二人の若い女性が同時に喋っている。二人とも小人のようで、小さな檻のなかに入れられている。「何、これ? 合成?」犬山の眼鏡が動く。「そりゃあ、合成だろう」ぼくは画面をみつめ、「いや、この女性。同じ顔をした……」犬山は即座に体勢をぼくに向け、「おまえ、知らないの? この二人のこと?」無反応のぼくをみて、「いやんなっちゃうなあ」と思い切り顔をしかめると、「しっかし、おまえの知識も浅薄だね、まったく」と言って豆を一粒取り出すと皮をむき、ぼくの目の前に突き出した。それを見てぼくは言った。「……南京豆?」犬山は「ばかやろう!」と言ってぼくの額に投げつけた。「ザ・ピーナッツだ」「そっちか……」――そういえば、聞いたことがあったな、そんな名前。しかし、ぼくの生まれる15年も前の映画だ。この歳で知ってるやつの方が少数派だ。瓜二つの顔をした女性が発する心地よいハーモニーに耳を傾けながら、ぼくはピーナッツの皮をむくと丁寧に二つに割り、ひとつずつ口のなかに入れた。

 

 

 今年のゴールデンウイークは、五月一日と二日が平日。なので、この二日を休みにすると九連休ということになる。昨年は、朔日(ついたち)のみが平日だったので、これを休みにして十連休という超大型休暇をとったところが多かったため、その流れを受け世の中では、連休の狭間の平日を休みにする風潮が見受けられるようになった。しかし、そんな風潮をもろともしない宋丸さんの店は、ごく普通に営業している。しかし、ぼくにとってはちょうどよかった。連休明けにはイギリスへ発たねばならず、その前に訊いておきたいことがあったからである。

 ぼくは、賑やかに人が行き交う銀座通りをすり抜けながら、電通通りへと足を向けたところで、携帯電話の着信音に気づき立ち止まった。Saeからである。「Kさん。わたし」「うん、どうした?」「昨日ね、あれから、Eさんのところに電話したの」「オークション会社、やってるんだ」「そう。外資系はカレンダー通りみたい」と笑ったあと、「馬上杯の値段のことなんだけど……」「うん、ちょっと待って」ぼくは足早に近くの細い路地に入ると、耳をすませた。

 「こればかりは、予想が難しいって。オークションは、下見が終了して、セール前日になってから、値段の注文とか電話ビッドの予約が入るらしいの」「ほお」「その注文の多さで、だいたいの予測はつくらしいんだけど、もちろん当日競るひともいるから、最終プライスは当事者のB社でも読みづらいだろうって」「なるほど」「特に、中国人同士の競争になった場合は、余計にわからないって。驚くほどの金額まで買うひとたちがいるみたいだから」「……ふうむ」ぼくの脳裏に成化の馬上杯が浮かぶ。ふんだんな資金をバックに競り合うひとたちは、高くなることにこそ意義があるようにも感じられる。そうなってくると、予想もへちまもない。

 「でも……」Saeが言った。「おそらく、1500万か、ひょっとしたらそれ以上はするんじゃないかって……」「本当?」「うん。そのくらいはいくだろうって」初めて具体的な値段をつきつけられ、ぼくは一瞬身が引き締まった。「やっぱり、そのくらいはするのか……」

 E氏のところは、B社と双璧の大手オークションハウスであり、当然ライバル会社の情報はどこよりも正確に収集していることだろう。そこがそういうのだから、この1500万という数字は、現実的なラインとして念頭に置かなければならない。

 「あと、実は……」とSaeが続けた。「前に、うちの馬上杯に領収証が付いていたって言ったじゃない? 昭和45年の」と言った瞬間、ぼくは「あっ!」と声を上げた。そうだ。馬上杯に領収証が付いていたことをすっかり忘れていた。そこに当時の値段が書かれているのだ。これは大いに参考になる。

 「で、それは、いくらになってるの?」「それが……、1200万円なのよ」「ええっ!」ぼくの声が路地裏に響く。「し、昭和45年で……、せ、1200万……?」「そうなのよ。わたしも、最初よく見てなくて。0が一つ多いじゃないかしらって思って数えたら、1200万だったの。びっくりしちゃった」

 ぼくは暫し呆然と佇んだ。昭和45年の1200万って、今だと、いったいいくらになるのか――。う~ん。まったく頭のなかの計算機が機能しない。ただ、よっぽど高いことは確かであり……。ぼくは思考がついていかず、黙ったままふと天を見上げた。薄暗い路地から見える細長い青空が、やけに眩しく目に映った。

 「あとねえ」さらにSaeが続けた。「今回の馬上杯の出品者だけど……」ぼくはすぐに正気に返る。「わかったの?」「Eさんによると、おそらく中国のメインランドからだろうって」「中国大陸?」「そう。だから、エスティメートも低めみたい。たぶん、その家に長く置いてあって、今の価値がわからないからじゃないかって」

 中国大陸からの出品と言われ、即座にお姉さんのことが頭をよぎった。と同時に、犬山のシナリオが復活する。E氏の情報は確かだろうから、そうなると再び、出品者がお姉さんである可能性も浮上してきた。

 

 

 宋丸さんの店にも図録が届いていた。Reiが馬上杯の頁に目を落としている。ぼくも横から覗きながら、彼女の淹れたお茶に口をつけた。碗の見込み中央に描かれている菊花の染付文様が、緑茶の奥にうっすらと見える。宋丸さんはまだ来ていないようだ。Reiがぼくに顔を向けた。

 「わたしは、お姉さんじゃないと思います」――馬上杯の出品者がお姉さんではなかろうかという犬山の仮説を、Reiはきっぱりと否定した。

 「絶対に、それはないと思います」Reiの眼はいつも以上に澄んでいた。「もし、仮に、馬上杯がお姉さんのところに戻ってきていたとしても、お姉さんはそれを生涯大事にすると思います。お祖父さまや家族の皆さんの愛情が注がれていたモノを、決して売るようなことはしないって、わたしは思うけど……」図録を閉じテーブルの脇に置く。「マダムと会うためには、きっと何か別の方法を選ぶんじゃないかしら。その手段として、馬上杯を使ったりはしないと思う……」Reiはぼくの茶托を盆の上にのせ静かに立ち上がると、お茶を差し替えに奥へ下がった。

 

 犬山はあんな説をたてたが、Reiが言う通り馬上杯は、家族を失ったお姉さんにとってみれば、何ものにも代え難い心の拠り所になっているはずである。確かにそう簡単に売ったりはしないに違いない。また、考えようによっては、それはいわば切り札的存在ともいえるわけで、もしそれを使うときは、最後の最後、100パーセント事が成就するときではなかろうか。オークションへの出品というやり方は、一種の賭けに近い。

 だから今回の出品に関してみると、奪われた後転々としたのか、奪われた先の家に残されていたのか、その辺のところはどうだかわからないが、現在の持ち主が昨今の中国陶磁の高騰もあり、売りに出したとみるのが妥当であろう。

 

 応接室の床(とこ)の黒い飾り板の上には、胴の丸い白磁の瓶が置かれてあった。立ち上がりの短い頸を持った盤状の小さな口が付いている。表面には、茶色い染みがそこかしこに出ている。うっすらと、ところによってはきつく滲むようにあらわれており、それらが乳白色の肌と絶妙な調和をなしていた。白い釉のなかに朧(おぼろ)に浮かび上がっているように見えるその薄茶色の染み模様が、今の自分の不安定な気分をいくぶんか和らげてくれたように思え、ぼくはその瓶にじっと眼を注いでいた。

 Reiが新しいお茶を盆に乗せ戻ってきた。「あれって、李朝?」ぼくは指をさして尋ねる。柔和な白に溶け込んでいる茶色い滲(にじ)みが、李朝白磁を想起させたからである。白い肌の具合もよく似ている。「あの瓶ですか?」「うん」「あれは、キョロクです」「キョロク?」「はい」ぼくの前に茶托を置くとReiは横に腰かけた。

 「キョロクって、中国?」「そうです」そう言えば、三代目の宋時代の講義でそんな名前を聞いたことがあった。確か、鉅鹿(きょろく)という名称だったか。「良い、瓶でしょ?」「うん。しかし、何とも言えないこのシミの出かたが、なんか、ほっとする」「鉅鹿らしいですよね」

 ――「鉅鹿」とは、河北省南部の小都市の名称。古文献によると、北宋時代大観二年(1108)の秋、漳河(しょうが)の氾濫によって町が一夜のうちに泥土の下に埋まってしまったとある。災害遺跡としてはポンペイが有名であるが、鉅鹿もその一つとして語り継がれているのだ。その800年後の20世紀初頭のこと。この場所が酷い日照りに悩まされ、農民が水を求めて地面を掘り下げたところ、こうした白いやきものが多数発見され市場に流通した。柔和な白に浮かぶ茶色の染みの醸し出す味わいが、当時の日本人の心をつかみ人気を博したことから、この手のモノを「鉅鹿(きょろく)」と呼び慣わすようになった。表面にあらわれている薄茶色の模様は、長年泥水に浸かっていたことで付いた汚れだったのである。

 ぼくは瓶に近づくと、右手の二本の指を小さな口のなかに入れ、左手で平らな広い底部を支えるようにして持ち上げ、胴の表面にあらわれている茶色い染みに眼を落した。確かにそれは内側から滲み出たものではなく、器面の上から入ったものであった。この白磁は、やや低めの温度で焼成されたため、一種の生焼け状態になっており、表面には細微なひびが生じている。そのひびのところどころに、泥が入り込んでいるのだ。まるで筆で泥水を塗りつけたかのような染み模様は、ある種のスピード感があり、一挙に泥土に沈んだ生々しさを物語っているようにみえた。白磁の肌も、低火度で焼造されたせいもあり、定窯のような硬質感がなく、それがかえって柔らかい印象を与えている。――中国陶磁でも、こんな温和なモノがあるんだなとぼくは見惚れていた。

 

 ドアが開く音がし、ようやく宋丸さんが出勤してきた。「おおっ、なんだよ。休みじゃなかったのかよ」といつものようにカカカと笑いながら、ソファに腰を落とす。そしてぼくに目を向け、「おいおい。なんだか、大物が出るらしいな。ロンドンで」と言った。その大物が、カバーロットの元染壺を指しているのか、馬上杯を指しているのか、宋丸さん特有の言い回しのなかでははっきりとつかめなかったが、おそらく馬上杯を指しているように思えた。

 「それで、ちょっと、訊きたいことがありまして」「なんだぁ?」笑い顔の前に、Reiがお茶を置く。「実は、万暦豆彩の馬上杯についてなんですが……」宋丸さんは、笑みを浮かべながらゆっくりと碗に手を伸ばした。

 「今度、エリタージュにあるのと同じタイプがオークションに出るじゃないですか」「らしいね」と一口飲んでぼくの顔を見る。

 「あれって……、いくらくらいするものでしょうか?」ぼくは単刀直入に訊いた。「ははぁ、あれかい」宋丸さんは奥に向かって「お嬢さん、図録出して」先程テーブルの脇に置いた図録を、Reiがその頁を開いて「はい」と差し出す。宋丸さんはじっとみつめ「はあ、こりゃあ、立派なもんだなあ」と感心したように言うと、すぐに図録を閉じた。

 「まあ、エリタージュの方が上だろう」「はあ」とぼくは答える。「よく似ているが、エリタージュには敵わない。あっちの方が上だ」「……そうですか」――なるほど……。あくまでもクオリティにこだわるのは、わかった。もちろんそれは重要なことである。ただ今回は、値段が知りたいのだ。どのくらいなるのか、宋丸さんの見解を訊きたいわけであり。だから、尋ねているのだ。

 

 「実は、以前、エリタージュの馬上杯に領収証が付いていたって話ししましたよね」宋丸さんは、またゆっくりとお茶に口をつけた。「昭和45年の領収証」「そうだったなぁ。万博の年だ。ぼくがおさめたのは」ぼくは宋丸さんを正視し、「はい。その時の金額が、1200万なんです」それを聞くなり宋丸さんは、「へええーっ」と目を丸めて天を仰いだ。「そんなに高い値段だったかよ」そして、カカカと笑う。――自分で売ったんだろ、と何となくはぐらかされたみたいに思え、ぼくは少々イライラしてきた。よくよく知っているくせに初めて聞いたかのようなリアクションをみせる、老齢の骨董商にありがちな狸のような老獪さを、宋丸さんはふんだんに持ち合わせていた。

 この調子だと、また話しが長くなりそうだったので、姿勢を正し再び尋ねた。「だから、今回の出る馬上杯は、いくらくらいいくのかと思って……」宋丸さんはソファから背中を離し、「お嬢さん、お茶のおかわり」と言ったあと、「なんだよ。買うのかよ」とじろりと目を向けた。「いや、ぼくではなくて、知っているひとですが、買うつもりで……」宋丸さんはニタニタと笑いながら、ぼくの話しに耳を傾ける。

 「エスティメートが、200から300万なので……」E氏の1500万もしくはそれ以上という推測と、犬山の評価額の10倍という予想を引っ付けて、「3000万円くらいだったら、買えるでしょうか?」とその上限を投げかけてみた。実際ぼくは、総合的に考えてみて、いくら高くてもそれくらいなら買えるのではないかと思ったのだ。

 Reiが再びお茶を置く。そしてその場に立ち盆を抱えたまま様子をみている。宋丸さんは目を閉じ両手を下腹あたりで組んだまま、「う~ん」と唸ったきりしばらく動かなくなった。それが思いのほか長かったので、ぼくはその間、床飾りの白磁の瓶を見つめていた。柔肌に浮かぶ癒しの染みに、ぼくはじっと眼を置いていたのだ。

 ようやく宋丸さんが口を開いた。「5000万、出してもらえよ」笑みを崩さずに、さらりと言った。「ご、5000万もしますか!」ぼくは、予想の範疇を超えた数字に思わず声を高めた。宋丸さんは笑っている。

 そんなにもするものなのか……。いくらエスティメートが低いとはいえ、その約25倍だ。オークションの評価額は、出品者の意向が反映されるが、現市場の価格を大きく逸脱するものではない。あまり高く設定すると買い手がつかないことがよくあるからだ。一方、低い場合は、これは当然売れる可能性が高いわけだが、それでも評価額に対しての何倍かである。香港の16億円で落札された成化馬上杯も、高かったとはいえエスティメートの4~5倍だ。――エスティメートの25倍なんて聞いたことはない。しかし……、同手のモノが昭和45年に1200万で売れていることは事実であり、それを扱った当の本人が言うのだから真実味はある。新たに提示された5000万という破格ともいえる数字を受けて、ぼくはまた考えねばならなくなかった。はたして、マダムはそこまで想定しているのだろうか……。

 

 「わかりました。ありがとうございました」頭を下げるぼくをみて、宋丸さんは言った。「それにしても、もう一つあるとは思わなかったなあ」それが驚きであったというより、愉しくてたまらないというような無邪気な顔をし、「おい。世の中は広いなあ」と感慨深気に言ったあと、「ぼくは、まだまだ赤ん坊だ。ははは」と笑った。宋丸さんが赤ん坊なら、ぼくはいったい何なんだと思ったが、酷く高い壁が目前に聳え立ったように思え、言葉を発することができなかった。

 最後にもう一度頭を下げて席を立つ。「帰るのか?」「はい」正面の床の間が眼に入る。「良いですね、その鉅鹿」「あはは、これかい」宋丸さんは腕組みをして白磁をみやる。「良いか?」「はい。染みの入り具合が、なんか、景色になっていて……」「そうかい」宋丸さんは満足げに目を細めた。「白磁の色もさることながら、茶色い染みが、ほわぁんとしていて、気分が和らぎます」ぼくはゆっくり円を描くように両手を動かしながらそう言った。宋丸さんは、はははと笑ったかと思ったら、お茶をぐいと飲み干し眼窩の奥から強い眼を向けた。

 「5000万、出してもらえよ」――これが、今回の馬上杯に対しての、宋丸さん流の「失礼ではない」値段なのだろう。ぼくはいったん宋丸さんの顔を見て「はい」と小さく答えると、再び白磁の瓶に眼を合わせみつめた。そして、ふいに思ったことを尋ねた。

