骨董商Kの放浪(30)

 翌日の午後、ぼくは宋丸さんの店に向かった。今日の目的は二つ。先ずは、今回仕入れたモノを見てもらうこと。定窯白磁碗と黒釉碗の二点。そして、Saeのところの万暦豆彩馬上杯について訊くこと、である。扉を開けると、Reiが笑顔で出迎えた。

 「よかったですね。良い仕入れができて」今回仕入れたモノについてはすでにReiに知らせてあり。「良い仕入れなのかどうかは…」判決は今日、宋丸さんによってくだされる。その宋丸さんであるが、どうやらまだ来ていないようだ。「その黒い碗の方は、Kさん、どんな感じなの?」「うーん。ぼくは、変な新物(あらもの)には思えないけど。どうかなあ」ママの店で買った黒釉の碗について、Reiは、宋時代に磁州(じしゅう)窯(よう)という華北の窯で黒釉の作品が数多く焼造されているから、そういうものではないかと考えているようだ。ぼくもそうかもしれないと思いながら、でも何か別のモノのような気もしていた。何しろ宋丸さんの見解を聞きたい。

 

 Reiの出されたお茶を一口飲んだところで、宋丸さんが風呂敷包みの箱を小脇に抱えて入ってきた。「おう、どうだったよ。香港は」「無事、帰ってきました」「ハハハ。そりゃ何よりだ」宋丸さんがドカッとソファに腰を落とすと、まもなくRei熱いお茶を前に置いた。「それで、今日見てもらいたくて。仕入れたモノ」ぼくは持ってきた風呂敷包みを解く。それを見ながら「おい、おい。あんまりびっくりさせるなよ、K君」と、宋丸さんは楽しそうにお茶を口に運んだ。

 

 「これなんですが」と、ぼくは、先ずは定窯白磁、それから黒釉碗を、Reiの敷いた紫の袱紗の上に並べた。宋丸さんは腕組みをしたままソファにもたれかかり暫し眺める。そして、お茶をゆっくりと口に含んだ。真剣な眼だ。その動作を一、二度繰り返したのち、ようやく身体をやや屈め、卓上の白磁を右手でつかんで裏をひっくり返し小さく頷くと、すぐに袱紗の上に戻した。ぼくは固唾をのんで凝視する。再びお茶を啜ってから宋丸さんは口を開いた。「うん。これは、良いもんだ」よしっ!ぼくは心のなかで叫び、両こぶしに力を入れた。宋丸さんは上体をややそらせ、白磁を遠目から眺めるようにみつめたあと、「良いもんだ」と確認するようにつぶやいた。「ありがとうございます!」横に立っていたReiが両膝を折り曲げ白磁に顔を近づける。「愛らしいモノですね」なかなか良い表現だ。ぼくは満面の笑み。宋丸さんは、お茶のおかわりを告げると、隣りの黒釉碗を手に取った。

 

 これだ、問題は。ぼくはさらに凝視。宋丸さんは、定窯と違って両手に持つと、見込みをじっと見たあと、裏を返し高台部分を確認し、手のひらのなかで元に戻すと、今度は口縁部をぐるぐる回しながら、覗き込むように見込みに眼を近づけた。何やら時間がかかっている。頃合いをみて、ぼくは唾を飲み込み「どういうモノでしょうか?」と訊いた。

 宋丸さんはそれに応えず、ゆっくりと碗を卓の上に置くと、Reiの淹れた新しいお茶に一度口をつけ、再び黒い碗を手にした。そしてやや窓側に寄ると、陽の光にかざすように碗の角度を変えながら顔を動かした。それに応じて器の表面が時おりてかるのが見える。Reiも横で立ったまま、その様子をうかがっている。両手のなかで碗を微妙に動かしながら、宋丸さんは、もさっと言った。「おい、何だか、やたらと擦れてないかよ?」「…はい」そうだ。黒色の碗の見込みには、引っ搔いたような擦れ痕がいくつも入っており、それが結構目立っていてぼくも気になっていたのだ。しかし、それが後から付けたものではなく、本来の自然な状態によるものとぼくは感じていた。宋丸さんも、その擦り傷が気になっているのだろう。

 「うーん」宋丸さんは一つうなったあと、両手でつかんでいた碗の右手をはずした。ぼくは宋丸さんの一挙手一投足に集中する。すると宋丸さんは、はずした右手をいきなり口のなかに入れた。「ん!??」そして、四本の指を口のなかで何度も回すと、べったりと唾(つば)のついたそれを碗の見込みに擦りつけた。「うっ!」ぼくとReiはお互い渋面を交わす。宋丸さんはその動作を五、六度繰り返すと袱紗の上に碗を戻し、見直すようにじっと目を向けた。そして「これで、良くなった」と、カカカと一つ軽快に笑ったあと、ぼくに視線を投げた。「おい、どうだよ。良くなっただろ?」確かに、宋丸さんの唾によって見込みのきつい擦れ痕が抑えられてはいる。しかし…。ぼくは宋丸さんのつばきにまみれた碗を引き寄せる気力がでず、「はあ」と言って宋丸さんをみつめた。すると宋丸さんはにたりと笑い、指を三本立てた。「?!」頭のなかに、前に見たような光景が広がる。そうだ。これは、高麗青磁の小皿を買ったときのしぐさだ。あの時は、確か、300万だった。そうか、よし!買ってもらおう!もはや宋丸さんのつばきに覆われた碗など持ち帰りたくない。ぼくみは乾いた喉を潤すように、残っていたお茶を一気に飲み干すと「お願いします!」と頭を下げた。それに対し宋丸さんは、またカカカと笑い奥に下がっていった。

 「よかったですね!」Reiがしゃがんで近寄る。「うん!」うきうきしながら両膝をしきりと擦っていると、案外早く宋丸さんが戻ってきた。そして、ぼくの前に茶封筒を置いた。「ん?」結構、薄い。「…」「確かめてくれよ」ぼくは封筒のなかの一万円札を数える。30枚あった。なるほど。「30」ということか。了解。大丈夫。充分儲けは出ている。ぬか喜びした自分を反省するように、ぼくは頭の後ろを三度叩いてから、「どうもありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 

 「ところで、いったい、これはどこの窯のモノですか?」黒釉碗を前に、乾杯の儀式である瓶のコーラを口に含みながらぼくは訊く。「これかあ」宋丸さんは嬉しそうに笑ったあと、「耀州(ようしゅう)だろう」と言った。「耀州窯ですか」「厄介なモノだな、おい、K君」宋丸さんはコーラをぐびっと一飲みしてから、「あー、面白い」と、カカカと笑った。

 耀州(ようしゅう)窯(よう)とは、宋時代の青磁の名窯として知られているやきもので、オリーブグリーンの釉色が特徴。定窯同様、器面に彫り文様が施されている例が多く、色が深く濃いため、表面と彫られた文様部分に溜まる釉色のグラデーションが最大の見どころとなっている。この碗は、ほとんど青磁しか生産していない耀州窯でつくられた至極稀な黒釉の作品。つまり、たいへんな珍品ということ。したがって、駆け出しのぼくにわかるはずはない。見込みの擦れ痕だが、宋時代になると碗のなかで茶を点(た)てるようになる。この時期茶筅(ちゃせん)の代わりに金属の匙で強くかき混ぜた。これを「撃払(げきふつ)」という。かき回しながら強くうちつけたり(撃)、軽く払いかえす(払)ということからその名が付いたのだが、表面についた幾多の擦り痕はその「撃払」によるもの。つまり、当時についた自然な傷ということである。

 

 コーラを美味しくいただいたあと、ぼくは大きく息を吐き両膝の上に手を置き背筋を伸ばすと、二つ目の大事な目的を切り出した。マダムの件である。

 

 「宋丸さん、実は、知り合いのところに万暦豆彩の馬上杯があるのですが。それについて訊きたくて」宋丸さんの目がじっとぼくを捉えたまましばし留まる。そして、「それは、エリタージュにあるものか?」「えっ!」何とも素早い反応。ぼくは「し、知ってるんですか?」と逆に訊く。「あれはぼくが扱ったモノだからな」やはり、そうか。「あれは名品だ。世に一つしかない。万暦豆彩の馬上杯といったら、あれしかない」宋丸さんは静かに目を閉じた。ぼくは前のめりになり「昭和45年の領収証が入っていて」と言うと、「昭和45年かあ。そうだったなあ。万博の年だった。あの御仁(ごじん)に買ってもらったのは」宋丸さんは懐かしそうに顔を上げる。「それは…、直前に中国から入って来たものではなかったでしょうか?」ぼくはさらに前のめりなって訊く。再び宋丸さんの目が留まる。そして口を開く。「中国?」「はい。中国から仕入れてきたモノじゃなかったですか?」宋丸さんの顔が急に崩れた。「バカなことを言うなよ。ハハハ。あの頃、中国から来るわけないだろ」笑いながら、「あれは、戦前にうちの旦那が扱って。その家から出たモノだ。古い良い箱に入っているよ。仕込みの二重箱で」「そうでしたか」ぼくは少し肩を落とすとお茶に手を伸ばした。話は、また振り出しに戻ったような気がした。

 

 「良かったですね。宋丸さんに認められて」街並みがクリスマス仕様となり始めた銀座通りを歩きながらReiが微笑む。「うん」ぼくは最初の関門をクリアしたことに手応えを感じていた。定窯は、三代目の目利きがあったが、黒釉に関しては、ほぼ勘で買ったようなものだ。素性はわからぬが、贋物ではないような。その程度の勘だ。でも、それが間違いなかったことは、ぼくに大きな自信をもたらせたのである。

 帰り際、ぼくが扉の取っ手を押しかけたところで、いつものように宋丸さんの長話しが始まったが、宋丸さんはその最後にこう言ったのだ。「しかし、K君。香港ていうところは、おい、面白いところだなあ」ぼくはそのフレーズを思い浮かべていた。そうだ。あんなモノがママの店に置き去りにしてあったのだから。ぼくは中国陶磁の奥深さを改めてかみしめていた。

 Reiが横できょろきょろと首を動かした。「どうしたの?」「ねえ、お守りはどこ?」「あっ、鞄のなか」ぼくは背負っていたリュックに指を向ける。「出して」「今?」「そう」Reiが手のひらを差し出す。ぼくはいったん立ち止まって鞄を下に置き、ジッパーを開けお守りを取り出した。再びリュックを肩に掛けると、Reiはぼくの背後にまわり、右サイドにあるフックにお守りを結びつけた。「これで、よし!」Reiは二、三度お守りを軽く叩くと微笑する。「でも、そんなところに付けたら、お守り汚れちゃうぜ。白いんだから」「いいんです」過美なイルミネーションのなかで、Reiの澄んだ笑みが眩しく映る。ぼくは首をねじって小さな白いお守りをみつめた。ひょっとしたら、本当は、このお守りに助けられたのかもしれないと、このときそんな思いが頭をよぎっていた。

 「ねえ、Kさん。もう忙しくないでしょ?」ベージュのアウターの袖口をやや引っ張り上げながらReiは訊いた。「うん。まあね」一瞬マダムの件が頭をかすめる。「じゃあ、映画観に行きません?」「映画?」「はい」「映画かあ。しばらく行ってないなあ」「観たい映画があって」「へえー、いいよ。行こうよ。何?」「三丁目の夕日」「ん!」その瞬間ぼくは顔をしかめた。目を閉じ独り悦に浸っている犬山の顔が、でんと頭に浮かんだからである。「嫌ですか?」と覗き込むReiの目線に「いやいや、大丈夫。行こう!」と、ぼくは気を取り直し元気よく答えた。

 

 マダムからの連絡が入ったのは、それから数日後のことであった。東京に戻ってきたという。ぼくはすぐにSaeに知らせ、エリタージュに伺う日程を決める。三日後の水曜日となった。

 その日マダムは、黒革のハーフコートに身を包み、意を決したような面持ちで現れた。エリタージュの入口で、ぼくはSaeを紹介する。「はじめまして」Saeが笑顔で会釈。「今日はごめんなさい。突然押しかけまして」マダムは、柔らかながら引き締まった笑みをみせ丁寧にお辞儀をした。「どうぞ、こちらです」とSaeは先導しエレベーターで展示室のある3階へ向かう。その間ぼくらは終始無言。張り詰めた空気が周囲を覆う。

 展示室の隣りにある応接間の前に来ると、Saeが「こちらにご用意してあります」とドアノブに手を掛けた。その声を聞き、マダムは小さいが深い息を吐いた。そしてなかへ入る。ソファに囲まれた低いテーブルの上に、色絵の馬上杯が載っているのが目に入るや否や、マダムは足早に駆け寄った。「ああっ!」という声が室内にこだまする。ぼくも近づく。マダムはしゃがんで杯を両手に抱えるように持つと目を潤ませた。「ここに、あったのね」幾度となく吐く息が震えている。Saeが近づいて訊いた。「これ、でしょうか?お探しだったモノは」マダムはそれに答えず、じっと目を閉じ「ああっ!」と再び深い息をもらすと、杯を手にして俯いたまましばらく動かなかった。やがて吐く息が穏やかになると、マダムは瞼を開け、杯を掌(てのひら)のなかで包み込むようにして、少しずつゆっくりと回し始めた。まるで離れ離れになった我が子と再会した母親のような愛おしい眼を浮かべながら。そうなのだ。まったくその通りなのだ。本当に、待ち焦がれていた再会なのだ。マダムの手の温もりが杯に伝わっていく。そのしぐさを、僕とSaeはただじっと見つめていた。やがて、しんみりとSaeがつぶやいた。「よかったわね…」

 

 マダムはしばらくの間、杯を両の掌のなかでなでるように回していた。遠い日の記憶が蘇っているのだろう。ガラスケースのなかで、小さいながらも凛として佇んでいた在りし日の姿を、それが飾られていた居間の風景を、そしてそれを取り巻く家族のひとたちの笑い顔を、マダムは今、思い起こしているのかもしれない。

 

 ぼくが側にしゃがんで「マダム」と優しく声をかけたときであった。杯を見つめていたマダムの眼が突然険しくなったかと思ったら、急に何度も杯を繰り返し回し始めると、赤い花文のところで手をとめ、じっと目を落とし眉根を寄せた。そして言った。「違う」「えっ!」「これとは違う」「どういうことですか?」「違うモノだわ」マダムは信じられないというような顔をして、いったんぼくに目を向けると、すぐに杯に目を戻した。「祖父の持っていた馬上杯は、ここに少し緑色が付いていて」と言って、唐草文様で繋がれた赤い花の左斜め上を指さし、「よく覚えている。ここに、ちょこんと、緑色が飛んでいた。それが可愛くて。でも、これには無い。これじゃない」

 

 ぼくは、テーブルに載っている二つの箱に目を向けた。柾目の細かい桐箱とそれを容れる外箱は、赤茶色をした漆が塗られている。内箱は絹の、外箱は木綿の真田紐で結わいてある。戦前期の日本の箱であった。「これは、容れる箱?」馬上杯の向こうに置いてある箱に目を向けるとマダムは訊いた。「はい」とSaeは答えた。マダムが箱を見つめる。「わたしはまだ小さかったから箱のことまで知らなかったけど、こんな箱があったのなら憶えているはずだわ」「これは、わたしの祖父が1970年に手に入れたモノで、その前の持ち主が戦前期に所有していて、そのときにこのような箱に仕立てたと聞いています」「そう」とマダムは小さな吐息とともに肩を落としてうなだれた。「祖父はこの世に二つとないモノだと言っていたけど、もう一つあったのね」ただ、ぼくはにわかには信じられなかった。E氏も、宋丸さんも、世界で唯一のモノと言っていたわけで。「本当に違いますか?」ぼくは確かめるように訊く。「違うものだわ。それだけは、わかる」マダムのその表情を見てぼくは確信した。宋丸さんの言っていたとおり、この馬上杯は戦前期に日本に将来されたモノであり、そしてもう一点、この世に同じモノが存在するということを。

 

 Saeがそっとマダムの手を取りソファに促した。マダムは腰かけ深く一息つくと、ゆっくりと背もたれに寄かかり身体を沈めた。やがて運ばれてきた紅茶に口をつけると、もう一度杯を見つめて言った。「やっぱり、もう出会えないのかしらね」左手で持ったカップがソーサーに置かれる、そのカタっという音が静かに耳に入った。ぼくはその左手を見つめた。そのときぼくの脳裏に、以前、骨董フェアで鍍金の飛天を逃したときに言ったネエさんの言葉が蘇った。「優れたモノは、絶対になくなったりしない。そして、思い続けると、またいつかきっと巡り合う」そして、宋丸さんが高麗青磁の小皿に向けて言った「百年待ったよ」のフレーズが浮かんだ。

 「マダム、そんなことありません。絶対に出会えます」ぼくの力のこもった声にSaeが続く。「わたしも、そう思います」「ありがとう。わたしもそれを信じているわ」マダムはようやく口元を緩めた。

 

 せっかくだからと言って、マダムは展示室を見て廻った。「どれも素晴らしいわ。オークションなんかに出たら、たいへんな値段になるわね」そして、足を止める。眼の前にあるのは唐三彩の壺。俗に万年壺と呼ばれる作品。胴部の豊かな張りと華麗な色釉が唐文化の華やかさをあらわしている。「わたしは好きだわ。唐三彩」「ぼくも大好きです」白、緑、褐の三色に藍が加わっているこの壺は、釉(うわぐすり)に透明性があって殊(こと)に美しい。Saeも近寄って「わたしもです」と微笑み、「古いものなのに、色が煌びやかで冴えていて、でもやっぱり落ち着いていて」と、マダムに顔を向けた。「どんなところがお好きなんですか?」Saeの問いかけに、マダムはじっと万年壺を見据えてから、「だって…」と発したあとやや間を置き、「自由じゃない」とつぶやくように言った。「自由…?」ぼくはふいをつかれマダムを見やる。「それぞれの色が、思うがままに発色して、それが何の縛りもなく気ままに流れていて。自由だわ」その言葉を聞き、ぼくは三彩をみつめた。清澄な色色が、特段区画されたなかに限って賦されているのではなく、一色一色が口縁部から幾条にも垂らされ、それが裾に向かって自在に流れている。それは時には入り混じり、胴の途中で止まっているものもあれば、底裏まで伸びているものもある。色も二色だったり、このように四色だったり、確かに自由さを奏でている。ぼくは三彩に対して「自由」という発想を持ったことがなかったが、なるほど、言われてみればその通りだ。ただそれが、マダムの口から発せられたことにぼくは重い意味を感じていた。流れている釉色は、淡い部分と濃い部分があり決して一定ではないが、そのためらいのない自然さが、息づくような力になっているようにみえた。横にいるSaeはどんな心境で見つめているのだろうか。ぼくたち三人はそれぞれの思いを胸に、しばらく唐三彩万年壺を見つめていた。

 

 数日後、ぼくはReiと「三丁目の夕日」を観に映画館へ。館内はほぼ満席。よほどヒットしているのだろう。ぼくらはポップコーンとドリンクの置かれたトレイを手に席に座る。先ずは本編迄に、次々と流れる様々な予告編と上映中作品の宣伝画面を目にする。そのなかの「ハリーポッター」シリーズの作品に、ぼくの気はそそられた。「こっちの方が断然オモロいだろうな」と内心そう思ったが、今回はReiのご所望。ぼくはポップコーンをつまみながらぼんやりと筋を追う。東京タワー完成間近、昭和33年の東京下町を舞台に繰り広げられる物語。VFXで当時の街並みがかなりリアルに再現されているのは見事だ。ぼくは話の経過とともについのめりこんでしまい、何と、クライマックスの茶川と淳之介が抱き合うシーンでは、不覚にも涙を流していた。Reiもハンカチを手にし鼻をすする。鑑賞後、ぼくらは歩きながら感想を述べあったが、今日感動の余り涙したことは、犬山には何としても話すまいと思った。鬼の首を取ったかのようなあいつの有頂天顔は見たくもない。

 「ねえ、Kさん」会話が途切れたタイミングを見計らうかのように、Reiが覗くように訊いた。「万暦豆彩の馬上杯って何のこと?」「ああ。うん…」先日の宋丸さんとの会話のなかで、耳にしたと思われる「万暦豆彩馬上杯」。宋丸さんの答えに対しがっかりした、あの時のぼくの反応をみて、Reiは、その日の帰り道あえて尋ねてはこなかったが、やはり気になっていたのだろう。「それが…」と、ぼくは考え込んだ。マダムの一件をReiはどう感じるだろうか。Reiに話したいのはやまやまだったが、事があまりにも大きすぎて、ぼくはどう伝えてよいかまだ整理できずにいた。軽々に口にすることではないし、話すのなら真剣に語り合いたい。「ごめん。まだ、ちょっと、うまく言えなくて…」Reiがにこりと微笑む。「いいの。ごめんなさい。変なこと訊いて」「いや、そんなことなくて」「でも、話したくなったときは、聴かせてください」「うん。もちろん!」一枚の黄金色の落ち葉が、Reiの紺色のコートの肩に舞い降りると、滑るように落下していった。それは藍のなかに流れ込んでいく黄色い釉(うわぐすり)のようにみえた。

 

 翌日、ぼくはLioの店で仕入れた漢時代の緑褐釉蝉炉を携えネエさんの店を訪問した。ネエさんは正月用にディスプレイの模様替えをしている最中。「でも、無事帰って来れてよかったじゃない」香港での出来事は、おおまかネエさんには伝えてあり。つまり、ぼくが所持金を取られたり、筆筒がバカ売れしたりしたことなど。ただ、マダムの一件に関しては喋っていなかった。Reiに対してと同様、ある程度先が見えてから相談しようと思っていたからである。

 応接間で風呂敷包みを解く。現れた蝉炉を見てネエさんがうなった。「へえー、初めて見るわ。確かに、蝉のバーベキューだわ」「でしょ!」「考えてみれば、猿の脳みそも食べる人種だから、これもありね」と笑う。そして、「絶対に、喜ぶ!」とネエさん。「でしょ!」とぼくは再び言った。今、二人の頭のなかでは、これを目にした時の総長の崩れるような恵比寿顔が浮かんでいた。

