「骨董商Kの放浪」(5)

 強烈な印象を放つ白磁の大壺を見つめ「やっぱり、すごいですね」と彼女は言った。僕は胸の鼓動を感じながら「こ、この口の造りも見事でして、ここも見どころです」と学芸員のような解説をした。口縁部の立ち上がりが力強く折れて内側に向かっている。彼女は覗き込むように顔を近づけ「はい」とうなずくと、両手で口元を押えくすっと笑った。「実は、わたし、あちらにある白磁の方が好きなんです」と指をさして階段をおりていく。踊り場に設置された陳列棚の前に立つと、彼女は両膝を折り曲げてしゃがみ込み、にこりと僕に笑みを向けた。見ると棚の一番下に、さきほどのより小ぶりな白磁の立壺(たちつぼ)が並んでいる。そのキャプションに「棟方志功旧蔵」とあるのを見て、僕は大きくうなずいた。お気に入りの一品だ。僕もしゃがんで一緒に眺める。彼女は眼を輝かしながら「いいですよね!」と訊いた。僕は「めっちゃ、いいです!」と答えた。

 

 それから僕らは、ひとしきり民藝館の展示品を見て歩き、表へ出ると閑静な住宅地を通る一本道を、駅に向かって並んで歩いた。時おり聞こえてくる小鳥のさえずりに耳を傾けながら。思わず伸びをしたくなるようなうららかな午後の陽気が、僕の気分を自然と高揚させる。

 彼女はReiと名乗った。この秋で二十四になるという。「今何をしてるんですか?」僕の問いに彼女はうつむいて意味深な笑みをみせた。「いずれわかると思うので言います。今、わたし、骨董店に勤めてます」「えっ、骨董屋?どこの?」「銀座です」「えっ、銀座に骨董屋なんてあるの?」僕の矢継ぎ早の質問に、彼女は「はい」と言って微笑んだ。意外だった。こんな若い女性が骨董屋で働いているなんて。それから僕は、はたと気づいて「ごめん。人のことばかり訊いて。僕は、骨董屋っていうか、何ていうのか、そういう仕事をぼつぼつ始めたわけで」と言ったところで、彼女はまたくすりと笑う。「知ってます。昨年の骨董イベントに出てましたよね。オリエントのお店に」「来てたんですか?」「はい、おみかけしました」彼女は前を向いて少し顔を上げ、「あと、いろいろなところでおみかけしました。東博とか、さっきの美術館とか。私が行くと、いつもいらしてます」と言って、僕の顔を覗くように視線を向けた。「気がつきませんでした?」彼女の微笑に僕の目が留まる。その瞬間心地よい風が吹き、Reiのショートヘアを軽やかに揺らした。少しだけ正面を向いている右耳が見え隠れする。投げかけられたまなざしにドキリとして、僕は思わず頭をかいた。その時、「あっ、そうだ。きみ、ナンパされたの?あいちゃんに」と僕は大事なことを思い出した。すると彼女は小さな笑みを浮かべ「ナンパ?O先生のことですよね?」O先生?そうか、あいちゃんの苗字はOだった。「そう」と僕が言うと、彼女はまたくすり。「正確にはナンパじゃないです。一緒に行こうと誘われました。うちの店のお客様なので」そうか。なるほど。考えてみれば、あいちゃんはいろいろな店のお客さんなのだ。僕は何だか妙に安心して空を見上げる。澄んだ青に、たなびく雲の白さが目に映った。

 「あの時、Kさん、高麗青磁の化粧箱ずっと見てましたよね?」と、彼女は嬉しそうに尋ねた。「はい、あれは僕のお気に入りで」と答えると「わたしも大好きです」と言ったあと、少し間を置いてから、「あの青磁、うちで納めたんです」と続けた。「えっ?」それを聞いて僕は驚き、Reiの勤めている店に、俄然興味が湧いてきたのだった。

 

 それからまもなく経った或る日、僕はネエさんの店に顔を出した。開口一番「どうだった、ゴールデンウイークは?」の質問に、僕は少々慌てて「いえ、別に。特に」と、やや後ずさりしながら反応。じっと見つめるその目を逃れるように、床の間に視線を向けたときである。僕はどきりとした。中央に、美しい顔立ちをしたインドの仏頭が飾られていたからだ。確か、同じようなものが東博にあった。僕は、その白っぽい膚(はだ)を見つめ思い出す。そして、「ハッダですか?」と確かめる。「そう。いいでしょ。超名品よ」ネエさんは中腰になり、自分の顔をハッダの横に並べると、満足気な笑みを湛えた。

