骨董商Kの放浪(36)

 新幹線で名古屋までいくと、地下鉄に乗り換え終点で下車し、そこからバスに乗り込んで30分ほど走った。時おり窓から見える桜は、まだ五分咲きくらいだろうか。ぼくの両膝の上には、風呂敷に包まれた箱が一つ乗っている。

  バスは、広大な敷地に入ると3分程走行し、やがて正面玄関の前で停まった。何人かが席を立つ。ぼくも風呂敷包みを片手にリュックを背負うと、彼らのあとに続いてバスを降りた。すぐに『中国古代の暮らしと夢』という展覧会の見出しが目に飛び込んできた。三十数年前につくられたのであろう巨大な建物は、高度経済成長期の名残をとどめた、ある種の堅牢さを漂わせていた。ぼくは、そのだだっ広いエントランスをくぐり、受付へと向かった。

 しばらくそこで待っていると、左手奥のエレベーターが開き、ひとりの男性が歩いてくるのがみえた。ぼくの姿を確認すると、四十代半ばの眼鏡の男性は「やあ」というふうに片手をあげた。C先生である。ぼくは頭を下げる。「こんにちは」「よく来てくれました。さあ、どうぞ」先生は笑顔でエレベーターに向かった。

 2階で降りると「先ずは、学芸室の方へ。そこで話しましょう」先生は、学芸員や事務員のデスクがずらりと並んでいる部屋に入ると、自分のデスクへ向かい、雑然と積まれた資料のなかから引き抜いた何枚かの用紙を、パソコンの横に投げるように置いてから、ぼくを隣の小部屋へと案内した。二メートル四方の大きな机が一つだけある部屋は、ちょっとした応接室も兼ねているようで、隣の大部屋とは隔絶した空間をなしていた。ぼくは腰かけると、風呂敷包みをその広い机の上に置いた。

  

 今回の元染の騒動というか事件というか、このあたりのいきさつに関しては、ひと通りC先生に伝えてあった。

 売立図録や古箱の偽造などのやり口からして、元染瓶が贋物であることは疑いないところであったが、実際ぼくはまだ完全に納得したわけではなかった。

 ――今ここにある元染が、本当にニセモノなのか。オークションハウスがそう判定したとはいえ、釉調や染付の色合いなどに、時代がありそうな気分があらわれていて、ひょっとしたら本物かもしれないという一縷の望みをぼくに抱かせていたからである。そこには、才介の側に立った思いがあることは否定し得なかったが、ただそれだけではない、釈然としない何かがぼくの腹のなかに蠢(うごめ)いていたことも確かであって。

 なので、今日ぼくはそれを確認するためにここに来たのだ。元染の専門家であるC先生の見解を識(し)るために。そしてなんといっても、「現在景徳鎮で驚くべきレベルの贋物がつくられている――」という彼の発言が、頭のなかを駆け巡っていたからである。

 

 さっそくぼくは風呂敷包みを解いて、中身を取り出した。C先生はすぐに玉壺春を手に取り、眼鏡をはずすと顔の近くで回しながらみつめた。しかし、その動作は長くは続かなかった。学者は瓶をテーブルの上に戻すと、小刻みに首を縦に振った。

 「これは、やっぱり、最近つくられたモノだと思います」予想はしていたが、あまりにもあっけない決着に、ぼくは口を開けたまま瓶を見つめるしかなかった。そして目を閉じ下を向く。一縷の望みが絶たれたのだ。その刹那、落胆した才介の顔が脳裏をよぎった。

 しばしの沈黙ののち「どこが……ですか?」ぼくは力なく問いかけた。「どこがっていうと……」先生は顔を上げやや考えたあと「分析するのは難しいですね。言葉であらわすなら、違和感を覚える、とでもいうのでしょうか」

 C先生の言わんとすることは、なんとなくわかった。古美術の真贋の判断は、感覚的な部分に因るところが大きい。三代目も授業中そんな言い方をよくしていた。専門家が持つ第一印象が、すべてを物語るのだ。ぼくもこの元染に対し、なんとなく良いように思え、またなんとなく違うように思えていたので、その違和感という表現の意味を素直に感じとることができた。

