「骨董商Kの放浪」(4)

 「びっくりしましたよ。いきなり眼の前にあんなもの出すんだから」先ほど教授の与えた衝撃に、僕のテンションは高まっていた。ネエさんは笑いながら「教授、若い人が好きだから。今度お宅に誘われると思うよ」そう言ったあと「超目利きよ。凄いもの持ってる」とつけ加えた。「凄いもの?」僕が興味を示すと、ネエさんは続けた。「例えばね、私の好きなものだと」と言って、突然両腕を四十五度に差し上げ、手だけを内側に折った。「プレ・エジプト文明、紀元前3500年の加彩(かさい)の女性像。アメリカの美術館で見たことあるけど、おそらく日本にはあれしか無いわね」ネエさんは腕を下ろすと、ふーっと息を吐き、「超格好いい!もろ現代アート」と言って両手の拳を握りしめた。ネエさんの興奮する姿を目にし、僕はそのエジプトの土偶を是非見たくなった。

 「ところで、教授って、どこかの大学の先生ですか?」僕が尋ねると「そう、あの人は偉い数学の博士」とネエさん。「へえー、理系ですか」「結構多いわよね。理系のお客様」お客ではないが、考えてみたら僕も理系だ。そして先日会ったあいちゃんのような医者も多いだろう。「理系」と「美術」、一見かみ合わない分野に感じられるが、実はマッチするのかもしれない。

 時間が経つにつれ人の流れもゆるやかになり、やがて初日が終了した。飾られている品々をいったん箱にしまってから、ネエさんが発表する。「本日の売上は計4点。総額75万円」「じゃあ、このままいくと200万突破ですか!」意気込む僕を見て「甘いなー、きみ。買う人はだいたい初日に来るものよ」と、指をさした。

 

 同じような骨董イベントが次の月もあり、手伝ううちに、少しずつネエさんの顧客を知るようになった。上場企業の上役や名のあるアーティストなど、普段の生活では決して出会うことのない人から、一般のサラリーマンや専業主婦など様々な階層の人びとがいて、僕は骨董の懐の深さを思い知った。来場者は、やはり年配者方が多く、こうしたひとは概ね独りで来ていたが、なかには夫婦連れもいて、二人で相談しながら買っている様子は、ほほえましく僕の目に映った。また、遠目にみても、いわゆる「オタク」系とわかるひとたちがいて、そういうひとたちは一様に、厳しい目つきで左右に首を素早く振りながら、店々を鋭敏に巡っていた。それは一見挙動不審者のようで、その姿を見るたびに、僕はつい吹き出しそうになって口を押えたりした。その他、自分と同年齢くらいの若い男女の姿も混じっており、僕は興味津々、彼らの反応をつぶさに観察した。総体的にいえるのは、皆、愉しんでいるということだった。こうした体験を経ながら、僕の人生にとって、忘れることのできない一年が過ぎていった。

 

 年が明け、あっという間に1月が過ぎ、或る2月の寒風吹き抜ける日曜日の午後、僕は例のごとく、東博平成館の考古展示室のガラスに、ぎりぎりまで顔を近づけていた。1月、2月は骨董業界も暇な時期で、僕は時間をみつけては東博に足を運んでいたのである。

 僕は大きくうなずきながら、鎌倉市出土と書かれた南宋(なんそう)時代(12~13世紀)の青磁のはなつ玉(ぎょく)のような質感を大事に眼のなかにしまって、隣りの展示ケースに向かったその時である。展示室の入口付近で、こちらを見ている女性の姿が目に入った。誰だろう。ここからかなりの距離があるため判然としないが、それは20代の若い女性のようだった。裾の長いスカートに朱色のセーター、白いコートを胸の前で抱えている。その目がずっとこちらを捉(とら)えているように感じ、僕も女性の方に目を向けた。女性は微動だにせずこちらを見続けている。一瞬知り合いかなと思ったが、そんな風でもない。たぶん、僕ではなく別の方を見ているのだろう。ちょっと自意識過剰かと自嘲し、僕は次の展示ケースに足を向けた。そこには、青銅製の水瓶(すいびょう)が飾られていた。よく仏像が手にしているモノである。卵形の胴部のゆるやかな、そして長い頸(くび)の締まったラインが美しく、僕の眼はそれに惹きつけられた。

 

 ここから本館を通って、東洋館へと移動するのはいつものルートだ。1階から順に上っていく。最上階の5階は韓国美術の部屋だ。僕は、導入部分にある考古文物の展示品をさらっと流したあと、中ほどにある高麗(こうらい)青磁の化粧箱の前で立ち止まった。韓国の高麗王朝時代、12世紀頃につくられた青磁で、中国の青磁にはない釉(うわぐすり)の色調を持っている。おそらく皇族の女性が使用したであろうこの化粧箱は、全体が透かし彫りになっており、蓋がともなっている貴重な作品だ。透かし彫りの技巧もさることながら、窪みに溜まった青磁の釉色(ゆうしょく)が殊(こと)に美しい。まるで翡翠のような色に、僕は毎回見惚(と)れる。お約束のように、僕はここで3分は立ち止まるのだ。