 ハッダとは、アフガニスタンの古代仏教遺跡から出土する、ストゥッコと呼ばれる細土に石灰を混ぜた漆喰で造られた塑像(そぞう)のことで、インドの彫像としては、ガンダーラと並び称され日本人には人気の高いモノ。眉から鼻にかけてのラインが鋭く、伏し目がちな目の造形はもちろん、やや口角を上げた口元の表現が抜群で、装飾性の強い独特な髪型は女神像のようにみえる。僕は、確かに第一級の作品だと思った。ネエさんは「名コレクターの旧蔵品」と紹介した。

 「本当はね。このクラスの名品になると、飾らずに閉まっておいて、お得意様にしか見せないのが普通だけど、今日は特別に飾ったわ。何といっても、ずっとわたしが憧れていたモノだから」「へえ、それじゃあ、欲しかったモノをついに手に入れたってことですか?」「そういうことね」ネエさんは、ルン、ルンと口ずさみながら、軽やかに椅子に腰かけた。

 

 そして、この名品を二人してしばらく鑑賞したあと、僕は今日の本題を切り出した。「銀座の宋丸(そうまる)さんという方って知ってますか?」「宋丸さん?うん。知ってるけど」ネエさんはそっけなくそう返事をしたあと、じっと僕を見る。「どうして?」「いや、今度行ってみようかなと思って。その店に」「へえー、何で?」「いや、特段理由はないですよ。そういう店があるって聞いたんで」「誰から?」ネエさんの畳み掛けるような追及に僕はたじろぎながら、「えーと、あのー、あ、あいちゃん先生です」一応辻褄は合う。われながら上手い答えをしたと僕は胸のなかでガッツポーズ。「なるほど」ネエさんは半分納得したような顔をして、「宋丸さんねえ」とつぶやきながら、視線を宙に浮かせた。「名店よ。骨董界で知らない人はいないくらい。でも、わたしは合わないな。やっぱり、わたしらとは毛色が違うのかな」ネエさんはそう言うと、淹れたまま一度も口をつけていなかったお茶をゆっくりと飲み始めた。「でも、いろいろ勉強になると思うよ。是非いってきたら」僕は「はい」と頷いた。

 

 Reiから聞いた場所は、確かこの辺りだなと、僕は大通りに面した交差点で周囲を見回した。先日もらった携帯のショートメールによると、1階がギャラリーでその3階にある、とある。すると交差点の反対側にギャラリーが見えた。「あのビルだ」と、僕は思わず駆け出していた。

 エレベーターを降りると、左手の奥の扉の前にReiが立っていた。紺のジャケットに長めのスカートのReiは、「いらっしゃいませ」と微笑みながらドアノブを引いた。その店は10坪ほどの広さで、入って正面と右側に陳列棚があり、左手は応接間となっている。応接間には仕切りがそれほどなく、わりにオープンだ。入口のすぐ右にデスクが一つ置かれている。おそらくReiの居場所だろう。「ここがきみの机?」と訊くと、彼女は「はい」と頷いた。机の上には、たくさんの小さなメモ用紙がばらばらと置いてあるのが目に入った。どうみてもReiの字には見えない。僕がしばらく見つめていると、「宋丸さんのメモ書きです」と彼女は説明。「宋丸さん、見聞きしたことや思いついたことをすぐメモにするので、いつも溜まっちゃって。わたしが整理してます」と言って、傍(そば)にあった展覧会図録でそれを隠した。僕は店内をぐるりと観察。飾り棚は、ちらほらと品物が置いてある程度で、これといって目を瞠(みは)るものはない。ネエさんの店の方がきれいだなと僕は感じた。

 宋丸さんは出かけているようで、応接間でReiの淹れてくれたお茶を飲みながら話しをする。彼女とは、日本民藝館以来だ。Reiによると、自分は大学を卒業後いったん就職したが一年で退社。新聞の小さな求人広告を見て入店したのだ、とのこと。骨董は以前から興味があって、また独りでいるのが好きなので、この仕事は向いているかも、と笑う。僕は最初、Reiの聡明な顔立ちと華奢な容姿が、何だかこの空間には不釣り合いみえる気がしたが、それは僕がまだ、Reiのことを知らないせいなのかもしれない。