 C先生がぼくを見据えた。「ただ、ひとつ言えることは、これは、かなり水準の高いニセモノだということです。誰しも、迷うでしょう」先生は再び瓶を手にすると、「胎土(たいど)の色、染付のコバルトの発色、めちゃくちゃよくできています。ただ、ちょっと手取りが重いかなあ」先生は両手で包むようにして底部をやや持ち上げながら、確認するように言った。

 ぼくは、首が折れていることを思い出し尋ねた。C先生は二三度首肯したあと、「そうなんです。元染の玉壺春は、たいてい首に損傷があるものです。これに関してはぼくの所見ですが――。元から明へ時代がかわったとき、明の最初の皇帝である洪武(こうぶ)帝が、それまで虐げられていた漢民族の思いを込めて、モンゴル王朝を象徴するこの玉壺春の首の部分を撥(は)ねたのではないかと考えているのです。首切りですね。だから、だいたい首が折れてたりする」「――これも、折れてます」それを聞きC先生は「はい」と小さくうなずくと、「これは、巧妙なニセモノですね。キズがあると値打ちは下がるが、この場合、より本物に近づけるため、あえてキズをつけた。だから、かなり高度な贋物集団の産物といえると思います」

 要するに、首にキズがあることも、“罠” だったのだ。

 C先生は横に置いてある古箱を一瞥した。「これも、古い茶道具の花入の合わせ箱でしょう。貼り紙は、古色を付けてつくられています」先生は、いかにも時代を経て退色したようにみせている箱書きの貼り紙と墨書をみつめ、「最近は、印刷技術の精度が高まったので、時代の経た図録や箱書きの貼り紙など、極めてよくできたものを見かけます。こうしたものはまだ日本には入ってきていませんが、台湾とか中国とかでは、かなりの数出回っていますよ」そう言ったあと、つけ加えるように「それと、『元染付』という呼び名は、日本の伝来品にはなかったと思います。戦後になってからじゃないかなあ」やはり、そうか――。三代目も同じようなことを言っていた。

 

 C先生の話しを聴き終えて、ぼくは自分の未熟さを改めて痛感していた。ハイレベルの贋物とはいえ、それを微塵も感じ取れず、時代があるのではないかという感覚を最後まで払拭できなかったこと。「来歴」というキーワードに振り回され、肝心のモノ自体に対しての着眼を軽んじていたこと。

 真贋の問題というのは、言うに及ばず生易しいものではない。ある意味果てしないものだ。まだまだ駆け出しの分際にとっては、どう転んでも太刀打ちできないことくらい百も承知だ。ただ、しかし、それでも、己(おのれ)が情けないように思えてならなかったのである。

 

 ぼくは嘆息し、そして思案した。実は今日、C先生に見てもらおうと思って、もう一つモノを持参しているのだ。あの市場(いちば)で買った唐三彩碗である。ぼくはちらりとリュックに目を向けたが、それに手を伸ばす気力が湧いてこなくなってしまった。

 「ああ、これですね。はいはい、中国でよくみかけます」なんていう、あっさりとした判定が下されるような気がして。また、「まったくわかりやすいニセモノ」という飾り気のないストレートな返答がかえってきそうな気がして。いとも簡単に打ちのめされてしまうであろうことを考えると気が鬱し、ぼくはじっと口を閉ざしうつむいていた。そんなぼくの様子を見て、元染のショックからかと思ったのか、「このクラスの贋物となると、ぼくらでも迷うことが多いですよ。モノを見ていない学者は、たいてい間違うでしょうね」と慰めの言葉をかけた。「はい」とぼくが答えると、「では、展覧会をご覧ください。ご案内します」と席を立った。

 そして、部屋の扉の前でいったん立ち止まると振り返り「しかし、Kさんの仕事は、怖いですね」と、学者は一言そう漏らした。

 

