「骨董商Kの放浪」(17)

 その年の5月の上旬、僕は才介に連れられて、東京郊外の或る寺で行われる市(いち)に参加していた。ここは、俗に「禿寺(はげでら)市」と呼ばれている。「何で禿寺なの?」僕の質問に、「住職が禿だからだ」と才介。「だって、普通住職は禿だろ?」さらなる素朴な質問に、「その住職は、正真正銘の禿なんだよ」「よくわからん」「つまり、おれらくらいの時から既に禿てたんだってよ」「ふーん」まあ、それは別にどうでもよいことで。才介の話しだと、ここの住職は骨董趣味があり、境内の寺務所の一部屋を提供して、月一で市を開いているとのこと。ご自身も参加。ただ、いつも大したものが出ないらしい。才介は、たまに顔を出しているようだ。参加費は無し。にもかかわらず、昼に弁当が用意されていているので、それ目当てに来る業者も少なくないと才介は言う。

 その日は、天気が良いせいか、50~60人ほどが集まっていた。午前の部が終わり、出された弁当をほおばりながら、「何にもなさそうだな、こりゃ」と才介。「あと1時間で終わるだろうから、午後も見ていくか」と、僕らはのんびりと見物することに。

 

 そう思っていたら、午後の荷物のなかに、中国の陶磁器が一点入っていた。才介は目ざとく見つけて、「おい、これ。清朝(しんちょう)官窯(かんよう)じゃない?」と僕を呼ぶ。手に取って見ると、形は筆筒で、高さが12~13センチ、径が10センチくらい。胴部には、黒一色で山水図が楚々と描かれ、底裏には、染付で「大清雍正年製(だいしんようせいねんせい)」と記されている。才介は僕の様子を見て、「おい、本物かよ?」と尋ねる。僕が首をひねると、「贋物(がんぶつ)か?」と才介。「ちょっと、待て。わからん」「何だよ。勉強したんじゃないんかよ」「うるせえ。あの程度の授業で、すぐにわかるかよ」と僕は返答。ただ、「大清雍正年製」という官窯銘(かんようめい)を信ずれば、このモノは、清朝の18世紀前半の雍正(ようせい)皇帝の時代につくられた宮廷用の磁器。清のなかでも、もっとも優れた磁器が焼造された時代である。ただ、当然、ニセモノも山ほどある。「贋物だな」と才介は言う。「だってさ、この時代は、きらびやかな色をふんだんに使ったモノが多いだろう。これ、滅茶地味じゃん。黒一色だし、絵の部分が少なすぎるし。しかも、裸だし」裸とは箱が付いてないことをいう。僕は、胴部に描かれた山水と一艘の小舟の図様も含め全体を観察。確かに絵の面積は少なく、ほぼ余白の白地で表現されているが、絵に関しては結構上手いように思えた。底部の銘(めい)の字も整っている。「あながち、悪いとは思えないが…」の僕の感想に、「買ってみるか」と才介。そして、上目で少し考えてから、「今、中国モノ高くなってるから、50万くらいするかもな。ここに来ている連中でも、そのくらい出すやついるだろ」と、あたりを見回した。「乗りで行こうか」才介は提案する。乗りとは折半でということ。「わかった」と僕は頷いた。

 競りが始まった。雍正の筆筒は、わりと早い時間に回ってきた。「3000円」から始まり、「1万、2万、3万」と1万刻みに上がり、「10万」の才介の声で止まった。二人で顔を見合わせる。「何か、微妙」。「まあ、別にいいじゃん」才介は置いてあった新聞紙にくるみ鞄のなかに入れた。

 帰る道みち、才介が訊く。「そういやあ、ここんところ、師匠のところ行ってないな」「そうだな」「おまえ、表具屋のこと話しただろ?」そうだ。師匠から、又兵衛の絵の表具をし直す件で、手頃な仕立て屋はないかと言われ、たまたま犬山から預かった祖父さんの文紙を頼んだ表具屋が適しているのでは、と前に師匠に話してあった。「うん、話した。そのとき、そうか、って言ってたけど。その後何の音沙汰もないな」「ふーん。まあ、あれだけのものだから、急いではないんだろうが。こちらとしては、早く高くやってもらいたいけどな」と才介はそう言ってから、鼻唄を歌い出した。

