骨董商Kの放浪(42)

 ロンドンへ出発する前日の大型連休明けの月曜日。ぼくは月二回美術倶楽部で開かれる或る個人会に参加していた。この市場(いちば)は雑多なモノが大半を占めるが初生(うぶ)口が多いことで知られ、そのなかには一級品も混ざっていて時おり高値まで競り上がることもある。よって、百五十人ほど参加する業者たちにも幅があった。会場の床を覆う赤い敷物の上に足の踏み場もないほどの荷物が並べられていて、皆モノとモノとの僅かな隙間に足をつっこみ身体を折り曲げながら下見をしている。ぼくが低い姿勢で縄文土器の破片の一群を一つひとつ手に取って見ていると、後ろから声がした。

 「明日から、ロンドンだろ?」才介である。「うまく買えるといいな、マダム」才介も屈んで、土器の欠片を手にする。「うん」「おれも行きたかったんだけどな。遠いし、費用かかるし」と苦笑しながら、隣の唐津風の盃をつまんでちらりと裏を返すとすぐに戻し、壁面に置かれている花瓶の一口に歩を進めた。グレーのパーカーの背中に向け、ぼくは訊く。「今日、三代目、来るかなあ?」「うーん。この会、来るときと来ないときがあるからなあ」壁面の飾り台に並んでいるモノをさらっと目で流しながら、「まだみかけてないけどね」才介は入口付近にある荷の塊に向かっていった。

 今日この会に来たのは、仕入れはもちろんのことであったが、主要な目的は三代目に会うことだった。あの馬上杯の値段に関して、三代目の意見を知りたかったからである。先日宋丸さんの見解を受けて三代目はどう考えるか。是非とも彼の予想価格を聞きたい。会が始まってしばらくみえないようだったらお店へ伺ってみるか。その方がゆっくり話せるし――とぼくは思っていた。

 結局二時間ほど待ったが三代目は現れなかった。電話で済む内容でもあったが、直接会って訊いた方が腹に入ると思ったので、ぼくは南青山へ向かった。

 相変わらず一見(いちげん)を寄せ付けない威圧感のある建物の扉をそおっと開ける。アポを取っていなかったので、特に静かに取っ手を引いて、「すみませーん」とか細い声を出しつつなかに入る。と同時に来客を告げるピロロンという音が店内に響き、それにぼくがびくついたところで若い女性社員がやってきた。三代目は在店しているようで、ぼくは一階にある二つの応接間の大きい方へ通された。「少々お待ちください」女性は扉を閉めた。

 床の間には李朝白磁の壺が飾られていた。高さが20センチくらいで胴部が面取りになっている。その一部分にこぶし大の染みがじわっと入っていた。ぼくは近づいてそれを手に取る。この染みは、内側から入ったものであった。おそらく油か何かを容れてあったのだろう、内面に濃い黄土色が大きく広がっている。鉅鹿(きょろく)とは異なるタイプの染み模様だったが、それが李朝白磁らしい景色を出している。そこに三代目が入ってきた。「すみません。勝手に触ってて」「どうぞ、どうぞ。ゆっくり見てよ」と、いつものすがすがしい顔で手のひらを向けた。ぼくは白磁を敷板の上に戻すと、「意外ですね。李朝が飾ってあるなんて」「そお? うちは、東洋古美術全般やるからね。李朝も専門だよ」「そうでしたか」座ったぼくの前にお茶が出される。

 「どうしたの? 突然」「はい。ちょっとお訊きしたいことがありまして」ぼくはお茶を一口飲んでから切り出した。「明日からロンドンへ行くんですが」「行くんだ、ロンドン」「はい」「ぼくも行こうかと思ったんだけど、用事が入っちゃって。それに買うモノなさそうだし」「それで、そのセールに、万暦豆彩の馬上杯が出ているじゃないですか」「うん。出てるね」「いったい、いくらくらいになりそうかと思って。それを知りたくて……」「ふうん、あれかぁ」

 三代目は立ち上がり部屋を出て行くと図録を持って戻ってきて、頁を開いた。「これねえ……」落とした目をすぐこちらに移し「買うの?」と訊く。「ぼくじゃないですが。競ろうとしている知り合いがいて。どのくらいになるのかと……」「なるほど。値段かあ……、難しいね」三代目は顎をさすりながら「エスティメートはかなり抑えられているけど……どのくらになるのかなあ……」と小首を傾げ考えている。ぼくは続けた。「この間、宋丸さんに尋ねたら、5000万出さないと買えないっていうようなことを言われまして……」「5000万!」三代目は目を見開き「そりゃ、宋丸さんらしいね」と言って口元を緩めると腕組みをし「う~ん。そこまでは、いかなと思うけどねぇ」とさらに首を傾けた。「そうですか」「まあ、どうだろう……1500万から3000万ってとこじゃないかなあ。ざっくりとだけど」――これは犬山の勘の値段あたりである。

