骨董商Kの放浪(44)

ロンドンに入り3日が経った。下見は今日と明日で終了。明後日は本番である。本日午後2時過ぎの下見会場は、参加者の急増とともに種々な言語が飛び交い、場の空気もいっそう熱を帯びたものになっていた。 「また、出張中ね」空になっている元染壺のガラスケ…

骨董商Kの放浪(43)

5月12日のロンドンの朝はどんよりと曇っていた。三階建ての古めかしいホテルの二階の小窓からは、両脇の煉瓦壁に挟まれるようにして細長い石畳の路地が伸びていた。昨夜降った雨の影響か、路面がところどころ鈍い光りをはなっている。その風景を目にし、ぼく…

骨董商Kの放浪(42)

ロンドンへ出発する前日の大型連休明けの月曜日。ぼくは月二回美術倶楽部で開かれる或る個人会に参加していた。この市場(いちば)は雑多なモノが大半を占めるが初生(うぶ)口が多いことで知られ、そのなかには一級品も混ざっていて時おり高値まで競り上がるこ…

骨董商Kの放浪(41)

三畳台目(だいめ)の茶室の京間一畳に座っていた。ぼくは下座。真ん中の次客の畳にはZ氏。つまりぼくの右隣りに座る。正客の席は空いている。ぼくの正面の点前畳では、Miuがお茶を点てていた。ライトグレーのパンツスーツが、一定のリズムを刻んで穏やかに…

骨董商Kの放浪(40)

金曜日午後6時のエリタージュ・ハウス。まだ客はまばらであるが、スタッフの目配りや動作に、なんとなく嵐の前の静けさを感じさせる。Reiのあとに続いて、ぼくはあたりを伺いながら、正面のエレベーターへと向かいかけたとき、「上じゃ、ありませんよ」のRe…

骨董商Kの放浪(39)

ぼくは、両手で抱えた小さな風呂敷包みにぐいと力を込め、受付に向かった。二人の女性が座っている。その右側の短髪の女性の前に進み出ると、緊張した面持ちで名を告げた。受付嬢は口元に笑みをたたえ「はい」と答えてからデスクに目を落とし、すぐに顔をあ…

骨董商Kの放浪(38)

「すみません。急いでないので、ゆっくりでお願いします」ぼくはやや身を屈めると、後部座席の両脚の間に置いた箱の位置を最終調整した。風呂敷に包まれたこの箱のなかには、Z氏から預けられたあの埴輪女子の頭が入っている。両方の脚で挟み込むと風呂敷の…

骨董商Kの放浪(37)

東京の桜がもうそろそろ開花するかという三月の下旬、ぼくは日本橋人形町のしゃぶしゃぶ屋にいた。ここは内科医あいちゃんの診療所近くにある先生行きつけの店。昭和初期の文豪の生家として知られている。先生の右横にはネエさん。ぼくの左隣りには才介が座…

骨董商Kの放浪(36)

新幹線で名古屋までいくと、地下鉄に乗り換え終点で下車し、そこからバスに乗り込んで30分ほど走った。時おり窓から見える桜は、まだ五分咲きくらいだろうか。ぼくの両膝の上には、風呂敷に包まれた箱が一つ乗っている。 バスは、広大な敷地に入ると3分程走…

骨董商Kの放浪(35)

宋丸さんは自分の手帳を取り出すとテーブルの上に置き、Reiに渡されたメモ用紙に書き込みを始めた。「ほら」と渡された紙には、なにやら電話番号が書かれている。 「こちらに電話したらよいのですか?」「ああ。それが会社の秘書室の番号だ。宋丸の紹介とい…

骨董商Kの放浪(34)

それは久しぶりに聞くReiの声だった。 ぼくは才介から遠ざかりながら、「どうしたの?」「今、東京ですか?」「いや、実は九州に来ていて」「ごめんなさい。出張中に」「ああ、大丈夫」「じゃあ、手短に話すわ。宋丸さんが話あるみたいで、K君を呼んでくれ…

骨董商Kの放浪(33)

二月上旬の午前9時、ぼくと才介は大分空港に着いた。ここからホバークラフトという何とも乗り心地の悪い水面を走る船を利用し、別府に着いたのが10時前。 「何か、寒いなあ。東京より気温低いんじゃない?」才介が首をすくめ身体を縮めた。清らかな空気は、…

骨董商Kの放浪(32)

温泉市(いち)の情報を聞いた数日後の一月の下旬、ぼくは総長の家を訪れた。香港で買ってきた漢時代の蝉炉の代金を頂戴するためである。 正月三が日の過ぎた頃、ぼくは総長から電話をもらった。家に遊びに来ないかとのこと。そのときぼくは香港で仕入れたこの…

骨董商Kの放浪(31)

年明け早々に、香港から雍正筆筒の代金が才介の口座に入金された。手数料を差し引き840万円ほど。「半分送るぞ」と、ぼくの口座に約420万が振り込まれた。そこから、Saeから借りた300万を返金する。手許には120万ちょい。300万を失ったことを考えれば上出来…

骨董商Kの放浪(30)

翌日の午後、ぼくは宋丸さんの店に向かった。今日の目的は二つ。先ずは、今回仕入れたモノを見てもらうこと。定窯白磁碗と黒釉碗の二点。そして、Saeのところの万暦豆彩馬上杯について訊くこと、である。扉を開けると、Reiが笑顔で出迎えた。 「よかったです…