 

 東京の有名美術館で、滅多に陳列しないという、国宝の曜変(ようへん)天目(てんもく)茶碗が公開されているというので、見に出かけた。当然、独立ケースに置かれ展示されている。平日の昼前とはいえ、結構な人だかりだ。さすが曜変天目。僕は、後ろから徐々に前へ出ながら、ようやく間近でとらえる。

 曜変天目というのは、南宋時代(12-13世紀)に、中国の福建省にある建窯(けんよう)でつくられた茶碗。全体を覆う漆黒の釉薬のなかに、大小さまざまの結晶が浮かび、それが玉虫色の光彩を放っているのが特色。世界に三点しかなく、それらが全て日本にある。当然、皆国宝。

 この碗は、現存する三点あるなかでも一番曜変がはっきりしているため、もの凄い迫力だ。結晶が大きいだけに曜変の輝きが半端ない。見込みは、さながら宇宙を思わせる。これは絶対に狙ってできたものではないと、僕は直感的にそう思った。中国では、曜変天目を、不吉の前兆として忌み嫌い、すぐに破棄されたために現存しなかったという説まである。それもうなずける、突然変異的な奇異な美を表出している。ただ、その美に惹きつけられることに相違はない。

 後ろのひとも待っているので、ひと通り見たあと展示ケースから下がろうとしたところで、見知ったひとと目が合った。あいちゃん先生である。いつものようににこやかに、「来てたの?K君」と笑いかける。僕は「お久しぶりです」と挨拶。すると、隣りには若い女性の姿が。僕は軽く頭を下げながら、人垣を分けてその場を去ろうとすると、「K君。僕ら見終わるまで、ちょっと待ってて」とあいちゃんの声。僕は「あ、はい」と答えて、人気(ひとけ)のないところで様子を窺う。誰だろう。後ろ姿だからよくわからない。栗色のやや長めの髪に、ベージュのチェック柄のシャツにデニムパンツ。また、ナンパか?僕は興味津々、二人を眺める。

 やがて、あいちゃんとその女性が、僕の前にやって来た。あいちゃんは先ず僕を紹介する。「こちらはね。僕の知ってる骨董商のK君」僕がお辞儀をすると、女性はにこやかに微笑んで、「こんにちは」と挨拶。細い目がいっそう細くなり、可愛らしい笑顔が特徴的だ。齢はReiくらいだろうか。僕はその微笑みに、一瞬癒される。するとあいちゃんが紹介する。「彼女はね。あのカリスマ骨董商のお嬢さん」「Ⅿiuと言います」彼女は微笑む。僕は「カリスマ骨董商」と聞いてすばやく反応する。「えっ、あの骨董商Zさんの?」「知ってるの?」とあいちゃん。「だって、この頃有名じゃないですか。カリスマ骨董商Z」僕は、少々驚いた。

 

 カリスマ骨董商といわれるZ氏は、有名なアーティストや趣味のある芸能人たちが通う店として、最近よく雑誌などのメディアで紹介されている。「僕はね、たまに行くの。ここに」とあいちゃんは、彼女を指さす。「はい。いつも父がお世話になっていて」と、Miuはまた癒しの笑顔を僕に向ける。「いやいやお世話だなんて。何言ってるんですか」とあいちゃんは頭の後ろをかきながら笑い声。Miuの笑顔に安心して、僕はあいちゃんに一歩近寄り小声で「またナンパしたって言われると思ってました」と言うと、あいちゃんは、はたと手を合わせ、「そうだ。K君に、ナンパの仕方教えてなかった」と僕の目を見る。その言葉にMiuが反応。「何ですか?ナンパって?」僕が赤面していると、あいちゃんは妙に落ち着いて彼女に言う。「そうなんですよ。お嬢さん。僕はね、彼にナンパの仕方を教えますって言っておきながら、すっかり忘れてて」「ちょっと、こんなところで。いいですよ、先生」僕は非常に慌てる。それを見てMiuが顔をうつむかせて笑う。あいちゃんは、「ちょっとあちらに行きましょう」と僕らを、すぐ脇にある長椅子に促した。