 出された紅茶を一口飲んだところで携帯が鳴った。出ると犬山だった。「なんだよ」「で、どうだった?」「何が?」「だから、映画の感想だよ」「!?」「良かっただろ?」「…何、言ってんだよ…」「昨日、観に行ったんだろ?」ぼくは激しく頭を回転させた。何故、知っている…。まさか…、Reiと繋がっていることは…、ないよな。無い、それは、絶対無い!「帰り際おまえの姿を見かけてさ」何だ、こいつも昨日行ってたのか。「何やら、お連れさんとご一緒だったから、お声をお掛けしなかったんだけど、さ」嫌な笑い方で続ける。「あの女が、カリスマの娘か?」カリスマの娘?骨董商Z氏のお嬢のMiuを指しているようだ。どうやら、ReiとMiuを勘違いしているらしい。犬山には結構、ReiとかSaeの話しを伝えているはずだが、こいつは女のこととなると、とんと勘が鈍い。「しかし、おまえ、何回観に行くんだよ」「ハハハ、昨日で11回目だ」「飽きれたもんだな」「まあ、年内迄だろうから、あと二、三回は行かんとな。お前ももう一度行け。そして感想聴かせろ。ハハ」と言うなりプツンと電話は切れた。

 「何?犬山君?」ネエさんが訊く。「とんでもなく無意味な電話でしたよ」ぼくが携帯をかざして軽く笑うと、ネエさんがソファに置いた僕のリュックに近づき、「あなた、ずいぶんと可愛らしいものつけてるじゃない?」と白いお守りを手に取りじっと見つめる。そして、さっと僕の方に目を向けた。「これ、どうしたの?」「これですか?」「そう」「もらいました」「…誰から」ぼくはやや間を置いてから、「Reiちゃんに」するとネエさんは目を見開き、「それで、あなたは、どうしたの?」「どうしたのって…、ありがとう、ってお礼を言いましたが…」「それだけ?」「はあ…、まあ」それを聞くなりネエさんは、深く息を吐き目を閉じると俯いて、小刻みに拳をテーブルに打ちつけた。そしてボンと強めに一つ叩くと顔を上げ、「あなたさあ」と睨んだ。「本当に、鈍いわね」「はっ?」ネエさんが詰め寄る。「この神社、知らないの?」「知ってますよ。そのくらい」お守りには「開運厄除」の裏に、神社の名前が書いてあり。「意味よ!」「意味?」「この神社はね、縁結びで、超、有、名、なの!」「…はあ、そうですか…」「はあ、そうですかって?ああー、もう!帰れ!女ごころのわからないやつは!」と言うなりリュックを投げ返すとぼくの背中を押す。「女ごころって?」「いいから、もう!はい、メリークリスマス!」「えっ?」「はい、はい!良いお年をー!」と、ぼくは店から追い出されてしまった。

 

 次の日の朝Saeから、急に時間が空いたのでランチでもしましょうと、誘いの電話をもらった。待ち合わせのレストランで昼食をとった後、Saeは映画でも行かないかと提案。「何観るの?」ぼくの問いに「うん。ハリーポッター」。「いいね!」とぼくは賛同し映画館へ。そこでは、様々な映画が上映されている。ハリーポッターの上映時間はちょうど過ぎたところであった。「なんだ。次の回まで3時間近くか…」Saeが口を尖らせる。「どうする?」「うーん」とSaeは他の映画の上映スケジュールに目を向け考えている。そして「あっ!」と指をさした。ぼくは嫌な予感がした。「わたし、あの映画も観たいと思ってて」まさか…。「ちょうど良かった。あと15分で始まる。あれにしよう!」Saeの指先には「三丁目の夕日」のタイトルが。「ああ、マジかあ…」小さなつぶやきに、「どうしたの?嫌?」その黒い大きな瞳に見つめられ、「いやあ、そういうんじゃなくて」「じゃあ、観ましょうよ。Kさん、しばらく映画観てないんでしょ!」と腕を引っ張られると、「良かったあ、まだ空席ありって出てる」Saeは笑顔でぼくの腕を何度もゆする。まさか、三日で二回観に行くはめになるとは…。

 ぼくは周囲を窺いながら席に着くと、さらに後ろを振り返る。「どうしたの?」「いや、いや、別に、気にしなくて」「何か変ね。そわそわしちゃって。あっ、ひょっとして彼女が観に来てたりとか」「違う、違う。そういう方面のひとではなくて」そしてSaeが尋ねる。「今日、Kさん、いつものリュックじゃないわね」そうだ。リュックにお守りが付いているのを何となく指摘されるのもと思って。「ふふふ。まあ、いいわ。縁結びのお守りは大切にしなきゃね」えっ、知ってるの?目まぐるしい展開に頭が整理されないまま、上映が始まった。にもかかわらず、ぼくはまたしても同じシーンで不覚の涙を流していた。あのテーマソングにやられたのだ。

 上映後、Saeが「ああ、おもしろかった。でもKさんて、意外に感激屋さんなのね」と笑う。「いやあ」ぼくが気まずい顔をして首筋をなでると、「わたし、明日からハワイだから。今日会えてよかったわ」Sae一家は、クリスマスから年始までハワイで過ごすようだ。さすが、ヴイ・アイ・ピー。外の冷たい空気に、Saeはボルドー色のコートの襟を上げて言った。「今年は、いろいろと楽しかったわ。Kさんにも出会えて」その横で、ぼくはジャンバーに手を突っ込んで「うん」と答えた。ここのところ急に冷え込んだせいか、厚着姿の人たちが往来している。乾いた青空にふと目をやりながらぼくは思った。確かに。この2005年は、一生のなかでも忘れ得ぬ一年になるだろうと。

 駅前でSaeが「じゃあ、Kさん。良いお年を」と微笑んだ。ぼくも「良いお年を」と言って軽く手を上げた。その手を再び手をポケットに入れると、ぼくは、人混みに紛れていくSaeの後姿をしばらくみつめていた。雑踏の中で、ボルドー色がいったん止まり振り返る。そして、もう一度「良いお年を!」と、何度も大きく手を振った。そのSaeの姿が、まるで映画のラストシーンのように映った。

 

(第31話につづく 1月13日更新予定です)

唐三彩万年壺 7-8世紀



 

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骨董商Kの放浪(29)

 帰国して翌日、ぼくは仕入れた品物を部屋のテーブルの上に飾った。葉(イエ)氏のところで買った定窯白磁の碗。現地で見るより一段と輝いて見えるのは気のせいであろうか。いや、気のせいではない。やっぱり良いモノなのだと、ぼくは再確認する。それと、ママから買った黒釉碗。素性はまだ知れぬが、宋時代の雰囲気があって面白い。そして最終日に、Lioのところで手に入れた漢時代の蝉の炉。これはあとで送金をしなければならないが、けっこうな珍品。

 ぼくは独り悦にひたりながら、卓の上に置かれた三点を眺める。そして端に置かれたピンクのリボンに目を向けた。これは、Saeへのプレゼントのガラス玉。ぼくは、その小さな箱と、定窯を鞄に入れた。今日はこれからSaeのところに行くことになっている。展示室に飾られている万暦豆彩の馬上杯が、マダムの祖父の旧蔵品かどうかを確認するためである。

 

 午後一のエリタージュ・ハウスは、ランチタイムということもあり少々賑わっていた。いつものように、バー・カウンターで待っていると、Saeが手を振りながら近づいて来るのが見えた。「おかえりなさい」一週間ぶりであったが、香港での日々があまりにも濃すぎたためか、その笑顔に懐かしさすら覚える。先ずは御礼を述べる。「本当に、ありがとう。まったくみっともない限りで」頭を下げるぼくを、Saeはゆったりとした表情でみつめ、「捨てる神あれば拾う神あり、だったでしょ?」と柔和な笑みを向けた。「うん」ぼくはSaeのあたたかな大きな瞳をみつめた。

 着いた早々所持金を失ったとき、ぼくは呆然自失の状態で、Reiのくれた白いお守りに目が留まった。このときぼくは、Reiの顔を思い浮かべたにもかかわらず、なぜかSaeに電話をしていたのだった。自分でもよくわからなかったが、Saeの悠揚とした雰囲気と、包み込むように発せられる彼女の言葉つきに、ぼくは心の拠り所を求めたのかもしれない。とにもかくにも、Saeに救われたのだ。 

 「これ、つまらないモノだけど」ぼくは鞄の中から、小さな箱を取り出してカウンターに置いた。水色の包装紙の中央で派手に主張しているピンクリボンの蝶々結びを見るや、Saeの大きな目がさらに広がった。「えっ、これ、わたしに?」「うん。何が良いかなと思ったんだけど…。何か気の利いたモノがなくって…」「プレゼント?」「うん!」「嬉しい!」Saeは無邪気な声を上げて両手で箱を取り上げる。「開けていい?」どうぞ、とぼくは手のひらで示す。Saeはニコニコ顔で、リボンを解くと包みを丁寧に開いていく。そして出現した白い革のケースを手にしたまましばし見つめる。真剣な目つきだ。それを見て、「あっ、いや、大したモノじゃないんだ。何か成り行きで」ぼくの一言にSaeが強い眼を向けた。「何でそんなこと言うの?成り行きだなんて。そんな風に言わないで!」「えっ?」「お願いだから…」と、みつめるSaeの眼が若干うるんでいるのを見て、ぼくは、はたと思い出す。そうだ、これは指輪用のケースだった。「ち、違うよ。Saeさん。ちょ、ちょっと、なか、見て!」ぼくは非常に焦る。Saeのきつい眼差しがまだぼくをとらえている。一瞬浮かんだママの顔に舌打ちをして、「早く、なか、開けて!」ようやくSaeが、パかっとケースを開いた。「ん?何、これ?」Saeがつまみ上げる。「それ、中国の古代のガラス」「…」「トンボ玉って言うんだ。紀元前3世紀くらいかな」「…、なあんだ」「ごめん、渋いモノで」「あーん、もう。わたし、勘違いしちゃった。こんなケースに入ってるんだもん」「いや、ごめん。入れるものがなくて、店のひとがそれに入れたんで」ぼくはもう一度ママの顔に舌打ちをした。「そうよねぇ、おっかしい。わたし、てっきりKさんが彼女に振られて、わたしに申し込みにきたのかと思っちゃった」「いや、いや、ぼく、彼女いないし」

 Saeは笑いながら、改めてガラス玉を掌にのせた。そして、「へえー、可愛い」と言うと指でつまみ上げ、「これ、紐で通せるようにつくられているのね」Saeはそれを胸の中央に置いて「どう?」と首を傾げポーズをとった。空色の衣装に群青色が映えている。「カッコいい」ぼくの感想に、Saeはさらに笑みを増す。「アンティーク・ジュエリーやってる知り合いのひとに頼んで、ネックレスに仕立ててもらおうっと」そう言ってガラス玉を箱に戻した。

 「ねえ、Kさん。うちの馬上杯のことで訊きたいことがあるんでしょう?」「うん。そうなんだ」「じゃあ、2階の個室でお茶飲みながら話しましょう」ぼくらは、前に食事をした個室に移動し、出されたケーキと紅茶を飲みながら、話しをすることに。

 

 ぼくは、かいつまんでではあるが、マダムの壮絶な体験談と、文革で奪われた祖父の愛蔵品である万暦豆彩の馬上杯のことを話して聴かせた。話が進むにつれ、徐々にSaeの表情から緩やかさが失われていくのがわかった。一通り聴き終えたSaeはしばらく黙っていたが、紅茶に二度口をつけると静かに口を開いた。「なんて、悲しい話…」Saeはカップの取っ手に指をかけたまま再び黙り込んでしまった。

 「そうなんだ。だから、ここの馬上杯がマダムの祖父のモノなら、マダムのために何とかしたいと思って。だから、いつ頃Saeさんのところに入ったのか知りたくて」「そういうことだったのね。でも、あのあとすぐパパに訊いたら、それは、わたしのおじいさまがずっと前に日本で手に入れたモノだと言ってたわ」「ずっと前?」「そう。戦前くらいって」「本当?」「それは間違いないって。当時の古い箱もあるって」

 マダムの話しによると1966年に奪われたということだから、戦前から日本にあったということが本当なら、年代的に符合しないことになる。「世に唯一点のモノ」マダムの祖父も、そしてE氏も言っていたが、それは違うってことか。

 ぼくが考え込んでいると、「Kさん。まずは、マダムに確認していただきましょうよ」その言葉でぼくはわれに返り、「うん。そうだね」「そうしましょう。わたしも、とても興味ある」マダムは、ぼくらが帰国したあと、もうしばらく香港に留まって来週戻ると言っていた。あとで電話をして段取りを決めよう。

 

 「よしっ!そういうことで」とぼくが立ち上がると、Saeがきょとんとした顔を向ける。「えっ?Kさん。名品見せてくれないの?」その一言で思い出す。「あっ、忘れてた。持ってきたんだ。定窯」Saeには滞在中の電話で、良さ気な定窯をゲットしたと伝えてあり。今日はそれを見せることになっていたのだ。ぼくは鞄のなかから紺色の支那(しな)箱を取り出し、「ジャーン!」と言って白いテーブルカバーの上に置いた。と同時に「わぁー、すてき!」Saeの弾んだ声が耳に入る。場所が場所だけに、何か格好いい、と自賛する。「どう?」「蓮の花の線が伸びやかでいきいきしてて。釉(くすり)も澄んでいて」と言って顔を上げ、「きれい!」。Saeの的確な感想に、ぼくは少々驚きながら、感心する。「うちのもきれいだけど、これもいいわ」Saeのところにも当然定窯白磁があり、これより二回りくらい大きい優美な作品が展示室に飾られている。「いや、こちらのと比べちゃうと、そりゃ、見劣りするよ」そう言うとSaeは目を輝かせて、「でも、吊りケースに入れたら、絶対きれい!」なるほど。確かに、瀟洒な小品が陳列されている中央の吊りケースのなかに並べたら、きっと映える!とぼくは感じた。「ちょっと、パパに訊いてみる」「えっ?ちょ、ちょっと、待って」「どうしたの?」「いや、でも、今日は持ってきただけで、値段も決めてないし…」「大丈夫よ、絶対、パパ気に入るって!」慌てるぼくをよそにSaeは興奮気味に話しを進める。「パパが見てから値段言えばいいじゃない」と言ってSaeは携帯を耳に当てる。瞬間、長い髪がやや宙を舞った。

 まあ、ファーザーが買ってくれるのなら、それはもちろん、喜ばしいことで。しかし、こんなに早く決まるとは、予想外の展開で。値段は…、どうしよう。130万で買っているとはいえ、最低200万は言いたいけど、300万は言い過ぎかなあ。でもそのくらいの価値はありそうだし。まあ、そうか。値段はあとでもいいんだ。口に手を当てて思案しているぼくの横で、Saeが軽快な口調で話し続けている。「うん、うん。…そう、わかった!じゃあ、そう伝えておくわね」と言って電話を切った。と同時に、ぼくの顔が硬直。それを見てSaeは、「Kさん。パパがね、定窯はたくさんあるから、要らないって」「…」「ごめんね」「…、いや、別に。そ、そうだよね。ここ、たくさん、あるしね…。ハハ」ぼくはけっこうがっかりする。Saeは再び定窯を手にすると、「これ、とっても良いモノだから、高く売ってね。何たって、わたしのお金で買ったんだから」と言って、ふふふと笑う。「あっ、そうだ。あとひと月すると、筆筒の代金入るので、そうしたら返せるから」「そういう意味じゃなくて」と、ぼくの口元に手をかざした。「わたしのお金が役に立って、嬉しいの。良かったね。名品買えて」Saeは、口元を左にキュッと上げて微笑んだ。

 

 エリタージュを出ると、あたりはすでに薄暗がり。香港時間に慣れてしまったのか、日の短さに驚かされる。ぼくはいったん家に戻ってから、定窯をクローゼットの奥にしまうと、食事を取ろうと表へ出たところで、犬山の顔が浮かんだ。「そうだ。今日は、あいつのところでご相伴に預かろう。今日あたりは、肉じゃがかな」ぼくは軽い足取りで犬山の家に向かった。

 呼び鈴を鳴らすが、反応がない。いないのか。残念と思ってドアノブを回すと扉が開いた。明かりがついているので、「おーい!」と声を出すが応えがない。「?」いないのかな。ぼくは勝手に入る。右手の台所を横目に六畳の間に入ると、いつものように物が散乱している。「相変わらずだな」ぼくは、部屋の片隅にある座布団を取ると、卓袱(ちゃぶ)台の脇に置いて座った。卓上には、何やら古めかしい本が斜めになって積み重なっている。戦前期のものだろう、和綴じになっている本の一群は、薄いもの、けっこう分厚いもの、大きさも様々、表紙も色とりどり種々あって、それが十冊ほど、おそらく積み重ねた下の本を抜き取ったのであろう、そんな崩れ方をして載っかっていた。「何だよ。今度は、古本か」ぼくはそうつぶやきながら、その内の一冊を手にしてぱらぱらとめくっていたら、ばたんとドアが開き犬山が帰って来た。

 「おう、来てたのか?」「おまえ、無用心だぞ」犬山は、はははと笑いながら、冷蔵庫を開けビールの缶を二つ手にして居間にどかっと座るなり、「いやー、行ってきた、8回目!」と言ってぼくの目の前に缶を置く。「何が?」「映画だ」「映画、行ってたのかよ?」「そうだ」犬山は深い笑みをもらしながら、ビールをひと口飲んでふぅーと息を吐き、「何遍観てもいいな」と首を傾げ目を閉じる。「何なんだよ。何の映画だ?」「なんだ、おまえ、知らないのか?」「だから、何の映画だよ?」「三丁目の夕日だ」「何それ?」「知らないとは、愚かもんだな。大ヒット、上映中だ」そういえば、帰りの機内の映画プログラムのなかにその映画があり、ぼくは概要を読んだことを思い出す。それは、昭和33年の東京の下町を舞台にした「オールウェイズ 三丁目の夕日」というタイトルの映画で、昭和オタクの犬山が、ど真ん中ではまりそうな内容のものであった。「そういえば、飛行機のなかでやってたな」「観たのか?」「観ないよ」「ばかやろう、何やってんだ」不機嫌そうな犬山の顔を見てぼくはあきれる。「8回目って、8回も行ったのか?」「あたりまえだの、クラッカー。ハハハ」「おまえも、相当アホだな」ぼくは手にした古本を戻すと台所を見やり、「飯の支度はこれからか?」と訊く。「おれは、もう食って来たぞ」「なあんだ。ここで何か食べようと思って来たのに」「そうか。まあ、昨日の残り物だが、温め直すか」犬山は立ち上がると台所に向かった。「ろくなものないぞ」「わるいな」「おれも、おまえの土産話訊きたいからな」

 犬山はおかずの入った皿を持ってくると、テーブルの上にある本を素早くどかして、何品かぼくの前に並べた。そのなかに肉じゃがを見つけた僕はにっと微笑んだ。さっそく一口。「うん!」安定感のある旨味だ。ぼくは小刻みに首を上下に動かす。香港で超豪華な食事をして来たが、やはり犬山の肉じゃがにはかなわない、とぼくは称賛の眼差しで肉じゃがを見つめる。と、その向こうに、先ほどまで卓を覆っていた古本が一冊目に入った。犬山が一気に片付けたせいか、これだけが、今にも落ちそうな状態で端に載っている。「いったい何だよ。その古本?」すると犬山は膝を軽く叩き、「あっ、そうだ。おまえがいない間に、ちょっとおもろいことがあってな」と言って立ち上がると四畳半の間に向かった。「ちょっと、来て見ろよ」「何だよ。これから食べようとしてるのに」ポテトサラダの皿にのばした箸を止め、ぼくは仕方なく腰を上げた。

 入ると、犬山の仕事用の机の左手に、小さな空間がつくられていた。和箪笥を50センチほど横にずらして区画された壁に、いつぞやの犬山の祖父(じい)さんの書が記された軸が掛けられおり、その下には奥行き、高さ、ともに30センチほどの木製の台が置かれていた。その台は手製のようで、黒い敷板が載りそこには長さ15センチほどの平たい石のパレットのようなものが飾られている。ちょっとした床の間風に、「何だか床の間みたいだな」ぼくが感想をもらすと、「その通り!」と犬山は指を一本勢いよく立てた。「残念なことに、今日本では床の間が消滅しつつある。おれも祖父さんの書を軸にしたからには、床の間を設えようと思ってな。簡易的ではあるが、つくってみた」ぼくの眼が床飾りの石の板に向く。「ところで、何だよ。この石?」「それだ」と犬山はしゃがんで手にする。「硯だ。古いぞ、唐時代、9世紀だ」犬山は興奮気味に僕に手渡す。

 硯と言っても長方形ではなく、前の部分が曲線を成し左右が後ろに向かって広がる形状。前部の墨の溜まる部分は地につき、後方へ向かって面が斜めに上がっており、下半部には二つの支え脚がつき、側面部は広がるように短く立ち上がっている。右から左へ向けての傾斜が、いかにも墨を擦るのに適した角度になっていることにぼくは気づいた。

 「こんな形、見たことないけど。確かに硯だな」ぼくの答えを受けて犬山は解説。「これは、鳳池硯(ほうちけん)という。正面が“鳳”の字にかたどられていて、背面に二本の足が施されていることから、そう呼ばれている硯だ」なるほど。言われてみれば、上から見ると全体のラインが鳳の字形を描いている。側面部の広がりも鳥の羽のようで、二本の脚部も鳥の足にみえる。「鳳池硯は、古い時代にしかない硯だ」その言葉を受けてぼくは硯に目を落とす。墨池と墨堂(墨を擦るところ)を明確に分ける一線と、薄く仕上げられた造りが鋭さを放っていて、古いながらも新しさを覚えた。「モダンだな」ぼくの発した一言に、犬山は一瞬驚いたように目を丸くした。「おまえ、知らない間にずいぶんと目利きになったんじゃないか?」そう言うと、ぼくの手から硯を取り敷板の上に戻した。