 「ちなみに、この白磁は、おいくらですか?」値段ついでではないが、急にこの瓶の値段が知りたくなったのだ。「これかぁ……」宋丸さんは片肘をソファの背にもたせかけ、もう片方の手で腿のあたりをゆっくり何度も叩きながら、しばらく白磁をみつめていた。そして、「まあ……、350って、言うんだろうなあ」と答えた。しかし、訊いたところで、その350万という価格が、いったい高いのか適正なのか判断がつかなかった。そして、このときぼくは、教授の仏手も、埴輪も、馬上杯も、そしてその他ありとあらゆるすべての骨董品の値段が、永遠に理解することができないもののように思えたのだった。

 

 宋丸さんが体勢を変えずに、つけ加えるように言った。「形が、200……。染みが、150……、だ」語尾の「だ」のところで、ぼくに顔を向けカカカと笑った。350万円の内訳をあえて示すところなどは、宋丸さんらしい表現だった。ぼくは白磁を凝視した。

 ――染みが、150。要するに、この染みに150万の値打ちがあるということである。

 ただこの数字が妙に的を得ているように思え、ぼくを現実に引き戻してくれたような気がした。

 

(第42話につづく 11月10日更新予定です)

白無地瓶(鉅鹿手) 北宋時代(11-12世紀)



 

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骨董商Kの放浪(40)

    金曜日午後6時のエリタージュ・ハウス。まだ客はまばらであるが、スタッフの目配りや動作に、なんとなく嵐の前の静けさを感じさせる。Reiのあとに続いて、ぼくはあたりを伺いながら、正面のエレベーターへと向かいかけたとき、「上じゃ、ありませんよ」のReiの声にびくっとして足をとめる。いつもSaeとは二階の個室だったので、ついエレベーターに向かってしまっていたのだ。

 「Kさん。初めてですよね? ここ?」Reiがやや訝しんで訊く。「あ、ああ。うん、もちろん」スタッフの一人が「こちらでございます」と左手の部屋へと先導した。初めて入る一階のメインルームは、150㎡ほどのスペースに大小十幾つかのテーブルが配置されているが、ひと際高い天井がそれ以上の広さを感じさせた。そこから吊るされている豪奢なシャンデリアと、ロココ調の壮麗な内装、そして、静かにゆったりと流れているクラシックのBGMが華麗に融合し、ザ・ゴージャスという異空間をつくり出していた。ぼくはそれを、半分口を開けて眺めつつ、どこかの雑誌にちらりと紹介された一文を思い出していた。「ここは、フロアで食べることこそが、ステイタスであるレストラン――」たしかそう書いてあった。

 「お気をつけくださいませ」スタッフがフロアへおりる段差を指さしてから「あちらでございます」と、奥から二つ目の席へぼくらを案内した。ぼくは上座に座らされたため、30メートルほど先に、今入ってきた入口が見える。

 「なんだか、緊張しますね。こんなところ初めてだから」Reiはややこわばった笑みをぼくに向けた。「う、うん……」ぼくは、さらにもっと緊張していた。ひょっとしたら、ここでSaeとばったり会うのではないかと。この建物の前に立ったときから、そういう嫌な予感がしていたからである。そして、こうした嫌な予感というのは、得てして的中したりするものなのだ。

 しかし……である。もし、たとえ鉢合わせしたとしても、別になんてことはない、普通に紹介すればよいのだ。

 ――知り合いです、と。

 二人に対し好意は抱いてはいるが、別に付き合っているわけではないのであって。変にうろたえる必要などないのだ。少々不穏な空気は流れるかもしれないが。正々堂々としていればよいわけであり。

 うん、そうだ。と思った瞬間、ぼくはクラっとめまいを起こしそうになった。入り口の数段を降りた長い髪の女性が、こちらに目を向けにこりと手を上げたからである。まじかぁ……。遠目ではあるが、いつもの水玉の衣裳がはっきりとみえる。今日は黄色地に白いドットのようだ。こちらに注がれる大きな瞳が目に入るや、ぼくは思わず立ち上がろうとし、そのはずみでテーブルをガタンと揺らしてしまった。やっぱり、嫌な予感は早々と当たってしまったと、ぼくは完全に平静を失ったまま、彼女が足早に近づいてくるのをみつめていた。「ごめんなさい、少し遅れちゃって」その声にぼくの後ろが反応する。「大丈夫。ぼくも今、来たところだから」振り返ると、奥の席で男性が手を振っていた。近寄る女性の顔を見てぼくは、よく似ているがSaeでないことを悟り、半分あげた腰を何気なくおろした。

 しかし、紛らわしいぜ、水玉模様――

 座りなおしたぼくに、温度のないReiの視線がぶつかる。「どなたかいらっしゃるんですか?」「えっ、い、いや、別に……。来るわけないじゃん」出されたばかり水を、ぼくはぐいと半分ほど一気に飲んだ。

 

 蝶ネクタイをした年配のウエイターが注文を取りにきた。Reiは、一枚だけ別になっているメニューを手にし「特性ライスカレーを、シーフードでお願いします」と言ってぼくの顔を見る。「はい。一緒のものを」「かしこまりました」ウエイターは会釈をすると静かに下がった。

 やがて各々の前にカラトリーがセットされる。カレーだけなのに、スプーンとともにナイフとフォークが両端に置かれたのを不思議そうに眺めるぼくをみて、「フレンチですから」とReiが答える。ぼくが小さくうなずくと、Reiが「でも、F会長に直々に会えるなんて、すごいですね」と身を乗り出して訊いてきた。「へえ、そうなの?」「そうですよ。わたしも宋丸さんのお使いで、あそこの本社に行ったことあるけど、いつも秘書室長が言付かるだけなので」「ああ、あのイケメンの」「はい。だから、みずから会長とお話しできたなんて、びっくりです」「へええ、そうなんだ」

 F会長との出来事は、道中おおよそ話をしていていた。「目が見えないのに、どうやってモノが判ったんでしょうね」Reiが訊く。「だから、こんな感じでさあ――」ぼくは老紳士のしぐさをまねるように両手をくねくねと動かしながら、「そんでもって、『彫り文様がうつくしい』って満足げに微笑むんだから」「すごいわ。それだけで判るなんて、よっぽどたくさん良いモノを触っているのね」「うん、そうなんだよ。こっちが、定窯ですと、説明しなくちゃいけないと思ってたところに、いきなり『良い定窯だ』って言うんだから」脳裏にその場面が映し出され、ぼくは自然と高揚しつい声高になっていた。「実際に見えているんじゃないのかなって、思うほどでさあ! そりゃあ、すごいのなんのって」「びっくりだわ。そういうひともいるんですね」「いやあ、ほんとうにもう! アッと驚くタメゴロウってやつだよ!」と言った瞬間、ぼくは、あっ、まずいと思った。これは完全に犬山のセリフだ。あいつの口癖がうつってしまった。なんてこった……。Reiがぽかんとみつめている。犬山と会話していると、ついこういう昔の変な言い回しが口をついて出てきてしまうのだ。この局面(上品な場所×心に響く話題)において、なんて不適切な言い方をしてしまったのかと、浮かぶ犬山の面(つら)に舌打ちをし「いや、本当に、驚嘆の極みで」と、Reiをみつめ慌てて訂正した。

 

 「でも、ぼくが感動したのは、――これがなんで優れたモノであるかが判った理由、って言われたあとに、『それは、宋丸さんが勧めたからだ。宋丸さんにそう言われちゃあ、そりゃあ、良いモノだろう』って、会長が実に愉しそうに話したことなんだ。そういうお互いの信頼関係って、なんか、いいなあって」深くうなずくReiの顔をみつめながら、「F会長の、いかにも宋丸さんを信じてるっていうその言い方が、じんと胸に響いたかな」「すばらしいです」Reiはもう一度深くうなずくと「すばらしいです」と繰り返し、「骨董商とお客様の関係は、単にお金の繋がりじゃなくて、心の絆が一番大切じゃないかなあって。宋丸さんとF会長は、理想的な関係だと、わたしはそう思います」

 Reiは眼を輝かせながら言った。ぼくはその眼をみつめた。そこには、室内の華やかな色彩が映し出されてはいたが、それをもろともしない清冽さがその瞳の奥にあるように思えた。

 

 全体の三分の二にライスの盛られた皿とともに、カレーのルーの入った銀製の容器が目の前に配された。ルーのなかには、大きな海老、帆立、イカ、スライスした鮑が入っている。Reiは先ず海老を皿の空いたスペースに取り出し、ナイフとフォークで刻み、ルーを少々掛けてから食べ始めた。ぼくはそれを見ながら、全ての具材を皿に載せるとそれぞれを切り刻み、その上から、容器ごと傾けながら全部のルーを掛けた。具が大きいせいか、肝心のルーが少ないように感じたが、その味は絶品だった。どちらかというとスープ状になっているカレールーは、さらりとしているが濃厚な味わいで、いかにもフレンチの様相を呈している。一口含んだとたんに、ぼくは「うまっ!」と叫んでいた。その自分の声に思わずあたりを見回す。Reiはくすりと笑い、「やっぱり、美味しいですね」と頬を緩ませた。

 鮑から食べ始めたぼくを見て、Reiはまたくすっと笑った。「本当に、Kさん、鮑好きですよね?」「そうかなあ」「だって、いつも中華の前菜が出ると、先ず鮑から食べるじゃないですか」――たしかに。そうかもしれない。宋丸さんの店が退(ひ)けるときにぼくが残っていたりすると、Reiと三人で夕食に行くことが時々あった。そういうときはいつも宋丸さんの行きつけの中華料理店なのだが、その店の前菜の何種かに必ず鮑が入っており、どうやらぼくは鮑から最初に箸をつけるようだ。しかし考えてみれば、ぼくなんかが鮑などという高級なものを食する機会などそうはない。当然のことだろう。なんといっても、美味しいのだ。特に蒸したやつは。あと――、これは、ちょっと余談になるが、先日やはり三人でその中華店に行ったときの宋丸さんの注文の仕方には驚いた。担当の給仕がやってきて「宋丸さん、前菜はいつもの組み合わせでよろしいでしょうか?」と訊いたときのことである。「この前は、クラゲが美味しくなかったなあ。今日は、クラゲを抜いてくれよ」「そうでしたか。それはすみませんでした。しかし宋丸さん、今日のは、美味しいですよ。だから入れておきましょうか?」「いやあ、いいよ(笑)」「大丈夫です。今日は美味しいので」「そお? 本当かあ?(笑)」「はい」「しょうがないねえ(笑)」「はい」「それじゃあ……、三本にしてくれ」――ええっ、三本? とぼくは目を丸くした。クラゲを三本と注文するひとは、未だかつていないにちがいない。さすがだ、宋丸さん。(結局はたくさん出てきて美味しかったわけであったが)

 

 気がつくと、エリタージュは満席になっていた。ぼくらはすっかり特性カレーを堪能したあと、デザートを注文した。人びとの話し声が、上品に流れるピアノの調べに乗って、心地よく耳に入ってくる。Reiはそれまでの柔和な表情からやや眉をひそめると、ぼくの瞳の中心に視線を合わせるようにして「ねえ、Kさん――」と訊いてきた。「なに?」「前に……言ってたじゃないですか……」「うん……」「ここにある、エリタージュにある、馬上杯のこと……」Reiは小さく深呼吸をして、「あれって、その後、何か進展あったんですか?」「……あれかぁ……」

 ぼくは頭のなかを整理した。以前Reiに訊かれたときは、この件が生々しくぼくの気持ちを揺るがせており、どう対処すべきか混迷し話しを切り出せなかったわけであったが、あれから時間も経ち、少し落ち着いて考えられるようになってきたのは事実であった。

 この件に関して、いったいぼくに何ができるのか? 今一度それを考えてみるにあたり、この馬上杯のストーリーをReiに聴きてもらうというのも、ちょうどよいタイミングかもしれないと、ぼくは思った。Reiの反応やアイデアも、何かのきっかけになるかもしれない。

 

 「実は……」とぼくは、先ずマダムのことについて話しを始めた。

 マダムの祖母は日本人で、戦前に実家の事情で帰国したきり戻れなくなったこと。マダムの父は、幼少期から青年期まで日本で暮らしたが、戦後母国に帰り仕事に就き、その後結婚し二人の娘に恵まれ、祖父とともに北京で順風満帆な生活を送っていたこと。しかし、世の気運が文化大革命へと転換したことで、不遇な状態に追い込まれ、文革が猛威を振るった1966年の冬、マダムが11歳のとき、紅衛兵たちが自宅に押し入り、祖父の愛蔵していた骨董品をことごとく破壊し、そして最もだいじにしていた万暦豆彩馬上杯までも標的となりかけたそのときに、彼らの指揮者たる上役の指令により、壊されずに奪い去られたこと。

 

 そこまで話しをしたところで、デザートが運ばれてきたが、Reiはそれに目もくれずにじっとぼくをみつめていた。ぼくはその気丈な眼を見て、開きかけた口をいったん閉じた。ぼくは躊躇っていた。これからの話しが、あまりにも凄惨であったためである。香港の豪華な中華レストランの個室で、淡々と話したマダムの言葉を思い起こしながら、ぼくは蘇ってくる自分の感情を抑えるようにして、話しを始めた。

 

 この事件ののち、マダムの両親はスパイ容疑で逮捕され、その2年後に祖父が亡くなり、またその翌年に母が地下牢で絶命したこと。父が労働改造所から解放され戻ってきたのは、逮捕されてから8年後のことであり、その翌年にその父も亡くなったこと。ついに姉と二人きりとなったマダムは、中国を脱出しようと試み、香港へ渡る商船に乗り込んだが、姉がみつかってしまったこと。そのとき姉が「わたしは独りで乗り込みました」と叫んだことで、マダムはみつからずに済み、香港へ渡ることができたこと。このときマダムは22歳であったこと。香港で新たな生活を始めたマダムは、親友との出会いもあり充実した日々を送ることができ、その後日本人と結婚し日本に移り住み帰化したこと。そのご主人の仕事が成功したことで、現在は裕福な身分となり幸せな日常を過ごしているということ。

 ――そして何といっても、30年近く前に離別した姉のことを重んじているということ。

 時間的にも経済的にも余裕ができたマダムは、彼女の消息を知ろうと四方八方手を尽くしているが未だ判明せず、ひょっとしたら、姉と略奪された馬上杯が何か見えない糸で繋がっているような気がしてならないと言っていたこと。だから、馬上杯の行方を何としてもつかもうと、マダムは常に中国美術のマーケットに目を光らせているということ。

 

 ぼくの話しが進むにつれ、Reiの表情がみるみるこわばっていくのがわかった。しかし、マダムの現在の幸せな現状を知ると、少しほっとしたような表情を浮かべ、Reiは手つかずのクリームブリュレに小さなスプーンを挿し込んだ。ぼくも表面に載っているクランベリーを口のなかに入れた。

 

 「それで、その馬上杯が、ここにあるモノかと思ったんですか?」これまでのぼくの話しを分析して、Reiは尋ねた。「うん。実は前に、ここの馬上杯を見たことがあって――。香港でマダムから今の話しをされたときに、ひょっとしたら、マダムの探している馬上杯が、ここにあるモノじゃないかと思ったんだ。滅多にないものだって聞いていたから」「結局……違ってたんですね?」「うん……。宋丸さんに訊いたら、世に一点しかないものだって言ったので、間違いなくエリタージュの馬上杯が、マダムの言っているそれだと思ったんだけど、マダムが確認したら、これじゃないって……」「本当に、違うモノだったんですか?」「うん。だって、ここのは、戦前期から日本にあって、日本の古い二重箱に入っているんだ。かつて宋丸さんが修行していた店のご主人が扱ったモノで、それを昭和45年の万博の年に、宋丸さんがこちらにおさめたものだと、そう言ってた」「つまり、もう一つあるってことですね……」「そういうこと……」

 

 そこでぼくらは黙り込んで、お互い少しずつクリームブリュレを口に入れていたが、やがてReiが「そのマダムの家にあった馬上杯がみつかると、お姉さんと会えるっていう確証はあるの?」と問いかけた。ぼくは考え「いや……それは、ないと思う」と答え、「確証はないけど、馬上杯がみつかることで、ひょっとしたら、この件が何か新たな方向へ動くんじゃないかって、良い方向へ流れるんじゃないかって。あくまでもマダムの願望だろうけど、そんな感じのことを言っていた……。あと、もしみつかれば、持っているひとに、頼みたいことがあるって」「何かしら?」「いや……、それは、聞かなかった……」Reiは小さな吐息を一つ漏らすと、「でも……頼みの綱が馬上杯って思う気持ち、すごくよくわかる……」とぼそっと言って、ティーカップを口に運んだ。ぼくもコーヒーを一口飲んでから、思ったことを口にした。

