骨董商Kの放浪(23)

  出発前日の夜、ぼくは自分の部屋で荷物の整理をしていた。今回は初の香港出張ということもあり、諸々を再度確認する。先ずはパスポートと航空券。現金と香港ママへの届けモノ。これは、ブンさんの知り合いの同業者から頼まれた品物。箱に入ったモノもあれば、エアパッキンで包まれたモノもあり、大小計5点。これを才介とぼくで振り分けて持参することに。ぼくの持ち分は、エアパッキンのモノ3点。これをリュックに入れる。あとは、必需品の品物のキズを見るときに使う、ルーペとライト。その他は、衣類や歯ブラシ、シャンプーなどのアメニティグッズ類で、こちらは、機内持ち込みサイズの小形のスーツケースに。それと、オークション図録。これは2週間前に手許に届いた。28日の午後のセールに、出品物の雍正官窯の筆筒がちゃんと載っている。ぼくはその頁を開いて確認。「Lot 775 A Rare Grisaille Decorated Brushpot Qing Dynasty, Yongzheng(1723-1735)」。写真も良く撮れているし、一頁を使っているので、わりに目立つ。「Estimate Price HKD100,000~150,000」の記載を見て、「よし!」と気を入れてから閉じてスーツケースのなかへ。

 いったん貴重なモノをリュックのなかに入れ込んだが、思いのほか、エアパッキンの荷物がかさばり、全部入れるとリュックがパンパンとなり、ジッパーが締まりづらいことに気がついた。それと、現金の三百万を入れた茶封筒がそれなりに厚い。どうせスーツケースも機内持ち込みなので、1点だけこちらの方に入れてしまおうかと考える。でも、ひとのモノだから、リュックの方が良いか。僕は、取り敢えず、3点のうちの中くらいのサイズのモノの梱包を解くことにした。もう少し軽い梱包にすればベターかと思ったからである。

 ぐるぐる巻きにされたプチプチをほどくと、なかから青花(せいか)と呼ぶ染付の皿が出てきた。僕は手に取る。そして「うーん」と考え込んだ。明時代初期、15世紀の永楽(えいらく)期(1403-24)の作品だろうか。15~16センチの口径を持った皿の中央には一輪の牡丹が、その周囲の口縁部には帯状に花唐草文様が描かれている。確かに、明初の青花のスタイルだが、どこかピント来ない。裏面の高台の所作も、繊細さがないように思えた。もう一度裏返し、見込みの主文様をじっと見る。何となく溌溂さがない。というか、もはや精気が感じられない。僕はおそらく駄目だろうなと思い、「はあー」と嘆息したあと包み直すと、それをスーツケースのなかに押し込んだ。それでもリュックのなかは、まだ窮屈だ。僕は小さいエアパッキンを取り出す。広げて中身を確認し、場合によってはこれもスーツケースのなかに入れてしまおうと考えたが、パッキングをほどく気になれず、そのままリュックのなかに再び入れた。そしてもう一度リュックの中身を整理した。

 

 その夜、僕は旅への興奮もあってかなかなか寝つかれず、浅い睡眠を繰り返すうちに、ひどく嫌な夢を見た。どこなのかよくわからない、がやがやとした大勢の人たちが取り囲むなかで、僕は宋時代の青磁の皿を手に入れる。自分では満足気にしばらく掌(て)にしたあと、裏をひっくり返して高台を見る。そのとき、何か釈然としない気分に陥る。すると、一人の人物が近寄ってきて横に立った。長い髪を後ろで束ねた銀縁眼鏡の男は、にやついた顔に不敵な笑みを湛えながら、じっと僕の掌中(しょうちゅう)を覗き込む。そして、薄笑いを浮かべ口元をゆがめて言った。「It’s fake」「フェイク!?」僕がさっと横に目を向けると、そこに男の姿はなく、目じりは垂れているが決して笑っていない眼だけが宙に浮いていた。贋作堂だ!僕の動揺に追い討ちをかけるように、遠くの方から薄気味悪い激しい音が鳴り響いてくる。それはだんだんと近づいてきて、反響しながら次第に大きくなっていった。僕は、その音をどこかで聞いたような気がした。そうだ。それは、宋丸さんの店で、N婦人の青磁の碗の告白を聴いたときに、轟いていた雷鳴と宋丸さんの獣のような低い泣き声が一体化した異様な音だ。僕は、耳をふさぎ頭を振る。しかし、その地を這うようなおぞましい音は、僕の耳を支配し続けた。

 