 「しかし、よくそんなもんが手に入ったな」ぼくの問いに犬山はニヤリと歯をみせ、机の上に置いてある本を掴んだ。「それで、これだ」それは、先ほど卓袱台を覆っていた古本と同様のものだった。ぼくはめくっていた頁を思い浮かべる。古いモノクロ写真で、掛軸や茶碗、茶入などの茶道具類が載っていた。「戦前の何かの図録か?」「大正14年の入札図録だ」「…?」反応の薄いぼくを見て、犬山は含み笑いをしながら鳳池硯を指さした。「掘り出しだ。ハハ」そのしたり顔を見て、さっぱり意味はわからなかったが、話が長くなりそうなことだけはわかった。ぼくはげんなりとした顔で卓袱台に目を向ける。その姿を見て「そうか、そうか。まあ、食え。おまえは食いながら聴け」犬山は図録を手にし、ぼくを卓袱台へと促した。ぼくがようやくポテトサラダを口に入れるやさっそく、犬山の話しが始まった。

 

 犬山がこの硯を手に入れたのは二週間前の日曜日のこと。中央区の神社で毎月一回開かれる骨董市に出向いたとき、雑多な古道具に混じってこの硯があり、それを見た瞬間に買おうと思ったそうだ。「ビビっときたね。ただモノじゃないってことがね。ハハ」こういうときは、小憎らしいほど自慢気な笑みをみせる。そして、その箱を見て確信したという。この硯はどうやら、明治の著名な元勲の持ち物だったらしいことを。当時の政治家は少なからず文人趣味があり、優れた文房具を集めたことは知られているが、これもそうしたモノの一つ。箱の上蓋裏には、この硯に関しての解説文のようなものが、後の所有者の自筆で墨書きされているとのこと。それによると、これはその元勲の旧蔵品で、世に珍しくはなはだ貴重なモノである、という内容のようだ。そこで犬山は、この元勲がたいそうな古美術蒐集家であったことを知り、それから調べに調べた。

 「そこで行き着いたのが、この売立図録だ」と言って褪せた紫色の表紙を数回叩いた。表紙の貼紙に元勲の名前と「御所蔵品入札」の文字が書かれている。「これに出ている」と犬山はまたもや自慢気な顔つき。「出ていると良いのか?」「出ているのと出ていないのとでは、評価が大きく違ってくる」犬山は、ビールを勢いよく一飲みすると、目をしばたいてぐいと身を乗り出した。「骨董品は来歴が重要だ。贋物が山ほどある。本物の証明の一つとなるのが、こういった売立図録だ」

 

 売立図録とは、明治後半期から大正、昭和戦前期にかけて、東京、大阪、京都などの美術俱楽部で頻繁におこなわれた「入札(にゅうさつ)会」と呼ぶ売立をするときにつくられたもの。この時期、旧大名家や華族らが、財政難により代々受け継いだ所蔵品を手離す事態が相次いで起こった。その売立が美術商たちの組織である美術俱楽部で開催され、当時の数寄者たちがこぞって買入れたのである。由緒正しい名家の御蔵に深く眠っていたモノから、明治の新興成金たちが集めたコレクションが、この時期に一斉に市場に流入しとことで美術市場は活況を呈し、こうした売立会が毎週のように行われた。その重要なアイテムが売立図録なのである。規模が大きくなるほど名品が多々出品されるので、おのずとそれは分厚くなり、装丁も立派になる。ぼくは数日前のオークション図録を思い浮かべた。

 見るとその元勲の売立図録は、結構な厚味があり、表紙の紫に金銀で折枝文が散りばめられていて、その名に恥じない豪勢な設えをしていた。めくってみると、最初の方にある中国古画や名物茶碗などは原色刷りとなっており、この時期にしてはかなりの豪華版だ。ぼくは感心しながら一枚一枚めくっていく。「ところで、どこに出てんだよ、その硯?」犬山は僕から図録をとりあげると、かなり左の方に指を入れ一気に右に動かし頁を開いてから、「これだ」と示した。そこには中国の墨や紫檀の筆筒など5点が一緒に載っている。皆小さなモノクロ写真だ。犬山の指すところに目を近づけると、先ほど見た硯のようなモノがあった。「本当にこれかよ?」決して鮮明でない小さな写真に訝しんで問うと、「間違いない!」と犬山はさした指に力を込めた。「鳳池硯は、そうないからな」とまた自慢気に頬を緩めた。

 

 そのあとぼくは、大正時代の売立がいかに盛大であったかという、長たらしい犬山の話しに聞き耳をたてつつ食事をしながら、側にあったB5版ほどの小さな売立図録をめくっていたところ、見覚えのあるモノに目が留まった。「これ、国宝の曜変天目じゃない?」「おう、そうだ。誰でも知ってる曜変だ」犬山の反応を受けながら、以前世田谷の美術館でこの茶碗を見たことを思い出していた。あれは、あいちゃんとMiuが来ていたときだ。すると、MiuとZ氏の癒しの笑みが目に浮かんだ。そうだな、今度また寄ってみよう。そう思って図録に目を落とすと、写真の下に何やら数字が書き込まれていることを知る。

 「これって、売れた金額?」ぼくが指し示すと犬山は即座に反応。「そうだ。落札額だ。売立図録にはそうした数字が記されているのが間々ある。参加した美術商らが書いたのだろう」なるほど。先日ぼくもオークションカタログに落札額を書いた。今も昔も一緒だ、とぼくは薄く褪せた万年筆の跡を見る。「16万7000」とある。「16万7千円か」つぶやくぼくに、「すごい値段だ」と犬山は腕を組んでうなった。「今でいうと、いくらくらいなのかな?」それに対し犬山は上目遣いで考えてから、「大正7年の16万は、今でいうと、うーん、16憶くらいかね」と二、三度首肯したあと、「まあ、おまえには、まったく縁のない金額だけどな」と顔を近づけ笑うと、空いた皿を手にして台所へ向かった。

 16憶か…。この間の「成化豆彩杯」くらいか。今も昔も同じだな、と少し考えてから「しかしあながち、縁のない数字でもないかも」と、片づけをしている犬山の後姿に目をやりながら、ぼくはふとそう思った。

 

 家に帰り、これから寝ようかと横になったとき携帯が鳴った。Saeからだった。「ごめんね。おそくに」「全然。どうしたの?」「うん。例の馬上杯の件、少しわかったからすぐ知らせようと思って」ぼくは跳ね起きた。ちょっと間を置いてからSaeは喋った。「前に言ったでしょ。古くにおじいさまが買ったって」「うん」「パパが帰って来てから箱を調べたら、なかにそのときの領収書が入ってて。昭和45年の日付」「戦前じゃなかったの?」「みたい。京橋にあった老舗の名前が書いてある」その名前を聞いたとき、ぼくはどこかで耳にしたような気がしていた。記憶を辿り、思い出す。そうだ。宋丸さんの勤めていた古美術店だ。昭和45年というと1970年。1966年に奪われたのだから、そのあとすぐに日本に入ってきたのだとしたら…。可能性はある。「もしもし、Kさん、もしもし」Saeの声にわれに返り、「ありがとう。また連絡するよ」と電話を切った。ぼくは再び横になり天井を見上げた。マダムの一件が、確実に動き出しているように感じていた。

 

(第30話につづく 12月29日更新予定です)

鳳池硯 唐時代(9世紀)



 

 

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骨董商Kの放浪(28)

 「本当に……日本にあるの?」マダムは身を乗り出すと、顔を震わせそう尋ねた。

 その眼力(めぢから)に一瞬怯(ひる)むと同時に、ぼくはそのまま口を閉ざしてしまった。マダムの魂の込められた話しの流れに乗せられ、ふとそう発したが、まだはっきりした答えができないことに改めて気づいたからである。

 Saeのところで見たあの馬上杯が、確実にマダムの祖父のモノという証拠など、まだどこにもないのだ。

 ぼくは改めて言い直した。

「すみません。まだ、そうと決まったわけではなく……、もしや、あれかも、と思っただけで……」

 それを聞きマダムは、やや落胆した様子をみせ「はあ」と小さなため息を吐くと、再び椅子に腰かけた。そして、お茶を一口含んでから、気を取り直したように再びぼくに顔を向けた。

「じゃあ、それは、あなたの知っているひとが持っているのね?」

 ぼくは答える。――はい。

「その方は、コレクター?」――はい。

「東京に住んでるの?」――はい。

 ぼくは尋問に答えるかのような調子で「はい」を繰り返した。

 それを受け、マダムは黙ったまま何度か小さくうなずくと、少し安堵した表情を浮かべ、「わかったわ」と言った。

 

  「確かめてみます。すぐに訊けるので」

 ぼくは冷めたお茶を一息に飲み干すと、熱い視線で応えた。

 その言葉に、マダムは目を閉じ両手をテーブルの上に揃え、「どうぞ、お願いします」と言って深く頭を下げた。それを見ていたママが笑みを満面にあらわし、パン、パン、パンと、三度手を大きく叩いた。

「よかったじゃない! リョウコ。ひょっとして、それだったら、あなた!」

「うん!」マダムも元気よく返す。

 そして、上気させた顔をぼくに向け、「もし、それが祖父のモノだったら、その持ち主の方に、是非頼みがあるの――」と言った。

 

 その後まもなくしてレストランをあとにした。ぼくと才介が繁華街を中環の駅に向かって歩いていると、後ろから呼ぶ声がした。振り返るとママが立っている。どうやらぼくたちの後をつけてきたようだ。

「ねえ、あなたたち。もう少し飲んでいかない? どう?」

「はい」ぼくらは同時に声を出していた。

 

 そこは時代がかった小さな店で、ぼくらはカウンターに腰かけた。ママがメニューを見ながら甘そうなカクテルを三つ注文した。

「びっくりしたでしょ? リョウコの話し」ぼくらは無言でうなずく。

「あたしも、びっくりした。もちろん、知ってたよ。でも、あそこまで、あなたたちに話すとは思わなかった……」

「……」

「たぶんリョウコは、あなたたちのような若いひとに聞いてもらいたくて、全部話したんだと思う。こんな悲惨な出来事が、実際あったんだってことを」

 やがてカクテルが目の前に置かれた。ぼくらはそれに口をつけながら、ママの話しに耳を傾ける。それは、先ほどの話しを補足するものであった。

 夫の死からちょうど10年が経ち息子も大学四年生になり、ようやく生活も落ち着いたママと、ご主人の仕事が軌道に乗って、経済的にも時間的にも余裕の生まれたマダムは、今まで以上に頻繁に連絡を取り合い、そして年4回香港で会っていっそう交友を深めている。また、子宝に恵まれなかったマダムは、今東京に住んでいるママの息子を、実の子供のように可愛がっているようだ。

「マダム、お子さんいらっしゃらないんですね」

「うん。だからねぇ、息子が12歳のときに、パパ死んじゃったけど。それから、ずっと面倒みてくれてて。だから、今、息子、大学生で独り暮らししてるけど、リョウコが側にいるからあたし、安心だよ」

「そうだったんですか」

「二人とも今年でちょうど50歳。だから、あとは、リョウコのお姉さんのこと、ね」

 ここ何年か、中国の知り合いを通じて八方手を尽くして調べているが、お姉さんの消息は依然不明のまま。

「だから、その頼みの綱が、万暦豆彩の馬上杯ってこと……」

 ママはグラスの細い柄の部分を指でつまみながら、カクテルを口に運んだ。

 才介はぼくの方に目を向けると、

「おまえが言ってた馬上杯って、ひょっとしてフレンチの屋敷にあるやつか?」と訊いた。

「世に二つとないモノと言われると、あれじゃないかと思ったんだ……」

ぼくはテーブルに目を落として答えた。「あとで、Saeに電話して訊いてみるよ」

 ママが笑いながら「わたしも、この仕事してるけど、モノのことはよくわかってないからね」と言ったあと、

「でも、オクション会社のひととか、たくさん中国陶磁買っているひとに聞いて回ってるけど、これまで、全然ないね」

才介がそれを受け「おれも、そこまで詳しくはないけど……本とかでも見たことないもんな、万暦豆彩の馬上杯って。やっぱり、そのフレンチのやつじゃないのかな」とぼくをみつめる。

「うん……」

 ぼくは目の前のカクテルを定期的に口に運びながらうなずくと、その手を止めた。マダムの言葉を、ふと思い出したからである。

「さっき……持ち主に、頼みがあるって、マダム言ってたけど、何だろう?」ママに訊く。

「わたしも、聞いたこと、ないねえ……。何かいい方法でも、あるんじゃない? ご主人とかに、相談してるから。今度訊いてみようか?」

「まあ、先ずは、Saeのところのモノなのか、確認します」

「そうだね。わかった。あなた、頼むよ」ママの唇が大きく動いた。

 それからしばらく三人で話しをしたが、何となく、陽気な雰囲気にはならず。席を立とうとしたぼくらに、ママが確認する。

「あなたたち、明日、何時の便?」――午後2時15分です。

「じゃあ、明日午前中は、いるね?」――はい。

「そうしたら、空港まで送ってあげるから、朝、あたしの店に寄りな」――わかりました。

 ――思わぬ展開となった香港の最終夜、ぼくの頭は、相当混乱していた。

 

 部屋に帰ると11時近くになっていた。時差が1時間あるから、日本は午前0時近い。ちょっと遅いかなと思ったが、とにかく、ぼくはSaeに電話をした。

 ほどなくしてSaeが出る。ぼくは、ここでマダムの一件を話すのもと思い、簡潔に「万暦豆彩馬上杯」の由来について訊いた。

 どのようにしてSaeの家のコレクションに入ったのか――その来歴について尋ねると、Saeは「わかった。パパに訊いてみるわ」と答えた。そして、少し雑談をして電話を切った。

「どうだった?」トランクに服を詰める手をいったん止め、才介が訊く。

「調べてみるって」「そうか……、そのモノだといいけどな」「そうだな……」

 今晩のマダムの話しがよほど堪えたのか、ぼくらは口数少なくそれぞれの帰り支度を続けた。

 

 翌日、チャックアウトを済ませると、荷物をホテルに預け、ぼくらはハリウッド・ロードへ向かった。

 滞在中香港は雨もなく快適な気候――と言はいっても、この独特の湿気である。上環(ションワン)の駅から坂道を20分上ると、汗が身体中にへばり付いて離れない。ママの店に入り、強烈に効いたエアコンの冷風を浴びると、あっという間に汗が引けていった、と思ったら、今度は急に寒気を覚える。

「しかし、ママ。どこいっても、クーラー効き過ぎでしょ」才介が腕をさする。

 確かにぼくもそう思う。長い間室内にいると、身体の芯まで冷え切ってしまうのだ。特にレストランとかは。

 「香港はねぇ、冷房だけだからね。そうそう、今年の二月、異常気象で寒波きたとき、2度とか3度とかになって、初めてよ、こんなに寒いの。老人、何人も死んだよ。ハハ」

「いやいや、笑い事ではないでしょ!」

「だからねぇ、真冬、暖房入れるところ増えたよぉ。でもそれ以外は、だいたい冷房かけてるね」

 そう言うとママは、はたと思い出したように立ち上がると、

「そうだ。あなたたちに見せたいモノ、あったんだ」と言って引き出しから小さな物体をつまんで持ってきた。

「あなた、ちょっと、手、出して」ママはそれをぼくの掌の上に置いた。

「なんすか、これ?」才介が覗き込む。ぼくも顔を近づける。ガラスのようだ。

「ガラスですか?」

「そう。中国の古代のガラス――」

 それは、径が2~3センチほどの球形のガラス玉だった。全体が群青色をしていて、黄と青と白の練りガラスによる円形文様が、飴細工のようにいくつも表面に施され、紐のようなものを通すのか、芯がくり抜かれた造りになっている。

「綺麗でしょぉ、ほら」と言って、ママはぼくの掌からガラス玉をつまみ上げると、陽の当たるところにかざした。

 なかの群青色が光を通して、澄んだ輝やきをみせている。

「このぐるぐるした白と青の部分、トンボの目に喩えて、トンボ玉っていうの知ってる? 日本人から教わったよ」

「トンボ玉って言うんですか? たしかに、目みたいですね」

 才介が顔を近づける。ぼくもしげしげと見る。色のコントラストが冴えている。

「へえー、綺麗なモノですね」

「どう?あなた、これ、買わない? 安くするよ」ママは再びぼくの掌にガラスをのせた。

「……しかし、お金がないですよ」

  ぼくは150万のうち、定窯碗130万とママのところで黒釉の碗を13万で買っているので、残りは僅か7万円になっていた。

「安いよ。2万円でいいよ」

「えっ? そんなに安いんですか?」

「うん。お土産に買っていったら。あっ、そうだ! 彼女のプレゼントにすればいいじゃない」

 ママは、妙案を思いついたというしたり顔をぼくに向けた。ぼくは一瞬たじろぐ。

「彼女なんて……」と言ったところで、才介が厭味な笑みをみせ、

「ひっ、ひっ、どっちの方にあげるんだい?」と茶々を入れた。

 それを聞いたママが目を剥いて、「何、あなた、ふたりもいるの?」と嬉しそうに身を乗り出してきた。

「ちょっと、待ってよ。いるわけないでしょ!」と言いながら、ぼくは一瞬考える。

 すると才介が「まあ、そりゃあ、フレンチの方だろう。なあ、K?」

 ――たしかに。今回は、そうだろう。

「うん……」ぼくがうなずくと、「当然だろ! 姉御ってわけにはいかねえわな。アッハハ!」才介が高笑いする。

 姐御って……。そうかあ。才介は、まだReiの存在を認識してないんだ。なるほど――。まあ、それがどうこうというわけではないが、才介のずれた発想がおかしくて含み笑いをしていると、ママが、

「よーし! そうなったら、きちんとしないとねぇ!」と急にはりきり出し、奥の棚をごそごそかき回すと、白い小さなボックスのようなものを取り出してきた。

 「これに入れたらいいよ、そのガラス」

 それは、パカっと口の開く指輪用の箱だった。

 ぼくがそれを見るなり、「やめてくださいよ! そういう仰々しいことは、やめましょうよ!」と力んだ声を出すと、才介が手を叩いて大いにはしゃいだ。

 「それが、いい! 絶対、そうしろ、K!」

 それを見てママが、「そうだよぉ、骨董品ってのはね、こういう体裁も大事だからねぇ」と妙に核心を突いたコメントを放つ。

「ママ、わかってますねえ。いわゆる、はったりってやつですね」にやつく才介に「それ、重要」とママが即座に指をさす。

「ちょっと、待ってくださいよ。それって、贋物売るときの方策でしょ?」それに対し、

「そんなことないよ」と二人はきれいにハモった。

 

 ぼくが財布から2万円を出すと、「あっ! そういえば、どうだった? 馬上杯?」ママの真剣なまなざしに、ぼくは昨夜の電話の内容を伝えた。

「そうか。返事待ちってことね。リョウコに言っておく」

「うん。帰ったらすぐに行ってみるよ」

「それが、彼女のところか。ハハハ」ママの笑い声に、横から才介が

「そういうことっす」と顔を突き出した。

「それじゃあ、だいじじゃない。このガラス玉」

 祈るように箱に額をつけるママを見て、

「それは、あまり関係ないかと」ぼくが笑うと、「だってぇ、リョウコの人生かかってるんだから」

「そうだ、K!おまえはかなり大事な役回りだぞ」

 たしかに。Saeのところにあるモノがマダムの祖父の旧蔵品だとしたら、マダムは持ち主にお願いしたいことがあると言っていた。その内容までは知らないが、ファーザーに取り次ぐ橋渡しとして、ぼくは重責を担っているかもしれなく。

「だからねぇ、ちゃんと、しないとねぇ」と笑みを浮かべながら、ママはデパートか何かの洒落た水色の包装紙を取り出して軽快に包み始めると、最後にピンクのリボンを巧みに掛けた。それを見てぼくが

「ちょっと、ママ、やり過ぎですよ」と言うと、

「何たって、リョウコの人生がかかってるんだからねぇ」

そして、「はい」と言ってぼくに手渡す。

 その大きな蝶結びをじっとみつめて、「了解しました」とぼくは答えた。

 

 ママとのやりとりが終わると、才介が手鞄を持ち上げ、「おい、まだ時間があるから、もう一仕入れしようぜ」とママの店を出た。まだ少し持ち金が残っている才介は積極果敢だ。ぼくらは、キャット・ストリートへ。

 まだ午前10時を過ぎたところだが、大体の店が開いている。そこで、才介は最後の仕入れをしたあと、階段を駆け上がりハリウッド・ロードへ向かった。

「おいっ、まだ仕入れるのかよ?」

 二、三歩後ろから声を投げると、才介が口元を緩めながら振り返った。

「おい、最後にLioちゃんの店に行ってみようぜ」

「なるほど」

「昨日のお礼を言わなくちゃ」と言って足早に向かう才介の腕をつかんで引き戻す。

「ちょっと、待てよ。そんなことしたら、あれ、おれたちが出品したことばれちゃうじゃん」

 才介はぼくの顔を見つめ「あっ、そうか」と頭に手を当てた。

 そこでぼくは考える。「でも……別にわかっても、支障はないか……」

 そう思いながら、

「いや、そういうことは、あまり伝えない方がいいかもな」と結論づけると、「そうだな」と才介は相槌をうった。

 

 Lioの店の扉は開かなかった。

「まだ来てないんだな」「残念だけど、帰るか」

 ぼくらが文武廟の方向にハリウッド・ロードを歩いていると、向こうから長身の若い女性が歩いてくるのが見えた。

「あっ、あれ、Lioちゃん、じゃない?」才介の声にぼくも目を細めて確かめる。

「そうだ、Lioちゃんだ」目に映えるライトグリーンのワンピースにウエーブのかかった長い髪がだんだんと近づいてくる。向こうもこちらに気がついたのか、笑顔になって手を振ってきた。

 「ハロー」と言うLioに、ぼくが今店を訪ねたことを知らせると、彼女は「ソーリー」と手を合わせた。そして一緒に歩き出す。ぼくらは再びLioの店の前に立ち、今度はなかへ入った。

 Lioが冷房のスイッチをオンにし奥へと下がると、ぼくらは店内の飾りを見回した。一昨日とほぼ変わっていなかったが、1点だけ新しい品が並んでいるのに気がついた。

 ぼくは近づいてそれをじっと見つめた。

 漢時代の副葬用のやきものだろう。

 低く小さい四つ脚の付いた深い受け底をした炉のような長方形の容器の上に、3センチほどのやや厚みのある楕円形状の物体が5つ串に刺されたような状態で二つ並んでいて、両端に半円形の提げ手が付いている。この手の部分と、串刺し状の部分には緑釉が、炉のような容器には褐釉が掛けられている。