 三代目は両手で図録をやや高く持ち上げ写真をみつめると、「パッとみたところ、2000万出すひとはいるだろうけど、3000万となると限られるね。……万暦だからね」「万暦だから?」「うん。万暦は、今の中国人バイヤーの趣味とはちょっと違う。もともと日本人好みだから、宋丸さんなんか昔を知っているひとは強く踏むだろうけど、今の市場では決してそう高くならないと思うよ。ただ、そうはいっても、これは成化を写した稀な豆彩だから、日本人より中国人が買うんじゃないかな。でも、本歌とか今流行りの清朝官窯なんかと比べると、飛び抜ける値段までにはならないと思うけどね」三代目は図録を広げたままテーブルの上に置いた。

 ――万暦は明時代の後半から終盤期にあたり、50数年という長い治世のなかで夥しい数の官窯磁器が景徳鎮で焼造された。そのほとんどが皇帝の住まう紫禁城(しきんじょう)や円明園(えんめいえん)などの離宮に置かれたが、一部分は明代末期に流出し日本に渡ってきている。江戸時代の初め頃だ。こうしたモノは抹茶の世界で殊に珍重され伝世した。特に赤絵と呼ばれる五彩磁器が高い人気を誇り、「萬暦(ばんれき)赤絵(あかえ)」の名で近代以降も趣味人に尊ばれている。

 今回の馬上杯は、五彩のなかの豆彩という手法でつくられたモノ。豆彩の本歌は成化官窯で極めて稀少品。よってこの間の香港セールのように小ぶりなものでもトップの値が付く。成化豆彩を写した作は清代官窯でも制作されており、本歌ほどではないにしろ出てくると結構高い。これは万暦につくられた倣古作。清代の整然さとは異なるが、万暦特有の大らかさのなかに成化官窯の高い品格があらわれている。またその稀少性も加味されると、やはり中国人が買いにくることは相違ない。

 

 「実は、エリタージュにある馬上杯ですが……」ぼくは開いた頁にいったん目を向けてから、話しを始めた。「あれに古い領収証が付いていまして。昭和45年の」「へえぇ、本当? 当時、いくら?」興味津々というまなざしを受け、「1200万だったんです。昭和45年で」とやや語気を強めぼくは答えた。それに対し「ほおお」と、三代目はそう驚きでもない反応をして背もたれに体重をかけると、目線を上げ数度小さく首を動かした。「昭和45年というと、1970年かぁ……。中国陶磁が良い時代だな」「良い時代ですか?」「うん。日本が高度経済成長期まっただ中で、中国陶磁が一番高かった頃だよ。『鑑賞陶磁』が流行したピークのときだね」

 ――「鑑賞陶磁」とは、茶道具とは一線を画する中国陶磁蒐集の一形態。中国陶磁は、日本では古来から茶道具の観点で蒐集がなされていたが、昭和初期以降、鑑賞美術の対象として捉える欧米流の蒐集スタイルが確立されるようになると、それは1960年代から70年代にかけて流行し、名蒐集家による大規模なコレクションが次々と形成されたのである。

 「あの当時だったら、そのくらいはしたんだろうなあ……」三代目は宙をみつめ半ば陶然とした表情を浮かべた。「今だったら、いくらに相当するのでしょうか?」ぼくの問いに若き経営者は首を横に振った。「いや。そんな、今に当てはめて考えたら駄目だよ。美術品というのは、そういうものじゃない。そりゃあ、貨幣価値からすれば、当時の5~6倍くらいだろうけど」ぼくは即座に計算する。「というと、6~7千万ですか?」「まあね、単純に計算するとね……。でも、美術品の価格というのは、そんな簡単に算出できるものじゃない。あの当時は、お金持ちと庶民との格差も大きかっただろうしね。今と比べ物にはならない」

 昭和45年の1200万は最盛期に流通したトップクラスの価格であり、それを現在の貨幣価値に当てはめて計算することは適正でないことは理解できた。また当時の中国陶磁の値段は、市場(マーケット)を主導していた日本人の趣向によりつくられたもので、現在の中国人市場の価格とはまた異なる。

 

 馬上杯についてひと通りの話しが済んだのち、三代目は開かれたところから頁を右へめくり出し、手を止めると図録を返しぼくの目の前に向けた。「しかし、今回は、なんといっても、これだよ」そこには馬に乗った三人の女性を描いた元染の壺があった。カタログの表紙を飾っている作品である。「こんなの、なかなか出るモノじゃないよ」興奮気味に人さし指で頁を数度叩く。「何かの物語の場面ですかね?」ぼくの質問に「うん」と答えると、開いた図録をテーブルに置き、お茶を一口飲んでから説明を始めた。「この作品は、元曲(げんきょく)に取材した図で――」

