「骨董商Kの放浪」(19)

 濃紺に白い小さなドット柄のワンピース姿が目の前にあった。立った襟がクラシカルな雰囲気を醸し出している。彼女は、いったん赤絵の皿に目を向けたあと、ゆっくりと僕の顔を見た。「とても気に入ったので、これをいただけますか?」唖然としていた僕は我に返り、「あ、ありがとうございます」と慌てて頭を下げる。彼女はクスっと笑って、名刺を差し出す。名前をSaeと名乗った。名刺の下には電話番号が記されてある。「ここに連絡ください。すぐにお支払いしますから。そうしたら、届けてくださるでしょ?」僕は両手で名刺を掴みながら「は、はい」と答える。僕が「あの…、眼鏡…」と言うとSaeは「普段はコンタクトなの」と笑い、「では」と言って身を翻し、出口に向かっていった。外国製のややツンとする上品な香水の芳香が、しばらくその場に漂っていた。

 彼女が去るのと同時に、ネエさんが、まるでタックルをしてくるかのような勢いで、僕に近寄ってきた。「だ、だ、誰よ!?」僕は彼女について説明する。三代目の講座で一緒だったこと。度の強い眼鏡をかけていたこと。家に中国陶磁がたくさんあると言っていたこと、など。

 ネエさんは僕に背を向け、遠ざかりながら頭をかいて「こういう展開になるとは露とも思ってなかったわ」と、顔をいったん上に向けたあと、ややうつむき加減の体勢で右手を前に大きく開き「ちょっと待って。待って!頭を整理するから」と一人で興奮している。そして、静かに「強力なライバル出現ね。Reiちゃん」とつぶやき、「強敵よ」と一人で大きく頷いている。「要するに、目的は、あなたね」と言って僕の顔に指を向ける。「はあ?」僕の鈍い反応に、ネエさんはさらに興奮。「だってさ、あの娘が本当に、この天、啓、赤、絵の皿に、惚れると思う?ねえ?どう?」語尾を捲し立てて僕に詰め寄る。「だって、気に入ったと言ってたじゃないですか」僕の返答にネエさんは両手を広げ「WHY?」のポーズを取った。「あなたって、鈍いわねえ。いやー、これは、非常に面白い展開になってきたわ。よし、才介と盛り上がろう!」と言ったあと、急に僕の方へ静々と歩み寄り、「みごと売上、おめでとうございました」と小声で言うと、唇にそっと手をあて意味深な笑みを浮かべた。

 

 数日後、ひとまず、宋丸さんの店に報告に伺った。オールバックが、強い整髪料で今日は一段と光っている。お茶を出したReiは下がらずに、盆を抱え脇に立っている。僕は姿勢を正して切り出した。「宋丸さん。この度は、ありがとうございました。おかげさまで、天啓赤絵の皿、売れました。200万で」僕の報告に、宋丸さんは「そりゃあ、おめでとう!」と言ってカカカと笑った。それを見て、Reiは「どんな方がおもとめになったんですか?」と、先日と同じ質問をした。Reiからは、最終日の夜に電話があり様子を訊かれたので、売れたことを知らせてあり。すると電話口ではしゃぐ声がし、そのあと、この質問をされたのだ。そのとき僕は、ネエさんの茶化しもあってか、本当のことが言えずに、何となく言葉を濁してしまったのである。

 僕が言葉につまっていると、宋丸さんは「まあ、お客様のことだから。ここで話さなくてもいいだろ」と笑う。Reiは少々不満の顔。宋丸さんはお茶を一口飲んで言った。「でも、あの皿をあの値段でお買いになるんだから、よっぽどのお方だよ。あれは、昔は高かったものだから。昔を知っている御仁(ごじん)だろうよ」僕はその言葉に耐えきれず、「いやー、そんなに古い方ではないんです」と返答。「ほお、まだお若い方か?」宋丸さんが僕を見る。「まあ、はあ」「若いって、支店長くらいですか?」すかさずReiが突っ込む。僕が首を傾げながら「んー。もうちょい若いかなあ…」。宋丸さんは目を丸くして、「へえ、そうか。K君。それは、良いお客さんをつかんだな」と感心のまなざし。僕は、Reiの視線を避けるように店内を見回した。すると展示室の奥にある、かなり古いフクロウのやきものが目に入った。僕は救われたような気がして、「あれは、フクロウですよね?」と訊く。宋丸さんは「あれか?ちょっとお嬢さん、こっち持ってきて」と指示。Reiがそれを袱紗(ふくさ)の上に置いた。

