骨董商Kの放浪(43)

 5月12日のロンドンの朝はどんよりと曇っていた。三階建ての古めかしいホテルの二階の小窓からは、両脇の煉瓦壁に挟まれるようにして細長い石畳の路地が伸びていた。昨夜降った雨の影響か、路面がところどころ鈍い光りをはなっている。その風景を目にし、ぼくは顔を緩ませた。そうだ、自分は今ロンドンに来ているんだという実感が胸をつき、つい微笑んでいたのだ。ぼくは窓から入る冷たいが澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むや、部屋を出ると階下へ向かった。

 今日はB社で下見をすることになっている。昨夜のマダムの決意表明を受けぼくの気分は高揚しており、朝からなんだか沸々と力が湧き上がっている。早速一階にあるこじんまりとしたレストランへ行き朝食を頼んだ。三つしかないメニューのなかからイングリッシュ・ブレックファーストを選ぶ。すでに何人かの宿泊客がテーブルを囲み、若い男性従業員が料理を載せたトレイを手に運びながら、その間を行き来している。やがてぼくの前に大きな皿が一つ置かれた。

 30センチ以上あるプレートの上には、色とりどりの具がぎっしりと盛りつけられている。手前中央のフライドエッグの右には、太く短いソーセージが二本。左には厚手のバックベーコンが三切れ。目玉焼きの上方には半分ずつにカットした焼トマトと幾つかのマッシュルーム。10時の方角に斜めに切られたバタートーストが二枚、その三分の一が皿からはみ出すように乗っかっている。続いてテーブルの右側に、銀製のポットとともに紅茶のセットが置かれる。典型的なイングリッシュ・ブレックファーストであった。

 そのボリュームに、ぼくは生唾を呑み込んだ。イギリスと日本の時差は8時間。今は深夜の時間帯。真夜中に食事をする癖のあるぼくは、現在異常に腹が空いていたのだ。ソーセージの程よい焦げ目に食欲をそそられ、それを一口。「ん!」すかさずナイフを動かしもう一口。「これ、うまっ!」つい発したぼくの小さな叫び声に、給仕の若者が振り返る。それをよそに、また一口放り込む。パリッとジューシーというより、ねっとりとしてスパイシーである。そしてこの味は、ぼくの味覚に激しく合っていると感じた。昨夜の伝統的なイギリス料理も美味しかったわけであったが、何だか大英帝国の威厳めいたものが先行しているように思え感動はしなかった。それに比べるといたって矮小なのかもしれないが、明確な風味が感じられ、ぼくはいたく気に入ってしまったのだ。続いて、これも適度な焦げ目のついたベーコンを切り口に入れる。うんっ、気持ちの良い塩辛さだ。そして、その隣の焼トマトを半分。塩辛さを見事に調和させる芳醇な甘み。またその横にゴロっと転がっているマッシュルームの素朴な味。そして紅茶を喉に注ぎ込む。――――完璧だ、とぼくは孤独のグルメさながら、一口食べるごとに「ん!」と感嘆の唸りを繰り返しひとり悦に入っていた。

 ――毎食これでいいぞ! と、イギリス料理は美味しくないという風評を吹き飛ばすこの朝食を前に、単純な野郎だと思われるかもしれないが、本当にそう思ったのだ。

 

 朝食を堪能すると、ボンドストリートにあるB社へ向かった。駅から大通りに出るとそのまま左へと進む。しばらく歩き道幅の広い一方通行を左に折れると、そこはボンドストリートの入り口だった。

 ここはロンドンでも目抜きの通りである。それに相応しく、通り沿いにある建物の二階の窓あたりから、ずらりと種々なフラッグが突き出ている。英国皇室御用達の老舗やハイブランド店など、それぞれのトレードカラーとロゴタイプに装飾された旗々が、両側から誇らしげに吊り下げられているのだ。ぼくはそれらのフラッグを見上げながら通りを進んだ。当然英語表記なので、たいていは左から右へ店名があらわされているが、時おり上から下あるいは下から上へアルファベットを並べているところもあり、また稀に右から左というのもあった。ところどころにイギリス国旗が掲げられており、いかにもロンドンの中心街という格調高さを顕示していた。

 オールドボンドストリートを過ぎるとニューボンドストリートに続く。その通りを1ブロック越えた右手にB社のビルがあった。厳かな白亜の建物である。間口の決して広くない玄関を通りなかへ入ると、長い廊下があった。左側はカフェになっており、右側にはずらりとテーブルが並んでいる。奥には階段があり二階へ続いている。廊下を進んでいると右手から声がした。「Kさん」白いテーブルから手をあげるSaeの姿が目に入った。隣にはマダム。「おはようございます」ぼくは近寄ってSaeの横に腰かけた。「今日の午後から混み合うだろうって」Saeが新情報を伝える。下見は午前10時から始まっているが、この時間はほとんどひとが来ていない。「早いうちの方がゆっくり見られるから、さっそく行きましょう」Saeが奥の階段へ向かい席を立った。

