骨董商Kの放浪(41)

 三畳台目(だいめ)の茶室の京間一畳に座っていた。ぼくは下座。真ん中の次客の畳にはZ氏。つまりぼくの右隣りに座る。正客の席は空いている。ぼくの正面の点前畳では、Miuがお茶を点てていた。ライトグレーのパンツスーツが、一定のリズムを刻んで穏やかに動いている。この小間(こま)の右壁に設えた間口半間(はんげん)奥行尺五寸の床の間には、先ほど教授の家から持ち帰った仏手が飾られていた。Z氏は、もうかれこれ15分近く、射抜くような眼でそれを睨んでいるのだ。

 現金5500万円と一緒にこの石彫を持ち運んできたのは、今から30分ほど前のこと。「自分の所蔵品を一つ合わせるから、それでなんとかしてもらえないかねえ……」という相談を預かって、ぼくとMiuは戻ってきたのだ。埴輪の価格は7000万。もらったお金は5500万。つまり、あとの1500万を、この仏手で補ってくれという話しである。ぼくは即座に思った。そりゃあ、無理だろうと。これに、それだけの値打ちがあるのかと問われたら、無いと言わざるを得ない……というのが、今のぼくの正直な感想だ。いくら高く見積もっても500万というところだろうか。市場の会に出したら、下手すると200万もいかないかもしれない。魅力的な彫像ではあるが、いかんせん ”手” だけである。顔の部分――たとえば、雲岡(うんこう)とか龍門(りゅうもん)という有名な石窟寺院の如来や菩薩の頭部だったら、モノによっては数千万円という高値が付くだろうが、これは全体像のほんの一部分――いわば不完全な作であり、しょせん壊れ物といってしまえばそれまでのモノである。無論、不完全なモノに美を見出すことが骨董の醍醐味としてあるわけだが、それはおおよそ一定の額にとどまり、なかなか高い値段が付かないのが実情だ。ただ、骨董の値打ちはひとによる。マニアな世界だから、これにそれだけの価値を付けるひともいないわけではない。何せ、あの教授が部屋に飾って大切にしていた代物だ。並みのモノとは一味も二味も違うことは確かであり、ぼくが思っている以上の額になることも充分に考えられるだろう。ひょっとしたら、将来グンと高くなるのかもしれない。そんな潜在的価値を秘めているようにも感じる。

 ――とはいえである。Z氏の話しに立ち返ると、あの埴輪の皇女は、所蔵者から7000万で売ってくれと委託されたモノであり、その上その持ち主は余命いくばくもないというのだから、早くにお金に換える必要性があるわけであり。となると、これをすぐに換金したところで1500万に満たないのであれば、あとはZ氏がこの仏手を1500万で引き取るか、もしくは、この件をご破算にして埴輪を戻してもらうか――。二者択一であるような気がしていた。

 

 骨董の売り買いには、こうしたケースが間々みられる。購入額が大きくていっぺんに支払えないときなどは、自分の所有物を下取りに出して、代金とモノとの合わせ技で売買を成立させるのだ。所蔵品をその都度上手に入れ替えることで、自身のコレクションを発展させていく蒐集家は少なくない。名コレクションは、たいてい、このようにして形成されていくものなのである。したがって、価値のあるモノを持っていれば、時価の相場で引き取ってもらうこともでき、時にはそれがオークションなどで、買った値以上の額で売れたりすることもあるわけで――。株や不動産などと比較すると明確ではないが、充分な資産価値の対象になり得るのが骨董なのである。(残念ながら、偽物をつかまされてしまった場合は完全にアウトであるが……)

 

 Miuが点てたばかりのお茶をぼくの前に置き、にっこりと微笑んだ。眦(まなじり)を下げた目の形は父にそっくりであるが、その父の目には先ほどから眉間に皺が寄っている。ぼくはゆっくりとお茶を何度か口に運び、最後に音を立て飲み切ると茶碗を畳の上に戻した。それは米色(べいしょく)青磁だった。ぼくは、以前つかまされた贋物が頭をよぎったが、それ以上に、Saeのところで見た最上手の下蕪(しもかぶら)の花入(はないれ)の色を思い出していた。酸化炎焼成が完璧になされたのだろう、均一のとれた黄金(こがね)色の釉(うわぐすり)に、氷裂(ひょうれつ)と呼ぶにふさわしい大小様々な貫入(かんにゅう)が幾重にも入り、そのガラス質の表面は得も言われぬ麗しさをみせていた。現代作家の作品と思われるこの碗も、二重貫入と米色釉が見事に融合しており、故意なのか、自然と入ってしまったのか、ひび割れの箇所に繕われた金直しが、いかにも古色たる気分を表出している。――これも、「新骨董」なのだろうか。

 お茶を一服したぼくは、再び床に目をやった。Z氏は、凝然と石彫を見据えたままである。詫びた鼠色をした土壁に、灰色がかった石の肌の色合いが溶け込むように映っていたが、両手の割れた断面から見える石の地色が意外にも黒かったので、それが輪郭線のような役割をはたし、床の間から像が浮かび上がってくるように見えた。ぼくは、その造形美に改めて惚れ直していた。