骨董商Kの放浪(29)

帰国して翌日、ぼくは仕入れた品物を部屋のテーブルの上に飾った。葉(イエ)氏のところで買った定窯白磁の碗。現地で見るより一段と輝いて見えるのは気のせいであろうか。いや、気のせいではない。やっぱり良いモノなのだと、ぼくは再確認する。それと、ママ…

骨董商Kの放浪(28)

「本当に……日本にあるの?」マダムは身を乗り出すと、顔を震わせそう尋ねた。 その眼力(めぢから)に一瞬怯(ひる)むと同時に、ぼくはそのまま口を閉ざしてしまった。マダムの魂の込められた話しの流れに乗せられ、ふとそう発したが、まだはっきりした答えがで…

骨董商Kの放浪(27)

10万で買ったモノが900万で売れたのだから、ぼくらは、はしゃがずにはいられなかった。オークション会場では、極力抑えていたものが、ホテルに帰ると爆発した。狭い部屋のなかで、何と枕投げが始まったのである。 「ぎゃっ、はっ、はっ! やったぜー!」「愛…

骨董商Kの放浪(26)

食事が始まり、三皿目の料理が出されたあたりから、閑散としていた広間のテーブルはいつのまにか人で埋められ、周りの声が賑やかに耳に入り出した。芝エビか何かだろうか、小さなむきエビを茶葉で炒めたこの料理の優しい味つけに、ぼくと才介は前のめりにな…

骨董商Kの放浪(25)

文武(もんぶ)廟(びょう)から東へ歩いて5分のところにある3階建ての大きなビルディングの前に僕らは立った。三代目が入り口の扉を開け、勝手知ったるというふうに、そのまま階段を上っていく。僕もあたりに目を凝らしながら後についていく。各階には、その…

骨董商Kの放浪(24)

昨日の大騒動をよそに、僕らは充分な睡眠をとって快適に目覚めた。「あー、寝た、寝た」才介は大きな伸びをしたあと、「おい、K。朝飯食いに行こう」と跳ね起きた。「おまえ、昨日あれだけ食ったのに。起きた途端、飯かよ」 昨晩は、ママが中環(セントラル…

骨董商Kの放浪(23)

出発前日の夜、ぼくは自分の部屋で荷物の整理をしていた。今回は初の香港出張ということもあり、諸々を再度確認する。先ずはパスポートと航空券。現金と香港ママへの届けモノ。これは、ブンさんの知り合いの同業者から頼まれた品物。箱に入ったモノもあれば…

骨董商Kの放浪(22)

僕はその夜まっすぐに帰る気力を失い、時折り夜空に浮かぶ満月を見上げながら、あてもなくふらふらとし、そして最後に犬山得二の家に辿り着いた。犬山は机で書きものをしている最中であったが、僕の遅い訪問に特段驚きもせず、無造作に伸ばした髪をかき上げ…

「骨董商Kの放浪」(21)

僕は、玩博堂(がんぱくどう)の出している土偶の写真を指し、三代目に訊いた。「これって、やっぱり贋物(がんぶつ)ですか?」それに対し「これの本物は、もちろんある。中国の紀元前3~4世紀くらいの黒陶の俑(よう)。ただ、非常に少ない。もっと造形がシンプ…

「骨董商Kの放浪」(20)

展示作品の最後を飾ったのが、清時代につくられた「粉彩(ふんさい)」という色絵で、牡丹を描いた一対(いっつい)の碗であった。これが粉彩かと思い、僕は凝視した。三代目の授業で、中国陶磁の最高位と解説していたのを思い出す。官窯のなかの官窯。まさに皇…

「骨董商Kの放浪」(19)

濃紺に白い小さなドット柄のワンピース姿が目の前にあった。立った襟がクラシカルな雰囲気を醸し出している。彼女は、いったん赤絵の皿に目を向けたあと、ゆっくりと僕の顔を見た。「とても気に入ったので、これをいただけますか?」唖然としていた僕は我に…

「骨董商Kの放浪」(18)

師匠が飛んだことに関して、ブンさん曰く、先々代から繋がっていた右翼団体の、当代の親玉が亡くなったことが最大の要因だという。親分の父子関係が一触即発の状態だったようで、先代と友好的だった師匠に対し、若は相当な嫌悪感を抱いていたらしい。それま…

「骨董商Kの放浪」(17)

その年の5月の上旬、僕は才介に連れられて、東京郊外の或る寺で行われる市(いち)に参加していた。ここは、俗に「禿寺(はげでら)市」と呼ばれている。「何で禿寺なの?」僕の質問に、「住職が禿だからだ」と才介。「だって、普通住職は禿だろ?」さらなる素朴…

「骨董商Kの放浪」(16)

N婦人の一件があったあと、僕はしばらく家に引き籠っていた。婦人との出来事もあったが、あの李朝(りちょう)白磁を見極められなかったショックもあったわけで。あんなに、東博や民藝館や、大阪まで行って数多くの李朝白磁を見てきたはずなのに。「やっぱり…

「骨董商Kの放浪」(15)

僕は再び椅子に座り、長い年月をかけて磨き上げられ、艶光りしている重厚な木製のテーブルの上に両手を置いた。そこへN婦人が、古い箱を持って現れた。そして中身を取り出して卓の上にのせた。 それは、李朝(りちょう)白磁の角瓶だった。18~19世紀くらいか…