「骨董商Kの放浪」(6)

 この頃、世の中の韓流ブームとは全く無縁と思える宋丸さんの店に、僕はしばしば通っていた。宋丸さんは僕の来店に、Reiの言葉を借りれば「ウエルカム」のようで、僕も宋丸さんに傾倒していた。宋丸さんの話しは、相変わらずつかみどころがなかったが、モノに対して発するコメントは、決して展覧会図録の解説に書かれているような文言ではなく、独特の調子をもつ的を得た表現で、それを聞くのが僕の愉しみだった。

 

 その年の夏の終り、宋丸さんの店を訪ねると、Reiは自分の机の上で習字をしていた。「なかなか上手いじゃん」と僕が覗くと、Reiは墨のついた筆を僕の顔に近づけた。「勝手に見ないでください」「勝手にって、扉を開けたらすぐ目に入るし」Reiがいそいそと片付けに入ったとき、例のごとく堆(うずたか)く積まれた宋丸さんのメモ用紙から、一枚がひらりと床に落ちた。僕はそれを拾い、Reiに返そうとしたら、そこには歌のようなものが書いてあるのに気づいた。「へえー、宋丸さん、歌、詠むんだ」と訊くと、「そう言えば、時々書いてますね」とReiが答える。僕はその歌を読む。「北宋(ほくそう)の天に喩えし壁瑠璃(へきるり)と比して画する高麗(こうらい)の青」「うーむ。何となくだけど、高麗青磁の美しさを詠ったような」と僕が印象を語ると、Reiは「たぶん」と肯(うなず)いた。よく見るとその下にも歌があった。「きたねえ字だな」と言いながら僕は読む。「宋代の極まる青は何をさすもはや瓷(じ)でない天の彼方の…?、かな?」またその下には、大きな文字で四つの漢字が並んでいる。「雨過天青(うかてんせい)」。この四字は、しっかりとした筆力ではっきりと書かれていた。「よくわからないけど、宋丸さんの扱うモノの理想の世界なのかな」僕がぼんやり言うと、Reiは「高麗青磁の青はすてき」とぽつり。僕は思い出したように「そうだ。一度宋丸さんに、東博の高麗青磁の化粧箱について訊きたいと思ってたんだ。いつも忘れちゃう」すると今度はReiが、はたと気がついたように「そうだ。Kさん。大阪に、高麗青磁と朝鮮白磁と中国陶磁の名品が飾ってある美術館があるの知ってる?」僕はその美術館の名前はよく聞くが、行ったことはなかった。「行ってみたいなあ」僕の反応にReiは「でしょ?」と突っ込んだ。

 その時である。突然扉が開き、ひとが入ってきた。あいちゃんだった。「やあ、K君。いたの?」と言うなり「ちょっと、Reiちゃん」とReiの腕を引っ張って、応接間に連れて行く。僕は少々ムッとしながら、その場でひとり佇み様子を窺う。明け透けの応接間から声が聞こえてくる。「Reiちゃんさあ、僕の行く骨董屋の息子がさ。Reiちゃんとデートしたいって言ってるんだけどさ。どう?」よからぬ話を耳にし、僕が応接間に足を向けたとき、「ごめんなさい。私、今そういう気がないので。謝っておいてください」とReiはきっぱり。するとあいちゃんは、「そうだよね。それがいい!いやー、頼まれちゃったものだから、言っておかなきゃと思って。あー、安心した。よしっ!ちゃんと断っておくから」あいちゃんは踵を返し扉に向かう。そして僕と目が合う。僕は目を細めて、「先生、前に彼女をナンパしたって言ってましたけど、違うじゃないですか」それに対しあいちゃんは「へへへ、びっくりした?」と笑う。「それにナンパの仕方教えますなんて言って」僕が言うと、今度は僕の腕を引っ張って応接間に向かった。「今お茶淹れますから」と言うReiの声に「大丈夫、大丈夫。僕ね、これから午後の診療始まっちゃうから」先生は僕に顔を近づけ「それは、本当です」と真剣なまなざし。「今、時間がないから、今度必ず教えます」と僕の手を固く握ると、再び踵を返し「Reiちゃん、またね」と言って扉を閉めた。