 Z氏はやや背筋を伸ばし姿勢を正すと、一度しっかりとうなずいてから、口を開いた。「はい。わかりました」仏手をみつめたまま、「Kさん。これで、了解しましたと、先方にお伝えください」いつもの歯切れの良い言い方で、そう頼んだ。「承知しました」とぼくは答える。Z氏は以前、骨董の持つ魔力のようなものを “美力(びぢから)” と喩えたことがあった。今その言葉がぼくの脳裏をかすめた。1500万という現実的な値段よりも、この仏手に潜んでいる未知の ”美力” に賭けたのかもしれないと、ぼくは思った。

 Z氏は、普段の柔和な眼で問いかけた。「Kさんは、この仏が手にしている箱のなかには、何が入っていると思いますか?」ぼくは思わず、手前座にいるMiuに目を向ける。Miuは唇を結んで、笑みをこらえるかのような顔をしていた。ぼくは先日これを見たとき、この箱には西域から長い道のりを経て請来された貴重な仏典類が入っているのではないかと思っていたが、Miuは、人間の願いとか望みのようなものが詰まっているのではと話し、これを「希望の箱」と名付けたのだった。その発想にいたく感服し、ぼくは密かにこれを「希望の箱」と命名していたのだ。それを言おうかどうか迷っていると、Z氏は自ら語り始めた。

 「このなかには、光の粒のように舞っている天使がいて、と同時にそれと等しい数の魑魅魍魎がいて、それらが犇(ひし)めき合っているような、そんな気がしているのです。右手でそれをそっと開けようかとしているところを、下からがっしりと掴んでいる左手が、開けまいとさせているように感じるのです。開けたら何か大変なことが起こってしまうような。それが、善いことなのか、悪いことなのか……。いわば、 “禁断の箱” とでも云うのでしょうか」

 「禁断の箱」――なるほど、そうきたか。「希望」より、ぐっと踏み込んだカリスマらしい発想である。ぼくの頭に一瞬、彼がかつて言った「骨董の持つ業(ごう)」というフレーズが浮かんだ。

 「ちょっと、妄想が過ぎましたかね」そう言って、カリスマは唇に薄い笑みをつくった。その顔に向けぼくは訊いてみた。「もしそうだとするなら、Zさんは、この箱を開けますか?」カリスマは笑みをそのままに少し間をおいてから、「開けるでしょう」ときれいに答えた。すると同じ質問が返ってきた。「あなたは?」ぼくも考えた末「開けると思います」と答えた。これにより俗世の扉が開かれるのだとしても、それを受け入れ生きていくのが人間だろうと、そんな風に思ったのだ。

 Miuが言った。「パンドラの箱も、開けると悪と災いが世に溢れ出るって言われてるけど、最後には希望が残ったわけですよね。だからわたしは、やっぱりこれは、希望の箱だと思います」なるほどと、ぼくは静かに首を動かした。するとにわかに、なぜ教授はこの仏手を手離したのかという思いが、ぼくのなかに湧き上がってきた。念願の埴輪を手に入れるための下取りに選んだわけであるが、これに見合う持ち物は他にもたくさんあっただろうに。どうして、これに決めたのだろうか?

 Z氏が腕を組んで床の間をみやる。「わたしは、さっきからずっと、なぜこのモノを選んだのかを考えていました」このひとも同じことを考えていたのだ。単に、値段に見合うものなのかどうかを見定めていたわけではなかったのである。

 「この石彫は、めったにない優れた美術品ですよ。あの埴輪の女性に執着していたひとが、代金が足りないという理由で、なぜこれを手離したのか……。それに対しての疑問が、ずっと頭のなかを占めていたのですが、ついに答えがみつからなかった……」Z氏はいったん唇を噛むと、小さく数度うなずいた。「……魔がさしたのかもしれませんね……。それ以外に答えが浮かばない。ひとというのは、時に、そういうものなのでしょう」

 

 

 大型連休真っただ中、午後三時のエリタージュ・ハウス。アフタヌーンティーの時間もあって、何人かの有閑夫人がぼくの前を歩いている。ぼくはそれをするりと追い越すと、そのままエレベーターに向かい二階の個室へ。Saeが待っていた。

 あの夜、ここからマダムに連絡したときのことである。案の定「えええっ!」と、突き上げるような声が受話器から耳に響いた。それを聞きつけたSaeがぼくの側に近寄ると、そっと電話機を受け取り、この経緯を懇切丁寧に説明したのだ。翌日Saeが送った画像に対し、「間違いないわ! これだわ!」マダムは息を乱しながら、そう答え声を震わせていたという。当然だろう。ついにこの日がきたのだ。セールは15日。ヴューイングは10日から開かれるという日程。マダムは逸早く見たいということで、10日に合わせてロンドンに入る段取りとなった。同じ便でSaeも同行することになり、マダムはほっとしたようにお礼を言うと、諸々の旅程準備はSaeに任せるということで決まったのである。

 ぼくはというと、全部Saeに甘えるわけにはいかず、南回りの格安航空券を購入し、英国入りすることにした。宿泊先も、「うちで出すから一緒の方がいいんじゃないかしら」というSaeの申し出を断って、そこから徒歩10分の廉価なホテルを予約。Saeは不満そうだったが、なにか自分だけの力でマダムの役に立つのが、本当のような気がしていたからである。