 二階は下見会場になっており、その上の三階がセールルームのようである。二階の会場には180センチほどの高さのガラスケースがずらりと並べられ、三段もしくは四段に仕切られているケースのなかに、ぎっしりとモノが置かれていた。その一つに向かってSaeは進んでいき、そして立ち止まった。目の前のケースの中段の真ん中に、万暦豆彩馬上杯が飾られていた。ぼくは息を呑んでそれをみつめる。「これ?」ぼくの問いにマダムがうなずく。「そう、これがわたしたちの家にあったモノ――」マダムは落ち着き払った物言いで指をさす。何かを達観したような言い方に、ぼくはずいぶんと冷静だなと思いつつ、杯に視線を合わせた。

 以前香港で見た成化年間の本歌の豆彩に比べると、色の一つひとつが濃いように思えたが、やはり豆彩らしい上品な柔らかさが全面に漲っていた。万暦五彩の特徴ともいえる文様で空間を埋め尽くす煩雑さは微塵もなく、中国陶磁の最高峰ともいうべき成化官窯の持つ気風を漂わせている。「すごいです!」ぼくは唸った。マダムが目線を馬上杯に沈ませるようにして言った。

 「一昨日、これを見たときに、すぐにわかったわ。一瞬で、うちにあったものだって。フラッシュバックしたのよ、居間のガラスケースに飾られていたときの姿が。そうしたら家族の顔が目に浮かんで……。だから、わたしは泣いたわ。大声を出して。恥ずかしいくらいに泣いたのよ……」Saeがマダムの肩にそっと手を置いた。そうかぁ、やっぱり……。マダムの思いは計り知れないものがあるのだ。以前エリタージュの馬上杯を胸で抱えるようにしてみつめていたマダムの姿が眼裏(まなうら)に映る。

 ぼくがしんみりと聞いていると、後ろから声がした。「あちらで、ご覧になりますか?」振り向くと、30歳くらいの細身の女性がにこりと微笑んでいる。Saeが彼女に手を向け紹介する。「こちらが、B社の中国陶磁部門の担当者」前髪を眉の上できれいに切り揃えたショートボブの女性が名刺を差し出した。「夏(Xia)」とある。「日本人じゃないんですか?」「はい。わたしは中国人です。でも、高校から大学まで日本で過ごしていたので、日本語は話せます」それは流暢な日本語だった。Xiaは細い腕を会場の奥へ向けた。「あちらの部屋でお待ちください」

 ぼくらはいくつかある個室の一つに通された。そこへXiaが馬上杯を両手に抱えて入ってきた。「どうぞ」と言って四角いテーブルの上に置く。「わたしたちは昨日見たから、Kさんどうぞ」Saeの声にぼくはそっと手を伸ばした。

 目の前にすると、色彩の艶がいっそう増したように思えた。宋丸さんは、エリタージュの方が上だと断言していたが、ぼくはさして違いはなくよく似ているなと感じた。横に並べて見るとその差が判るのかもしれないが、その美しさに甲乙はつけられないような気がしたのである。ぼくは少しずつ杯を回転させながらじっくりと見る。そして、赤い花文様のところで手を止めると、花の斜め左上に賦された小さな緑の釉に眼を置いた。これが、このモノがマダムの家にあったという決め手となった箇所である。

 「ここですね。緑がちょっと飛んでいて」ぼくの指先を見てマダムが答える。「そう。わたしはまだ小さかったけれど、よく覚えてるわ。その緑色」Saeが側に立っているXiaに顔を向けた。「Xiaさん。その後、これは注文が入ったかしら?」「いえ。まだです。ただ、コンディション・レポートの問い合わせは10件ほどきています」Xiaは持っているファイルに目を落とすとそう答えた。

 ――コンディション・レポートとは、作品の状態を示した文書のこと。クラックという罅(ひび)が入っているかとか、チップという欠けがあるかとか、修理の箇所がどこにあるかとか、各出品物の状態を細かくあらわしたノートがファイルされており、下見に参加できないひとや、参加するが事前にチェックをしておきたいというひとがこれを利用する。

 出品作品の状態は値段に大きく反映するので、このレポートは精確でなくてはならない。中国陶磁のなかでも官窯という宮廷用につくられた作品は、特にコンディションが重要視される。パーフェクトでないと強い値段がつかないからである。少しでもキズがあると値は安くなり、その具合によっては格段に落ち込むモノもある。現在市場をリードしている多くの中国人は、殊にこのキズの有無に拘泥する。当然キズのない完全無欠な状態であるに越したことはないが、キズがあっても生まれの良い、美質の高い作品が世の中にはたくさんあるのも事実であった。にもかかわらず、昨今市場を席巻している中国人バイヤーたちは、キズが少しでもあると、それを嫌う傾向が強い。日本人はキズを気にせず質を重視し、キズものでも喜んで買うひとが多いが、彼らは違う。極端に言うと、キズの有る名品より無キズの偽物の方を買ってしまったりするのだ。要は、お金は出すがよくモノを判っていないというひとたち――成金にありがちなまだ成熟されていないレベルのバイヤーが結構いるわけであり。裏を返すと骨董の真贋の見極めは、そう簡単に習得することができないということなのだ。

