骨董商Kの放浪(37)

 東京の桜がもうそろそろ開花するかという三月の下旬、ぼくは日本橋人形町のしゃぶしゃぶ屋にいた。ここは内科医あいちゃんの診療所近くにある先生行きつけの店。昭和初期の文豪の生家として知られている。先生の右横にはネエさん。ぼくの左隣りには才介が座っている。今日は、才介を励まそうと二人が企画した飲み会。

 「さあ、才介くん。もうくよくよしない!」ネエさんが瓶ビールを片手に口火を切り、才介のグラスに注ぎ込んだ。「ここはね。しゃぶしゃぶのお店ですが、おつまみも美味しくてね」あいちゃんは「いつものやつ」と言って何品かを注文。先ずはだし巻き卵の乗った横長の器がテーブルの上に二つ置かれた。

  「さあさあ、どうぞ」あいちゃんは相変わらずのニコニコ顔でぼくらに勧めた。ぼくは一口。薄味の優しい甘みが口のなかに広がり、自然と顔がほころぶ。才介はぐいとグラスをあけ、ぺこりと頭を下げた。「このたびは、すみませんでした」「なに、謝ってんのよ」ネエさんが再びビールを注(つ)ぎながら「ニセモノ買うなんて、大したことじゃあない!」と朗らかに笑った。「そうですよ。わたしも最初の頃は、よくありましてね」そこにあいちゃんの笑顔が重なる。

 

 ――こうして、あいちゃんやネエさんと食事をするのも本当に久しぶりだ。特にあいちゃんとは、イベントや美術館などでちょいちょい顔を合わせてはいたのだが、ゆっくり話すのは昨年の5月以来だろうか。ずいぶん前のことだ。あのときは、世田谷区の美術館で国宝の曜変天目を見に行った帰り、あいちゃんと同行していた骨董商Z氏の娘のMiuと三人で駅前のレストランで食事をしたのだ。Miuと初めて会った日のことだった。美術館内にとどまらず食事の最中でも、あいちゃんが、若い女性を目の前にナンパの持論を展開したのを覚えている。そのナンパの持論はともかく、ぼくはあいちゃんと会うたびに、やはり髪の毛に目がいってしまうのだ。どうみても不自然極まりない。お金があるのだろうから、もっと程度の良いかつらに変えたらと思うが、当然言葉には出せず。

 

 あいちゃんのこの上ない人の良い笑い顔を見つめ才介は尋ねる。「先生も、贋物買ったことあるんですか?」「そりゃあ、もう。今はさすがになくなりましたけどね。若い頃はしょっちゅうでしたよ。ぼくなんか、いろんなお店に行って自分で見て判断するでしょ。ですから、最初はよく変なモノ買っちゃいましてね」そう言いながら、あいちゃんは熱燗を何本か注文した。

 「ぼくの買うモノなんか、ほら、土器が多いでしょ。大概安いものですよ。そんなものでもニセモノがたくさんあるんですから」「そういうもんですか」才介が初鰹の刺身を口に運びながら訊く。「一度ね、アンダーソン土器ですが、ほこりが付いていたものだから、濡れ布巾で表面をちょろっと拭いたところ、上に描かれていた文様が落ちましてね」「えっ!」「要するに、作りものだったんですよ。四千年前の文様が簡単に落ちるわけがない。10万もしないモノですよ」先生が顔を交互にぼくらに向ける。「そういうのにも、贋物があるんですから」「へえ。アンダーソン土器にも」妙に感心しながらぼくも初鰹を口に入れる。ネエさんは届いたお銚子を、「あちっ」と言いながら頸のあたりを指でつまむと、素早い動作でそれぞれの猪口に注いだ。

 「わたしもさあ、よく騙されたなあ」指を耳たぶに当てるネエさんを見つめ才介が訊く。「ネエさんも?」「そうよぉ。自分で間違って買っちゃったモノは仕様がないけど。一番ショックだったのは、お客さんに騙されたことねえ」「お客に?」「うん。あれはわたしが独立して間もない頃だった……」

 ネエさんは少しだけ目を上に向け「或る日、わたしがそのお客さんの家に呼ばれたのよ。売りたいモノがいくつかあるからって言われて。いろいろとモノを見せられて。どうぞ好きなモノを選んで結構ですって言うから、わたしは頑張って値段を付けていくつか買ったわ。そうしたら、最後にガンダーラの仏像の頭が出てきて」ネエさんは目を細め遠くを見やるように「その顔がとても綺麗でさあ」と言ったあとぼくに顔を向け「ほら、あのN様のハッダ、あったでしょ?」「はい。あの凄いやつ」ぼくは即座にうなずく。「あれを、御宅で拝見した時分でね。こんなの扱えたらなあって思ってたんだ。だから、わたし、そのガンダーラを一目で欲しくなっちゃって。これも売り物ですかって思わず訊いちゃったの」「ふむ」「そうしたら、売りたいんだけど、安くは売りたくないって言われて。なるほどと思って」ぼくらは前のめりになって聞く。「だから、思い切った値段を言ったの。そうしたら、それで結構ですって言われて。わたしは買ったわ」「はい」と思わず才介が声を出す。「そうしたら」ネエさんはそこで杯を一息にあけると、「ニセモノだったのよ」「えっ!」三人が同時に声を出す。「うん。あの頃、ガンダーラの精巧な贋物が横行していて、ニュースにもなったじゃない?」「ああ、あのガンダーラ事件!」あいちゃんが間髪入れずに指をさす。「そう。わたしはショックだったけど。お客さんには言えないし。そうしたら、知り合いの店で聞いたのよ」ネエさんはぼくらを見つめ「そのお客は贋物と知っていて、それをわたしに売ったってことを。つまり、わたしをはめたってこと。そのお客が店に来て、そう言って笑ってたって。わたしは、立ち直れないくらいショックだった……」ネエさんは徳利を持つと、空いたビールグラスにドボドボと注ぎ始めた。「わたしは、もち、甘ちゃんだったけど、若い女だからってなめられたのが悔しかった」

 いきなりドンという音がし、ぼくらはビクっとした。あいちゃんが拳で一つテーブルを叩いたのだ。「いるんですよ! コレクターのなかには、そういう半プロみたいな性根の腐ったやつがね。ふん!」あいちゃんもネエさん同様ビールグラスに勢いよく日本酒を注ぎ込むと、それを一気に飲み干すや否や空の徳利を振りかざし追加注文。「早くちょうだいよ!」ぼくらもその勢いに押され慌てて猪口をあけた。

 「でもさ、この話し。ちょっと面白い結末があってね」「どんな、ですか?」ぼくは訊く。ネエさんは緩やかな笑みを浮かべて、「あのときはまだ、前の国立にあった小さな店舗だった。わたしが椅子にもたれてうなだれているときにね、その頃よく来ていた作家のJanさんが、彼もまだ若くて」「Janさんって……あのピリカ像の作者の?」「そう」ネエさんは優しく微笑んだ。

 

 ――Jan氏は、今売り出し中の現代彫刻家の一人であり、代表作が「ピリカ」と呼ばれる石製の胸像。奥二重の切れ長の目と太い眉、通った鼻筋に豊かな唇。頭部にはターバンのようなものが、細く長い首にも同様のものが巻かれる、可憐でシャープな印象を持つ女性像である。これが一つ、応接間のネエさんのパソコンが置かれた机の上段に飾ってあり。高さ15センチほどの頭部。以前ネエさんから、これはJan氏作のピリカ像だと聞かされていた。

 「おれ、好きですよ。ピリカ像。大理石の白いやつが」才介が、置かれたばかりの筍の天麩羅を口のなかに放り込んだ。あいちゃんもさくっと口に入れ、にやりと微笑んだ。「ぼくも、好きだなあ。ピリカ像」と首を上げ一瞬フリーズしたあと、「いやあ~」と言って急にうつむくと、激しく額に手を擦りつけ「いやあ、どうしようかなあ、もう!」と地団駄を踏んだ。「何がです?」ぼくは訊く。「いやあね、もしもね、もしもですよ。あういう美女に声かけられたらって、思うとねえ。ぼくとしてはね、ぼくとしてはね。どう答えたらいいかと思ってねえ。あああっ、どうしよう!」そう言いながら、あいちゃんは両手で頭を掻きむしった。ぼくは一瞬息を呑む。大丈夫か……髪の毛。そして、隣りに目を移す。そこにあったのは冷ややかなネエさんの目線。ーーだいじょうぶよ、絶対に、そんなことには、間違っても、ならないから。……みたいな。言葉を発さずとも、そういう台詞が、よどみなく伝わってくるような。

 「それで、どうしたんですか。そのピリカ像の話しは」才介が話しを戻す。そうだ。それを聞きたかったのだ。えらい、才介。と、ぼくはネエさんの方に姿勢を正す。

 「そう。わたしが落ち込んでる姿を見てね。Janさんが、突然言ったのよ」「で?」ぼくと才介。「このガンダーラをぼくにくれませんかって」「で?」続けてぼくら。「だから、どうぞってあげちゃった」「で?」突然あいちゃんが参加。「それから一週間ほどして、Janさんが来て」「で?」全員で。「できましたって、ピリカ像」「ええっ!」皆一斉に驚く。「そう。ピリカ像の第一号。まだ、ピリカって名前ついてなかったけどね」ぼくらは顔を見合わせて、「ということは……贋物のガンダーラから、ピリカ像が誕生したってことですか!」「そういうこと」ネエさんがにたりと笑う。「ちょっと、面白い話でしょ?」「ちょっとどころじゃないですよ!」ぼくと才介は興奮して、「それって、もしピリカ像が世界的に流行したりしたら、めっちゃ、値打ち出るじゃないですか! プレミアムもんですよ!」それに対しネエさんが大きく手を振る。「いやいや、それは、ないんじゃない! って、Jan氏に失礼か。ハハハ!」「そんなこと、わかりませんよ。ピリカ像、化けますよ!」「ちょっと、そこまでは、ないと思うよ。ごめんね、Janさーん!  ハハハ」「いや、いや、いや!」

 ぼくらの騒ぎ声をよそに、あいちゃんは独り瞼を閉じ「いい話だ……うん、いい話だ……」と自分に言い聞かせるように何度もうなずきながら、コップ酒をあおっている。

 

――実は、この話し、なんと現実になったのだ。ある事情にともない、ネエさんのこのピリカ像がNYのコンテンポラリーアートの売立に出品されたのが昨春のこと。そしてこのとき、日本円で実に1億3千5百万という値で落札されたのである。ただそれは、ぼくらがこのしゃぶしゃぶ屋ではしゃいでいたときから、実に32年の時を経た出来事であり。ぼくがこの物語を書き始めた数か月後のことであって。まあ、詳しくは、あとの方でお話しすることとして。だから、このガンダーラの贋物から発した結末は、もっとずっとあとまで続くのである。それは、ぼくが死んだあとも、ずっと、ずっと続くことだろう。「骨董」とは、そういうものである。(笑)

 

 店内は会社帰りのサラリーマンたちでいっぱいになっていた。昨日おこなわれたワールド・ベースボール・クラシックで、日本がキューバを倒して世界一になったこともあり、その話題が随所に耳に入ってくる。

 

 「さあさあ、肉が来ましたよ~」赤ら顔のあいちゃんが卓の上の小皿を端に寄せると、その空いたスペースに一尺皿が二枚登場。それぞれに、程よい霜降りの赤い牛肉が盛られている。「こりゃ、美味そう!」と才介が割箸を両手にグラスを叩く。「これはね、二種類の牛肉でして」あいちゃんが、中央の鍋に火を付けて説明。「ここのは普通のしゃぶしゃぶじゃなくて、ほら、すき焼きのたれでしょ?」鍋のなかを指さす。ぼくはなかを覗き「本当だ。すき焼きのたれみたい」小さな泡が立ち始めているのは、水ではなく醤油色をした汁だ。ネエさんが「ありそうで、他にないのよね。このスタイル」と言いながら、煮立った鍋に野菜を流し込む。煮えるまでの間、皆取り皿のなかにある生卵を割ってかき混ぜつつしばし鍋を見つめ、頃合いをみてあいちゃんが肉を一切れ箸でつまみ「どうぞ」と声を掛けた。その合図で、ぼくらも一斉にしゃぶしゃぶする。葱を一つ巻いて生卵に浸して口のなかへ。確かにすき焼きだ。しかししゃぶしゃぶのため肉が柔らかく、たれの味も濃くなく喉越しが良い。「美味しいです!」ぼくも才介も続けて肉をしゃぶる。二口目を食べてから「おれ、ご飯、いただきます!」と才介が手を上げるのを見て、「ぼくも!」と手のひらを開いた。

 白米の上にたれの浸み込んだ肉をのせると、才介が一気に頬張る。「うん」とうなってまた一口。それを見てネエさんが微笑む。「よかった、よかった。ちょっとは元気が出てきたみたいで」「はあ、すみませんでした」才介が碗を片手にひょいと頭を下げる。「今思うと、品物を欲目で見ちゃって。やっぱりダメですね。欲が先に出ちゃうと」「しかたないわよ。今の中国モノの市場が、そんな感じなんだから。みんな、どれだけもうかるかしか考えてないんだから」「おれも、雍正の筆筒がびっくりするくらいで売れたので、元染も、もうかるかどうかでしか見てなかったんだと思う」「みんな、そうやって成長していくのよ。勉強、勉強」「だいぶ高い授業料払いましたけど」才介は頭を掻きながら「でも、香港で仕入れたモノが予想以上に売れたし、この間の唐三彩の売上分をKが半分都合してくれたので、筆筒のもうけがなかったと思えば、そんなに被害はなくって。これからは、リセットして、地道にやります」