 Reiは給湯室から出てきて、クスっと笑う。それから「何ですか?ナンパの仕方教えますって」と僕に近寄る。「いや、それは先生が一方的に」と一歩後ずさりしながら、「しかし、きみ、もてるんだね?」という僕の問いかけに「そうですよ」とReiは澄ました顔をした。そのあと、思い出したように笑みをみせると、「さっきの大阪の美術館なんですが…。一緒に行きませんか?」と僕の顔を覗き込んだ。「あっ、うん。もちろん!」僕は微笑む。それから少し頭を巡らし訊いてみた。「それって、日帰りだよね?」Reiは真顔で「当然です」と答えた。

 

 10月の初旬、或る大手出版社主催の骨董フェスティバルが三日間にわたり開かれることになり、僕はその初日に出向いた。A、B、Ⅽの三会場を使っての大規模なもの。一番大きなB会場には30店舗が出展し、そこには、昨年の骨董イベントなどに出ていたお馴染みの顔も多く見受けられた。僕は、A会場から順に回り、久しぶりに会うお店の人たちと会話をしながら、陳列品を愉しんだ。そこから隣りのB会場へ向かう。ここにも知り合いが結構いる。そのうちの一人、年は三十代半ば、この業界では若手とされるUという人の店に入った。

 U氏は、骨董界の若手のホープといわれており、既にいくつかの名品を手がけている。僕も刺激を受けながら、彼の扱うモノに注目している。U氏は僕の顔を見るなり「やあ、K君。早速にありがとう」と、爽やかな笑みを見せた。「初日だから結構入ってますね」と言うと、「最近骨董ファンも増えてるって感じだな」U氏は、長めの髪にトレードマークの迷彩柄のバンダナ姿で、意気揚々と答えた。僕は一通りU氏のブースに飾られている品々を見て、「赤丸が結構付いてますね。さすがです」「まあまあよ」U氏は薄茶色のベストのお腹の部分を軽くさすりながら答えた。そのあと思い出したように「あっ、そうだ。K君の好きそうな、おもろいモノが一つあるよ」と言ってバックヤードから、小さな箱を手にしてきた。U氏は、箱の差し蓋を上に引き上げ中身を取り出す。それは、鍍金の仏像彫刻だった。長さ5センチほどで、衣(ころも)を纏い飛んでいるような姿だ。「飛天だよ」とU氏は言って僕の掌のなかに置く。僕はそれを見てドキリとし「あっ」と小さくうなった。

 仏像は、左に顔を置き身体をゆるやかにひねり、両手を胸のところで合わせ、両脚はくねるように曲がり、脚の付け根で一緒になる。頭から大きな衣の襞(ひだ)が右上方へ伸び、胸で組んだ左腕の脇を通って一本、また、曲げた肘の下から一本の細長い衣が、上へ向かってたなびくようにあらわされ、脚の先から出ている大きな衣が、下の衣と重なる。身体のラインは「Ⅽ」の字を描くように、実に艶めかしい曲線を示している。僕が吸い込まれたのは、その造形の美しさだけではなかった。それ以上のインパクトを与えたのが、その仏像の顔であった。そうだ!これは、以前教授が見せてくれた、あの小さな仏頭のそれと酷似している。これは、確か「アルカイック・スマイル」。まさにその微笑(びしょう)であった。僕はごくりと唾を飲み込んで、その顔を凝視する。そして全体の造形に眼を移す。僕は自分の手が、かすかに震えているのがわかった。

 U氏は僕の様子を見て、「どうだい。すごいだろう」と声をかける。僕は一も二もなく「すごいです!」と返す。そして僕はしばし考えたうえ、思い切って訊いてみた。「これ、いくらですか?」するとU氏は言う。「値段は、200万」僕は一瞬たじろぐ。U氏は続ける。「でも実はこれ、約束があって」と言うや否や僕は突っ込んだ。「売約ですか?」「いや、そういう約束ではないんだ」僕の反応を見てU氏は説明。「このフェスの一種のルールで、各店舗一点、目玉商品を最終日に売ることになっている。これはうちの目玉商品。だから、最終日までは売れないんだ」そして、「すでにネットで公開していて、結構問い合わせが入ってる。だから陳列せずに、見たいというひとにだけ出して見せようと思ってて、奥にしまってたんだ。でもきみは、きっと好きだろうなあと思ってね」僕はその話しを聞いて頭を整理し、「それじゃ、三日目に売るんですね?」と尋ねる。「うん、そう。結局早い者勝ちということだ」U氏の答えに、僕は了解した。なるほど。最終日の一番先にきた人に売るわけか。そのあと僕は、残りのB会場からⅭ会場を回ったが、何も頭に入らなかった。