 「これはもちろん無キズですよね?」馬上杯を手にしたままXiaに訊いた。「はい。擦れた部分はほとんどないので、コンディション・レポートは、概ね良好という内容になっています」「そうなると、買い手は多そうですね……」ぼくのつぶやきに、Xiaは笑みを崩さず黙したまま二重瞼の綺麗な目を杯に向けた。

 ぼくは再び杯をみつめた。経年で生じる赤や黄色の上絵付に現れる擦れも確かに少なかった。状態はパーフェクトだ。官窯磁器は状態が命である。香港で仕入れた鉅鹿などは染みに値が付くわけだが、官窯ではそれはNG。極小の欠けがあっただけで値が半分ほどになることもある。――皇帝の器には、一点の曇りもない完璧な状態が求められるのである。

 「他に何かご覧になりたいものはありますか?」馬上杯を見終わった様子をみてXiaは尋ねた。図録の写真にはだいたい目を通していたが、馬上杯に気がそがれていて正直他のモノまで意識が及んでいなかったことに気づいた。会場を見回りながら興味あるモノを選ぼうと思い、「今来たばかりなので、ちょっとあちらを見ながら決めます」ぼくが立ち上がろうとすると、Xiaが思いついたように提案した。

 「まだ静かですので、今のうちに元青花の壺をご覧なりませんか?」「えっ、見られるんですか?」「はい。もちろんです」最も高額である元染壺を手許で見ることができるとは思わなかった。「わたしたちも昨日見せてもらって」Saeの言葉に「本当?」と驚くぼくの様子をみて、Xiaは「今、お持ちします」と言って部屋を出て行った。「きっと今日の午後からひとがどっと押し寄せてくると、たぶんガラスケースのなかでしか見れなくなっちゃうから」Saeにそう言われ、ぼくは口を真一文字に結ぶと鼻から大きく息を吸い込み、両腿を何度もさすった。三代目が20億円はすると言っていた漢宮秋の壺を手に取ることができるのだ。ぼくは胸の高鳴りを感じながら待つ。しかし……、あの華奢な女性が持って来ることができるのだろうか……? 壊しでもしたら一大事である。

 ぼくが不安げな表情で個室の入口をみつめていると、Xiaが入ってきた。手ぶらである。えっ、と思ったら、その後ろから背の高い男性が壺を持って続いた。「エクスキューズ・ミー」金髪碧眼の四十代の男性はテーブルの中央に壺を置くと、微笑みながら名刺をぼくに差し出した。ヴァイスプレジデントとある。Xiaの上司のようだ。いかにもエリートらしい精悍な顔つきで、右手を差し出した。握手をすると爽やかな笑みを浮かべ「ごゆっくり」と言って部屋を出ていった。

 ぼくは名刺をみつめ「ヴァイスプレジデントって、すごっ、副社長のこと?」とSaeに訊く。「直訳するとそうだけど、欧米では、ヴァイスプレジデントはひとりじゃなくて、たくさんいるのよ。その部署のトップのポジションというくらいの地位で、社長の下という意味ではないの」それを受けXiaが言った。「彼は英国人のいわゆるキャリアなので。そういう肩書のひとでないと、高額商品を触ることはできないことになっています」なるほど。会場には多くのスタッフがいて、下見をするひとたちの要望に応じてガラスケースのなかから物を取り出し、ケースの間のデスクの上や奥のスペースに設置されたテーブルに持ち運んでいる。皆若いひとたちで、もちろん慣れてはいるだろうが、粗相があってはならないわけであり。さすがに高額商品となると、しかるべき地位の社員しか触れないのは当然だろう。すると、それを見る方のひとたちはどうなのだろうか。取り扱う側よりも見る側の方に、リスクはあるように思える。下見会場に参加するひとたちすべてが、取扱いのプロではない。ずぶの素人だっているはずだ。万が一のために保険はかけているだろうが、この元染壺を手に取りたいというひと全員を受け入れるものなのだろうか。

 「これって、見たいひとは誰でも、手に取って見られるんでしょうか?」Xiaは首を横に振り「いいえ」と答えた。「これを買われるであろう重要顧客か、もしくはよく知っている古いディーラーか。こちらで選択をしたひと以外は、お断りをしています」それを聞きぼくはSaeに目を向けた。それを見てマダムが言う。「そう。つまり、Saeさんと一緒だから、わたしたちは手に取ることができるわけよ」Saeが笑って答えた。「正確にいうと、わたしじゃなくて、わたしの父よ」エリタージュにある中国陶磁の一大コレクションは、Saeの祖父が大元を築きファーザーがそれを受け継ぎ成してきたもので、世界的にも知られていた。各オークションハウスも一目置く存在なのである。