 それと、南回りにしたのは別の理由があった。それは、行きしなに香港に寄ることができるからだった。実のところ、ママの都合がどうしても合わず、ロンドンに来ることができないということになり、その前に寄ってほしいと言われたのである。何か渡したいものがあるという。日数はかかるが運賃は安いし、ちょっとした仕入れをすることもできそうなので、ぼくにとっては好都合だったのである。

 それとは別に、今日Saeのところに来たのは重要な目的があった。今度のセールの図録が届いたというのだ。Saeが手許に持ってくる。「これ」と差し出した図録は、厚みが1センチ半ほどの、ずいぶんと簡素なつくりをしたものだった。ロンドンのは、だいたいこんな仕立てのようで、香港のような豪華さはない。表紙の人物の描かれた元青花(染付)の大壺が目に入る。どうやら、これが今回の目玉のようだ。

 厚みのない図録のなかを早速く括(くく)っていった。そのなかほど前の、Lot75に馬上杯の写真が載っていた。見開き2頁を使っている。メインの左頁には、出品作品が実際のサイズより大きめに出されていた。六つある唐花のうち、黄色い花が中心に据えてある。右頁には、やや小さめにその他の面の写真がずらりと展開されている。そのなかの、赤い花に目が注がれた。花の左斜め上に、くっきりと緑色の釉がみえる。それを確認したあと、ぼくとSaeはお互いの目を合わせた。その右隅には、エリタージュの馬上杯の写真が類品として紹介されていた。これは、先月Saeの送った写真画像であり、その下に「Japanese private collection」と記されている。

 右頁に目を移した。作品名は「A VERY RARE AND IMPORTANT WUCAI STEM CUP, MARK AND PERIOD OF WANLI」となっており、解説文を読むと「これは成化(せいか)年間の豆彩(とうさい)をリスペクトして万暦(ばんれき)年間の官窯(かんよう)で写した復古作。万暦年間の豆彩自体数が限られており、そのなかにおいても極めて稀な作例。同手の作品が唯一日本の個人収蔵家のもとに存在する」とある。

 ぼくはその下に記載されている評価額に注目した。「£10,000-15,000」。日本円に換算すると200万~300万というところか。ずいぶん安いなとぼくは思った。

 「評価額、こんなものなのかな?」やや首をひねりながらSaeの顔を見る。「わたしも、よくわからないけど……。ここのオークションハウスの担当者に訊いたら、もともとリザーブの値段が安いって言ってたわ」

 ――リザーブというのは、出品者の了承する最低価格をいう。リザーブ額はおおよそ、評価額下値の七掛けか八掛けくらいなので、今回の場合でみると、140万か160万あたりかもしれない。つまり、それ以上であれば売却するということなのだ。ただ、これだけの稀少品である。当然評価額を超えていくことに違いない。ぼくらが香港に出品した雍正(ようせい)の筆筒は、リザーブ値の六倍にもなったのだ。

 

 「いくらくらいになるのかしら」Saeが訊く。「うーん。正直こんなの類例がないから、まったくわからないなあ。オークション会社のひとは、なんて言ってるの?」「訊いたけど、さすがに教えてくれなかったわ」「なるほど」

 すると、Saeはテーブルの上で組んだ腕をすり寄せ顔を近づけた。「実はね、うちに買ってくれませんかって依頼がきてるの」「まじっ?」ぼくも身を乗り出す。「だから、パパに訊いたのよ」「うん、で?」「そうしたら、パパ、一つあるからいいだろうって。要らないって」それを聞いて、「ほお、そうなんだ」とぼくは息を吐きながら椅子に背中をくっつけた。

 それからSaeはいつもの豊かな笑みを浮かべると、「でも、よかったわ」と言ってティーカップに指をかけた。「え? なんで?」一口飲んでソーサーに置く。「だって、マダムが買うでしょう。パパが買うなんて言ったら、こっちが困っちゃうじゃない」と小さな笑い声を立てた。「まあ、それも、そうだね」ぼくも同意の笑みをもらした。

 ぼくは図録を再び手にし、ぱらぱらとめくりながら、「一番高そうなのは、この表紙になっている元染の壺かあ」とその頁で手をとめた。ロット番号35。元染特有の濃厚なコバルトブルーを駆使し、馬に乗っている三人の女性が描かれている。「何かの物語の一場面かしら」Saeが横から覗く。目玉商品らしく、これ一点に6頁をさいている。全体の展開写真とともに、英語の説明文が長々と書かれていて、ぼくは読む気力を失っていた。しかし、評価額を見て、目を剝いた。「£2,500,000-3,000,000」とある。実に5~6億円である。

 「すげえ、これ! そんなするんだ」「誰が買うのかしら」「そんなん、中国人に決まってるじゃん!」このとき、香港の成化豆彩杯の16億円が頭に浮かんだ。あれを購入したのは、ママの知っている上海人だとの話だった。この壺も、そのひとが買うのかもしれない。――そのひと、カタログの表紙になっているモノ、みんな買ってるよ。あのときママはそう言っていた。巨大なチャイナマネーが、現市場を席捲しているのだ。それを思うと万暦の馬上杯も高値が付き、そういう成金に持っていかれてしまうかもしれないと、ぼくは急な不安に駆られ曇った眼をSaeに向けた。