 「でも、普通に考えたら、文革の真っただ中でしょ? その上役が没収したとはいえ、それが、そのまた上役にみつかったら、造反だ!ってことになって、また没収されて……。結局は壊されてるんじゃないかなあ。やきものなんか、あっという間に割れちゃうし……。もし、難を逃れたとしても、40年もの月日が経っているわけだから、その間に失われているんじゃないかなあ」

 そのとき、バンっというテーブルを叩く音がした。ぼくはびくっと反応。Reiの眼が血走っている。「なんてことを、言うんですか!」「あっ……」「あります。絶対に、あります!」「あ、うん……」Reiはぼくを正視し、「前に、宋丸さんがKさんから高麗青磁の小皿を買ったとき、何て言ったか覚えてます?」「ああ……。『百年待ったよ』ってやつ?」「はい」Reiは確(しか)とうなずいて、「宋丸さんは、あの小皿を昔から知っていて、いつか手に入れたいと思っていて、ずっとそのときを待っていたんだと思います」「うん」「だから、思いは、届くものだと思います」「うん……」

 ネエさんも、ハッダの頭を手に入れたときに言っていた。「優れたモノはなくなったりしない。思い続けると、またいつか、きっとめぐりあう」と。先日の教授の埴輪の皇女もそうだった。願いは、叶ったのだ。それにマダムの思いは、これらとは別次元だ。狂おしい烈しさのようなものが込められている。きっと、その念の力で、祖父の馬上杯を引き寄せるような、そんな気がする。

 

 暫しの沈黙のあと、Reiが目を伏せたままぽつりと言った。「ねえ、お祖母さまは、どうしてるのかしら?」「えっ?」ぼくはきょとんとみつめる。Reiが顔を上げ、「日本にいるお祖母さま……」何を言うのかと思い、ぼくは半分吹き出すように「そんなん、とっくに亡くなっているだろう」「うん。今はそうかもしれないけど……」「えっ? どういうこと?」Reiはまだ焦点が定まりきらないというような眼をして「わたしたち、少し視点を変えたらいいんじゃないかしら」と言った。「視点……て?」

 「Kさん。マダムにとって、一番の目的は、お姉さんに会うことですよね?」「……うん。その通りだ」「必ずしも馬上杯をみつけることじゃないですよね?」ぼくは考え「うん」と答えた。Reiは紅茶を一口飲んでから、「マダムが香港に行ったときは22歳って言ってたけど、それは何年の話しですか?」「マダムが1955年の生まれだから、1977年か」Reiは一つこくりとうなずいて、「そのときお姉さんは何歳だったんですか?」「たしか、三つ上って言ってたから、25歳か。なんで?」「はい。お姉さんの立場になって考えてみたらどうかと思って」「なるほど……」「お姉さん、船で捕まったあと、どうなったと思います?」ぼくは上目遣いで考えながら、「そりゃあ、北京に送り返されて……、ああいう時代だから、地下牢とかに放り込まれて……、えっ? ひょっとしたら、お母さん同様、そこで、命を落としたかも……」また、バンっとテーブルを叩く音がした。「そんな風に、考えないでください!」「だって、文革ってのは、そういうもんだろ?」「文化大革命は、1977年に終結宣言が出されています。仮に逮捕されたとしても、刑は軽いものだと思います。マダムやお姉さんのような若者がたくさんいたんですから」Reiの確たる返答に、「えらい詳しいね?」とぼくは訊く。Reiはニッと笑って、「わたし、大学のとき中国史とってたので」と答えた。

 ――なるほど。今日はやっぱり、Reiに話しをしてみてよかったと、ぼくはそのとき強く思った。

 

 「ですから、わたしが考えるに、お姉さんは25歳で、たった独りになったわけじゃないですか。ご両親も亡くなり妹とも別れて」「うん」「そうしたら、頼れるのは、日本いるお祖母さまだけじゃないかなと……」

  それを聞いて、ぼくはマダムの話しを思い出した。たしか――、両親が逮捕され祖父が亡くなった直後、二人は貧しい農村へ送られそうになったところを、祖母の尽力で知り合いの家で保護されたと言っていた。

 そのことをReiに話すと、「やっぱり……。だから、どこかで日本のお祖母さまと繋がりがあったんですよ。少なくとも、お祖父さまが亡くなった後くらいまでは」「ふうむ……」「それって、何年くらいの話しですか?」「農村へ送られそうになったとき?」「はい」「おじいさんが亡くなったのが、馬上杯が奪われて2年後って言ってた気がするから、そうすると、1968年頃か……」「マダムが香港へ渡ったのが、1977年……。その間、きっとお祖母さまとは何らかの形で交信していたんじゃないかしら?」「つまり、お祖母さまの居所を知っていたってこと?」「――はい」「じゃあ、今、お姉さんは、日本にいるかもしれないってこと?」「可能性はありますね――」「ふ~ん」とぼくは腕を組み、首をひねった。「でも、そうしたら、なんで二人はそんな危険を冒してまでして香港へ行こうとしたんだ? 日本へ来ればいいことじゃん」「それは当時、正式に認められてなかったんでしょうね。だから、密入国のようなことをしなければならなかった」「だとしたら、香港へ渡ったマダムは、なぜ日本のお祖母さまに連絡を取らなかったんだ? 香港からだったらわけないことじゃん」「……そうねぇ」今度はReiが首をひねる。「お祖母さまと繋がっていたなら、マダムは、とっくにお姉さんを見つけ出しているだろ」「……そうですね。う~ん……。お祖父さまが亡くなった頃はまだ繋がっていたけれど、それから途絶えてしまったのかもしれませんね……」「亡くなったのかもしれないし……」「それもありますし……。戦後中国に戻れなかったのも、何かお祖母さまのご実家の方の、複雑な事情がありそうですし……」「そうだよ。この間のマダムの話しのなかに、お祖母さまのことが出て来なかったところをみると、やっぱり、縁が切れちゃっているんだと思う」

 Reiは遠くをみつめるようにして、「すごい時代ですね……。日本が中国と戦争して、世界大戦になって、戦争が終わったと思ったら、中国では文化大革命が起こって……。そういう時代の荒波に翻弄されてしまった人生なんて……。到底わたしたちには、理解できないですよね……」

 

 ぼくらは再び黙り込んでしまった。冷めたコーヒーの最後の残りを口に入れると、ぼくは言った。「だから、お姉さんは、今まだ中国にいるんだと思う」「……そうですね。文革のあとは、平和になっただろうし。25歳のお姉さんは、その後、結婚して家庭を持って、幸せに暮らしているのかもしれませんね」「うん。きっとお姉さんの方でも、マダムを探していると思う。絶対」「はい。それは間違いなく、そうだと思います」Reiは明るい顔をみせた。「となると、つまるところ……」ぼくは、膝頭のあたりを軽く一つ叩き、「それらすべてを繋いでいるのが、馬上杯ってことになるのかもなあ……」それに対しReiも、「やっぱり、馬上杯をみつけることですかね……」と言って小さくうなずいた。

 ――そのときであった。ぼくの上着の内ポケットに入っている携帯が鳴った。ぼくは胸から取り出す。「電話ですか?」「うん」携帯を開き着信表示を見て、ぼくはぎくっとした。「Sae」と出ている。そのまま硬直しているぼくを見て、「出ないんですか?」とReiがみつめる。「あっ、いや、ちょっと、ごめん」と慌てて立ち上がると、受信ボタンを押しながら、ぼくは大股で席から離れた。「Kさん? わたし、Saeだけど……」「あっ、はい。ぼくです」思わず声が上ずってしまった。そしてフロアの出入口のところで止まり、あたりをきょろきょろと見回す。まさか……このあたりにいるのか? 「ねえ、Kさん、今どこにいるの?」「えっ、い、今?」ぼくはまた見回す。「Saeさんは?」取りあえず確認。「わたし? ……家だけど」それを聞き「ああ、そうなんだ」と言ったあと、ぼくは安堵の吐息を静かに漏らす。「今、ちょっと、外食中で……」「そうなの?」「ああ、うん。で、どうしたの?」Saeの声が突如跳ね上がった。「それが、たいへんなのよ!」「えっ? 何が?」「例の馬上杯、来月のロンドンのオークションに出るんだって!」「えええっ!  まじっ!?」ぼくは、フロアのステップのところに足を掛けたまま、思わず叫び声をあげた。「そうなのよ。さっき、オークションハウスB社の担当者から連絡が入って。エキスパートの学者さんが、同じものがうちにあることを知っていて、写真の画像を送ってくれないかって。貴重な類品として図録に載せたいんだって」ぼくはにわかに言葉が出ず――。「だから、ちょっと、相談したくて……」「うん」ぼくはごくりと唾を飲み込んでから、左手を受話器に添え確認するように訊いた。「それって……マダムの言ってたモノ?」「それが、まだ、そのモノなのかどうか、わからないのよ。万暦豆彩馬上杯が出るっていうだけで。今ね、ロンドンに問い合わせてるの。出品される作品の写真データを送ってくれって」

 

 うーむ。こりゃあ、たいへんな事態になってきたぞ。ここにきて、同様の馬上杯が出てくるということは……。それは、おそらくマダムの祖父の旧蔵品にちがいない。もはやそういう流れになってきているのだ。マダムの切なる思い(ひょっとしたらお姉さんの思いも入っているかもしれなく)が、結実しようとしているのだ。

 ――「だから、Kさん…」そのSaeの声に耳を傾ける。「画像が届いたら、知らせるわ」「了解」ぼくは電話を切った。

 

 席に戻ったときの、ぼくのただならぬ表情を読み取ったのか、Reiが即座に訊く。「何か、あったんですか?」ぼくはReiを見据え「うん」と答えた。「今、情報が入って――。来月のロンドンのオークションに、同じタイプの馬上杯が出るんだって」「ええっ!」その眼が見開く。「――どういうことですか?」「おそらく、それが、マダムの馬上杯なんだと思う」「――本当ですか?」「まだ、確定してないけど、たぶん……。二つとないようなモノなんだから……」それを聞き、Reiは信じられないという顔をしたまましばらく呆然としていたが、やがて、うん、うん、と二つ大きくうなずいてから、「わたしも、そう思います。きっと、出てきたんだと思います」と言って、「よかったぁ……」と顔を綻ばせ、「やっぱり……思いはかなうんですね」とぼくをみつめた。その顔を見て、ぼくも大きく一つ息を吐いた。にこやかな目と目が交錯する。

 すると、Reiは目を大きく開け、二三度ゆっくりと瞬きを繰り返したのち、「ところで――」と訊いてきた。「それって、どこからの情報ですか?」「えっ?」「今の電話……、ですよね?」「あっ、こ、これ?」と、ぼくは携帯を手にしたまま言葉につまる。「これはぁ……何つったら、いいのか……」ぼくが目を逸らし、しきりと後ろ髪を搔いていると、「――あと、一つ確認したいことがあって」とさらに問いかけてきた。「Kさん。さっき、ここのエリタージュの馬上杯を見たことがあるって言ってましたが……、誰に見せてもらったんですか?」えっ? 直球がきた。「だって、ここのコレクションは、プライベートですから、普通では見られないはずですよね? たしか」Reiはたたみかけるように、「どうやって見ることができたんですか? 宋丸さんに頼んだようにも思えないし……」ぼくは必死になって頭を回転させたが、中身はマダムの馬上杯に占拠されてしまっており、うまい台詞が出て来ない。「う~ん……」と小さくうなったときであった。先ほど注文を取りに来た年配のウエイターが、トレイを持って現れた。何やらデザートが載っている。

 「季節のデザートをお持ちいたしました。本日は、八朔(はっさく)のゼリーでございます」蝶ネクタイのウエイターがガラスの器を手に取り、Reiの前に置いた。「えっ」とぼくらは顔を見合わせる。Reiが「すみません。頼んでませんが……」と目を向けると、ウエイターは柔和な笑みを崩さず無言でうなずき、「お紅茶のおかわりは、いかかでしょうか?」とReiの前にメニューを差し出した。「はあ」と言いながらReiはメニューを受け取り、目を落とす。その瞬間、ぼくの膝元に向かって蝶ネクタイの右腕が伸びた。紙切れが握られている。ぼくは思わずそれを受け取った。メモ用紙が折り曲げられているのを確認し、ぼくは蝶ネクタイを見やる。しかし、こちらの方に一切目もくれず、Reiの注文を取っている。ぼくは膝に掛かっているナプキンを陰にしながらメモ書きを開いて、うっと声を上げそうになった。

 

 「これは、わたしからの、差し入れです。それ食べたら、2階に来てね。さっきの打ち合わせをしましょう――」その一番下に「Kさんの声と重なって、ドビュッシーの名曲が聴こえたわ」とある。ぼくは顔を上げ、耳を澄ませた。この音楽かぁ……。2階って…………。家にいるんじゃあ、なかったのかよ……。

 ――うーむ。こいつも、なかなかの、強者(つわもの)だな……と、ぼくは思った。

 

 半ば放心状態のぼくの顔を見て、「なんか、変じゃないですか? こんなタイミングでまたデザートが出てくるなんて?」とReiが問う。ぼくは「さあ……」と首を傾げながら、「今日は宋丸さんの予約だから……特別に出てきたんじゃないの……」と上手にかわしたが、Reiは解せない顔でじっとぼくをみつめてから、はっとわれに返ると、「Kさん。まだわたしの質問に答えてないじゃないですか」と再び詰め寄ってきた。「馬上杯の情報は、どこから入ったんですか?  それと、もう一つ。エリタージュの馬上杯は誰に見せてもらったんですか?」「うん。わかった。まあ、それは、また、おいおい……」と言ってぼくはゼリーを頬張る。「んっ! うまい! Reiちゃん、この八朔の、つぶつぶが!」実際に美味しかったのだ。「ちゃんと答えてください」そう言いながらReiもゼリーを口に入れ「うん」とうなずいた。「うまいでしょ?」「おいしいですよ……ってえ、話しをすり替えないでください!」「わかった、わかった。でも先ずは、せっかくきたんだから、ゼリーを食べようよ」「それは、もちろんいただきますよ。でも、答えてくださいよ」「うん。だから、それは、おいおい……」「なんですか? その、おいおいって」「とにかく、それに関しては、おいおい話すから……」

 ぼくは、そのあと、「おいおい」を15回くらい言って、この窮地を乗り越えた。

 

 エレベーターで2階に降りると、先ほどの蝶ネクタイのスタッフが待ち構えていて、個室の扉を開けた。Saeが座っている。開いたノートパソコンに向けられていた大きな眼を、ゆっくりとぼくに移すと、Saeはふふっと笑った。「可愛らしい彼女さんね」「――彼女ではないので」ぼくは椅子を引いて腰かけると、「家にいるんじゃ、なかったの?」「家にいましたよ。電話しているときは……。でも、受話器から、ドビュッシーが流れてくるんですもの。だから、タクシーでここに来たの。うちからすぐだし。善は急げで――」ぼくが口をへの字に曲げていると、Saeが息を弾ませ、「早速、届いたのよ。ロンドンから、画像が」「まじっ!」Saeはこちらにパソコンを向けると、英語で綴られているメールの画面を出し、そこに添付されている写真を何枚かクリックを繰り返ししながら一枚一枚流してみせた。そして、6枚目の写真のところで指をとめた。

 ――「これ」Saeがさす。アップにされた画面には、赤い唐花の左上に緑色の釉がポチっと付いている。ぼくは瞬間「あっ」と声を出し、マダムの言葉を思い返した。

 

 「うちのは、赤い花文様の左斜め上に、ちょこんと、緑色が飛んでいて……。よく覚えている。それが可愛くて……」

 