 ぼくは改めて、主役の名品に目を注いだ。そこには、写真では伝わらない迫力があった。原料であるコバルトをふんだんに使った青花の濃厚なブルーが目に沁みる。特にたっぷりと載った部分は、青を通り越して黒に近い照りをみせている。そして、なんといっても画力の凄さだ。聳え立つ岩肌の大胆な描写と、女性の衣装の細かい柄文様にみえる繊細な線の筆致など、専門の絵師でないとあらわせない超絶さが随所にあった。

 元はモンゴル民族による国家で、それまで中国を支配していた漢民族を低い層に堕とし虐げたといわれている。これは、宮廷画家の地位をはく奪され片隅に追いやられた漢人の名手が、その思いの丈をぶつけて描いた渾身の作といっても過言ではない。それほどの迫真性に満ちあふれていると感じた。いかなる背景はあろうが、優れた作品には作者の魂がこもっているものである。ぼくは圧倒され、壺に描かれた絵をしばしみつめていた。これから異国へと旅立つ王昭君の浮かない表情が眼に入る。それはより現実味を帯び、ぼくをもの悲しい気分にさせた。

 Saeがテーブルに両手をついて壺に顔を近づけ、ふっと笑った。「やっぱり、凄いわね。間近で見ると」ぼくは口元を緩め冗談めかして訊いてみた。「買わないの?」「ふふ。そうね。たしかに、こんなのがあったら最高でしょうけど、さすがに、ちょっとねぇ……」そう言うと、ゆっくりとXiaに首を動かした。「こちらはもう注文が結構入ってるんじゃないかしら?」すぐにXiaが肯(うなず)いた。「はい。現在のところ電話ビッドが7~8件入っています。おそらく、当日は20台用意してある電話が全部埋まるでしょう」マダムが納得というような顔をし、「これだけのモノだから、たいへんな金額になりそうね」「じゃあ、23億円、超えますか?」ぼくの頭に三代目の言葉が浮かぶ。「いくかもしれないわね。ここのところの過熱ぶりをみると」マダムはそう言うと小さな笑みを漏らし、王昭君の顔の部分を指先でそっと撫でた。

 

 その日の午後は別行動となり、ぼくは独りメモ書きの紙を持ち、Saeのいるホテルからすぐ近くのマウントストリートを歩いていた。曇りがちであった空は、すっかりと晴れわたっている。三代目の話よると、マウントストリートはいわゆる骨董街の一つで、以前は名店が軒を連ねていたようだが、最近では通りの様相も変貌し古美術店もめっきり減ったということだった。そのなかで唯一といってもよいくらい残っている名店があり、そこではたまに往年の蒐集家の旧蔵品が出るという。半世紀前までは英国にも貴族階級の名コレクターが数々いたが、世の趨勢とともにこうした特権階級の富が失われていくと、営々として築かれた名コレクションも、主(あるじ)の死にともなって散逸するケースが一般的となった。これを引き継ぐことのできる蒐集家がイギリスに現れなかったことで、百年以上続いた固陋(ころう)な老舗が次々と終(しま)うことになったのである。

 「どうやら、ここだな」ぼくは古びた煉瓦造りの建物の前で手にしたメモ書きを確認し、もう一度店の外観を見回した。どこを見ても特に店の名前らしきものがなく、厳めしいフラッグも突き立てられてもいない。本当にここだろうかと、ぼくは首を傾げ不安気に入口のガラス戸の前に立った。するとその扉の上方に伝統的な欧文フォントで店の名前が記されていた。それを見て、やはりここでまちがいないと、そっと扉を開いた。「すみませ~ん」声を出してなかへ入る。そこは、濃いベージュ色の壁に囲まれた、いたって質素なギャラリーだった。一面に敷かれたモスグリーンのカーペットが、英国らしい重みを感じさせる。

 やがて、チャコールグレーのスーツを見事に着こなしたひとりの老紳士が現れた。刻まれた深い皺が七十を優に越していることを思わせる。この店の主人のようだ。背丈はぼくと同じくらいだったが、背中が大きく丸まっているので一見小柄にみえた。老紳士は、まるで深い芝の上をゆったりとした足取りで歩む駱駝のように、口元の皺を引き上げながら静かにぼくに近づいてきた。

 「ようこそ、おいでくださいました。お客さま」貴族に仕える執事のような物腰の柔らかい言い方だった。ぼくは慌てて挨拶をした。名刺を差し出し、三代目の名前をあげながら本日参った旨を伝える。すると、大きな瞳が細く下がり「こちらへ、どうぞ」と片手を後方へ広げ、ゆっくりと身体を回した。それにつれ湾曲した背中が目に入る。ぼくは老紳士の背をみつめながら、奥にある応接室に向かっていった。