 「でも……もの凄く高くなっちゃって、マダムが買えなかったら、どうすんだろう。マダムだって予算があるだろうし……」Saeは頬に手をあて「ふうん」と考えこみながら「そうねえ……」と言ってゆっくりと紅茶に口をつけた。そして、カップを静かに置くと、大きな瞳をぱっちりと開けて断言した。「でも、ここまできたんだから、買えるわよ。神様はそんな結末は用意しないものよ」その悠然とした回答にぼくの気持ちがふっと和(やわ)らぐ。自然と素直に「うん」と答えていた。

 「でも……わたしも、Eさんに訊いて探ってみるわ。どのくらいになりそうか。これからは情報戦だから」「そうだね。ぼくも、宋丸さんとか、三代目に訊いてみるよ」Saeは「そうね」と微笑むと、指をぼくに向け「彼女のところにでも行って訊いてきてよ」と言った。「あのさぁ、彼女じゃないので……」「Reiちゃん、だっけ?」――知ってるのかよ。

 Saeは遠くの方に眼を置くと、「彼女、とてもまっすぐな眼をしてたわ」とつぶやくように言った。「わたしと、違って……」Saeはぽつりとそうつけ加えると、ぼくの顔を見ずに、両手でカップをそっと包み込んだ。

 

 エリタージュからの帰り道、ぼくは犬山得二の家に立ち寄った。例のごとく六畳の居間で半分寝ころびながら、古い邦画を見ていた。スナック菓子か何かを口に放り込んでいる。「おう、なんだ。来てたのか」見ると、古いカラー映画が流れている。「何の映画だよ」「モスラだ」「モスラ? ……ああ、蛾のお化けみないな怪獣映画か」「ばかやろう、モスラをそんな風に言うな。モスラは、蛾と蝶のあいのこだ」「ああ、そう」ぼくはどうでもいい返事をして卓袱台の上を見ると、犬山は紙袋に無造作に片手を突っ込み、そのなかの小さな豆をいくつか口のなかに入れている。「おまえも食うか。南京豆」「南京豆?」「ほうよ。婆さんの実家から送られてきた。本場千葉県産の上等な南京豆だ」ぼくもそれを一つつかむ。薄茶色の皮に覆われている。「おまえさあ、今どき、南京豆なんて言うやついないよ。これ」「ばかやろう、南京豆は、南京豆だろ」と、また皮ごと放り込んだ。「皮、むかないのかよ」「おまえ、知らないな。この皮が栄養あんだよ。ポリフェノールが満載だ。これだから素人は困る」とボリボリ食べている。ぼくもそのまま口に入れる。すると犬山は、「おっ、出た。出た」と言ってすくっと立ち上がるや、両手をフラフラと揺らしながら歌い始めた。

  「モスラーヤ、モスラー、ドゥンガンカサクヤン、インドゥムウー」独特の曲調に合わせ、身体を気味悪くくねらせたところでこちらに顔を向けた。ぼくの白けた目線にぶつかると急に身体の動きをとめたので、さすがにやめるのかと思っていたら、「ルストウィラードア、ハンバハンバムヤンッ」とまた歌い出し、奥の部屋の隅にあるおんぼろギターに向かって奇妙な足取りで進んでいったところで、ぼくは声を張り上げた。「最後まで、歌うな!」その声で、ようやく動きを止めた犬山は居間に戻ると、「古関裕而がつくった名曲だぞ」と言って天井を仰ぎ見「カサクヤーンム!」と最後のフレーズで締めくくると、どかっと座布団に腰を落とした。

 

 豆を一粒二粒口に入れたとたん思い出したように、「そうだ、そうだ」と卓を大仰に叩くと、「おまえに、言うことがあったんだ」犬山は急いで顎を動かすとごくりと飲み込んで、「文革の話し、してただろう?」今回のマダムの件は犬山には報告済みで。「ああ」「それだ。文革は、毛沢東が死んで、四人組が逮捕されて終息したんだけど、その後文革のときに没収された古い物は、持ち主の元に返されたって話しもあるぞ」「へえ、そうなんだ」ぼくは理系の人間なので、歴史にはとんと疎い。

 「だから……その馬上杯も、お姉さんのところに戻ってきているかもしれない」「まじか?」「となると……」犬山は瞬きを繰り返し丸眼鏡を鼻の上でしきりに動かすと、「今回のやつは、お姉さんが出品したってことも考えられる……」「えっ、どういうこと?」「向こうだって、妹の消息は当然気にしているだろう。有名なオークションを利用すれば、その情報が世界に広がる」「うむ」「そうすれば、何らかの形で、それが妹まで行き届く可能性がある。今の中国では、自分の所有物をインターネットで拡散するとなるとすぐ網にかかるし、それは愚策だ。公的なオークションを利用すれば、所有者の匿名は保持される」

 丸眼鏡をみつめながらぼくは訊く。「そうしたら、その次は、どういう展開になるんだ?」「オークションは、下見が何日か設けられているだろう」「ああ」「その下見会場にお姉さんがいれば、誰が下見をしているかがわかる」「うん」ぼくはごくりと喉を鳴らした。「そこで、会場を訪れたマダムと再会する――という筋書きだ。どうだ?」「なるほど!」「そして、その上……」犬山はまた袋のなかに手を突っ込み数粒取り出すと掌のなかで回しながら、「売れたら、結構な金が入る。それを姉妹で半分ずつ分ける。一挙両得だ。はは」と言うと、勢いよく口のなかに入れた。

 