 僕が腕を組んでうなっていると、後ろで覚えのある声がした。「K君じゃない?」振り返ると、あいちゃんが足早に近寄って来る。先生に会うのは昨年11月の骨董ショウ以来であった。あの時先生はネエさんのブースで、「僕は丑年でね」と言って、牛がデザインされたオルドスの鍍金(ときん)の飾り板を買ってくれた。それは、僕も気に入っていた品だった。先生はいつものにこにこ顔で、「やあ」と言って軽く右手を上げた。僕は「こんにちは」と言って、一瞬また目が頭にいってしまう。「やはり何となく不自然だ。この髪型は」と思った時、向う側にいる女性の姿が目に入った。長いスカートに朱色のセーターと白いコート。先ほどの展示室にいたあの女性だ。10メートルほど離れたところにいる彼女は、僕を見てにこっと微笑み会釈をした。僕は慌ててお辞儀を返す。ショートカットが可愛らしい。先生は振り返って「ちょっと待ってて」と彼女に言った。僕は非常に気になって「お嬢さまですか?」と訊く。先生は「いやいやいや」と大仰に手を振った。続けざまに僕は「えっ、失礼ですが、お孫さん?」すると先生は「違う違う。僕は独身だから」とまた手を振ってから、急に顔を近づけてきた。「ナンパしたの、この間」僕の頭は真空状態となった。「な、ナンパ!?」「そう、今度教えてあげます。ナンパの仕方」笑いながらそう言ったあと、彼女の方に向かっていったかと思ったら、また引き返してきた。「そうそう、K君。今度僕の家に遊びに来ませんか。いろいろ見せてあげるから。ねっ」と笑顔で言う。僕は「それは是非」と発したが、頭のなかは完全に錯乱していた。

 

 その出来事を犬山得二に話すと、犬山は然(しか)りというふうに「それは、骨董の持つ活力だ」と大きく肯(うなず)いた。「しかしさあ、70歳で、しかも、かつらだぜ」僕が手を広げて言うと、「おまえも陳腐な人間だ。早くその先生に、ナンパの仕方を習ってこい」と言って「おお、寒い。今日は冷える」と、犬山はコタツの布団を肩まで掛けた。築年数のあるこのアパートは、どこからかすきま風が入ってくるような気がした。時おり窓ガラスが音を立てている。僕は布団を被ったまま仰向けになって杉板の天井を見上げた。ぼんやりと揺れ動いているように見える板の目を、ぼくはしばらく眺めていた。すると犬山は思い出したようにコタツから身を出すと「そうだ、今日ここの大家から、秋田の地酒をもらったんだ。よし、燗をして飲もう」

 それから二人して一升飲んだ。僕はその夜酩酊した。まどろみの淵で、二十四、五にみえるあの女性の可憐な姿が幾度となくちらついた。「あいちゃん、やるなあ」とつぶやきながら、僕は深い眠りに落ちていった。

 

 僕が、あいちゃんのお宅を訪ねたのは、東京の桜も散り始めた頃である。先生の休診日である木曜日の午後、僕は教えられた場所まで出かけた。そこは古びた木造のアパートだった。先生がアパートの入口で待っている。「すみません」と言うと「ようこそ」と笑みを浮かべ、中へ案内する。先生は「靴脱いだら、あっちの下駄箱にでも入れて」と指をさす。「ここ、靴脱いで上がるんですか?」「ちょっと古いアパートだからね」と言われ、僕は、犬山のところで読んだ『めぞん一刻』というコミックを連想した。「ちょっとどころじゃないな」そう思いながら、先生の後についた。