 部屋は、テーブルを挟んで二人掛けのソファがあるだけの簡素な設えだった。日本であればお茶が出てくるのだろうが、ひとりで切り盛りしているのか、他に人の気配がない。老ディーラーは隣の商品棚らしきところから、一点一点緩やかな動作でモノを運んでくると卓の上に置いた。皆寸法の小さな皿だった。そのなかで、北宋時代の影青(インチン)と呼ばれる青白磁の色が際立っていて、ぼくはそれを手に取りしばらく陶然としていた。「うつくしいです」老紳士はぼくの反応に笑みを浮かべると、大きな鷲鼻に小ぶりの丸眼鏡をかけ、「これは、英国東洋陶磁学会の展覧会に出品されておりますから、特別に優れた作品でございますよ。お客さま」と言って器を裏返し高台内に指をあてた。そこは「Oriental Ceramic Society」と印刷された楕円形のシールが貼ってあり、中央の空欄に「1954」と数字が万年筆で書かれている。おそらく、1954年の英国東洋陶磁学会の展覧会に出品されているということだろう。

 ――英国東洋陶磁学会(Oriental Ceramic Society)は、1921年にイギリスで発足した世界で最も権威のある陶磁学会である。この展覧会に出品されることは、コレクターにとって名誉なことであり、来歴を重視する現市場では大きなアドバンテージにもなっている。この影青の小皿は、ロンドンでも数少ない昔を知る店に相応しい一品といえた。

 老齢の美術商は、再び商品棚の奥に消えた。三代目によると、彼はもともと高名な老舗の番頭を務めていて、その店のクローズにともない、独立して店を出したということだった。長きに亘り英国の良き時代の名立たる蒐集家と交わり、古美術の髄を存分に味わってきたのであろう。この質実な雰囲気からすると、現市場に乗って利益を追求する気はさらさらなく、自分の扱ってきた品々を、少しずつ丁寧に思いを込め、数寄者のもとに送り出しているように思えた。

 老ディーラーは小さな白い支那箱を大事そうに抱えて戻ってくると、弓なりの背中をいっそう丸めるようにしてテーブルの上に置き、屈みながら上蓋を開いた。なかにはこれも小ぶりな皿が入っている。皿の両端を丁寧につまんでぼくの目の前に差し出した。径6~7センチの至極小さな皿で、日本でいうと、塩を盛る「塩皿」くらいの寸法である。染付で何やら文様が描かれているが、一目では判らず、ぼくは手に取るとぐっと顔を近づけた。

 見込み中央には、長い提げ手を持つ竹籠と、そのなかに散りばめられたいくつかの花々が軽やかな筆致で繊細に描かれていた。俗に、花籠(はなかご)文という吉祥図案であり、その周囲を松、竹、扇子などの文様が舞うように巡らされている。おめでたい図柄として時どき目にする文様であった。

 よく見ると、艶やかな染付のコバルトの色の上に、赤と黄で極小の点がちらほらと置かれている。ちょうど竹籠の下と提げ手の部分に、ちょこんと付いているのだ。それがなんとも可愛らしかった。裏を返す。二重円圏内に、「大明萬暦年製」銘が染付の二行書きで記されていた。銘の書体からして本格的な万暦官窯の作品である。その高台内の銘の左側に一つシールが貼り付けてあった。コレクターのイニシャルだろうか、「RAB」の太文字が地の山吹色にくっきりと浮かんでいる。

 ぼくは再び返して見込みをじっと見た。紫がかった濃いコバルトの色が、万暦官窯らしい特徴を示している。特にこれは、滑らかで鮮やかな発色を呈しており、上手(じょうて)の作と判った。そして、そこに賦せられた赤と黄色の僅かな点にじっと眼を置いた。これはいったい、どういうことだろう――。

 万暦官窯の主流は、青花磁器の上から、赤、緑、黄、茶などの色を載せた色彩豊かな五彩(ウーツァイ)と呼ぶ作品である。日本では、色絵とか赤絵と呼び、なかでも万暦の作は「万暦赤絵」と呼んで殊にもてはやされた。もちろん上絵付のない青花のみの優品も数あるのだが、万暦官窯の真骨頂は、種々な色で覆われた五彩磁器なのである。

 五彩の手法は、青花磁器をつくった後に、様々な色を釉の上に配し、再び低温焼成して焼き付ける。つまり、二度窯に入れることで完成するのだ。手間がかかるこの工程では、当然コバルトの青よりも、上絵の赤や緑といった色に比重が置かれるわけであり、その華やかさを獲得したことにより、中国陶磁は新たな境地に入ったともいえる。

 そのなかにおいて、これは相当な異色作だ。作品的にみれば、青花だけで充分完結しているのだが、ほんの少々赤と黄を使っている。せっかくもう一度窯に入れるのだから、もっと色をさして上絵を強調したらよいところを、あえて赤と黄の点彩だけに留めているのだ。そこには、官窯とはいえ陶工の遊び心を匂わすような小洒落た面白さがあった。そして、その瀟洒な趣が、かえって品格ともいえるある種の威厳を、僅か6~7センチの豆皿に与えているように感じた。

