骨董商Kの放浪(34)

 それは久しぶりに聞くReiの声だった。

 ぼくは才介から遠ざかりながら、「どうしたの?」「今、東京ですか?」「いや、実は九州に来ていて」「ごめんなさい。出張中に」「ああ、大丈夫」「じゃあ、手短に話すわ。宋丸さんが話あるみたいで、K君を呼んでくれって。いきなり」「なんだろう?」「まあ、いつも思い出したように突然言うから。ただそれだけで何の話しかはわからなくて」何となくそのときの様子が目に浮かんだ。「わかった。今日中に東京戻るから、また連絡するよ」「ありがとう。お仕事頑張ってくださいね」Reiはそう言って電話を切った。

  ぼくが才介の方へ戻りかけたとき再び電話が鳴った。今度は犬山からであった。「どうだった?」「うん。それほど詳しいことまで書いてないけど、昭和9年11月26日、東京美術倶楽部。間違いないわ」

 犬山によると、加州中山家の売立は都合四回にわたっておこなわれており、その第一回目が昭和9年に東京で、あとの三回は、翌年、翌々年そしてその二年後の昭和13年に、金沢美術倶楽部で開催されたとのこと。質量とも第一回目が図抜けており、売上総額も50万円を超え、昭和恐慌から脱したことを窺わせる賑わいであったようだ。

 「その売立のモノが出ているのか?」説明後に犬山は尋ねた。「うん。中国陶磁」「ほお。どんなモノ?」「元染と砧青磁」「そりゃあ、ごついもんだろう」「まあな」「しかし、元染ってのは珍しい。どういう形だよ?」「玉壺春(ぎょっこしゅん)という花入(はないれ)だ」「へええ、花入かあ」犬山は感心したように言うと、「まあ、充分あり得るな――」と意味ありげに漏らした。

 「どういうこと?」「あの時代は、日本海側の方が豊かで文化度も高かったからな。ひと昔前は裏日本なんて言ってたけど、当時は表日本だ。中国大陸にも近いし。貿易でも、北前船といって日本海側を通るわけだからな」「なるほど」「それに、何といっても加賀百万石だ。前田家は江戸時代初期に、財力に物を言わして当時高級の中国陶磁をわんさか集めたからな。中山家っていったら、そのお膝元だ。優秀な中国陶磁があって当然だ――」

 さすがにこのあたりのことはよく知っている、とぼくは感心した。「ありがとう。助かった」「うまく買えた暁には、拝ませてくれよ」「いや、買うのは、おれじゃないんだ」「そうか。それじゃ、幸運を祈る」「サンキュウ」ぼくは電話を切った。

 犬山とのやりとりを才介に報告すると、「なるほど。そういうことね。よっしゃあ、やったる!」と鼻息を荒くした。どうやら腹を決めたようだ。

 「もう一度下見するか?」それに対し才介は「いや」と二三度首を小さく横に振ると、「こういうときは、あまり何回も見ない方がいい。もうすでにかけひきは始まっているからな」

 ぼくは、才介から離れゆっくりと部屋の入口付近までくると、少しだけ首を伸ばしなかを覗いてみた。依然として元染の周りには人垣ができている。そのなかから、人びとの混在した声が、かすかな抑揚を持って断続的に耳に入ってきた。遠くにいるぼくには、それが、誰かがそのなかで呪文を唱えているかのように、聞こえた。

 

 12時になり弁当が配られると、皆一斉に群がり、そしておのおの、空いている部屋の椅子か地べたに座り食べ始めた。階段の踊り場で食べているひともいる。その間に会主が歩き回りながら、大声でアナウンスを繰り返す。「競りは、午後1時半から開始しまーす!」

 どうやら、元染の下見に時間がかかっていることで、開始時間を30分ほど遅らせたようだ。それを聞くなり才介は、「ちっ」と舌打ちをし、「こちとら、早く始めてほしいんだけどな」――下見時間が長くなるほど、あとから来たひとたちにもチャンスが生まれていく。ぼくはあっという間に食事を済ませると、元染とは別の部屋に入った。先ほど見た唐三彩碗が妙に気になったからである。