 ひどい寝汗をかきながら、上半身をおこし、僕は何度も大きな息を吐いた。そして時計を見る。設定した起床時間まで、まだ1時間半もあった。僕は朦朧とした意識のなかで、自分を落ち着かせるため、再度手荷物の整理を行った。それが済むと少し気が安定し、目を閉じると、いつもの眠りが訪れた。僕は安心してそれに身をゆだねたときに、アラームが鳴った。はっきりとした覚醒を感じる前に、僕は出発の準備に取りかかった。

 

 午前8時。成田空港の待ち合わせ場所に着くと、向うから才介がスーツケースを転がしながらやってくるのが見えた。僕に気がつくと右手をあげる。「おはよう。どうだい眠れたかい?」それに対し、僕は目をこすりながら、「いやー、変な夢見ちゃってさ。全然寝れてない」「おれも、何だか寝つき悪くって。眠いや。飛行機のなかで寝よう」僕らは、外国の航空会社のカウンターでチェックインする。預ける荷物は無し。そのまま、出発ゲートへ向かう。眠いと言っときながら、初めての香港出張に気持ちが昂ぶるのか、才介は目を輝かせて話し続けていた。僕もそれに応じるが、昨夜の夢の嫌な気分がまだ頭のなかにあり、リセットができず。搭乗時間までの間、僕はゲート前の椅子に腰かけて目を閉じた。やがて、すっかり寝入ってしまっていたようで、「おい」と才介に身体を揺さぶられて、はっと目を開けた。「もう機内に入れるぞ」才介はスーツケースと手鞄を持ち、先に立って足早に歩き出した。僕もそれに続く。

 

 機内に入ろうとしたときである。入口に立っているCAの一人から声がかかった。「?」才介は僕の顔を見る。「何だって?」僕はもう一度、広東語訛(なま)りの英語に耳を傾ける。しかし、よく聞き取れない。「何だって?」才介は再び訊いた。僕の反応を見て、CAは少しゆっくりめの口調になった。僕は落ち着いてその言葉を頭に入れる。しかし、まだ完全に頭がクリアにならない。ようやく聴き終えると、才介に目を向け「どうやら、荷物を預けろって言っているようだ」と説明した。「えっ!だって、機内持ち込みサイズだろ?このスーツケース?」僕が、不慣れな英語で何とか訊き返すと、CAは少しきつい口調になった。「どういうこと?」と才介。「この飛行機は、荷物を容れるスペースが既にいっぱいみたいで、機内に持ち込む荷物を一つにしれくれ、と言っている」「マジかよ」僕らのやり取りをみて、CAは急かす。「スーツケースか、手鞄かどちらか預けろって」僕の説明に、才介は後頭部をかいた。「しょうがねえなあ。鞄預けるわけにはいかんから、スーツケースを渡すか」「そうだな」「あーあ、着いたらすぐ動きたかったんだけどなあ」後ろに並んでいるひとに目をやりながら、CAは再度急かす。僕らは仕方なく、お互いのスーツケースをその場で預けることにした。「カウンターで、先にそう言ってくれよ。まったく」才介は、ぶつぶつ不満を口にしながら座席に向かった。僕も意識がまだはっきりしないまま「外国の航空会社だし。よくあるんだろ」と答えて、リュックを抱え眠い目をこすった。

 

 飛行は順調で、成田から4時間半で香港国際空港に着陸。機内では眠気に勝てず、食事時以外は、二人とも爆睡状態。時差が1時間あるので、到着は午後1時半。イミグレーションの行列を経て、僕らはすぐに手荷物受取所へ。すでにその便の荷物が、ベルトコンベアの上を次から次へと流れていた。僕らはぐるりと回りながら確認。まだ出てきていないようだ。いったん、中央の荷出し口の側に向かった。周辺は、自分の荷物を待ち受けている人々が群れをなしている。その人混みの間から首を伸ばし、吐出されるように転げ落ちて来る荷物に目を注いだ。しかし、なかなか出て来ない。「最初の方は、VIPからだろうから、しばらくかかるんじゃない?」僕の言葉に、才介は「だから、荷物預けたくなかったんだよ」とふくれっ面をした。

 

 僕らは二人して荷の出口を凝視するが、いっこうに現れない。時間の経過とともに、出て来る荷物もぽつりぽつりとなる。それにしたがい、周囲は閑散としていった。「何か遅くねえか?」才介が訊く。「うん…。もうそろそろ来てもよさそうだけど。でも機内の入口で預けたせいかもな」僕の返答に、才介はなるほどと無言で頷いた。