 まさに、これだ! マダムの家にあった馬上杯だ! ぼくは画面を指さし立ち上がった。「これだよ! 間違いない!」「うん。おそらく、そうでしょう」同感というようにうなずくSaeを見ながら、ぼくは携帯を取り出した。「よし、マダムに教えてあげよう」と画面を開いたとき、「ちょっと待って」とSaeが制した。「どうしたの?」「Kさん、この件で、もし自分ができることがあったら尽力したいって、言ってたでしょ?」「うん……、その通り」「わたしも……、この話しを聴いて、マダムにも会って、うちの馬上杯もからんだりしていて、なんか他人事(ひとごと)ではないような気がしていて……、だから、わたしも、おんなじ気持ちなのよ。何か力になれないかなあと思っていて……」

 Saeの大きな黒い瞳が鮮やかな光りをもって揺れ動いていた。それにつれ、浮かび上がってくるように映る縹(はなだ)色の水玉模様を、ぼくはじっとみつめていた。

 「――わたし、ロンドンへ、マダムと一緒に行こうかと思ってる……」「うん」「――だから……Kさんも、一緒に来て」「……うん」とぼくは答えていた。

 

 きっと、それが正解なのだろう。ここまできたら、見届けなければならないし、微力ながら何かできることがあるかもしれないのだ。

 「百年待ったよ」と言った宋丸さんの言葉が、「思い続けると、またいつか、きっとめぐりあう」と言ったネエさんの言葉が、「寝る前に、出会えるように願をかけている」と言った教授の言葉が、そして、以前Z氏が言った「骨董の持つ業(ごう)」というフレーズが、次々とぼくの頭のなかを駆け巡って、最後に馬上杯が瞼の奥に浮かんだ。

 ぼくはSaeの顔に今度はしっかりとうなずいて、携帯に目を移したときであった。液晶画面が光り着信音が響いた。画面には登録外の見知らぬ数字が並んでいる。

「彼女からじゃない? さっき、Kさん、つれなく帰しちゃったから――」「いや、違う。知らない番号だ……」ぼくは取り敢えず受信のボタンを押した。

「もしもし……」すると「もしもし」と言う女性の声がする。「ん?」「Kさんですか?」「はあ……」「わたし、Miuです……」「Miuちゃん?」Saeの目を気にしながら、「どうしたの?」「ごめんなさい。遅い時間に」「いや」「さきほど、先日の数学博士から連絡が入って」「それで?」「はい。お金が用意できたので、取りに来てくださいとのことで。父に言ったら、そうしたら、またKさんと一緒にお伺いしてくれって」「いつ?」「明日の午後です」「わかった」「でも……何かそのときに相談したいことがあるって……」「相談? ……なんだろう?」「それは、行ってみないとわからないみたいで」「了解。明日、行きます」と言ってぼくは電話を切った。

 

 「いろいろと忙しそうね、Kさん」「あっ、うん……」Saeはパソコンの画面を自分の方に戻し、「セールは、5月15日。ヴューイングは、10日から。場所はロンドン、ボンドストリートにあるB社2階。そう、マダムに伝えて」と、ゆっくりと口角をあげて言った。「わかった」ぼくはいったん閉じた携帯を再び開けた。

 

 

 翌日の午後1時、ぼくとMiuを乗せたハイヤーが教授の家の前で止まった。「じゃあ、こちらで待っていてください」ドアを開けた運転手にぼくはそう告げた。今日は、現金をもらって帰らなければならない。ぼくの手にはやや大きめの風呂敷。Miuに続いて車を降りる。

 玄関先で出迎える奥様に「失礼いたします」とお辞儀をし、燦燦と陽の入る応接間へ。座ってすぐに奥様がお茶を持って現れた。今日はいつものペースだ。奥様が目を伏せ「少々お待ちを」と会釈しその場をさがる。入れ替わるように扉が開き、教授が片手を上げてやってきた。手には紙袋を持っている。おそらく現金が入っているのだろう。ぼくらは立ちあがる。かけなさい、という教授のハンドサインで、ぼくらは椅子に腰をおろした。教授は紙袋を自分の右脇に置くと、さっそく手を差し入れ、なかにある現金を少しずつ取り出すとテーブルの上に置いていった。徐々に百万円の束が積み上がっていくのを、ぼくは静かに見つめていた。そして、全部を出し切ったあと、教授は札束を数えながら揃え始め、それが終わると、黒縁眼鏡に指をかけたまま、じっとぼくに目を注いだ。

 ぼくは現金に目を向けた。百万円の束が十個重ねられた山が五つと、その横に五つの束が置いてある。全部で、五千五百万であった。

 ――価格は、七千万円である。ぼくは無言で教授をみつめるしかなかった。

 やがて教授の口が開いた。「すまんが……これしか用意できなかった」「……」「あとは……ぼくの所蔵品を一つ合わせるから、それでなんとかしてもらえないかねえ……」

 ――相談とは、このことだったのか。

 

 教授は背を丸めると、左手の床に向かって指をさした。この部屋に入ったときは気がつかなかったが、数学の専門書が窮屈に並んでいる本棚の下に、何やらモノが一つ置かれていた。ぼくは目を凝らしてみつめ、息を呑んだ。

 

 ――それは、Miuが「希望の箱」と名づけた仏手の石像であった。

 

(第41話につづく 10月6日更新予定です)

豆彩花唐草文馬上杯 明・万暦在銘

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骨董商Kの放浪(39)

 ぼくは、両手で抱えた小さな風呂敷包みにぐいと力を込め、受付に向かった。二人の女性が座っている。その右側の短髪の女性の前に進み出ると、緊張した面持ちで名を告げた。受付嬢は口元に笑みをたたえ「はい」と答えてからデスクに目を落とし、すぐに顔をあげた。「お待ちしておりました」その瞬間ちらりとぼくの風呂敷に目を当てたが、一定の笑みを崩さずに「あちらのエレベーターで6階にお上がりください」と手のひらで示した。ぼくはこわばらせた顔を一つ縦に動かすと、ぎこちない動きで右奥のエレベーターへと向かった。途中、何人ものスーツ姿とすれ違う。実は今日、ぼくも一張羅のスーツを着込んでいるのだ。ぼくは、8基あるエレベーターのうちの一つに乗り込むと、人垣から手を伸ばし「6」のボタンを押した。

 「6」のランプが消滅し扉が開いたが、誰もおりない。慌てて「すみません」と小声で言いながらエレベーターから出たところで、ぼくは思わず立ち止まった。すらりとした長身の女性が待ち構えていたかのように、整った微笑(えみ)でお辞儀をしたからである。「K様。お待ちしておりました」右足を前に出し左足をやや横に向けて揃え、肘を直角にし、ピンと伸ばした両手をへそ下あたりで重ね、30度の角度できれいに腰を折り曲げている。――いかにも大手化粧品会社の秘書室らしい接遇の姿勢に、ぼくはたじろぎながら「あっ、どうも」とあわてて頭を下げた。彼女の先導で、応接間に通される。「今、秘書室長がまいりますので、少々お待ちくださいませ」女性秘書は会釈をしながらドアノブを静かに引いた。

 扉が閉まると同時に、ぼくは「はあ」と深いため息をつきソファに身を沈めた。そしてあたりを見回すと、取り敢えず風呂敷包みを自分の真横に置いた。

 箱のなかには、香港で仕入れた定窯(ていよう)白磁碗が入っている。買ったはいいが、誰に見せることもなく、部屋のクローゼットの奥にしまいっ放しになっていたモノである。先日宋丸さんから、この碗に興味のある方がいらっしゃるからと、その連絡先を渡されたのでアポを取り、そして今日ここに来ているのだ。しかしそれが、こんな大企業の偉い方とは知らず、本社の玄関口からずっと緊張しっぱなしで呼吸を整える暇(いとま)もない。ネクタイを緩めると、ぼくは深呼吸を繰り返しながら、誰もいない空間で、ただやたらと目を泳がせていた。

 ガチャリという扉の開く音で、ぼくはとっさにネクタイを締め直しドアをみつめる。そこにいたのは、40代後半か、髪にやや白いものが程よく交じった高身長のハンサムな男性。ぼくを見るなり切れ長の目を一瞬大きく開けたが、すぐに優しい目線に戻すと「失礼ですが、Kさんですか?」と問いかけた。上品な微笑に、ぼくは「はい」と素直に返事をし立ち上がる。「わたしは、ここの秘書室長をしております」差し出された名刺を両手でいただいたが、端正な顔立ちとほのかに漂う芳香に気おされ、そのまましばし動けず。やがて我に返ると、急いで自分の名刺を手渡した。「では、あちらの部屋で会長がお待ちですので。どうぞ」「あっ、はい」ぼくがあとに続こうとしたところで、室長が振り返り微笑んだ。「Kさん、あちらのモノも」細く長い指の先にある風呂敷包みが目に入るや、「あっ、すみません」と、ぼくは慌てて取りに戻った。

 

 広い廊下の中央にある「会長室」と書かれた扉を、秘書室長は二度軽く叩くと「失礼いたします」とドアノブをゆっくり押した。ぼくは下を向いたまま息を殺し、室長に隠れるようにして後に続く。すぐに張りのある高い声が広い室内に響きわたった。「ようこそ、お出でくださいました」顔を上げると、10メートルほど先の豪奢なデスクの中央で立っている小柄な老紳士の姿が目に映った。

 「わたしは、会長のFでございます。どうぞ、そちらの椅子に」Fと名乗る白髪(はくはつ)の紳士は、机の前にある応接用のソファに向け右手を大きく開いた。すると、室長が素早い動作で老紳士の脇に進むと、右腕を両手で抱えるように持ち、応接椅子へ誘導した。どうやら脚が弱っているようだ。室長が慎重に足元をみつめながら腕を取り一緒に歩く。しかし、F会長は身体を彼にゆだねることなく、しっかりとした足取りで前に進んだ。老紳士の片腕を軽く支えている室長が、こちらに目を向け合図する。「Kさん、どうぞ、そちらにおかけください」ぼくはそれにしたがいソファに向かう。

 距離が縮まったところで会長に視線を合わせ、はっと息を呑んだ。脚が悪いのではない。目が見えないのだ。秘書の介添えで、ぼくの右手の椅子に腰を落とした盲目の御仁は「はじめまして。ようこそおいでくださいました」と膝に両手を置き、力のある声で丁寧に挨拶をした。閉じているのか、薄く開いているのか、視力のないその眼を見て一瞬言葉を失ったが、すぐにその場で立ち上がり頭を下げた。「どうも、はじめまして。Kと申します。本日はお忙しいなか、お時間をつくっていただき、ありがとうございました」ぼくの緊張具合が伝わったのか、F会長は「ははは。まあ、そう硬くなさらずに」とにこやかに笑い、「ご覧のとおり、わたしは、目が不自由になってしまいましてね」と言ってまた微笑んだ。すぐ脇で立っている室長が「Kさん、そうぞ、お座りください」と促す。まもなく、女性がぼくの前にお茶を運んできた。会長の前にはマグカップが置かれる。

 

 「お声を聞くと、ずいぶん若そうですが、失礼ですが、おいくつですかな」笑顔をそのままに訊く。「はい。今年で、29になります」ぼくは膝頭を合わせ答える。「そりゃあ、また、若い骨董屋さんだ」「はあ、単なる若造です」「いや、若いということは素晴らしい。あなたは、良い仕事を選んだ」

 刻まれた深い皺がゆったりと揺れた。その笑い顔は、ひとを惹きつけるに充分な魅力を持っていた。ぼくの頭に「人徳」という言葉が浮かぶ。こういうひとのことを言うのかもしれないと、ぼくは直感した。

 F会長は迷いなく手を伸ばすとマグカップの取っ手をつかみ、ゆっくりと口に運んだ。おそらくそれは、寸分違わぬ位置に置かれているのだろう。会長がカップをおろそうとすると、室長がそれを受け取り定められた位置に戻した。ぼくの右隣にF会長。その横に秘書室長が立っており、ぼくの正面にはソファが置かれていたが、その向こうの壁、つまりぼくの正面の壁、――とはいってもここから5メートルくらい離れてはいるが、その壁面に置かれた棚の上に、高さ20センチほどの土偶が飾ってあった。おそらく中国のモノだろう。距離があったので、それが漢時代なのか唐時代なのか判然としなかったが、女性の像に思えた。その立像の佇まいと、深い皺の刻まれたF会長の泰然とした笑みが、不思議とぼくの気持ちを落ち着かせていた。

 

 「それでは、Kさん。そちらの方を」室長が風呂敷包みに手を向ける。その声に白髪(はくはつ)の頭が右に動く。「そんなに急(せ)かしちゃあ、いけませんよ。室長」それに対し秘書は腰を折り「しかし会長、このあと急な会議が入ってしまいましたので」と耳打ちをする。「まあ、まあ。こういうものは、急かしちゃあ、駄目です。そんな気分で見てはいけない。ねえ、Kさん」まるで見えているかのように、細い目をぼくに注いだ。「はあ……。あっ、でも、お忙しいのでしょうから。今、お出しします」ぼくは隣に置いた風呂敷包に手をかける。「ははは。ごめんなさいねえ」会長はそう言いながら「テーブルの上に敷物を」と指示。秘書は長身を折り曲げると卓の下から50センチ四方の更紗のような布を取り出し、手際よく広げた。ぼくは箱の紐をほどこうとしたところで、はたと気づき、その手が止まってしまった。

 ――そうなのだ。相手は目が見えないのだ。あまりにも自然な流れについうっかり忘れていたが、これを出したところで見ることができないのだ。なんということだろう。このあといったいどうやって、事を進めたらよいのだろうか……?

 ぼくの躊躇いを感じたのか、室長は屈んだまま敷物を手のひらで指し、優しい調子でぼくに投げかけた。「この上に置いてください」ぼくはそれにしたがい、箱から碗を取り出すと、おそるおそる卓の上に置いた。更紗のあずき色に定窯の牙白色が冴える。すると室長が両手でそれを結び持つようにして、そのまま会長の手許に運んでいった。「あははは」老紳士は小さな笑い声を漏らしながら、下腹の辺りで碗を受け取ると、掌のなかで転がすように撫で始めた。俯いている顔は、じっとそれをみつめているようにみえる。ぼくは説明をせねばならないと思い口を開こうとした瞬間、「これは、良い定窯ですなあ。実に、良い」「えっ?」とぼくは思わず声を出す。白磁の碗の内側を這うように、枯れた指先が動いている。「ん、うん……! 蓮華の線も、うつくしい」老紳士は納得したようなきれいな笑みをつくった。

 ぼくは呆然とし言葉を失った。冗談だろ? 持っただけで、これが定窯だと判(わか)るというのか?  であるとするなら、このひとは相当な熟練者である。かなりのレベルだ。ぼくはじっとF会長をみつめた。確かに、碗を手中で操るようなそのしぐさは、只者ではないというオーラを発していた。

 ――定窯の器形にはいくつかの特徴があった。器胎の薄さ、高台の低く小さいところ、口縁部に嵌め込まれた「覆輪(ふくりん)」という金属の輪っかなど。確かに定窯を熟知しているひとからみれば、手に取っただけでそれと判るのかもしれない。しかし、ぼくが驚愕したのは、文様の美しさを指摘した点であった。これは、さすがに見ないと判らないのだ。こればかりは触れるだけで判るものではない。

 確かに、この碗の内部には蓮の花の文様が流麗に彫られている。しかし、刻された文様の上には釉(うわぐすり)がかかっているのだ。なので、彫りあらわされた線の調子までは、判るはずはない。それに定窯の「刻花(こっか)」という彫りは、非常に浅くあらわされるのが特徴である。したがって、彫られた線の凹凸は、表面にかけられた釉薬により、ほとんど無いに等しいのだ。触れただけでは九分九厘判らないのだ。九分九厘。九分九厘……。……。なるほど。それは……ゼロではない。しかし……この有るか無いかの線の窪みを感じ取るには、指先に尋常でないほどの鋭敏な感覚が求められる。尋常でないほどの鋭敏な……。

 このときぼくの眼に、器を愛撫し恍惚にひたっている聾唖(ろうあ)の老人の表情が映った。そして、ぼくは悟った。目が見えない分、指の感覚が並外れて研ぎ澄まされているのだということを。このひとには判るのだ。刻花の流れるような優美な線や、瑞々しくかかっている釉の艶までも。

 ぼくはしばらくF会長の指を見つめていた。年相応の皺がたたまれてはいるが、それは決してやせ細ったものではなく、むしろ豊かな弾力があり、若々しさを感じさせた。と同時に、この指をどこかで見たような気がしていた。よく似た指を。ぼくは頭を巡らせ思いつく。そうだ。それは、宋丸さんの指だ。宋丸さんの指も、外側は幾重もの皺に覆われているが、その内側は、70代後半とは思えないほどの栄気を感じさせる、そんな指をしていた。それにそっくりだ。