 ドンと卓を叩く音がした。「そうです! 地道です! 地道が、一番です!」目の座っているあいちゃんを見て、ネエさんが軽やかに手を上げ「お水、くださ~い」。どうやらあいちゃんには、酒乱の気があるようだ。ぼくは烏龍茶に手を伸ばす。

  「でも、C先生も、あれは学者でも見分けがつかないくらいのレベルの贋物だって。言われたところで、ぼくはいまだにわからないけど」ネエさんがうなずく。「際どいニセモノってあるからねえ」「ネエさんは、どうやって真贋を見極めてるんですか?」才介が訊く。「そうねぇ……」ネエさんはちょっと首を傾げて「なんていうかなあ。第一印象かなあ。ニセモノって、どこか奇を衒(てら)ってるじゃない。色が綺麗過ぎるとか、形が整い過ぎてるとか。違和感があるっていうか。要するに、不自然なのよ」――不自然、と言われてぼくはつい、あいちゃんの頭部に目を注いでいた。こんなところでそう思うのは、たいへん失礼なことかとは思ったが、ぼくはじっと見つめてしまっていたのだ。ふと横を見ると、才介の視線もあいちゃんの頭に向かっている。こいつも「不自然」という言葉から、あいちゃんの髪の毛を連想したのだろう。まあ、それはそれとして、贋物の見極めに対し、「不自然」とか「違和感」というフレーズは、C先生も強調していたわけであり。

 「で、どうだったの。愛知県での展覧会は?」とネエさんが質問。「いやあ、とにかく展示室が広いので、東京で見たのとは別の展覧会かと思いましたよ」そう言ったあと、ぼくはC先生による総長コレクションについての一件を伝えた。「好かれ、悪しかれ、私の現れ」の話しだ。

 それを聞くなりネエさんが、「ああ、それは、総長らしいなあ」と感嘆の声。「好かれ、悪しかれ、私の現れ、かあ。こういう道に入ったひとは、誰しも、商人であれ、蒐集家(しゅうしゅうか)であれ、みんな、その言葉が当てはまる。そのひとの色というのが、コレクションには出るからね」「なるほど。そうかもしれません」うなずくぼくにネエさんは続けた。

 「コレクションって、たいていは、蒐(あつ)めたひとが亡くなってから売られたりするじゃない。わたしもよくそうしたお家の片づけに携わったりするけど。そのコレクションを見てね、わたしはそのひとと会ったことはないけど、どんな性格のひとだったかが、なんとなくわかるのよ。このひとは、ずいぶんと几帳面なひとだったのかなあ、わりあい鷹揚なひとだったのかなあ、かなり小うるさかったんじゃないかなあ、好奇心が強くて包容力のあるひとだったのでは、ってね。コレクションって、そのひととなりが出るものなのよ」それを聴きぼくは自然とうなずいていた。「そうかもしれませんね。総長のコレクションは、人柄がにじみ出ていますよ。偉大な優しさっていうか」「うん、そうね。贋物買ったら、普通は恥ずかしくなってひとには見せないものだけど、総長は、それも『私の現れ』って言うんだから、器が違うわよ。懐が深くないとそんなセリフは出て来ない。すごい」

 ドンっと卓を叩く音が響いた。「素晴らしい! さすが、総長! 大人(たいじん)です、大(たい)! 人(じん)!!」真っ赤な顔ををしてそう言い放つと、あいちゃんは締めの煮込みうどんを、ずるずるっと激しく何度も啜り続けた。

 

 「でもさあ、そういう仏様のようなひとを騙そうとするなんて、極悪非道だね」ネエさんは、グラスをテーブルに打ちつけた。「あの、贋作堂!」総長のところで見た黒陶俑の贋物がぼくの頭をかすめる。と同時に、才介の大粒の涙が目に浮かんだ。すると、先日の憤怒が忽然とぼくのなかに湧き上がってきた。「許しませんよ! 酷過ぎます!」ぼくの怒声に、才介は目を閉じ大きく息を吐いた。「悔しいけど、引っかかったおれの負けです」それに対しネエさんが「違うわ!」と目をとがらせて言い放った。「そういう、負けとか勝ちとか、商売の問題じゃなくて、人間としての問題よ!」「その通りです! 人道的問題です!」ぼくもグラスを打ちつけた。「いずれ、天罰が下されるわ。そういうやつには!」いきり立つネエさんの声を受け、才介は手を水平に広げると、「まあ、いいですよ。その件は。おれのなかでは、区切りがついたので。これからは、前を向いて、また頑張ります」それを聞きネエさんが「そうね」と言って、少しだけ残っていた徳利の中身を才介の杯に注ぎ入れた。「えらい。才介。おまえは、男だ」丁寧に最後の一滴まで注ぎ終えると、「ごめんね。せっかく楽しく飲んでたのにね」ネエさんは自分の杯を才介のそれに、こつんと軽く合わせた。

  そのとき、ドンっ、ドンっ! とテーブルの叩く音が響き、その衝撃でコップが一つ倒れ、わずかに入っていた液体がこぼれ床に流れ落ちた。さすがに周囲のひとたちが振り返る。

 「ぼくはぁー!  決して、許さないぞぉー!  堕ちろぉー!  地ぃ、深ぁーくぅーう!!」あいちゃんの叫声に、かなり向うの席の客までこちらに顔を向けている。「まあ、まあ、先生」とぼくはなだめる。

  あいちゃんが一点を見つめ、再び「堕ちろぉーお!!」と叫んだところで、若い女性店員がやってきた。彼女の「すみません」というか細い声に、「何っ!」とあいちゃんが目を剥く。「あの……」「何っ!」「……デ、デザートは……何にします……か?」「ええっ!  こんなときに!  デザートだってえ!」あいちゃんは店員をかっと睨み、バンっと思い切りよく両手をテーブルについて立ち上がると、「メロンです」と言って手洗いに向かった。女性店員がぼくらに目を向ける。才介が小声で「メロンで」。続けてぼくも「同じく」。ネエさんも「わたくしも」と小さく手を上げたあと、「ごめんなさいね。いつも」とすまなそうに目くばせをした。

 

 それから数日後のこと。衝撃的な事件が起きた。その日の昼間、ぼくが何気なくテレビをつけたときだった。その画面を見てぼくは思わず「あっ」と声を上げた。元染の大皿がそこにあったからだ。

 どこかで見たようなと思っていると、カメラが動き、明時代初期の釉裏紅(ゆうりこう)の大皿が。続いて、また元染の大皿、次にまた明初染付の大皿と、5~6点の大皿が映し出されている。皆、一見してわかる真っ赤なニセモノであった。

 アップになったそれらを見て「贋物じゃん」とぼくはつぶやく。すると、画面が切り替わり、30歳くらいの栗色の髪をした女性レポーターがマイクを片手に早口で喋っている映像が流れ出した。このとき、画面の右端の「骨董品贋物取引の実態」の文字が目に飛び込んできた。そのテロップは、荒々しい太文字で記されている――。

 「ええっ!? 何じゃ?」ぼくはテレビの前に腰を下ろし、女性レポーターの話しに耳を傾ける。

 「こちらは、TDKオークションの下見会場です。昨日の週刊誌に取り上げられました骨董品のニセモノが並べられています。さきほど、映像でも映されていたものですが、これらがなんと驚くべき値段で売られていたことが判明いたしました。いずれの品物にも、当時の領収証が付いてあった模様です」再び画面が切り替わり、領収証が映し出される。それを見てぼくは仰天した。あの大屋敷で見た領収証だったからである。「えっ!? あれ、じゃん!」領収証の宛名、つまり元社長の名前のところは、切り抜かれているが、値段と品名、そしてこの領収証の発行主、つまり贋作堂の住所氏名はそのままになっている。個人情報ということもあってか、画面上、住所氏名の部分にはモザイクがかけられているが、「¥30,000,000」と「元青花牡丹唐草文大盤」の品名は、画面に大きく映し出されている。

 再び女性レポーターに画面が切り替わった。レポーターは領収証を一枚手にしながら、「今回6点の出品物にこうした同じ売主の書かれた領収証が付いているのですが、すべて高額で、金額は15,000,000円から30,000,000円となっています。しかし、このTDKオークションでの評価値は、それぞれ10,000円から15,000円という低い額なのです。要するに、これら高額で取引された商品がすべてニセモノであったということなのです。骨董品は、一般的には難しい一面を孕んではいますが、それにしても、あまりにも酷い出来事ではないでしょうか」

 訴えるようなコメントを残し、画面が切り替わる。それを見てぼくは目を見開いた。三代目の姿が映ったからである。「東京美術商協同組合理事」の肩書の下には三代目の名前が。どうやらこれはライブ映像ではなく、事前に収録したインタビューのようだ。三代目は語る。

 「この一件は、われわれ骨董商にとって、甚だ遺憾であると感じています。骨董というのは、ご存知の方も多いかと思いますが、公式な鑑定機関がございません。つまり、真贋の問題ついては、非常にあいまいな部分を含んでいるわけです。だからこそ、買い手と売り手の信頼関係が最も重要となるわけです。つまり、お客様にとって、われわれ骨董商への『信頼』が、すなわち鑑定証書となるわけです。今回の事件は、それをまったく裏切る卑劣な行為であり、言語道断、断固として許すわけにはいきません」そこでインダビュアーから一言入る。「今回の××氏は……」実際は実名をあげているのだが、名前の部分には「ピー」という音が入っている。「……東京美術俱楽部に所属している美術商と聞いていますが」それに対し、三代目が一層きつい目つきで答えた。「一部報道ではそのように伝えているようですが、それは違います。美術俱楽部の会員ではございません。美術俱楽部は、様々な『交換会』と呼ばれる美術商によるオークションを開催する場を提供しているところであり、××は、その一部の個人主催の市場に出入りしている一業者に過ぎません」三代目はそこで一呼吸置くと、「それに、さきほど××が参加している個人会の代表者と話し合い、××は除名ということになりましたので、東京美術俱楽部とは一切の関係性はなくなりました。その件につきましは、このあと改めてわれわれの理事長から報告があると思います」三代目はカメラを正視し、「とはいえ、骨董品を商う側の人間として、骨董を愛する方々の信頼を損なうような行為が行われたことに対し、この場を借りてお詫び申し上げます」と頭を下げた。そして画面はスタジオに移った。どうやら、TDKチャンネルの昼のワイドショーで取り上げているようだ。

 番組のMCをしている赤縁眼鏡の元お笑い芸人が「いや~、どうですか、これは!」と大げさなリアクションをみせて、「えっ、で、で。いくら? 結局、いくらなの? 領収証の総額って?」とキョロキョロしながら、右端に立っている女子アナに問いかける。「ええっと……ちょっと、待ってください」女子アナが書類に目を通す。「はい。総額で、1億5千万円です」「えええっ! 1億、5千万! 酷くないですか、これ?」コメンテーターの一人の若いアナリストが「詐欺ですね」と一言。それを受けMCは、「ぼくは骨董のことなんか、まったくわからないけど、どうですか? Oさん?」

 誰でも知っている70を過ぎた男優のO氏は彫の深い顔をややしかめると、「いやー、実はね。わたしも、ちょこっと、そういう趣味があってね」「ええっ! Oさん、骨董買うの?」「いや、いや。こづかい程度の額ですよ」「こづかい程度だって言っても、Oさんのおこづかいだったら、凄いもの買えるでしょ!」「何を言う」O氏は笑顔で何度も手を横に振りながら、「でもねえ、さっきの美術俱楽部の方が言ってたでしょ。ちゃんとしたところで買わないと、ダメなんですよ」「そう言いますもんね。鑑定番組とかでね。うちの親爺が百万円で買った古そうな壺が、鑑定結果『5千えーん!』なんてね。よくありますよね」「そうそう。だから、そういうところにつけ込む悪徳業者に引っかかったら、悲劇なんですよ。裁判したところで、どうにもならない。公式な証明書がないんだから」「そのへんは、どうですか? 先生?」

 先生と呼ばれた様子の良い国際弁護士は、「うーん。例えば、今回のようなオークション、つまりオープンマーケットで売れた値段というのは、一つの基準にはなると思いますよ。TDKオークションって、知名度あるんですよね?」MCが大きく笑いながら「あのね、先生。一応、ここのテレビ局、TDKですから」コメンテーターの席から一斉に笑い声があがる。弁護士も笑みを浮かべ「であれば、一定の評価になると思いますし。いくらでしたっけ? 売れた金額は?」それに対し女子アナが答える。「いえ、これはですね、これからなんです。3日後のオークションで売られます」「でも、評価額が1万とかでしょ。大して売れないでしょ」アナリストが口を挟む。

 弁護士は続けて、「あと、領収証にある品名が、時代と性質が細かく書かれているじゃないですか」すると、画面に先ほどの元染大皿の領収証が映し出された。「これ、これ。日付もちゃんと入っていて。結構詳細に表記してあるので。例えばですが、品名のところが、時代も書いてないただの『皿』とかだけだと、現物とは違うって言い逃れができますが、このケースであれば、訴えたら詐欺罪、立証できるんじゃないでしょうか」「だって、あきらかに悪質じゃないですか。1万のモノを、3千万だなんて」アナリストが語気を強める。MCがテーブルに肘をのせながら身を乗り出した。

 「ちょっとさあ、今、領収証が映ったから、つけ加えちゃいますとね。この住所、今モザイクになっているところ。言ったら、不味い? 名前は言わないから、ダメ?」首を伸ばしてスタジオ奥を見つめる。「いいよね? だって、オークション会場に並んでるんだから、領収証。ねえ?」MCは一つうなずくと、コメンテーターに顔を向け「なんと、中央区銀座六丁目! どう?」どう? と問われたアナリストが、口をへの字に曲げると肩をすくめ、「ノーコメント」と唇の端で嗤(わら)った。