 このあたりは皆素通りしていくようで、三彩の前には誰もいない。ぼくはもう一度手に取った。外側の印花という型押しの抜けが良いため、文様がくっきりとシャープにあらわされている。ここが気に入った。おそらく当時の銀製品を写しとったのであろう。金属器のような重厚な気分が、小さいながらもよく表現されている。ニセモノだったら、もっと甘いつくりになるんじゃなかろうか――。また、三色の釉もそれぞれ調和しており、違和感なく感じられた。しかし、唐三彩は人気商品。巧妙なニセモノが山ほどある、ことはよく知っている。現に、香港の骨董街には、その手の類いが「ああ、またか」というほど置いてあった。ただ、そういうモノとは何か違うような気がしてならなかった。これでもぼくは、Saeのところで唐三彩の名品をいくつも見ている。他のやきものならまだしも、唐三彩においては、自分なりに多少の自信は持っているのだ。とはいえ、それは絶対ではない、ということも重々承知していた。

 下見会場の三分の一ほどの狭い一部屋で、才介は腕組みをしたままじっと考え込んでいた。「あのさあ」とぼくが近寄ると、厳しい目つきを向け「何だよ」ぼくはそっと提案してみる。

 「さっきの唐三彩なんだけどさ。乗りで買わないか?」「あれか!?」「そう」才介は眉を吊り上げたまま、「自分で買えばいいだろ」――確かに。その通りではあったが、これは何となくの提案だったのだ。

 「そうなんだけどさ。見ると、結構良さそうに思えるんだ」才介は少し考えてから、「まあ、10万までだったら、半分出すよ。どうせ、何万円かだろ」とそっけない返答。「わかった」ぼくもそれほど真剣ではなかったので、それで了解。10万を超えたときは、20万までなら自分で買うかと、ぼくはその程度に思っていた。

 それからぼくは、最後に元染の部屋に入った。先ほどより数は減っているが、相変わらず人だかりができていた。何人かの中国人が、携帯を片手にその側を行ったり来たりしながら、早口でまくし立てている。中国語なので内容までわからないが、元染に関する件であることは想像に難くない。いくらまでいくのか、向う側にいる買い手と相談でもしているのだろう。

 するとその前を、銀縁眼鏡の小柄な男がすっと通過した。贋作堂だ。何やら元染の荷口の周りをしきりとうろついている。その様子を見て、ぼくは薄気味悪さを覚えたと同時に、ある嫌な予感が脳裏をかすめた。ひょっとしたら、これを競るのかもしれないと。相応の安い値で買えさえすれば、必ずや儲かる品物である。中国陶磁を扱っている業者なら、誰しも考えることだろう。

 一定の距離を保ちながらゆっくりと周回している贋作堂の姿が、いったい誰が来るのかを、冷徹に推察しているようにもみえる。ぼくはそれを確かめる気もあり、わざと元染に近づいてみた。すると、贋作堂がチラッとこちらに目を向けた。――やはり。ぼくは、モノには行かず売立図録を手につかんだ。経年により劣化している表紙を開き、もう一度元染の頁をあけた。「一四八 元染付花面取花入」と書かれた和紙をぺらりとめくり、玉壺春の原色写真にそっと目を落とす。

 程なくして目を上げると、贋作堂の姿はぼくの視界から消えていたが、何となく観察されているような気が……。

 「すみません」という横からの声で、ぼくはわれに返った。見ると、瓶を手にした若者が図録を見ようと首を伸ばしていた。「どうぞ」ぼくは開いた頁を彼に向けてあげた。そのとき、後ろから「はい!これで、下見は終了でーす!」

 先ほどの、会主の一人であろう背の高い長髪の男が大きく手を開き、「これから会場作りをしますので、すみませんが、いったん出てくださーい!」すると、何人かの会主がすばやく、中央に飾られている元染や他の出品物を片づけ始めた。どうやら、ここが競り場になるようだ。ぼくらは否応なく部屋から出された。このとき目の前を、贋作堂が音を立てずに歩いていた。

 