 それは、高さ15センチほどの、今から約2000年前の漢時代の作で、フクロウを象(かたど)ったやきもの。首から上の顔の部分と胴体が別々につくられ、頭部と胴部が着脱式になっている。要するに、胴部の上に顔が乗っているのだ。頭部と羽の部分には緑釉(りょくゆう)、その他の胴部には褐釉(かつゆう)が施されており、単色が一般的なこの時代では、二色が併用された珍しい作例のモノ。漢時代らしい、フクロウのひょうきんな顔の造作が何ともユニークで愛らしい。僕は思いつく。そうだ。これを犬山にプレゼントしようと。犬山の性格上、今回の件で金は受け取らない。しかし、あいつの好きなフクロウの、しかも骨董品となれば喜ぶことだろう。僕は恐る恐る宋丸さんに値段を訊いた。「すみません。なるたけ安くしてください」宋丸さんはカカカと笑い、ずいぶんと値切ってくれた。

 

 翌日、僕は風呂敷包みを抱えて、犬山を訪問。例のごとく、昭和の映画でも見ているのか、犬山は僕を一瞥し「おう」と言ったきりテレビに集中。そこにはモノクロの画面が映し出されている。「また、ずいぶんと古そうな映画だな」犬山は画面を見据えたまま「小津安二郎昭和16年『戸田家の兄妹(きょうだい)』。『東京物語』の原型だ」と言った。相変わらずよくわからなかったが、画面には、大広間にたくさんの書画骨董品が置いてあり、何人かの骨董屋が品定めをしているシーンが映っている。犬山は解説。「これは、大旦那が死んで、その大量の収集品を整理している場面だ。おまえの仕事もこんな感じか」と訊く。出入りの商人が一時(いちどき)に何人も出張るなんて、今どきこんな光景は、余程の大コレクターでないとみられない。「こんな大げさな仕事じゃないよ」僕は答える。「おまえも、このくらいの大御所と知り合いになれたら、一気に金持ちになれるのにな」犬山は軽く笑った。「あほか、そんな簡単にいくか」僕の返事に「そりゃ、そうだ。ハハハ」と今度は声高に笑った。

 「実はさ、これをおまえに進呈しようと思って」僕は風呂敷包みをほどいた。「何じゃ?」と犬山。「この間のイベントで、おまえからもらった天啓赤絵の皿が首尾よく売れてな。金を渡すのもなんだし。まあ、御礼として」「高く売れたのか」「まあ、おかげさまで」「そりゃ、めでたい。役に立ったか。祖父(じい)さんの骨董」「と、いうことで」と言って、僕は箱から中身を取り出した。犬山は「おおっ!」と、座ったまま一瞬宙に浮いたようなリアクション。「漢時代のフクロウだ」僕の説明に、犬山は左手を顎につけ「古代の鴟鴞(しきょう)だな」とうなる。フクロウは鴟鴞ともいう。犬山は僕の顔をまじまじと見つめて、「いやあ、おまえも粋なことをするねえ。有り難くもらっておくよ」と言って、モノを箱にしまう。「飾らないのか?」の問いに、「ばかやろう。こういうものは、時々出して、ニッて笑うもんだと相場が決まってんだ」江戸っ子らしい言い回しに、僕はなるほどとうなずいた。「で?どんな旦那が買ってったんだ?」犬山はさらりと訊いてきた。ネエさんのあの様子だと、どうせ近々情報がいくだろうと思い、この一件を話した。犬山はしばし考えてから、「つまり、どこかのご大家(たいけ)のご令嬢が買っていったってことか」と言って、テレビ画面を指さした。「おまえも、運が向いてきたかもな」画面には、戸田家の豪勢な屋敷が映し出されていた。

 