 

 僕は駅までの道を歩きながら、ずっと思案を続けていた。あの優雅な造形とアルカイック・スマイルの融合。僕の心はそそられ、頭は飛天一色に染まる。ここまでの気持ちになったのは初めてのことだ。僕は駅前にあるコーヒーショップの前を、目を閉じたまま、顔を下に向けたり上に向けたり、額に手をこすりつけながら、ぐるぐると何度も回った。そして、突然立ち止まり天を仰ぎ、「よし、買おう!」という結論に達した。

 すると、問題は金だ。200万。これはただ事ではない。僕は再び思案する。バイトで貯めた金を集めると100万にはなる。あと、100万。50万は何とか犬山にお願いするとして、あとの50万。しかも明日中に工面しなくてはならない。一瞬Reiの顔が浮かんだが、「いやいや、まだそんな関係じゃない」と打ち消し、僕がぶつぶつ言いながら駅に着くと、「K君!」という声が聞こえた。その方向に目を向けると、ネエさんが手を振っている。「そうだ。ここに神様がいた」ネエさんは笑顔で寄ってきて「フェス見にきたんだ。ちょうどよかった。敵情視察、一緒に行こう!」と先へ行く。「いや、もう見終わって」という僕の反応に「なあんだ」とネエさん。そこで僕は深刻な顔をした。「ちょっと、お願いがございまして」ネエさんは「ふーん。何か深そうね」と言うや、改めて会場に向かって歩き出した。

 会場内のカフェで、僕はネエさんに一部始終を話した。ネエさんは手もとのアイスコーヒーに口をつけながら、「200万かあ。ちょっと高いわね。コレクターズ・プライスよ」「まあ、そうなんでしょうけど」考え込む僕の姿を見て、「でも、あなたがそんなに気に入ったのなら、わたしも興味あるわ」と言って立ち上がった。「U君の店でしょ。さあ、行こう」あっという間に会談は終り、再びU氏のブースを訪ねることに。U氏は僕の再登場に少し驚いた風ではあったが、笑みを浮かべて飛天を取り出す。ネエさんは掌のなかで、それを食い入るように見つめる。その眼がいつになく厳しいように思え、僕は落ち着かない気分でその様子を窺っていた。はどなくし、ネエさんは軽く息を吐き「ありがとう」と言ってU氏に飛天を返すと、ブースをあとにして歩き始めた。当然僕もついていく。そして、フロアの隅のひとのいない場所でいったん立ち止まると僕に言った。「なかなかいいわね」ネエさんの感想に、何かほっとしたような気分になり「そうですよね」と顔をほころばせた。「ちょっと高いけど。フェスの企画だからディスカウントは無理そうだし」と言ったあとやや顔を斜めに上げて、「いいんじゃない。都合するわよ」その瞬間、ネエさんの横顔に後光が差す。「ほ、本当ですか!」と喜ぶ僕に、「その代わり」とネエさんは指を一本立てて「高く売ったら、ちゃんと分け前頂戴よ」と顔を近づけ、ニッと笑った。

 

 僕はその足で、犬山得二の家へ向かった。犬山は僕の話しを、いつものように目をしばたたかせながら聴いたあと「おまえもついに、骨董屋か」と、テーブルをぽんと一つ叩いてのけ反った。「そこでお願いがある」と、僕が卓の上に両手添えて頭を下げると、犬山はおもむろに立って、机の引き出しを開けるや、何やら白い封筒を取り出してテーブルの上に置いた。銀行の封筒であった。「貸してやるよ。50万」「えっ!」という僕の驚きの反応に、「さっき、ネエさんから電話もらってな。協力してやれってよ。しようがねえ」「さすが、ネエさん!」僕が両手を合わせると、犬山は「こっちの台詞(せりふ)だ」と笑った。犬山は、急須を自分の湯呑みに傾けながら、改めて僕に目を向けた。「言っとくがな。おれはおまえに金を出すんじゃないぞ。その飛天に出すんだ」その言葉に僕は「わかった」と大きくうなずき、その封筒を押し頂き感謝を述べた。「犬山、おれはおまえの、そういう鷹揚なところが好きだ」犬山は「それは褒め言葉か?」と言うなり、テレビの画面に目を移した。そこには、また、昭和のドラマが映っている。