 午後1時半となり、ようやく競りが始まった。正面に設置された長テーブルにモノが置かれると、順次競りにかけられていく。部屋の中央には適当にパイプ椅子が並べられているが、限りがあるため大方のひとは周囲に立っている。ただ、会は4~5時間と長丁場ということもあり、参加者のほとんどが、自分の競るモノが近づいたときになってから、会場に入ってくるようだ。他に部屋が大小幾つかあり、それぞれの順番がくるまで、煙草でも吸い吸いくっちゃべっている。ぼくらは開始から会場内にいたが、がらくたが続く最初の方は、ぼくらを含め十数人くらいしかおらず。どの市場(いちば)もそうであるように、中央に立つ競り人の差配によって売り買いが進んでいく。始めの15分くらいは皆安価なモノ。安くて1000円。高くても10万ほどで、いたって静かな立ち上がり。このペースで行くと、メインの元染は、午後3時半くらいになろうか――

 

 その前に、ぼくの注目した唐三彩碗の競りが、あと10分ほどで始まろうとしていた。考えてみれば、会で競るのは生まれて初めてのことだ。

 売り番が近づくにつれ、ぼくの緊張度は急激に増していき、先ほどからドックン、ドックンと、波打つ心音が脳天に突き刺さるように響いている。これは、香港のオークションで筆筒の出番がきたとき以上の高鳴りだ。あと何番目かと、競り人の横に待機している出品物を確認するため、何度も背伸びを繰り返しているぼくを見て、「落ち着けよ」と才介が一言はなつ。「ああ」と答えたものの、ぼくは小刻みに身体を揺らしながら深呼吸を繰り返した。

――そして、ついに三彩が登場。ぼくのアドレナリンが急上昇する。

 「はい、次は、これ!」競り人の声に、「5千円!」と先ず発句(ほっく)が入る。それに続いて、「1万」「1万5千」「2万」「2万5千」「3万」と5千円刻みでテンポよく競り上がっていく。ぼくは、どのタイミングで声を発してよいか、その波に乗れず、完全にリズムを崩していた。そして、「3万5千」の声がかかり、そのあとに続く声がないことを確認した競り人が「はい、3万5千円!」と、左手の声主に向かって指をさしかけたところで、才介がぼくの肩を強く押した。ぼくが慌てて「4万円!」と手を上げて発声すると、いったん左に顔を向けていた競り人が、こちらに向き直り「4万円」と応えた。すると今度は、「5千」と声がかかる。ぼくが「5万」と出すと、また「5千」。「6万」と言うと、また「5千」。どこから声がしているのかを確認する余裕もなく、ぼくはその流れに乗って、「7万」、「8万」、「9万」と声を出す。その間に挟まる「5千」という声は、「9万」のあとも続いた。「5千」。ぼくは手を上げ「10万!」と言ったところで、相手の声が止まった。それを見て競り人が、「はい、10万円」と言い切りこちらを指さした。すかさず「よかったな」と才介が反応。ぼくは「ふう」と思わず息を吐く。わずか10秒余りの競り時間だったが、何か一日仕事を終えたような脱力感に襲われていた。やがて、ひとりの若者がやってきて、ぼくにメモ用紙のような紙を渡した。「4-⑭ 唐三彩碗 10万円」と、出品物のリスト番号、名称、落札価格が、殴り書きのように書かれてある。これを受付に持っていき現金を支払えば、モノが受け取れるのだろう。

 

 こうしてぼくの初競りは何とか無事終了したが、そこから元染までは一時間以上あるようなので、ひと先ずぼくらも待合の小部屋で時間を過ごすことにした。隣からは、競り声が絶え間なく聞こえてくる。その間才介は終始無言。くうをみつめていたかと思ったら、急に俯いて後頭部を激しく掻きむしったり、いきなり立ち上がって数秒間フリーズしたかと思ったら、ドスンと座り込むや両膝をポンポンと威勢よく叩いたあと再びむくっと立ち上がったり、と傍から見ると、落ち着きのないただの挙動不審者だ。周りにひとが少ないとはいえ、さすがにこれじゃ目立つだろうと思い、「落ち着けよ」と今度はぼくが一言はなつ。そして小声で、「あんまりそわそわしていると、勘づかれるぞ」すると才介は、怖い顔でぼくを見つめたかと思ったら「わかった」とうなずき「行くぞ」と言うと、会場へ歩を進めた。この部屋に来てまだ10分も経っていない。居ても立っても居られないのはわかるが、「まだ早いんじゃないか」「いや、会場で時を待つ」ぼくらは、まだ熱気の乏しい会場のなかに早々に入っていった。