 ――元曲とは、元時代に隆盛した雑劇と散曲を総称した古典劇のこと。当時絵入りの版本が流布していたことから、元青花の文様となる人物意匠や背景などはそこから引用されているのである。

 「これは、『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』の名場面――」

 ――「漢宮秋」とは、前漢王朝の皇帝元帝(げんてい)とその後宮の一人王昭君(おうしょうくん)との悲恋の物語として有名。匈奴(きょうど)の単于(ぜんう)の圧力に屈した元帝は、寵愛していた王昭君を泣く泣く差し出さねばならなくなった。表紙にもなっているメインの図様は、王昭君が漢国から匈奴国へと旅立つシーンが描かれている。お付きの宮女二人に挟まれた王昭君の表情は不安に満ちており、展開写真では、鷹を腕に載せ馬に乗った屈強な匈奴の武将たちが王昭君一行を先導する様が、また場面転換に使われた大きな岩場の先には、梅の枝を手に美女の到着を待ち構えている口髭を蓄えた単于があらわされている。コバルトの濃淡を自在に活かした描写は、画院の画家の手によるものと思われ、名場面を劇的に描ききっている。

 

 「こうした元曲に基づいた絵画的な作品は、数が少ないんだ」図録を手にしたぼくをみつめ三代目は続けた。「元染っていうと、モンゴル王朝の時代だから、イスラム圏に名品が多数運ばれたんだけど、こうした元曲を題材にした作品は国内向けに限定的につくられたといわれている。だから、数が少ない。しかも、みんな出来がずば抜けている。おそらく絵付けは、プロの絵師が描いたんだろうね」

 たしかに、王昭君や付き人の細緻な意匠の柄は細い筆先を巧みに操り、ダイナミックにあらわされた岩山は力強い筆の運びで一気に仕上げられている。コバルト一色を柔軟に使い分けたその画力は、まさに宮廷画家の手によるものといえるだろう。

 三代目の話しを聴きながら、ぼくは展開写真を目で追った。思い起してみると、今まで見てきた書物にある元染壺の主文様は牡丹唐草がほとんどで、あっても蓮池水禽(れんちすいきん)である。人物図というのは確かにあまり見ない。しかもこれだけ見応えのある図様となると先ずないであろう。出色の作品である。

 「これは一見の価値があると思うよ。用事がなければ、ぼくも見に行きたいところだけどね。――だから、燃えると思うね、この一点は」三代目は深い笑みでゆったりとうなずいた。「燃えますか?」ぼくの問いに「うん」と言って、「20億円くらいいくかもね。最近の高騰ぶりからみると」と答える。20億となると評価額の3~4倍である。三代目は図録を手許に引き寄せると改めて頁に目を落とした。「ひょっとしたら、レコードつくるかもなあ」

 ――これまでの中国陶磁最高額は23億円。昨年香港で出品された清朝雍正(ようせい)在銘の琺瑯彩(ほうろうさい)と呼ばれる小碗についた値である。ただそれまでは1989年につくられた唐三彩大馬の9億円であった。当時世間をあっと言わせ15年にわたり破られなかった大記録は、ここ数年であっけないように塗り替えられていった。昨年から今年にかけてのマーケットをみると、10億超えはもはや驚きではなくなっている。なので、今三代目の口から出た数字も決して大げさなものではなく、妥当な額といってよいだろう。中国陶磁市場は、中国大陸のバブル経済を背景に、ここ数年で急激に膨張しているのだ。

 

 ぼくは再び漢宮秋の名場面が描かれている壺の展開写真をじっとみてから、左頁の解説文に目を移した。「PROVENANCE」の表記の下にこの壺の来歴が記されている。それによると、1930年代から英国の著名なコレクターのもとに蔵されていたとあり、その人物の名が生没年とともに紹介されていた。それを読んで、ある疑問が頭をもたげた。「今、この元曲をモチーフにした作品は、当時国内向けにつくられて海外には輸出されなかったと仰いましたが、なんでイギリスにあったんでしょうか?」ぼくの素朴な質問に三代目はにこりと笑みを浮かべると「中国陶磁の流通に関してだね」と言って丁寧な説明を始めた。

 ――現在世界の市場を回っている中国美術品の多くは、20世紀初めに中国から流出したものである。その要因となっているのが1911年に勃発した辛亥(しんがい)革命であった。清王朝の崩壊とともに、紫禁城離宮、皇族の屋敷や高級官僚の邸宅などに収蔵されていた宮廷美術品が流出をしたのだ。革命前後の混乱期にはそれが著しく、それらの多くは、宋・元・明・清代の名だたる書画、玉器、翡翠などの宝飾品や官窯磁器などの至宝で、元曲を描いた青花もそれに含まれた。こうした逸品の数々は、故宮博物院にとどまるものもあったが、米・英・仏・独・日本などの海外へも流出している。今回の元染壺も、こうした経緯のなかでイギリスに渡ったモノと思われる。