 先生の部屋は、2階建てのアパートの2階だった。「一応、最上階」とウケない冗談を言って、あいちゃんは部屋の扉を開けた。「お邪魔…」しますと言うところが、途中で止まってしまった。「何じゃ、こりゃ!?」僕はしばし呆然と佇む。六畳の部屋は、骨董の山であった。あらゆる種類の品々で地べたが覆われ、壁際の棚にも所狭しと置かれている。もはや犬山の部屋など甘ちゃんだ。「まあ、K君、座って」あいちゃんはにこにこ言うが、「先生、ど、どこ、に?」戸惑っていると、「まあ、まあ、遠慮しないで。そこに座って」と、入って右手の、唯一物(ぶつ)に覆われていない場所を指さした。そこは、先生の寝床であり、敷布団が敷かれたままである。「こ、ここに、ですか?」僕が敷布団に目をやると、「そ、そ。どうぞ」と促す。しかたなく「失礼します」と言って静かに腰を下ろした。「ところで掛け布団はどこにあるんだろう」と変に気を回している間に、あいちゃんは「これですよ、これ!珍しいものを手に入れてね」と言って、よっこいしょと手を伸ばし、「唐汪(とうおう)文化の土器!」と、自慢げに渡された。高さ15センチほどの紅陶の壺で、幾何学文様が黒色であらわされている。「中国ですか?」と訊くと「そう。紀元前一千年くらい。なかなか無いんですよ。この手の土器は」と言うなり、すぐに僕の手から奪い目の前に掲げ、「いい!」と自賛して元の場所に戻す。見回すと、大中小の縄文と中国の土器で、部屋の三分の二ほどが占められている。ふと気がつくと、寝床の上の飾り棚にも大きな縄文土器の深鉢が置いてある。寝ている間にこれが頭に落ちたら、両者ともお陀仏になりかねない。「先生、地震が来たら危ないですよ」と土器をさすと、「いやいや、平気です」と、理科系とは思えない返事が返ってきた。僕は、以前ネエさんの店からあいちゃんが購入したコリントスの小壺のことを思い出し、「そう言えば先生、コリントスの小壺はどこに飾ってるんですか?」と尋ねた。あいちゃんは、「あれはね、隣の部屋」と左手を横に上げる。「隣もあるんですか?」と訊くと、「そう。2階は4部屋ありますが、そのうち3部屋借りてましてね」僕はしばし返答ができず、頭の回路が繋がってから「ここって…、住人はいるんですか?」とおそるおそる尋ねると、先生は「ええ、いますよ!」と軽快に答えた。

 

 結局僕はここに3時間いた。先生の話によると、人形町にある診療所が本宅であり、こちらは「骨董城(じょう)」と勝手に名付けている別宅で、購入した品は全てこちらに置いてあるという。大学生の頃から買い集めた骨董品は、1000点に達するらしい。死んだら全部、東博に寄贈する約束をしているそうだ。受けてくれるかどうかわからないが、いうこと。

 先生はこの日、興奮気味にいろいろとモノを持って来ては早口で説明してくれたが、申し訳ないことに、頭のなかは飽和状態、何一つ残らなかった。だが、ただ一つはっきりしたのは、この雑然とした異空間に、一時間もすると慣れている自分がいたことである。

 

 世の中は、ゴールデンウイーク。外を歩いていると、家族連れとカップルに次々とすれ違う。骨董店は概ね休業。ファミレスは書き入れ時で忙しかったが、バイトはそこそこに、僕はまた美術館へ向かう。しかし、その日は、外をぶらつきたくなる絶好の日和。あの犬山までも、母親の用事で一緒に出かけている。そんななか、僕は勉強の場の一つとしている日本民藝館にいた。

 日本民藝館は、言わずと知れた骨董の宝庫で、その外観の佇まいからしてそそられる。主に、朝鮮時代のやきものや木工品などが展示されており、それらは、市場によく見かけるような骨董品の類の、特に質の良いモノであることから、僕は時折りここを訪ね勉強しているのである。

 外観同様、建物の内部、そして陳列棚も、いかにも年代物という古色に包まれているが、それがまた「民藝」として括られた所蔵品を際立たせる演出にもなっている。僕は入ってすぐ正面の、ぎしぎしと軋(きし)む階段を上り、2階の大展示室に向かった。そして、この正面の独立ケースに飾られているスーパースターと向き合った。高さ50センチを超える「李朝(りちょう)」と呼ぶ18世紀朝鮮時代の白磁の立壺(たちつぼ)である。その豪放な姿と、表面を覆う茶色いシミのなかに浮かび上がる、譬(たと)えようのない柔らかな白が、絶妙な魅力を発している。僕はいったん吸い込まれ、そして一息ついて、もう一度顔を近づけた。そして何度もうなる。やがて来館者の一人が、横に近づいて白磁を見始めた。僕は気にせずに、腕を組んでじっと見つめる。「やっぱり、すごい」そのド迫力に僕が感嘆の声をもらしていると、横にいた人物が「こんにちは」と言った。驚いてその声の方に目を向けると、ショートカットの黒い瞳が見つめている。白いブラウスにピンクのカーディガンの彼女は、手を後ろに組んで「またお会いしましたね」と微笑んだ。

 

 (第五話につづく 4月5日に更新予定です)

高麗青磁透彫化粧箱

加彩土偶 プレ・エジプト文明

李朝白磁壺 17~18世紀

彩陶把手壺 唐汪文化(前1000年頃)



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