「骨董商Kの放浪」(8)

 昨年同様、10月開催の骨董イベントに、ネエさんの店は出展した。三日間、僕はその手伝いで参加。この一年で知り合いもずいぶんと増えた。先だっての骨董フェスティバルに出ていた面々もいる。初日の飾り付け終了後、僕はぶらぶらと敵情視察。何かないだろうかと歩いていると、迷彩柄のバンダナが目に入った。

 U氏は僕に近寄ってくるなり開口一番「K君、並んだらしいね」と笑った。「はあ」と僕は後頭部をかく。「結局、あの山形の方がお買いになったんですよね?」「うん。会場内は拍手喝采だったよ」U氏はその情景を思い浮かべるように少し顔を上に向ける。そのとき僕の脳裏に、黒いジャージを着て背中を丸めて座っている、その男の茫洋とした姿が映し出された。するとU氏は僕を見据え、「あのひと、初めて骨董を買ったらしい。そう言っていた」その言葉に僕は唖然とした。「初めて?」「うん。僕も結構なキャリアのひとかと思ってたから、マジ驚いたよ」U氏はまた顔を上げ、「よっぽど、あの飛天に魅了されたんだな」と言ったあと、再び僕に目を当て、「ある意味怖いよな。骨董って」とつけ加えるように言い放った。その言葉が僕のなかに、小さいながらも確かな衝撃を与えた。U氏の店内を見回しながら、僕は、光と影が入り乱れ交差しながら蠢(うごめ)いている、何だかのっぴきならない世界の、ほんの入り口に立った程度なんだと感じていた。

 

 イベントは、昨年同様に多くの人で賑わっていたが、ネエさんの店の売上は伸びず、二日目が終わった時点で、総額30万と低迷。ネエさんの機嫌は悪くなる一方で、「ねえ、K君、何とかしてよ!これじゃ、ブース代も出ない。宋丸さんにでも売ってきてよ」と、その矛先が僕に向く。「わたしのためなら死ねるって、二回思ったんでしょ!」「はあ…」そうだ。この間、僕の初商売を祝って、ネエさんと犬山と三人で強(したた)か飲んだ時に、僕はどうやら喋ってしまったらしい。ネエさんはそれをしっかり覚えていて。しかし、そう言われたところで、僕にそんな力はないし。思い直して、「今回のメインは、これでしたよね」と、高さ10センチに満たないササン朝ペルシャのカットガラスを指した。表面は土銹(どしゅう)に覆われているが、ところどころ見えるガラスの藍色が眩しい。ネエさんは「そう」と一瞥したあと、半ばふてくされた表情で、「あとは、これ」と小さなブロンズの人物像に、力なく指を曲げた。高さは6~7センチくらいか。一人の男がだらしなく座っている。それは、漢時代の「鎮(ちん)」という名の青銅の置物で、絨毯のような敷物の四隅を抑えるのに使われたモノらしい。よって、もともと四点一組。これは、そのうちの一点ということになる。要は重しなので、小さいながらもずしりとした重量感がある。それは別によいのだが、その人物の造形があまりにも気に食わない。後ろに回した両腕で身体を支えて座っているのだが、上体をそらしているので、何とも偉そうにみえ、しかも、へらへらと口を開け、舌まで出して笑っているその顔つきが、人を小馬鹿にしているようだ。表面は、赤い顔料(がんりょう)で加彩(かさい)がしてあるタイプで、珍しいといえばそういうものであった。

 どうやらネエさんも好かないらしく、「こういう中国モノって、やらないわけじゃないけど、わかんないのよね」と、最初からモチベーションが低い。僕が「第一、造形にまるで緊張感がないじゃないですか。」と言うと、「その通り!」とネエさんは、力を込め指を一本立てた。「じゃあ、何で扱ったんですか?」僕が両手を広げると、「だってぇ、あの名コレクターの家から出たんだもん」と、ネエさんは仕方ない笑みで返す。「いくらでしたっけ?」改めて訊くと、「120万」と答える。「そりゃ、ちょっと、高過ぎですよ」と言うと、「だってぇ、あの名コレクターの家から出たんだもん」とネエさんは同じ笑みで繰り返した。