 あいちゃんを真ん中に、話しが始まる。「K君。ナンパの仕方ですが…」えっ?ここで、話すの?しかも女性を交えて。僕が慌てて「いや、いや、先生。ここでそんな話しはまずいでしょう」あちらには曜変天目が見える。すると、向こう側で笑顔が問いかける。「えっ、どうしてですか?わたし、とても興味あります」「そうでしょ。だから、ここで伝えます」「わお!」とMiuは小さく拍手。「マジか」と僕は額に手をあてながら、一応耳を傾けた。「K君」呼ばなくてもよい。「ナンパってのは、先ず、女性に声を掛けたらいけません!」意外な導入部だ。「だって、ナンパって、声を掛けなくちゃ始まらないでしょ?」僕の素朴な質問に、あいちゃんは、びしりと否定。「甘い!それでは女性はものにできません」Miuも笑顔から真顔になる。「では?」僕の合いの手に、「それは、女性の方から、声を掛けられるような、雰囲気を出すことです!」「ん?」「これが、ナンパの極意です」あいちゃんは、両手を膝に置き深く肯(うなず)いた。「…女性の方から…声を掛けられるような…雰囲気を出す…。なるほど。たいへん難解だが、一理ある」と僕は思った。Miuがまた笑顔に戻る。「そうですね。確かに。こちらから、声を掛けたくなるような男性だったら、女性は安心します」「そうでしょう!」間髪入れずにあいちゃんが反応。うーむ。僕はしばらく腕を組んで思考していた。そして、気がつく。「先生、僕は今日、曜変天目を見に来たんですよ」と言うと、Miuが「うちにあります。曜変天目」「えええっ!」僕の強烈なリアクションに「三分の二ですが」と答える。「古い陶片ですか?」の問いに「古いモノではないです」とMiu。「じゃあ、現代作家の作品か何か?」「そういうのとも…ちょっと違います」「?」「新しいモノですが、古いんです」「?」このひとの言うことも、負けず劣らず難解だと僕は思っていると、「とにかく、今度見に来てください。見ればわかりますので」と弾ける笑顔が目に映った。

 

 5月の中旬頃、僕と才介は東京の小さな市場(いちば)で、ブンさんから声を掛けられた。開口一番「おまえら、師匠のこと何か聞いてるか?」と深刻な顔。僕らは驚き「何かあったんですか?」「いやな、飛んだって話しを耳にして」「ええっ!」才介が飛び上がる。「飛んだって?」僕が問うと「破産したってことだよ」と才介。「ええっ!」と僕も飛び上がった。「どういうことですか?」才介はブンさんの顔を見る。「いやな。師匠、前から、ちょっとヤバい筋から金借りててな。どうやらそれが膨らんだらしい」のブンさんの説明に、「だって、昨年新券出たときに、デカいの売れてごっそり現金入ったって、ブンさん言ってたじゃないですか?」「それだ。そのとき品物を買っていったのもヤバい筋のやつらで、どうやら、旧札を新札に替えるためにしたことらしい。そのあとすぐ返品してきて、おまけに疵(きず)モノだったとかいちゃもんつけて、倍で買い戻せって言ってきたらしい」「そんなあ…。無理な話じゃないですか」「師匠は、何とか話しをつけて、いったん落ち着いたらしいが、また3000万ほど借りたらしい。何の金かわからんが」又兵衛の仕入れ金だ。「借金で買ったのか…」と才介がぼそり。ブンさんは続ける。「それが、どうやらかなりの高利で、ついに師匠はお手上げとなって、今、金貸しが師匠の家の家財道具を手当たり次第に持ち去って、店の方にも手が入っているようだ」僕は、前に福井の掛軸が高く売れたときに、師匠の店にいき手当てをもらった帰り、風体のよくないやつらを見たことを思い出した。ブンさんは「つい、昨日の情報だ」と言って、「師匠の出入りしていた同業者のところにもそいつらが来て、預かってるものないかと家探しをしているらしい。これは、その一人から聞いた。だから、おまえらのことが心配になって」ブンさんは僕らの顔を見る。「だから、あまり師匠に関わるな」ブンさんはそう言って立ち去った。そのあと才介は、「おい、今から師匠のところへ行こう」と僕の手を引いた。「大丈夫かよ」僕の声に「又兵衛の絵が心配だ」才介は車へ向かって走り出した。