 フェスが終わりほどなくして、Saeから天啓赤絵皿の支払いがあり、僕は品を持って指定された場所へ赴くことに。そして、その場に立った僕は大いに怯(ひる)んだ。都会のど真ん中でありながら、そこはまるで英国の公園を思わせる緑の芝が敷きつめられ、そのなかに、ヴィクトリア朝風な煉瓦造りの洋館が、厳かに建っていたからである。雲間からさす一条の夕陽を受けている様は、まるでターナーの絵画のようだ。僕は目を丸くして、都心にこんな場所があったのかとあたりを見回す。入口の前に立ったはよいが、格調ある玄関の扉へ向かう五、六段の石の階段を上れずに、僕は、赤煉瓦の外観を見上げながらしばし佇む。一息吐くと、この建物とは不釣り合いな風呂敷包みを抱えながら、石段を一歩一歩上ぼり始めた。やがて扉の前に立つ。すると、ホテルのドアマンのような服装をした男性が扉を開けた。僕は軽く頭を下げながら、歩を進める。ヨーロッパの小宮殿のような内部の雰囲気に気おされ、歩む速度が急に弱まる。それを見計らったかのように、一人の身なりのよい初老の男性が近寄ってきて、左手の部屋へ僕をエスコートした。そこは、シックなバー・カウンターであった。僕は促された椅子に腰かけ、古色が滲み出ている天板の上に風呂敷包みを置く。何と似つかわしくない光景であろうかと、ふとそう思ったがそれ以上の思考が進まず、僕はただ固まっていた。

 そこへ彼女が現れた。やや暗めの照明のせいだろうか、ハチミツ色にみえる地に黒い小さな水玉模様が端正に広がるワンピース姿のSaeは、ゆったりとした笑みをつくり、「お待ちしてました」と僕の横に腰かけた。大きな黒い瞳に見つめられ、僕はさらに硬直する。「凄い家ですね?」ようやく発した僕の言葉に「ここは、父の経営しているフレンチレストランなの」と彼女は笑顔。僕は「このたびはありがとうございました」と言って風呂敷包みに手を伸ばす。それを彼女は制する。「ここでは、ちっともきれいにみえないわ。あとにしましょう」Saeはバーテンダーを呼び、カクテルを二つ注文した。 

 

 Saeの父上は名(な)うての実業家。ここは、1階と2階がレストランで、3階が父の私室になっていると彼女。そして、そこには二つの展示室があり、先代から蒐集した中国陶磁の一部が飾ってあるとのこと。ここで食事をし、そのあと3階の展示室で美術品を鑑賞する。国内外のお客様をもてなすための、迎賓館的役割をこの建物はしているとSaeは説明した。僕はスケールの大きさに唖然。犬山の部屋で見た映画の屋敷が頭をよぎる。

 今度は、Saeのことを訊いてみた。年上と確信していた彼女の年齢が、僕より一つ下ということがわかり仰天。この大人びた雰囲気と落ち着きは、やはり育ちからくるものだろう。ただ、Saeの醸し出す泰然とした空気に、僕は不思議と気持ちが安らいでいくのを感じていた。会話が進むにつれ、自然体になっていく自分がそこにいるのである。それは、彼女の美麗な瞳から放たれる眼の光に因(よ)るものであったが、その光がどんなものであるか、このとき僕はまだわからずにいた。

 

 食前酒を飲み終わり、Saeはレストランへと誘(いざな)う。僕は食事を想定していなかったのでやんわりと断ると、今日は好きな作品が手許にきたおめでたい日だから、と言って先に歩き出す。僕はあとに続くしかなかった。

 部屋は個室。豪奢なシャンデリアにロココ調の室内装飾が、再び僕を緊張させる。Saeの結んだ口元を左にきゅっと上げる微笑が、少しずつそれをほどいていく。給仕が一人付き、やがて食事が運ばれる。一品目の料理を見て、僕はかなり腹が減っていたことに気づく。給仕の説明が終わると、さっそくフォークとナイフを動かした。何の肉か頭に入っていなかったが、このテリーヌがめちゃくちゃ美味い。そしてキャビア。実はまだ食(しょく)したことがないのだ。僕がキャビアをじっと見つめていると、Saeがくすりと笑う。そして、少し首を傾け柔和な笑みを向けた。僕がそれに応えて、にっと軽く笑うと、彼女は「ふふふふ」と口元を崩した。「ねえ、Kさん」「はい」「また今度お食事つき合ってくださる?」「えっ?」と言って、僕は慌ててキャビアを口に含んだ。「ん!美味い!!」すると、Saeは両手を口元に当て「可愛い」と言って笑った。僕は紅潮する顔を隠すように、次々と料理を口に入れ、そしてシャンパンを一気に飲んだ。