 緑と褐の二色の釉が併用されている例は、紀元前後の頃に見られるが、数の少ないモノ。幅が20センチ、高さが10センチくらいの大きさ。

「変わったもんだなあ」と才介も一緒に見つめ「漢くらいかね?」と訊く。

「おそらく」ぼくが答えると、Lioが近寄ってきた。

ぼくが何かと訊くと、「シケイダス」と答えた。

「シケイダス?」「何? シケイダスって」

 才介がぼくの顔を覗く。ぼくは首をひねってその単語を思い出そうとするが、出て来ない。その様子を見たLioは、いったん奥へと引っ込むとメモ用紙とペンを持ってきて、漢字を書いて見せた。

 そこには「蝉」とある。

「あっ、そうだ。蝉だ」合点がいくぼくに、「せ、蝉?」と才介は目を丸くする。

 器の上に五個ずつ並んだ緑釉の掛かったモノの正体は蝉であった。たしかに釉の下にかすかに見える線刻が蝉の姿をあらわしている。

「これが、蝉?」才介は指さしながら、

「何か、幼虫っぽいな……」「たしかに」ぼくは反応。

「しかし、何で蝉が並んでるんだろう?」ぼくが尋ねると、Lioは「バーベキュウー」と言った。ぼくらは顔を見つめ合い「蝉のバーベキュウー!」と驚く。その様子を見て、Lioが笑みを湛え「Yes」とうなずいた。

「えっ、えっ、でも、どういうこと?」

 悩むぼくらにLioは、中国では古来より蝉を食べる習慣があり、それは現在もそうだということを平然と説明した。

 そしてメモに「浙江省」と書いて見せる。どうやらここが名産らしい。

 それを聞き「……マジ、か……」と渋面でつぶやき合うぼくらの姿を見て、Lioは不思議そうな顔をして首を傾けた。

 

 ぼくは再びモノに目を移した。

 たしかに、これは、深い受け底に炭などの燃料を入れて、上に渡した串に蝉を置いて焼く、いわば方形の七輪だ。側面には空気穴があらわされている。

 漢時代の副葬品は、日常生活の一コマを題材にした作品が多いので、これもそうしたモノだろう。漢代らしい風情を備えている。蝉を食するという問題はさておき、作品的にはなかなかの出来栄えと思い、ぼくは手にして細部を確認した。大きな損傷はないようだ。

 「買うの?」と訊く才介に、ぼくは「いや」と答えて、もとに戻そうとしたその瞬間、頭のなかに総長の顔が浮かんだ。

 ――そうだ。この、いかにも当時の生活感溢れるユニークさは、まさに総長好みだ。ぼくは、これを見たときの総長の、モノに吸い込まれていくようなあどけない笑顔を想像した。ぼくの大好きな顔である。そうしたら、どうしてもこのモノが欲しくなってしまった。

「How much?」と訊くとLioが、ベストで10,000ドルと答える。

「15万かあ」ぼくの残金は5万円。……足りない。才介に顔を向けると、

「いや、いや、いや」と顔と右手を何度も横に振っている。才介もさっきの仕入れで、ほぼ予算を使い果たしたようだ。

 どうしよう……。香港ドルも僅かだし。ママに借りようか……。

 ぼくが額を手で擦っていると、Lioが名刺を差し出した。見ると名刺ではなく、そこには振込先の銀行名が記されてある。そして、送金は帰国してからでよいので先にモノは渡す、と言ってくれた。ぼくは感謝のまなざしで彼女を見つめた。

 「That`s very kind of  you」Lioは「No problem」とクールな笑みで応えると、すぐにパッキングに取りかかった。

 

 Lioから買った荷物を手にしてママの店に戻ると、

「何? あなた、お金あったの?」と驚きの表情。僕が事情を話すと、

「あなた、ラッキーじゃない。他の店だったら、絶対無理よ。お金払う前にモノ渡してくれるなんて」

「ママ、僕らはLioちゃんに、信頼されてるんですよ」と才介がにたつく。

「なあ、K?」それに対し僕は「まあ」と少し考えてから、「そういうことにしときましょう」と結をとると、ママが目を細め、

「何かあやしいねぇ。あなたたち、あの娘に何かした、でしょ?」

「いや、いや、そんなことするわけないでしょ」

「ほんとぉ?」ママの訝し気な目を見て、才介がにやりとしながら軽く手を合わせた。

「いや、ちょっと待て。直接的には何もしないけど。間接的には…、したな?」さっと顔を僕に向ける。

「うん。たしかに、した、した。ただし、彼女は気づいてないけど」僕もにやにや笑いながら答える。するとママは、少し離れた丸い目を線のように細め眉間を寄せた。その顔が面白く僕らが爆笑していると、急に真顔になり、

「行くよ!」と一声。「わかりました!」僕らはママの車へ向かった。

 

 車は途中でホテルに寄り、僕らの大荷物を積んで空港へと向かう。出発ロビーに到着すると、ママが「今度は荷物、大丈夫でしょ?」「大丈夫!ちゃんとチェックイン・カウンターで確認したから」僕が笑ってそう答えると、ママはグーポーズを取って微笑んだ。

 ゲート前まで送りに来てくれたママに、僕らは「ママ、いろいろとありがとう」と言って、交互に握手を交わした。「あたしも、息子に会いに時々日本いくよ。連絡する」「絶対ですよ!」「それと、あなた、お願いね」と僕を指さした。「わかってます。馬上杯の件、すぐに知らせますから」「うん。わたしもねぇ、人脈使って情報探るからね」「ママの人脈、半端ないから」「ハハハ。気をつけて帰りな!」「はーい!」「バイバーイ!」ママの屈託のない笑みを背にして、僕らは帰路についた。

 

 機内での食事が終わると、才介はすぐに眠ってしまった。僕は独り窓から青い空を眺めながら、何と中身の詰まった三泊四日だったろうと、この出張を振り返っていた。

 初日は、到着するや持ち金全部取られ、いきなりどん底に突き落とされたが、ママの励ましやSaeの手助けで何とか乗り切り、二日目は、三代目のおかげで良い仕入れができ、三日目は、E氏の計らいで中国陶磁市場のスケールの大きさを肌で感じられ、そして何といっても、あの筆筒が爆発的な値段で売れて、その夜は、マダムの壮絶な話しを聴き、そして毎晩美味しい料理をいただいて、今日はLioの親切で面白いモノが買えて。考えてみれば、助けられてばかりだな、と僕はしみじみと感じていた。隣を見ると、才介が椅子からこぼれ落ちそうな恰好で寝ている。「まあ、こいつにも、助けられたな」僕は感謝の笑みを向ける。

 それに対し、これから僕が出来ることはどんなことだろうか、と考えていた。それは、僕が仕入れたモノを、それを喜んでくれるひとにおさめること。これが僕のやるべきことだ。この出張で、僕は気に入ったモノを何点か仕入れることができた。今度はこれを売るのだ。以前、宋丸さんに売った高麗青磁の小皿は、ネエさんの勧めで入手したものであり、Saeが買った色絵の皿は、犬山からただでもらったモノであった。Saeから借りた金を使った形になってはいるが、今度は自分の眼で手に入れたモノである。それを売ることは、すなわち僕にとっての初めての商売ということになり、本当の意味で、骨董商としての第一歩を踏み出すことになるのだ。

 そしてもう一つ、マダムの件である。乗り掛かった舟ではないが、あの話を聴いた以上、自分が役に立つことができるのなら尽力しようと、強く胸に誓った。ママとマダムのために。

 

 東京に到着すると、もうすでに暗くなっていた。到着ロビーを出たところで才介と別れ、ぼくはバスに乗るため、おもてに出た。

 初冬の冷気が首元をかすめる。ぼくは、香港との気温差を感じながら、両手を上着のポケットに突っ込み、肩をすくめるようにしてターミナルへと向かった。何台もの大型バスが連なる広い歩道を歩いていると、今しがた帰国をしたのだろう、これから家路へ向かう若者の集団とすれ違った。大学生だろうか。5、6人の男女が笑いながら賑やかにはしゃいでいる。ぼくの目は自然と彼らに注がれていた。

 すると向こうの方から、「ちょっと、待ってぇー!」と大きな声が聞こえてきた。そちらに目を向けると、「待ってよー!」と声を張り上げ駆け出して来る若い女性の姿が映った。おそらく同じグループの大学生だろう。彼女は、何の屈託もない笑顔で何度も手をふり、左右に身体を揺さぶりながら飛ぶように走っている。そして、その一団に追いつくや奇声を上げると、皆と一緒になって、今度はゆっくりと歩き出した。ぼくはしばらく、彼らの後姿をみつめていた。そして、また前を向き歩き出したそのときであった。走っている若い女性の姿とオーバーラップするように、ぼくの脳裏にある映像が、鮮明に映し出されたのである。

 

 ――それは、生死をかけて香港に辿り着くや否や、噴き出す汗を拭うこともせずに、必死の形相で駆けている、22歳のマダムの姿であった。

 

(第29話につづく 12月19日更新予定です)

緑褐釉蝉炉 漢時代(1世紀)

ガラス玉 戦国時代(紀元前3世紀頃)





 

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骨董商Kの放浪(27)

 10万で買ったモノが900万で売れたのだから、ぼくらは、はしゃがずにはいられなかった。オークション会場では、極力抑えていたものが、ホテルに帰ると爆発した。狭い部屋のなかで、何と枕投げが始まったのである。

 「ぎゃっ、はっ、はっ! やったぜー!」「愛してまーす! Lioちゃーん!」「誰だかわからない電話ビッド、セーンキュウー!」「禿寺ー、おまえが一番エライ!」「900マーン、俺は待ってるぜぇ! アッハッハ!」

 最後に思い切り投げた才介の枕が天井にぶち当たり、大きな音を立てた。「やばいよ、おまえ、ここボロホテルなんだから、壊れるぜ」才介は落ちてきた枕をつかむとまたベッドに叩きつけ、「ぎゃはは」と笑いながら、飛び跳ねるようにして窓に向かった。ガラッと開けるや顔を突き出し、「サイコー! ホンコーン!」と叫ぶ。ぼくも一緒になって叫んだ。「ホンコーン! サイコー!」

 ぼくらの大声に、雑踏のなかで振り向く何人かの姿が目に映ったが、すぐに日常のせわしない流れに戻っていった。ぼくは晴れ晴れとした気分で胸いっぱいに空気を吸い込むと、喧騒が行き交う尖沙咀(チムサーチョイ)の街中を見下ろした。狭苦しい路地を人々が慌ただしく動き回っているこの光景も、今日はなんだか都会的に見えてくる。そして、湿った海風によって立ち込める饐(す)えた臭(にお)いも、甘酸っぱい香りになって匂ってくるように思えた。

 

 「さてと、今日の食事は香港だったな」ペットボトルの水を一飲みしてから、才介は確認する。今晩の夕食は、ママが初日に連れて行ってくれた中環(セントラル)エリアにある有名な広東料理のレストラン。昨夜と同様で、マダム交えて4人の食事である。午後6時に中環駅前の広場で待ち合わせとなっていたため、午後のセールの終了後、ぼくらはいったんホテルに戻り、身支度を整えて再び香港へ向かうことにした。

 尖沙咀から中環まではフェリーが出ているので、ぼくらはそれに乗船。ヴィクトリア・ハーバーの夕風を気持ちよさそうに浴びながら、才介がぼくの方に顔を向け提案する。「あのさぁ……今日、おれらだいぶ儲かったじゃん。だから、お礼の意味も込めて、今日はママたちにご馳走しようかと思ってるんだけど。どう?」「うん! それがいい」ぼくは速攻で快諾。「今回は、いろいろとママには世話になったからな」そう言ってお互いにこりとうなずき合った。

 

 フェリーを降り、そこから歩いて駅前広場へ移動する。中環(チュンワン)は、英語名でセントラルというくらい、香港の中心地として栄えており、主要な大通りにはハイブランド路面店がずらりと並んでいる。東京で言えば銀座を彷彿とさせるが、ごった返しているようなこの人の賑わいは、新宿か渋谷に近い。その人混みを見て才介が「おい。いくらわかりやすい駅前広場っていっても、わかるかよ。この人で」と不安気な声をもらしたとき、大きな手を上げて小走りに向かってくる真っ赤なワンピースが見えた。

 「あなたたちー!」ママはぼくらに近づくと速度を落とし、そのまま大通りへと歩を進めた。「マダムは?」「リョウコは、先に、行ってるね」

 ――昨日の会話で、お互いの名前を日本名で呼び合っており、ママはマダムを "リョウコ" 、マダムはママを "ナツコ" と呼んでいた。

 「今日はねえ、うんと高いレストランだよぉ、ハハハ、良かったねぇ」そう言ってママは才介の肩をぱんっと一つはたいた。その顔は相変わらず快活だったが、はたかれた才介の顔は、完全にビビっていた。だいたい、これまでの値段がわからないし、どれも滅茶苦茶高いように思えるし。ぼくは腕でつついてささやく。「おい、最初に値段聞いといた方がよくねえか?」それに対し才介が「だな」とうなずいた。

 

 レストランは、「うんと高い」を地で行くような豪奢なつくりで、何卓も置けるくらいのだだっ広い個室に、ぼくらは丁重な扱いをもって通された。すでにマダムが座っていた。今日は、濃紺を主体としたシックな衣装。首元を飾るエルメスのスカーフのビビッドな黄色が眩しく映る。マダムはぼくらの姿を確認すると、スカーフを取って立ち上がり「こんばんは」と挨拶した。ぼくらも頭を下げるが、ついゴージャスな室内に目がいってしまう。そして、才介を見る。その顔がかなり硬直しているのがわかった。もちろんぼくも同様で。

 ぼくらが腰かけると、ママがテーブルに両腕をのせ、身を乗り出すようにして訊いてきた。「今日、どうだった? オークション、何か買ったか?」「いや、いや、ぼくらは単なる見学で……」取り敢えずそう言ったあと、「しかし、凄かったですね。成化豆彩杯」それにママが即座に反応する。「あれね、上海のひと買ったよ。あたし、よく知ってる」「ええっ!  知ってるひとですか?」ぼくらが目を丸くしていると、「知ってるよぉ。時々電話くるよ」ママは平然と答えた。流石の人脈に、ぼくらは唖然とママをみつめるばかり。「そのひとね、最近、オークションの一番高いモノ、みんな買ってるよ」さっき、三代目もそんなことを言っていた。ママがにやりと意地悪そうな目を向けてきた。「あなたたちが、売ったんじゃない?」「何バカなことを言ってるんですか!  そんなん、持ってるわけないでしょ!」ぼくらが真剣に取り合うと、「アッ、ハッ、ハッ!  冗談よぉ!」ママは大笑いした。そのあとまた探るような目つきで、「でも、何か売れたでしょ? 高く売れた?」と訊く。「いや、まあ、少しは売れましたけど……」「そうかぁ、よかったじゃない。で、いくら儲かった?」「それは……まあ、そこそこは……」ぼくらは目を合わせてにやりと歯を見せる。「そうかぁ、儲かったか! よしっ、あたし、いくら儲かったか、当ててみようか?」ママは実に愉しそうだ。うーん、と腕を組みぼくらの顔を交互に観察。そして、指を一本立てた。「1億円くらい、売れたか?」「いや、いや、いや! そんな、儲かるわけないっしょ!」と才介が大げさに指をさし反応すると、ママはまた大笑いして、「じゃあ、1千万くらいか?」「……」えっ? 結構近い……。ぼくらは見つめ合い少し固まる。「じゃあ、3百万くらいか? ハハハ」からかうママを見て才介は居住まいを正し、「まあ、いくらかは儲かったので」と頭をかきながら、「それでお礼のつもりで、今日の食事代はぼくらが持とうかと思って」と言うと、ママは「本当か!」と手を合わせた。そして、また意地悪そうな目をして、「ここねぇ、鮑が美味しいのよぉ。一番高いの、一ついくらかわかる?」と、また愉しそうに訊いてきた。「う~ん」ぼくは考える。中華で鮑となると、前菜のなかにあるスライスしたやつを宋丸さんからご馳走になったことはあったが、丸まる一個となると皆目見当がつかず、「1万円か2万円くらいですか?」と、どうせ高いだろうと思っている値段を言ってみた。それを聞いて、ママはにやにやしながら、「ここで一番高い鮑ね……」と言ったあと、充分な間をもたせてから、「1個200万ね」「…………」ぼくは目が点になり、そのままゆっくりと顔を才介の方へ。才介も同様にぼくに顔を動かし、そして目が合う。「マジっ‼」それを見てママが「アッ、ハッ、ハッ!」とのけ反って笑ったかと思ったら急にぼくらに顔を近づけ、「じゃあ、今日は、それ、頼んでみようか?」と、またまた意地悪い目を向ける。ぼくらは慌てふためき両手を伸ばし、「だめ、だめ!」「ノー、ノー!」「勘弁!」と声を重ね合わせてそれを制する。その恰好がよほど面白かったのか、ママが「アハハ」と愉しそうに何度も手を叩いた。その光景を見ていたマダムが、「よしなさいよ、ナツコ。今日はわたしの奢りだから」と、このやりとりに終止符を打った。マダムの言葉を聞き、才介が胸をなでおろすのが見えた。

 

 四人は円卓を囲み、ママの右に才介。マダムの左にぼくと、昨夜と同じ配置。やはりママとマダムの会話が中心だったが、時折りぼくらにも話しが振られた。そのときは、当然日本語。ぼくらもそれに応じ、話しが盛り上がる。

 「明日、あなたたち、帰るでしょ?」ママの問いに「はい」とぼくら。「じゃあ、今日が香港、最後の夜か」うなずくぼくらの顔を見て、マダムが優しい目を向けた。「どうでした? 初めての香港は?」先ほどからぐいぐいと紹興酒を飲んでいる才介が、「いやー、最高っす!」とくだけて答える。「おまえ、顔赤いぞ」ぼくのつっこみに、「これ、美味いわ」と小さな盃を掲げにっと笑った。確かに、この紹興酒はコクがあってうまい。ぼくもいい気持ちになっていた。

 着いた早々有り金を失くしたときは、どうなることやらと思っていたが、ママやSaeのおかげで、最後は僥倖(ぎょうこう)にも恵まれ、毎日がまるでジェットコースターに乗っているように過ぎていった。今は、「捨てる神あれば拾う神あり」というSaeの言葉が頭を巡っている。

 ぼくはマダムに尋ねた。「年に何回来られるんですか?」マダムは深い笑みを湛えて「4回ね」と答えた。「4回?」「そう。年4回、香港ではオークションが開かれる」それを聞きぼくは、マダムの顔を覗くように再び尋ねた。「それじゃあ、オークションに参加してるんですか?」マダムは薄い笑みを浮かべると、「参加はしないけど、それには意味があるの」と答えた。

 ――どんな? と、言葉を発しようとしたぼくの顔にちらりと視線を送り「それは、あとでね」とさえぎるように言うと、れんげを動かし、いろいろな具の入った酸味のあるスープを口に運んだ。

 

 三品目の料理の前、それぞれの席にナイフとフォークが置かれると、ママが両手を合わせ、「来たよぉ、鮑ぃ~」とにやにやしながら声を震わせた。まもなく、オイスターソースに煮込まれた大きな鮑の皿が目の前に出された。「これ、美味しいよぉ」ママが才介の鮑に目を向ける。それを見て半分酔っている才介が、「これですかい、ママ、200万は?」と調子づく。それを聞いてママは大笑いしながら「そうかもよぉ、ハハハ。今日は、お金持ちのひとのおごりだからねぇ」「ちょっと、よしなさいよ」即座にマダムがたしなめる。ぼくも笑いながら、ナイフで端っこを切って口に入れる。「!」途端に感動。鮑がこんなにも柔らかいということをぼくは初めて知った。「絶、品、です!」と思わず一言。「だろう?」ママは酔っているのか、急に男言葉になっている。あっという間に食べてしまったぼくにママは驚き、「そんなに美味しいか?」と訊く。「はい!」と勢いよく答えると、「でもねぇ、今日はねぇ……、あげないぜ」とママはまた男言葉になった。

 

 ココナッツミルクのたっぷり入ったデザートが終わった頃、さっきまで快活に笑っていたママが急に神妙な顔つきになった。

「リョウコ、この子たちにも話してみたら? あなたが探しているモノ……」「そうね……」

「それもあって、今日、個室にしたんでしょ?」「そうね……」

 マダムの微笑が、急に重くなっていく。

 

 このまま解散かと思っていたぼくらは、思わぬ急展開にお互い顔を見合わせ姿勢を正した。

 何の話しをするのだろう。探しているモノって――。

 マダムは、宙の一点に視線を向けたまましばらく動かなかった。やがて、給仕の男性が卓の中央に置かれた大きな白い急須を手に持ち、それぞれの碗にお茶を注ぎ始めた。宴のあとの妙な静けさのなか、その注ぐ音だけが、かすかに室内に響きわたった。

 注ぎ終え給仕が部屋から静かに出て行くと、凝然としていたマダムの姿勢が崩れ、膝の上にあった両手をそっとテーブルの上に移した。と同時に、重い口が開かれた。

 

 「ごめんなさいね。せっかくの愉しい食事の後に、深刻な話しをしちゃうけど……」テーブルに置かれたマダムの左手の甲がぼくの目に入る。「まあ、あなたたち、聞いてあげてよ」ママが笑顔でお茶を一口啜った。この空気に酔いが醒めたのだろう、先ほどから才介が、真剣な目つきでマダムを見つめている。マダムは顔をゆっくりと、ぼくと才介に交互に向けてから、話しを始めた。

 「わたしはね、ずっと探している骨董品があるのよ。これから、その話しをするわ……」

 円卓の真上にある豪奢なシャンデリアの光りが、一瞬すうっと暗くなったような気がした。

 