 このとき画面に、元染の大皿の写真が映った。それは、以前パリのオークションに出品され約3億円で落札されたモノであった。新聞の一面に記載されていた三代目のコメントがぼくの脳裏をよぎる。

 MCが思い出したように、「そうそう! これ! 今画面に出ている、これは、本物ですよ!」声を高めて、「これ、高かったんですよね?」と女子アナに振る。「はい」と言ったあと書類に目を落として、「これはですね。昨年末のパリのオークションに出たもので、そのときの金額が、日本円で、約3億円で落札されたようです」「3億!」O氏は思わず身をのけぞらせると、「いや~、でも、それが本物の値段ですよ」腕を組み大きくうなずいた。MCがにやけながら、「でもさあ、わかる?  さっきのニセモノと、この本物の違い。ちょっと、見せてくれる?  ニセモノの写真?」贋物が映る。続けて本物の画像。スタジオ内から苦笑にも似た声がばらばらと上がる。「おれ、まったく、わからないんだけど」「いやいや、わかりませんよ」と弁護士も笑う。「どう?  Oさん、わかる?」MCの問いに「う~ん。ぼくは、なんとなく、わかるけどね。比べてみると」「さすが! 鍛えられている」「いや、なんとなくだよ」O氏は笑いながら片手を振った。

 若いアナリストが冷静な声をはなった。「でも、本物だったら3億円するものを、3千万で買えますよ、格安ですよって言って売ったんでしょ。わかってて。ただみないなニセモノを。これは、完全な詐欺ですよ」「まあ、そうでしょうねえ」と弁護士が応える。MCがまとめに入った。

  「いやあ、それにしても、骨董は怖いですね」「その通りです。ほんとうに、怖い世界ですよ」O氏が真顔で答えると、MCはカメラに向かい「これは酷い話だ。こういうね、悪徳業者がいるんですからね。皆さんも気をつけてくださいよ。本当に、酷い! こいつ、ちゃんと税金払ってねえんじゃないかな」皆、一斉に笑う。「はい。それでは、次の話題……。その前に、CM? はい、CMでーす」

 

 それから数日後の美術俱楽部で開催された或る個人会では、この話題で持ち切りだった。こんなおいしい話はないという連中が寄り集まっては、お互いのとっておきの情報を交わし合っている。それによると、贋作堂にはめられた同業者は何人もいて、そいつらの一人が週刊誌にリークしたとのこと。そして贋物の流通については、どうやら組織ぐるみであったようだ。これに関しては、あの元染玉壺春の一件からもうなずける。

 中国の美術館では、盗難に備え本物を飾らず本物そっくりのレプリカを展示する場合が多く、それを制作する工房があるようだ。そこにいる腕の良い職人たちの手でつくられたモノが、市場(マーケット)に流通しているとのこと。精巧な写し物をつくる工人は、陶磁器だけでなく書画にもいる。こうした匠の技を悪用して、先日のような売立図録を含めた詐欺行為が出来上がったのだ。そして、その主格にいたのが贋作堂であった。

 中国古美術の市場の巨大化とともに、こうした贋作集団が台頭してきて、それに騙されるひとたちが急増し、その額もおのずと高くなっていったのである。今回の「玩博堂事件」により、骨董の真贋について世間の注目が寄せられることになったが、その根本的問題については完全に解決されたわけではない。正式な鑑定書のない分野なのだから、時が経つと別の形で、また同じようなことが繰り返されるのだ。それは、ある意味「骨董」の持つ宿命とでも云おうか――。

 何はともあれ、今回の事件で贋作堂に天罰が下ったのだ。この1か月後には、贋作堂に騙されこれまで泣き寝入りをしていた蒐集家たちが、徒党を組み訴訟を起こすという事態に発展することになる。あいちゃんの言葉を借りれば、贋作堂は、「地、深く、堕ちた」わけであり、もうその姿を見ることはなくなるだろう。

 

 ぼくは、前後左右に首を伸ばしてひとの動きに目を配った。しかし、いない。今日この個人会に出向いた目的はただ一つ。それは、ブンさんに会うためである。

 さっき情報を交わしていた同業者たちが、週刊誌にリークしたのは騙された業者の一人という言い方をしていたが、この事件のシナリオを書ける人間はただ一人。ブンさん以外にいないのだ。元社長が、ゴミにでも出すかと言っていた贋物の大皿群とその領収証を大手のTDKオークションに流せることのできるひと。マスコミとの繋がりまではわからないが、大元の筋書きを立てられるのは、ブンさんしかおらず。だから、ぼくはブンさんに訊きたかったのだ。

 やがて、競りが始まった。「3万円! 4万円! 5万円!」競り人の威勢の良い声が一階の交換会場内に響き渡る。参加している人たちの顔をぐるりと見回すが、ブンさんはいなかった。本来であれば、来てもよさそうな個人会である。ひょっとしたら、あとから来るのかもしれないと思い、ぼくは会場内をぐるぐると歩き回っていた。しかし、ブンさんは現れなかった。

 

 ぼくは、美術俱楽部から駅までの裏道をとぼとぼと歩いた。会が早めに終了したので、日はまだ高い。今回の「玩博堂事件」の真相は、情報通の業者連中の話しがおおよそのところであろうが、いくつか解せない点がぼくにあった。

 週刊誌にリークしたのは、ブンさんなのか。あのひとが、本当にそんなことをするだろうか。仮にリークしたとしても、テレビ局まで巻き込んでの策略を独りで考えたのであろうか。週刊誌側から番組のネタとしてテレビ局に提供したということは考えられるが、あまりにも短期間に事が首尾よく運び過ぎているように思う。

 それと、なんといっても、最後に三代目が登場したことだ。しかも、自分の店の名ではなく東京美術俱楽部理事の肩書を持ってインタビューを受けたことである。贋作堂が美術俱楽部の会員であれば、その所属団体の幹部として釈明するのはわかるが、会員でもない人間のしでかしたことに、わざわざ出張って弁明する必要など、ないといったらないのだ。むしろ上部組織から見ると、進んで触らなくてもよい案件であろう。それを敢えてテレビの取材まで受けたことに対し、ぼくは何だか腑に落ちない気分であった。

 しかし、マスコミで大々的に取り上げ、東京美術俱楽部という権威のある美術商組合の理事の一人が、この問題の重要性について言及したことで、これが一つの「事件」として成立するに至り、それによって、贋作堂が追放されたわけであり。

 

 ぼくの目の前を小さな子供が走っていった。その後ろから若い両親が、その子の名前を呼びながら早足で追いかけていく。今日は日曜日。公園に満開の桜を観に出かけるのだろう。明日は花見日和と昨日の天気予報でもそう伝えていた。そうだな、桜でも観よう。ぼくは、方向を変えて公園へ向かった。

 公園は多くのひとで賑わっている。一番奥には、薄桃色の花びらで覆われた一本の大木が、東京タワーを背に堂々と立っていた。縦横無尽に広がっている枝々から、桜の花が所狭しとのぞかせている。見事な桜の絢爛ぶりに目を細め「満開だ」と一言つぶやくと、「なんだ、花見か」と後ろから声がする。振り返ると、黒革のジャケット姿が目に入った。いかつそうな男の顔が崩れている。

 「ブンさん!」ブンさんはゆっくりと桜の大木に歩を進めた。ぼくはあとに続く。「何やってたんですか。今日、美術俱楽部の会、来てなかったでしょ?」「ああ。知り合いに電話したら、大したモノ出てないって言うし、一点だけ頼んでたら、買えましたよって、さっき電話が来てな。モノは俱楽部に置いてあるってから、取りに来たところだ」「そうだったんですか」そう言って、ぼくはブンさんを見つめた。

 「この間の、贋作堂の事件、仕組んだの、ブンさんですよね?」「――あれか」「はい」「――おれだ」「やっぱり……、週刊誌にリークしたのも?」ブンさんは、ふっと笑うと、「正確に言うと、それは、おれじゃない」一呼吸おいて、「おれは、あの社長のところへいって頼んだ。贋物の大皿に領収証を付けて売らせてくれと。すると、あの社長のことだ。あんたの好きにしろと言ってくれた。だから、おれは、TDKオークションに持ち込んだ。酷いニセモノということで向うは出品を嫌がったが、ゴリ押しした。担当者をよく知ってたからな」

 そう言うとブンさんは、桜を見やるようにやや顔を上げた。「おれの仕事はそこまでだ」「えっ?」「そこからは、あいつがやった」「あいつって?」「三代目だ」「えっ?  し、知ってるんですか? 三代目?」ブンさんは楽しそうに笑った。「はは。ほとんどのやつはびっくりするだろうが、おれとあいつは、同じ年にこの業界に入った数少ない同期だ。出自は天と地ほどの差だけどな」ブンさんはまた笑うと、ポケットに突っ込んでいた右手を、胸のところで軽く二度叩くとぼくに顔を向けて言った。「唯一といってもいい。この業界の、おれの、マブダチだ」「そうだったんですか!」「だから、あいつに相談したとき、そんなやつは、骨董商の風上にも置けないって、この話しに乗ってくれた。ちょっとは知ってるみたいだったな、元染のこと」ぼくは無言で耳を傾ける。「あいつは、新聞とかによく記事書いたりしてるから、マスコミには顔がきく。そして、東京美術商協同組合理事の肩書を使ってくれた。制裁を加えるためにな」「なるほど。そういうことだったんですか」

 ぼくは釈然とした。ブンさんと三代目がタッグを組んで、才介の敵(かたき)を取ってくれたってわけか――。「ありがとうございます!才介が喜びます!」ブンさんが歩きながら、軽く首を左右に振った。「勘違いするな。そりゃあ、才介に対する気持ちはあった。しかし、それだけじゃない。おれは同じ商売人として、許せなかった。ただ、それだけだ。三代目も一緒だ」

 一陣の風により、いったん舞い上がった花びらが緩やかに落ちていくのが目に映る。ブンさんはまたポケットに手を突っ込むと、ぼくの方へゆっくりと歩み寄った。

 

 「おれは、あのとき、才介の負けだと言ったが、それはあくまでも今回の商売の上でのことだ。人生においては、あいつは何ら負けちゃいない。本物の敗北者は、あの贋物野郎だったってことだ」

 ブンさんはポケットから右手を抜くと、指を一本ぼくに向けた。

 「才介に言っとけ。本当の勝負は、これからだってな」

 そう言うと、ブンさんは笑いながらぼくに背を向け歩き始めた。十歩ほどして片手を上げる。ぼくはその姿に一礼し、改めて桜の大木を見上げた。透き通るような薄紅色が東京タワーの朱色と重なって、青い空に鮮やかな色彩を描いていた。

 

(第38話につづく 6月2日更新予定です)

 

釉裏紅牡丹文稜花大盤 明時代(14世紀)

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骨董商Kの放浪(36)

 新幹線で名古屋までいくと、地下鉄に乗り換え終点で下車し、そこからバスに乗り込んで30分ほど走った。時おり窓から見える桜は、まだ五分咲きくらいだろうか。ぼくの両膝の上には、風呂敷に包まれた箱が一つ乗っている。

  バスは、広大な敷地に入ると3分程走行し、やがて正面玄関の前で停まった。何人かが席を立つ。ぼくも風呂敷包みを片手にリュックを背負うと、彼らのあとに続いてバスを降りた。すぐに『中国古代の暮らしと夢』という展覧会の見出しが目に飛び込んできた。三十数年前につくられたのであろう巨大な建物は、高度経済成長期の名残をとどめた、ある種の堅牢さを漂わせていた。ぼくは、そのだだっ広いエントランスをくぐり、受付へと向かった。

 しばらくそこで待っていると、左手奥のエレベーターが開き、ひとりの男性が歩いてくるのがみえた。ぼくの姿を確認すると、四十代半ばの眼鏡の男性は「やあ」というふうに片手をあげた。C先生である。ぼくは頭を下げる。「こんにちは」「よく来てくれました。さあ、どうぞ」先生は笑顔でエレベーターに向かった。

 2階で降りると「先ずは、学芸室の方へ。そこで話しましょう」先生は、学芸員や事務員のデスクがずらりと並んでいる部屋に入ると、自分のデスクへ向かい、雑然と積まれた資料のなかから引き抜いた何枚かの用紙を、パソコンの横に投げるように置いてから、ぼくを隣の小部屋へと案内した。二メートル四方の大きな机が一つだけある部屋は、ちょっとした応接室も兼ねているようで、隣の大部屋とは隔絶した空間をなしていた。ぼくは腰かけると、風呂敷包みをその広い机の上に置いた。

  

 今回の元染の騒動というか事件というか、このあたりのいきさつに関しては、ひと通りC先生に伝えてあった。

 売立図録や古箱の偽造などのやり口からして、元染瓶が贋物であることは疑いないところであったが、実際ぼくはまだ完全に納得したわけではなかった。

 ――今ここにある元染が、本当にニセモノなのか。オークションハウスがそう判定したとはいえ、釉調や染付の色合いなどに、時代がありそうな気分があらわれていて、ひょっとしたら本物かもしれないという一縷の望みをぼくに抱かせていたからである。そこには、才介の側に立った思いがあることは否定し得なかったが、ただそれだけではない、釈然としない何かがぼくの腹のなかに蠢(うごめ)いていたことも確かであって。