 展覧会場は二つの部屋にまたがっていた。それぞれ百坪ほどの広大なスペース。壁際の陳列ケースは四方にわたり、中央には四~五台の独立ケースが置かれ、そこに百点を超える、大小さまざまな作品がずらりと展示されている。広さとともに天井の高さもあってか、昨秋観た東京の美術館とはまた違った壮観さが感じられた。

 「うわあ、広いですねえ」ぼくは入口で首を伸ばすように眺めつつ、感嘆の声をあげた。「今回は、けっこう大きな作品が多かったので、この広さが活きました」先生は満悦の表情で、一点一点に目を置くようにして、首を大きく左右に動かした。

 ぼくは最初から順繰りと観て歩いた。「水榭(すいしゃ)」という池中に建つ望楼と楼閣は、三層もしくは四層からなり、高さが一メートルを超える巨大な作品が何点もあった。それが、充分な間隔を持って並べられているので、ゆったりとした気分をもって観ることができる。

 ――「いいでしょうねえ。あそこは広いから」あのときの総長のコメントを思い出し、ぼくは何度も肯いていた。

 「今回は、総長のコレクションがだいぶ入ってますね?」次々と目に入る作品を観ながら、「ああ、これも」とぼくは指さす。「はい。総長のコレクションがないと、この展覧会は実現されなかったでしょう。総長さまさまです」先生は笑った。「総長のコレクションは全部見たんですか?」

 そう言ったとき、贋作堂から買ったという二体の黒陶俑が頭に浮かんだ――。ぼくがそれを「模造品です」と伝えると、総長は「写しモノでもいいと思ってるんです」と答えたのだ。

 「だいたい見ました」C先生は口元を緩めると、「正直ニセモノもいくつもありましたが……」先生は中央の大きな独立ケースに向かい歩を進めた。

 「この企画を総長に相談しに行ったとき、実は、レプリカも出してくださいと言われたんです。テーマは、中国古代の人びとの暮らしだから、それを想起させるレプリカだっていいんじゃないかって提案されたんですが……。でも、美術館での展覧会ですので、やはり、レプリカは並べられません。観に来られるひとを混乱させるわけにはいきませんので。そう言ってお断りしたら、総長は、あのいつもの柔和な笑みで『はい』と了解してくれました」

 C先生はケースの前で足を止めた。「だから、名品だけ、選ばせていただきました」と、飾られている四合院に手のひらを向けた。

 明時代につくられた、当時の富裕層の住まいが実にリアルに再現されている、世界に類例のない建築明器。総長の展示室に入ったすぐ左手に飾られていたご自慢の一つである。素焼きした表面に付着している発掘時の泥土が、この作品の持つ風情を演出しているようだ。総長の展示室でも異彩を放っていたが、この大空間に置かれると、よりいっそう輝きが増しているように感じられた。「やっぱり、名品ですね」その姿を目の当たりにし、ぼくはにっこりと微笑み、深くうなずいた。

 ぼくらは独立ケースをぐるりと回りながら、しばしこのミニチュア家屋を鑑賞した。すると、C先生が尋ねてきた。「総長が、ご自身のコレクションを、何と表現しているか知ってますか?」そんな話は聞いたことがなかった。「知りません」ぼくがそう答えると、先生は目元に優しさを滲ませて、穏やかに語り始めた。

 

 「好(よ)かれ悪(あ)しかれ、私の現(あらわ)れ」「?」「好かれ悪しかれ、私の現れ」先生はなぞるように繰り返した。

 「好いモノも、悪いモノも、つまり、名品も贋物もひっくるめて全部、自分のコレクションであり、そしてそれらは、すなわち自分自身をあらわしているんだ、というふうに解釈しました。わたしは、仕事上いろんなコレクターと出会ってきましたが、こんな心境になれるひとは、滅多にいないんじゃないかなあ。ニセモノにも、愛情を注げるひとなんて。まるで仏様のような方ですよ。だから、ぼくは、総長のファンになったんです。そして、このコレクションを軸とした展覧会を、是が非でも開きたいと思ったんです」

 

 ぼくはじっと四合院を見つめながら、地下の展示室で初めてこの大作を目にした日のことを思い出していた――。

 あのときぼくは、米色青磁の贋物を買ってしまったことに頭を痛め、あれこれと思い悩んでいた。40万で買ったものを処分したら10万になり、しかもそれを贋作堂が買ったことを知らされて。ぼくの胸はくさくさしていたのだ。