 マダムは北京で生まれる。曽祖父は清王朝末の官僚。祖父は金石(きんせき)学の研究者として名を馳せた人物。その祖父が、当時北京に住んでいた富裕な日本人と結婚をした。つまりマダムの祖母は日本人。1924年にマダムの父が誕生し、曽祖父母とともに一家五人、北京で平和に暮らしていたが、マダムの父が10歳のとき、祖母は実家の事情で帰国を余儀なくされることになる。このとき息子を連れて日本へ帰ることになり、祖父とは離れ離れの生活を送ることになった。それから3年が経ち、ようやく中国へ帰る段取りを始めた矢先の1937年、支那事変が勃発したことで、帰国が否応なく伸ばされることになる。やがて世は大東亜戦争へと突き進み、戦況の悪化にともない祖母たちの帰国はいよいよ困難になっていき、中国に祖父を残したまま終戦を迎えることになった。

 マダムの父は、東京で大学に入り、終戦後も大学で機械工学を学んだ。祖母は家族の反対もあって、戦後も日本に留まることになったが、父は、自分の学んだ技術を祖国で活かしたいとの一途な思いがつのり、1950年、26歳のとき単身で中国へと帰ることになる。その頃中国では、こうした有為な青年を破格な待遇で歓迎し、父も鉄鋼会社で勤め励む充実した毎日を送った。そして帰国の翌年、同じ会社で働く台湾出身のしとやかな女性と結婚した。マダムの母である。翌年二人の間に長女であるマダムの姉が誕生。その三年後の1955年、マダムが次女として生を受けた。その後、曽祖父母は相次いで亡くなったが、祖父を含め家族五人の幸せな暮らしが続いた。祖母の帰りを待ちながらではあったが。

 しかし、国内の気運は急変し、反右派闘争が始まると、やがてそれは、文化大革命へと舵が切られていった。会社の中核となって指揮をしていたマダムの父は、一転して右派分子として「走資派」のレッテルを貼られ、批判闘争大会で吊し上げられ、不遇な扱いをされていったのである。

 

 淡々として進んでいくマダムの話しは、「文革」という言葉の登場とともに、吐く息に異様な力が加わっていった。

 

 「忘れもしない。いや、忘れたくても忘れられない、1966年の12月。わたしは11歳だった。北京では一段と寒さが増したその日、六人の紅衛兵(こうえいへい)が突然家に押し掛けて来た。彼らは、造反有理! 革命無罪!と叫びながら、父を家から引きずり出し、街中で跪(ひざまず)かせ、両腕を後ろに上げさせ、『反動分子、妖怪変化』と書かれたプラカードを首に掛けた。そして、三角帽子を被せると、周囲の人々に向かい雄叫びあげるかのように騒ぎ立てた。父はなすすべなくそれにしたがい、母と祖父が父をかばうように必死に後を追うと、紅衛兵のひとりが二人を何度も蹴飛ばした。わたしと姉は恐ろしさのあまり震えた身体を寄り添うようにして、その光景をただじっと見ていた」

 

 マダムの壮絶な話しは続く。テーブルに置かれた左手はいつの間にか拳になっており、それがかすかに震え出したのがわかった。

 「それから、別の紅衛兵たちが家に入っていくのが見えた。祖父は急いで戻った。母とわたしたちも駆け出した。家に入ろうとしたら、祖父の、やめろ! という怒号が耳に入った。紅衛兵たちは居間に乱入し、そこに飾られていた品々を次から次へ木製の棒で叩き壊した。それらは、曽祖父が清末の官僚時代に、親しい上のひとから譲り受けた骨董品であった。祖父も金石学者だったので、自分の父親の蒐集した骨董品を殊のほか愛(め)で大切にしていた。わたしも毎日のようにその姿に接していた。文革は、旧来の文化遺産をことごとく破壊することをスローガンにしていたから、祖父の愛蔵品も当然その標的となった。祖父は、紅衛兵にすがって、やめてくれ、やめてくれ、と泣き叫んだ。母とわたしたちは、必死の形相で懇願する祖父に抱き着いて、一緒に泣いた。とてもとても怖かった……。紅衛兵たちはわたしたちを振りほどくと、わめきながら壊していった。母は立ち上がるや大声で怒鳴りながら、紅衛兵の赤い腕章を掴んだ。その紅衛兵は勢いよく母を突き飛ばし、棒切れを持ってガラスケースの方へ向かっていった。そこには、祖父が最も大事にしていたモノが飾られていた」

 

 握りしめられたマダムの拳がわなわなと震え出した。

 「それは、色で絵が描かれた小さな盃だった。居間の一番日の当たる場所に飾られていて、いつも綺麗に輝いていて、わたしもお気に入りの品だった。祖父は必死にその紅衛兵の足元にすがりついた。わたしも一緒にすがりついた。しかし紅衛兵は、大股でその前に進むと、手にした棒を振りかざした。――やめろ! という祖父の叫び声と同時に、ガラスケースは大きな音を立てて粉々に砕け散った。そのとき、飛び散ったガラスの破片が私の左手に刺さった。泣き叫んでいたわたしは、痛みなど感じなかったが、血が流れていくのがわかった。跡形もなく壊れたガラスケースのなかのモノは、奇跡的に壊れずに床に転がった。それを見るや否や、祖父は這いつくばってその小さな盃に覆いかぶさった。紅衛兵は、叫声を上げながら祖父の背中を蹴り続けた。母が祖父の背中に被さると、今度は母の背中を何度も蹴った。その音が恐ろしくて、わたしと姉は、やめて、やめて、と大声で泣きわめいていた。

 そのときだった。紅衛兵の後ろから、中年の人民服を着た男が現れ、母の背中を蹴飛ばしている紅衛兵を制した。その男は、こう言った。そのモノは、壊さないから、わたしに預けろ。あとのモノも壊さないので、皆預けろと。悄然としていた祖父は、仕方なくそれに応じ、その男は紅衛兵に命じて、残った骨董品をすべて持ち去ってしまった」

 

 マダムは握った左手の拳をじっと見つめた。親指と人差し指の間に見える細長い傷痕が、生き物のように浮き上がっていくように見えた。

 マダムはそこで一つ間を取るように、お茶に口をつけた。そして、眉根を寄せて目を閉じ、ゆっくりとその続きを語り始めた。話が進むにつれ、マダムを見つめていたぼくの眼は、だんだんと遠ざかっていき、焦点を失ったまま朦朧と彷徨い、最後は目の前に置かれたお茶に仕方なく向けられた。

 

 紅衛兵が乗り込んできた事件の後まもなく、マダムの父は、日本から帰国したことを理由に、日本のスパイという名目で逮捕され、公安の地下監獄にぶち込められ、翌年辺境の地にある労働改造所(労改)に送られ、帰って来なかった。そして、何ということか、マダムの母も、台湾出身というだけで、台湾のスパイ容疑で逮捕された。70を過ぎていた祖父は、そのショックもあり、文革の嵐が吹き荒れる1968年の初春に亡くなった。マダムと姉が農村へ送られようとされたとき、日本にいる祖母の尽力で、祖母の親友の家に保護された。逮捕された家の子供たちの凄惨な状況を目の当たりにすると、まだ自分たちは幸せだと感じたそうだ。しかし、祖父が亡くなった翌年に、地下牢に閉じ込められていたマダムの母が息絶えることとなる。もともと病弱であったマダムの母は、劣悪な地下牢の生活に耐えられなかったのだろう。マダムの父が労改から解放されて戻って来たのは逮捕されて8年目の1975年の秋だった。しかし、労改の荒んだ環境のなかで、50を過ぎた父はかなり衰弱しており、翌年の1976年に帰らぬひととなった。

 

 「文化大革命は、それまでのわたしたちの人生を無茶苦茶にした。父が亡くなったとき、夢も希望も何もかも失ったわたしたちは、自由だけを求めて中国を出ようと心に決めた。海を泳いで命がけで香港へ渡る若者の話しを聞き、わたしたちは、香港へ行く商船に乗り込もうと計画した。それは、上海や天津の港から出ていたが監視が厳しく、一番安全な場所が江蘇省の港であることを知り、わたしたちは汽車に連結された石炭の積まれた車両のなかに身を潜(ひそ)め、一日かけて港に到着すると、何とかその船に乗り込むことに成功した。しかし、船のなかで隠れていた姉が、船員の一人に見つかってしまった。わたしが姉に駆け寄ろうとしたとき、姉の叫び声が聞こえた。――わたしは独りで乗り込みました! 他には誰もいません! と。連れがいるはずだという船員たちが、あたりを探しに回るのがわかると、わたしは木製のコンテナの隅に身を隠した。姉の泣き叫ぶ大きな声と船員たちの足音が次第に遠ざかるにつれ、わたしは『お姉さん、お姉さん』と心のなかで何度も叫び、唇を嚙み締めた」

 

 先ほどの給仕が部屋に再び現れ、卓の中央にある急須にお湯を注ぎ足した。そして少し間を置いてからゆっくりと手に持ち、それぞれの席へついで回った。ぼくはその間じっと下を向いていた。横目に入る才介も、同じように俯いていた。注ぐ音だけが静かに耳に入ってきた。

 

 「空腹に耐えながら、わたしは船が停泊するのを待った。乗り込んで二日目だったろうか。船は香港の港に着いた。わたしはひとの気配に耳をそばだてながら、静かに船を降りると、一目散に駆け出した。どこに行けばよいのか、頭のなかはまっ白だったが、ただひたすらに走った。わたしは疲れていたが、自分の勘だけを頼りに必死になって身体を動かし続けた。やがて小さな町に出た。振り返ると、港が遠くに見えた。わたしは近くの公園に行き、水を手で何度もすくって飲んだ。そのあと再び、わたしは駆け出していた。湿った空気に次から次へと汗が吹き出しているのがわかった。わたしはそれをぬぐうこともせず、歯を食いしばって駆けながら、何か胸が熱くなっていくのを感じていた。――22歳の春だった」

 

 隣の個室から、食事が終了したのであろうか、騒々しい物音が聞こえて来た。椅子を引いて立ち上がり、大きな声を出し合って帰り支度をしている人たちの笑い声が、砂浜に打ち寄せる波のように断続的に聞こえた。

 

 「三日間何も食べていなかったわたしは、いつの間にか倒れていた。気がつくと、そこは柔らかなベッドの上だった。カーテンの掛かった小窓から夕陽が差し込んで、窓辺に飾られていた小さな花が黄色く輝いていた。かすかに揺れるカーテンの花柄模様をぼんやりと見つめていたわたしは、はっとわれに返り慌てて跳ね起きた。そのとき、部屋の扉が開きひとりの中年の女性が入って来るのが見えた。その瞬間、わたしはそれが母のような気がしてならなかった。もちろん母ではないことはわかっていたが、その女性がベッドの側の椅子に腰かけ、優しい笑みでわたしを見つめたとき、わたしは思わず『お母さん』とつぶやいていた。すると、涙が自然と頬を伝い流れた。これまで決して流すまいと思っていた涙を、わたしは止めることができなかった。女性はわたしの背中を温かい手でゆっくりと何度もさすってくれた。その度にわたしは、肩を震わせむせび、涙を流し続けた……」

 

 ぼくの心を激しく揺さぶるような話を、マダムはそれほどの感情の高ぶりをみせずに、まるで台本を読むように語っていった。それゆえ余計に悲しみがつのっていくのを感じていた。ぼくも才介もただ項垂れていたが、おそらくその内容を知っているであろうママだけが、少しだけ顔を上に向けていた。ぼくがそっと顔を上げたとき、うるんでいたママの瞳から一筋の涙が頬を伝って流れていくのが見えた。

 

 「その女性は、わたしの母になってくれた。そして名前を授かり、わたしはその家で、新たな香港での生活を始めることになった。衣食住、何の不自由もなかったが、わたしの心は晴れなかった。来る日も来る日も、中国での出来事が頭から離れなかったからだ。紅衛兵がやってきた日のこと、祖父の死、父の逮捕、母の逮捕、そして、母の死、父の死、それから、何といっても姉のこと……。わたしは、毎日、尖沙咀(チムサーチョイ)からヴィクトリア湾まで行くと、東に向かって歩いた。この先には、わたしが着いた九龍(カオルーン)の港があるのだと思うと、無性に姉に会いたくなったのだ。でも、最後は虚しく帰途に着いた。

 そんな日々のなか、いつものようにヴィクトリア湾を望む舗道に佇んでいると、いきなり後ろから声を掛けられた。振り返ると、わたしと同い年くらいの女性が立っていた。彼女は、わたしに大声で『笑いなよ!』と言って満面の笑みを浮かべた。わたしはびっくりして、彼女の顔を見つめた。だた、その屈託のない笑い顔を見たとき、わたしの胸に何かが突き刺さった。わたしは久しぶりに、本物の笑顔というものを見た思いがしたからだ。すると、わたしの目から熱いものが次から次へと溢れ出した。香港に着いた日から、どんなに辛いことがあっても、もう二度と人前では泣かないと心に誓ったわたしだったが、彼女の天真爛漫なその笑顔を見て、これこそが、わたしの失っていた、そして最も大切なものだということに気づかされると、わたしは彼女に抱きついて大声をあげて泣き続けた。わーん、わーんと、本当に、久しぶりに、子どものように泣いたのだった」

 声がかすかに震え、それを押し殺すように大きく息を飲み込んでから、マダムは言った。「わたしは、ナツコの笑顔に救われた」

 ぼくの正面に見えるママの大きな眼(まなこ)から大粒の涙が溢れ、それが、ぽたぽたと、次々に卓の上に落下した。うつむいて左手で涙をぬぐっている才介の姿が横目に入った。ぼくも鼻をすすり涙をこぼしていた。

 

 「それからナツコとわたしは親友になった。わたしの過去も、ナツコの台湾での過去も、一緒にいると不思議なくらい、淡く朧なものになっていくような気がした。わたしは、父から教わった日本語を、ナツコも両親から学んだ日本語を使って、わたしたちは、上流階級の日本人が交流する俱楽部のような場所で働き始めた。その仕事はとても楽しかった。そしてお互い25の時に、ナツコは大手企業の重役と結婚し、わたしは日本のIT企業の支社で勤めることになった。29歳のとき、わたしは今の主人と出会った。彼は、その会社に派遣で来ていた有能な人物だった。わたしは彼に父の面影をみた。そして話しをしてみて驚いた。何と彼は、東京で父が通っていた大学の卒業生だったのだ。わたしは縁を感じた。そして、30歳のとき、わたしたちは結ばれ、東京で生活を始めることになった。ナツコも同じ年に、ご主人の転勤で東京に住むことになり、わたしたちは大いに喜び合った。その後二人とも日本に帰化し、それからお互いを日本名で呼び合うようになった」

 

 さっきまでボロボロと涙を流していたママが「そうだったねぇ」と笑みをみせ話し始めた。「あたしは、夫と齢(とし)、離れてたから、早くに死んじゃったけど、そんなときでも、リョウコが側にいてくれたから心強かった。あたしも、リョウコの芯の強い優しさに何度も助けられたよ」「お互いにね」ようやくマダムが笑みをつくる。そしてお茶を一口啜ると、話しの続きを始めた。

 

 「わたしは、今は本当に幸せ。でもいくら幸せになっても、消えない傷はある」そう言って、左手の甲を見つめた。

 「わたしは、この傷痕を見るたびに思い出す。姉のことを。そして、祖父の骨董品が壊されていった悪夢のような日のことを」マダムは大きく深呼吸をした。

 「わたしは、いつの日からか、祖父の大事にしていたあの品が、紅衛兵の上役が持ち去ったあの品が、ひょっとしたらまだどこかにあるのではないかと思うようになった。そして、それが何か姉と繋がっているような気がしてならなくなった……。だからわたしは、どうしてもそれを見つけたくなったの。今、わたしは裕福になって、近年の中国バブルもあって、骨董品の値段も高騰してきて、多くのモノが市場(マーケット)に出て来るようになった。わたしはチャンスが到来しているような、そんな気持ちになっているのよ。――だから、わたしは、世界中で行われているオークションに注目している。ナツコもそれを願って、この仕事を始めた。わたしは、そのモノに、何となく出会えるように思っているの」

 

 マダムのその熱い言葉を受けて、才介が大きくうなずくのが見えた。ぼくも同じような気分になっていた。

 「それは、どういうものですか?」ぼくはマダムを見据えて訊いてみた。マダムな優しいまなざしをつくり、「それはねえ、そう、今日のオークションでとても高く売れた杯があったでしょ?」「成化の豆彩の杯ですか?」「そう。あれは寸法の小さいものだったけど、もっと足が長くて背が高くて、このくらいの」と言ってマダムは右手の親指と中指でそのサイズを示した。高さ10センチくらいだろうか。

 「その杯の部分に、豆彩で花の絵が描かれていて、赤、黄、青花とか、足が長くて、祖父はよく、”馬上杯”(ばじょうはい)って言ったわ」

 ぼくは一瞬唾を呑み込んだ。「……成化の馬上杯ですか?」「いいえ、成化ではない。ワンリー(万暦)の銘が入っていた。万暦豆彩の馬上杯。祖父が、これは世に一点しかないものだとよく言っていたわ。だから、最も大事にしていた……」

 ――万暦の豆彩の馬上杯

と聞いて、ぼくはそれが、Saeのところにあるものではないかと思った。

 先日見た……、E氏も「世界に唯一点のもの」と言っていた……、それを見たとき何故か意識が遠のいていくように感じた……、あの色絵の馬上杯ではないか――。

 

 「ひょっとして、それは……」ぼくはそう言って一瞬口をつぐんだが、思い切って言葉にした。「日本にあるモノかもしれません……」それを聞いたマダムは、挑(いど)むような眼をして、ぼくの顔に焦点を当てた。見開いた目のなかの瞳が揺れ動いている。

 「あなた……、もしかして……し、知っているの……?」

 マダムに見つめられたぼくは、まるで術をかけられたかのように固まっていた。ママも才介も、驚きのまなざしでこちらを見つめている。

 

 「…………たぶん」ようやく口から出たぼくの言葉に、マダムが両手をテーブルに思い切りついて立ち上がった。そのとき、ぼくの目にその左手甲の傷痕が入った。

 それは、今まで以上にはっきりとした形状を成していた。

 

(第28話につづく 12月9日更新予定です)

 



 

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骨董商Kの放浪(26)

 食事が始まり、三皿目の料理が出されたあたりから、閑散としていた広間のテーブルはいつのまにか人で埋められ、周りの声が賑やかに耳に入り出した。芝エビか何かだろうか、小さなむきエビを茶葉で炒めたこの料理の優しい味つけに、ぼくと才介は前のめりになってレンゲを動かした。その様子を見てチャイナドレスのマダムが目を細める。

 「美味しいでしょう? 杭州のお料理で、龍井蝦仁(ロンジンシャーレン)ていうのよ」「ロンジン……」才介は一瞬顔を上げたが、すぐにまたエビを口に入れた。「アハハハ、あんたたち、そんなに美味(うま)いか。あたしの、あげるよ」ママは自分の皿を差し出した。マダムも「どうぞ」と言ってぼくの目の前に置く。「ありがとうございます!」才介は一口食べてママに目を向ける。「しかし、ママ。さすがの人脈ですね」「そうか、あたし、そんな人脈あるかなぁ」「あるわよ」とマダムが微笑んだ。

 

 食事の開始とともに、僕らは同い年であるママとマダムの間柄を聞かされた。

 ママはもともと台湾のひとで、10代のときに香港に移住。25歳で、香港に勤務していた大企業の日本人重役と結婚し、30歳のときに夫の帰国にともない、ふたりの間にできた息子とともに日本へ。だが、40歳のときに夫に先立たれ、その後香港に戻ることになる。折しも、香港で中国美術の市場が活況になったことを契機に、この商売を始めることになり、今年で10年になるそうだ。一人息子は成人し、日本の大学にいっているため、今は香港で独り暮らし。ただ、根っからの社交性と世話好きから、オークションシーズンになると、様々な国からVIP層の人たちがママのところに集まって来るようで、この時期は毎日のように華麗な晩餐を愉しんでいるとのこと。

 マダムは22歳のときに香港に移住し、30歳で日本人と結婚。その後日本で暮らしている。香港に来た年にママと知り合い、それ以来昵懇の間柄。共に日本人と結ばれ、同じ30歳のとき日本に渡ったため、日本でもたびたび会いふたりの交流は途絶えることはなかった。マダムは毎年定期的に香港を訪れる。今日は4カ月ぶりの再会。当然話に花が咲く。

 「このひとはねぇ、お金持ちになったよぉ」ママが笑いながらマダムの肩を二度軽く叩いた。「何言ってんのよ。わたしじゃないって」マダムは口に手をあて、今度はママの肩を押した。ママの話しによると、マダムのご主人はIT関連の会社を経営しているようで、今の時流に乗って急成長しているそうだ。数年前に、都心の一等地に新築のマンションを購入し、悠々自適な生活を送っているとのこと。でないと、こんなレストランのメンバーズにはなれないか。そう思いながら僕は四品目の豚の角煮を頬張った。とろけるような甘さが口いっぱいに広がり幸せな気分。リッチなテイストに舌鼓を打っていると、「どうですか?お味は?」とマダムが尋ねた。僕は少し考えてから、「ヘン・ハオ・チー」と覚えたての中国語で返す。それに対し、ふたりは歓声をあげて拍手をした。

 

 食事は主に、ママとマダムの会話と、口数少なく料理を堪能している僕らという図式で進んだ。ママの右に才介。マダムの左に僕という配置。ふたりは、概ね中国語のやりとりなので、会話の内容はわからないが、いたって快活なママと、穏やかであるが凛としたマダムとの対照的な性格が、ぴったりはまっているようで面白く、僕はずっとふたりを眺めていた。

 

 ママの底抜けと言っていいほどの明るさは、矢印のような真っ直ぐさと、人に嘘のつけない誠実さをともなっており、それは、派手な原色の衣装と同化しているように思えた。そして、マダムの落ち着いた上品な笑顔は、高級なシルクのチャイナ服と大きな翡翠のブローチと相俟って、上流階級特有のオーラを放っていたが、会話中に時おりみせる眉根を寄せる表情と、僕の右手側からたびたび目に入る左手甲の傷痕が、そのオーラにくすんだ薄い膜を掛けているような気がして、僕を不安定な気分にさせていた。この親指と人差し指の付け根の間に残っている切れ長の深い傷痕が、何か彼女の生き様の一端をあらわしているような気がしてならなかったのである。