 しばらくして、扉が開き、一人の小柄ながら体格の良い老人が風呂敷包みを右手に抱えて入ってきた。宋丸さんだった。70代半ばくらいだろうか、少しダボついてはいるが、チャコールグレーのスーツに白いワイシャツと赤いネクタイという恰好。風貌のわりに清潔感がある。宋丸さんは「おい、お嬢さん、お茶頂戴、熱いやつ」と言うなり、応接間の椅子にどかっと座った。と同時に、僕は思わず立ちあがる。その姿を下から見上げ「御客人か」と、宋丸さんは低いながらよく響く声を出した。オールバックの黒髪と額に刻まれた何本もの深い皺が僕の目に映る。「お邪魔しています。あのう、Reiさんの知り合いで、Kと申します」緊張して答えると、「そうか、青年!」と言って、カカカと笑った。その笑顔が実に愛嬌のあるものだったので、僕は安堵した。Reiがお茶を持って現れ「お友だちなんです。今日は、お店を見たいって」と宋丸さんの前にお茶を出すと、「そりゃあ、ウエルカム。しかし、見ての通りだよ、青年」と言って、またカカカと笑う。僕は首の後ろに手を当てて「はあ、どうも」。宋丸さんはにたっと笑うと「お嬢さん、お茶頂戴」とまた言った。Reiは、どうやらここでは「お嬢さん」と呼ばれているらしい。

 宋丸さんは、横に置いた風呂敷包みを解いて「おいおい、僕はどうやら、またおかしなものを買っちゃったみたいだよ」と、テーブルの上に敷かれた紫の袱紗(ふくさ)の上に、小さな黒い物体を置いた。「どうしようもないね、まったく」と言ってまたカカカと笑う。何だか楽しそうだ。僕はその黒い物体を覗いた。どこかで見たような感じがする。ほどなくして僕は、それが縄文時代晩期につくられた遮光器(しゃこうき)土偶の「目」であることに気づいた。このエスキモーが着用する遮光器のような目を持つ土偶の完全な形が、東京国立博物館東博)に飾ってあった。

 「これ、遮光器の目の部分ですよね?」と訊くと、宋丸さんはびっくりしたような顔で、「おいおい、ちょっと早過ぎはしないか。青年」何が早いのか見当がつかなかったが、宋丸さんが喜んでいるのはわかった。「触ってもよろしいでしょうか?」と尋ねると、どうぞという風に右手を前に差し出す。僕はそおっと手に取る。5センチほどの大きさで、目としてはかなりのサイズだ。しかも、至極丁寧に仕上げられている。彫りが繊細で厳しいので、目が活(い)きているようにみえる。その端を指でつまんでひっくり返そうと側面部を見て驚いた。めちゃくちゃ薄い。信じられない造形に、僕の眼は釘付けになった。もしこれが完全な形だったら間違いなく国宝だ。

 僕が眼を細めて土偶の「目」に集中しているとき、玄関の扉が開きお客らしき人が入ってきた。僕は気にも留めずにいると、宋丸さんが「おやおや、久しぶりですなあ、教授」と立ち上がった。その声を聞いて顔を上げると、目の前に以前出会った老人が立っていた。教授はゆっくりと座るとじっと僕の顔を見る。僕はそのままの状態で「ご無沙汰してます」と挨拶。教授は黒縁眼鏡に手をかけ、しばらく僕を見つめたあとで、「ああ、あの時の」と笑顔になった。

 そして一瞬にして教授の眼は、僕の手にしている土偶の「目」に注がれた。それを見て宋丸さんは、「また余計なモノを手に入れましたよ」と笑いかけた。「こりゃまた、厄介なモノですな」と教授が答える。余計なモノ?厄介なモノ?意味はわからないが、この「目」を指していることはわかった。僕はその視線に圧を感じ、袱紗の上にモノを戻した、と同時に教授は袱紗ごと手許に引き寄せ、片手でひょいとつまんで顔の前に持っていく。笑顔のなかの眼に、まるで獲物に向かうかのような光が宿る。しばし無言の時間が過ぎていく。僕は張り詰めた空気に気圧され「すみません。ありがとうございました」と中座しようとすると、宋丸さんがじろりとにらんだ。「おいおい、青年。もうちょっとゆっくりしていきなさいよ」と重低音が静かに響いた。