 そんななか、総長は黒陶俑のニセモノを「それはそれでいい」と言って微笑み、この家屋の斜め上から注がれる照明の光に対し「これは、朝陽でしょうか? 夕陽でしょうか?」と純朴な眼でぼくに問いかけたのだ。虚を突かれたぼくが「夕陽でしょうか」と答えると、なんともいえない笑みをたたえて、「ぼくは、朝陽だと思うなあ……」と感慨深げに言ったのだった。

 その慈愛に満ちた表情を見たとき、ぼくは、塞いでいた気持ちがふっと和らいだように思え、贋物とか本物とか、そんなことはもはやどうでもいいという気分になったのを覚えている。

 圧倒的で、超越的で、永遠的で、神秘的で――、どう形容したらよいかはっきりわからないが、何か大いなる優しさのようなものに包み込まれた気持ちになったのだ。今、元染の贋物に対して抱いている不条理な感情も、この展示品から繰り出される総長の仏様のような顔を前にすると、なんだか救われたような気がしてきて、ぼくはいつの間にかにっこりと微笑んでしまっていた。

 だから、ぼくはC先生に面と向かって宣言したのである。

 ――「ぼくも、大ファンです!」と。

 

 壁面ケースに並んでいる「猪圏(ちょけん)」と呼ぶ厠(かわや)付き豚舎(とんしゃ)を前にして、ぼくはまたにっこりとした。今日はこれで何度目だろう。

 目の前にあるのは、後漢(ごかん)時代(1~2世紀)につくられた豚小屋を再現した素焼きの副葬品。塀で囲まれたなかには雌雄の豚がいて、階段を上った小屋の隅には屋根付きの厠が二カ所あり、人間の排泄物がそのまま豚の飼料となっている往時の生活をリアルにあらわしている。母豚が横たわり三匹の子豚に乳を与えているさまは、なんとも微笑ましい。これも総長のコレクション。漢代らしいほのぼのとした気分が満載の、いかにも総長好みといった一品である。

 そして、次の作品に目を転じ思わず瞠(みは)り、息を呑んだ。あの漢代の蝉炉が入ってきたからである。しかも、見事にライトアップされ燦然と輝いている。

 「めっちゃ、名品に見えます!」驚愕ともいえるぼくの声に対し、C先生は当然だという顔をして、「名品ですから」とさらりと応えた。

 ぼくはしばらくの間、腕を組んでじっくりと、この緑褐釉に覆われた古代の遺物を眺めた。それは、一瞬違うモノかと思うほど、ある種のオーラを発していた。Lioの店でみつけたときは、ただ面白いモノだくらいにしか思わなかったが、こうして見ると、細部の造作や釉の調子など優れた作行きを呈しており、他の展示品と比べてもまったく遜色がない。要するに、美術品たる風格を有しているのだ。そう思うと、なんだか自分で自分を褒めたくなってしまい、またまたにっこり、顔を崩していた。そうした流れもあったのだろう、ぼくは思わず口からつい言葉が出てしまっていたのである。

 ――「すみません。実は、もう一つ、見ていただきたいモノがありまして」C先生の返事を聞く前に、ぼくは懐に抱えているリュックに手をかけていた。

 

 展覧会を見終わったあと、ぼくは再び先ほどの小部屋へと通された。「すみません。先ほどお見せすればよかったんですが、うっかりしてて」ぼくは、つい失念していたかのような言い方をして、リュックのなかからプチプチにくるまれた小物を取り出した。バリバリっという、留めていたテープの剥がれる音が室内に響く。それが終わると、なかから白い薄紙に包まれたモノが現れた。