  やがて、荷も出て来こなくなり、ベルトコンベアだけが動き続けている状態が続いた。僕らが不安に襲われたそのとき、才介のスーツケースが登場した。「あっ!来た!」そのあとに僕の荷物が続く。安堵したあと才介は、「何だよ。一番ケツかよ」と苦笑して、「やっぱり格安航空券は、そういう扱いなのね」と言うなり、勢いよく荷物に手をかけた。

 それから僕らは、すぐに出口の扉を抜けエクスプレスの乗り場へと急いだ。乗車券を買うのに少し手間取ったが、無事購入してホームへ。少し落ち着いたのか、才介が興奮し飛び跳ね出した。「やっほー!ついに、来たぞ!香港!」僕も同様の心持ち。二人してスーツケースを真ん中に、周囲を軽いステップでぐるぐると回った。

 やがて、列車が到着し、僕らは乗り込む。ホテルのある尖沙咀(チムサーチョイ)に行くには、九龍駅で降車し、そこから無料バスが出ているとガイドブックには書いてある。九龍駅は二つ目。乗車時間は約20分。たいへん便利だ。僕らは、車内の効き過ぎるほどの冷房に心躍らせながら、半ば単調ともいえる車窓の景色を食い入るように見つめた。

 

 尖沙咀(チムサーチョイ)に着くと、ガイドブックを片手にホテルを探す。かなり入り組んだ細い道と、もたれかかるように立ち並ぶ古びたビル群の狭間にホテルはあった。なるほど。値段相応の安っぽさがその外観ににじみ出ている。さっそくチェックインし部屋へ。「よし!先ずは、香港ママのところへ荷物を届けよう!」才介の勢いのある指図で、僕は「おう!」と言って、スーツケースに手をかけた。

 開けようと思い、ジッパーの繋ぎ目に掛けた小型の南京錠の鍵を財布のなかから取り出した、その時である。そこに南京錠が掛かっていないのに気づく。「?」僕は首を傾げる。南京錠を付けたつもりが、し忘れたのか?中央で合わさっているジッパーを両端に引いて開けてみると、荷の一番上にのせたオークションカタログの下あたりに、衣類に挟まるように、南京錠がぽつんと置かれていた。よく見ると金具の上が開いたままになっている。なかに入れたままジッパーを閉めちゃったのかなと思い、取り敢えず、スーツケースのなかにある、エアパッキンされた1点を取り出した。厳重にパッキングされているので大丈夫だと思うが、一応中身を確認しようと梱包をほどこうとしたとき、才介が言った。「軍資金も忘れずにな」僕はそれに「わかった」と応え、リュックのなかの一番底に手を入れた。しかし、…無い。「えっ?」ここに入れたはずなのに…。僕は慌ててリュックの底をまさぐった。そのときである。僕の頭の回路が急に繋がった。僕はすぐさま、スーツケースの内側のジッパーを急いで開く。「あっ!」と叫んだその声を聞いて、才介がこちらに顔を向けた。「どうした!」

 僕はすべてを理解した。才介の目の色が変わる。無反応の僕に「どうしたんだよ!おいっ!」と詰め寄る。「ヤバい…。取られた、金…」「ええっ!!!」

 

 そうだ。最初は現金の入った封筒をリュックの一番底に入れたのだが、嫌な夢にうなされ、ふいに目覚めた明け方に、僕はリュックのなかを整理し直し、どうしたことか、かさばる現金の封筒をスーツケースの内側のジッパーのなかに移したのだ。どうせ、機内持ち込みにするので、それでよいかと思い。それを聞いた才介が僕の胸ぐらをつかむ。「バカヤロー!!金は肌身離さず持ってないと駄目だろ!」才介は幾度かゆすったあと、思い切り押し返した。僕はすぐ後ろのベッドの角に背中を打ちつけたまま、悄然と肩を落とした。「どうすんだよ!おれは5万くらいしか持ち合わせがないぞ!どうすんだよ!おいっ!!」才介は立ち上がって叫んだ。僕はうなだれじっと目を閉じたまま一言も出ず。やがて、バタンと大きな音を立てて扉が閉まるのがわかった。どうやら才介が出て行ったらしい。

 