 なので、今日ぼくはそれを確認するためにここに来たのだ。元染の専門家であるC先生の見解を識(し)るために。そしてなんといっても、「現在景徳鎮で驚くべきレベルの贋物がつくられている――」という彼の発言が、頭のなかを駆け巡っていたからである。

 

 さっそくぼくは風呂敷包みを解いて、中身を取り出した。C先生はすぐに玉壺春を手に取り、眼鏡をはずすと顔の近くで回しながらみつめた。しかし、その動作は長くは続かなかった。学者は瓶をテーブルの上に戻すと、小刻みに首を縦に振った。

 「これは、やっぱり、最近つくられたモノだと思います」予想はしていたが、あまりにもあっけない決着に、ぼくは口を開けたまま瓶を見つめるしかなかった。そして目を閉じ下を向く。一縷の望みが絶たれたのだ。その刹那、落胆した才介の顔が脳裏をよぎった。

 しばしの沈黙ののち「どこが……ですか?」ぼくは力なく問いかけた。「どこがっていうと……」先生は顔を上げやや考えたあと「分析するのは難しいですね。言葉であらわすなら、違和感を覚える、とでもいうのでしょうか」

 C先生の言わんとすることは、なんとなくわかった。古美術の真贋の判断は、感覚的な部分に因るところが大きい。三代目も授業中そんな言い方をよくしていた。専門家が持つ第一印象が、すべてを物語るのだ。ぼくもこの元染に対し、なんとなく良いように思え、またなんとなく違うように思えていたので、その違和感という表現の意味を素直に感じとることができた。

 C先生がぼくを見据えた。「ただ、ひとつ言えることは、これは、かなり水準の高いニセモノだということです。誰しも、迷うでしょう」先生は再び瓶を手にすると、「胎土(たいど)の色、染付のコバルトの発色、めちゃくちゃよくできています。ただ、ちょっと手取りが重いかなあ」先生は両手で包むようにして底部をやや持ち上げながら、確認するように言った。

 ぼくは、首が折れていることを思い出し尋ねた。C先生は二三度首肯したあと、「そうなんです。元染の玉壺春は、たいてい首に損傷があるものです。これに関してはぼくの所見ですが――。元から明へ時代がかわったとき、明の最初の皇帝である洪武(こうぶ)帝が、それまで虐げられていた漢民族の思いを込めて、モンゴル王朝を象徴するこの玉壺春の首の部分を撥(は)ねたのではないかと考えているのです。首切りですね。だから、だいたい首が折れてたりする」「――これも、折れてます」それを聞きC先生は「はい」と小さくうなずくと、「これは、巧妙なニセモノですね。キズがあると値打ちは下がるが、この場合、より本物に近づけるため、あえてキズをつけた。だから、かなり高度な贋物集団の産物といえると思います」

 要するに、首にキズがあることも、“罠” だったのだ。

 C先生は横に置いてある古箱を一瞥した。「これも、古い茶道具の花入の合わせ箱でしょう。貼り紙は、古色を付けてつくられています」先生は、いかにも時代を経て退色したようにみせている箱書きの貼り紙と墨書をみつめ、「最近は、印刷技術の精度が高まったので、時代の経た図録や箱書きの貼り紙など、極めてよくできたものを見かけます。こうしたものはまだ日本には入ってきていませんが、台湾とか中国とかでは、かなりの数出回っていますよ」そう言ったあと、つけ加えるように「それと、『元染付』という呼び名は、日本の伝来品にはなかったと思います。戦後になってからじゃないかなあ」やはり、そうか――。三代目も同じようなことを言っていた。

 

 C先生の話しを聴き終えて、ぼくは自分の未熟さを改めて痛感していた。ハイレベルの贋物とはいえ、それを微塵も感じ取れず、時代があるのではないかという感覚を最後まで払拭できなかったこと。「来歴」というキーワードに振り回され、肝心のモノ自体に対しての着眼を軽んじていたこと。

 真贋の問題というのは、言うに及ばず生易しいものではない。ある意味果てしないものだ。まだまだ駆け出しの分際にとっては、どう転んでも太刀打ちできないことくらい百も承知だ。ただ、しかし、それでも、己(おのれ)が情けないように思えてならなかったのである。

 

 ぼくは嘆息し、そして思案した。実は今日、C先生に見てもらおうと思って、もう一つモノを持参しているのだ。あの市場(いちば)で買った唐三彩碗である。ぼくはちらりとリュックに目を向けたが、それに手を伸ばす気力が湧いてこなくなってしまった。

 「ああ、これですね。はいはい、中国でよくみかけます」なんていう、あっさりとした判定が下されるような気がして。また、「まったくわかりやすいニセモノ」という飾り気のないストレートな返答がかえってきそうな気がして。いとも簡単に打ちのめされてしまうであろうことを考えると気が鬱し、ぼくはじっと口を閉ざしうつむいていた。そんなぼくの様子を見て、元染のショックからかと思ったのか、「このクラスの贋物となると、ぼくらでも迷うことが多いですよ。モノを見ていない学者は、たいてい間違うでしょうね」と慰めの言葉をかけた。「はい」とぼくが答えると、「では、展覧会をご覧ください。ご案内します」と席を立った。

 そして、部屋の扉の前でいったん立ち止まると振り返り「しかし、Kさんの仕事は、怖いですね」と、学者は一言そう漏らした。

 

 展覧会場は二つの部屋にまたがっていた。それぞれ百坪ほどの広大なスペース。壁際の陳列ケースは四方にわたり、中央には四~五台の独立ケースが置かれ、そこに百点を超える、大小さまざまな作品がずらりと展示されている。広さとともに天井の高さもあってか、昨秋観た東京の美術館とはまた違った壮観さが感じられた。

 「うわあ、広いですねえ」ぼくは入口で首を伸ばすように眺めつつ、感嘆の声をあげた。「今回は、けっこう大きな作品が多かったので、この広さが活きました」先生は満悦の表情で、一点一点に目を置くようにして、首を大きく左右に動かした。

 ぼくは最初から順繰りと観て歩いた。「水榭(すいしゃ)」という池中に建つ望楼と楼閣は、三層もしくは四層からなり、高さが一メートルを超える巨大な作品が何点もあった。それが、充分な間隔を持って並べられているので、ゆったりとした気分をもって観ることができる。

 ――「いいでしょうねえ。あそこは広いから」あのときの総長のコメントを思い出し、ぼくは何度も肯いていた。

 「今回は、総長のコレクションがだいぶ入ってますね?」次々と目に入る作品を観ながら、「ああ、これも」とぼくは指さす。「はい。総長のコレクションがないと、この展覧会は実現されなかったでしょう。総長さまさまです」先生は笑った。「総長のコレクションは全部見たんですか?」

 そう言ったとき、贋作堂から買ったという二体の黒陶俑が頭に浮かんだ――。ぼくがそれを「模造品です」と伝えると、総長は「写しモノでもいいと思ってるんです」と答えたのだ。

 「だいたい見ました」C先生は口元を緩めると、「正直ニセモノもいくつもありましたが……」先生は中央の大きな独立ケースに向かい歩を進めた。

 「この企画を総長に相談しに行ったとき、実は、レプリカも出してくださいと言われたんです。テーマは、中国古代の人びとの暮らしだから、それを想起させるレプリカだっていいんじゃないかって提案されたんですが……。でも、美術館での展覧会ですので、やはり、レプリカは並べられません。観に来られるひとを混乱させるわけにはいきませんので。そう言ってお断りしたら、総長は、あのいつもの柔和な笑みで『はい』と了解してくれました」

 C先生はケースの前で足を止めた。「だから、名品だけ、選ばせていただきました」と、飾られている四合院に手のひらを向けた。

 明時代につくられた、当時の富裕層の住まいが実にリアルに再現されている、世界に類例のない建築明器。総長の展示室に入ったすぐ左手に飾られていたご自慢の一つである。素焼きした表面に付着している発掘時の泥土が、この作品の持つ風情を演出しているようだ。総長の展示室でも異彩を放っていたが、この大空間に置かれると、よりいっそう輝きが増しているように感じられた。「やっぱり、名品ですね」その姿を目の当たりにし、ぼくはにっこりと微笑み、深くうなずいた。

 ぼくらは独立ケースをぐるりと回りながら、しばしこのミニチュア家屋を鑑賞した。すると、C先生が尋ねてきた。「総長が、ご自身のコレクションを、何と表現しているか知ってますか?」そんな話は聞いたことがなかった。「知りません」ぼくがそう答えると、先生は目元に優しさを滲ませて、穏やかに語り始めた。

 

 「好(よ)かれ悪(あ)しかれ、私の現(あらわ)れ」「?」「好かれ悪しかれ、私の現れ」先生はなぞるように繰り返した。

 「好いモノも、悪いモノも、つまり、名品も贋物もひっくるめて全部、自分のコレクションであり、そしてそれらは、すなわち自分自身をあらわしているんだ、というふうに解釈しました。わたしは、仕事上いろんなコレクターと出会ってきましたが、こんな心境になれるひとは、滅多にいないんじゃないかなあ。ニセモノにも、愛情を注げるひとなんて。まるで仏様のような方ですよ。だから、ぼくは、総長のファンになったんです。そして、このコレクションを軸とした展覧会を、是が非でも開きたいと思ったんです」

 

 ぼくはじっと四合院を見つめながら、地下の展示室で初めてこの大作を目にした日のことを思い出していた――。

 あのときぼくは、米色青磁の贋物を買ってしまったことに頭を痛め、あれこれと思い悩んでいた。40万で買ったものを処分したら10万になり、しかもそれを贋作堂が買ったことを知らされて。ぼくの胸はくさくさしていたのだ。

 そんななか、総長は黒陶俑のニセモノを「それはそれでいい」と言って微笑み、この家屋の斜め上から注がれる照明の光に対し「これは、朝陽でしょうか? 夕陽でしょうか?」と純朴な眼でぼくに問いかけたのだ。虚を突かれたぼくが「夕陽でしょうか」と答えると、なんともいえない笑みをたたえて、「ぼくは、朝陽だと思うなあ……」と感慨深げに言ったのだった。

 その慈愛に満ちた表情を見たとき、ぼくは、塞いでいた気持ちがふっと和らいだように思え、贋物とか本物とか、そんなことはもはやどうでもいいという気分になったのを覚えている。

 圧倒的で、超越的で、永遠的で、神秘的で――、どう形容したらよいかはっきりわからないが、何か大いなる優しさのようなものに包み込まれた気持ちになったのだ。今、元染の贋物に対して抱いている不条理な感情も、この展示品から繰り出される総長の仏様のような顔を前にすると、なんだか救われたような気がしてきて、ぼくはいつの間にかにっこりと微笑んでしまっていた。

 だから、ぼくはC先生に面と向かって宣言したのである。

 ――「ぼくも、大ファンです!」と。

 

 壁面ケースに並んでいる「猪圏(ちょけん)」と呼ぶ厠(かわや)付き豚舎(とんしゃ)を前にして、ぼくはまたにっこりとした。今日はこれで何度目だろう。

 目の前にあるのは、後漢(ごかん)時代(1~2世紀)につくられた豚小屋を再現した素焼きの副葬品。塀で囲まれたなかには雌雄の豚がいて、階段を上った小屋の隅には屋根付きの厠が二カ所あり、人間の排泄物がそのまま豚の飼料となっている往時の生活をリアルにあらわしている。母豚が横たわり三匹の子豚に乳を与えているさまは、なんとも微笑ましい。これも総長のコレクション。漢代らしいほのぼのとした気分が満載の、いかにも総長好みといった一品である。

 そして、次の作品に目を転じ思わず瞠(みは)り、息を呑んだ。あの漢代の蝉炉が入ってきたからである。しかも、見事にライトアップされ燦然と輝いている。

 「めっちゃ、名品に見えます!」驚愕ともいえるぼくの声に対し、C先生は当然だという顔をして、「名品ですから」とさらりと応えた。

 ぼくはしばらくの間、腕を組んでじっくりと、この緑褐釉に覆われた古代の遺物を眺めた。それは、一瞬違うモノかと思うほど、ある種のオーラを発していた。Lioの店でみつけたときは、ただ面白いモノだくらいにしか思わなかったが、こうして見ると、細部の造作や釉の調子など優れた作行きを呈しており、他の展示品と比べてもまったく遜色がない。要するに、美術品たる風格を有しているのだ。そう思うと、なんだか自分で自分を褒めたくなってしまい、またまたにっこり、顔を崩していた。そうした流れもあったのだろう、ぼくは思わず口からつい言葉が出てしまっていたのである。

 ――「すみません。実は、もう一つ、見ていただきたいモノがありまして」C先生の返事を聞く前に、ぼくは懐に抱えているリュックに手をかけていた。

 

 展覧会を見終わったあと、ぼくは再び先ほどの小部屋へと通された。「すみません。先ほどお見せすればよかったんですが、うっかりしてて」ぼくは、つい失念していたかのような言い方をして、リュックのなかからプチプチにくるまれた小物を取り出した。バリバリっという、留めていたテープの剥がれる音が室内に響く。それが終わると、なかから白い薄紙に包まれたモノが現れた。

 ここまで来たらもう俎板(まないた)の上の鯉だという心境で、薄紙を解くと三彩碗を先生の目の前に差し出した。目の前に差し出したのは、せめて手に取ってほしいというささやかな願望が横たわっていたからだろう。ぼくは首を縮めて覗き見る。先生は碗に目を落としたあと、右手で縁を持ち左手を底部にあて持ち上げた。先ずはほっと一息。そしてそのまま注視。先生は碗を顔の方へ近づけたところで、すぐに片手で眼鏡をはずし、無造作に横に置いた。そして仕切り直すように両手で持ち直すと、裏を返して外側の面をなめるように目を動かした。眉間に皺が寄る。その時間は思いのほか長かった。このニセモノについての説明を、どう言えばわかりやすく伝わるだろうかと思案しているのかもしれない。たぶん、そんなところだろう。