 

 ぼくは顔を上げ、率直に尋ねた。「どうして、おわかりになるんですか?」

 ぼくの左目の端に、やきものの立像が映る。先ほどからちらちらと目に入るこの俑(よう)は、いったいいつの時代のモノなのだろうか。ぼんやり思いながら、ぼくは老紳士の解答を待った。こぼれた笑みからすぐに、張りのあるまっすぐな声が放たれた。

 「そりゃあ、あなた。伊達に30年も骨董、蒐(あつ)めちゃあいないよ。あっ、はっは!」会長の愉しそうな笑い声が高らかに室内に響きわたる。その声で思わず、ぼくは正面を向き姿勢を正した。再び立像が目に映った。漫然と見ていたそれに焦点を合わせたぼくは、これが北魏(ほくぎ)時代の加彩(かさい)の俑であるのが判った。頭上に冠を載せているので、文官という男性の像であるが、美しい顔立ちは、一見女性のようにみえる。これは北魏時代の俑の特徴であった。冠に施されたラピスラズリの青と、衣装に賦彩されたベンガラの赤が鮮やかに残っている。姿形も含め、遠くからでも、気品のようなものが感じられた。――秀作だと、ぼくは思った。

 

 老練な職人のような手の動きが止まり、室内に澄んだ高音が響いた。

 「気に入りました。これは、いただきましょう」F会長は碗を室長の手に戻すと「あとは、あなたの方で進めてください」「承知いたしました」秘書は碗をテーブルに載せ、「それではKさん。ひと先ず、これをおしまいください」「はい」そしてぼくは、改めてF会長に向き直り膝に手をあて、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 ぼくが碗を箱に入れ紐に手をかけたときであった。

 「あなたは、先ほどからあの俑を見ていますね」会長の問いかけに、ぎくりと指が止まる。「は、はあ……」何だか心まで見透かされているような気がしてきた。「はっ、ははは」盲目の老人が笑う。ぼくは手を止めたまま再び俑を見つめた。遠目ながら端正な顔立ちが目を惹いた。

 「北魏でしょうか? 見事なモノですね。立ち姿もお顔も、うつくしい」ぼくは素直な感想を言葉にした。

 

 「あなた、Kさんと言いましたね」「はい」「もう一杯、お茶でもいかがですかな」それを聞くや室長が近寄り、「会長、すぐに次の会議のお仕度を」と小声で伝える。ぼくはそれを聞き、紐を結ぶ手を早めた。会長は笑みを浮かべながら秘書の肩の辺りを軽く叩くと、「ははは。そんなの、きみ、30分くらい待ってもらえばいいことだろう」「しかし……」「待ってもらいなさいな。わたしはねえ、このひとと、ちょっぴり話がしたいんだよ。若い骨董屋さんと話をすることなんて滅多にないからねえ。二人きりにしてもらえんかね、室長」整った顔が少々歪む。秘書はしぶしぶ了解すると「手短にお願いしますよ」と言い残し、部屋から出ていった。

 

 やがて女性が現れ、ぼくのお茶だけを差し替えていった。F会長は、肘置きに腕を載せ両手を腹のあたりで組み、背もたれに寄りかかると首をやや上げ宙に目線を置くようにして、話しを始めた。

 

 「わたしはねえ、骨董が生きがいなんですよ。四十の中ほどからかなあ、取り憑かれたのは」と言ってから口元を緩め、「でもそれまでは、骨董なんか買うものかって思っていてねえ。まあ、父親のせいだがね」ぼくの方へ顔を移すと、「親父(おやじ)も好きでねえ。骨董が。居間やら部屋にいろいろと飾ってあって。よくいじっていたなあ」

 再び顔を上げくうをみつめると、昔話でも語るような口調で、「何で骨董が嫌だったかというとねえ……。戦争中のことだが、東京に空襲が来ると、家の敷地につくった防空壕のなかに、家族みんな避難するわけなんだけど、いつでも親父だけやって来ないんだ。自分の部屋のなかで、ずっと見ているんだよ。骨董を。空襲警報が狂ったように鳴り響いているのに。わたしは、それが嫌で嫌で、たまらなかったんだ。まだ、12歳だったからねえ。お父さんが死んじゃうって、いつも防空壕のなかで泣きわめいてたよ」

 会長はそう言うと、一息つくようにマグカップに手を伸ばした。それを見てぼくは両手でカップの底を持ち上げ、手許に運んだ。「ああ、ありがとう」会長は一口飲むと話しを継いだ。

 「わたしは学童疎開新潟県にいたんだが、それが耐えられなくてねえ。何度も東京行きの汽車に乗り込もうとして、こっぴどく叱られて。でも、どうしても家に帰りたくてねえ。そうしたら、父も母も、どうせ死ぬなら一緒に死のうって言ってくれたものだから、わたしは家に戻れたんだよ。それなのに、親父は、焼夷弾が降っているってのに、防空壕に入らずに、部屋のなかでじっとしている。あるとき、近くに爆弾が落ち物凄い轟音と炎が舞い上がったのを見て、わたしは、防空壕から飛び出して部屋に向かったんだ。後ろから母親の金切り声が聞こえていたが、それを振り切るようにして親父の部屋へ入った。そうしたら、一本の蝋燭の火が包み込む僅かな空間のなかで、親父はじっと動かずに、手許に置いたいくつかの骨董品を怖い顔をして睨んでいたんだ。それが、また恐ろしくて『なに、やってんだよう!』と怒鳴ったのを覚えているよ。だから、憎かったんだなあ、骨董が……」会長がカップを戻そうと身体を屈めたのでぼくは受け取り、元の位置に正確に戻した。

 

 「戦争が終わって、20年近く経って、親父は亡くなった。そしてわたしは、祖父の興した会社を継いだ。わたしは、親父が死んだら、骨董品を全部売っ払ってしまおうと決めていたんだ。厭わしかったんだなあ、それらのモノが。子供の頃から、いつも冷めた眼で見ていたからねえ」再び会長が、ぼくの顔に目を合わせるように、首を動かした。

 「しかし、亡くなる何か月か前だった。親父がわたしに珍しく骨董の話しをしたんだよ。初めてじゃあ、なかったかなあ、あんなに語ったのは。わたしが嫌っていたのを知っていたからねえ。そのとき、言ったんだよ。『おれは、戦時中、空襲警報が鳴り響いているときが、一番審美眼が磨かれた』と。――わたしは思い出していた。あのときの情景を。薄暗がりで見た父親の怖い顔を。この時わたしは思ったんだ。人間というのは死に直面したときに、最も感性が研ぎ澄まされるのかもしれないと。だが、ここまでして美を追求するなんて、親父の真意をまったく理解できないでいた。わたしにとっては、どうでもいいことだと思っていたからねえ。ただ、このときの親父の言葉が妙に耳に残っていて、だからわたしは、親父の残した骨董品を処分できないでいたんだ」

 

 F会長はそこでいったん言葉を切ると、後頭部を背もたれにあて、ゆっくりと体重を後ろにかけて、天井を見上げるような体勢をとった。そして、ふうっと深く一つ息を吐くと、見えない瞳を遠くに沈ませるようにして、静かに語り出した。

 

 「親父が死んでから一年くらいのことだった。わたしは最愛の家族を失ったんだ。交通事故だった……。久しぶりの休日で、わたしが運転をし、助手席に妻、後部座席に12歳になる一人娘。対向車線からはみ出した大型車が、物凄いスピードで突っ込んできたんだ。車はぺしゃんこになった。何故かわたしだけが、奇跡的に助かったんだ……」

 ぼくの目は大きく開かれたが、老紳士の瞼は閉じられたままだった。「それからというもの、わたしはがむしゃらになって働いたよ。何かに集中していないと、この虚しい気持ちが果てしなく続くように思えて、仕事に没頭したんだ。会社は業績を上げどんどん大きくなっていった。祖父や父の念願でもあった一部上場企業にもなった。しかし、わたしの虚無感は埋まらなかった。そんなときだったよ」

 ――会長は背もたれから、すうっと首だけを起こした。

 「銀座の大通りを歩いていると、大きなギャラリーの横に置いてある立て看板が目に入ったんだ。骨董店だった。わたしは、そのビルの三階にある小さな店に吸い込まれるように入っていったんだ。それが、宋丸さんとの出会いだった。扉を開けると、わたしより幾つか上の店主が、屈託のない笑みを浮かべて『いやあ、よくお出でくださいました』って。まるで、約束でもしていたかのようにわたしを出迎えてくれてねえ。促されるままに椅子に腰かけた瞬間、わたしは雷に打たれたような衝撃を受けたんだ。目の前に飾ってあった土の人形の顔が、亡くなった妻と娘にとってもよく似ていたものだから」

 F会長は背もたれからゆっくりと体勢を起こすと、右を向いた。その先には立俑がある。ぼくの目も自然とそれに向けられた。

 「宋丸さんは、これが、中国の北魏時代という6世紀頃の、当時の文官の姿をうつした俑(よう)という副葬品だと説明してくれた。そしてこれは、有名な画家がずっと大事にしていたものだとも教えてくれた。わたしは、迷うことなくこれを買ったんだ。即決だった。それが、骨董との始まりだったなあ……」感慨深げにそう言うと、「それから、暇をみつけては宋丸さんの店に通ったんだ。そして、買った。宋丸さんは、いろいろと教えてくれたよ。しばらくすると、わたしの好みが宋時代のやきものに集中していることがわかったんだ」

 会長は丁寧に言葉を選びながら「鋭さを感じさせる引き締まった器形。清澄で上品な釉の調子。流れるような線で彫り込まれた文様。――宋時代の洗練された美意識が、わたしを虜(とりこ)にさせたんだ」そう言うと、一息つき、純真な笑みを満面にあらわして、「そんなものが出るとねえ、もうたまらなくなって買ったよ。有無を言わさずにね。だからねえ、定窯白磁なんかは、大好きでねえ」と感じ入るような言い方をし、胸のあたりで軽く両手を広げると、「わたしは、あまり大きなものは好まなくてね、掌のなかにおさまるくらいの寸法のモノが好きだった―― 」そして、赤味のさした顔をぼくの方に向け、「買ったらねえ、そりゃあもう、仕事の合間でも、家にいる最中はもちろん、寝る前でも、とにかく撫でまわし、飾って眺め、いったん箱に閉まってはまた取り出して、『やっぱり良いモノだ』って独り言ちて悦に浸ってねえ」自然と高まる自分の声に、相槌をうつように首を何度も縦に動かしながら、「骨董を持つようになってから、わたしの生活は変わったんだ。骨董を蒐(あつ)めることで、わたしの空虚な心が満たされていってんだよ。まるで乾いた喉を潤すように、わたしは骨董を買い求めたんだ」

 

 F会長は、再びソファの背に身をまかすと、「家族を失い孤独になったわたしを、骨董は救ってくれた。われを忘れ懸命になって仕事に邁進しても解消できなかった、なぜ生きているのだと自分に問いかけても答えの出なかった、あのときの虚無感を、骨董は優しく埋めていってくれたんだ。わたしにとって、それは生への渇望といってよいものだった。わたしの明日への活力になったんだ」このときのF会長の無垢な表情が、ぼくの目の奥に印象的に残った。

 

 「わたしは、日ごろの不摂生がたたって、数年前に失明した。しかし、ちっともショックはなかったよ。充分愉しんだからねえ。幸い、わたしの好きなモノは、中国陶磁だ。宋時代のやきものだ。絵画とは違う。触れることができるのだ。わたしのこの手にしみ込んだ感触は、永遠に消えはしないよ。だから、今日の定窯なんか、手にした瞬間にどんなモノか頭のなかに映し出されたよ。はっきりと鮮やかに。ひょっとしたら、実際に眼にする以上に、うつくしくね」

 会長は再びマグカップに手を伸ばした。ぼくがすぐに手を挿し出そうとすると、「大丈夫」という風に片方の手で制すると一口含んで、卓の上に戻した。杯の置かれる音が静かに聞こえた。

 

 「良いモノを手に入れると、その上が欲しくなる。骨董とは、そういうものだ。わたしも、よりうつくしいモノを求めて蒐集を続けた。そしてわたしは、だんだんと親父の気持ちがわかるようになっていった。親父にとっても、骨董は生きがいだったんだ。 最後に親父は、空襲警報が鳴りわたっているときが、一番審美眼が磨かれたと言っていたが、それがどういう意味か、わたしはねえ、目が見えなくなってから、なんとなくわかるようになったんだ。……うまくは言えんがねえ」

 

 薄い眼が覗き込むような視線をつくった。「あなたは、さきほど、どうしてわかるのか、と訊きましたね。形ならまだしも内側の文様まで、なんでわかるのかということでしょう?」ズバリそうだった。「はい」それに対しF会長は深い笑みをたたえると、「ははは。正直言うとねえ、指の感覚だけじゃあ、わからんよ。ただねえ……」まるで悟りの境地を得た高僧のような顔つきで、「長年の経験から、一つ言えることはある。一級品というものは、形や色や文様が高い次元で調和しているということだ。バランスがとれているということだよ」テーブルの上に置かれた箱に視線を落とすと、「この碗は実に繊細で鋭い器形をしている。そして、指から伝わる肌合いもしっとりしている。そういうモノは間違いなく、華麗な線刻文様があらわされているに違いないと。かすかに感じる線の具合からだが、わたしは、確信したんだ」それを聞いて、こくりとうなずくぼくの顔を、F会長はじっとみつめるようにして言った。

 「――それと、もう一つ。なぜ、これが優れたモノだとわかった理由……」ぼくはただ口を閉ざし、老齢の紳士をみつめた。「ははは。そりゃあねえ、宋丸さんが、言ったからだよ。『会長、良い定窯がありますよ』って、勧めたからだ。宋丸さんがそう言うんじゃあ、間違いない。わたし好みの一品だろうとね」

 ぼくに注がれた細い目がやや開いたようにみえた。

 「これは、あなたが、買ってきたのですか?」「はい」会長は、ぐいと右手を差し出した。「すばらしいものを、ありがとう」ぼくは思わずその手を握った。びっくりするほどの圧力に、ぼくも自然と力が入った。「こちらこそ、ありがとうございました」「骨董はねえ、人を騙すこともできるが、人を救うこともできる。あたなは、良い道を選んだ」老紳士は満面の笑みでさらに力を込め握り返すと、もう一方の手でぼくの手の甲を二度軽く叩き、「あははは。わたしは、まだまだ、愉しむよ。よろしくお願いしますよ」光りを失ったその眼に向かい、力強く「はい」と答えると、ぼくは左手を添え深々と頭を下げた。

 

 下降していくエレベーターのなかで、ぼくはじっと右手をみつめていた。盲目の老紳士の手力の余韻がまだ残っている。今、ここに来たときの圧するような緊張はなくなっていたが、別種の緊張がぼくを包んでいた。

 エレベーターが開く度に数人の社員が乗ってくる。ぼくは見回し、ふと思う。このなかで、最もスーツを着こなしていないのは自分であろう。それは間違いない。しかし、このなかに、あの老紳士、つまり自社の会長と一対一で、何十分も喋る機会を持つことのできるひとは何人いるだろうか――。いないに違いない。たとえ一生勤めたとしても、そのトップの経営者と相対して話すことなど、ひょっとしたらないかもしれない。それを考えると、骨董の持つ力は偉大だ。骨董を介すれば、どんなに偉い雲の上にいるようなひとでも、こんな二十代の若造と、対等に喋ってくれるわけであり。思いっきり純真無垢な笑顔をみせてくれるわけであり。だから、ぼくはこのとき、骨董に対し、畏怖の念というか、とんでもない仕事に足を踏み入れてしまったんじゃないかという思いが全身を貫き、身が引き締まった気分になったのだった。F会長の「生への渇望」という言葉が蘇る。ぼくは反芻する。「生への渇望」――。

 