 僕は身を屈め両手で額を覆った。おそらく、預けた手荷物をX線か何かで検査をし、現金が入っているのがわかった時点で、南京錠をはずしてジッパーのなかから現金を抜き取ったのだろう。荷物受取所に携わるやつらの仕業に違いない。荷がなかなか出て来なかったのは、その作業をしていたためか。すべて符合する。僕は慌てて南京錠を手にし、開いた金具をなかに押し込んだ。しかし閉まらない。やはりそれは壊されていた。南京錠が手許に残っていると面倒なことになるため、外したものをなかに入れたのだ。巧妙な手口といってしまえばそれまでだが、僕はその手慣れた仕事にまんまとはまってしまったのだ。

 僕は自分に対しての憤りを示すように、力任せにリュックを逆さに何度も降り、続いてスーツケースのなかに手を突っ込んで、入っていたものを全部床に放り出した。当然無いことがわかっていながら。そして、大きく息を吐いてドカッと床にしゃがみ込んだ。僕は再び目を閉じた。機内に持ち込むときに、強い口調で差し止めたCAの険しい顔と、聞き取り辛い広東語訛りの英語が脳裏に蘇った。あれさえなければ。僕は何度も拳で床を叩いた。悪夢のような状態のなかで、その音だけが現実味を帯びて室内に響きわたった。

 

 どのくらいの時間が経っただろうか。優に一時間は経っていよう。僕はなすすべもなく、床に散らばった荷を漫然と見つめていた。やがて、そのなかにある白いお守りに焦点が合った。と同時に、Reiの顔が浮かんだ。すると、突然現実に引き戻され、胸がしめつけられるような感覚になり、急激な寂しさに襲われた。

 僕は携帯を手にし、じっと考え込んだ。そして電話をかけた。海外からの通話音が聞こえる。三回目でそれが途切れ、相手が出た。「Kさん?」「…」「ちょうど、香港に着いた頃かしら」「…うん」僕の沈んだ声を聞き、「どうしたの?何かあった?」そこには、暖かく包み込むようなSaeの声があった。僕が黙っていると、「大丈夫。大丈夫」Saeはそう言って、僕の話しに「うん。うん」と、ゆっくりと相槌を打ちながら丁寧に聴く。そして最後に、「大丈夫よ」と言ったあと「捨てる神あれば拾う神あり」と続け「また、電話ちょうだいね」僕はその言葉を聞いて、静かに電話を切った。

 

 僕は電話のあと、散らばっている荷物を整理し始めた。やがて外から、コン、コンという工事現場からの音が耳に入ってくると同時に、街中の喧騒が窓から聞こえてきた。すると、怒って出て行った才介のことが気になった。そりゃあ、そうだな。怒るのも当然だ。僕がまた、「はあー」と大きなため息を吐いたとき、バタンと部屋の扉が開くと、コンビニの白いビニール袋を両手に持った才介が勢いよく入ってきた。

 「おい、K。飯買ってきたぞ。このホテルの裏に、美味(うま)そうなお粥の店があって。そこで食べたら、美味いんだ。しかも、めっちゃ安い。おれももう一杯食べようと思って、二つ買ってきた。腹が減っては戦はできぬっていうからな」才介はそう言って、僕の前にプラスティックのどんぶりを置く。「まあ、大打撃だけどよ。済んだことをくよくよ考えてもしようがねえから、食ってから考えよう」「才介…。ごめん!わるい!」僕が深く頭を下げると、「おれだって、よく失くすからよ。半々に分けりゃよかったんだけど、あとの祭りだ。まあ、命取られたわけじゃねえんだから」才介は、容器の上にかかっている透明なラップを取ってから、れんげを差し出す。「この、刻んだ葱とショウガと黒いゆで卵を混ぜると美味いんだ」と言って、ふうふうしながら口に入れる。僕も食する。一口含んで僕は「美味い!」と声をあげた。「だろ?」と才介。僕は汗だくになって粥をかき込んだ。確かに、この黒い味つけ卵が美味しい。

 食べながら才介は言う。「さっき、香港ママから電話来てさ。事情話したら、それはあんたたちのせいじゃない。航空会社が悪いって言って、これからホテルに来てくれるらしい。お金は取り返せるって」「マジか!」「うん!だから、一緒に空港行こうって」「それはありがたい」「いやー、頼もしいな。香港ママ。まだ会ってないけど」

 粥を頬張る才介の笑顔を見て、僕は、二人でよかったとしみじみ感じていた。独りで来てこのざまじゃ、なかなか立ち直れなかったに違いない。粥を食べ終わると、急に元気が湧いてきた。才介が立ち上がって部屋を見回す。「しっかし、狭い部屋だなあ」今度は洗面所に行き、「おい、バスタブないぞ。シャワーだけかい!」その笑い声を聞いて、僕もようやく立ち上がった。