 「――あと、20世紀初期から大陸の主要な場所に鉄道が敷かれるようになって。河南省あたりで。その工事中に、漢から唐時代の王侯貴族たちの墳墓に埋葬された古代の文物が掘り出されて市場に出回ったんだ。唐三彩とかね。だから、20世紀の前半というのは、悠久の歴史を飾る古美術品が一挙に世界市場に登場した時代なんだ。現在名品と位置付けされているモノの大半は、この頃に出てきたということだよ」

 三代目の説明を聴いてぼくは思った。おそらくエリタージュの馬上杯も、この時期に中国から渡ってきたものだろうし、マダムの祖父のそれも、清末の高官から譲り受けたというわけだから、こうした事象を背景に動いたのだろう。三代目は結論付けるように言い切った。「今、中国陶磁に何十億も出せるひとは、中国人しかいない。残念ながら日本人では皆無だろうね」それは、今回の目玉となる元染が、中国人同士の競り合いになって驚くべき数字に達するに違いないことを示していた。

 

 「ロンドンは初めて?」図録をゆっくりと閉じると三代目は訊いた。「はい」うなずくぼくの顔を微笑ましくみつめ、「ロンドンは、中国陶磁を勉強するには最高のところだよ。大英博物館、ヴィクトリア&アルバート美術館、そしてなんといっても、デイヴィッド・ファンデーションがある」「それって、デイヴィッド卿のコレクションのことですか?」「うん、そう。中国陶磁の個人蒐集では世界随一とされるコレクションが、ロンドン大学近くにある邸宅に展示されている。ここは、絶対見に行かないといけないよ。じっくりと、一日かけてね」

 デイヴィッド・コレクションは、中国陶磁をかじった程度のぼくにでも、その名は耳にしたことがあった。何しろそれは「小宮廷コレクション」と称されるほどで、他の追随を許さない領域に到達した崇高なコレクションなのだ。

 「パーシヴァル・デイヴィッド卿は、1920年代から中国を訪れ政府関係者と強い関係を築くと、他では手に入らない第一級の品々を射止めていったんだ。おおよそ十年間で。その眼力は並外れていたことは確かだろうけど、宮廷コレクションが流出し易かった時代に居合せていたのも、このコレクションの成り立ちに大きな影響を及ぼしていると思う。今いくらお金があっても、それは不可能なことだからね」そこでいったん三代目はお茶を口に含むと話しを継いだ。「ただそうはいっても、イギリスには当時他にも貴族階級の名蒐集家が綺羅星(きらぼし)の如くいたわけだから、そのなかで群を抜くということは、やっぱりデイヴィッド卿のコレクションにかける執念が、尋常じゃなかったんだろうね。そうでないと、これだけのレベルには達しない」「執念ですか……」「うん。資力があることはもちろん重要な要素だけど、蒐集にかける情熱……いや、情熱を超えた執念ってやつかな……。いかなることがあってもこの手にするぞっていう、強い思いがあったんだろうなあ。だからこそ、あんなコレクションが築き上げられたって思う」このときぼくの脳裏に、埴輪の皇女と対峙しているときの教授の異様な眼の光りが浮かんだ。

 「せっかくだから、オークション以外にもディーラーの店を見て回ってきたらいいよ。といっても、ロンドンもだいぶ世代替わりして名店がなくなっているけどね。今、いくつか知ってる店を紙に書いてあげるよ」三代目は立ち上がると部屋を出て行った。戻ってくる間、ぼくは閉じられた図録の表紙にある元染壺をみつめていた。王昭君の不安げな表情に目を向けながら、この壺を買うのはきっと余程の執念を持ったひとだろうと、そして同時に馬上杯も同様であろうと、ぼくは感じていた。

 

 

 五月初旬の香港は、気温は東京より2~3度高いくらいだったが、日差しの強さと湿度の高さのためすでに夏の暑さを感じさせた。今回は半島側ではなく香港島に宿を取り、スーツケースを預けると早速ママの店へと向かった。香港は約半年ぶり。懐かしい匂いがぼくを包む。ホテルから20分ほど歩き身体中が汗ばみ始めた頃、文武廟の前に着いた。そこから通りを渡って階段を降り、すぐ右手にあるいかがわしい狭い路地を通り抜けると、ぼくはママの店の扉を勢いよく押し開けた。

 「あらぁ、いらっしゃい。待ってたよぉ」ママは椅子から立ち上がると二重瞼の大きな瞳を輝かせ、ぼくの側に近寄ってきた。真っ青なワンピースに頭を下げる。「おひさしぶりです」そのぼくの顔をじっとみつめてママは言った。「あなた、ちょっと、格好良くなったんじゃない?」「何言ってるんですか。半年足らずじゃ、変わらないですよ」「そうかぁ、アハハハ!」ママは相変わらず快活に笑った。