 目の前の扉が開き、ぼくは玄関口へと歩を早めた。今までの緊張感が一気にほぐれ、途方もない悦びが身体中にみなぎっていく。よしっ! やったぞ、売れたぞ、定窯碗! 文句ない素晴らしいところへ、おさまったぞ! ぼくは立ち止まるや「グッ、ジョブ!」と言って、両拳に力を入れガッツポーズをした。すれ違うスーツ姿たちの冷めた目線をよそに、ぼくは再びガッツポーズをし、「よっしゃぁ!」と小声で叫んだ。そして「宋丸さん、ありがとう」と付け加えた。今回の件は、宋丸さんが取り計らってくれたのだ。「きみの定窯を気に入るだろうお客様がいるから、直接連絡を取って行ってみろよ」――あのとき宋丸さんは、自分が預かって売るのではなく、ぼくに自分の仕事を譲ってくれたのだ。そしてそれが、ぼくにとって、何物にも代えがたい深い体験になったことに対し、ぼくの胸は感謝の念で溢れかえっていた。腕時計を見る。午後四時。遅出の宋丸さんが活動しているちょうどよい時間だ。真っ先に報告に行こうと、正面玄関を出たところで、見知ったひとが目に入った。街路樹の脇に佇んでいた空色のツーピースが小走りに近寄ってきた。「どうでした?」と、Reiはえくぼをみせた。

 

 今日、ここに来ていることは、Reiはもちろん知っていた。頃合いをみて待っていたのであろう。ぼくはReiの笑顔に答える。「うん! バッチリ!」右手の親指を立てたぼくをみて、Reiは「よかったあ。よかったですね」と両手を合わせ微笑んだ。「うん! だから、これから宋丸さんに報告に行こうと思って」ぼくが二三歩前に踏み出す足をReiが制する。「その件ですが、大丈夫です」「ん?」「宋丸さんに報告に行かなくても」「いや、そういうわけにはいかないよ。先ずは、宋丸さんに」と言ってまた一歩足を出そうとしたところで、Reiが阻む。「実は、今日、宋丸さんから、言われて来ているの」「何を?」Reiは、ニッと笑うとハンドバッグのなかから何やらカードのようなものを一枚抜き出すようにして見せた。クレジットカードだ。「クレジットカードじゃん」ぼくの問いに「はい。宋丸さんのです」「どうしたの?」「くすねてきちゃいました」「ええっ?」「なあんて、嘘です」Reiは、事の成り行きを全くつかめないぼくの顔つきをおかしそうに眺め「宋丸さんからの伝言です」と言って話し始めた。

 「今日はこれで食事でもして、K君の話を一部始終聴いて、あとでぼくに報告してくれよ、とのことです」「ふむ」「ですから、今日は、わたしがすべてを聴きますので。わたしに、話してくだされば結構です」Reiはカードを手にし、またニッと笑った。「でも、それって、本人じゃないと使えないんじゃないの?」ぼくがカードを指さすと、「大丈夫。今日行くところは、宋丸さんの指定したお店なので、わたしでもOKなの」Reiが指で丸をつくる。指のかなたに明るい空が見えた。「でも、Reiちゃん。まだ、こんな時間だよ」ぼくは腕時計をReiの顔に向け「まだ、どの店もやってないんじゃない?」「はい。だから、それまで時間をつぶそうと思って。美術館でも行って」「美術館ていっても、もう閉館時間だよ。だいたいどこも、最終入場が4時半じゃなかったっけ?」「今日は何曜日?」Reiの問いに、ぼくは携帯を取り出し画面を見て答える。「金曜日」。Reiはうなずいて「東博は、金曜日は、9時までやってます」東京国立博物館は、週末の金土は夜9時まで開館しているのだ。「お店は6時に予約してあるので、東博で時間つぶしてから行きましょう」Reiはそう言うと、すたすたと駅の方へ向かって歩いていった。

 

 東博までの道々、興奮の冷めやらぬぼくは、今日の出来事のあらかたをReiに語ってしまっていた。Reiはぼくの話しを何度もうなずきながら興味深く聞き入っていたが、東博の門をくぐると、急に無口になり、まっすぐ東洋館へと向かった。いつもは平成館の常設展示を見てから、本館、そして東洋館へと進んでいくのだが、今日は時間も限られているということもあるのだろう、Reiは庭内に入ると躊躇なく右手の建物に歩を進めた。ぼくもReiに続きなかに入る。ぼくにとっては久しぶりの東洋館だった。

 1階、2階と、Reiは歩調の強弱をつけずに淡々と観て回った。ぼくもReiのペースに合わせ一緒に歩く。おそらく3階の中国美術の展示室ではゆっくり鑑賞するのだろうと思っていたが、Reiは流したような見かたで、そのまま階段を上っていった。4階を通り越し、5階の韓国美術の部屋へ入る。そしてそのなかの高麗青磁のガラスケースの前で、Reiはようやく足をとめ、やや神妙な顔をして、「ふう」と小さな吐息を漏らした。

 

 ――ぼくらの目の前には、透かし彫りの化粧箱があった。ずらりと陳列された青磁群のなかでも一際光彩を放っている、高麗青磁を代表する名品の一つである。

 

 Reiは、その作品を無言でじっとみつめてから、顔をぼくと反対方向に移し、少し時間をかけながらぐるりと展示室を見回した。自然とぼくもその動きに目を沿わせた。Reiは、そのあとしばらく沈黙し、そしてやや視線を落とすと、「初めてKさんと会ったのは、ここでしたね……」と言った。それは、どことなく感傷に浸るような言い方だった。ぼくは思い返していた。あのときReiは、あいちゃんに同行して博物館に来ており、この部屋で初めて挨拶を交わしたのだ。Reiの澄んだ笑みが脳裏に蘇る。「うん。そうだね」とぼくは答えた。しかし、正確には、その前の平成館の考古室で、ぼくはReiを見ているのだ。朱色のセーターに白のコートを抱えているReiの姿。遠目ではあったが、その立ち姿は今でも鮮明に思い出せる。

 「もう、二年以上前ですね」Reiはしんみりとそう言って、うつむいた。グレーのパンプスがぼくの目に映る。――確かにそうだ。あれは、二月初旬の寒い日であった。ぼくがこの仕事をおぼろげながら始めた頃のことであった。早いもので、あれから二年以上経つのだ。

 Reiは顔を上げると、目の前のガラスケースをぼんやりみつめながら、ぽつりとつぶやくように言った。「わたしたちって、どういう関係なんでしょうね……」

 ぼくはとっさにReiをみつめた。しかしReiは振り向かず、再びうつむくと、しばらくそのままじっとしていた。ぼくは答えに戸惑った。

 

 Reiのことは、もちろん今まで考えたことはあった。宋丸さんが店に来る前の時間に二人で長い間喋っていたり、今日みたいに一緒に美術館へ行ったり、食事をしたり、映画を観たり。そんななかでReiの存在は、単なる「友達」という概念では括れないものになっていたことは確かであった。同時に、ぼくのなかにあるReiの「領域」に踏み込むことのできない自分がいることも確かであった。Reiを好きであることに違いないのに。なぜ、踏み込めないでいるのか? いったい、その要因は何なのか? しかし、ぼくはこのときそれを認識しつつあった。その認識しつつある要因の背景にあったのは、ぼくの未完成さ以外の何物でもなかったのだ。ひいては、つまり、自分の不甲斐なさ、覚束なさなのであった。この地に足のついていないぼくを矯正し導いてくれるのは、Reiの「領域」のなかの或る部分であったが、すべてではなかった。ぼくにとってそれは、「骨董商」という無限大の世界であった。ぼくの意識の大半は、現在ぼくのしている仕事に傾けられているのだ。だから、今Reiの「領域」に入ってしまうことは、何か一種の自己欺瞞、もしくは自己逃避になるように思えてならず、また、その決断は今ではないという、確然とした感覚が日増しに膨らんできていて、それに対し抗(あらが)うことに、ぼくは固執することができないでいたのだ。

 

 ぼくの当惑する様子をみて、Reiは両手を口元で覆い「わたし、変なこと訊いちゃった……」と、くるりと機敏に体勢をぼくに向け、にこりと笑みを浮かべた。丸みのあるショートボブが微(かす)かに揺れ、きれいな左耳がみえる。あきらかに作り笑いというReiの表情にぼくはさらに当惑しながら、口を開きかけたときであった。

 「Kさん……前にこの化粧箱、高麗青磁のなかで一番好きだって言ってたけど……」Reiは目の前に並べられている化粧箱にいったん目を置いてから、「今でもそうですか?」とぼくをみつめ確かめるように訊いた。ぼくも改めてそれに眼を移してからReiをみつめ、「うん。もちろん。ぼくは一番好き」と答えた。「わたしも。一番好き」Reiはもとの笑顔に返るとそう言って、「じゃあ、どこが一番好きですか?」小首を傾げ、ぼくの顔を覗くようにして訊いた。「うん……」ぼくは化粧箱をみつめながら、「釉溜りの、青味の強くて、ガラス質で透明感があって、それでいて深くてたっぷりとした何ともいえない釉(うわぐすり)のうつくしさかなあ」化粧箱の上蓋と身の裾部、そして透かし彫りになっている唐草文様の間にも、厚く掛けられた青磁釉が溜まっている。この作品の突出しているところは、透かし彫りを多用した器形はさることながら、その青の釉色の美しさにあった。ぼくの答えに、Reiは、何か安心したようなまなざしをぼくに向けると、「わたしも。一緒です」と優しい笑みで応え、自分に言い聞かせるように「よかったぁ……」と、小さな声で付け加えた。

 するとReiは飛び跳ねるようにして、隣のガラスケースに向かうと、「これも、きれいですよね?」と笑みを浮かべて指をさす。径が12~13センチの素文の碗である。澄んだ青緑色が目に映え美しい。上手(じょうて)の作品だとぼくは思った。

 「この色を何というのか知ってます?」Reiは尋ねた。「青磁の色?」「はい」ぼくは、どこかで聞いたことがありそうだと思ったが、思い出せなかった。「何だっけ?」Reiは碗をみつめ、「ひしょく」と言った。「ひしょく? ひしょくって、越州(えっしゅう)窯(よう)青磁の『秘色(ひしょく)』のこと?」――唐時代の9世紀に中国の越州窯で最高峰の青磁が焼造され、それを「秘色青磁」と称し、その名は当時内外に轟くほどであった。だから、「秘色」というと越州窯の青磁を指すものだとぼくは思っており、「それって、越州窯のことじゃないの?」と訊き返した。Reiは軽くうなずいてから、「その『秘色』ではなくて。高麗青磁の「ひしょく」の「ひ」は、翡翠の「ひ」です。『翡色』です」「へえぇ。翡翠の「ひ」で、『翡色』かあ。なるほど……」たしかに、この高麗青磁のエメラルドグリーンの澄んだ色調は、翡翠の色を彷彿とさせる。あたかも宝石のようなその青に改めて見惚れ、ぼくは何度もうなずいた。「なるほど、『翡色青磁』かあ。その通りだ」中国の青磁を凌ぐともいえる高麗の青磁釉の美しさを形容するに相応しい言葉であると、ぼくは思った。「でも、よく知ってるね」それに対し、Reiは「宋丸さんが言ってました」と、はにかみながら答えた。

 

 「さあ、行きましょうか。ちょうどいい時間なので」Reiの言葉に「うん」と応えると、ぼくらは東博を後にし、地下鉄の駅まで長い道のりを歩いた。

 「で、これから何を食べるの?」ぼくは訊く。「何が食べたいですか?」「えっ? でも、予約してるんじゃないの?」「はい。してます」「じゃあ、何?」「ライスカレー」とReiは答えた。「カレーライス?」「はい」ほお……。なんと、カレーライスできたか。さすが庶民派、Reiの選択だ。「いやですか?」「全然。大好き。カレーライス!」ぼくの頭のなかはカレーライス一色となり、以前犬山が下手なギターを片手に歌っていた、昔のフォークソングのメロディまで、思い出したくもないのに耳に蘇ってきた。カレェー、ラァーイスゥ……。「お腹すいてきましたね」Reiが言う。「うん。急ごう。で、場所は何処?」「大門です」美術俱楽部の方面か、あのあたりは、そういう店が結構ありそうだと、ぼくは想像を膨らませた。

 

 駅を出ると、Reiは西へ向かって通り沿いを歩き出した。繁華街とは逆方向である。「こっちじゃないの?」ぼくは反対側を指さす。「こっちです」と言って、Reiは迷いなく進む。やがて向こうに公園が見えてきた。「ん?」ぼくは何となく嫌な予感がした。「こっちなの?」「そうですよ」ひと気のまばらな通りをReiは突き進む。そして右折。薄暮に包まれた公園のなかに入り、Reiはようやく足を止めた。ぼくの眼前に赤煉瓦のヴィクトリアン様式の建物が聳え立つ。エリタージュ・ハウスだ。

 「えっ⁉ ここ?」目を丸くしているぼくに「ここです」とReiは静かに答えた。「ここって、フレンチだよ?」「知ってるんですか?」「あ、いや……でも……そんな、感じじゃん」「はい。フレンチです」「だって、カレーライス、じゃなかった?」「はい。ここのライスカレー。とっても美味しいんですって。わたし一度食べてみたかったんです」「まじ……」ぼくはたじろぐ。ちらりとエリタージュを見やり「Reiちゃん。こんな高級なところは……」と言うぼくに、Reiはバッグからクレジットカードを取り出し、再度見せる。「宋丸さんが、予約してくれたので」「いや……でもさあ、こういうところは、ちょっと、入りづらいっていうか……」それを遮るように、「Kさん、その恰好、とってもよく似合ってますよ」と言ってぼくの方へ足を一歩踏み出した。「今日はこのために、スーツで来たんでしょ?」

 Reiはぼくの首元に手を伸ばすと、ゆるんだネクタイをきゅっと締め直した。

 ――うーむ。やっぱり、なんだか、こいつにはかなわないなあ、と思いつつ、ぼくはReiのあとに続いた。

 

(第40話につづく 9月4日更新予定です)

加彩文官俑 北魏時代(6世紀)

 

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骨董商Kの放浪(38)

 「すみません。急いでないので、ゆっくりでお願いします」ぼくはやや身を屈めると、後部座席の両脚の間に置いた箱の位置を最終調整した。風呂敷に包まれたこの箱のなかには、Z氏から預けられたあの埴輪女子の頭が入っている。両方の脚で挟み込むと風呂敷の結び目にしっかりと手を添え、ぼくは万全の体勢をとった。「かしこまりました」ハイヤーの運転手はミラー越しに確認したのち、白い手袋をギアからハンドルへ移すと、静かに車を発進させた。「大丈夫ですか?」隣席の長い髪がなびくように揺れた。「うん。これで動かない」いつもの軽装とは違うグレーのパンツスーツが目に入る。ぼくの返答に、Miuはにこりと微笑んだ。

 この車の行き先は、もちろん、教授の御宅である。Z氏から受けた埴輪の件を電話で伝えたとき、途中で切れてしまったのかと思うほどの長い沈黙ののち、教授は裏返るような声でひと言「見たい」と発したのだった。ぼくの報告にZ氏は即答。「モノはKさんにお預けするので、お客様にご覧に入れてください」なので、さっそくアポを取る。本日の午後二時。最後にZ氏は言った。「娘も一緒に連れていってください」と。

 

 約束の時間より早めに到着したぼくらはハイヤーのなかでしばし時を待ち、ちょうどの頃を見計らって玄関のチャイムを鳴らす。例のごとく伏し目がちな奥様が出迎えると「どうぞ」とスリッパを揃え、ぼくらは奥様の先導でいつもの応接間へ。応接間は、これも例のごとく照明がつけられてなく。ただ、南向きに面したこの部屋の大きな窓からは、申し分がないほどの日差しが入っており。これもよくある光景で。

 フランス製らしきアンティークの椅子に腰かけようと、背もたれに手をかけたところで、さっそく教授が姿を現した。いつもに比べずいぶんと早い登場だ。例のごとく「やあ」と片手を上げながら入ってきたが、その顔にいつもの柔和な笑みはなく、こちらと目を合わせずにそのままテーブルへと歩を進める。先日の電話で、Miuと一緒に伺うことは伝えてあったが、ここで改めてMiuを紹介。教授は眼鏡に手をかけ一瞥。Miuは恐縮したようにぺこりと頭を下げた。「おじゃまいたします」教授のハンドサインでぼくらは着席。「すみません。今日はお時間をつくっていただきまして」ぼくは丁寧に頭を下げた。