 

 たっぷり二時間に及ぶコース料理が終わり、食後の紅茶を飲み始めたときである。部屋の扉が開き、50代後半と思(おぼ)しき紳士が現れた。Saeのファーザーだと直感。Saeは振り返り、「パパ!」と言う。やはり。ファーザーは、白髪が程よく混じった髪とあごひげが整っており、いかにもダンディという清潔感に溢れている。チェック柄のジャケットに綿パンのカジュアル姿であるが、スタイリッシュな着こなしは流石。アッパークラスのオーラに、僕は直立不動となった。その姿を見て、ファーザーはきれいな笑みをみせた。愛嬌のある、と同時に威圧感もある。Saeが僕を紹介。「よく、いらしてくれました。Kさん。遅くなりまして。このあと、3階で待ってますよ。今日は名品が来ると言われ、楽しみに帰って来たんだから」右手を広げてそう言うと、ファーザーは軽い身のこなしをみせて出ていった。僕は、ただただ恐縮するのみ。それを見てSaeは、楽しそうに笑った。

 

 3階の展示室は、さながら美術館のようだった。僕は昨年訪れた、大手化粧品会社の大規模な美術館のなかにある、瀟洒な小部屋の展示室を思い浮かべた。天井は高くはないが、かえってそれがプライベート観(かん)を演出している。やや暗めの空間のなかで最新のLEDライトの照明が、作品を際立たせていた。「美術館ですね」と僕が感嘆すると、「先代がだいぶ力を入れて蒐集(しゅうしゅう)してね。わたしはそれを受け継いで、時々買い足している程度ですがね」ファーザーの謙遜に僕の言葉が出ない。「中国陶磁を通史的に蒐(あつ)めようと思っていて。それで、わたしの持っていない時代で、良いモノがあると娘が言いましてね」ファーザーはSaeに目をやる。Saeはにっこりと微笑んだ。

 そして僕を、展示室に隣接する応接間に案内した。そこには、ひとりの男性が立っていた。僕の姿を見て、眼鏡の男性は深々と頭を下げる。それを見てファーザーは「この方は、オークションハウスの担当者です」と紹介。彼は歩み寄り、「はじめまして」と言って僕に名刺を差し出した。名刺をもらうたびに僕は後悔の念。早く自分の名刺つくらねばと。そこには、世界的に有名な大手オークション会社の名前があり、肩書は中国陶磁エキスパートとある。まだ40歳くらいにみえるが、エキスパートか。僕は名乗り頭を下げると、ファーザーはソファに手を向け、皆に座るよう促した。

 僕はこの上ない緊張感のなか、持参した風呂敷包みを解いていく。その手が若干震える。「素敵なモノよ」Saeの一言にやや救われた気持ちになり、天啓赤絵の皿をテーブルの上に置いた。皆の注目が集まるなか、一瞬にしてファーザーは、屈託のない笑みをはなった。「いやあ、虎の図はなかなかないねえ。確かに、明末清初は、わたしの持っていない時代だ」明末清初とは、明時代末期から清時代初期の、17世紀前半頃から後半頃にかけての60年くらいを指す。主に、貿易用の磁器がつくられた時代で、このときに中国陶磁は、日本や東南アジア、ヨーロッパに広く渡ったのだ。この天啓赤絵も日本人が好んで、数多く輸出された。エキスパートも大きくうなずいて「確かにあまり見ない図柄ですね。天啓赤絵らしいラフさがありますが、絵は実に丁寧に描かれています」と褒める。その言葉に「ですよね」とSaeが反応。緊張の糸が一気にほどけていった。

 