 才介は車のなかで、「師匠のことだから、事前に手は打ってるとは思うが。何せ質(たち)の良くない野郎たちだろうから、もしかしたら、もう巻き上げられてるかもしれん。そうしたら、こちらの取り分は、ぱあだ」と言ったあと、「ああー、くそう!」と才介はアクセルを踏み込んだ。

 

 師匠の店に到着すると、ビルの入口付近に数人の黒服のヤクザ風の男たちがいた。僕らが店に入ると、5、6人いて、師匠が正面の椅子に座って腕組をしている。なかにあった風呂敷の山はすべてなくなっていて、ソファとテーブルのみが置いてある。何人かの男たちが、しきりと壁をコツコツと叩きながら、床をギシギシと踏み締めながら、何やら調べている。先日の色眼鏡の男が師匠の傍に立っていて、「おい、爺さんよ。本当にあとは、何もないんだな。ええっ!」と凄む。師匠は口を閉ざしたままだ。僕らの存在に気づいたその男はじろりと睨むなり、「おまえらも、何か預かっているモノ、ねえだろうな!」と詰め寄った。それを見て師匠は初めて口を開いた。「こいつらは、ただの手伝いの若僧で、わしとは関係ない!」「ふん」男は、今度は手下に目を向けて言った。「おい、壁の中、床の下、よく調べろ!」「はい」と、それぞれ確認している連中が答える。他のやつらは、残されたソファとテーブルを持ち運ぼうとしている。師匠はそれを見て「何遍来ても同じだ。何もありゃせん!」と言ったときであった。トイレの扉が開き「ありましたぜ!」と一人の男が、掛軸の箱を持って出てきた。それを見て僕は、又兵衛の絵の箱であることを知る。そのとき、師匠は一貫終わりというように、がくっと身体を落とし、両手を床についてうなだれた。「便所の天井裏に隠してありました」その男の報告に、色眼鏡は、「よし!」と言うなり箱を取り上げ、なかを開けた。二重箱になっており、さらに中箱を出し上蓋を外す。そこには、巻かれた軸が入っているのが見えた。色眼鏡は冷徹な笑みを湛え、「あるじゃねえかよ、ジジイ。はっ、はっ!」と大きな声を出すと、箱をそのまま手下の一人に渡した。その男は箱をもとに戻し、そのまた手下に渡す。男はそれを持って、外へ出て行った。色眼鏡は「何やら、あれが、一番らしいな」と言って、最後にぐるりと店内を見回した。座っている師匠の上に掲げられている「愛国」の扁額に目が留まる。その視線に師匠は、「あれは、あんたらの先々代に書いてもらった字だ。価値はねえぞ」と低く言い放つ。「あんたらも、ちったあ右の血が流れてんなら、勘弁してくれ」師匠は、張りのない声でそう言うと、またうなだれた。色眼鏡は「へっ」と吐くと、踵を返して出て行った。そのあとに手下も続いた。

 そのあと、がらんとした店内に、僕らはなすすべもなく立ち尽くした。無論言葉も出ず。師匠は悄然と肩を落としたまま、ようやく「ひとりにしてくれ」と口を開いた。僕らはその声にしたがい、店を出た。

 