 

 それから1時間ほどして、香港ママがホテルに到着した。ホテルの入口の小さなスペースでママは僕らを出迎える。僕らを見るなり、「あらー、あたし、嬉しいわぁ!こんなに若い男の子たちと知り合いになれて!」と大きな声を出していきなりハグをしてきた。その刹那、きつい香水の匂いが鼻を衝く。そのあとお互いの顔を見て「はじめまして」と挨拶を交わす。名刺には「ナツコ」とあった。「ナツコさん…」と言うと、「日本名ね。でも、みんなねぇ、ママって言ってるから、ママでいいよぉ。ハハ」と、ママは口を大きく開いて笑った。齢は50くらいか。丸顔の恰幅のよい女性で、やや離れたくりっとした二重瞼が可愛らしい。緑と赤と黄色を組み合わせたワンピースにブランド物のショッキングピンク上着姿。原色が煌めく派手な衣装。僕らは、大きな袋に入れた届けモノ5点をその場で渡した。「ありがとねぇ。じゃ、行こうか。車ね、このあたり、長く止められないからね」ママは荷物を手にして歩き出す。すると才介が僕に近寄り「化粧濃くね?」とささやいた。

 

 空港に着くや僕らは航空会社のカウンターへ。ママはさっそく、そこにいた若い女性と話しを始めた。僕らはすぐ側でそのやりとりを見つめる。ただでさえきつく聞こえる広東語の会話が、エスカレートすると余計にけたたましくなっていく。ママが大声で一言放ったあと、中年の男性が登場。ママは強い口調で続ける。責任者らしき男性は、深く頷きながら聴き、そして答える。その途中でママは僕らに顔を向け確認。「出発する直前で、預けろと言われた、でしょ?」僕らは大きくうなずく。それを受けてママはさらにヒートアップ。やがて男性も強い口調になる。そして再びママが僕らに訊く。「預けるときに、CAが、荷物のなかに貴重品ないか?と確認したって。そう言ってるはずだって。あなた、言われた?」しかし、僕はそのとき、まだぼーっとしていて、細部の言葉など頭に入らなかったわけで。言われたとしても気づかなかったのかもしれなく。僕がそのように言うと、ママがそれを受けて話す。そして、また二人は口論のようになる。その後、「あのね。何で、荷物受け取ったときに、すぐ確認しなかったのか、と言ってる」しかし、あのときは、さすがに気がつかなかったし、気も急いていてそんな余裕はなかったし。

 

 かなりの時間を費やした話し合いが終わり、ママは僕らに説明。「結局ねぇ、預かり荷物は、別の会社に委託するから、航空会社とは別だと言って、曲げないね」それを聞いて才介はがっかりした風であったが、「しかたないよ。預けた方にも責任あるんだから」「本当に、ごめん!おれの責任だ」強く頭を下げる僕の姿を見て「でも、航空会社にも、責任あるよ。絶対!」とママは声を荒げた。才介はママの顔を見て礼を述べる。「ありがとう、ママ。これからは、何とかするよ。僕らで」「そうか。じゃあ、香港戻って、美味しいもの食べようか。あたし、ご馳走するよ!」しょげた僕を見てママは「大丈夫。あたし、少しお金貸せるから、明日、店、おいで」と快活な笑顔を向けた。

 

 空港から香港島まで、整備されたハイウェイをママは快適に飛ばす。もうすでにあたりは暗くなっている。目に入るネオンの光が、都心に向かうにつれだんだんと増していった。そして、九龍から香港へと架けられた巨大な橋を走行しているとき、眼前に、種々な色彩を煌めかせた豪奢なエリアが現れた。「うわぁー、すげえ!」思わず才介が腰を浮かせて叫んだ。僕も目が釘付けになる。林立する豪壮な高層ビルの群からは、極彩色のネオンが入り乱れるように放たれ、一種幻想的な光彩となって次々と目のなかに入ってきた。そして、強烈に輝くその摩天楼に吸い込まれるようにして、車が走行している様が見える。もちろんこの車も然り。

 

 興奮する僕らの様子を見て、「綺麗でしょ。これが香港の色ね」とママは高笑いした。香港島に近づくにつれ、僕の目に映る夜景が、ママの衣装の色と重なっていった。

 

(第24話につづく 10月21日更新予定です)

青花宝相華唐草文盤 明時代 宣徳年間(1426-35)



 

 

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