 ぼくが勝手に推測していると、果たして、C先生は厳しい目つきを向けてきた。「Kさん、これは……」睨むようなその眼差しがすべてを語っているように感じ、ぼくは慌てて「すみません」と、引っ込めようと碗に手を伸ばした。先生は碗を持ったまま、ぼくの手から遠ざかるように上半身を引くと眉根を寄せ、そして訊いた。

 「これは、いくらですか?」「えっ!?」「これは……、売り物ですよね?」「ああ……は、はい……」「お値段を訊かせてください」「……?」

 いったい何が起きているのだろう。あまりにも予測不能の展開に、ぼくは生気を抜かれたかのように、あんぐりと口を開けたまま呆然としていた。

 「えっ?何ですか?」ようやく意識を取り戻すとC先生に黒目を据えた。先生は少し居住まいを正すかのように座り直すと、両手で碗を包み込むように持ちながら、「ですから、お値段を訊いているのです」

 「お値段」の問いかけに対し、脳内が正常に働いていないぼくは、思わず素っ頓狂な声で、「こ、こ、これは、と、唐、ですか?!」と逆に訊き返していた。言った先から後悔したが、これがこのときの偽りのない心境から出たぼくの「答え」だったのだ。

 ――仕方がない。まったくとは言わないまでも、おおかた贋物だろうとふんでいたからである。

 C先生はニヤリと笑い、「はい。間違いなく、唐です。唐でも、この手は初唐、7世紀でしょう。縄生(なお)廃寺(はいじ)出土のモノと同范(どうはん)じゃないかなあ……。たぶん、そうだ!  うん!」先生は目に力を込めて首肯し、熱い視線を投げかけた。

 

 ――あとから先生に訊いたところをまとめると、縄生廃寺とは、三重県にある9世紀中頃以降に廃絶した寺で、その塔跡の発掘調査が1986年に行われたときに、この手の三彩碗が、ガラス製の舎利容器をおさめた滑石製の外容器の上に伏せられた状態で発見されたとのこと。これは当時、世紀の発見という声が出るほど、中国陶磁研究者の間で耳目を集めたようだ。この寺院遺跡は7世紀後半と考えられていることから、日本出土の唐三彩のなかでは最も古い例と位置づけられ、重要文化財に指定されたのである。

 唐三彩は、遣唐使や留学僧たちによって、すでに奈良時代にもたらされたことは判明しており、奈良県の大安寺講堂跡からは大量の陶片が出土している。こうした出土遺跡は全国で五十箇所にものぼるとされているが、縄生廃寺もその一つ。しかも、年代が推定できる貴重な事例ということなのだ。

 

 ぼくの持参した碗の外側は、型押し成形により、鱗状の点々が入った半円形の蓮弁のような文様が幾重にも施されている。そして、縄生廃寺で発見された碗も同様の文様が外側にあらわされていて、これが同じ鋳型からつくられたものではないか、つまり同范ではないか、というのがC先生の見解であった。

 先生は碗を手に取り、「これは内部が三色で外側面は褐釉一色ですが、縄生廃寺の方は全体が三色で、寸法も文様も一緒です。類品が、イギリスに一点あったと思いますが、他に見たことがない」と早口で述べると、再び「お値段は?」と熱視線を投げかける。

 縄生廃寺出土の碗と同范の作例といわれても、何のことやらでピンとこなかったが、C先生の興奮ぶりから余程のモノなのだろう。

 ぼくとしては、これが真物(ほんもの)と断定されたことで目的は完遂し、胸中で万歳三唱をしながら帰途に着くつもりでいたのだが、もはやそういう状況ではなく、その次のステージともいえる「値段」を告げなければ事態の収拾がつかなくなっていることを、ぼくは、ようやく正常に働き出した脳内運動により察知することはできた。

 しかし、あまりにも突飛な展開に困惑するばかりであり。どうしよう。「値段」に関しては、まったく圏外にあったわけで――。

 いまだ焦点の定まらないぼくの目を見て、C先生はぐっと身を乗り出し内緒話でもするかのように、

 「たとえば、Kさん。これは、単なる提案です」先生は軽く唇を湿らしてから、

「もう年度末ですので、今年度の購入はすでに終了していますが、実は、ある団体から寄付金がおりてまして。できたらそれを今年度、つまり今月中に使い切りたいと思ってるんです」「はあ……」

「そうすれば、来年度も同じ額の寄付金がおりるのではないかと思っていて」「はあ……」

「といっても現状、ほぼ使っているんですが」「はあ……」

「残りが今、300万円ありまして」

 先生はぼくを直視し「あくまでも、こちら側の提案ですが――」と話しを結んだ。

 まるで作り話を語られているような気分のまま、ぼくはC先生の顔を見つめ何度も瞬きをした。先生はいつの間にか胸で手を合わせ、目を閉じている。いやいや、ぼくは総長ではない。が、無論この申し出を拒む理由などどこにもなく、むしろ光栄の極みであって。ただその実感がいっこうに芽生えぬままではあったが、そんなことはあとからでもいいわけで。なので、ぼくは取り急ぎ頭を下げることにした。快く、深々と――。

 「はい。お任せします」C先生は目を見開き両拳で机を叩くと、「よしっ! これで論文書けるぞ」と立ち上がり、「ちょっと、待っててください。今、申請書持って来ますから!」流れる速度にまったく乗れていないぼくをよそに、学者は勢いよく部屋を出て行った。

 

 

 東京下町の商店街を抜け、ぼくは才介のアパートの前に立ち、玄関のチャイムボタンに指を置いた。その瞬間、元染が贋物とわかった一昨日のことがフラッシュバックした。

 オークション会社からの連絡と、ぼくからの情報がほぼ同時に重なり、才介の暗く沈んだ声を聞いたぼくは、矢も楯もたまらず駆けつけ、沈痛な思いを胸にこのボタンを押したのだった。なかに入ると、案の定才介は死んだように床に寝そべっており、その向こうの小さなテーブルの上には、強い西日を受け黒光りした塗りの時代箱が、ぽつんと置かれていた。それからお互い無言のまま、その箱にずいぶんと長い間、ぼんやり目を置いた。やがて、才介はひとつため息を吐くと、つぶやくように言ったのだった。

 「おかしなもんだな……ただ同然で買ったモノが900万で売れたかと思ったら、今度は900万でニセモノ買っちゃうんだから……笑っちゃうよな……」

 

 チャイムの音が聞こえるやすぐに扉が開けられた。ドアノブに手をかけたまま、才介がじっとぼくを見つめている。昨日とは違う目の光を見て、ぼくはすぐに言葉を出すことができず、ごくりと唾を飲み込んだ。今ぼくが手にしている染付瓶に対する専門家の答えに、ぼくと同様かすかな希望を託していたのだろう。

 今朝ぼくが学者にみてもらおうと提案したときは、「やめとけよ。どうせ、答えは一緒だ」と、うっちゃったような返答をしていたのだが、向けられているこの目は、その答えを心待ちにしていたそれであった。微妙に揺れ動く才介の瞳を見つめ、ぼくは小さいながらもしっかりとした口調で結果を報告した。

 「ニセモノだったよ」数秒ののち、「はあー」と言う思いのほか大きなため息が玄関先を覆い、「やっぱりなぁ……」才介は、語尾を終える前にその場にしゃがみ込んでいた。ぼくは、最終判決を受け、悄然と落としたその肩を二三度叩くと、「でも、悪い話ばかりじゃないんだ」と言って足早に部屋のなかに入った。

 

 ぼくは部屋の隅に風呂敷包みを置くと、電源の入っていないコタツのなかに足を入れた。才介もゆっくりと腰を落とす。

 「聞いてくれよ。実は、えらいことが起きてさ! びっくりするぞ」弾んだぼくの言葉に、虚ろな目がやや反応する。「先生に見てもらったら、この間の唐三彩、本物だったよ!」「そうかあ。よかったな」才介の反応はまだ鈍い。「それだけじゃないんだ。美術館で購入することになったんだよ!」「ほお、あれが……」「うん! 300万で!」その数字を聞いて、ようやく才介の眼に色がさした。「300万!?」「そうだよ。すごいだろ!」「へえー、あれが、300万か」さして興奮した様子もなく才介は応える。「そうだよ。しかも、すぐに支払えるって」「そりゃあ、よかったな、K」「うん。だから、半分の150万、来月にでも渡せるよ!」「へっ?」才介はきょとんとしてぼくを見つめた。ぼくは眼を輝かせ「すごいだろ?」と顔を上気させる。

 それを見てようやく正気に戻った才介は、手のひらを何度も振って、「いやいや、あれは、おまえが買ったんだろ? おれは関係ないよ」「何言ってんだよ。乗りで買ったじゃないか。10万までだったらって、あのとき」「……」「10万までなら半分出すよって言ったじゃないか」「……乗りったって……、おれはまだ払ってないし……」才介は小さく首を左右に動かし、「あれは、おれはあまり気乗りがしなくて……。おまえが買ったんだから……おまえのもんだよ。おれは、いいよ」それを聞きぼくは、バンっと、思いっきりコタツのテーブルを叩いた。「乗りだよ!」「えっ?」びくついたような才介の目を見据えて、ぼくは力を込めた。

 「乗りだって約束しただろ! だから、半分は、おまえのものだ!」

 

 才介は、口を一文字に結んだまま瞬きもせず、ぼくの顔を見つめていたが、やがて大きくうなだれると目を閉じ、「そりゃあ、ありがてえ……」とささやくように言った。そしてもう一度かみしめるように「ありがてえや……」と言うと肩を震わせた。「うっ、うっ」という声とともに、肩の振動が大きくなっていく。才介はいっそう深く首を折り曲げると嗚咽を繰り返した。そのむせび声は次第に大きくなり、室内に重く響きわたっていった。

 才介は、両手で膝頭をつかんだまま、涙を拭うこともせず、誰憚ることなく、おいおいと泣いたのだった。くしゃくしゃになった顔からは涙が次々と押し出され、否応なく流れていく鼻水が、氷柱(つらら)のように垂れ下がっている。ぼくはただ、無様にも見えるその姿を、やるせない思いでじっと見つめるしかなかった。

 そのとき、落下した涙の一筋がキラリと光った。その一瞬の輝きは、決してみじめによどんだものではなく、むしろ清らかに澄んだ尊いもののように思え、ぼくの心を激しく揺さぶった。すると、烈烈たる憤りが自分の身体の奥底から、物凄い勢いで湧き上がってきた。

 

 ブンさんは、騙された方が負けだと言ったが、やっぱり騙した奴が断然悪い!

 ぼくはもう一度、思い切りテーブルを叩いた。「バンっ!」という先ほどよりはるかに大きい音が小さな部屋に鳴り響いた。しかしそれは、室内に若干の共鳴をもたらせただけで、すぐに才介の泣き声にかき消されてしまった。

 このとき上半身を起こしたぼくの目に、部屋の隅の方にある段ボールの箱が入った。そのなかには、才介が先日香港で買い入れた小物がいくつか散らばるようにして置かれてあった。香港で仕入れた品の大半は、すでに交換会などで処分していたので、残りの何点かであろう。落ちかけている日の薄暗さもあり、それらがなんだかひどく寂しげに映った。

 ぼくは小さなため息を漏らすとゆっくりと立ち上がり、部屋のあかりをつけた。

 

(第37話につづく 5月12日更新予定です)

灰陶猪圏(ちょけん) 後漢時代(1-2世紀)

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骨董商Kの放浪(35)

 宋丸さんは自分の手帳を取り出すとテーブルの上に置き、Reiに渡されたメモ用紙に書き込みを始めた。「ほら」と渡された紙には、なにやら電話番号が書かれている。

  「こちらに電話したらよいのですか?」「ああ。それが会社の秘書室の番号だ。宋丸の紹介といえば、すぐに室長に取り次いでくれる。それで日程を調整してもらって、行って来いよ」「ここの会社の社長さんですか?」「今は、会長職になってるんだろう。とにかく、その方に会ってご覧に入れたら喜ぶだろう」そう言って宋丸さんはカカカと笑ったが、まったく先の読めない話に、ぼくは口を半分開けたまま「はあ」とうなずくしかなかった。

 

 先週は気温が20度近くになった日があったため薄着でやってきたのだが、本日の最高気温はなんと9度。三寒四温の陽気に入った三月初旬、ぼくと才介は身を縮めながら、ブンさんに紹介された元社長の広壮な庭のなかを、荷を担いで往来していた。かさばるモノを運びながらの移動はけっこうな運動量で、冷えていた身体はだんだんと温まっていき、最後の方は額の汗を何度も拭っていた。ここに来るのは今日で三度目。そして、本日で終了。

 「よしっ。これで最後だな」二つの風呂敷包みを隙間に押し込んだのち、才介がぼくの方をみて確認。バンのなかはいっぱいだ。「うん、たぶん。でも、最後にもう一度チェックしよう」そう言って後ろの扉を勢いよく閉めると、先ほどから側に座っていたドーベルマンが身を翻し、雄たけびをあげながら母屋の方へ走っていった。主(あるじ)に仕事の終了を告げにいったのだろう。「ああ、おっかねえ」才介はその声に顔をしかめると、ぼくとともに物置となっている二階建ての一軒家に向かって歩き出した。