 こんなに小さいのに、充分な気品を放っている。正に、官窯中の官窯だ。ぼくが眼を爛々と輝かしながら小皿をみつめていると、老ディーラーは再び支那箱のなかに手を入れ、浅い底から掬うようにして、もう一枚小皿を取り出しぼくの前へ置いた。新たに出された小皿を見て「えっ」と声を漏らす。同じ図柄で、同じように赤と黄の上絵が点々と付いている。その位置は微妙に違っていたが、同手の作品だった。一枚でも珍しいのに、二枚もあるのか――。ぼくは思わず目を丸めて老店主の顔を見上げた。彼は愉しそうな笑みつくりながら、裏を返した。同様に万暦銘が記され、これも同様に「RAB」の文字シールが貼り付けてある。そのシールに皺枯れた人差し指を当てると、老店主はゆったりとした口調で語り始めた。ぼくはそれに応じ、肯いたり首を振ったりした。

 

 ――リチャード・バーネット。お客さまは、この名前をお聞きになったことはございませんか?  そうですか。……そうでしょうねえ。お客さまはお若いのでお知りにならないでしょうが……。それでは……どうでしょう、パーシヴァル・デイヴィッド卿の名は知っておられますかな? そうですか、知っておられる。はい、そうでございましょう。中国陶磁のコレクターではあまりにも有名ですからねえ。バーネットさまは、そのデイヴィッド卿がおあつめになられた時期に、同じように中国陶磁を蒐集された有名なコレクターなのでございますよ。いえいえ、今では知らない方も多くなりましたので、お気になさらずに。それはもう、たいそうなお目利きでしてねえ。バーネットさまは、あのデイヴィッド卿が一目置いたほどの名コレクターでございました。わたくしどもの若い頃には、イギリスにもこうした見識の高いコレクターがたくさんいたものです。皆さまお亡くなりになって、コレクションも散逸してしまいましたが……。バーネットさまには、若い時分からご贔屓にさせていただいておりましてねえ。このシールは、そのバーネットさまの所蔵品に付けられております。「RAB」。このマークのモノをみるとねえ、やっぱりすごいなあと感服の至りといいますか、審美眼の高いおひとだったんだと、つくづく思いますねえ。ほんとうに。

 

 老ディーラーは目を細めるとゆっくりと深く首(こうべ)を垂れ、両方の指の先をそっと小皿の縁に当て、慈しむようなまなざしをそれに注いだ。ぼくも裏面の「RAB」に目を落とした。リチャード・バーネット――。「R」と「B」はその頭文字だろうが、真ん中の「A」はいったい何だろうと疑問がわいたが、このときそれは、ぼくにとってどうでもよいことであった。それを問う前に、ぼくは訊きたいことがあったのだ。――この小皿の値段である。ぼくは、どうしようもなく、この瀟洒な一品に魅了されてしまっていたのだ。

 

 ――お値段ですか? お気に召されましたか。ありがとうございます、お客さま。こちらは、二点一組になってございまして、お値段は、2万ポンドでございます。

 

 2万ポンドというと、日本円で約400万である。う~む……。ぼくは腕を組み、首をひねった。そりゃあ、そうだろう。小さくても、秀抜な作品である。簡単に買える額のはずはない。ぼくは大きく一つ息を呑み込むと両腿に手を置き背筋を伸ばし、粛然とした気持ちで目の前に並んだ二つの小皿を交互にみつめた。正当な美しさと可愛らしさの両方が、この僅少の皿にあらわれている。英語であらわすと、ビューティフル&チャーミングとでも言うのか。なんと、心をくすぐる作品であろうことか。ぼくは深く眼を閉じるとしばし熟考し、そしてある結論にたどり着いた。二つで400万なら、一つだと200万か。よしっ。一つなら、何とかなりそうだ。ぼくは尋ねた。

 

 ――おひとつでございますか? わかりました。それは、どうもありがとうございます。それでは、お客さま。少しだけわたくしの話に耳を傾けていただけますでしょうか? よろしいですか? はい、ありがとうございます。これは、世にも珍しい品物です。一点だけでも充分な価値がございます。ですから、おひとつだけおもとめになりたいというお気持ちは、まったくよくわかります。しかし、こういう稀なる品は、もともとペアでつくられている場合が多ございます。中国陶磁は、装飾性の強い大形の瓶や壺、それと極小の珍奇な置物など、特別なものはたいてい対をなしてつくられるものでございます。これもその一つだと思います。おわかりかと思いますが、これは極めて稀有な作品でございます。わたくしも長年中国陶磁に携わってきましたが、ついぞこの二点しか見たことがございませんでしたよ。ああ、ごめんなさい。話が長くなってしまいましたねえ。でも、もう少しそのままお聞きくださいませ。