 

 金木犀の香りのする熱い汁のデザートを食べ終えると、才介が満足気に腹をさすってうなる。「うん!どれも初めて食べる料理だけど、めっちゃ、美味しかったです!」それを聞いたマダムが嬉しそうに手を合わせ、「そうねぇ、明日もご一緒にどうかしら。楽しかったから、ねえ?」とママに顔を向ける。「あなたたち、予定入ってない?どう?」それに対し僕らは「まったくの、フリーです!」と速攻で答えた。

 

 ホテルの車寄せでマダムとママと別れた僕たちは、明日へと頭を切り替えた。「明日は、午前10時から、成化豆彩杯のセールと、午後は、おれたちの雍正の筆筒の出番だ」才介がスケジュールを告げる。「よし!」僕らはホテルをあとにして、自分たちの宿泊先へ足を向けた。

 「いよいよ、オークションかあ」「そうだな、ついに来たな」「どんな感じなんだろう」「世界の大金持ちが集まるんだろうな」「明日はさすがに、上着にネクタイしなくちゃな」「うん。同業の奴らに訊いたら、当日はちゃんとした格好がいいって」「O.K.!」そんな会話をしながら、僕らは尖沙咀(チムサーチョイ)の猥雑な脇道を軽快に抜けて帰った。

 

 翌日、セールは午前10時からだが、E氏から30分前までに来てくれとの連絡を受けていたため、僕らは早めにホテルを出発。予定時間より少し早めの9時過ぎに到着すると、すでに会場入り口付近でE氏が立って待っていた。「おはようございます」そして、「どうします?パドル取りますか?」と尋ねる。僕らの反応の鈍さに、E氏は笑顔で「今日何か競るモノがあれば、あちらで登録してパドルを取ってもらう必要があるので」と左手を横に上げた。みると、入口の右手には、いくつもの行列ができている。競りに参加するひとはここで登録して、番号の書かれたA4サイズほどの紙を受け取っている。「買うときはあのパドルをあげるんですか?」僕の質問に「はい。オークションは、この番号で買主がわかるシステムになっています」とE氏。「取りますか?」僕らはかしこまって手を横に振る。「いや、いや。僕らは見学で」「じゃあ、こちらへ」と、E氏は先導。

 広い会場内には、下見会場のVIPルームにあった白い布のかかったやや大きめの椅子が、真ん中の2メートルほどの幅の通路を挟んで左右に200ずつ計400くらいの席がつくられていた。正面ステージの中央には、司会者の席のような、高さ1メートルほどの重厚な木製の小さなテーブルが設置されている。この壇上にオークショニアが立つのだろう。両脇には、高めの位置に、二段にわたって細長い席がずらりと設営されている。ここはおそらくスタッフ用か。開始時間までまだあり、人はまばらであったが、世界的オークションハウスの威厳を感じさせる豪勢な大空間に、僕は既に高揚していた。

 「午前はメインセールなので、多くの人が詰めかけます。あと30分もしたら、席が埋まってしまうので、こちらに二つ取っておきました」向かって右手後方の端の席。ここからなら誰が競っているのかがわかりそうだ。E氏はステージを指す。「あそこのオークショニアの立つ台をロストラム(Rostrum)と呼んでいます。両脇には、電話で競る人のために、われわれスタッフの席が用意されています」先ほどの長いテーブルの上を見ると、等間隔で電話機が置かれている。左右に15台、計30台くらいか。かなりの数だ。僕らが目を丸くしていると、E氏は「テレフォンビッドはかなりありますので」と、大きく左右に首を動かしながら言った。「やはり、電話で競る人も結構いますか?」「はい。値の高いモノほど、電話が多いですね。やはり買う人も目立たないようにしたいのでしょう」オークショニアの立つロストラムという台とともに、ずらりと設置された「the telephone bids desk」と呼ばれる電話席は、いかにもここがオークション会場であることを示していた。

 

 開始10分前迄には全席が埋まったが、それからも次々と人が押し寄せているのがわかる。人の波は、会場入口あたりでいったん固まるが、押し寄せる人々でその固まりはすぐに左右に分散しながら幾重もの人垣ができ、徐々に立ち見の参加者たちの位置が定まっていく。気がつくと、後方にある僕らの席の右側にも人が立ち並んでいた。見回すと、スーツ姿はそれほどではなく、意外にラフな服装のひとが多い。なかにはサンダル履きの中国人も見受けられる。会場内には、挨拶や笑い声などがしきりと飛び交い、開始時間が迫るにつれその喧騒はどんどんと増していった。僕らは椅子から立ち上がって、目を丸くしながらその光景を見入った。

 「すげえ、人だかりだな」驚きの才介に僕も頷く。すると、反対側の左手の方から、こちらへ向かって手を振るひとの姿が見えた。「あっ、三代目だ」僕が手を振り返す。紺のスーツの三代目は、笑顔でもう一度手を振りそれに応えると、すぐに席に座って隣のひとと話し始めた。両脇の電話席にはスタッフが勢揃いし、いよいよ開会への準備がなされると、少しずつ喧騒はおさまっていき、徐々に空気が引き締まっていくような気がした。それはさながら、舞台演劇かコンサートの開始前のようだ。

 

 10時になると、会場はぎっしりと埋め尽くされ、入口付近に溢れていた人たちの動きが落ち着きをみせるのを見計らって、40歳くらいの様子の良い香港人らしきオークショニアがゆっくりとロストラムに立ち、ハンマーで卓面をコン、コンと二つ叩いた。その音で、がやがやとしていた場内が瞬時に静まりかえった。オークショニアは笑顔で挨拶をし、しばらく話しを始める。当然流暢な英語だ。僕は五分の一も理解できないでいた。「何だよ?」と全く理解できていない才介が横で尋ねる。「まあ、買ったときの手数料とか、なんかルールみたいなことを説明してるみたい」「ほおー」

 僕らがその話しにぼんやり耳を傾けていたら、「ロット501」というオークショニアの掛け声とともに、ステージ右手の大スクリーンにモノの写真が映し出され、セールがいきなり始まった。「始まったのか!」僕らは一気に緊張する。

 スクリーンには、ロット番号とそのモノの写真、その横には各国通貨が表示されている。一番上が香港ドル、下に向かって、USドル、ポンド、日本円、ユーロ、人民元、台湾ドルなどの価格が、オークショニアの発する香港ドルの値段によって目まぐるしく変わっていく。オークショニアは、会場内と電話席に巧みに目を配りながら、値段を繰り返す。僕らもカタログを開いて確認しながら、赤ペンで落札額を書き込んだ。

 

 セールは静かに始まったようで、最初の方は競り合うこともなく、評価額内で落札されていた。落札者も会場内の人が多いようで、オークショニアが右手を差し出してパドル番号を確認している。パドルを掲げて競る人もいれば、オークショニアの目線に応じて軽く手を挙げて競る人もいるようで、僕らは会場内を見回すが、誰が競っているのかわからないのがほとんどだった。「マジ、わからねえ」才介が笑う。「こんだけ人がいたらな。でも、おれらから10列くらい前のやつ、よく競ってるぜ」オークショニアがしばしばそちらに視線を向けるので、おそらくそうだろうと僕は思った。

 

 開始から30分程過ぎた。一番高額なモノは、雍正官窯の桃の図の描かれた一対の粉彩(ふんさい)盤。価格は、結構競り上がり550万香港ドル。日本円で8000万を超える。落としたのは電話ビッドだった。僕らは感嘆の声。

 そして、いよいよメインイベント。本セールの目玉「成化豆彩葡萄文杯」の登場である。その前に、オークショニアは一息入れるかのように、卓上の水を飲む。一瞬周りが水を打ったようにしんとなった。同時に両脇にいる電話スタッフのほとんどが、受話器を片手にスタンバイする。オークショニアはゆったりと会場を見回した後、この作品のロット番号を口にした。

 評価額は、下見のときに聞いた2000万から3000万香港ドル。日本円で3億から4億5千万だ。これまでの競りを見ていると、スタートの値段は、評価額下値の1割から2割下の値段から始まることが多い。これも同様に、1600万香港ドルから始まった。オークショニアは会場と電話に目を走らせながら、捲し立てるかのように、1800、2000、2200、2500、2800、3000とあっという間に上値までの数字を発した。僕は、昨日三代目が競ると言っていたのを思い出し、彼に目を向けた。するとパドルを掲げている。「おい、すげえ、三代目、競ってるぜ!」僕の視線に才介も興奮する。「よし、行け!」しかし、値段はどんどん上がり、3500万で三代目は降りた。「あーあ」僕らはがっかりしたが、それはほんの序章にすぎなかった。

 

 5000万までは会場、電話が複数いたが、やがて、一人そして一人と脱落し、7000万からは電話同士の一騎打ちとなった。才介が僕の肩を揺する。「おい、日本円で10憶越してるぞ」スクリーンの日本円表示は「JP¥1,060,500,000」となっている。僕はもはや桁がわからなくなり、数字を呆然と見つめるだけだ。100万刻みの競りが進む。だんだんお互いが限界に来ているのだろうか、それとも策略か、二人とも時間を掛けながら競りを続ける。電話を取っているのは、中年の男女のスタッフで、両者とも中国人のようである。つまり、その電話口で競っているのは、おそらく中国人であろう。オークショニアの左手に男性、右手に女性。その戦いが優に15分を超えたところで、女性の電話が急にペースダウンした。迷っているようだ。女性は受話器を握りしめてしきりと喋り続けている。オークショニアは、男性の電話ビッドの値段を言って、この上の値段を提示し促す。それは、9800万であった。

 女性の電話時間が長くなる。オークショニアは「NO?」と何度も訊く。女性は左手を真っ直ぐ前方へ出して、ちょっと待ての姿勢を崩さず電話のやりとりを続けている。「ついに、降りそうだな」才介は電話を注視したまま僕にささやく。「うん。さすがに、この値段だと」僕は答える。既に日本円で、15憶円近くになっている。会場内の全員が女性の一挙手一投足に集中している。そのときであった。水平を保っていた女性の手がすっと上げられた。と同時に「おおっ」という声が一斉にあがる。オークショニアは「サンキュー、エディ」と笑顔で応えた。エディとは女性スタッフの名前らしい。そしてオークショニアは、右側の男性の電話に顔を移し「ナインティナイン(9900万)?」と右手を向けた。今度は電話の男性が受話器に向かって喋り出す。遠目でわからないが、こころなしか口調が強くなった気がした。

 「どうなるんだろう?」その光景を見て才介が訊く。先ほどからの競りの様子から、僕は何となく、この男性スタッフの電話の方が強いように思えた。一定の時間内で答えを出す余裕が感じられたからである。それでもこれまでよりも少し間を持った対応であった。

 「ナインティナイン(9900万)?マーク?」オークショニアが再度促す。マークと呼ばれた男性スタッフは、受話器に喋り続けながら、じっとオークショニアを見つめている。そして、一つ強めに頷いた後「ワン・ハンドレッド!(1憶)」と左手の人差し指を高らかに突き上げた。「おおおっ!」と大きな歓声が沸く。一気に200万上げ、相手を征しにかかったようだ。

 「ワン・ハンドレッド・ミリオン!サンキュウ、マーク」オークショニアはマークを指し、大きく頷いた。それを見て才介が「決まったな」と声を出した。僕もそう思った。オークショニアは、再度エディの方を向く。「ワン・ハンドレッド・ファイブ(1憶5百万)?」1憶を超えると、次の値段がいきなり5百万跳ね上がる。このくらいの額になるとそうなるようだ。エディの口調がより烈しくなるが、なかなか答えが出ない。その反応を見て、皆は、勝負ありと思ったのだろう、会場が少しざわつき始めた。そのなか、エディは間を置きながら話しを続けている。オークショニアは、微笑みながらロストラムの卓上に両肘を置いて上体を屈め「ワン・ゼロ・ファイブ?エディ?」と優しく尋ねる。「NO?」その問いに、エディは受話器を手にしたまま何度か頷いた後、左手を前に水平にかざした。「えっ?まだ行く気?」才介がエディに目を向ける。エディは喋りながらまた二三度頷いて声を張り上げた。「ワン・ゼロ・ツー!」「おおっ!」と再び歓声。オークショニアは姿勢を正し、「O.K.!エディ。ワン・ハンドレッド・ツー・ミリオン。サンキュウ」それに応じてスクリーンの数字が「HK$102,000,000」と表示。「刻んできたかぁ」確かに、この数字までくると、200万でも日本円にすると3000万である。「だな?」僕らは納得。両者の戦いはすでに20分を経過していた。しかし、会場内は誰もその場を動かない。当然ながら、皆この行く末に注目しているのだ。

 「ワン・ファイブ(1憶5百万)?」とオークショニアは、マークの電話に手を向けた。マークはのべつ喋り続けている。おそらく、相手が刻んできたことで、もう1ビッドすれば勝てますよとでも言っているのか。1分ほどの後、マークが左手を上げそれに応えた。再び会場内がどよめく。そして、人々の目はエディに注がれる。

「ワン・エイト(1憶8百万)?エディ」オークショニアは、ロストラムの端を左手でつかみながら、右手をエディに向ける。エディは間を置きながら話を続けている。800万がきついなら、600万で刻みましょうか?ここまで来たら、もう1ビッド頑張りましょう、という会話がなされているのだろうか。その間オークショニアは微笑みを絶やさない。1分が経過しオークショニアが「NO?」と問いかける。それに対しエディの左手が再び水平に。「おっ、まだ行くのか?」僕らは固唾を吞んでいると、まっすぐ前方に伸びた左手が力なくすっと下に降り、エディが笑顔で首を横に振った。ついに降参だ。それを見てオークショニアは「サンキュウ、エディ」と応え、「ワン・ハンドレッド・ファイブ香港ダラーズ」と、手にしたハンマーを初めて上げ、何回かその数字を繰り返しながら、会場内を見回した。最後の確認をしているのだろう。そしてハンマーを少し高く掲げて「ラースト・チャンス」と言って、もう一回り見回した。一瞬の静寂の後、テーブルにハンマーを力強く打ちつけた。

 「コーン」という乾いた高音が場内にこだまするや否や、大きな歓声と拍手が怒涛のように押し寄せる。「ブラボー」の大きな声が聞こえ、立ち上がって拍手をしているひともいる。大歓声を沈めるように、オークショニアがマークを指さし再び落札額を口にした。マークは、パドル番号を掲げ、オークショニアはその番号を読みながら、手許の書類に書き込んでいる。「すげえ、すげえや」まだ人々の興奮が冷めやらぬなか、才介が「結局、いくら?」と疲れた声を出した。スクリーンの日本円の表示には「JP¥1,590,750,000」と出ている。それを見ながら僕は「15億9千7十…」と言ったところで、次のロットに移ったようで、数字が「0」に変わった。僕は先ほどの数字をカタログに記入しながら、改めて感じていた。あの小さな色絵の杯が、なんと16億円!僕はどう受け止めてよいかわからなかったが、才介も同じ心持ちのようで、スクリーンを見つめたあとで、「ふうー」と大きな息を吐いている。僕らは中国陶磁の巨大マーケットを肌で感じ、完全に打ちのめされていた。

 

 豆彩杯が終わったところで、場内は急にがやがやとなった。午前中のセールはまだ残っているが、高みの見物的な参加者たちが、早々と席を立ち始めたからである。僕らも正直力が抜けた状態になっていた。しばらく続く喧騒のなか、セールは淡々と進んでいく。そしてそこには、当然のごとく真剣に競い合うひとたちの姿があった。派手さはないが、確実に売れていく様子を見つめながら、僕らはその都度落札額をカタログに記していく。

 そのとき、軽く背中を叩かれた。振り返ると、そこに三代目の姿があった。その笑顔を見て、「びっくりしました!」「すごいっす!」僕と才介の声が思わず重なる。「いやぁー、まさか16憶とはね。10憶ちょいかなと思ってたけど。歴代三番目に高い金額だ」三代目の苦笑いを見て、「誰が買ったんですかね?」と才介が訊いた。「おそらく、マークの電話だったから、今一番強い上海のコレクターだと思うよ」「やっぱ、中国人ですか?」「今は、滅茶苦茶、大陸の中国人が強いからな」そう言ったあと、三代目は「でも、まだまだ高くなるよ。中国陶磁は」とつけ加えた。「じゃあ、僕は午後の便で帰るので、お先に」三代目はそう言って出口に向かった。僕らはその場で立ち上がり、深々と頭を下げる。そして再び椅子に腰かけセールに目を向けると、ちょうど品が落札されたところであった。評価額の上限をかなり超えている値段を書き込みながら、先ほど三代目が口にした「まだまだ高くなるよ。中国陶磁は」の一言が現実味を帯びて耳に残った。

 

 昼を挟んで、午後2時から再びセールが始まった。こちらは、一般的なセールと位置づけられ、午前に行われた高額商品を主としたセールとは異なり、比較的リーズナブルな値段が多いのが特徴。数は多く250点くらいある。よって図録も厚め。ロット701番から始まり、僕らの雍正筆筒は775番。午前の部のような大物がないので、スムーズに競りが進めば、だいたい3時過ぎくらいに順番が回ってくる予想。会場は、空席がちらほら見られるが、椅子に座らずに立っている人も結構いて、それなりに賑わっている。長丁場ということもあり、談笑しているひとなどリラックスムードが漂っており、午前中のような緊迫感は感じられない。電話ビッドの席にはE氏の姿が見える。日本からの注文も入っているようだ。そんななか、セールは着々と進められていった。

 

 始まって20番目に、以前熱海の市(いち)で出た「堆朱屈輪盆」が登場した。カタログを見ると、評価額は「HKD500,000-700,000」とある。当然ながら僕らは注目。髭をはやしたまだ30代の若いオークショニアが、40万から50万まで滑るように数字を述べる。そのあと、少しペースが落ちたが、ほどなく60万を超え、評価額上値の70万で止まり落札された。「おおっ」と僕らは反応。すぐに、日本円の表示に目を向ける。「JP¥10,605,000」。その数字を見て才介は膝を叩いた。「ちっ、儲けやがったな」市では300万だったので、700万以上の利益だ。「こういう舞台に出すと、やっぱ売れるんだな」才介は何度も首を縦に振った。

 

 午後のセールが始まり1時間を過ぎた頃、ようやく筆筒の出番が回ってきた。その3番前くらいから、僕らは落ち着きを失い、落札額を書き忘れていた。「おい、おい、次だぞ」774番の商品の競りが始まると、才介は激しく両膝をこすって小刻みに身体を揺らしている。僕も自分の胸が烈しく波打つのを感じていた。そのロットがあっという間に終わり、ついに雍正筆筒がスクリーンに映し出された。「ロット775」のオークショニアの掛け声とともに競りが開始された。僕らに緊張感が走る。

 画面に映し出された数字は「HK$100,000」。これが評価額の下値で、リザーブ・プライスである。この額で手を上げるひとがいたら、すなわち売れたことになる。僕は腹に力を入れ見つめる。「ワン・ハンドレッド・サウザンド(10万)」と、先ずオークショニアが発した。「頼む!」才介が強く目を閉じる。

 そのあと少し間が空いた。オークショニアが会場を見回す。誰も競らないのか?一瞬僕は焦って、場内に目を向けたそのとき、オークショニアの動作が突如忙しくなった。それにつれ、1万刻みの数字は、あっという間に20万になった。既に評価額の上値を超えている。「えっ!」僕らは顔を見合わせる。そのあと、ゆっくりと数字は上がり、やがて30万となった。日本円で「JP¥4,545,000」。才介が思わずボールペンを下に落とした。僕も同様の心境。だが、それで終わりでなかった。そこから、電話と会場との一騎打ちが始まったのである。

 

 オークショニアの左手の電話ビッドと、誰だかわからないが、会場で競っているひとがいるようで、お互いに譲らない。1万刻みで、値がどんどん上がっていく。それにともない、当然僕らの心臓は高鳴る。50万を超え、やりとりはスローペースになった。電話が時間をかけ始めたのである。会場の一人はすぐにビッドしている。オークショニアの目は、正面の入口付近に向かっているので、僕もそのあたりの席に目を動かすが、競っているひとが誰かわからなかった。ようやく手を上げた電話ビッドの額にお礼を言ったオークショニアは、52万の値を提示し、正面のひとに顔を向ける。その後まもなくオークショニアは、「サンキュウ、レィディー」と言った。

 「女のひとか、競ってるの」と才介が訊く。「そのようだな」僕はまだ確認できないでいた。皆の目は、相手の電話の方に向かったが、僕はずっと入口正面の一番後ろの席に目を注いでいた。あのあたりのひとが競っているような気がしたからだ。ただ、女性らしき姿は見当たらない。やがて、53万の値を受けた電話の合図とともに、オークショニアは会場に目を向ける。僕は集中した。そのときである。ちょうど入口正面で立っている人混みのなかに、昨日出会った若い女性店主の姿が目に入った。Lioである。すると腕を組んでいた彼女の左手がわずかに開いた。と同時にオークショニアが「ファイブ・ハンドレッド・フォーティ(54万)、サンキュウ」と反応。どうやら会場で競っているのは、Lioのようである。「おい、昨日の女性だよ。競っているの」「えっ!ひょっとして、Lioちゃん?」と才介も後ろを向く。「本当だ。あそこに立ってる。そう言えば下見でじっくりと見ていたもんな」

 

 その後二人の競り合いが続き、58万でLioが手を上げ、時間をかけながら59万で電話が応えた。オークショニアは、60万の数字をLioに向ける。そこで、Lioが初めて首を傾けて思案に入った。その様子を見て才介は、「頑張れ、Lioちゃん」と拳を握る。僕らの関心は、値段はもとよりであったが、ここまで来たらLioが買うのか買わないのかにあった。薄いピンクのジャケット姿のLioは、口を真一文字にして考えた後、さっと左手を開いた。「サンキュウ、シックス・ハンドレッド(60万)」「よっしゃあ!」才介は小さくガッツポーズ。Lioの値に対し、電話はあきらめたようで、受話器を持つスタッフが首を横に振った。それを見てオークショニアは、ハンマーを下ろした。