 元運転手一家の住宅であった建物のなかは、すっかりと片づけられがらんとしていた。残りモノはないかと最終確認をしているところへ、ご主人が片手を上げながらにこやかな顔で現れた。

 「いやいやいや、おふたりとも、お疲れさん!」部屋着の上にダウンコート姿の禿頭の老人は、内部をざっと見回すと、「ああ、これですっきりしたわ。ご苦労さんでした」と、ドーベルマンを従えてぼくらに近寄り、それぞれに寸志袋を手渡した。「ありがとうございます」ぼくらがありがたく受け取ろうとしたその瞬間、横に控えていた黒犬が「ワン、ワーン!」と一声吠えた。主人にならい御礼を言っているのかもしれないが、このタイミングで吠えられると、非常にもらいづらい。

 玄関右の部屋とリビングらしき中央の広間はきれいさっぱりと片づけられていたが、左奥の小部屋には、50センチ四方の大きな木箱が六つ重ねるようにして置いてあった。――例の、贋作堂につかまされた、元染大皿の一群である。元染皿には、3000万円の領収証が付いていた。その他の箱のなかにも、それに比肩する額の領収証が入っているにちがいない。気恥ずかしさもあるのだろう、どうせ売ったところでたかが知れてるとご主人が言うものだから、ぼくらは手をつけずに放っておいたのである。

 リビングから左奥へ入り、いくつもの似たような白木の大箱を指して、ぼくは最後の確認をした。「ご主人、これらは持ってかなくてもよろしいんですよね?ここに置いといて」老主人ははにかんだような顔をみせ、「処分しちゃってもいいんだけどね。まあ、でも、置いといてよ。いずれゴミにでも出すわ」と軽く笑い、「しかし、寒いねえ今日は」ダウンコートのジッパーを上げながらぼくらの軽装姿をみつめ、「あんたら、若いねえ」と笑みを浮かべた。

 

 ぼくはハンドルを握りながら、才介に訊いた。後ろに積み込まれた荷物が、走行中時々揺れ小さな音を立てている。

 「その後、進展あったか? 元染?」「おう。市(いち)のあとE氏に電話したら、モノを持ってきてくれって言われたので、先週預けてきた」「それで?」「まあ、こないだと一緒よ。その場では判断しないで、香港のエキスパートに問い合わせてみるって」「返事はまだか?」「先週預けたばかりだからな。じきにくるんじゃない」才介は足を組んだまま悠然と答えた。

 「いくらくらいなのかなあ?」ちょうど信号が赤に変わり停車したところで訊いてみる。「評価額は香港ドルで80万から100万と、抑えめにした方が上に伸びるって言ってた」ぼくは即座に計算。「日本円で、1200万から1500万か」「うん。来歴を加味すると、最低そのくらいだろうって」「なるほどね」

 青信号になり車を発進。「E氏の話しによると、うまくすれば、ここんところの感じだと、評価額の下値の倍はいくかもって」「下値の倍?」ということは……。「2400万円!」ハンドルを握る手に力が入る。才介は後ろに手を組んで、「個人的には、3000万くらい売れてほしいんだけどな。今、元染超人気だし。来歴めっちゃ良いし」それを聞いて、ぼくは先日の宋丸さんとの会話を思い出した。「そういえば、宋丸さんが、元染の伝来品は見たことないって。あのひとがそう言うんだから、よっぽどないんだろう。そうしたら、国でも買うんじゃないか?」「そうかもしれんが、国の予算は限りがあるし、すぐにってわけにはいかないし。今は、中国モノは、なんといっても海外オークションが一番高い。おれはとにかく高く売りたいんだ」国公立の博物館でも貴重な作品は購入するが、手続等時間がかかるのが実状。オークションで売れば、1カ月ほどで代金は入る。お金に変えるには手っ取り早いことは確かだ。

 「売れたら、その資金で店を持とうかと思ってるんだ」ひと月前も才介はそんな話をしていた。あのときもこんなシチュエーションだった。渋滞で車が止まるとぼくは才介の顔を覗いた。その目が輝いているのをみて、なんだかぼくも嬉しくなった。

 「実は、ブンさんの友人で京橋に店を構えてるひとがいて。今ビルの2階に出しているんだけど、その1階の広い場所が空くらしくて、そこに移るらしい。なので、4坪ほどの小さい店だけど、その2階を借りようかと思っていて。ブンさんにはそれとなく伝えてあるんだ」それを聞いて、さらにぼくは嬉しくなった。「京橋かあ。最高じゃん」――東京近郊の骨董屋にとって、日本橋、京橋、南青山あたりに店を構えるということは、なんといってもステイタスなのである。憧れなのだ。

 才介の現実的な話しを受けて、ぼくもちょっと考えてみた。自分自身の店について……………。しかし、まったくイメージがわかず。「おい、前、動いたぞ」才介の声でわれに返り、ぼくは慌ててアクセルを踏んだ。

 「ところで、香港はいつのセール?」「今度は5月末らしい。だから今からだと、充分に時間があるからいろいろ作戦練れるって。E氏が」――たしかに。まだ3カ月くらい先のことだ。準備期間としては申し分ない。効果的な宣伝をしかければ、よりいっそう高く売れるかもしれない。そこはオークションハウスのビジネス次第だ。

 才介は頬を緩めると、「そして、再び、5月は、香・港・だ!」リズムをつけながら高らかに言った。「香港かぁ」そう思ったとき、ママとマダムの顔が浮かんだ。そのときまでに、マダムの件は進捗しているだろうか。才介も同じことを考えていたようで、「それまでにマダムの件、うまく解決してるといいけどな」「うん!」「またあの上海料理食べたいな」「うん!」「それと、Lioちゃんにまた会いたいな」「うん!」と、ぼくは笑顔で返答を繰り返した。

 

 美術俱楽部の前にはブンさんが待っていて、そのまま一緒に荷を台車に載せて会場へと運ぶ。空いている飾り場所に並べ終えると、ブンさんは自販機で買った缶コーヒーをぼくらに渡し、側に置いてあるパイプ椅子に腰かけた。

 「これで最後だろ。ご苦労さん」と先ずはねぎいの言葉。「がらくたばかりだけど、全部整理するのが目的だったから、社長も喜んでるだろう」「そんな感じでした。最後に心付けまでもらっちゃって」と才介は、寸志袋をチラリとみせた。ブンさんは笑顔で、もらっておけという風に手のひらを向ける。ぼくは「でも、何点かは、そのまま残してあって」と言ったところで、しまったと口に手をあてた。あの贋物は、恥ずかしいからブンさんには内緒だといっていたことをすっかり忘れていたのだ。しかしブンさんは知っていたようで、

 「あれか。玩博堂につかまされた大皿か」「はあ。最後はゴミにでも出すかって言ってましたが……」「あの社長が金持ちで鷹揚だからそれで済んでるが、普通なら裁判沙汰だぞ」とブンさんの目つきが突然厳しくなった。

 ブンさんはコーヒーを一気に飲み干すと、話題を変えるように「それにしても、元染、良かったな」と才介に微笑んだ。「いやあ、相手が降りなくって。何とか買えましたが。すみません、なるたけ早くに返しますので」――才介は自分の予算の超過分100万ほどを、ブンさんからいったん借りているのだ。

 「そんなことは、気にするな。売れてからでいいから」才介が再びすみませんと頭を掻くと、「中国人とやり合ったのか?」と訊いた。「いや、それが、贋作堂なんですよ」「えっ、あいつがか!」ブンさんは少し驚いたように、「へええ、普段は安いモノしか買わないやつがね……ふうん。よっぽど儲かるとふんだんだろう」と、またきつい目をみせた。「向こうも、いっぱい、いっぱいってとこでしたけどね」ぼくが競りの様子を振り返って言うと、「まあ、あの野郎を負かしたんだから、そりゃあ、爽快だ。はっ、は!」最後は声をあげて笑った。

 

 翌日の午後、ブンさんの荷が売り終わり、ぼくが美術俱楽部を出たときのことであった。前を歩いている三代目の姿が目に入ったので、近づいて挨拶をする。

 「お久しぶりです」「やあ、K君」いつもの笑顔が応える。「美術俱楽部にも、なかなか良い荷物も出なくなったなあ」歩きながら「とはいえ、オークションで買うと高いし」と、若き経営者は苦笑いをした。「何か最近、良いモノ買った?」その問いに、「実は、半月ほど前に、元染の玉壺春を才介が手に入れまして」すると三代目が「えっ!」と驚きぼくをみつめた。「どこで?」「別府の現金市です」二三度瞬きをしたのち「ああ、あそこかあ。最近うぶ口出るって評判だからなあ」三代目はその情報を知らなかったのが少々残念というような顔をして、「出たの? 元染?」「はい」「来歴あるの?」即座に訊く。「はい。戦前の売立図録に出ていて」「売立図録?」「はい。昭和9年の加州中山家の売立です」「そんなのあるんだ、元染で。売立図録に出てたモノが」「はい。カラー図版で載っていました」

 それを聞くなり、三代目は急に立ち止まって、ぼくの顔に目を落とした。「カラー図版?」「原色刷りっていうやつですか」「へえぇ……」三代目は少し頭をめぐらせてから、「でも、原色写真となると……売立図録のうちのわずかだけだよね?」と覗き込むように訊いてきた。「はい。350点中の10点ほどでした」「その一つが元染?」「そうです。元染なので、当時から目玉だったんでしょう。花入って名称になってました。古くに伝来したんじゃないでしょうか」ぼくは売立図録の豪勢な仕立てを思い出しながら、やや自慢げに答えた。三代目は顎に手をあて考えたあと、「その正式な名称って、わかる?」ぼくはその場で手帳を広げ、「『元染付花面取花入』です」「それが、図録に出ていた名称?」「はい。これでした」それを聞き、三代目が目を細め解せない顔をした。

 「えっ、何か、変ですか?」三代目は顎に手をあてたまま、「いや、ちょっと気になって」「何がです?」「元染付って言い方なんだけど、戦後になってから使われたんじゃないかなあと思って……その売立はいつ?」「昭和9年です」「昭和9年でしょ。その時点で元染という言い方したかなあ……」「じゃあ、どんな言い方だったんですか?」三代目は上目で考えながら、「例が浮かばないのではっきりわからないけど、たとえば、『南京染付(なんきんそめつけ)』みたいな……」「……」「それに、元染自体は、戦後になってから注目されたやきものだから、戦前期は、あったとしてもあまり知られてなかったと思うんだ」三代目は首をひねりながら、「だから、原色版になんかするかなあ」ぼくの目は三代目に注がれる。「モノクロ写真だったら、わかるんだけど……」ぼくはその頁を思い浮かべながら「でも原色でしたよ」「そうかあ、ふーん」三代目は腑に落ちないという顔をして、また歩き出した。

 

 そんなことがあったものだから、そのまままっすぐ帰る気になれず、ぼくの足は自然と犬山得二の部屋へ向っていた。売立図録のことが胸にひっかかっていて、それをただちに確認したかったからである。

 犬山は在宅していた。ぼくの顔を見るなり、「売れたか、元染」と笑って立ち上がると、冷蔵庫のなかから缶ビールと手製のポテトサラダを取り出してきた。元染入手に関しては、犬山の一助もあり、その一部始終は報告済みで。目の前に置かれた物に手をつけず、ぼくはさっそく切り出した。

 「実はさ、売立図録なんだけど。『加州中山家』の」「ほお、あれか」犬山はプルタブを開け一口飲むと、いつものように目をしばたかせながら語り始めた。「あれは、かなりの規模の売立だったようだな。なんつったって、昭和9年で総額50万だよ。今の貨幣価値に換算すると、12~13億円くらいだろうな」一瞬開いたぼくの目をみつめて続ける。「そりゃあ、そうだろう。あれだけの名家だ。当時はさぞ盛り上がっただろうよ」「そんなにか」「だから、その元染も、ずいぶんと高く売れたんじゃないか? その図録に値段、書いてなかったのか?」それを聞き「それなんだけどさ」と、ぼくは身を乗り出した。

 「その『加州中山家』の売立図録って、本当にあるんだよな?」犬山の瞬きがとまる。ぼくは三代目の反応で急に不安に駆られ、あらぬことまで考えてしまっていた。

 「どういうこと?」怪訝な顔つきの犬山に、ぼくはまだ焦点が定まっていない質問を繰り返した。「だから、その図録自体、存在するのかってこと」犬山は憮然とした表情で「あたりまえだろ」と言うと、「だって、おまえ、その図録を見たんだろ?」ぼくの顔を指でさす。――その通りだ。たしかにぼくは別府でその図録を目にしている。「うん、見た。見たんだけど……」ぼくの瞳が曇っているのを感じたのか、犬山は鋭い感を働かせた。

 「ははあ、なるほど。その図録自体が、作りものかもしれないと思ってるのか?」経年劣化で色あせていた表紙が目に浮かぶ。どの頁も自然なやつれ具合をしていた。「いや、そんなことはないと思うんだ。ただ、ちょっと気になることがあって……。だから、確かめたいんだ。どこかで手に入らないだろうか? 古本屋とかで」ぼくは犬山を見据え、「おまえの持ってる図録は、古書店から買ったんだろ」犬山は「そうだ」と答えてから、ぼくの思いに同調するように大きくうなずいた。「なるほどね。たしかに、それは確かめたいよな」

 犬山は、目をしばたかせながらくうをみつめ腕を組み、思考モードに入った。そして「しかし、本屋に置いてあるのは限りがあるし……なんたって大正時代とか昭和初期のものだからなあ。たいていは残ってないんじゃないかなあ」こちらに目を向けると、「まあ、少なくとも、おれは見たことがないね」