 「で、あまり、時間ないのよね?」ママは時計に目をやる。時刻は午後三時にさしかかろうとしていた。ぼくは今日香港で一泊してから明日の朝早い便でロンドンへ発たねばならない。短い滞在なのだ。「そうなんです。だから、ちょっとこの辺り見てきていいですか?」せっかく来たので、ハリウッドロードを見て回りたかった。「うん、そうしな。お店早いとこで5時に閉めちゃうところあるから」「すいません」ぼくがすぐに扉に手をかけたとき、「あたしのところでも、あなた好きそうなモノあるから、あとで見てよ」「わかりました!」

 久しぶりの香港に気分が高揚したぼくは、骨董街へ向かって軽快に階段を駆け上がった。

 

 Lioの店の前に立った。隣のビルは建て替えているのか竹の足場で覆われている。工事中の音が響くなか、ぼくは店の扉を押した。動いたので店にいるようである。すると、奥にいたLioがぼくの顔を見るなり、「ハロー!」と言って駆け寄ってきた。黒いノースリーブが白い肌を際立たせている。Lioのどうしたの? という瞳に、明日からロンドンへ行く途中で香港へ寄ったことを伝える。すると、わたしも明後日出発すると言う。「じゃあ、現地で会えますね」とぼくは答えた。

 Lioの店飾りは半年前と変わっていたが、内容的にはそう変化はなく、中国本土から入ってくる新石器の土器、漢、唐、宋の白磁青磁がおおよそであった。他の店と似たり寄ったりのそれらを確認するように、ぼくは店内の陳列品を見て回ったが、特段気に入るモノはなかった。すると思い出したようにLioは踵を返して奥へ下がり、紺色の支那(シナ)箱を一つ抱えて戻ってきた。上蓋を開けると、なかに口径15センチほどの白磁の鉢が入っている。それを取り出しテーブルの上に置く。白磁には茶褐色の釉が棒状に何本か流れている。それを手に取って近くで見るや、ぼくは「おっ」と声を漏らした。鉢の内部と側面部に流れている茶褐色は、釉ではなく表面についた染みだったからである。

 ――キョロク、とLioは日本語で言った。確かにこの温かい白い地の色は、鉅鹿のそれである。しかしこの染みの色は、宋丸さんのところで見た瓶のようなほのかに柔らかいものではなく、豪放な烈しさを感じさせた。それは本体の白磁と対抗しているかのような濃い色合いだった。だからぼくは、一瞬白磁に鉄釉が掛け合わさっているように思えたのだ。

 外面の口縁部から底部へと流れる数条の茶色い染みは、泥土を幅広の刷毛で塗りたぐったかのように太く、その間に生じている長短の貫入のなかにも深く泥が入っている。その泥模様は、さながら雪原のなかに立つ木々のようだ。内部にも強い土色がところどころ覆っている。長年泥濘に埋まっていていたその痕跡は、ややもするとただ汚らしいモノと括られてもしまうかもしれないが、そのギリギリのところで、美術品たる魅力を十二分に発していた。その斬新ともいえる強烈な染みの形状に、ぼくは心を囚(とら)われていたのだ。脳裏に、Z氏の「新骨董」という言葉がよぎる。まさにそれに価するモノかもしれないと思っていた。

 ひっくり返し高台を確認した。見紛うことない鉅鹿特有のねっとりとした鼠色の土があった。無釉の高台内には二つの小さなシールが貼り付けてある。薄汚れていたが、円形の内側に沿ってローマ字が並んでいる。隣には赤色で縁取られた隅切りの長方形のなかに、「A-27」と見える。コレクションの整理番号だろうか。書かれている文字は薄くかすんでいる。「――フランスのオールド・コレクション」とLioは言った。

 欧米のコレクターたちは、自身のコレクションにこうした独自のシールをつくって、主に目立たない高台のなかに貼り付けているケースが多い。たいていは、名のあるコレクターのそれで、時おり美術商のシールもある。日本の場合は箱を伴うのが慣わしであるが、欧米はそういう概念がないため、シールがその役割を果たしていた。しかし、これが重要な来歴の証明となっているのである。

 Lioが、これは先月フランスで入手してきたと伝えた。ぼくは知らなかったがフランスの有名なコレクターの持ち物だったらしく、円形のシールを指さし優れた作品であると彼女は説明する。確かに、昨今出土して来るこの手の白釉の作品と比べても、何となく古格のようなものを持している。20世紀初期に出土した本場ものの鉅鹿だろう。

 

 ぼくは鉢を手に立ち上がると、窓辺にいって射し込む外光の下でじっくりとみた。白地のなかに立ち込める激しいほどの茶褐色の染みが、午後三時の強い光りを受けいっそう色を増し、揺らめいているようにみえた。その異様なほどの強い染み痕は、ある種生々しく、一夜にして沈んだ町の悲劇をあらわしているようにも思えた。そして、醜と美の表裏一体にあるこの染みに固執し愛蔵したフランス人蒐集家の、尋常でない執念のようなものを感じていた。ぼくは眉間に皺を寄せしばらくみつめてから、「ふうー」と一つ息を吐きLioに目を向けた。