 「シックス・ハンドレッド・サウザンド(600,000)香港ダラーズ」。スクリーンに表示された日本円「JP¥9,090,000」に目を向け、僕らは放心状態。ようやく才介が「あれって、いくらで買ったんだっけ?」と訊いた。「10万円」僕が答えると、一瞬フリーズした才介が、いきなり僕の両肩を掴み、「マジかよ。ばっきゃろー!」と言いながら激しく揺さぶった。周囲の人々の目が僕らに目を向けられる。「待て、待て、才介。そんなことしたら、おれらが出品してることばれちゃうよ」「あっ、そうだ、そうだ。まずい、まずい」と言ったあと、「違います、違います」と慌てて日本語で連呼する。僕が電話席にいるE氏に目を向けると、E氏はにっこりと微笑んだ。才介は、手が震えるからと言って、落札額の記入は僕の方ですることに。筆筒のエスティメート・プライスの下に、僕は、「600,000」と書き込む。そのとき、Saeの言った「捨てる神あれば拾う神あり」というフレーズが頭をよぎった。

 

(第27話につづく 11月25日更新予定です)

 

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骨董商Kの放浪(25)

 文武(もんぶ)廟(びょう)から東へ歩いて5分のところにある3階建ての大きなビルディングの前に僕らは立った。三代目が入り口の扉を開け、勝手知ったるというふうに、そのまま階段を上っていく。僕もあたりに目を凝らしながら後についていく。各階には、その途中の階段の脇や踊り場も含め、古い中国製の飾り台や陳列ケースが壁際はもちろんフロアのいたるところに置いてあり、そこには大量の品物が並んでいる。僕は先ずその景色に驚く。その様子を横で見ていた三代目が声をかける。「まだ、整理整頓されている方だよ。他の店なんか、床の上まで所狭しと品物が置いてある。そういった店がほとんどだ」

 そして3階に到着。そこにも壁に設置された木製のガラスケースや飾り台にぎっしりと品物が並んでいる。驚いたのは、背丈くらいあるアンティーク製の家具の上に、漢時代の楼閣(ろうかく)と呼ばれる高さ60~70センチの緑釉の建築明器(めいき)(副葬用の陶製の建物ミニチュア)が乗っかっている光景だった。地震のない国とはいえ、この陳列風景に僕と才介は目を丸めて、お互いの顔を見合わせた。

 フロアの中央に大きめなテーブルが置かれているだけで、特に応接間らしきものはなさそうだ。テーブルの上には何も置かれてなく、その周りには、これも古そうな中国製の椅子が何脚か配置されている。三代目が壁際の陳列品を手に取りながら回っていると、店の女性がお茶を真ん中のテーブルに置いた。すると、奥から店主らしきやせた背の高い40代前半の男性が柔和な笑みをみせて近づいてきた。薄い黒縁の丸眼鏡が印象的。お互い声を交わし合いながら握手。二人は同い年くらいのよう。そして僕らを紹介する。僕らも握手を交わし名刺を交換。名刺には「葉(Ye)」とある。「イエさん」と三代目が紹介。派手さはないがどことなくブルジョア風。

 しばし雑談したあと、葉氏はいったん下がり、シナ箱と呼ぶ中国製の小ぶりな箱を手にして戻ってきた。卓に置くと、なかからモノを取り出す。白磁の碗であった。それを見て三代目が「ほお」と小さくうなる。全体を眺めてからゆっくりと手に取り顔を近づけ、先ずは碗の見込みに集中。しばらく見入ったあと、ひっくり返して裏面の高台部分をしげしげと見る。そして二、三度小さく頷いてから、僕の前に置いた。

 僕は軽く頭を下げた後、両手で包み込むようにして持った。碗は、口径が12~13センチの平たい形状をなしており、見込みに浅い線彫りで、蓮の花が簡略的に施されている。黄味を帯びた柔らかな白磁釉の下に彫りあらわされた蓮の花びらの流麗なラインに、僕の眼は吸い込まれていった。

 「北宋時代の定窯(ていよう)白磁の典型的なモノ。なかなか良いモノだよ」三代目が横から解説。僕も三代目の講義を思い出しながら、この碗を見つめる。

 

 定窯は、中国陶磁の歴史のなかでも、名窯を輩出した北宋時代を代表する白磁の窯。当時から名声を欲しいままにし、優秀な作品は宮中へ納められたほど。そのたたずまいは、いかにも北宋文人たちが好みそうな気品と風格を備えている。僕は一目で気に入った。続いて才介も手に取り「きれいだな」と感心している。僕はもう一度手にする。巧みな刃さばきで彫られた浅い線が伸びやかで優しい。輪郭をとってからやや刃を斜めにして文様を彫り浚(さら)える「片切彫(かたきりぼ)り」という手法が特徴で、その溝に溜まっている象牙色の釉色が殊(こと)に冴えている。「覆輪(ふくりん)も時代がありそうだし、小さいけど見事なものだよ」三代目は言う。定窯は器を伏せて焼くため、口縁部分に釉が掛からない。よって、覆輪という真鍮などの金属の輪っかを口縁部にはめるのが通例。もちろん失われているものも多い。ただ、これには古そうなこげ茶色の覆輪がきちんと付いていて、定窯らしい姿をみせている。

 

 僕の様子を見て三代目は「買ったらどうだい?」と促した。それを受けて「いくらでしょうか?」と訊くと、葉氏は「10万香港ドル」と答えた。「150万か…」僕の全財産だ。確かに魅力的ではあるが。150万か。僕が思案していると三代目は「交渉してみなよ。欲しかったら」と背中をポンと叩いた。才介も二三度首を縦に素早く降っている。僕がディスカウントを求めると葉氏は一割引くと言って、今日のレートで計算した日本円を示した。計算機には「1,360,000」と表示されている。僕はその計算機を手にし、少し考えたあと新たに「1,300,000」という数字を入れ、葉氏に返した。葉氏はその数字を見て苦笑いしたが、ほどなく笑顔になり「O.K!」と右手を伸ばした。そして握手。交渉成立だ。「よかったね」と三代目。「ありがとうございます!」「でも、ちょっと残念だったな」「えっ?どこが、です?」交渉の仕方が不味かったのかと戸惑う僕に三代目は「いや、キミが買わなかったら、僕が買おうと思ってさ」と笑った。

 

 そのあと何点かモノを見て僕らは葉氏の店を辞した。歩きながら三代目は「僕は7~8年前まではよくこの辺で仕入れてたんだ。結構安くってね。けど最近は、モノも出なくなって、中国陶磁も高くなって、贋物も増えちゃって。だから、すっかり来なくなったけど。僕もたまには寄らないとな。キミはついているよ」「けど、これで今回の元手ほとんど使っちゃいました」僕は厳重にパッキングされた包みに目を向ける。「いや、これは買った者勝ちってやつだ。安いもんだよ」三代目の手助けはあったにせよ、自分が気に入ったモノを手に入れた感激に、何か力がみなぎっていくのを感じていた。「ありがとうございます」僕は再び御礼を述べた。

 歩きながら三代目は空を見上げ、「キミらはついてるよ」とまた言った。「ついてますか?」才介が尋ねると、「うん。香港でこんな爽やかな日は滅多にないよ。この季節くらいかな。いつでも蒸し暑くて、汗だくになりながら歩いてるからね」湿り気のない風を感じながら、三代目はにこりとした。

 

 それから、文武廟に戻る形で西へ進み、廟を越えてしばらく歩いた。途中にある店店の前を通るごとに、三代目はその特徴を話す。ここは面白いモノがたまに出る、ここはまあまあ、ここは全部贋物、という風に。そのたびに、僕らは入口から首を伸ばしてなかの様子を観察。ガラス張りで外から中が丸見えという店舗も結構ある。そこには品物が、飾るというよりも放置しているかのように漫然と並べてあり、床の上までぎっしりと転がるように置かれている店も少なくなかった。日本の骨董店には絶対にない陳列風景を目の当たりにして、僕は、マーケットの中心地として、常に息づくように動いている香港のアクティブさを実感していた。

 

 そうこうしながら、三代目の行きつけの2、3軒に僕らは入り、また少しモノをみせてもらったりした。その後、三代目は予定があるというので、僕らはタクシーをひろうため文武廟に向かって歩き出した。その途中で三代目は右手の洒落た黒いビルを指さした。間口は狭いが、新築のようなきれいな外観。「ここは女性のやっているお店。結構やり手だよ」僕らはそのビルに目を向けた。玄関の扉はガラスであったが、黒い壁で飾られているため中の様子がわかりにくく、他の店とは違った入りづらい雰囲気を漂わせていた。才介がうっすらと笑みをみせ僕に近寄る。「姐御みたいのが香港にもいるんだな」それを聞いて「女性のディーラーもいるんですね?」僕の問いに三代目は、「結構多いよ。日本なんかと比べると」「ほおー」僕らは少々驚く。そうか、考えてみれば、香港ママもたしかに女性か。「香港ママ、知ってますか?」「ママ?もちろん!来ると必ず1回は食事するよ」「ママの店ってどのあたりですか?」僕らはそろそろ文武廟に着くかというところにいた。三代目は通りのすぐ向うの階段を指さした。「そこの階段を下りて、最初の狭い路地を右に行ったところ。すぐ近くだよ」才介が頷く。「たしかブンさんの友人もお寺のあたりだと言ってた」「行くの?これからママのところ」「はい。これから伺おうかと。昨日ご馳走になっちゃって」「ママはとても良いひとだよ。でも、店には大したモノないけどね」とにやりと笑った。そこへタクシーが来た。「きみたち、明日はオークション参加するの?」「はい。見学しようかと」「例の成化の杯、午前中のメインセールだから。是非見た方がいいよ」「ひょっとして、お買いになるんですか?」それに対し三代目は「注文入ってるけど、手も足も出ないだろうね。」と軽く笑ってドアを開け「じゃあ、成果を祈ってるよ。ママによろしく」と片手をあげた。僕ら深々と頭を下げて見送った。

 

 タクシーが見えなくなると、才介は「よっしゃあ!」と一つ大きな声をあげ、「さて、取り敢えずママの店行ってみるか?」と手を合わせた。僕らは石の階段を下りる。すぐに小さな路地。左手はキャット・ストリートと呼ばれる、雑然とした小店舗が両脇にずらりと軒を連ねている。才介は、主にそこで仕入れをする計画のようだ。どうやら細かいモノが安く買えるらしい。しかし、先ずはママの店に寄るため、右の路地に入ろうとして僕らは立ち止まった。狭い路地の中央にテーブルを出して、四人の中年の男たちが気ままに麻雀を楽しんでいるのだ。天気が良いとはいえ、あまりにものんきな風景に僕らは顔を見合わせる。と同時に、この先に本当にママの店があるのかと不安になった。談笑する彼らの脇をすり抜けるようにして路地を進むと、すぐに行き止まりの小さな広場に出た。そこには左右に三つの店舗があり、一番手前の右側の店にママの姿が見えた。

 「あらぁ、いらっしゃい。待ってたよ」濃い目のブルーのワンピースが目に飛び込んだ。「昨夜はご馳走さまでした」と言いながら僕らは店内に入る。三坪ほどの狭さ。その中央のテーブルの上に置かれた唐三彩の馬が目に入る。高さ50センチ弱か。四本の脚は壊れていたようで、ところどころ石膏か何かで補修してある。ママはその前に座るや否や絵筆でその白い部分に色を付け始めた。テーブルの上には絵具が散らばっている。僕らがきょとんとしてそれを見ていると、ママは「あなたたちも、やる?」と笑顔で筆を差し出す。「いや、いや、いや」と僕らは同時に右手を横に振った。日本では、モノの修理は当然本職の修理屋がやるので、自前で済まそうとする姿に僕らは驚きの反応。「これって、商品ですよね?」おそるおそるした僕の質問に、「そうよぉ。壊れたままじゃね、売れないからねぇ。直して売るよ。色合わせるの、難しいけどね。うまいでしょ?どう?」それはさすがに素人仕事だったが、香港の商売の大らかさを改めて知り、これもありかと、僕らは作り笑いを浮かべた。

 ママの店には、三代目が言ったように、本物かニセモノかわからない中国の骨董品が、ほったらかすように並んでいた。ママは僕の持っている荷物を見て「何か買ったか?」と訊く。「はい。イエさんという店で」「えーっ、あそこ、高いでしょ?」「値段はよくわからないですけど、三代目と一緒に行って」「そうだね。彼みたいなひとが行く店ね」「で、何、買ったの?」興味津々のママに、「定窯です」と答える。「定窯?白磁か?」頷く僕の顔を見て「あるよ。うちにも。定窯。黒いお茶碗」ママは絵筆を置いて立ち上がり、棚の下の扉を開け探し始めた。黒い定窯とは黒釉の定窯で、俗に「黒定(こくてい)」と呼ばれ、世にも稀少な作品とされている。あったらたいへんだ。ママの店の商品を窺いながら、僕は九分九厘ニセモノだろうと思ったが、最初から拒絶するわけにもいかず。

 やがてママは埃のついた白いシナ箱を持ってきた。開けると黒釉の掛かった、口径が15センチほどの浅めの碗が入っていた。「ほら、黒い定窯」僕はそれを手にする。その瞬間僕は理解した。器壁がやや厚く重みがあり、軽快さがない。裏を返して高台の所作と土を確かめる。濃い目のグレーで白くない。定窯でないことは僚(あきら)かだ。だが、造りの様相など変なニセモノには見えなかった。

 「定窯?」と訊くママに「じゃないと思います」と答える。「やっぱりね。これ売りに来た人、定窯って言ってたけど、やっぱり違うか?ニセモノ?」「いや、そういう感じでもなく…」おそらく実際に使い込まれたに違いない、碗の表面に残された多数の擦り傷を見て、僕は自然な感じを覚えた。

 僕が考えていると、「あなた、これ買ってよ。うんと安くする」とママ。うんと安くと言っても、そこそこはするだろうと思い、「でも僕、さっきの定窯でほぼ予算使ったので」と碗を箱のなかに返した。僕は150万のうち、すでに130万使っており、残金が20万しかないのだ。するとママが計算機を叩いて「この値段でどう?」と僕に向けた。13万と表示されている。「えっ?」意外に安いと思い、僕はもう一度碗を手に取る。見込みの擦れは気になるが、黒の釉色は艶やかでなかなか綺麗だ。高台も小さめで北宋スタイル。畳付きに見えるグレーの土も真新しい感じがしない。僕は思案する。これを買うと予算をほぼ使い切る。でも、まあ、安いし。ママには昨日から世話になってるし。「わかりました」僕がにっこり答えると、「ありがとう!」とママは大喜び。それを見て、才介は勢いよく立ち上がった。「よし!おれも、仕入れして来る!」ママは、シナ箱をプチプチで包みながら、「そうしたら、あなたたち、あとで寄りな。買った荷物、あたし、車に載せて運んであげるから。夕食、どうせ九龍だし」「今日も潮州料理ですか?」才介の弾んだ声に、「今日はね、上海料理。美味しいよぉ。あたしのお友だちと一緒。お金持ちの女性。メンバーズしか入れないレストランだからね」それを聞いて才介は、「よし!行くぞ、K!」と気合を入れて店を出た。「頑張っておいで」と僕らの後姿にママは大きな声をかけた。

 

 再び麻雀親父連の脇をすり抜けて、階段を通り過ぎそのままキャット・ストリートへ。本当かどうかわからないが、ここは大昔盗品を売っていたことから、俗に「ドロボー市(いち)」と呼ばれている通り。その名に相応しく、何やら種々雑多なモノを扱ういかがわしい感じの小さな店店が、細い路地の両脇にぎっしりと立ち並んでいる。店先に、奥に、陶磁器やら七宝やら漆器やら、とにかく細かく小さな置物が窮屈そうに並び、それぞれのモノが発する胡乱(うろん)な色彩が漂流している。それは、通りに沁みついている決して衛生的といえない独特の酸っぱい匂いと相俟って、香港の一面を如実にあらわしていた。このアンダーグラウンドな様相に僕は大きな不安に駆られ、「おい、こんなところにちゃんとしたモノあるんか?」と才介の手を引っ張った。才介はにたりと笑いながら僕の手を解く。「大丈夫。ちゃんと調査済み。ここに行きつけの同業者から訊いてきたからな」才介はいろいろ書かれたメモを取り出し、予定していた店へと歩を進めた。

 才介は最初の数軒で、印材、奇石、墨、堆朱の香合など様々な文房具類を買った。「大丈夫かよ?そんなにいっぺんに買って」「ばかやろう、おれはこういうのは鼻が利くんだ」「目でなくて鼻か?」「そうよ。鼻は重要なんですよ」才介は僕の忠告を軽くいなして次へ向かう。入った店にあるモノをざっと目を通して選ぶ作業は、当然簡単ではない。修行して十年とはいえ、才介のキャリアを改めて知った。「まあ、おれの場合は、質じゃなくて数だからな」才介はそう言って、「ディスカウント」を連発しながら仕入れを続ける。僕も横について勉強。キャットストリートは200メートルほどのそれほど長い距離ではなかったが、あっという間に2時間が経過。僕はそろそろ疲れを感じていた。しかし、才介は好調に動き回っている。気がつくと、あたりは夕暮に染まり始めている。

 「そろそろ戻ろうぜ」僕が声を掛けると、才介は軽快に「わかった」と答えたが、その直後に向かいの店に勢いよく入っていった。そしてすぐに振り返り「おい、おい!来てみろよ!」と僕に向かって大仰に手招きを繰り返した。「何だよ」不機嫌そうに店内に入ると、「見てみろよ!」と正面の上にある棚を必死に指をさしている。見やるとそこには、僕が掴まされたのと全く同じ米色青磁の碗が五つ、端然と並んでいた。「ぎゃっ!はっはっ!やっぱし、ニセモノだったな!」才介は身体をのけぞり大笑い。才介の情報によると、この店は有名な贋物屋らしい。一気に疲れが出た僕をよそに、才介は店主に値段を訊いている。「おいっ、1個7000ドルだってよ!」計算をしてみると、10万円ほど。市(いち)で贋作堂の買ったのと同じ値段。世の中、間違っていないと僕は変に納得し、その店をあとにした。

 ママの店に戻ろうとしたところで、品物のぎっしり詰まった大きなビニール袋を両手に持った才介が、「さっきの姐御の店、行ってみようぜ」と提案する。香港のネエさんか。確かに興味がある。僕らはハリウッド・ロードに出て、先ほどの黒い外観をしたビルディングへ向かった。

 こざっぱりした入口の扉を開くと、何やら洗練された空気が流れているのを感じた。何だろうと思って店内を見回してみて了解する。床上には白いテーブルと3脚の椅子だけが整然と置かれ、壁際の飾り棚には、モノが一つひとつ等間隔できちんとディスプレイされていたからだ。本来なら当然のことなのだが、これまで見てきた店を基準にしていたものだから、妙な清潔感を覚えたのである。建物が新しいということもあり、僕は何となく落ち着いた気分になった。ただ、飾られているのは、他の店で転げるように置かれていた古代の土器や漢時代の緑釉のモノなど地味なモノが大半。香港の店はどこもこうなのかなと、僕が大きく耳の張った黒い土器を手にしていると、奥から女性が現れた。

 ウエーブの長い髪に切れ長の目をした美しい顔立ちの若い女性である。目に映えるレモンイエローのジャケットを羽織った彼女は優しいまなざしで「ハロー」と微笑んだ。「おい、さっきの、下見会場で筆筒見ていた美女じゃないか」才介がすかさず僕に近づきささやいた。そうだ。あの女性だ。「ひょっとして、このひとが店主か?」才介の言葉を受けて僕は訊いてみた。すると、彼女は一段と深い微笑みを浮かべ、僕らに名刺を差し出した。

 そこには、Lioと書いてある。僕らはそのスマイルと若さにしばし硬直。そして、才介がかなり引きつった笑みをみせながら、自分の名刺を渡す。僕もそれに続く。Lioは笑顔でそれを受け取ると、流暢な英語で訊いてきた。「明日のオークションに参加するのですか?」僕は「はい」と答える。才介が、「おい、たぶんおれらと同い年くらいじゃないか?」「そんな感じだな」「本当に店主なのか?」僕はここでどのくらい店をやっているのかを訊いてみた。彼女は口角を上げた綺麗な笑みを崩さずに話した。「わたしは三姉妹で、姉と妹が近くに店を出しています。それぞれ今年で3年目です」それを聞いて、「マジかー」と才介は天を仰ぐ。やはり香港は違う、と僕も強く感じる次第。

 それから二、三会話を交わし、閉店時間のようだったので、僕らはLioの店を出た。「いやー、たまげた。姐御みたいのが出て来ると思ったら、あんな若くて、でもって店構えてて。どうなってんだよ」ママのところに戻る道すがら、才介は「たまげた」を連発。店に着くと、才介の手荷物を見たママが「あら、あなた、また、ずいぶん買ったねぇ」と大きな口を開けて笑った。「じゃあ、行こうか」ママの合図で僕らはそれぞれの荷物を持って車に乗る。早速、才介がLioのことを尋ねた。「それは、深圳の大企業のLioグループの娘たちね。大金持ちよ。皆、骨董店やっているね」なるほど。そういうことか。僕らは顔を見合わせてうなずいた。

 途中激しい渋滞にはまったが、ハイウエイに入るとあっという間に九龍に到着。誰もが知っている有名ホテルの最上階へ。そこにあるレストランは、さすがVIP専用というだけあって喧騒感がまるでない。大きなフロアには全部で30以上の円卓がセッティングされており、そのちょうど真ん中あたりに向かってスタッフが先導する。その中央のテーブルの側に立っている女性の姿が見えた途端、ママが大きく手を挙げた。

 「ごめんねー、車込んでて、遅れちゃってぇ」その声と小走りに駆け出すヒールの音が、まだ人気(ひとけ)の少ない広い空間に響き渡った。僕らも後に続いてテーブルに近づく。薄紫のチャイナ服を纏った女性は「全然大丈夫よ」と柔和な笑みで答えた。40代後半くらいだろうか。花文様を散りばめたシルクのドレスが似合っている。女性は、品のある笑顔で僕らにやや深めの会釈をした。「今日はおいでくださり、ありがとうございます」それはきれいな日本語だった。そして顔を上げたその瞬間、僕の眼が一点に注がれた。胸元に飾られた翡翠から鮮やかな光が放たれたからである。ただそれは、単に綺麗というだけのものではない、何か奥深さを秘めているような色にみえた。