 ここまで来たらもう俎板(まないた)の上の鯉だという心境で、薄紙を解くと三彩碗を先生の目の前に差し出した。目の前に差し出したのは、せめて手に取ってほしいというささやかな願望が横たわっていたからだろう。ぼくは首を縮めて覗き見る。先生は碗に目を落としたあと、右手で縁を持ち左手を底部にあて持ち上げた。先ずはほっと一息。そしてそのまま注視。先生は碗を顔の方へ近づけたところで、すぐに片手で眼鏡をはずし、無造作に横に置いた。そして仕切り直すように両手で持ち直すと、裏を返して外側の面をなめるように目を動かした。眉間に皺が寄る。その時間は思いのほか長かった。このニセモノについての説明を、どう言えばわかりやすく伝わるだろうかと思案しているのかもしれない。たぶん、そんなところだろう。

 ぼくが勝手に推測していると、果たして、C先生は厳しい目つきを向けてきた。「Kさん、これは……」睨むようなその眼差しがすべてを語っているように感じ、ぼくは慌てて「すみません」と、引っ込めようと碗に手を伸ばした。先生は碗を持ったまま、ぼくの手から遠ざかるように上半身を引くと眉根を寄せ、そして訊いた。

 「これは、いくらですか?」「えっ!?」「これは……、売り物ですよね?」「ああ……は、はい……」「お値段を訊かせてください」「……?」

 いったい何が起きているのだろう。あまりにも予測不能の展開に、ぼくは生気を抜かれたかのように、あんぐりと口を開けたまま呆然としていた。

 「えっ?何ですか?」ようやく意識を取り戻すとC先生に黒目を据えた。先生は少し居住まいを正すかのように座り直すと、両手で碗を包み込むように持ちながら、「ですから、お値段を訊いているのです」

 「お値段」の問いかけに対し、脳内が正常に働いていないぼくは、思わず素っ頓狂な声で、「こ、こ、これは、と、唐、ですか?!」と逆に訊き返していた。言った先から後悔したが、これがこのときの偽りのない心境から出たぼくの「答え」だったのだ。

 ――仕方がない。まったくとは言わないまでも、おおかた贋物だろうとふんでいたからである。

 C先生はニヤリと笑い、「はい。間違いなく、唐です。唐でも、この手は初唐、7世紀でしょう。縄生(なお)廃寺(はいじ)出土のモノと同范(どうはん)じゃないかなあ……。たぶん、そうだ!  うん!」先生は目に力を込めて首肯し、熱い視線を投げかけた。

 

 ――あとから先生に訊いたところをまとめると、縄生廃寺とは、三重県にある9世紀中頃以降に廃絶した寺で、その塔跡の発掘調査が1986年に行われたときに、この手の三彩碗が、ガラス製の舎利容器をおさめた滑石製の外容器の上に伏せられた状態で発見されたとのこと。これは当時、世紀の発見という声が出るほど、中国陶磁研究者の間で耳目を集めたようだ。この寺院遺跡は7世紀後半と考えられていることから、日本出土の唐三彩のなかでは最も古い例と位置づけられ、重要文化財に指定されたのである。

 唐三彩は、遣唐使や留学僧たちによって、すでに奈良時代にもたらされたことは判明しており、奈良県の大安寺講堂跡からは大量の陶片が出土している。こうした出土遺跡は全国で五十箇所にものぼるとされているが、縄生廃寺もその一つ。しかも、年代が推定できる貴重な事例ということなのだ。

 

 ぼくの持参した碗の外側は、型押し成形により、鱗状の点々が入った半円形の蓮弁のような文様が幾重にも施されている。そして、縄生廃寺で発見された碗も同様の文様が外側にあらわされていて、これが同じ鋳型からつくられたものではないか、つまり同范ではないか、というのがC先生の見解であった。

 先生は碗を手に取り、「これは内部が三色で外側面は褐釉一色ですが、縄生廃寺の方は全体が三色で、寸法も文様も一緒です。類品が、イギリスに一点あったと思いますが、他に見たことがない」と早口で述べると、再び「お値段は?」と熱視線を投げかける。