 ぼくはテーブルに両手をのせると、「手に入らないんだったら、せめて見たいんだ。図書館ならあるよな。知ってるか?」「図書館ねえ……」と、犬山はまた宙に視線を置くと、難しい顔をした。「うーん、かなり特殊な分野だからなあ。……、ないんじゃないかなあ」

 落胆したぼくの顔に目をやると、犬山はまたせわしない瞬きを繰り返し「うーん」とうなる。鼻の上で小刻みに上下する丸眼鏡をみつめながら、ぼくは頭のなかを整理した。「おまえの持ってる本に載っていた記録と、ぼくの見た図録の日付とタイトルが一致しているので、間違いないとは思うんだけどなあ」

 犬山はさっと顔を上げると、膝を一つ叩き勢いよく立ち上がった。「それだ! その本に、たしか書かれてあった。図録の所在場所が――」犬山は踵を返し机の横の本棚に向かうと、それを手にして戻ってきた。

 「いつだったっけ?」頁をめくりながらする犬山の質問に、「昭和9年11月26日 加州中山家展観図録 東京美術俱楽部」と、ぼくはそらで答えた。やがて、犬山の手がとまる。

 「あった!」指をさしてその箇所を読み上げる。「東京美術俱楽部だ」顔を上げぼくをみつめ、「――ここに保管されている」犬山は眼鏡の中央を指で押し上げその位置をただすと、声に力を込めた。

 

 翌日ブンさんに電話して訊いたところ、東京美術俱楽部には図書室があり、そこに大抵の売立図録が揃っていることが判明した。ただし、そこに入れるのは美術俱楽部に入会している美術商に限られるとのこと。であったが、同伴であれば閲覧可能のようで、ぼくはブンさんと一緒に美術俱楽部の図書室に出向いた。

 室内は50平米ほどの大きさ。入ってすぐ右のスペースには、スチール製のテーブルが二つ繋げて置いてあり、正面には、ハンドルによる移動式の本棚が八個連なっていた。その一角が売立図録の書架であり、そこに東京、大阪、京都、名古屋、金沢の、いわゆる五都の美術俱楽部で過去に行われた目録が、ぎっしりと納められていた。

 「東京だったよな」「はい」ブンさんが「東京」と書かれた棚に向かった。「昭和何年だ?」「9年です」ぼくも横に並んで、左右に目を走らせながら、上から順に視線を下ろしていった。

 「昭和9年」と書かれたラベルが目に入った。ぼくの鼓動が急に速まる。「ありました。昭和9年!」ぼくの声に重なるようにブンさんが訊いた。「何日だ?」「11月26日です。加州中山家」ブンさんの太い指が左から右へとゆっくり流れていく。ぼくは目を皿のようにしてそれを追う。指がとまった。

 「これだ!」ブンさんが、3センチほどの厚みのある大形の図録を取り出すや、ぼくは大声をあげた。「これです!」薄茶色の地に、銀、緑、赤の色で彩色された絢爛な装丁が目に入った。上部には家紋入りの亀甲文が左右対称に二つ、下半分には風になびくすすきの群が二段に分けて描かれている。先日別府の会場で見た図録と同じものであった。やはり、あった――

 ぼくはさっそく表紙をめくる。中央に「加州 中山家藏品展觀入札」。題字の大きな文字が鮮やかに目に入る。それを見て、「間違いないです。これです!」ぼくは首を縦に何度も大きく振った。ブンさんは「よしっ」とうなずくと図録を抱え、テーブルの上に置き側の椅子に腰かけた。ぼくも並んで座る。急いで引いた椅子の音が室内に響いた。ぼくは、ブンさんから渡された図録をめくっていく。次々と目に入る写真の感じが、まったく先日見たものと同じであった。

 

 ――図録は存在していた。当然のことだと思ったが、ぼくはほっとした気分で、ぱらぱらと頁を繰(く)っていった。そして、半ばほどで手がとまった。ぼくの目が、砧青磁香炉の原色版写真をとらえたからである。厚紙頁に付いている薄い高級和紙。そこに、「一四七 碪靑磁竹節三足香爐 銘北千鳥」と印刷されている。カラー図版にだけにある特別仕様だ。それを見るやブンさんに顔を向け、「これも、出てました!650万で売れたやつです!」と興奮気味にその写真に指をさす。「これで650か。来歴が良いせいか、やっぱり高いな」とその目が一瞬光る。中国人同士の競り合う光景が、ぼくの脳裏に蘇った。

 そしてぼくは、すぐさま次の頁をめくった。しかし気が急(せ)いたのか、いっぺんに二枚めくってしまったようだ。赤絵の水指の原色写真が目に映った。「あっ、違った」ぼくは慌てて一枚戻す。「ん……?」そこには、先ほどの青磁香炉の写真が。すかさず次をめくった。しかしそこには、再び赤絵の水指のカラー刷り写真が。「えっ?!」そして扉の和紙に目を置き、ぼくは愕然とした。その中央に「一四八 万暦赤絵人物絵水指」と記されていたからである。

 「えええっ‼」ぼくは「一四八……」と言ったきり頭が真っ白になった。「どうした!?」とブンさんの鋭い視線をよそに、ぼくは力任せに前後の頁を何度もめくり続けた。そして、「一四八」の頁を開いたまま、蒼白な顔をブンさんに向けた。

 「元染が……ありません。この頁のはずなのに。別のモノになっていて……」

それを聞くやブンさんは険しい目つきで宙を睨むと、思い切りスチールの机を叩いて立ち上がった。「はめられたか‼」

 

 ブンさんはしばらく呆然と立ちすくんでいたが、やがて、どかっと椅子に腰を落とした。ぼくは、狐につままれたような顔をして、ブンさんをみつめた。ブンさんは眉間にしわを寄せ、ぼくに尋ねた。

 「元染、玩博堂が競ってたって言ってたな?」「はい」「やっぱり……あいつの仕業だ。あの野郎」拳が震えている。「ほかに誰が競ってた?」ぼくは記憶をたどり、「たしか……350万までは声が出ていたと思いますが。そのあとは、贋作堂との一騎打ちで」「中国人は競ってなかったか?」――そうだ。不思議とあのとき、中国人たちは誰一人競りに参加していなかった。そのことを告げると、ブンさんは舌打ちをし、「あいつらも、グルだな」「えっ?」「おそらく、贋物を仕掛けて、上手く買わせようとする悪党に、才介がひっかかったということだ」そういうと再び拳で机を叩いた。

 ぼくはにわかに事態を飲み込めず、「贋物だったんですか? 元染?」「間違いない」「じゃあ、この頁に載っていた写真は?」「おそらく、作りものだ。この頁だけすり替えたんだろう」「えっ! でも、そんな風に見えませんでしたよ」「そりゃあ、偽造のプロがした仕事だ。わけはない」

 ぼくの頭は混乱していた。――あの頁だけが、ニセモノだったのか。そして思いつく。古い箱に入っていたことを。「でも、めちゃ古い箱に入っていましたよ!」「花入の寸法の古箱なんか、いくらでもある」「いや、でも、ちゃんと箱書きの貼り紙がしてありました。古びていて、上の方が少し破れていて……」「そんなものも、やつらにとっちゃあ、朝飯前だ」

 黒漆の塗られた時代箱に貼られた紙は、茶色く褪せはがれかけていた。そこに書かれた墨書も同様に、薄く退色していた。あれも、全部作りものだったのか?――

 そう思うと、ある点が一つの線に繋がっていくような気がした。――なぜ、買っても図録が付かないのか。撮影不可なのか。別府という遠方の、しかも一日限りの競り市(いち)に出たのか。

 この情報がすぐに広まってしまっては、なにかとまずかったからである。稀覯本でも、出品者の意向でも、どちらでもなかったのだ。

 ――贋物をはめ込むための手段だったのである。

 「贋作堂が、競ってたのもですか?」「そうだ。あいつは、自分の出品している贋物を誰かに高く買わそうと、できるだけ高く競ったんだ。結局それに才介が乗っかったわけだ」

 競っている間中、贋作堂がじっとこちらを睨んでいたのを思い出した。それを言うとブンさんは、「あれは、勝負を挑んでいたのではない。おまえらが競るだろう、ぎりぎりのところをあいつは見極めていたんだ」

 850万で一度才介がやめかけたとき、贋作堂はこちらを向いたまま最後に嘲り笑った。その挑発するかのような態度を見て、才介はいきり立ち、思わずもう一声発したのだ。あれは、あいつの仕掛けた罠だったのか……。何ということか。すべてやつの計算通りに、才介はまんまとはまってしまったのだ――

 そのときぼくはふと思った。「じゃあ、あの会主たちも、グルだったんですか?」それに対しブンさんは、「いや」と否定した。「あいつらは、知らなかったはずだ……元染の出品者は、会主とは無関係の、玩博堂の仲間だろうからな」と言ったあと「発句は誰がした?」鋭い目つきで訊いた。ぼくは思い出す。発句はたいがい会主がするものであったが、あのときは、たしか会場から「100万円!」という威勢の良い発句が入ったのだ。それを聞きブンさんは「やっぱりな」とうなずき、「会主の発句があまりにも安いと、みんなが一瞬贋物かと思って、次の声が出ないことがしばしばある。だから、会場から発句を出させたんだろう。そいつも、やつの一味だ」

 

 ブンさんの推測によると、「中山家」の売立図録に出ている「砧青磁香炉」が手に入ったことで、贋作堂が元染の贋物を利用して一芝居うったのだろうとのこと。昨今の元染の高騰と「来歴」の重要性を逆手に取った、極めて巧妙かつ悪質なやり方だと、ブンさんは怒鳴るように言った。

 いわれてみると、すべてのことが符合する。贋作堂が、競っていたにもかかわらず、すべて競り負けていた理由。――あれは、自分の持っている贋物を仲間の出品物のなかに忍び込ませ、自分で競り上げ、相手につかませていたのだ。東京や大阪ではすぐに見破られてしまうので、主要なひとたちの来ない、地方の小さな市場(いちば)を巧みに利用しているのだろう。宋時代の贋物を、ことごとく15万の手前まで競って負けていたのは、買えなかったのではない。自分の商品を極力高く売るための、やつの仕事だったのだ――

 競っている最中の、贋作堂の冷淡な目つきと抑揚のない声が脳裏に蘇り、ぼくに大きな声を出させた。

 「これは、酷いです! ブンさん! あまりにも酷いです!」ぼくは目の前の売立図録を持つと、「これで証拠が揃ったんですから、別府の会主に言って返品を申し出ましょう!」と声を荒げた。それに対しブンさんは、「だめだ」と力なく応えた。「な、なんで、ですか!?」「たぶん、規約に書いてあるだろう。どの会も一緒だ。返品は不可だ。余程のことがない限り」ぼくは目を丸くし、「余程のことじゃ、ないですか!」ブンさんは、詰め寄るぼくをなだめるようにして椅子に座らせた。

 「これは、余程のことではない」「えっ?」「素人が参加しているオークションは別だ。だが、今回はプロ同士の競り市だ。下見の時間が充分に設けられている以上、買った方に責任がある。騙された方が悪い。つまり、才介の負けということだ」「……」ブンさんはぼくの顔をみつめ「そういう世界だ」というと、ぼくの手から図録を取り本棚に向かって歩いていった。

 

 ぼくはやるせない思いを胸に、美術俱楽部をあとにした。数日前は真冬のような寒さだったが、今日は妙に暖かい。ぼくは上着を取ると、怒りと悔しさをにじませた形相で携帯電話を取り出した。そして開ける。「才介」と表示された画面が目に映る。しかし、それをみつめたまま、ぼくはしばし佇んだ。そして小さく息を吐くと携帯をいったん閉じた。何と伝えたらよいだろうか。才介を地獄に堕としてしまう文句を上手く伝えることなど、どうしてできようか。

 ぼくが逡巡していると、電話が鳴った。着信表示に「才介」と出ている。

 ぼくは生唾を呑み込むと、複雑な心境で受信ボタンを押した。「おう、Kか?」才介の声がきこえる。「う、うん……どうした?」返事がない。ぼくが眉根を寄せたそのとき、才介の消え入るような声が耳に入ってきた。「ははは、やっちまったあ……今、E氏から連絡きてさぁ……贋物だったよ。元染……」

 「………そうか」青空を横たわっている一筋の雲が、ぷつりとちぎれるのがぼくの目に映った。

 

(第36話につづく 4月14日更新予定です)

 

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骨董商Kの放浪(34)

 それは久しぶりに聞くReiの声だった。

 ぼくは才介から遠ざかりながら、「どうしたの?」「今、東京ですか?」「いや、実は九州に来ていて」「ごめんなさい。出張中に」「ああ、大丈夫」「じゃあ、手短に話すわ。宋丸さんが話あるみたいで、K君を呼んでくれって。いきなり」「なんだろう?」「まあ、いつも思い出したように突然言うから。ただそれだけで何の話しかはわからなくて」何となくそのときの様子が目に浮かんだ。「わかった。今日中に東京戻るから、また連絡するよ」「ありがとう。お仕事頑張ってくださいね」Reiはそう言って電話を切った。

  ぼくが才介の方へ戻りかけたとき再び電話が鳴った。今度は犬山からであった。「どうだった?」「うん。それほど詳しいことまで書いてないけど、昭和9年11月26日、東京美術倶楽部。間違いないわ」

 犬山によると、加州中山家の売立は都合四回にわたっておこなわれており、その第一回目が昭和9年に東京で、あとの三回は、翌年、翌々年そしてその二年後の昭和13年に、金沢美術倶楽部で開催されたとのこと。質量とも第一回目が図抜けており、売上総額も50万円を超え、昭和恐慌から脱したことを窺わせる賑わいであったようだ。