 

 しばらくして、僚(あきら)かに贋物といえる中国陶磁の一口が競りにかけられた。宋時代の鈞窯(きんよう)の青磁や定窯(ていよう)の白磁など10点ほど。本物だったら皆、何百万もする。

 5千円から始まり、2千円単位で上がっていき、最後は15万くらいになるものが多い。こういう真っ赤なニセモノでも、安いからといってつい買ってしまう愛好家が数々いるのだ。ゆえに贋物の流通は後を絶たないわけであり。しかし何と言っても悪の根源は、15万で仕入れたモノを何百万かで売る輩(やから)である、ことは言うまでもない。

 そう思ったとき、ぼくの頭に贋作堂の姿が浮かんだ。そういえば、この口になってから突如、後方でしきりと競り声を出しているやつがいる。ぼくはまさかと思い、そのほうへ目を向けぎくりとした。髪を後ろに束ねた背の低い男が、何人かの背後から隠れるようにして声を出していたからだ。ぼくは才介の腕をつつく。才介も気がついたようで何度も後ろを振り返っている。

 贋作堂は、まるで紙に書かれた数字を読みあげているような単調なリズムで、「2万」「3万」「4万」と競りを続け、10万を超えると、少し間を置き考えながら声を出し、15万になると口を閉ざした。見ると、だいたい15万の手前くらいで、ことごとく競り負けている。その様を見て、どうやら贋物にも相場があるのだと、ぼくは可笑しく思った。以前ぼくが40万でつかまされた米色(べいしょく)青磁の贋物を、ブンさんに会で処分してもらったことがあったが、このとき贋作堂が10万でそれを買ったことを思い出していた。このあたりが、宋代陶磁器のニセモノ相場なのかもしれない――

 結局贋作堂はすべてアンダービダー(under bidder、二番手)で、一点も買えていなかった。それを見て才介が「ざまあみろだ」とほくそ笑む。その口が終わるや、贋作堂は顔色を変えずに、さっと会場から姿を消した。その一連の動作が何かルーティンのようにもみえ、ぼくはこのとき気味の悪さを感じたのである。

 

 あと5~6分で、元染の口の競りが始まろうかいうときになると、ガラガラだった会場がぎっしりとひとで埋まった。

 今回参加している業者がほぼ全員集結したと思われるその内部は、ある種異様な空気に包まれていた。規模はまったく違うが、ぼくは11月の香港のメインセールを思い返していた。成化豆彩馬上杯の出番を、今か今かと待っているときの雰囲気に似ている。ただ、状況は大きく異なっている。今回の場合は、こちら側で競ろうとしているのだ。

 

 ――やがてそのときが来た。競り人の横に並んでいる会主の一人、長身の長い髪が口火を切る。

 「はい!それでは、これより、本日のメイン・イベントです!」それにともない、「中国モノうぶ口」4点が、競り台の左端から載せられると順繰り右へ移動。まもなく最初の競り品の南京赤絵皿十枚とその箱が、競り人の前に置かれた。

 「はい! これからは、ゆっくり、丁寧にいきますよー!」競り人は、古箱に軽く手を乗せると声高に言った。それに応じ会場内に緊張が走る。

 最初の二点、明末の赤絵の皿十枚と、染付の皿二十枚は、類品の多々あるモノなので相場は安い。だいたい10万~20万といったところ。ただ2点とも、由来の良いうぶ口ということもあって競り上がり、20万と35万でそれぞれ落札された。予想通りのすべり出しである。

 続いて「砧青磁香炉」が競り台の中央にやってきた。「中山家売立図録」の元染の前頁にカラー版で載っていた、今回の目玉の一点である――

 「青磁は、どのくらいかな?」ぼくが小声で訊くと、才介は顎の下に手を当て、「うーん。300は超えるだろうが、500まではいかないんじゃないか」とつぶやくように答えた。

 青磁の競りが始まった。「50万円!」と会主の一人から威勢の良い発句が入るや、「70万」「80万」「100万」のあと「150万!」と飛ぶと、すぐに「200万!」と声が出た。見ると、中国人の何人かが携帯を耳にあて、手を上げている。オークションでいう電話ビッドの状態。向うにいる買い手の注文を受けながら競っているのだ。