 「さあ、Kさん。今度は展示室を見てください」ファーザーを先頭に、僕らは展示室へ。壁面の大きな展示ケースには、主に、寸法のある作品、主要な作品が。中央の背中合わせになる横長の吊りケースには、小形の作品が飾られている。入口から年代順に、その時代を代表する作品が並ぶ。新石器時代の土器を筆頭に、僕の好きな唐時代の三彩がずらり。いきなり僕は圧倒された。巨大な二頭の馬が目に飛び込んできたからである。高さ70センチを超える大形の馬は、三彩のなかでも数少ない。地が白釉(はくゆう)と褐釉(かつゆう)の二頭。白毛と栗毛の汗血馬をモデルにしたのだろう。脚やお尻の筋肉の盛り上がりは、写実的で量感に溢れている。馬の俑(よう)は、それ以前の漢時代(前2世紀~2世紀)から北魏北斉時代(6世紀)にも数多く製作されているが、このダイナミックな表現は、いかにも大唐帝国を象徴する迫真性に満ちている。

 

 三彩は、唐時代を代表する7~8世紀のやきもので、主に、白・褐・緑の三色釉で構成される。実用器ではなく、すべて墳墓に埋納する副葬品。権力者たちが威信をかけて、みずからの墳墓を豪勢に設えようとする当時の風習もあり、大量の三彩がつくられたのだ。

 「このサイズになると、相当位の高い権力者の墓から出土したものと思います」と、エキスパートは説明。僕は本物の迫力を肌で感じ、「二体もあるなんて、凄いです」と言うのが精一杯。また、隣りにある三彩の壺も見事だ。この形は、唐三彩を象徴するモノとして三代目の授業でもよく出てきた。確か、「万年壺(まんねんこ)」と呼んでいた。このタイプの壺のなかに穀物が入って出土したことから、万年の糧を入れる壺という意味で付けられた俗称とのことだった。胴部の豊かな膨らみが特徴で、その胴部に、宝相華という唐時代独特の架空の花を円形のなかにあらわした文様が、「貼花(ちょうか)」という貼り付けの手法で胴部三方に施されている。いかにも唐時代らしい異国情緒に富んだ作品。僕はこれが、よく全集か何かの写真で見た気がしていた。僕の様子を見て、ファーザーは語る。「これはね。いろいろな本や展覧会に出てましてね。わたしの父のお気に入りの一つでした」やはり、そうか。驚きの連発。

 

 中央の吊りケースには小形の瀟洒な作品が並んでいる。その内の一点に僕の眼が注がれた。明(みん)時代の高さ10センチほどの色絵の杯。細く高い脚が付いた器形で、授業ではこの形状を「馬上杯(ばじょうはい)」と呼んでいた。高い脚の部分を手に持ち、騎乗で掲げる杯ということでその名がついたとされる。

 

 それは、何とはないものでもあったが、不思議と惹きつけられた。何故だろう?飛び抜けて目を瞠(みは)るモノではなかったが…。僕は、一度進みかけたが、また引き返し、その馬上杯の前に立つ。「Kさん、気に入ったの?」とSaeの視線。僕はそれに応えず、意識が馬上杯へと吸い込まれていくのを感じていた。何か妙だ。頭がくらくらとして目の焦点がぼやけていく。やや朦朧とした状態のなかで、ネエさんの「宿命」と、Z氏の「業(ごう)」のフレーズが、僕の脳裏にぼんやりと現れ、浮かんでは消え、そして交差し、僕の心を千々(ちぢ)に乱した。「ねえ、Kさん」と軽く肩を揺すられ、僕は我に返りSaeを見つめた。彼女の大きくて温かい瞳が、僕のざわついた気持ちを、平静に戻してくれたような気がした。

 

(第20話につづく 9月6日更新予定です)

 

豆彩花唐草文馬上杯 明・万暦在銘(1572-1620)

緑褐釉フクロウ 漢時代

唐三彩馬一対 唐時代(7-8世紀)

唐三彩貼花文万年壺 唐時代(7-8世紀)

にほんブログ村 美術ブログ 古美術・骨董へ にほんブログ村 美術ブログ 創作活動・創作日記へ にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ にほんブログ村 美術ブログへ