 確かに、犬山の説は有り得ると思った。お姉さんが現在も馬上杯を所有しているのなら、妹に出会う手段としてこの策を講じることは、考えられないことではない。マダムと同様お姉さんにとっても、馬上杯は再会のきっかけをつくることのできる重大なピースだ。オークションに出品して大々的に宣伝されれば、マダムの眼に留まるかもしれない。その確率は決して高くはないが、といって他に妙策がないのであるとすれば、藁をもすがる気持ちでこの出品を決断したのかもしれない……。

 もし仮にそうだとしたら、その場合は――――。

 下見会場で待ち構えていたお姉さんが、それを見にやってきたマダムをみつけ、そこで再会するわけである。間違いなく、お互い歓喜の声を上げ、抱き合って、飛び跳ね、泣いて、喜び合う。それでこのストーリーは完結することになる。めでたし、めでたしだ。

 

 ぼくは、いったん頭のなかを真空状態にしてから、もう一度考えてみた。

 

 本当にその台本通りに事が進み、めでたし、めでたしになるのか……。ぼくはそんな簡単にはいかないような気がしていた。ぼくは、沈思黙考する。

 もし今回の出品者がお姉さんだったら、なぜロンドンに出品したのだろうかと――。

 あのときマダムは、香港へ渡ったのである。妹は香港のどこかにいると思っているに違いない。中国美術のメインオークションは、先だってのように香港でも開催されるし、香港市場の方が活況著しいのだ。当然妹が住んでいるだろう香港のオークションに出品した方が、再会できる確率はより高くなるわけであり……。これはあくまでも個人的な推測であり、何の確証もないのであるが、ぼくは、やはり、マダムが馬上杯を手に入れなくては事態が収まらないのではないか、という気がしてならなかった。

 他人(ひと)の手に渡っていた馬上杯を取り返し、そしてお姉さんと巡り会う。これがこの物語に相応しい結末であり、これこそが本当の大団円であると、これは、誠に勝手なぼくの筋書きなのだが、なんとなくそんな気がしているのだ。そしてそこには、そうなってほしいというぼくの願望が緊(ひし)と込められており。

 

 だから、この馬上杯が、マダムの手の届かない値段になってしまっては、困るのだ。

 

 「いったい、いくらくらいになるだろうか?」ついさっきSaeの口にした台詞を、ぼくは自分に問いかけるように犬山に向けた。「評価額はいくら?」「日本円で、200~300万か」それを聞き、犬山は口を動かしながら鼻の下を掻いた。「まあ、おれの勘だけどな。その10倍くらいじゃねえか」「えっ、に、2000~3000万? まじ?」「世界に二点しかないっていうんならな、そのくらいの価値はあるんじゃないの」「そりゃあ、さすがにないだろ。評価額の10倍なんて、今まで聞いたことがないよ」犬山は不敵な笑みを浮かべ、再び「勘だよ」と言ったあと、「こういうときのおれの勘は、けっこう当たるんだ。はは」――う、ううむぅ……。先日の香港でのオークションを体験しているぼくにとってみれば、この数字はあながち法外ではない……。

 ぼくは再び考え込んでしまった。マダムは、買えるだろうか……。もし買えない場合は、どういうことになるのだろうか……。……まあ、でも、それを考えるときりがないか……。うん、そうだ。ここは、「神様はそんな結末は用意しない」という、さっきのSaeの言葉を信じよう。

 

 ぼくは気を取り直してテレビ画面に目を向けた。まったく同じ顔をした二人の若い女性が同時に喋っている。二人とも小人のようで、小さな檻のなかに入れられている。「何、これ? 合成?」犬山の眼鏡が動く。「そりゃあ、合成だろう」ぼくは画面をみつめ、「いや、この女性。同じ顔をした……」犬山は即座に体勢をぼくに向け、「おまえ、知らないの? この二人のこと?」無反応のぼくをみて、「いやんなっちゃうなあ」と思い切り顔をしかめると、「しっかし、おまえの知識も浅薄だね、まったく」と言って豆を一粒取り出すと皮をむき、ぼくの目の前に突き出した。それを見てぼくは言った。「……南京豆?」犬山は「ばかやろう!」と言ってぼくの額に投げつけた。「ザ・ピーナッツだ」「そっちか……」――そういえば、聞いたことがあったな、そんな名前。しかし、ぼくの生まれる15年も前の映画だ。この歳で知ってるやつの方が少数派だ。瓜二つの顔をした女性が発する心地よいハーモニーに耳を傾けながら、ぼくはピーナッツの皮をむくと丁寧に二つに割り、ひとつずつ口のなかに入れた。

 

 

 今年のゴールデンウイークは、五月一日と二日が平日。なので、この二日を休みにすると九連休ということになる。昨年は、朔日(ついたち)のみが平日だったので、これを休みにして十連休という超大型休暇をとったところが多かったため、その流れを受け世の中では、連休の狭間の平日を休みにする風潮が見受けられるようになった。しかし、そんな風潮をもろともしない宋丸さんの店は、ごく普通に営業している。しかし、ぼくにとってはちょうどよかった。連休明けにはイギリスへ発たねばならず、その前に訊いておきたいことがあったからである。