 「いくらですか?」――4万香港ドル、とLioは答えた。日本円にして60万である。正直この値段が妥当なのかどうなのかわからなかったが、欲しいと思った。その様子を見てLioは、ユア・プライスと言って、日本円で52万を提示してくれた。実は、ぼくは今回香港に寄ることもあり、50万円ほどの現金を携えていたのだ。迷うことなくそれでOKした。Lioは長い髪を一度かき上げ微笑むと、支那箱を丁寧にラッピングし始めた。ぼくはそれを眺めながら、「器が10万、染みが40万かな……」とぼそっとつぶやいた。それを聞いてLioが不思議そうな顔を向ける。ばくは慌てて、何でもないというふうに片手を振った。宋丸さんに倣って内訳を考えてみたのである。

 エアパッキンされた品物を渡すとLioが訊いた。「ロンドンでは何か買うんですか?」うーん、と言ってから「興味のあるモノはあります」と答えた。Lioはじっとぼくの目をみて「ひょっとして、元青花の壺?」唇の端を上げて問う。ぼくが目を丸め右手を何度も横に振ると、クスクス笑った。ぼくは訊き返した。「それ、買うの?」――ノー・ウェイ!と、今度は大きな声で笑った。Lioは両手を胸のあたりで軽く合わせると、「一つ、好きなモノがあります」と言う。何? の問いかけに「万暦の馬上杯」と答えた。「えっ」と一瞬声が出る。思わず持つ手に力が入り包装したプチプチが音をたてた。「――それ、買うんですか?」固唾を呑んで答えを待つ。「でも、きっと買えないと思う。高くなりそうだから」ぼくは息を凝らし半歩Lioに近づいた。「いくらくらいになりそうだと思いますか?」Lioは小首を傾げた。外から入る工事の音がしばらく耳朶(じだ)を打つ。やがて、Lioはいつものきれいな笑みを崩さずに、「わからない……」と答えた。

 

 夜の食事は以前連れてきてもらった潮州料理店であった。今日はママと二人きりである。瓜などを刻んで入れたチヂミのような料理がなかなか美味い。「おいしいですね」ぼくは大皿に盛られたうちの半分ほどをあっという間に平らげた。そのあとのかなり胡椒のきいた鳥のスープを飲み終えると、身体中がほてってくるのを覚えぼくは立て続けに水を飲んだ。そこで、ママはハンドバッグから小さな袋を取り出した。

 「あたしの旦那の十三回忌の法要なかったら、ロンドン行けたんだけど」ママの掌には黄色いお守りが乗っている。中央には赤い糸で縫い合わせた「心想事成」という四字があらわされている。全体的に色がややくすんでいるようにみえた。

 「これねぇ、あたしとリョウコが出会ったときに買ったお守り。香港で一番有名なお寺だよ。そこで偉いお坊さんに、特別につくってもらったよ。このお守り」ママは続ける。「あたしたち、若い頃、辛いことたくさんあったけど、香港に来て、親友になって、今とても幸せになって……」ぼくはじっと耳を傾けた。「あたし、毎週このお守り持って、そのお寺にお参りいってるよ。どうか、リョウコがお姉さんと会えますように。ずっと、祈ってる」「はい」とうなずく。「リョウコも持ってる、同じお守り。二つでひとつ。あたし、そう思ってる。世の中に二つしかないお守り。今日もお願いしてきた。だから……、何? あたしの……身代わり? 日本語、そう言うの? あたしの……」ママのまなこから大粒の涙が溢れ出した。「……あたしの代わりと思って、このお守り、持っていって」思わずこぼれた涙を急いで指で拭うと、「辛かったねぇ、このスープ。ハハ」ママは顔をゆがめながら笑顔をつくった。

 差し出されたお守りを、ぼくは大事にそっと掌の上に置いた。それはとても軽かったが、これまで手にしてきたどんな美術品よりも遥かに重いような気がした。ママは黄色いお守りに指をさし、「この言葉『心想事成』、願いはかなうっていう意味。赤い糸で縫ってる。赤い糸、日本も一緒でしょ? 結ばれてる、でしょ?」「はい」とうなずく。「この赤い糸、中国では『紅線(ホンシアン)』て言うよ。決して切れないひとの結びつき。あたし、赤い糸で縫ったこの文字に手を置いて、いつもおまじないかけてる。だから、きっと会える。リョウコはお姉さんと、運命の赤い糸で結ばれてるから……絶対、会える。そう言ってあげて」ママは目を潤ませ洟(はな)をすすりながら、そう言った。ぼくは唇をぐっと噛み締めると、「わかりました」と深くうなずき、そして念を押すようにもう一度、首を縦に大きく動かした。