 本来ならこのタイミングで、まるで計ったかのように、奥様が紅茶とケーキを載せた長方形のトレイを手に静かに現れるのだが、今日は来ない。期せずしての教授の早いお出ましと三人分の用意もあり、少々手間取っているのだろうか。いつもとは違う様子に戸惑いながら、取り敢えず何か喋ろうと口を開けたが、なんだか重たい空気に押されてなかなか言葉が出て来ない。Miuは当然のことだが、教授も黙ったままだ。ぼくは助けをもとめるように、部屋の扉に目を向けるが、開く気配はまったくない。仕方なしに英国製のテーブルの上に目を置いた。革張りのオリーブ色が、射し込む陽光できらきらと輝いている。しかし、うららかな春の日差しを感じる余裕もなく、落ち着きのない目をちらりとMiuに移し、はっとした。緊張のあまり俯いていると思っていたMiuが、目を開き教授の方をじっとみつめているのだ。それを受けて目線を動かし、ぼくはさらにはっとした。教授が前屈みになって、ぼくの椅子の横に置かれている風呂敷包みを、食い入るように見ていたからである。

 これはいつもと逆のシチュエーションだと、その粘りつくような眼の光りを感じながら、ぼくはふと思った。今までは、教授が、どうだと言わんばかりに出したモノを、ぼくが、うわぁと感嘆の声を上げ拝見していたわけであったが、今日は違う。こちらがお見せする立場になっているのだ。しかも、今からご覧いただく箱の中身は、教授が長年にわたって追い求めてきた代物(しろもの)である。

 ――それは、寝室の壁に掛かっていた水彩画のモチーフ。教授自らが描き、それに向かい、いつか出会えますようにと、毎夜寝る前に願いをかけていると言っていた、埴輪の女性の頭部なのである。

 背を丸め凝然と風呂敷箱を見つめている教授の姿を見て、ぼくの台詞はようやく決まった。「さっそくですが、ご覧になりますか?」一拍置いたあと「うん」と、やや甲高い声が低く響いた。ぼくは風呂敷を解くと、箱をテーブルの端に載せ、差し蓋を上に引き上げた。ぼくの目のなかに埴輪の顔が入る。ぼくの心持ちと同様に、少女の表情もなんとなく硬いような。ぼくは箱内の両脇に手を挿し込み、少しずつ丁寧に台座を引き寄せる。そして手許に取り出すとくるりと反転させ、教授の眼の前に置いた。

 「うおぉ……」身体の奥底から湧いて出たような低い声とともに、黒縁眼鏡が跳ねるように動いた。それからしばらく、世の中のいっさいの動きが止まったかのような時間が過ぎたのち、教授はいきなり口だけ動かした。「あなたたち、すまんが、向うへ行っててくれ!」その歯切れの良い強い口調にぎくりとした瞬間、静かに居間の扉が開かれた。「こちらへ、どうぞ」うつむき加減の奥様が、そっと左手を外へ向け扉の奥に立っていた。

 

 五畳ほどの狭い隣室は、実に無機質な空間だった。剥がれては何度も塗り返したような、まるでヨーロッパの古民家を思わせるまだら色の白い壁に、年代物の柱時計がぽつんと掛かり、いたって小さくつくられた窓からは、外光が弱々しく入っている。その乏しい光量のせいか、すでに天井の照明が点けられていたが、蛍光灯の鈍い白色がかえって、この部屋を空虚なものにしている感じがした。真ん中にある、円形の木製テーブルと二人掛けの古びたソファで空間の大半が占められているが、これら漫然と置かれた二つの家具により、何とか部屋の体裁を保っているようにも思えた。ただ、そんな殺風景な室内において、唯一アクセントになっていたのが、ソファの正面に設置された中国製の脚長の紫檀の卓台であった。そして、その中央に飾られている石の彫刻に、ぼくの眼は奪われた。ソファに腰かける前に、ぼくは吸い込まれるようにして、その物体を観察した。

 

 おそらく仏像の両手であろう。手のなかには何やら横長の直方体の箱のようなものがある。ただ、それも途中から欠損しているので、箱であるかどうかもはっきりしない。左の掌で下から支えるように、右手を上から被せるようにして物を抱え持っているようなしぐさだ。その両手首から上の箇所のみ残された彫刻が、それ専用に作られた黒い台座の上に乗って飾られていた。それ以外の部分――つまり、仏像本体の大部分は失われているのだ。ぼくは目を瞠(みは)った。わずかに残された両の手だけとはいえ、おそろしいほどの存在感を示していたからである。

 その掌は普通の人の二回りくらいの大きさがあり、ここから推定すると仏像の高さは、2メートル以上はあろうか。かなりのサイズである。おそらくどこか有名な石窟寺院に彫り込まれていた一部を剥ぎ取って来たのだろう。

 こうした石窟に刻まれた作品は、寸法が大きいせいもあり、壁から剥がし落とされた時点ですでに破損してしまっているケースがほとんどであるが、その一群のなかにあり、主役たる存在となっているのが「仏頭(ぶっとう)」と呼ばれる仏像の首から上の顔の部分であった。たとえ全身が揃ってなくても充分に評価され、高い人気を誇っているのだ。なかでも、雲岡(うんこう)や龍門(りゅうもん)といった石窟寺院の作品は、仏教美術コレクターの垂涎の的となっている。

 石仏ではこうした仏頭のなかに混じって、今目の前にある手だけの作品も散見される。仏像のほんの一部分であっても、そこに美術的価値が見出されるものであれば、数寄者たちにより後世に受け継がれていくわけである。犬山の部屋で初めて目にしたローマンガラスの破片や、今ここの家の居間に額装されている遮光器土偶の片目など。不完全な形であっても、そこに美を宿しているものならば、時を超え大切にされるのが骨董なのである。

 

 「さあ、どうぞ。おかけになって」奥様が目を伏せて促す。それに応じぼくとMiuは二人掛けのソファに並んで腰かけた。と同時に、アールグレイの紅茶とモンブランが小さなテーブルに置かれた。ぼくらはそれをいただきながら、否応なく目に入る仏手を眺めていた。

 「仏様の手の部分でしょうか?」ティーカップを手にMiuが尋ねた。「うん」ぼくは答える。「中国のですか?」「だと思う。どこかはわからないけど、石窟寺院に彫られたものかと」

 時代はいつだろうかとぼくは考えていた。なにしろ手だけなので判別が難しい。しかしおそらく石窟寺院が各地に開かれた、北魏(ほくぎ)とか北斉(ほくせい)とかいう時代、一般に六朝(りくちょう)と括られる5世紀から6世紀の作ではないか。教授がポケットのなかに常にしのばせている、あの鍍金の仏頭と同じくらいの時代にちがいない。

 「何か持っているみたいですね?」Miuはやや身を乗り出して顔を近づけ「箱?」と訊いた。「うん。そうだね。箱のような……何だろう?」ぼくのつぶやくような問いかけにMiuは「あっ」と反応したあと「宝石箱」と指さしてから、両手で口を覆うと上半身を思い切り前に折り曲げ、大きな笑い声をあげた。「あはは! わたしって、バカですね。なんて、陳腐な解答!」「そんなことないよ。とにかく、大事なものを持っていることは確かなことで」「忘れてください。もうちょっと、考えます」Miuは癒しの笑みを浮かべそう答えると、恥ずかしそうに下を向いた。

 

 ぼくもモノを凝視し考えた。いったい、何を持っているのか。仏の左手は箱のような物体の底を支えるように、手のひらを広げ親指とその他の四本の指で、がっしりと掴んでいるようにあらわされている。その指は太く力感に溢れているので、この箱が結構な重さがあることを伝えている。

 それと対照的なのが右手であり、これは箱の上部をそっと押さえるようにあらわされている。正面から見える四本の指が、実に軽やかな造形を成しているのだ。なかでも小指だけが、上方に引き上げられるような恰好で浮いており、箱には触れていない。その小指のしなやかな曲線は、実に艶めかしくもあり、ある種のエロティシズムを感じさせ、ぼくの眼を釘付けにさせた。

 重さを感じさせる左手と軽さを示す右手。おそらく胸の前で、しっかりと且つ優しく持っている両手の好対照の表現が、この箱のような物体を、形容しがたい「大切なもの」を意味しているように思えた。

 そのなかに入っているものとは、いったいどんなものだろうか――。

 Miuは「宝石箱」と言って笑ったが、もっともっと遥かに大事なもの――。。

 ぼくは思いを膨らませる。以前本で読んだことがあるが、仏教が日本に伝来されて以来、地位の高い学問僧たちが生死をかけて海を渡り、中国の高僧たちから貴重な仏典を持ち帰ったことを思い出していた。空海最澄らが授かってきた経典などは歴史的に知られ、それにより日本で密教の基盤が築かれたのである。その中国でも同様に、仏教が根づいた5~6世紀頃、西域の国々から請来された経典類は、筆舌に尽くしがたい貴重品であったに違いない。「宝物」という言葉は決して適切でないかもしれないが、推し量ることのできない重物(じゅうもつ)であったことだろう。それを思うと仏像の胸の前で、両手で大事に抱え持っている箱のなかには、仏の教えが十全と書き記された経巻類が入っているような気がしてならなかった。

 もちろんこれに対する正しい答えはあるにちがいない。仏教彫刻の研究家なんかに尋ねたら、仏像の持物について、「ああ、それはこれだよ」といとも簡単に返答してくることだろう。しかし今ぼくは、そんな規範に則った正解など聞きたくもない気持ちになっていた。損なった一部から広がる豊かな想像力こそ、骨董を賞翫(しょうがん)するに不可欠であるように思え、そのなんというか浪漫とか夢のようなものを失いたくないと、この仏手を前に強烈に感じていたからである。

 

 柱時計が三つなった。午後三時になる。しかし、隣りの居間からは何の音沙汰もない。やがて、奥様が楚々と入ってきて、紅茶を二人の前に置いた。

 ぼくがお茶を一口啜ったあと、Miuがおもむろに「Kさんて……」と、癒しの笑みで問いかけてきた。「変人ですか?」「……へっ!?」思わぬ言葉にぼくは唖然と見返す。「自分を変人だと思いますか?」変人と言われてもすぐに答えを返せず、「なんで?」と訊き返した。「わたし、変人なんですよ。変人の娘なので」あっけらかんとした答えに、ぼくは瞬きを二度繰り返した。Miuは二杯目の紅茶に口をつけてから、「父って、変人でしょ?」ぼくは答えに窮する。変人かどうかはともかく、常人でないことは確かだ。「変人なんですよ」Miuは続ける。

 「蜜柑を剝くときだって、丁寧に丁寧に白い部分を取るんですよ。普通の人はだいたい取れたら食べちゃうじゃないですか。でも、父は、本当に、20分くらい時間かけて、ちょっとでも白い部分があったりすると。爪でいくらやっても取れないときってあるじゃないですか。そういうときでも、楊枝とか、場合によってはピンセットとか出してきちゃって、そういうの使って、しつこく取るんですよ。そしてきれいに取り終わったら、テーブルの上でしばらく眺めるんです。そして、『うん』ってうなずいてから食べるんですよ。もう、表面とか乾燥しちゃってるのに。……変人ですよね?」

 ぼくの返事を待たずに「あと、おでんとかでよく煮込んだ蛸があるじゃないですか。その蛸の吸盤だけを、取るんですよ。それを別のお皿に入れて。吸盤だけ。それで吸盤のところだけ集めて、お皿にそれがいっぱいになって。……ああ、気持ち悪い」といったん顔をしかめて「それで、先に身の方を食べてから、それから、吸盤だけ入ったお皿をじっと見て『何か別の料理みたいだね』なんて言って、満足気にゆっくり味わうように食べるんですよ」Miuはふうっと一息吐くと、「あと、この間……」――案外よく喋るなこいつ、とぼくは思った。

 「昨年の終わり、本田美奈子白血病で亡くなったじゃないですか。わたし、超、悲しくって。最後に、病院のなかでお世話になった看護師さんたちに向けて『アメイジング・グレイス』を歌った場面をテレビでやってたのを思い出して、わたし、そのとき、何となく、その歌を口ずさんでいたんです。そうしたら、父が横を通ったときに『いやあ、Miu。それいい歌だよねえ』と言うから『うん』って応えたら、『星影の小径、かあ。名曲だ』って。『はあ?』って言ったら、『小畑実』ってわけわからないこと言って、『アーイラァーブューゥ、アーイラブュー』って歌いながら出かけて行ったんですよ。わたしが音痴だってのは仕方ないですけど、何ですか? 『アーイラァーブュゥ』って。ほんと、変人。Kさんの周りにもいますか? そういうひと?」

 ぼくはあっけにとられながらも、即座に肯定した。いる、いる。癒しになっていないMiuの目を見据えて、ぼくは思い出す。それとまったく同じようなことがあったことを。あれは昨年末犬山の部屋で、ぼくも同様に本田美奈子を偲んで『アメイジング・グレイス』を鼻歌で奏でていたときのことだった。そのメロディを聞くなり犬山が「おい、その歌、あれだろ」と指さし、「何つったっけなあ、それ、それ」と目をつむり眉間に皺を寄せるので「アメイジング・グレイス」と言おうとしたら、「あの、ウルトラQ第12回の『鳥を見た』の回の、少年が鳥に別れを告げながらの、ラストシーンに流れていた、あの曲だろ?」「へえっ??」「いいメロディだよなあ、いい!」なんじゃ、そりゃ? と思ったが、このときぼくはそれ以上つっこまなかった(というか、その時点でつっこむ気力を既に失っていた)。

 

 「変人」の定義は知らないが、その類いの人間は周りに結構いる、とぼくは思った。会社勤めをしている時はさほど感じなかったが、この仕事に携わってから、意外に多い、いや、ひょっとしたら、ほとんど変人じゃなかろうか、というような気がしてきた。Z氏然り、犬山然り。そう考えると、その最右翼は、宋丸さんだろう。あの領域となると、世の中にそうはいない。あいちゃんも、間違いなく変人だ。かつらはともかく、独身で、古アパートの部屋を四つも借りていて、ほんのわずかな寝床以外は、紀元前の土器でぎっしりと埋め尽くされているのだから。となると……、総長だって、そうかもしれない。「好かれ悪しかれ、私の現れ」なんて言って、ニセモノ買ってもにこにこ微笑んでいるわけだから。普通じゃないことは確かだ。ことによっては、宋丸さんの上をいっているのかもしれなく。それと、この家の主(あるじ)だ。教授も、負けず劣らずの強者(つわもの)といえるだろう。

 ――ぼくは時計に目をやる。針が三時半にさしかかろうとしているのを見て、この白髪の眼鏡の猫背の老人こそ、一番の変人かもしれないと思っていた。

 

 奥様が三度目の紅茶を持って現れ卓の上に置く。「すみませんね」というような低姿勢に、ぼくらも「いえいえ」というように頭を下げる。奥様が消えるように部屋を去ると、Miuが「お客様にもいるんですよ。変人が」と口を開いた。まだ続くの、この変人の話し? と、ぼくは暖かい紅茶を口に運びながら耳を傾けた。

 「富山県のお客様なんですが、よく電話がかかってくるんですよ。でも、方言がきつくて、そのうえ早口で、それでもっていつもハイテンションだから、何言ってるのか、ほんと、さっぱりわからないんですよ。父に、『このかたの言ってること、わたしほとんどわからないんだけど』って言うと、父は『いいんだよ、ぼくもわからないんだから』って。えっ? なに? わからないのに相手してるの? って、思って。そのひと、年に何回かお店に来られるんですよ。一度、父の留守の時にいらしたので、父に言われたとおり、何点かお見せしようと品物の箱を持ってくると、『なにを、するーっ!』って大きな声を上げるので、『父からこれをお見せしなさいと言われているので』と、わたしが箱の紐をほどこうとすると、『やめてくれーっ!』って叫ぶように言うんですが、だって、モノ見にわざわざ来たわけですよね。だから、箱の蓋を開けて手を入れると、『なんてことを、するんだぁー!』って両手を前に突き出し顔をそむけるんですが、わたしも父から言われてるから、箱の中からモノを取り出して、畳の上に置いたんです。そうしたら、『ぎゃあー!』と声を上げたかと思ったら、急に静かになって。じぃーっと遠目に眺めてから、突然飛びつくような動作でそのモノに近づくと、何度も何度も掌のなかでくるくると回して、それが終わると、ふぅーって大きな息を吐いて、『これ、おいくらですか?』って、訊くんですよ。わかります? この話し?」