 ぼくは、賑やかに人が行き交う銀座通りをすり抜けながら、電通通りへと足を向けたところで、携帯電話の着信音に気づき立ち止まった。Saeからである。「Kさん。わたし」「うん、どうした?」「昨日ね、あれから、Eさんのところに電話したの」「オークション会社、やってるんだ」「そう。外資系はカレンダー通りみたい」と笑ったあと、「馬上杯の値段のことなんだけど……」「うん、ちょっと待って」ぼくは足早に近くの細い路地に入ると、耳をすませた。

 「こればかりは、予想が難しいって。オークションは、下見が終了して、セール前日になってから、値段の注文とか電話ビッドの予約が入るらしいの」「ほお」「その注文の多さで、だいたいの予測はつくらしいんだけど、もちろん当日競るひともいるから、最終プライスは当事者のB社でも読みづらいだろうって」「なるほど」「特に、中国人同士の競争になった場合は、余計にわからないって。驚くほどの金額まで買うひとたちがいるみたいだから」「……ふうむ」ぼくの脳裏に成化の馬上杯が浮かぶ。ふんだんな資金をバックに競り合うひとたちは、高くなることにこそ意義があるようにも感じられる。そうなってくると、予想もへちまもない。

 「でも……」Saeが言った。「おそらく、1500万か、ひょっとしたらそれ以上はするんじゃないかって……」「本当?」「うん。そのくらいはいくだろうって」初めて具体的な値段をつきつけられ、ぼくは一瞬身が引き締まった。「やっぱり、そのくらいはするのか……」

 E氏のところは、B社と双璧の大手オークションハウスであり、当然ライバル会社の情報はどこよりも正確に収集していることだろう。そこがそういうのだから、この1500万という数字は、現実的なラインとして念頭に置かなければならない。

 「あと、実は……」とSaeが続けた。「前に、うちの馬上杯に領収証が付いていたって言ったじゃない? 昭和45年の」と言った瞬間、ぼくは「あっ!」と声を上げた。そうだ。馬上杯に領収証が付いていたことをすっかり忘れていた。そこに当時の値段が書かれているのだ。これは大いに参考になる。

 「で、それは、いくらになってるの?」「それが……、1200万円なのよ」「ええっ!」ぼくの声が路地裏に響く。「し、昭和45年で……、せ、1200万……?」「そうなのよ。わたしも、最初よく見てなくて。0が一つ多いじゃないかしらって思って数えたら、1200万だったの。びっくりしちゃった」

 ぼくは暫し呆然と佇んだ。昭和45年の1200万って、今だと、いったいいくらになるのか――。う~ん。まったく頭のなかの計算機が機能しない。ただ、よっぽど高いことは確かであり……。ぼくは思考がついていかず、黙ったままふと天を見上げた。薄暗い路地から見える細長い青空が、やけに眩しく目に映った。

 「あとねえ」さらにSaeが続けた。「今回の馬上杯の出品者だけど……」ぼくはすぐに正気に返る。「わかったの?」「Eさんによると、おそらく中国のメインランドからだろうって」「中国大陸?」「そう。だから、エスティメートも低めみたい。たぶん、その家に長く置いてあって、今の価値がわからないからじゃないかって」

 中国大陸からの出品と言われ、即座にお姉さんのことが頭をよぎった。と同時に、犬山のシナリオが復活する。E氏の情報は確かだろうから、そうなると再び、出品者がお姉さんである可能性も浮上してきた。

 

 

 宋丸さんの店にも図録が届いていた。Reiが馬上杯の頁に目を落としている。ぼくも横から覗きながら、彼女の淹れたお茶に口をつけた。碗の見込み中央に描かれている菊花の染付文様が、緑茶の奥にうっすらと見える。宋丸さんはまだ来ていないようだ。Reiがぼくに顔を向けた。

 「わたしは、お姉さんじゃないと思います」――馬上杯の出品者がお姉さんではなかろうかという犬山の仮説を、Reiはきっぱりと否定した。

 「絶対に、それはないと思います」Reiの眼はいつも以上に澄んでいた。「もし、仮に、馬上杯がお姉さんのところに戻ってきていたとしても、お姉さんはそれを生涯大事にすると思います。お祖父さまや家族の皆さんの愛情が注がれていたモノを、決して売るようなことはしないって、わたしは思うけど……」図録を閉じテーブルの脇に置く。「マダムと会うためには、きっと何か別の方法を選ぶんじゃないかしら。その手段として、馬上杯を使ったりはしないと思う……」Reiはぼくの茶托を盆の上にのせ静かに立ち上がると、お茶を差し替えに奥へ下がった。

 

 犬山はあんな説をたてたが、Reiが言う通り馬上杯は、家族を失ったお姉さんにとってみれば、何ものにも代え難い心の拠り所になっているはずである。確かにそう簡単に売ったりはしないに違いない。また、考えようによっては、それはいわば切り札的存在ともいえるわけで、もしそれを使うときは、最後の最後、100パーセント事が成就するときではなかろうか。オークションへの出品というやり方は、一種の賭けに近い。

 だから今回の出品に関してみると、奪われた後転々としたのか、奪われた先の家に残されていたのか、その辺のところはどうだかわからないが、現在の持ち主が昨今の中国陶磁の高騰もあり、売りに出したとみるのが妥当であろう。

 