 縄生廃寺出土の碗と同范の作例といわれても、何のことやらでピンとこなかったが、C先生の興奮ぶりから余程のモノなのだろう。

 ぼくとしては、これが真物(ほんもの)と断定されたことで目的は完遂し、胸中で万歳三唱をしながら帰途に着くつもりでいたのだが、もはやそういう状況ではなく、その次のステージともいえる「値段」を告げなければ事態の収拾がつかなくなっていることを、ぼくは、ようやく正常に働き出した脳内運動により察知することはできた。

 しかし、あまりにも突飛な展開に困惑するばかりであり。どうしよう。「値段」に関しては、まったく圏外にあったわけで――。

 いまだ焦点の定まらないぼくの目を見て、C先生はぐっと身を乗り出し内緒話でもするかのように、

 「たとえば、Kさん。これは、単なる提案です」先生は軽く唇を湿らしてから、

「もう年度末ですので、今年度の購入はすでに終了していますが、実は、ある団体から寄付金がおりてまして。できたらそれを今年度、つまり今月中に使い切りたいと思ってるんです」「はあ……」

「そうすれば、来年度も同じ額の寄付金がおりるのではないかと思っていて」「はあ……」

「といっても現状、ほぼ使っているんですが」「はあ……」

「残りが今、300万円ありまして」

 先生はぼくを直視し「あくまでも、こちら側の提案ですが――」と話しを結んだ。

 まるで作り話を語られているような気分のまま、ぼくはC先生の顔を見つめ何度も瞬きをした。先生はいつの間にか胸で手を合わせ、目を閉じている。いやいや、ぼくは総長ではない。が、無論この申し出を拒む理由などどこにもなく、むしろ光栄の極みであって。ただその実感がいっこうに芽生えぬままではあったが、そんなことはあとからでもいいわけで。なので、ぼくは取り急ぎ頭を下げることにした。快く、深々と――。

 「はい。お任せします」C先生は目を見開き両拳で机を叩くと、「よしっ! これで論文書けるぞ」と立ち上がり、「ちょっと、待っててください。今、申請書持って来ますから!」流れる速度にまったく乗れていないぼくをよそに、学者は勢いよく部屋を出て行った。

 

 

 東京下町の商店街を抜け、ぼくは才介のアパートの前に立ち、玄関のチャイムボタンに指を置いた。その瞬間、元染が贋物とわかった一昨日のことがフラッシュバックした。

 オークション会社からの連絡と、ぼくからの情報がほぼ同時に重なり、才介の暗く沈んだ声を聞いたぼくは、矢も楯もたまらず駆けつけ、沈痛な思いを胸にこのボタンを押したのだった。なかに入ると、案の定才介は死んだように床に寝そべっており、その向こうの小さなテーブルの上には、強い西日を受け黒光りした塗りの時代箱が、ぽつんと置かれていた。それからお互い無言のまま、その箱にずいぶんと長い間、ぼんやり目を置いた。やがて、才介はひとつため息を吐くと、つぶやくように言ったのだった。

 「おかしなもんだな……ただ同然で買ったモノが900万で売れたかと思ったら、今度は900万でニセモノ買っちゃうんだから……笑っちゃうよな……」

 

 チャイムの音が聞こえるやすぐに扉が開けられた。ドアノブに手をかけたまま、才介がじっとぼくを見つめている。昨日とは違う目の光を見て、ぼくはすぐに言葉を出すことができず、ごくりと唾を飲み込んだ。今ぼくが手にしている染付瓶に対する専門家の答えに、ぼくと同様かすかな希望を託していたのだろう。

 今朝ぼくが学者にみてもらおうと提案したときは、「やめとけよ。どうせ、答えは一緒だ」と、うっちゃったような返答をしていたのだが、向けられているこの目は、その答えを心待ちにしていたそれであった。微妙に揺れ動く才介の瞳を見つめ、ぼくは小さいながらもしっかりとした口調で結果を報告した。

 「ニセモノだったよ」数秒ののち、「はあー」と言う思いのほか大きなため息が玄関先を覆い、「やっぱりなぁ……」才介は、語尾を終える前にその場にしゃがみ込んでいた。ぼくは、最終判決を受け、悄然と落としたその肩を二三度叩くと、「でも、悪い話ばかりじゃないんだ」と言って足早に部屋のなかに入った。

 