 この裏のシールをご覧ください。先ほど申し上げましたとおり、これはリチャード・バーネット旧蔵品でございます。バーネットさまは優れたコレクションを築きましたが、亡くなられた後は、奥方さまがそれを受け継いでコレクションを拡げました。ミセス・バーネットも旦那さま同様、いやそれ以上の高い鑑識眼をお持ちの方でございましたよ。それは、もう、びっくりするくらいの。今、お客さまの左にあるお皿ですが。はい、それです。それは、旦那さまがイギリスで手に入れたものでございます。あるとき、同じようなものがもう一点あることが、英国東洋陶磁学会の権威ある学者によって判明したのです。お客さまの右にあるお皿です。そうです。それが、イタリアフィレンツェの高名な蒐集家のもとにあったのでございますよ。このお方は、たいそうなお屋敷に展示室を設けて、ご自身のコレクションを飾られていました。バーネットさまが亡くなった後、奥方さまは足しげくフィレンツェの御屋敷に通い、そのお方と交流を深め、そして約束を取りつけたのでございます。この皿は自分が亡くなった後はあなたに譲る、といったお約束を。奥方さまは、よほど執着されていたんですねえ。この小さなお皿に。それはまるで、ご自分に課せられた使命であるかのようでございました……。しかし、なんということか、そのお方がお亡くなりになった直後、すべてのコレクションが遺族のひとたちによって売り払われてしまったのです。奥方さまの落胆ぶりは、それは凄まじいものでした。見ていられないくらいでしたよ。わたくしどもは、もういたたまれなくなって、懸命に小皿の行方を追いかけたものでした。

 しかし、みつかりませんでした……。それから、どのくらい経ったでしょうか。十年くらい後の話だったと思いますねえ、あれは。奥方さまが久しぶりに、旦那さまの故郷であるスコットランドエジンバラを訪れたときのことでございました。小さな骨董店に、この小皿が並んでいるのをみつけたのでございます。なんという奇蹟でしょう。いや、奇蹟ではない、これは旦那さまが引き合わせたんだって。もっぱらわたくしどもは、そう思ったものでしたよ。そのときの奥方さまのお喜びようったら、それはもう。あのおうつくしいお顔をくしゃくしゃになさって……。今でも目に浮かびますよ。わたくしも一緒に涙したものでございます。

 ――奥方さまのお名前ですか? はい。アンでございます。Anne。バーネットさまのコレクションは、旦那さまと奥方さまのおふたりで築かれたものでございます。ですから、シールには「RAB」の三字がご夫妻の絆を示すように、太い文字で記されております。そう考えますとこの二枚の小皿は、バーネット・コレクションを象徴するものかもしれませんねえ。実に、まったく。

 だから――、離れ離れにしたら、不可(いけ)ません。わたくしは、そう思うのですよ。お客さま。

 

 了解した! とぼくは思った。そして、言った。もう一日待ってください、と。老齢の美術商は曲がった背中を微動だにせず、結構でございます、と優しく微笑んだ。よしっ、こうなったら、頼るところは一つしかない。ぼくは上着の内ポケットから携帯電話を取り出すと、Saeに連絡をとった。

 

 

 「それは、ギルのお店ね」Saeの長い髪がそよ風にふわりと揺れた。

 ぼくは、メイフェアにある小さな公園のベンチに座り、豊かな緑の風景を眺めながら思案していた。出発前にF会長から定窯碗の入金があり少し余裕ができたが、さすがに400万となるとぼくの全財産に等しいわけであり、悩ましいところであった。ただ、あの小皿のストーリーを聞いた以上は、一つだけ買うわけにはいかず。そうなると、取り敢えずSaeに立て替えて支払ってもらい、日本に戻ってから返そうと考えていたのだ。

 「Kさんさえよければ、パパに買ってもらえるんじゃないかしら。そんなに珍しいモノだったら」「そりゃあ、そうなってくれたら嬉しいけど……。でも、無理に勧めたくはないし」「わかった。取り敢えず、わたしの方でギルに話すから、代金はこちらで送金するわ。そうしないと、品物を受け取れないでしょ?」ぼくは深く頭を下げる。「そうしてくれると、まったく、ありがたいです」

 5月中旬のロンドンは、翌月からのベストシーズンに向け、日も長くなり晴れる日も増え、過ごしやすくなっていた。こうして静かな公園のベンチでのんびりしていると、東京の喧騒が慌ただしく感じられ、都会的とはいったい何だろうという思いがぼくの胸に浮かんだ。上を見あげた。透き通った青い空が広がっている。ぼくはその青の色をみつめながら、この空は東京よりもずっと遠くにあるような感じがした。大学時代に一度ベトナムホーチミンを訪れたことがあったが、あのときの空の色は、今にも落ちてきそうな強い藍色をしていた。イギリスの空の色は、今まで見てきたどこのそれとも違う、何か不思議な清らかさがあるように思えた。冬になると日照時間が短くなり、毎日のように重苦しい鉛色に包まれ、夏であっても移ろいやすい灰色の雲に覆われることが多い――そんな場所だからこそ、この青い空の色は、何か尊さを持って遥か彼方からやってくる、そういうもののような気がしたのである。そして、その魅力的な空の色と重なるように、ギルという背むしの老美術商の姿が瞼の裏に映った。それは、この青空と表裏一体である英国らしさなのかもしれないと、ふと思ったのだった。

 