 応接室の床(とこ)の黒い飾り板の上には、胴の丸い白磁の瓶が置かれてあった。立ち上がりの短い頸を持った盤状の小さな口が付いている。表面には、茶色い染みがそこかしこに出ている。うっすらと、ところによってはきつく滲むようにあらわれており、それらが乳白色の肌と絶妙な調和をなしていた。白い釉のなかに朧(おぼろ)に浮かび上がっているように見えるその薄茶色の染み模様が、今の自分の不安定な気分をいくぶんか和らげてくれたように思え、ぼくはその瓶にじっと眼を注いでいた。

 Reiが新しいお茶を盆に乗せ戻ってきた。「あれって、李朝?」ぼくは指をさして尋ねる。柔和な白に溶け込んでいる茶色い滲(にじ)みが、李朝白磁を想起させたからである。白い肌の具合もよく似ている。「あの瓶ですか?」「うん」「あれは、キョロクです」「キョロク?」「はい」ぼくの前に茶托を置くとReiは横に腰かけた。

 「キョロクって、中国?」「そうです」そう言えば、三代目の宋時代の講義でそんな名前を聞いたことがあった。確か、鉅鹿(きょろく)という名称だったか。「良い、瓶でしょ?」「うん。しかし、何とも言えないこのシミの出かたが、なんか、ほっとする」「鉅鹿らしいですよね」

 ――「鉅鹿」とは、河北省南部の小都市の名称。古文献によると、北宋時代大観二年(1108)の秋、漳河(しょうが)の氾濫によって町が一夜のうちに泥土の下に埋まってしまったとある。災害遺跡としてはポンペイが有名であるが、鉅鹿もその一つとして語り継がれているのだ。その800年後の20世紀初頭のこと。この場所が酷い日照りに悩まされ、農民が水を求めて地面を掘り下げたところ、こうした白いやきものが多数発見され市場に流通した。柔和な白に浮かぶ茶色の染みの醸し出す味わいが、当時の日本人の心をつかみ人気を博したことから、この手のモノを「鉅鹿(きょろく)」と呼び慣わすようになった。表面にあらわれている薄茶色の模様は、長年泥水に浸かっていたことで付いた汚れだったのである。

 ぼくは瓶に近づくと、右手の二本の指を小さな口のなかに入れ、左手で平らな広い底部を支えるようにして持ち上げ、胴の表面にあらわれている茶色い染みに眼を落した。確かにそれは内側から滲み出たものではなく、器面の上から入ったものであった。この白磁は、やや低めの温度で焼成されたため、一種の生焼け状態になっており、表面には細微なひびが生じている。そのひびのところどころに、泥が入り込んでいるのだ。まるで筆で泥水を塗りつけたかのような染み模様は、ある種のスピード感があり、一挙に泥土に沈んだ生々しさを物語っているようにみえた。白磁の肌も、低火度で焼造されたせいもあり、定窯のような硬質感がなく、それがかえって柔らかい印象を与えている。――中国陶磁でも、こんな温和なモノがあるんだなとぼくは見惚れていた。

 

 ドアが開く音がし、ようやく宋丸さんが出勤してきた。「おおっ、なんだよ。休みじゃなかったのかよ」といつものようにカカカと笑いながら、ソファに腰を落とす。そしてぼくに目を向け、「おいおい。なんだか、大物が出るらしいな。ロンドンで」と言った。その大物が、カバーロットの元染壺を指しているのか、馬上杯を指しているのか、宋丸さん特有の言い回しのなかでははっきりとつかめなかったが、おそらく馬上杯を指しているように思えた。

 「それで、ちょっと、訊きたいことがありまして」「なんだぁ?」笑い顔の前に、Reiがお茶を置く。「実は、万暦豆彩の馬上杯についてなんですが……」宋丸さんは、笑みを浮かべながらゆっくりと碗に手を伸ばした。

 「今度、エリタージュにあるのと同じタイプがオークションに出るじゃないですか」「らしいね」と一口飲んでぼくの顔を見る。

 「あれって……、いくらくらいするものでしょうか?」ぼくは単刀直入に訊いた。「ははぁ、あれかい」宋丸さんは奥に向かって「お嬢さん、図録出して」先程テーブルの脇に置いた図録を、Reiがその頁を開いて「はい」と差し出す。宋丸さんはじっとみつめ「はあ、こりゃあ、立派なもんだなあ」と感心したように言うと、すぐに図録を閉じた。

 「まあ、エリタージュの方が上だろう」「はあ」とぼくは答える。「よく似ているが、エリタージュには敵わない。あっちの方が上だ」「……そうですか」――なるほど……。あくまでもクオリティにこだわるのは、わかった。もちろんそれは重要なことである。ただ今回は、値段が知りたいのだ。どのくらいなるのか、宋丸さんの見解を訊きたいわけであり。だから、尋ねているのだ。

 

 「実は、以前、エリタージュの馬上杯に領収証が付いていたって話ししましたよね」宋丸さんは、またゆっくりとお茶に口をつけた。「昭和45年の領収証」「そうだったなぁ。万博の年だ。ぼくがおさめたのは」ぼくは宋丸さんを正視し、「はい。その時の金額が、1200万なんです」それを聞くなり宋丸さんは、「へええーっ」と目を丸めて天を仰いだ。「そんなに高い値段だったかよ」そして、カカカと笑う。――自分で売ったんだろ、と何となくはぐらかされたみたいに思え、ぼくは少々イライラしてきた。よくよく知っているくせに初めて聞いたかのようなリアクションをみせる、老齢の骨董商にありがちな狸のような老獪さを、宋丸さんはふんだんに持ち合わせていた。