 300万を超えると、中国人同士の闘いとなった。天然パーマのもじゃもじゃ頭と、背の低い小太りの男である。「350万」で手を上げたのが、天パーのもじゃ男。そこから10万円刻みで二人の一騎打ち。やがて、500万を超え、競りはスローペースに。「超えたな、500」と才介。両者とも日本語が不慣れなのか、数字は競り人が示している。

 「580万」の天パーを受け、競り人が「600万?ロク?」と、手指のジェスチャーで小太りに投げかける。携帯で喋り続けている小太りが、少し経ってからすっと手を上げた。値段が600万に乗ったことで、会場内から、「おおっ!」と声がもれる。そのあとはまた10万刻みになり、最後は競り人の「650万」の声に手を上げた天然パーマが勝負を制した。

 「高いねえ」「びっくりだ」「倍だよ、倍」と、方々から口々に驚きの声があがる。「あの小ぶりな青磁がこの値段になると、元染は厳しいかもな……」才介はそうつぶやくと、「ふう」と大きく息を吐いた。

 

 砧青磁の余韻はすぐに落ち着き、ついに元染玉壺春の出番となった。

 「それでは最後でーす!」と競り人が瓶を目の前に据える。一瞬の静寂。皆が会主の発句に身構えたそのとき、参加者の一人から「100万円!」と鋭い声が発せられた。ぼくはびくっとする。それを受け競り人が、「はい!100万!」そのあと、あっという間に数字は上がり、300万まできた。才介はまだ声を発していない。様子を見ているようだ。競っているのは、どうやら日本人のよう。やがて、350万の声がかかった。中国人たちは、概ね携帯を耳にあてたまま、まだ誰もアクションを起こしていない。皆、相手の出方を窺っているような気配だ――

 「350万!」競り人がもう一度数字を繰り返したところで、ようやく才介が「400万!」と片手を上げた。競り人がこちらを向き、「400万」と応える。そこで思わぬ間があいた。

 競り人は再び「400万!」と発し場内を見回す。それに続く声がない。えっ? 買えたか? ぼくは一瞬そう思い、才介も「よしっ」と拳を握ったその瞬間、「50」と声が入った。――やはり、来たか。当然だろう。そう簡単に決まるモノではない。ここからが本当の勝負かもしれない。その声は、どうやらこちらとは逆側の後ろの方から聞こえた。日本人のようだ。才介がすかさず「500!」と開いた右手を突き出した。少し間があり、また「50」という声が。その抑揚のない声を聞き、ぼくは、あっと思った。ひょっとして、あの声の主は――

 ぼくはそれを確かめようと反対側の人混みに目を向ける。人垣の隙間から小柄な銀縁眼鏡が顔を覗かせた。――果(はた)して、贋作堂であった。まだ値が安いとみて競ってきたようだ。

 ぼくがそれとなく才介に耳打ちする。「相手は贋作堂だぞ」それを聞くなり才介は目を血走らせ「600万!」と声を張り上げた。やや間を置き、また「50」という冷めた声が放たれた。才介は、考える間もなく「700!」と言うと、贋作堂の方へ顔を向けた。すると、贋作堂もこちらに視線を向けた。両者の目が互いにぶつかり合う。なにやら睨んでいるような目つきだ。そこには、いつものにたりとした不敵な笑みはなく、こんな顔をするのかと思うほどの険しさが滲み出ている。その真剣な表情を見て、あいつも勝負をかけているのかもしれない、とぼくは思った。

 またもや間があいたことで、競り人が、もう一度「700万円!」と言って確かめる。その声を聞いたあとに、ようやく贋作堂が「50」と、目つきと裏腹な鈍い声を漏らすように出した。しかもその声は、ぼくらに顔を見据えたままの状態で発せられたのだ。これは、完全に勝負を挑んでいる。

 才介は怒りを鎮めるように、一度大きく深呼吸をしてから、「800万!」と声をあげた。

 これは、先ほど話した限りでは、才介が用意できる目いっぱいの数字であった。それゆえ声に気迫が感じられた。ぼくは、じっと贋作堂を見つめていた。贋作堂もこちらから目を離さない。しかし、声を出さずにそのままだ。しばしその状態が続く。それにしびれを切らした才介が、目をそらしやや上方を見上げた。だが、贋作堂は動かない。その目は、声を出そうかどうか、迷っているようにみえる。あっちもギリギリなのだろう。遠くにいながら、やつの息遣いが聞こえてくるようだ。