 Saeがくすりと声をたてた。「ん? どうしたの?」「だって、今、こうして、ロンドンの公園でKさんと一緒にいるなんて……、なんか不思議。一年前は想像もしてなかったから」「まあ、たしかに、そうだね」Saeは手を合わせると両腕をまっすぐ前に伸ばし、ぼくの顔を見ながらキュッと口角を左にあげ微笑んだ。アクアスキュータムのスーツが公園の景色と調和している。Saeはゆっくりと腕を下げると、合わせた両手をチェック柄のスカートの上に置いてうつむき、「わたし……、将来パパから仕事を受け継がないかって、言われているの」とつぶやくように言った。「わたし、ひとり娘だから、いずれお婿さんをとって、家を継ぐのかなあって思っていて。それも、いいかなあと思うんだけど。でも何だか最初から、敷かれているレールに乗っかるみたいで……」

 微風にSaeの長い黒髪がまた揺れた。それを整えるように指先でいったん髪を梳くと、大きな瞳をぼくの顔にあてた。「Kさんみてると、なにか、生きてるなあって気がして」ぼくは思わず吹き出した。「なんだよ、急に。生きてるって」Saeの真剣なまなざしをぼくは見返す。「ただ、もがいてるだけだよ。ぶざまにさあ」Saeは首を横に振った。「違う。ぶざまなんかじゃないわ。Kさんの眼、とても活き活きしているもの」彼女は瞳に力を込め問うた。「充実しているでしょ? 今?」

 三年前に会社を辞めてから、いや、辞める前のことまで含めて考えてみると、今は確かに愉しいと思った。将来に対する不安はもちろんあるが、その不安すら気にする余裕もないのが本当のところであって、それはつまり、充実しているってことなのだろうか。今は正直、一日一日のことしか考えられないのだ。

 「うん。まあ。そうかも」ぼくは少し間をおいてからそう答えた。Saeがふっと笑みを浮かべた。「わたしもよ。実は今、充実しているの。Kさんや、マダムと一緒にいると、生きてるって感じがする。でも、そうじゃないときは……、なんか……、生きてないっていうか……」Saeは再び長いまつ毛を下に向けた。意外なその言葉にどう答えてよいかわからず、ぼくは少しのあいだ口を閉ざした。やがてSaeはぼくの顔をじっとみつめると、二度大きく瞬きをし、覗き込むようにして訊いた。「ねえ、Kさん。今わたしのこと、お嬢さまのくせに悩みがあるんだって、そう思ってるでしょ?」「いや、いや、決してそんな……」「本当に?」「うん、本当。でも……、きみもそうやって、悩むんだなあって思うと……、ちょっと、びっくり」「ほら、同じことじゃない。やっぱり、そう思ってる」Saeは口をとがらせた。ぼくは答えた。「違うよ。でも……、なんか……、うん。ほっとする」「えっ、何? ほっとするって?」Saeは不思議そうな顔をして、しばらくぼくに目線を注いだ。そして、ふっと口元を緩めると、「Kさんって、相変わらず、面白いわね」と言って、両手で口を覆うと身体を小刻みに揺らし、くっくっと笑い出した。

 ぼくはこれまで、Saeのことをお嬢様だからといって距離を置いてみたことはなかった。しかしどこか心の隅で、自分とは違うという思いがあったことは否定できない。Saeも自分自身の将来に悩みを抱いていることを知り、なんだか身近に感じて、心がやわらいだような気分になったのである。

 Saeは笑ったかと思ったら、大きな瞳をかすかに細めて遠くを見やり、「わたし……、これでいいのかなあって。いっつも、不安なのよ……」と言って口を結んだ。

 ぼくの目の先に、ゆるやかに流れていくちぎれ雲が映った。やがてこれは、風に吹かれて大海を渡っていき、そしてそのあとはどうなっていくのか。途中で消えゆくのだろうか、それともまた大きな雲に吸収されていくのだろうか。はたまた同じ形を崩さずに進んでいくのだろうか。その行方の誰も知らない小さな雲の群れを、ぼくはしばらくぼんやりとみつめていた。

 

 「さあ、ギルのことろへ行きましょう」Saeが勢いよくベンチから立ち上がった。「そのあと、もう一度下見会場へ行きましょう。マダムも待ってるわ」「うん。了解」薄い雲がかかりやや翳りをみせた緑のなかの小径を、ぼくはSaeと並んで歩き出した。ほどなくして、Saeが再び口元に手をあて、くすりと笑った。「何?」ぼくの問いかけにSaeは「ううん」と小さく首を左右にふって、「Kさんって、面白いわね」と先ほどと同じ台詞をつぶやくとまたくすりと笑った。そして、笑いながら急に歩く速度をあげた。「えっ、何が?」ぼくが彼女に顔を向けたとき、雲の谷間に隠れていた太陽が一瞬顔をのぞかせた。その陽光がポプラ並木に反射して、Saeの上着の格子柄の模様をいっそう際立たせた。

 

  (第44話につづく 2月26日更新予定です)

青花花籠文小皿一対 明・万暦在銘

 

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