 それから教授と宋丸さんの雑談が始まった。僕は仕方なくその横にちょこんと座り、定期的にReiの持って来るお茶に口をつけながら耳を傾ける。話の途中で、宋丸さんが思い出したように、風呂敷包みのなかのもう一つの箱を開け中身を取り出した。20センチほどの大きさの信楽(しがらき)の壺であった。表面にいくつもの石の粒がひっついていて、全体が灰色にかせているが、わずかに見える火色の赤に近いオレンジ色に目が惹かれた。それは、くすんだ闇のなかにほのかに灯る炎のように見える。肩には、どういう意味かわからないが、連続する罰点文様が彫り込まれている。ただそれがやけに力強く、言い知れぬ迫力をはなっていた。総合的にいうと、実に詫(わ)びた趣(おもむき)のあるモノであったが、とはいえ正直、僕には汚い壺にしか見えなかった。

 「これは、また、厄介な蹲(うずくまる)ですなあ」と笑う教授に「いやはや、参りました」宋丸さんも同じような笑みで返す。どうやらこの壺は「蹲(うずくまる)」と言う呼び名らしい。たしかに、人が蹲ったような形をしている。

 この蹲をしばし鑑賞したあと、「青年、ちょっとそこに置いてくれよ」と、宋丸さんは、応接間の正面にある飾り台を指さした。僕は丁寧に壺を抱え、黒い敷板の上に置いた。すると宋丸さんが「おい、もうちょっと新橋の方」と言う。「?、新橋?」わけもわからずに右に寄せる。「少し行き過ぎだ。もうちょい京橋に寄せて」「京橋?」それは方角を指しているように思え、僕は上目で考えて得心する。ここが銀座だから、この部屋の位置からすると、右が新橋、左が京橋の方向だ。なるほど。しかし…「左とか右とか言ってよ!」と内心思ったが、もちろん言葉に出せない。位置が定まると、今度は「おい、右に回して。違う、反対。そう。もうちょい左だ」とにかく僕はその指示に従いながら「蹲る」を回す。「おい行き過ぎ、少しずつ左へ、そう、そう。よしっ、そこだ!」と言ったあと、宋丸さんは、「あー」と大声をあげてのけぞった。僕はその叫び声に目を丸くして宋丸さんを見やる。すると今度は、「たしかに、ここですな。宋丸さん」と、教授が眼鏡をかけ直して大きくうなずく姿が目に入った。宋丸さんはカカカと一段と大きな声を出して笑い、「おい、青年。これで、この壺は、お化けになっちゃった」「…?」僕には難解な言葉であったが、その壺の姿を見て、何となくわかるような気がした。このポジションで、先ほど眼にした汚い壺が、見事な美術品に変身してしまったからである。

 それから何時間が経っただろうか。何やかやと、宋丸さんと教授は骨董の話しを続けた。時おり宋丸さんは、上着のポケットに入っているメモ用紙の束を取り出しては書いていく。二人の会話は、弾んでいるようで弾んでいない気もしたし、突如として盛り上がりをみせたかと思うと、長い沈黙がおとずれたり。そこに骨董用語がしきりと飛び交うのだから、僕は半分以上理解できずにいた。いつ帰り支度をしたら良いかと思っていると、知らぬ間に鰻の弁当が届いたり、それをReiも交えて四人で食べたり。エンドレス的様相を呈した宋丸さんのペースに、僕はただ身を任せるしかなかった。ようやく教授が席を立ち店をあとにした時は、すでに10時を回っていた。それから僕とReiは帰途へと向かった。

 

 「どうだった?」銀座通りに向かって歩き始めると、彼女はさっそく尋ねた。「宋丸さん、面白いでしょ?」その声に「っていうか、強烈」と僕が答えると、彼女はいつものように、両手で口元をおさえてくすっと笑う。

 「宋丸さん、Kさんのこと、気に入ったみたいね」「そうかな?」「そうよ、見てるとわかる」そう言って微笑む彼女を見ながら、僕は、頭のなかに焼きついて離れない遮光器土偶の「目」を思い出していた。それは、以前犬山得二の部屋で見たローマンガラスの破片と重なった。その時犬山が発した「これは壊れ物だけど、美の基準から見りゃ、そんなことは無関係だ」という言葉が、僕の意識をより強く支配していくように感じていた。

 Reiは、長いスカートから細い足をやや上げて、はしゃぐように二、三歩前に進んで、振り返った。「でも、何だか、愉しくないですか?」と言う彼女の笑顔に、僕は「うん、愉しい」と答える。夜の銀座の艶(なま)めかしく揺れる光のなかで、Reiの瞳だけが、唯一健康的な輝きをはなっているように思えた。

(第六話につづく 4月15日に更新予定です)

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遮光器土偶「目」

信楽壺(蹲)

ハッダ塑像 3世紀

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