 二人のマッチレースを、ここにいる全員が息を呑んでみつめている。

 間があいたのをみて競り人が、「800万円!」と贋作堂の方に体勢を向け、問いかけるように言った。――反応がない。それを受けて競り人が断を下したように、「じゃあ、800万!」と言って才介の方へ指を向けた。「よしっ!」とぼくがガッツポーズをしたその瞬間――「50」と声が入った。会場内がやや騒然とする。競り人は、才介から贋作堂へ向き直り、「850万!」と応えた。すかさず才介が、「いや、こっちに落ちたでしょ!」とクレームをはなつ。周囲からも「今、落ちたぞ」の声。それに対し競り人は、「ギリギリ声が入りましたので、取ります。最初に、丁寧に競りますって言ったでしょ」と、贋作堂の850万の声をひろった。

 才介は舌打ちし、地団太を踏んだ。これで、予算額を超えてしまった。負けたか、と悔しい思いがぼくの胸をよぎる。

 才介は、目を閉じ「くそぅ」とつぶやき下を向いた。その反応を見て、勝負ありと思ったのか、競り人は贋作堂に手を向けたまま、「850万!」と言って会場を見回した。才介は「ううっ」と小さくうめくと、奥歯を噛みしめながら贋作堂を見やった。そのときである。贋作堂がにたりと嘲(あざけ)るような笑みを浮かべたのだ。この勝負おれの勝ちだといわんばかりの。

 それを見た才介が「くっそう…」と両拳をわなわなと握りしめた。そして次の瞬間、その右拳を上に思い切り突き上げるや、勢いよく手を開いた。

 「900万!」指先にまで力が籠(こ)められる。すかさず周囲から「おおっ!」と声があがる。それを受け競り人が「900万円!」と応える。と同時に、贋作堂に視線を移した。その瞬間、贋作堂から薄い笑みが消え、こちらをじっと睨むような顔に戻った。

 「900万円!」と競り人が繰り返す。贋作堂はそのまま考え込んでいる。その顔に向けぼくは「降りろ、降りろ」と念を送る。――「900万円!」再び競り人が声をあげた。贋作堂は微動だにしない。さてはまた、ギリギリで「50」と発するつもりなのか――。全員の目がやつに集中。しかし反応が無い。それを見て競り人が、「それじゃあ、900万円!」と才介の方へ手を差し出したそのとき、贋作堂が正面に向き直った。

 「来る気だな」と思った瞬間、贋作堂はくるりと踵を返すと、人混みのなかに埋もれるようにして、その場から立ち去っていった。

 それを確認した競り人が改めて、「はい、900万円!」と大きくうなずき、才介を指さした。

 「やった。勝った!」ぼくは力を入れて才介の肩を揺する。才介は大きく肩で一つ呼吸をすると、白い顔をしたままひとをかき分けながら、ふらふらと会場をあとにした。

 

 会が終了したのは5時半を回っていた。今日の便で帰るのは難しいということで、ぼくらは博多で一泊してから東京へ帰ることに。

 元染の受け渡しに関しては、会主の一人がブンさんの知り合いということもあって融通がきき、代金900万のうち、才介の500万と、三彩碗を清算後のぼくの残40万を足して内金として払い、残りの360万は後日の送金でOKということになった。なので、現物は今日持って帰れることになり、才介は風呂敷に包むと、懐で大事そうに抱え持つ。来たとき以上に大事そうに。当然のことであろう。500万の現金以上の、その何倍かになるかもしれない品物なのだ。

 帰り際、上背のある長髪の男のほか何人かの会主が御礼にやって来た。「今回は、ありがとうございました」「いえいえ」「ブンさんに、よろしくお伝えください」そのうちの一人が深く頭を下げた。

 