 そのあと僕と才介は、車に乗って帰る気分になれず、あてもなく道を歩いた。何だかやるせない思いを胸に、お互い口を閉じたまま、日本橋から京橋に向けて、骨董街をとぼとぼと、しばらく僕らは歩き続けた。「どうすんだろう、師匠」ようやく発した僕の言葉に、才介は俯いて「ああ」と小さなため息を吐くだけ。やがて後ろから自転車のベルが聞こえたので、僕は脇道へ寄った。そのとき、僕の目に古書画屋の看板が入った。そして思い出す。そういえば、犬山から頼まれた表具が出来上がったと、先日店の主人から連絡を受けていたことを。僕が、その旨を伝えると、才介も一緒に行くと言う。今は一人になる気になれないのだろう。僕らは車へ戻り、ネエさんの店の近くの表具屋へ向かった。

 

 店主は、さっそく「こんな感じでよろしいでしょうかね」と完成品を見せた。落ち着いた淡いすみれ色の布地に、犬山の祖父さんの文(ふみ)が表装されている。こうして仕立てると、ただの便箋が、何だか美術品らしくみえる。「へえー、変わるものですねぇ。なかなかいいです」僕が言うと、店主は「ありがとうございます」とにこやかに笑う。横で見ていた才介も、「ほぉー、見事にできるもんだな」と感心している。その横には、白木の新しい箱が置いてある。店主は軸を裂に包んで中へおさめると、引き渡しの用意のため奥へとさがった。手持ち無沙汰もあり、僕らは店内を見回した。そこには、真ん中の書画の部分に紙を貼っただけの表具が、いくつかぶら下がっていた。その一つを手に取り、才介は「これは、結構な時代もんだ。室町時代くらいありそうだな」と、丹念に見つめる。僕も後ろからそれを眺める。

 戻ってきた店主は、僕らの様子を見て説明する。「これらは、時代のある古い裂でしてね。たとえば、古書画の持ち主が変わったりすると、前の表装が気に入らなくて、別の素地に仕立て直すこともよくあります。要らなくなった表具も、こうしてとっておいて、また別のお客様が、この素地で表装してくれということも間々ありまして、見本としてこのように飾っているのです」「なるほど。それはわかる気がします。」僕の返答に、才介も「古い裂は貴重ですからね」と重ねる。店主は「はい。そうなんです」と言ったあと、思い出したように「そう言えば」と笑みを浮かべた。「この間、おかしなひとが来まして、古い掛軸を持ってきたんですが、とにかく表具が傷んでいたので、きれいに直しましょうと言いましたら、その必要はない。表具から絵をはがして別々にしてくれればいいというので、妙なことを言う方だなあと…」と言ったところで、「ちょっと待ってください!」と、才介が勢いよく右手を突き出し店主の話しを遮った。「ひょっとして、そのひとは、小柄で、短髪の白髪頭のジイさんじゃありませんでしたか?!」「は、はい。そうでした…」それを聞いて僕らは見つめ合い、そして、互いに指をさして「あっ!」と叫んだ。「扁額か!」と声を合わせると、僕らは急いで車に飛び乗り、師匠の店に向かった。

 

 そうだ。又兵衛の絵の部分だけをはぎ取って、それをあの扁額の裏に忍ばせたのかもしれない。ちょうど寸法が合う。師匠が、あれだけ執着したモノだから、どんなことがあっても簡単にはあいつらに渡さないはずだ。やつらは、箱は確認したが、肝心の軸の中身まではさすがに見ていなかった。走行中、僕の頭のなかに、あの絵のなかに描かれていた女性の眩惑的な微笑が、走馬灯のように映し出された。

 

 僕らが師匠の店に入ったときは、扁額もなくなっており、もぬけの殻だった。才介は、「あーっ!はっ、はっ!」と大きな笑い声をあげ、そのがらんどうの中央の床に座り込んで、「さすが、師匠!」と顔を上げて声高に叫んだ。あの名画は、師匠とともに、再び行方をくらましたのである。

 

(第18話につづく 8月15日更新予定です)

墨彩山水図筆筒 

曜変天目茶碗 南宋時代(12‐13世紀)

 

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