 

 翌日の早朝にSaeからメッセージが入った。「Kさん! わたしたちは、無事ロンドンに着きました。さっそくボンドストリートのB社会場で下見をしました。やはり、マダムの家にあった馬上杯で間違いないようです。まだヴューイングも始まったばかりでひとはあまり来ていません。Kさんの着いた日の晩に打合せをしたいので、詳しくはそのとき話すわね。あと――、下見会場にはお姉さんらしきひとはいませんでした。取り急ぎお知らせまで。気をつけていらしてね。 Sae」

 もしかしたら、出品者がお姉さんかもしれないという犬山の説を一応Saeには伝えてあった。しかし、やはり、そうでなかったようだ。ただ、今回の馬上杯がマダムの祖父の旧蔵品であったことが確定され、ぼくの気持ちは改めて引き締まった。ぼくは左胸に手を当てた。上着の内ポケットには昨夜ママから預かった黄色いお守りが入っている。――しばらくして、ぼくは機上の人となった。

 

 香港から途中のバーレーンで一時間給油をし、都合16時間のフライトの末イギリスガトウィック空港に到着したのは、現地時間の午後三時半を少しまわった頃だった。ここからエクスプレスに乗ってロンドンのヴィクトリア駅へと向かう。所要時間は30分ほど。車窓を流れていく艶やかな緑の芝とチューダー調の家々にぼくの目は釘付けになる。そして列車を降りると、そこはもうロンドン。ハリーポッターの世界だとぼくの胸は一気に高鳴った。ドーム型の巨大な天井はガラス張りになっていて、夕刻でありながら明るい陽が射し込んでおり、大きなイギリス国旗が吊り下げられている。いくつもあるホームの一つには、臙脂色とダークイエローの二色を組み合わせたクラシックな列車が停車していた。夕方の混み合う時間帯なのか、たくさんの人びとが往来している。ぼくはすぐにホテルに向かわなければならないのに、しばし立ち尽くしその光景を見入ってしまっていた。来たぞ、ロンドン! それは、一度は行ってみたいと憧れていた場所であった。ホーム右端の赤煉瓦の壁に感嘆の視線を送っていたぼくは、はっとわれに返るとすぐに地下鉄の入口に向けスーツケースを転がした。

 

 午後六時になってもまだ日は明るかった。気温は香港と比べ10度以上低く空気は冷たいが、それほどの寒さは感じなかった。むしろ爽やかで気持ちが良い。数日後に勝負の本番を迎えるというのに、ぼくの気分はうきうきと弾んでいた。

 今晩の食事場所はSaeとマダムが宿泊しているホテルのなかのレストラン。その道すがらにある緑に覆われた大小の公園のなかを抜けて、ぼくはホテルの前に立った。いかにも歴史を感じさせるジョージアン様式の白い建物。決して大きくはないが貫禄がある。シルクハットを被ったドアマンがぼくにちらりと視線を当てた。ぼくが緊張した面持ちで近寄ると、彼はにこりと微笑み黒い扉を引いた。

 トラディショナルな内装に見惚れていると、「Kさん」と声がした。長い髪を肩で弾ませながらSaeが近づいてくる。「お疲れさま」ジャケットにタイというぼくの姿に目を凝らし、「うん。よく似合ってるわよ」と口角を上げた。「なんだか、場違いなところにきたって感じ」ぼくがにっと歯をみせると、「大丈夫よ。紳士(ジェントルマン)にみえるわよ」Saeは楽しそうにふふふと笑った。「ここに泊ってるの?」「うん、そう」「なんだか凄いホテルだね」先ほどの外観を思い出しながらぼくは訊いた。「英国でも古いホテルじゃないかしら。200年くらい前にできたみたい。世界で初めて電話が繋がれたホテルなんだって」言われてもピンとこず、ぼくは「へえぇ……」としか言葉が出なかった。

 「さあ、二階のレストランでマダムが待っているわ。まだヴューイングは続くけど、だいたいの打ち合わせを今日しようと思っていて」Saeはエレベーターに向かう。二階で降りるとすぐ右手がレストランだった。内部は古風な外観とは異なるモダンな空間で、紳士俱楽部のようでありながら、現代的で洗練された雰囲気を醸し出している。奥のテーブルで立っている女性の姿が目に入った。「Kさん、遠いところ、ありがとうございました」上品なグレンチェックのスーツを纏ったマダムがお辞儀をした。「いえ、いえ」ぼくは小さく手を振り「おひさしぶりです」と微笑んだ。

 