 東京への帰る道々、ぼくは今後の予定を尋ねた。「これから、どうすんだ?その瓶」「うん。先ずはE氏に連絡を取って、場合によってはすぐに預けることになるかもな」才介は揚揚と答えた。「取りあえずは、評価額を出してもらって。それからだな」「いくらくらいかな?」「うーん。来歴が良いから、最低1500万はすると思うがね。首にキズがあるとはいえ」「なるほど。となると、図録を探すか?」「あったらそれに越したことないけど。この情報を伝えれば、オークション会社で勝手に用意するだろ。わけないことだ」まあそうだろうと思ったが、この「中山家」の売立図録については、犬山にでも訊いてみようとぼくは考えていた。案外すぐに手に入るのかもしれない。

 「しかし、予算オーバーしちゃったからなあ。ブンさんに借りないとな」才介はやや顔をしかめ俯くと、首筋を何度もさすった。「でも、買えたんだから。良かったじゃん!」ぼくは励ます。「アイツに、勝ったんだからさ」「そうだな。まあ、あとは、何とかなる!」と、最後は顔を上げ陽気に笑った。

 

 それから数日後のこと。ぼくは宋丸さんの店を訪ねた。何だか、ぼくに用事があるような。Reiが笑顔で出迎える。

 「少し待っててください。もう着くと思うので」ぼくは応接間のソファに腰をおろす。やがてReiがお茶を置いた。「何なんだろう?」ぼくの目に、Reiは首を傾げた。「わからないわ。K君を呼んでくれって言うだけで。いったい何ですか?って訊いたんだけど、そのあと何にもおっしゃらなくて」「ふうん。まあ、嫌な用事じゃなけりゃ、いいけどね」とぼくはReiに笑みを返した。

 

 宋丸さんが、のっそりと扉を開けて入ってきたのは、それからほどなくしてだった。「悪いなあ、呼び出したりして。出張だったんじゃなかったのか」笑みを向けながらソファに腰を落とす。「いえ。一泊くらいのもんでしたから」「何か、あったのかい?」「はい。実は別府に行ってたんですが、元染の玉壺春が出ていて」「へえー!」と大声を出すや「元染かよ?」と目を丸めてぼくを見据えた。「はい。結構古い伝来物みたいで。売立図録にも出ていて」ぼくは、Reiの淹れてくれたお茶を手に取る。「買ったのか?」「実は、ぼくじゃなくて、友だちが買いまして」それを聞くなり、宋丸さんは「おおっ!」とうなった。「それは、やったなあ。古くから日本に入ってる元染なんか滅多にありゃせんから、そいつはめっけもんだよ」「そんなにないモノですか? 伝来の元染って?」宋丸さんはお茶を一息に飲み干すと、Reiにおかわりを要求した。

 「ぼくは見たことがないなあ。でも、古くから渡ってきているモノがあることは知っている」「そうですか」「東博の魚藻(ぎょそう)の壺なんかは、その類いだろ」――東博の魚藻の壺とは、現在東京国立博物館所蔵になっている魚藻文様の描かれた高さ20センチ少々の、元時代としては小ぶりな壺のこと。将来が古いため、重要文化財に指定されている。それを考えると、来歴のはっきりする元染は、相当な貴重品ということになる。宋丸さんですら見たことがないレベルであるわけで。あのときは興奮状態で余裕がなかったが、冷静に考えると、これはたいへんなことなのかもしれない、とぼくは感じていた。

 「ところで、用事って何ですか?」「ああ、そうだった」宋丸さんは腕を組んでゆっくりとソファにもたれかかると、「この間見せてくれた、定窯は、まだあるかよ」「定窯ですか?」宋丸さんはにたりとうなずいた。――香港の葉(イエ)氏の店で仕入れてきた刻花(こっか)という彫り文様の入った白磁の碗のことである。以前見てもらったときに、「これは、良いモノだ」と褒めていただいた品。その後は別段ひとに見せるあてもなく、そのまま部屋のクローゼットの奥にしまいっぱなしだ。

 「はい」と答えると、「実は、ちょうど、あれを気に入ってくれそうなお客さまがいるんだよ」「それでは、すぐに持ってきましょうか?」宋丸さんはちょっと前かがみになって、「いや、その方を紹介するから、きみが直接持って伺ってくれよ」

 「はあ。ぼくが、直接ですか?」「そうだ」宋丸さんはまたにたりとすると、「おい、お嬢さん。メモ帳持ってきて」とReiの方へ顔を向けた。

 

(第35話につづく 3月24日更新予定です)

唐三彩印花碗 唐時代(7世紀)



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