 うん。なるほど。それは骨董業界「変人」あるあるの話しである。ぼくが口元を緩ませ何度かうなずくと、Miuは癒しの微笑に戻ってから「でも、わたし、そういう変人みたいなひとが、なんとなく好きなんです。だから、わたしも変人だと思うんです」と言って、おかしそうにけたけたと笑い、ぼくの顔を見つめると「Kさんも、変人ですか?」と改めて尋ねた。ぼくは考える。確かにこうしたひとたちは、実のところ、みんな好きだ。面白い。何の抵抗もなく自然とつきあえる。ということは、ぼく自身が変人なのかもしれない、という結論になるのだろうか。――この仕事をするには変人になるべし、なのかもしれないが、これらのひとたちとは、まるっきり、レベルが違う。比べると、まだまだひよっこだ。いや、卵だ。いや、ひよこか? どっちだ? 檜になれないあすなろの木が頭に浮かぶ。あすなろだ。そう思ってぼくは答えた。「変人のあすなろかな?」「変人のあすなろ?」Miuは目を輝かせ「なんだかよくわからないけど、素敵な言葉ですね」と言うと、「わたしも、変人のあすなろです」右手を小さく顔の横に上げた。

 

 「ボーン」と一つ、柱時計から音が放たれた。時刻は四時半。ここに来てから二時間半が経つ。まだ見続けているのだろうか。奥様がそっと置いた四杯目の紅茶は、アールグレイからダージリンに変わっていた。本日二つ目の菓子は、弾力のあるシフォンケーキ。ここでケーキが出て来るとなると、まだまだかかるなと、ぼくは思った。

 奥様のある種熟練したお茶出しのしぐさなどからみて、今日のようなことは特別なことではないにちがいない。普段は拝見する側なのでわからなかったが、骨董商らがモノを持参するときは、おそらくこの部屋で長時間も待たされ、同じようにして紅茶とケーキが一定の間隔で出されるのだろう。美味しそうにケーキを口に運んでいるMiuを見ながら、ぼくはかねてから訊いてみたいことを、この際だからと口に出してみた。Miuの父上のことである。ぼくは、少なからずZ氏に興味を抱いているのだ。

 「Zさんて、どうして骨董商になったのかな?」シフォンケーキが食べ終わるタイミングをみて、ぼくは訊いた。Miuは唇に手をあて少し考えてから「ふーん。わたしも詳しくは訊いたことがないんですが。父が東大に入ったとき」「東大なんだ」「そうなんです。でも、父が入学した年に、東大紛争っていうのがあって、全共闘っていうんですか? そういう学生運動にのめり込んだみたいですが、でも、すっかり嫌になってしまって、大学を中退して、当時流行っていた無銭旅行みたいなことをしようと、香港からロンドンまで、アルバイトをしながら、列車やバスなんか乗り継いで、ヒッチハイクなんかして、ユーラシア大陸を一年かけて横断したらしいんです。そのときに、いろいろな国で、骨董品とか古い日常雑貨の面白いモノを見て歩いて、それで興味を持ったって一度話していました」「へええ。そうなんだ」それは、Z氏らしい話しである。

 「父は、放浪癖があるんですよ。だから、時々、急にいなくなるんです。昨年なんか、いなくなったかと思ったら、アフリカとかに行ってたりしてて、一カ月も。そうしたら、変な汚い雑巾なんか買って来て、それを額に入れて飾ったりして」――曜変天目の陶片を見に初めてZ氏の店を伺ったとき、床の間に飾られていたあれか、とぼくは思い出す。あのときZ氏は、それを見ながら「新骨董」という言葉を投げたのであった。

 「あれね。覚えてる。なんか不思議な魅力をはなってたね」「わたしは、よくわからないですけど、とにかく、そういったモノを欲しがるひとが、不思議と父の周りに集まってきて。そのなかに、有名なアーティストとか、芸能人とかがいて。そういうひとたちが面白がって、お店に来るようになって。マスコミでも取り上げるようになって。それで父も、ちょっと知れた存在になって」「それで、カリスマ骨董商」「カリスマかどうかは知りませんけど」「それで、その雑巾って、売れたの?」ぼくの問いにMiuははにかむように答えた。「はい。すぐに」

 ――ほお。あの雑巾を買うのだから、そのひとも、よっぽどの「変人」なのだろう。

 「それは、さすがの話だね。他の店じゃあ、絶対売れない」ぼくは笑ってそう答えたが、こういうとき犬山だったら、「恐れ入り谷の鬼子母神!」とか声をあげて深く感心するのだろうな、とぼくは勝手に想像した。

 

 トイレから出て戻りかけたときである。居間の扉が少し開いているのに気づいたぼくは、いったん立ち止まると、引き寄せられるようにして、そこに近づいていった。腕時計を見ると、すでに五時半を過ぎている。そろそろ日没なのか、先ほどから急にあたりが暗くなり始めている。かすかに開かれた部屋のなかからは、明かりが漏れていない。

 誰もいないのかと思い、ぼくは扉を少しだけ開いてなかを覗き、ぎょっとした。テーブルの上には埴輪が乗っており、それをじっと見つめている教授の姿があったからである。夕暮れ時まで照明をつけないでモノを見ていたことは、今までよくあることであったが、これほど暗くなっても灯りをつけないことはなかった。というか、こんな時間までぼくはこの部屋にいることはなかったのであるが。

 薄暗がりのなかで、ほのかに浮かび上がるような埴輪の赤い土の色が、まるで幽玄にゆらめいている炎のようにみえ、ぼくはそのまま見入ってしまった。皇女の表情までは判然としないが、それは午後二時の光りとは異なる強い翳を落としており、まったく別物であるかのようなシルエットをつくり出していた。そして視線を右に移し、ぼくは戦慄のようなものを感じ、思わず後ずさりしそうになった。モノを凝視する教授のまなざしがあまりにも鋭く光り、一対一の真剣勝負をしているかのように見えたからである。このひとは、もう三時間以上、この埴輪と果たし合いをしていたのである。

 鬼気迫るような光景を、固唾を飲んでみつめていると、後ろからひとの気配がした。「もう、じき、ですから」目を伏せた奥様のその声で、ぼくは応接間の扉をそおっと閉めた。

 

 隣室に戻ると、七杯目の紅茶が置かれていた。無味乾燥なこの部屋も、三時間以上もいると、なんだか居心地の良さが芽生え始めていて、ぼくはカップを片手にソファの背にもたれかかりながら、紅茶をちびりちびりと飲んでいた。しばらくすると突如Miuが振り返った。「Kさん――」長い髪がぼくの肩に触れる。「なに?」ぼくはソファから身を起こしてカップを戻す。

 「わたし、想像しました」「うん」「この仏様の手」と指をさす。「持っている箱の中身」「ほう。なに?」癒しの眼に力が込められ、「これは、人びとの願いとか、望みとか、そういうのが入ってるんじゃないかって」「人びとの願い……?」「はい。仏様だから、そういう人びとの願望っていうか……どうぞかなえてくださいって。そういう思いがここに込められているじゃないかって」Miuはぼくの目をまっすぐ見て、「だから、これは、希望の箱です」「希望の箱?」「はい。みんなの思いがつまっていて。だから、ずっしりと重くて、ふわっと軽いんです」

 ぼくは改めて石像に眼を移した。なるほど。どの世でも人間が等しく抱く願いや望みを受けとめてくれる箱ということか。ぼくはその中身について、目に見えるものとばかり思っていたので、その発想に不意をつかれ、驚きの目をしばしMiuに向けていたが、それはやがて感服の色に変わった。

 「希望の箱」とは、目から鱗。言い得て妙。浪漫がある。夢がある。人びとの願いはずしりと重く、でも実体がないゆえ、ふわりと軽いのか。さすがカリスマの娘。ぼくは再び正面に向き直り、「希望の箱かあ。そうかもしれない。うん。なんか、すごくいい」仏像のたおやかな右手の小指をみつめながら、そう答えると、ふと思った。ひょっとしたら教授も、寝室に飾られた水彩画同様、この箱にも、あの執拗なまなざしで願いをかけていたのかもしれないと。そして、今日ついにそれが通じ、埴輪と巡り合えたのかもしれないと。ようやく、恋焦がれた皇女との邂逅が実現したのだと。

 

 あとは……、それを手に入れるかどうかである。

 

 実は、この話を電話で伝えたとき「見たい」という言葉のあと、値段を訊かれたのだ。当然だろう。買う側の立場なら、誰しもそれを尋ねる。それも他に例をみない逸品であれば、なおさらのことである。このときぼくは、Z氏が定めた7000万という数字をそのまま伝えたのだ。埴輪の首としては狂気ともいえる値段。しかし、この稀代の品に相応しい、敬意を表した額。Z氏の言った、上にも下にもいかない、譲歩してはならないという7000万円という数字。これを、伝えたのだ。その瞬間「んっ」という、短い異音が受話器から漏れた。そして五、六秒の沈黙のあと、小さなうめき声とともに「持ってきてくれ」と言ったのだ。その声の響きには、半ば覚悟を決めたような静謐な強さが感じられた。

 

 値の高いモノがすべて「名品」とは限らない。ただひとつはっきりしていることは、「名品」は値が高い、ということである。

 そのことは、半世紀以上にわたり骨董蒐集をしてきた教授からすれば、百も承知二百も合点だろう。ただ、破格ともいえるこの値段を、いざ現実として突きつけられたときに、はたして受け入れることができるのかどうか、である。

 教授はそれを、移りゆく光のなかで変容する皇女の微笑と対峙しながら、自問自答を繰り返しているのだ。それに価するモノなのかどうか。腹に落ちる決断をくだせるのか。三時間も四時間も格闘しているのだ。

 

 仏によって、願いはかなうかもしれない。しかしそれを最終的に実現するのは、結局のところ自分自身なのではなかろうか。希望は、あくまでも希望なのだ。神によりそのチャンスは与えられるかもしれないが、それをものにできるかどうかは、そのひと次第であろう。望みは、それが高ければ高いほど、簡単には実現しない。――つまり名品は、たやすく手には入らないのだ。いや、手にしてはいけないのだ。

 死に物狂いで必死になって手を伸ばし、やっとひっかかった指先でもってぐいと引き寄せつかみ取る、そういうモノなのかもしれないと、先ほど扉の間隙から目にした息も詰まる光景を思い浮かべ、ぼくはそう思っていた。そして、そう思いながら、仏の右手の小指をじっとみつめた。すると、先ほどまでは軽やかな曲線を描いていたその指のラインが、酷く武骨に屈曲しているようにみえてきたのだった。

 

 そのときである。隣室から、「うおぉーう!」という高低の交錯した異様な声がこだました。それは、歓喜とも絶望とも、どちらともとれるような音階を持っていた。八十をとうに越した老人から放たれたとは思えぬほどの声量であった。ぼくはその声を耳にした瞬間、教授が倒れでもしたのではないかと危惧し、慌てて応接間に向かった。Miuもあとに続く。部屋の前で立ち止まるや否やドアノブに手をかけ、ぼくは思い切り扉を開けた。

 ほとんど暮れかけている空から入る光は勢いを失っており、目を細めないと情景がつかめなかった。まもなくその眼に映ったのは、椅子に深く身をゆだねている教授の姿だった。全てを出し尽くしたかのような疲労に満ちた老人の姿だった。

 ――果し合いは終わったのだ。

 

 「置いていってくれ」埴輪に目を向けたまま、両手をだらりと垂らすと、教授は絞り出すようにそう言った。

 

 7000万という金を用意できるひとは、世の中には、そこそこいるにちがいない。しかし、この埴輪につぎ込めるひとは、教授ただ一人であろう。いくら金を持っていても、株や不動産と同じような感覚で、骨董の名品は手に入るものではない。そのモノに対して、金額以上の、愛情と情熱がなければ獲得できないからである。だから、名品は流転はしても、間違った方向には決して動きはしない。それに相応しい道程を踏むものなのだ。それはまるで、作品がみずからの行き場所をみつけ出すかのような。そこに縁というものを感じざるを得ないような。あらかじめ敷かれたレールの上に乗っかっているような。見えないが、何か釈然と定められた、喜ばしくそして頼もしい帰趨(きすう)があるのだ。

 前所有者が、借金を積み上げ一家離散してまでも、最後まで手許に残した埴輪の皇女――。この名品が次に選んだのは、教授だったのである。

 

 ぼくは教授に深く一礼した。Miuも同様に頭を下げる。ぼくが居間から出ようとすると、扉の側に立っていた奥様が音もなくぼくに近寄り、手に持っていたものをそっと差し出した。それは、持ってくるときに埴輪を包んでいた焦げ茶色の風呂敷だった。それが、きちんとたたまれ、持ちやすいように丸められていた。

 

 駅までの道をMiuと歩いた。すでに日は落ち、煌々と輝く大きな満月が出ている。「なんか、今日の満月ずいぶん大きいね」「知らなかったんですか?」Miuはクスッと笑って「今夜はスーパームーンなんです」「へえ、そうなんだ」Miuは感慨深げに月を見上げ「あの博士、ずっとあの部屋で、埴輪と向かい合ってたんですね。午後二時からの変わっていく光のなかで、少女の顔を見つめていたんですね。なんて情熱的なのかしら」そしてぼくに目を向けると、「すごいエネルギーです。きっとあの埴輪にも、それに等しいエネルギーがあるんでしょうね」「うん。そうかもね。なんたって、名品だから」ぼくは丸めた風呂敷を小脇に挟むと、ハーフコートのポケットに両手を突っ込んだ。月の光に照らされ、路面に二人の影がぼんやり広がっている。Miuが口を開いた。「たぶん、あのまま、部屋の照明をつけずに、ずっと見ているんだと思います。窓から入るこの月の光のなかで」そうかもしれない。移ろいゆく自然の光りを照明にして、教授はいつまでも埴輪の皇女見続けることだろう。

 「ミスター・ムーンライト」Miuは再び顔を上げるとそう言って、いきなり「ララララーン、ランラララー」と口ずさんだ。ぼくはその横顔を見る。

 「ひょっとして、それが、さっき言ってた『アーイラァーブュゥ』ってやつ?」Miuは両手でパンっと腿を叩くと、「違いますよ! これは、うちの父が好きな、ミスター・ムーンライトって歌のメロディです。どうせ、わたしは、音痴です!」「冗談ですよ。冗談」「結構、です。わたしは音痴ですから!」「でも、どこかで聞いたことあるような。もう一度歌ってみてよ?」「いやです!」Miuはそう言ってふくれたかと思ったら、急に癒しの目をして「でも、今日で、わかったんです。わたし、やっぱり、変人が好きだってこと」と言って小さく笑った。

 

 ――そんな具合でぼくらが帰途に着こうとしていたちょうどその頃。東京から9600キロ離れた英国ロンドンにある大手オークションハウスB社では、来月中旬に開催される中国美術セールに向け、着々と準備が進められていた。縦に長いアーチ型の窓からは、午前の柔らかい日ざしが入っている。図録の校了が近づいていることもあり、アシスタントがせわしなく動き回っていた。その一人ブロンドの髪をした若い女性社員が、プリントされたばかりの書類を手にし、一番奥の席へ向かってつかつかと歩を早めた。

 「今回のメインピースの一つですが、この名称でよろしいでしょうか?」掲載する作品名について、彼女は確認を求めた。高名な博物館の学芸部長であり、B社のチーフ・コンサルタントをしている50代の銀髪の女性学者は、組んだ足をそのままに書類を受け取ると、薄い縁の眼鏡に手をあてじっと目を落とした。二三度強くうなずいてから「これは、たいへん珍しいモノだわ」顔をあげると「Importantの前に、“Very Rare”という形容詞をつけて」中国陶磁を専門とする女性学者は細い顔を崩し、「ずいぶんと貴重なモノが出るのね。わたしは、今まで一点しか見たことがないわ。確か、日本にあったはず」「かしこまりました」若い社員は席に戻ると、さっそくパソコンのキーボードを叩き、正式名称を作成した。

 

  「A VERY RARE AND IMPORTANT DOUCAI STEM CUP, MARK AND PERIOD OF WANLI(稀少な優れた豆彩馬上杯、万暦在銘)」

 

 (第39話につづく 7月28日更新予定です)

 



 

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