 

(第26話につづく 11月11日更新予定です)

定窯白磁花蓮花文碗 北宋時代(11-12世紀)

黒釉碗 耀州窯 北宋時代(11-12世紀)

 

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骨董商Kの放浪(24)

 昨日の大騒動をよそに、僕らは充分な睡眠をとって快適に目覚めた。「あー、寝た、寝た」才介は大きな伸びをしたあと、「おい、K。朝飯食いに行こう」と跳ね起きた。「おまえ、昨日あれだけ食ったのに。起きた途端、飯かよ」

 昨晩は、ママが中環(セントラル)にある潮州料理をご馳走してくれ、僕らはたらふく食べたのだ。「いやー、あれは美味しかった。潮州料理って、初めてだったよ」「おれもさ。何か、家庭の味って感じで」「うん。今日も潮州料理でいいぞ!」才介は着替えを始める。「どこで食べんの?」僕の問いに、「昨日のお粥の店だよ。美味かっただろ?」それを聞いて僕も「よし!行こう」と軽快にベッドから降りた。

 時刻は8時半。しかし、すでに細い通りには大勢の人が歩いている。僕は才介のあとについて路地をまたぎながら進む。「ここだ!」決して衛生的とはいえない小さな店のなかは、ひとでごった返している。才介はその間をすり抜けるようにして厨房の前に立った。

 激しく立ち上がる湯気の向こうには、三人の男が忙しく身体を動かしていた。才介の顔を見るなり、その店主らしき背の高い男が声を掛けた。何にするかと訊いているようだ。才介は厨房のなかに何種類か並んでいる寸胴鍋を覗き込んで考え込む。「昨日食った黒いゆで卵の粥は、これかな」と指さしながら、その横のカウンターで食べている男の粥に目をやり、「これも旨そうだな」その様子を見て店主が大声で訊く。「チキン?」それを聞いて才介は「これは鶏肉か」と言って軽く手を打つ。すると店主が「エッグ?、チキン?」と尋ねる。それに対し才介は両手を動かしながら「両方!両方!」と返す。そのしぐさが通じたのか、店主は「オッケ、オッケ!」と声を張り上げる。それを見て僕が思わず吹き出していると、店主が「ビーフ?」と訊いてきた。僕が「おい、ビーフもあると言ってるぞ」と才介に言うと、才介は店主の顔を見て「全部、全部!えーと、オール、オール!」と手を広げる。すると店主は、「オール?オッケ、オッケー!」と大きく笑って、どんぶりに三種類の粥を混ぜて入れた。僕も「セーム、セーム」と言う。店主は頷いて、山盛りのどんぶりを二つトレイの上に置いて差し出した。才介は、トレイを持ちながら隅のテーブルへと向かう。その途中に厨房の横にある細長いパンのようなものが目に入った。僕が「この揚げパンみたいなの美味しそうだぞ」と言うと、「それも、買お、買お」と、才介は顎を忙しそうに前に突き出した。それも加えて僕らは腰かけて食べ始めた。「美味い!」続いて揚げパン。「これ、うまっ!」才介は食べながら「おれ、毎食これでいいぞ。何しろ、めっちゃ安だから」と言って笑った。そのとき僕の携帯が鳴った。僕はポケットから取り出して見つめる。きっとSaeからだろう。僕は微笑んで電話に出ると、男の声が聞こえた。「Kさんですか?」「は、はい」それは、オークションハウスのE氏からだった。

 僕は話を聴き終えると、才介に知らせた。「Eさんから。10時半に会場の入口で待ってるって」「あれ?確か約束は今日の午後じゃなかったっけ?」「うん。でも10時半に来てくれって」「まあ、こちらは特に予定もないし。そしたら、先にオークションの下見するか」僕らは、揚げパンをちぎって粥に入れきれいに平らげた。

 

 オークション会場のあるビルディングは、尖沙咀(チムサーチョイ)からフェリーに乗り湾仔(ワンチャイ)で下船。そこからすぐのところにある。ホテルから尖沙咀のフェリー乗り場まで歩いて5分。フェリーの所要時間は7分。運航はだいたい10分間隔でされているので、ホテルから20分もあれば、現地に到着できる。非常に便利。僕らは、ビクトリア・ハーバーの風に吹かれながら、あっという間に香港島に到着。そこから坂道を上がり、建物入口からなかへ。ただ、そこからが遠かった。

 「何ちゅう、建物だよ。デッカいなあ」遥か上の天井を見上げて才介は驚きの声。正式名は、香港會議展覧中心(Hong Kong Convention and Exhibition Centre)。ビクトリア湾に突き出る湾仔(ワンチャイ)地区の最突端の膨大な敷地を埋め立てて建設され、今から8年前の1997年には、ここで中国香港返還の式典が行われた。内部には、高さ51階の超高層ビル、会議施設、展示施設、ホテル、コンドミニアムなどが併合されている。8万平米を超える膨大な面積だ。

 オークション会場は、この建物の5階の大ホールにある。僕らは、巨大なスタジアムのような内部をさまようようにして目的地へ向かう。会場までは、案内表示にしたがって、一際長いエスカレーターを乗り継ぎ、ようやく5階に到着。そこから100メートル先に、豪奢なエントランスがみえた。

 僕らが近づくと、入口に立っているスーツ姿の眼鏡の男性がお辞儀。「おはようございます」と、カタログを手にしたE氏は笑顔で出迎えた。挨拶のあと、E氏は先導。大手オークションハウスだけあって、設営がゴージャス極まりない。僕らは身を縮めるようにしてあたりを窺いながら進む。左手のオークション開催会場を横目で見ながら、僕らは右手の下見会場へ。そこにはいくつか会場が設営されている。これから始まるいろいろなジャンルの会場になっているようだ。僕は、ジュエリーやバッグ、中国絵画などの展示品に目をやりながら、一番奥の中国工芸品の会場に入った。

 10時開場にもかかわらず、すでに多くのひとたちが展示ケースのところで下見をしていた。E氏はその中央を進みながら、突き当りまで行くと右に折れ、バックヤードへと入っていった。僕らもあとに続く。そこは、VIP用の個室が並んでおり、その一室に僕らは通された。「どうぞ、お座りください」E氏に促され、僕らは白い布地の大きな一人掛けソファにそれぞれ腰を落とす。クッションの弾力が高級感を伝える。目の前の円卓も、同様の厚手の白い布に覆われている。「ここで、少しお待ちください」E氏はいったん部屋を出る。才介を見ると、椅子の半分ほどのところに腰を掛け、背筋を伸ばして貧乏ゆすりをしている。僕も非常に落ち着かない気分。すると才介が小声で「おい。150万のモノ一点出したくらいで、何だよ、この待遇は」と訊く。「うん。確かに」僕も同意見。

 

 ほどなくして、E氏が戻ってきた。手には、オークション名の入った赤い小さな紙袋。それを白いテーブルの上に置いた。僕らはきょとんとし、E氏を見つめる。E氏は紙袋に手をやり僕に向かって「どうぞ」と言った。僕は紙袋のなかを覗いた。厚味のある白い封筒が入っている。僕はそれを取り出しなかを開いた。何とそこには、日本円で100万の束が三つ入っていた。それぞれに香港の銀行の帯封が付いている。僕が慌ててE氏を見やると、軽く微笑みながら「Sae様からです」と言った。Sae?「気兼ねなく使ってください、とことづかっています」「えっ!」横にいる才介が尋ねる。「Saeって、あのフレンチのお嬢か?」僕が頷くと、「どういうこと?」と才介。僕は、すぐにSaeに連絡しようと携帯を開いたとき、新着メッセージ有の知らせが入っていた。Saeからであった。

 「Kさん。お疲れさまです。お金、Eさんから受け取ってください。お貸しいたします。でも、ちゃんと返してね 笑  ゆっくりでかまわないから。遠慮せずに、これで名品買って来てね」のあとに、絵文字が並んでいる。僕がその内容を才介に伝えると、「本当か?」と言って身を乗り出した。「それは、ありがたく使わせてもらおう。香港ママに借りるのも悪いと思ってさ。ああ、助かった」才介は、どずんと椅子に腰を落とした。「そうだな。そうさせてもらうか」僕は一先ず御礼の返信メッセージを打ち、あとで電話することに。送信が終わると、「おい、K。今度は失くすなよな」冗談めかした才介の言葉を受けて、僕はリュックの底に白い封筒を押し込んだ。

 

 「どうしますか?ここで下見しますか?」E氏が僕らに訊く。「えっ、でも、ここVIPの部屋ですよね?」おそるおそる訊く才介に、「ハハハ、気にしなくて大丈夫ですよ」とE氏は笑う。それでも…、と戸惑う僕の視線に見知った人物の姿が入った。個室の扉が開いていて、そこを通過するときに、そのひとがちらっと室内を覗いた瞬間に目が合ったのだ。向うもそう感じたらしく、引き戻ってきて部屋の入口に立って指をさす。「あっ、K君じゃない?」南青山の三代目だ。僕もびっくりする。「いらしてたんですか?」「うん。3日前。キミも来てたんだ」「はい。昨日着いて」「へえー、じゃあ、今日から下見?」「はい」「じゃあ、一緒に見ようか?」「いいんですか!」僕は横でかしこまる才介を紹介。「はじめまして。お名前はかねがね…」それに対し三代目は、すっと手を伸ばしにっこりと握手。皆が腰かけると、E氏はカタログを三代目の脇に置いた。三代目は頁をめくりながら、E氏に注文。E氏はそれにしたがい、部屋を出ていった。

 

 「今回の目玉は、これ、ですよね?」僕はカタログの表紙に指をさす。そこには色絵の杯がある。「うん。そうだね」三代目はこの作品が載っている頁を開いた。そこには、「豆彩(とうさい)葡萄文(ぶどうもん)高足杯(こうそくはい) 成化(せいか)在銘 明(みん)時代」と記されている。

 これは、明時代の成化帝(在位1465-87)のときに、景徳鎮(けいとくちん)官窯(かんよう)でつくられた磁器。官窯とは、宮中で用いる器(御器(ぎょき))を焼造した政府管轄の窯。

 明は、1368年から1644年まで中国を統治した長期政権国家で、洪武(こうぶ)帝から崇禎(すうてい)帝まで17代続き、その間、江西省にある景徳鎮を首座として優れた陶磁器が生産された。なかでも傑出しているのが成化年間の官窯磁器で、これは、悠久の歴史を飾る中国陶磁の最高位に置かれていると言っても過言ではない。その成化官窯のなかでも、特に声価の高いとされるのが「豆彩(とうさい)」と呼ぶ色絵磁器。

 色彩の施された磁器のことを、日本では「色絵」といい、中国では「五彩(ごさい)」というが、「豆彩」はこの「五彩」の一種。明時代の豆彩は極めて少なく、成化年間の作品がつとに名高い。数が非常に限られており、明時代後半期には、その希少性からすでに相当高価な値がついたとされた。よって成化豆彩は、官窯中の官窯として、その後の清時代(1644-1911)を通じ、皇帝の住まう紫禁城(しきんじょう)内に伝世した。そして、これらのうちの十数点が、1911年の清王朝崩壊の混乱期に市場に流出し、その後欧米をはじめとする名コレクターの手を経て、現在はそのほとんどが世界の著名な美術館に収蔵されている。したがって、マーケットに出る例はほんの一握り。手に取る機会は一生に一度あるかないかというレベルのもの、とされている。

 「凄いモノですね。手に取ってみたいなあ」僕の素朴な感想に、「うん。だから、今リクエストした」と、三代目はいとも簡単に答えた。「ええっ!」僕らは驚きのあまり顔を見合わせる。「実は、昨日見せてもらおうと来たんだけど、結構混んでて見れなくて。それで、今日の午前中なら大丈夫だろうと思って」すると、E氏が大事そうに両手で抱えて現れ、白い布が覆われたテーブルの上にそっと置いた。滅茶苦茶小さい。「おおっ」と僕らは小さな歓声を上げる。すかさず、僕はカタログに目を通す。高さ6.6センチ、口径7.9センチの杯の胴部には、淡い色彩で葡萄文様があらわされている。そして、その下に3センチほどの細い足が付く。一般に「高足杯(こうそくはい)」と呼ばれる器形。「小さいですね」という僕の言葉に、「そう。成化豆彩は、おおよそ小形のものに限られる」三代目は掌(て)のなかでゆっくりと回しながら絵柄を確かめている。

 「豆彩の最大の特色が、この青花(せいか)による文様の輪郭線にある」文様を指しながら説明。「普通、文様の輪郭線は、黒や赤の顔料で描かれるんだけど、豆彩は、染付のコバルトの青で描かれているんだ」僕も覗き込むように目を向ける。

 「青花」は日本では「染付」といわれる。コバルトを原材料にしており、青色に発色する。豆彩の場合、絵柄の輪郭線の色が青なので、そのなかに賦彩される色もおのずとソフトな印象になる。この杯には、葡萄と葉と蔦が描かれているが、葡萄は紫、葉は緑、蔦は黄色が使われている。それぞれが豆彩らしい淡雅な色調を呈していて、愛らしい美しさを醸し出している。僕は前にSaeのところで見た馬上杯を思い出した。あれは万暦年間(1573-1620)の豆彩であった。しかし、本歌はやはり比べものにならないほどのオーラを発している。

 「やっぱり、凄いな」掌のなかのモノを卓の上に戻して、三代目は僕らに目を向けた。「せっかくだから、触ってみなよ」「いいんですか?」「掌(てのひら)のなかで見れば大丈夫」僕はそっと手に取る。造りが薄いので軽い。文様は、小さいゆえそこまで精緻ではないが、やはり色彩が魅力的だ。なかでも、葡萄の葉に賦せられた緑色に惹かれる。

 「豆彩の名称は、この緑色釉が多く、これを中国では豆青色と呼ぶことから、その名がついたともいわれていて」三代目が説明。なるほど。なんともいえないこの緑色の柔らかなトーンが、気品を示している。他の色もそれぞれ調和をしており、洗練された高貴な美しさを感じる。これが最高峰の中国陶磁か。

 続いて、才介の前に置く。緊迫した面持ちで、杯の下部を両の手の指でもって固定し、自分の顔を動かすようにしてしげしげと眺めている。そして、「これって、評価額いくらついてるの?」小声で僕に尋ねた。僕は図録に目を落とす。そこには、「Estimate on Request」とある。高額商品に関しては、値は記載せず、直接オークション会社に問い合わせるのが通例となっている。これも当然そうしたモノ。僕が「ええと…」とE氏を見やると、「これは、2000万~3000万香港ドルです」と回答。僕は頭のなかで計算する。「ええっ!3億~4億5千万円!」それを聞いて才介は固まり、切れ切れに息を吐きながら、杯を手からゆっくりと離した。

 「これと同じ手のモノが台北故宮博物院にあります。おそらく一対でつくられたものでしょう。そういうこともあり、高い値を付けています」E氏の説明に、「実際は、その何倍かするだろうね」三代目は笑う。こんなに小さいモノが、3億円以上!僕は改めて中国陶磁のマーケットの大きさを知る。再び、三代目が手に取る。それを見て才介がつぶやく。「先に値段言われてたら、おれ、触る勇気でなかったよ」確かに。僕も深くうなずいた。三代目は笑みをみせながら「そうだね。さすがに、VIPルームでないと触れないかもね」とE氏を見やると、E氏は軽く頷いた。「めちゃラッキーでした。ありがとうございました」僕らは三代目に頭を下げる。

 

 それから一時間ほど三代目と一緒に下見をし、四人で昼食をとることになり。E氏の支度の間、三人は下見会場へ。三代目は知り合いに声をかけられ話しを始めたので、僕らは会場内をぶらついた。

 「そうだ。忘れてた。筆筒、見ようぜ」才介に言われ、僕もはたと気がつき、会場内を探す。広い会場の壁面にずらりと並んだ展示ケースを足早に見て回ったとき、朱漆の盆に目が留まった。僕が才介を呼ぶ。「おい、これ。熱海の市(いち)に出てたやつじゃないか?」才介もその盆を見つめる。「あっ、そうだ。あの時の堆朱屈輪(ついしゅぐり)盆だ」すぐに評価額に目をやると、「HKD500,000-700,000」とある。「750万から1000万くらいか」僕は言うと、才介は舌打ちをした。「確かあの時は、300万で落ちたから、あの京都の業者、上手くやったな」「中国モノは、こういうオークションを結構利用してるんだな」「客のいない業者は皆そうだろ」「まあ、おれたちもそうだけどな」それを聞いて才介は「まあね」と言いながら左頬をかいた。

 

 筆筒は、一つ隣の部屋の文房具類がかたまって置いてある展示ケース内に飾られていた。ケースの中央でスポットの光を浴びながら置かれている。強めの光線のせいか、物足りないと思っていた余白の白が引き立って見え、堂々とした風格すら感じさせる。細かな文房具類が勢揃いしている展示品のなかで、まるで主役のような顔をして鎮座している姿に、僕らはつい見惚れてしまった。

 「おい。こうやって飾ると、格好いいじゃん」才介は、腕を組んで満悦の表情を浮かべる。「この余白が大きいのがいいねえ」その才介の言葉に僕は吹き出す。「おまえさ、書き込みが足りないとか、贋物だとか、めっちゃけなしてたじゃん!」「ばかやろう、おまえだってそうだろ!」僕らの笑い声に周りのひとが目を向ける。「おい、まずい。ここは紳士淑女の集まるところだろ?」そう言って才介は周囲を見回す。「みんな金持ちそうじゃん」確かに身なりのよさそうなひとが多い。それを見て僕は言う。「このなかで一番貧乏なのは…、間違いなくわれわれだね」「うん。それだけは声を大にして言える。すでに借金までしてるしな。アッハハハ!」僕らはまた盛り上がる。

 すると、すらりとした妙齢の女性が僕らの後ろに立った。僕らは慌ててその場を空ける。彼女は、ケースのなかを見回すとスタッフに声をかけ筆筒を指さし、隣のカウンターテーブルで手に取って見始めた。中国の女性だろう。端正な顔立ちとウエーブのかかった長い髪、そして薄手の黄色いジャケットが印象的。そのクールな切れ長の眼が、筆筒の山水画に集中する。それを見て才介は「見ろよ。あの麗しい女性のもとへと行くかもしれんな」と、にやにやと笑い出した。

 

 「おーい、K君たち」三代目の声で僕らは会場出口へ。E氏がレストランへと案内する。センター内の有名なチャイニーズ。天井まである広いガラス張りから望むヴィクトリア湾の光景が、まるでパノラマ写真のように広がっている。室内は、中国風であるが実にモダンなつくりで上質な雰囲気を漂わせている。

 初めての香港である僕らに、三代目とE氏は、いろいろとポイントをアドバイスしてくれた。やがて、前菜が目の前に置かれる。そのなかのスライスした黒い卵を見て才介が「あっ」と声を出す。そして質問。E氏は「皮蛋(ピータン)ね。おいしいいですよね」「へえ、皮蛋ていうんですか。一瞬気色悪って思ったんですが、食べてみると旨いんですよね」それを聞いて僕は、「朝お粥食べたんですが、お店にあった揚げパンみたいなのが旨くて」と言うと、三代目が反応。「あれは、油条(ヤウティウ)って言って。僕も大好きで、必ず朝食のお粥に付けるよ」「美味しいですよね」「あと香港は、どこに行っても、スープは美味しい。どんな種類でも」「へえー」「それとフルーツかな」。

 そんな話を交えながら食事は進んでいった。僕と才介は、初めて食べる料理に舌鼓を打つ。食べながら三代目が訊いた。「午後は、どうするの?キミたち」僕と才介はいったん顔を見合わせたあと「骨董街に出向こうかと思ってます」と答えた。それを聞いて三代目は少し考えてから「じゃあ、僕も一緒に行こうかな。久しぶりに」「えっ、いいんですか?」「もちろん」僕らは喜ぶ。「それは、心強いです!」それに対し「あそこは初めてのひとには、かなりな難関だから。その方がいいよ」「やっぱり難関ですか?」僕の問いに、三代目は口元をゆがめながら深くうなずいた。

 「おおよそ知っていると思うけど。骨董街に構えている店で、ここは大丈夫というところはない。置いてある品物の7割は、贋物。全部贋物っていう店もいくつもある。そのなかでも信用できる店を何軒か連れていくけど、そこも100パーじゃない。でも、確実に質の高いモノがある店は、今日教える店。それを頭に入れてモノをみないと駄目だよ」三代目のその言葉を聴いて、僕は身が引き締まる思いになる。才介も同じ気になったようで、急に背筋を伸ばした。「ありがとうございます!」僕は胸の高鳴りを覚えながら、果汁が満ちたマンゴープディングを口に入れた。

 

 食事が済むとE氏は清算をして会場へ戻る。僕らは三代目と一緒にタクシー乗り場へ。荒い運転に耐えながら、15分ほどで目的地へ到着。そこは、文武廟(もんぶびょう)という仏教寺院であった。「ここは有名なお寺だから、タクシーで行くときはここを告げるとわかりやすい」三代目は、文武廟の面している通りに立ち「この通りが、ハリウッド・ロードと呼ばれる有名な骨董街。文武廟を中央に、その東西に500~600メートルくらいあり、この道沿いに主要な骨董屋は店を構えている。僕も仕入れるときは、ここを中心に回るんだ」と説明。

 

 寺院を背に、左手はほぼまっすぐな道が、右手は途中で緩やかに曲がった道が続き、両サイドに種々な外観をした店が軒を連ねている。いかがわしい雰囲気が滲み出ている雑然としたイメージを抱いていたので、思いのほかすっきりとした様子に僕はやや拍子抜けしたが、人気(ひとけ)のないその静けさがかえって不気味に思えてきて、僕は急に武者震いがしてくるのを感じた。

 

(第25話につづく 11月1日更新予定です)

豆彩葡萄文高足杯 明・成化在銘(1465-87)

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