2023-01-01から1年間の記事一覧

骨董商Kの放浪(42)

ロンドンへ出発する前日の大型連休明けの月曜日。ぼくは月二回美術倶楽部で開かれる或る個人会に参加していた。この市場(いちば)は雑多なモノが大半を占めるが初生(うぶ)口が多いことで知られ、そのなかには一級品も混ざっていて時おり高値まで競り上がるこ…

骨董商Kの放浪(41)

三畳台目(だいめ)の茶室の京間一畳に座っていた。ぼくは下座。真ん中の次客の畳にはZ氏。つまりぼくの右隣りに座る。正客の席は空いている。ぼくの正面の点前畳では、Miuがお茶を点てていた。ライトグレーのパンツスーツが、一定のリズムを刻んで穏やかに…

骨董商Kの放浪(40)

金曜日午後6時のエリタージュ・ハウス。まだ客はまばらであるが、スタッフの目配りや動作に、なんとなく嵐の前の静けさを感じさせる。Reiのあとに続いて、ぼくはあたりを伺いながら、正面のエレベーターへと向かいかけたとき、「上じゃ、ありませんよ」のRe…

骨董商Kの放浪(39)

ぼくは、両手で抱えた小さな風呂敷包みにぐいと力を込め、受付に向かった。二人の女性が座っている。その右側の短髪の女性の前に進み出ると、緊張した面持ちで名を告げた。受付嬢は口元に笑みをたたえ「はい」と答えてからデスクに目を落とし、すぐに顔をあ…

骨董商Kの放浪(38)

「すみません。急いでないので、ゆっくりでお願いします」ぼくはやや身を屈めると、後部座席の両脚の間に置いた箱の位置を最終調整した。風呂敷に包まれたこの箱のなかには、Z氏から預けられたあの埴輪女子の頭が入っている。両方の脚で挟み込むと風呂敷の…

骨董商Kの放浪(37)

東京の桜がもうそろそろ開花するかという三月の下旬、ぼくは日本橋人形町のしゃぶしゃぶ屋にいた。ここは内科医あいちゃんの診療所近くにある先生行きつけの店。昭和初期の文豪の生家として知られている。先生の右横にはネエさん。ぼくの左隣りには才介が座…

骨董商Kの放浪(36)

新幹線で名古屋までいくと、地下鉄に乗り換え終点で下車し、そこからバスに乗り込んで30分ほど走った。時おり窓から見える桜は、まだ五分咲きくらいだろうか。ぼくの両膝の上には、風呂敷に包まれた箱が一つ乗っている。 バスは、広大な敷地に入ると3分程走…

骨董商Kの放浪(35)

宋丸さんは自分の手帳を取り出すとテーブルの上に置き、Reiに渡されたメモ用紙に書き込みを始めた。「ほら」と渡された紙には、なにやら電話番号が書かれている。 「こちらに電話したらよいのですか?」「ああ。それが会社の秘書室の番号だ。宋丸の紹介とい…

骨董商Kの放浪(34)

それは久しぶりに聞くReiの声だった。 ぼくは才介から遠ざかりながら、「どうしたの?」「今、東京ですか?」「いや、実は九州に来ていて」「ごめんなさい。出張中に」「ああ、大丈夫」「じゃあ、手短に話すわ。宋丸さんが話あるみたいで、K君を呼んでくれ…

骨董商Kの放浪(33)

二月上旬の午前9時、ぼくと才介は大分空港に着いた。ここからホバークラフトという何とも乗り心地の悪い水面を走る船を利用し、別府に着いたのが10時前。 「何か、寒いなあ。東京より気温低いんじゃない?」才介が首をすくめ身体を縮めた。清らかな空気は、…

骨董商Kの放浪(32)

温泉市(いち)の情報を聞いた数日後の一月の下旬、ぼくは総長の家を訪れた。香港で買ってきた漢時代の蝉炉の代金を頂戴するためである。 正月三が日の過ぎた頃、ぼくは総長から電話をもらった。家に遊びに来ないかとのこと。そのときぼくは香港で仕入れたこの…

骨董商Kの放浪(31)

年明け早々に、香港から雍正筆筒の代金が才介の口座に入金された。手数料を差し引き840万円ほど。「半分送るぞ」と、ぼくの口座に約420万が振り込まれた。そこから、Saeから借りた300万を返金する。手許には120万ちょい。300万を失ったことを考えれば上出来…