 ぼくは部屋の隅に風呂敷包みを置くと、電源の入っていないコタツのなかに足を入れた。才介もゆっくりと腰を落とす。

 「聞いてくれよ。実は、えらいことが起きてさ! びっくりするぞ」弾んだぼくの言葉に、虚ろな目がやや反応する。「先生に見てもらったら、この間の唐三彩、本物だったよ!」「そうかあ。よかったな」才介の反応はまだ鈍い。「それだけじゃないんだ。美術館で購入することになったんだよ!」「ほお、あれが……」「うん! 300万で!」その数字を聞いて、ようやく才介の眼に色がさした。「300万!?」「そうだよ。すごいだろ!」「へえー、あれが、300万か」さして興奮した様子もなく才介は応える。「そうだよ。しかも、すぐに支払えるって」「そりゃあ、よかったな、K」「うん。だから、半分の150万、来月にでも渡せるよ!」「へっ?」才介はきょとんとしてぼくを見つめた。ぼくは眼を輝かせ「すごいだろ?」と顔を上気させる。

 それを見てようやく正気に戻った才介は、手のひらを何度も振って、「いやいや、あれは、おまえが買ったんだろ? おれは関係ないよ」「何言ってんだよ。乗りで買ったじゃないか。10万までだったらって、あのとき」「……」「10万までなら半分出すよって言ったじゃないか」「……乗りったって……、おれはまだ払ってないし……」才介は小さく首を左右に動かし、「あれは、おれはあまり気乗りがしなくて……。おまえが買ったんだから……おまえのもんだよ。おれは、いいよ」それを聞きぼくは、バンっと、思いっきりコタツのテーブルを叩いた。「乗りだよ!」「えっ?」びくついたような才介の目を見据えて、ぼくは力を込めた。

 「乗りだって約束しただろ! だから、半分は、おまえのものだ!」

 

 才介は、口を一文字に結んだまま瞬きもせず、ぼくの顔を見つめていたが、やがて大きくうなだれると目を閉じ、「そりゃあ、ありがてえ……」とささやくように言った。そしてもう一度かみしめるように「ありがてえや……」と言うと肩を震わせた。「うっ、うっ」という声とともに、肩の振動が大きくなっていく。才介はいっそう深く首を折り曲げると嗚咽を繰り返した。そのむせび声は次第に大きくなり、室内に重く響きわたっていった。

 才介は、両手で膝頭をつかんだまま、涙を拭うこともせず、誰憚ることなく、おいおいと泣いたのだった。くしゃくしゃになった顔からは涙が次々と押し出され、否応なく流れていく鼻水が、氷柱(つらら)のように垂れ下がっている。ぼくはただ、無様にも見えるその姿を、やるせない思いでじっと見つめるしかなかった。

 そのとき、落下した涙の一筋がキラリと光った。その一瞬の輝きは、決してみじめによどんだものではなく、むしろ清らかに澄んだ尊いもののように思え、ぼくの心を激しく揺さぶった。すると、烈烈たる憤りが自分の身体の奥底から、物凄い勢いで湧き上がってきた。

 

 ブンさんは、騙された方が負けだと言ったが、やっぱり騙した奴が断然悪い!

 ぼくはもう一度、思い切りテーブルを叩いた。「バンっ!」という先ほどよりはるかに大きい音が小さな部屋に鳴り響いた。しかしそれは、室内に若干の共鳴をもたらせただけで、すぐに才介の泣き声にかき消されてしまった。

 このとき上半身を起こしたぼくの目に、部屋の隅の方にある段ボールの箱が入った。そのなかには、才介が先日香港で買い入れた小物がいくつか散らばるようにして置かれてあった。香港で仕入れた品の大半は、すでに交換会などで処分していたので、残りの何点かであろう。落ちかけている日の薄暗さもあり、それらがなんだかひどく寂しげに映った。

 ぼくは小さなため息を漏らすとゆっくりと立ち上がり、部屋のあかりをつけた。

 

(第37話につづく 5月12日更新予定です)

灰陶猪圏(ちょけん) 後漢時代(1-2世紀)

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