 

 最終日、僕は開始時間からそわそわしていたが、昼食後それはいっそう増した。実は今日Reiが来ることになっている。2時の約束だ。そういう僕の姿を見て、ネエさんは「誰か来るの?」と目ざとく訊く。「いや、来るって言えば来るし。来ないってことは…、ないかなあ」と、はっきりしない笑みで首を傾げる僕の様子に、「ふーん。何だか楽しみになってきた。どうせ今日も売れないし」と半分投げやりな、そして意味深な笑みを浮かべた。

 いよいよ2時が近づくにつれ、僕は狭いブースの入(はい)り口を行ったり来たりしながら会場の入口の方に首を伸ばす。「ちょっと、邪魔!」ネエさんが睨む。「そこ、入口だから、お客さんの邪魔」その声に僕は、「ネエさん、ちょっと会場玄関に行っていいですか?知り合いがそろそろ来るので」と訊く。「あっ、そう。わかった」とネエさんは抑揚のない口調で答える。それを聞くや否や僕は足早に会場玄関に向かう。「遅くならないでよ!」ネエさんの尖った声が後ろで響いた。

 Reiが会場の入口に姿をみせたのは、午後2時をまわった頃だった。僕は小走りに近寄りながら手を上げる。「やあ」Reiは「こんにちは」とにっこりと微笑んだ。「案内するよ」の僕の投げかけにReiは「はい」と言うが、立ち止まったままだ。何だかいつもと様子が違うと思っていると、彼女は後ろを振り向いた。見ると、そこに大柄な紳士が立っていた。Reiは紹介する。「こちらは、お店のお客様です」そのひとは、見た目60代後半といったところだろうか。ロマンスグレーの髪が上品な雰囲気を漂わせ、眼鏡の下の目も含め、柔らかな笑みを顔中にあらわしている。優しさが充満しているが貫禄も感じられる雰囲気に、僕がやや緊張していると、紳士は名刺を渡した。そこには、誰もが知ってる有名大学の名があり、名前の上に総長とある。僕はさらに緊張する。Reiが「総長です」とまた紹介。宋丸さんのところでまだ会ったことはないが、そういえばReiの口から時々「総長」の名が出るなと思い出した。僕が名乗ると、総長は「これは、どうも。あなたがKさんですか」と言って、偉ぶるところが微塵も感じられない、にこやかな顔を向けた。

 僕を先頭に、Reiと総長が後に続く。総長は、腕を後ろに組んで、ゆったりとした歩調で、両側の店に目をやりながら、気に入ったモノがあると店内に入って丹念に眺めている。自然と僕とReiは、総長のあとをついていく形になった。「おもしろいものですねえ」「ああ、これもいいなあ」「愉しいモノがたくさんありますねえ」総長は、まるで少年のようなまなざしで、これらを近くで見たり、手に取ったり、店の主人と話しながら、のんびりとブースを回っている。Reiは、一緒に見たり、時には離れて自分の興味のあるものを見たりしながら、総長の傍(そば)について動いている。僕もそんな調子で一緒についてまわったものだから、ネエさんの店に戻ったのは、ここを離れてから優に30分が経過していた。