 ボリューミーなフィレ肉をパイ生地で包んだメインディッシュを終えると、Saeが現況報告をした。「明日からのようね、ひとがたくさん来始めるのは。だから明日からの三日間の様子で全体的な動向が読めるって、オークションハウスの担当者が言ってたわ。活気とか雰囲気とかで、高くなるとかならないとか……」下見は昨日から始まり、明日は12日。下見期間は14日までで、15日が本番当日。たいてい多くのバイヤーは、セール当日の2~3日前に集まって来る。Lioも明日到着すると言っていた。「じゃあ、今のところは、全く予想できないってことなんだ」ぼくの顔を見てSaeがうなずく。「うん。前にも言ったけど、確実な予想は当日になってもつかめないみたいだけど、最新情報は知らせてくれるって」それを受けマダムは目を閉じ「それはありがたいことよ」と言う。「Saeさんのお父様がB社の重要顧客だから、それが可能になる。買おうとしているひとたちは手の内をあかさないから予想は難しいけど、情報はあるに越したことないから」

 運ばれてきた紅茶のソーサーを手許に引き寄せながらマダムは続けた。「明日になると、たくさんのひとがやって来るわ。香港ほどではないにしろ、主要なバイヤーは皆集結する」「主要なバイヤーって、トップコレクターのことですか?」ぼくの問いにマダムはカップの取っ手に指をかけたまま、「そう。本人は来ないかもしれないけれど、その仲介人であるディーラーたちが集まって来るでしょう。なんたって、『漢宮秋』の壺が出ているんだから」――今回の目玉の元染の壺である。

 「そんなに有名なんですか? 『漢宮秋』?」ぼくの頭に王昭君の物憂げな表情が浮かんだ。「そうね、有名ね。古いひとはたいてい知っている。あれだけの作であれば、世界的に有名な美術館だって本気で買いに来る。でも、今だったら中国人の方が強いでしょうね」三代目の推測通りになれば、途方もない値段が付きそうだ。それがいったいいくらになるかは知らないが、バイヤーが「漢宮秋」の壺に集中することで、万暦馬上杯が上手い具合に買えるのではないかとぼくは期待を抱いた。「コレクターたちの意識が元染の壺に集中してくれて、馬上杯が安く買えたりしたら、いいですよね」「そうね。そうなってくれたら願ったり叶ったりだけど……」マダムは背筋を伸ばした。「でも、決めたのよ。さっき主人と電話で相談して、値段を――」そう言うと、カップを口に運んだ。ぼくも一口飲む。Saeもまだ聞かされていなかったようで、真剣な眼をじっとマダムに注いでいる。マダムはカップを静かに托の上に置くと口を開いた。

 「3000万円――。これが、わたしたちのできるベストの値段。これに賭けるしかないわ」ようやく陽が落ちたのか、窓から入る光は明るさを欠いていたが、そのなかで、マダムの眼は透明な輝きを放っていた。そこには、覚悟を決めたひとにだけある凛とした潔さがあった。その澄んだ強い眼を、ぼくはうつくしいと思った。Saeが言った。「エスティメート下値の10倍ですね。1500万円あたりとオークションハウスも予想しているから、その倍ですね。かなり強い金額だと思います」

 ぼくは頭を整理した。犬山の勘の値段は別として、三代目はざっくりと1500万から3000万と予想し、2000万出すひとはいるだろうが3000万となると限られる、というような言い方をした。宋丸さんは5000万出せば買えると踏んだ。それを三代目は、そこまではいかないだろうとみた。しかし、こうした意見をここで述べる必要はないと、ぼくは決意あるマダムの眼の色をみてそう思っていた。

 「これに賭けるしかない」――この言葉に、すべてが込められているのだ。

 

 ぼくは鞄のなかから黄色いお守りを取り出し、マダムの前に置いた。「ママからです」Saeが覗き込む。「可愛い……」マダムは何ともいえない深い笑みをたたえてじっとみつめた。「ナツコも来てくれたのね……ありがとう」そして、横に置かれてあったハンドバッグのなかに手を入れ、掌のなかのものを並べる。黄色いお守りだった。「――同じもの?」Saeが思わず声を出す。「二つでひとつ……」マダムは同じように微笑むと「これで、勇気凛凛ね」と言った。Saeがマダムに訊く。「これ、ママとマダムのもの?」「そう。わたしたちの絆」「へえぇ、そうなんですね」Saeがお守りに顔を近づける。「とても綺麗な色だわ。黄色に赤。何て書いてあるのかしら……『心想事成』? 思いは叶うってこと?」「そう」とマダムは答えた。「とてもいい言葉だわ……。でも、そっくりすぎて、取り違えちゃわないかしら?」マダムは緩やかな笑みを浮かべ「大丈夫」とうなずくと、両の手をそれぞれのお守りにそっと添えた。「お互い、長い間、ずっと見てきたから、間違ったりはしないわ……」

 

 ぴたりと横に並んで置かれた瓜ふたつのお守りは、その後の出来事を暗示しているかのようにぼくの眼に映った。

 

(第43話につづく 1月12日更新予定です)

 

青花「漢宮秋」図壺 元時代(13-14世紀)

白無地鉢(鉅鹿手)北宋時代(11-12世紀)




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