 犬山はしばしその画面見つめたあとで訊く。「ところで、金はできたが。明後日は何時に開場なんだよ?一番に並ばないと買えないわけだろ?」「それだ」と僕は腕を組むんで改まる。「開場時間は11時」犬山の「いつ頃行くんだよ。敵は多いんだろ?」の問いかけに、僕は「始発で行くと、5時15分に駅に着いて、そこから歩いて7~8分のところに会場がある。やっぱり始発で行くのが、一番早いと思う」と計画を話すと、犬山も同じように腕組みをし「始発かあ」とつぶやきながら、目を細め首をひねった。「始発で行けば間違いないんだろうが…。どうだろうな…。同じ考えをするやつは…、いるかもなあ」そう言って、しばらく動かずに考え込んでいたが、いきなり正面に顔を向け、何度も小刻みに頷いたあと、「まあ、そんなバカはいねえか。おまえぐらいかもな」犬山は妙に納得すると、体勢を崩し再びテレビ画面に目を戻した。

 

 それから一日が経ち、今日は最終日の前夜。明日は4時に起きて出発だ。昨日、僕は貯金をすべておろし、犬山とネエさんからそれぞれ前借した50万と合わせ200万が、リュックのなかに入っている。僕は、アラームを5分おきに設定した。何といっても寝過ごす訳にはいかない。これで準備は万全と、僕は目を閉じた。しかし、しばらくすると僕の目は自然と開いた。天井を見つめながら、昨日犬山が言った「同じ考えをするやつは…、いるだろうな」の台詞がやけに頭をよぎる。僕は大きく一つ深呼吸をして、再び目を閉じた。 


 どのくらい経っただろうか。眠気の波が、ゆるやかに、少しずつ押し寄せて来るのを感じていた。それにしたがい僕は身を任せる。その意識と無意識の行き交う状態のなかで、僕は夢を見ていた。色のついたはっきりとした夢であった。そのなかで、少しだけ右に顔を向けた女性が、遠くで僕を見て笑いかけている。その横顔が美しい。きっとReiにちがいない。僕は近づいて確かめようとする。しかし足が前になかなか進まない。「Reiちゃん」と、声を出そうとして口を開けるが、言葉にならない。僕はもどかしさをおぼえながら、少しずつ進む。そして、だんだん近づくにつれて、それがReiでないことがわかる。顔が見えたわけではない。雰囲気が全然違うのだ。ただ、そのひとが美しいことはわかっている。僕がようやく近づくと、そのひとは首を曲げ、僕の方に顔を向けた。僕はビクっとする。正面を向いたその女性の左頬が抉(えぐ)れていたからだ。そして、女性がいっそう笑みを増したとき、その抉れた頬がさらに強調された。しかし僕はまったく気にならず、そのひとの方へ歩み寄る。そして、ついにその前に立ったとき、女性は妖艶な空気を残して、すうっと上に向かって消えていった。

 

 僕は、がばっと跳ね起きた。それからすぐに身支度をし、自転車に飛び乗った。ここからは、たっぷり一時間半はかかる。僕は必死になって自転車をこぐ。10月初旬の空気はまだ湿っていて、次第に汗が噴き出していく。それでも僕は力を入れペダルをこぎ続けた。

 

 B会場の下に到着したのは、午前4時前だった。僕は急いで、入口に向かうなだらなか坂を駆け上がる。そしてようやく上り切ると、向こう側に会場の入口が見えた。荒い息を整えることなく、よし!とそこへ向けて走り出した瞬間、僕の足は止まった。目のなかに一人の男の姿が入ったからである。僕は呆然と立ちつくした。入口の扉の前で両膝を抱えて座っている、その男の丸まった背中を、下限の月が照らしていた。

 

 (第七話につづく  4月26日更新予定です)

f:id:kottousho:20220415183758j:plain

鍍金飛天

 

ブログランキングに参加しています。

応援してくださる方、ぜひクリックをよろしくお願いします。

ブログランキングに参加しています。

応援してくださる方、ぜひクリックをよろしくお願いします。

 

にほんブログ村 美術ブログ 古美術・骨董へ にほんブログ村 美術ブログ 創作活動・創作日記へ にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ にほんブログ村 美術ブログへ