 僕の駆け寄る姿が目に入ると、「ちょっと、遅い!」とネエさんは腕組みをして、かなりお冠りの状態。「すみません」平に謝る僕に、「わたし、休憩入りたいんだけど」とネエさんはそそくさとしゃがんで、飾り台の下の物置からポーチを取り出し立ち上がった。ちょうどそのときである。僕の後ろにReiと総長がやってきた。ネエさんの目がそのふたりに留まる。それを見て僕は紹介する。「宋丸さんのお店の女性と、そのお客様の総長さん」ネエさんはReiにちらっと目を向けたあと、総長の顔を見るや笑顔になって「いらっしゃいませ」と頭を下げた。総長はニコニコ顔で、「初めまして」と挨拶し名刺を出す。その名刺を見て、ネエさんの態度ががらりと変わる。僕の「休憩どうぞ」の声を無視し、軽快な身のさばきをみせながら、総長に品々の説明を始めた。総長は、一点一点じっくり見ながら、笑みをこぼす。「いやー、素敵だなあ。こういう世界」総長は満面の笑み。一瞬にしてモノのなかに入り込んでしまうこの総長の姿勢に、僕は幸福な気分になってくるのを感じていた。

 すると総長はあるモノの前で立ち止まった。「これは」と言いながら、件(くだん)の青銅坐人を手に取り上げ、「面白いモノがあるなあ」と相好を崩した。それをまた元の場所に戻すと、顔を近づける。「何という表情をしているんだろう」総長は、左手を頬にあてて思考を巡らせているようだ。

 「やっと一仕事が終わって、家に帰ってきて、やれやれって感じで、どかっと座って、身体を崩して、今日はよく働いて疲れたなあって、家族に話しでもしながら、くつろいでるのかなあ」総長はさらに想像の羽を広げる。「ひょっとしたら、一杯やって、今日はこんなことがあったなあって言って、よし、明日も頑張るかって、はははって笑って。うーん、人間の暮らしは、二千年前も今も変わらないんでしょうねえ」何ともいえない深い笑みを湛え大きく頷き、「ねえ、ご主人。何て素敵な表情をしているんでしょうねえ」とネエさんに笑顔を向けた。ネエさんは一瞬虚を突かれた感じになったが、慌てながらも受け答えをする。「は、はい、そう思います。本当に、何て言いますか…。ねえ、惹き込まれてしまうとでも言いましょうか。はい、とても素敵な笑い顔ですよね」と、先ほどとは全く裏腹な感想を総長に伝え続けている。僕は必死に笑いをこらえながらその光景をみつめる。総長は再び坐人に笑顔を向け、「これ、いただきましょう」とネエさんに告げた。僕は一瞬目が点になる。ネエさんも同様だ。総長は、「それではまた」と言ってブースから離れた。Reiもついていく。その時彼女は僕を見て、ニッと笑った。

 「お買いになられたんですか、今」僕が即座に近づくと、「そのようね」とネエさん。「やったじゃないですか!」はしゃぐ僕の顔を見て、「ああっ!」とネエさんが叫ぶ。「どうしたんですか」の問いに、「K君。値段をまだ、言ってなかった」「えっ!」僕とネエさんはみつめ合う。そうなのだ。他の品のキャプションには値段が書いてあるのだが、メインの二点は、値は「ASK」にしており、名称のみが記されてあるだけなのだ。つまり総長は、値を知らずに決めたことになる。「ど、どうしよう」ネエさんは急に不安に駆られたのか、「きっと、値段言ったら、買わないかも…」と身体を縮める。「前にもあったのよ。同じようなことが…」ネエさんの不安はつのる。「値段言い忘れていて、あとから伝えたら、それじゃやめるってひとがいて…」ネエさんは少々震え出す。それを聞き、僕も「そうかもしれません。120万じゃあ」と言うと、ネエさんは、すかさず僕の背中を押した。「ちょっと、あなた、確認してきてよ」「僕がですか?」ネエさんは「早く」と急かせてから、「K君、あのね、値段は少しお引きしますって言って」僕は足早に総長の後を追った。