 この調子だと、また話しが長くなりそうだったので、姿勢を正し再び尋ねた。「だから、今回の出る馬上杯は、いくらくらいいくのかと思って……」宋丸さんはソファから背中を離し、「お嬢さん、お茶のおかわり」と言ったあと、「なんだよ。買うのかよ」とじろりと目を向けた。「いや、ぼくではなくて、知っているひとですが、買うつもりで……」宋丸さんはニタニタと笑いながら、ぼくの話しに耳を傾ける。

 「エスティメートが、200から300万なので……」E氏の1500万もしくはそれ以上という推測と、犬山の評価額の10倍という予想を引っ付けて、「3000万円くらいだったら、買えるでしょうか?」とその上限を投げかけてみた。実際ぼくは、総合的に考えてみて、いくら高くてもそれくらいなら買えるのではないかと思ったのだ。

 Reiが再びお茶を置く。そしてその場に立ち盆を抱えたまま様子をみている。宋丸さんは目を閉じ両手を下腹あたりで組んだまま、「う~ん」と唸ったきりしばらく動かなくなった。それが思いのほか長かったので、ぼくはその間、床飾りの白磁の瓶を見つめていた。柔肌に浮かぶ癒しの染みに、ぼくはじっと眼を置いていたのだ。

 ようやく宋丸さんが口を開いた。「5000万、出してもらえよ」笑みを崩さずに、さらりと言った。「ご、5000万もしますか!」ぼくは、予想の範疇を超えた数字に思わず声を高めた。宋丸さんは笑っている。

 そんなにもするものなのか……。いくらエスティメートが低いとはいえ、その約25倍だ。オークションの評価額は、出品者の意向が反映されるが、現市場の価格を大きく逸脱するものではない。あまり高く設定すると買い手がつかないことがよくあるからだ。一方、低い場合は、これは当然売れる可能性が高いわけだが、それでも評価額に対しての何倍かである。香港の16億円で落札された成化馬上杯も、高かったとはいえエスティメートの4~5倍だ。――エスティメートの25倍なんて聞いたことはない。しかし……、同手のモノが昭和45年に1200万で売れていることは事実であり、それを扱った当の本人が言うのだから真実味はある。新たに提示された5000万という破格ともいえる数字を受けて、ぼくはまた考えねばならなくなかった。はたして、マダムはそこまで想定しているのだろうか……。

 

 「わかりました。ありがとうございました」頭を下げるぼくをみて、宋丸さんは言った。「それにしても、もう一つあるとは思わなかったなあ」それが驚きであったというより、愉しくてたまらないというような無邪気な顔をし、「おい。世の中は広いなあ」と感慨深気に言ったあと、「ぼくは、まだまだ赤ん坊だ。ははは」と笑った。宋丸さんが赤ん坊なら、ぼくはいったい何なんだと思ったが、酷く高い壁が目前に聳え立ったように思え、言葉を発することができなかった。

 最後にもう一度頭を下げて席を立つ。「帰るのか?」「はい」正面の床の間が眼に入る。「良いですね、その鉅鹿」「あはは、これかい」宋丸さんは腕組みをして白磁をみやる。「良いか?」「はい。染みの入り具合が、なんか、景色になっていて……」「そうかい」宋丸さんは満足げに目を細めた。「白磁の色もさることながら、茶色い染みが、ほわぁんとしていて、気分が和らぎます」ぼくはゆっくり円を描くように両手を動かしながらそう言った。宋丸さんは、はははと笑ったかと思ったら、お茶をぐいと飲み干し眼窩の奥から強い眼を向けた。

 「5000万、出してもらえよ」――これが、今回の馬上杯に対しての、宋丸さん流の「失礼ではない」値段なのだろう。ぼくはいったん宋丸さんの顔を見て「はい」と小さく答えると、再び白磁の瓶に眼を合わせみつめた。そして、ふいに思ったことを尋ねた。

 「ちなみに、この白磁は、おいくらですか?」値段ついでではないが、急にこの瓶の値段が知りたくなったのだ。「これかぁ……」宋丸さんは片肘をソファの背にもたせかけ、もう片方の手で腿のあたりをゆっくり何度も叩きながら、しばらく白磁をみつめていた。そして、「まあ……、350って、言うんだろうなあ」と答えた。しかし、訊いたところで、その350万という価格が、いったい高いのか適正なのか判断がつかなかった。そして、このときぼくは、教授の仏手も、埴輪も、馬上杯も、そしてその他ありとあらゆるすべての骨董品の値段が、永遠に理解することができないもののように思えたのだった。

 

 宋丸さんが体勢を変えずに、つけ加えるように言った。「形が、200……。染みが、150……、だ」語尾の「だ」のところで、ぼくに顔を向けカカカと笑った。350万円の内訳をあえて示すところなどは、宋丸さんらしい表現だった。ぼくは白磁を凝視した。

 ――染みが、150。要するに、この染みに150万の値打ちがあるということである。

 ただこの数字が妙に的を得ているように思え、ぼくを現実に引き戻してくれたような気がした。

 

(第42話につづく 11月10日更新予定です)

白無地瓶(鉅鹿手) 北宋時代(11-12世紀)



 

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