 総長は、二つ隣りのブースで、手を後ろに組んで品々を眺めていた。Reiも傍にいる。僕は総長に近づき「すみません」と声をかける。総長は「やあ、Kさん」と言ってにこやかな顔を僕に向けた。僕は言う。「あの、総長。先ほどの青銅坐人ですが、お値段を伝えるのを忘れていまして」その言葉に総長は微笑んだ。「そうでしたねえ。はは。肝心のお値段を聞いていなかった」僕は唾を飲み込みながら、「あのう、お値段は…120万円でございます」と伝えると、総長は「はい。わかりました」と変わらない笑みを湛えた。僕はそのまま総長の顔を見つめる。ほどなくして、総長の優し気な眼が横の展示品に向けられたので、僕はこれで完了と思い一安心した。その様子を見てReiは、「よかったね」と笑う。そして急に傍に寄ってきて上着を引っ張り「ところで、大阪、いつ連れて行ってくれるんですか?」と、僕をにらんだ。

 

 最終日の終了とともに、各店舗は、一斉に片づけに入る。僕も商品の空(から)箱を取りあえずブースの真ん中に出して、しまう作業に取りかかった。ネエさんは上機嫌だ。「最後の売上で、充分儲(もう)けも出たし。ふふふ」片づけの手もスムーズに動く。その姿を見て僕は、「ネエさん、あんなに文句言ってたくせに。いざとなったら、掌(てのひら)を返したように言うんだから。僕は笑いそうになるのを必死にこらえてましたよ」「商売人というのは、そういうもの。あなただって、ぼろかすに言ってたじゃない。でも売れたとたん滅茶喜んでて」「まあ、そうですけど」モノが入った箱を隅に寄せ、真ん中に風呂敷を広げ、そのなかに一つ一つを乗せていく。持ちやすいように積み重なっていく箱を見ながら、ネエさんは思いを口にした。「でも、総長みたいな、ああいう人もいるんだから」と言ったあと、「ねえ、K君。骨董って面白いね。答えがいろいろとあって」僕は今日のやりとりをみて、本当にその通りだと思った。1+1=2じゃないという世界。「そうですねぇ」僕がネエさんの言葉をかみしめていると、「ところでさあ」と急に訊いてきた。「彼女、可愛いね」「はっ?」「どうりで、あなた、宋丸さんのところによく行くと思ってた。なるほどね」の問いかけに、「そういうんじゃないですよ」と僕は慌てて風呂敷の端を縛る。そんな僕の顔を覗くようにして、ネエさんは近づいてきた。「ねえ、もう一つ、訊いていい?」かなり近い。「なんですか?」ネエさんは僕の目をじっと見て、真顔で訊いた。「彼女のためなら死ねる?」「…」僕は風呂敷の端をもう一度強く結び直して、右手でつかんで持ち上げると、そのまま搬出口へと足を速めた。その後ろで「冗談よ!」というネエさんの笑い声が響く。その声を背中で受けながら、僕は、何とも言えない充実感が、身体中を走っているような気がしていた。

 

 風呂敷包みを担いで駐車場に行き、ネエさんのオレンジ色のハッチバック車のトランクに包みを入れ、周りを整えてから閉めると、隣りに駐車していた車のなかから声がした。「どうだったい。ご同業さん?」見ると、同い年くらいの男が運転席の窓を開け、こちらに顔を向けている。こいつ、確か、ブースを出していたな。その顔を見つめながら、「まあまあでしたね」と言うと、「そうかい。そりゃ、よかったな。でも景気はよくねえな」とうっすらと笑う。僕は、だんだん思い出してきた。そうだ。出展者のなかでは一番若そうな、何だかあまりきれいとはいえない、中国モノを雑然と並べていた。生意気そうで、取っつきにくい雰囲気を醸し出していたので、話しかけづらかったのを覚えている。若者は「またな」と笑って車を発進した。僕はその車が通りの角を曲がるまで見つめていた。それが、才介という名の骨董商との出会いだった。

 

(第九話につづく 5月13日更新予定です)

青銅加彩坐人「鎮」 漢時代

 

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