 「その売立のモノが出ているのか?」説明後に犬山は尋ねた。「うん。中国陶磁」「ほお。どんなモノ?」「元染と砧青磁」「そりゃあ、ごついもんだろう」「まあな」「しかし、元染ってのは珍しい。どういう形だよ?」「玉壺春(ぎょっこしゅん)という花入(はないれ)だ」「へええ、花入かあ」犬山は感心したように言うと、「まあ、充分あり得るな――」と意味ありげに漏らした。

 「どういうこと?」「あの時代は、日本海側の方が豊かで文化度も高かったからな。ひと昔前は裏日本なんて言ってたけど、当時は表日本だ。中国大陸にも近いし。貿易でも、北前船といって日本海側を通るわけだからな」「なるほど」「それに、何といっても加賀百万石だ。前田家は江戸時代初期に、財力に物を言わして当時高級の中国陶磁をわんさか集めたからな。中山家っていったら、そのお膝元だ。優秀な中国陶磁があって当然だ――」

 さすがにこのあたりのことはよく知っている、とぼくは感心した。「ありがとう。助かった」「うまく買えた暁には、拝ませてくれよ」「いや、買うのは、おれじゃないんだ」「そうか。それじゃ、幸運を祈る」「サンキュウ」ぼくは電話を切った。

 犬山とのやりとりを才介に報告すると、「なるほど。そういうことね。よっしゃあ、やったる!」と鼻息を荒くした。どうやら腹を決めたようだ。

 「もう一度下見するか?」それに対し才介は「いや」と二三度首を小さく横に振ると、「こういうときは、あまり何回も見ない方がいい。もうすでにかけひきは始まっているからな」

 ぼくは、才介から離れゆっくりと部屋の入口付近までくると、少しだけ首を伸ばしなかを覗いてみた。依然として元染の周りには人垣ができている。そのなかから、人びとの混在した声が、かすかな抑揚を持って断続的に耳に入ってきた。遠くにいるぼくには、それが、誰かがそのなかで呪文を唱えているかのように、聞こえた。

 

 12時になり弁当が配られると、皆一斉に群がり、そしておのおの、空いている部屋の椅子か地べたに座り食べ始めた。階段の踊り場で食べているひともいる。その間に会主が歩き回りながら、大声でアナウンスを繰り返す。「競りは、午後1時半から開始しまーす!」

 どうやら、元染の下見に時間がかかっていることで、開始時間を30分ほど遅らせたようだ。それを聞くなり才介は、「ちっ」と舌打ちをし、「こちとら、早く始めてほしいんだけどな」――下見時間が長くなるほど、あとから来たひとたちにもチャンスが生まれていく。ぼくはあっという間に食事を済ませると、元染とは別の部屋に入った。先ほど見た唐三彩碗が妙に気になったからである。

 このあたりは皆素通りしていくようで、三彩の前には誰もいない。ぼくはもう一度手に取った。外側の印花という型押しの抜けが良いため、文様がくっきりとシャープにあらわされている。ここが気に入った。おそらく当時の銀製品を写しとったのであろう。金属器のような重厚な気分が、小さいながらもよく表現されている。ニセモノだったら、もっと甘いつくりになるんじゃなかろうか――。また、三色の釉もそれぞれ調和しており、違和感なく感じられた。しかし、唐三彩は人気商品。巧妙なニセモノが山ほどある、ことはよく知っている。現に、香港の骨董街には、その手の類いが「ああ、またか」というほど置いてあった。ただ、そういうモノとは何か違うような気がしてならなかった。これでもぼくは、Saeのところで唐三彩の名品をいくつも見ている。他のやきものならまだしも、唐三彩においては、自分なりに多少の自信は持っているのだ。とはいえ、それは絶対ではない、ということも重々承知していた。

 下見会場の三分の一ほどの狭い一部屋で、才介は腕組みをしたままじっと考え込んでいた。「あのさあ」とぼくが近寄ると、厳しい目つきを向け「何だよ」ぼくはそっと提案してみる。

 「さっきの唐三彩なんだけどさ。乗りで買わないか?」「あれか!?」「そう」才介は眉を吊り上げたまま、「自分で買えばいいだろ」――確かに。その通りではあったが、これは何となくの提案だったのだ。

 「そうなんだけどさ。見ると、結構良さそうに思えるんだ」才介は少し考えてから、「まあ、10万までだったら、半分出すよ。どうせ、何万円かだろ」とそっけない返答。「わかった」ぼくもそれほど真剣ではなかったので、それで了解。10万を超えたときは、20万までなら自分で買うかと、ぼくはその程度に思っていた。

 それからぼくは、最後に元染の部屋に入った。先ほどより数は減っているが、相変わらず人だかりができていた。何人かの中国人が、携帯を片手にその側を行ったり来たりしながら、早口でまくし立てている。中国語なので内容までわからないが、元染に関する件であることは想像に難くない。いくらまでいくのか、向う側にいる買い手と相談でもしているのだろう。

 するとその前を、銀縁眼鏡の小柄な男がすっと通過した。贋作堂だ。何やら元染の荷口の周りをしきりとうろついている。その様子を見て、ぼくは薄気味悪さを覚えたと同時に、ある嫌な予感が脳裏をかすめた。ひょっとしたら、これを競るのかもしれないと。相応の安い値で買えさえすれば、必ずや儲かる品物である。中国陶磁を扱っている業者なら、誰しも考えることだろう。

 一定の距離を保ちながらゆっくりと周回している贋作堂の姿が、いったい誰が来るのかを、冷徹に推察しているようにもみえる。ぼくはそれを確かめる気もあり、わざと元染に近づいてみた。すると、贋作堂がチラッとこちらに目を向けた。――やはり。ぼくは、モノには行かず売立図録を手につかんだ。経年により劣化している表紙を開き、もう一度元染の頁をあけた。「一四八 元染付花面取花入」と書かれた和紙をぺらりとめくり、玉壺春の原色写真にそっと目を落とす。

 程なくして目を上げると、贋作堂の姿はぼくの視界から消えていたが、何となく観察されているような気が……。

 「すみません」という横からの声で、ぼくはわれに返った。見ると、瓶を手にした若者が図録を見ようと首を伸ばしていた。「どうぞ」ぼくは開いた頁を彼に向けてあげた。そのとき、後ろから「はい!これで、下見は終了でーす!」

 先ほどの、会主の一人であろう背の高い長髪の男が大きく手を開き、「これから会場作りをしますので、すみませんが、いったん出てくださーい!」すると、何人かの会主がすばやく、中央に飾られている元染や他の出品物を片づけ始めた。どうやら、ここが競り場になるようだ。ぼくらは否応なく部屋から出された。このとき目の前を、贋作堂が音を立てずに歩いていた。

 

 午後1時半となり、ようやく競りが始まった。正面に設置された長テーブルにモノが置かれると、順次競りにかけられていく。部屋の中央には適当にパイプ椅子が並べられているが、限りがあるため大方のひとは周囲に立っている。ただ、会は4~5時間と長丁場ということもあり、参加者のほとんどが、自分の競るモノが近づいたときになってから、会場に入ってくるようだ。他に部屋が大小幾つかあり、それぞれの順番がくるまで、煙草でも吸い吸いくっちゃべっている。ぼくらは開始から会場内にいたが、がらくたが続く最初の方は、ぼくらを含め十数人くらいしかおらず。どの市場(いちば)もそうであるように、中央に立つ競り人の差配によって売り買いが進んでいく。始めの15分くらいは皆安価なモノ。安くて1000円。高くても10万ほどで、いたって静かな立ち上がり。このペースで行くと、メインの元染は、午後3時半くらいになろうか――

 

 その前に、ぼくの注目した唐三彩碗の競りが、あと10分ほどで始まろうとしていた。考えてみれば、会で競るのは生まれて初めてのことだ。

 売り番が近づくにつれ、ぼくの緊張度は急激に増していき、先ほどからドックン、ドックンと、波打つ心音が脳天に突き刺さるように響いている。これは、香港のオークションで筆筒の出番がきたとき以上の高鳴りだ。あと何番目かと、競り人の横に待機している出品物を確認するため、何度も背伸びを繰り返しているぼくを見て、「落ち着けよ」と才介が一言はなつ。「ああ」と答えたものの、ぼくは小刻みに身体を揺らしながら深呼吸を繰り返した。

――そして、ついに三彩が登場。ぼくのアドレナリンが急上昇する。

 「はい、次は、これ!」競り人の声に、「5千円!」と先ず発句(ほっく)が入る。それに続いて、「1万」「1万5千」「2万」「2万5千」「3万」と5千円刻みでテンポよく競り上がっていく。ぼくは、どのタイミングで声を発してよいか、その波に乗れず、完全にリズムを崩していた。そして、「3万5千」の声がかかり、そのあとに続く声がないことを確認した競り人が「はい、3万5千円!」と、左手の声主に向かって指をさしかけたところで、才介がぼくの肩を強く押した。ぼくが慌てて「4万円!」と手を上げて発声すると、いったん左に顔を向けていた競り人が、こちらに向き直り「4万円」と応えた。すると今度は、「5千」と声がかかる。ぼくが「5万」と出すと、また「5千」。「6万」と言うと、また「5千」。どこから声がしているのかを確認する余裕もなく、ぼくはその流れに乗って、「7万」、「8万」、「9万」と声を出す。その間に挟まる「5千」という声は、「9万」のあとも続いた。「5千」。ぼくは手を上げ「10万!」と言ったところで、相手の声が止まった。それを見て競り人が、「はい、10万円」と言い切りこちらを指さした。すかさず「よかったな」と才介が反応。ぼくは「ふう」と思わず息を吐く。わずか10秒余りの競り時間だったが、何か一日仕事を終えたような脱力感に襲われていた。やがて、ひとりの若者がやってきて、ぼくにメモ用紙のような紙を渡した。「4-⑭ 唐三彩碗 10万円」と、出品物のリスト番号、名称、落札価格が、殴り書きのように書かれてある。これを受付に持っていき現金を支払えば、モノが受け取れるのだろう。

 

 こうしてぼくの初競りは何とか無事終了したが、そこから元染までは一時間以上あるようなので、ひと先ずぼくらも待合の小部屋で時間を過ごすことにした。隣からは、競り声が絶え間なく聞こえてくる。その間才介は終始無言。くうをみつめていたかと思ったら、急に俯いて後頭部を激しく掻きむしったり、いきなり立ち上がって数秒間フリーズしたかと思ったら、ドスンと座り込むや両膝をポンポンと威勢よく叩いたあと再びむくっと立ち上がったり、と傍から見ると、落ち着きのないただの挙動不審者だ。周りにひとが少ないとはいえ、さすがにこれじゃ目立つだろうと思い、「落ち着けよ」と今度はぼくが一言はなつ。そして小声で、「あんまりそわそわしていると、勘づかれるぞ」すると才介は、怖い顔でぼくを見つめたかと思ったら「わかった」とうなずき「行くぞ」と言うと、会場へ歩を進めた。この部屋に来てまだ10分も経っていない。居ても立っても居られないのはわかるが、「まだ早いんじゃないか」「いや、会場で時を待つ」ぼくらは、まだ熱気の乏しい会場のなかに早々に入っていった。

 

 しばらくして、僚(あきら)かに贋物といえる中国陶磁の一口が競りにかけられた。宋時代の鈞窯(きんよう)の青磁や定窯(ていよう)の白磁など10点ほど。本物だったら皆、何百万もする。

 5千円から始まり、2千円単位で上がっていき、最後は15万くらいになるものが多い。こういう真っ赤なニセモノでも、安いからといってつい買ってしまう愛好家が数々いるのだ。ゆえに贋物の流通は後を絶たないわけであり。しかし何と言っても悪の根源は、15万で仕入れたモノを何百万かで売る輩(やから)である、ことは言うまでもない。

 そう思ったとき、ぼくの頭に贋作堂の姿が浮かんだ。そういえば、この口になってから突如、後方でしきりと競り声を出しているやつがいる。ぼくはまさかと思い、そのほうへ目を向けぎくりとした。髪を後ろに束ねた背の低い男が、何人かの背後から隠れるようにして声を出していたからだ。ぼくは才介の腕をつつく。才介も気がついたようで何度も後ろを振り返っている。

 贋作堂は、まるで紙に書かれた数字を読みあげているような単調なリズムで、「2万」「3万」「4万」と競りを続け、10万を超えると、少し間を置き考えながら声を出し、15万になると口を閉ざした。見ると、だいたい15万の手前くらいで、ことごとく競り負けている。その様を見て、どうやら贋物にも相場があるのだと、ぼくは可笑しく思った。以前ぼくが40万でつかまされた米色(べいしょく)青磁の贋物を、ブンさんに会で処分してもらったことがあったが、このとき贋作堂が10万でそれを買ったことを思い出していた。このあたりが、宋代陶磁器のニセモノ相場なのかもしれない――

 結局贋作堂はすべてアンダービダー(under bidder、二番手)で、一点も買えていなかった。それを見て才介が「ざまあみろだ」とほくそ笑む。その口が終わるや、贋作堂は顔色を変えずに、さっと会場から姿を消した。その一連の動作が何かルーティンのようにもみえ、ぼくはこのとき気味の悪さを感じたのである。

 

 あと5~6分で、元染の口の競りが始まろうかいうときになると、ガラガラだった会場がぎっしりとひとで埋まった。

 今回参加している業者がほぼ全員集結したと思われるその内部は、ある種異様な空気に包まれていた。規模はまったく違うが、ぼくは11月の香港のメインセールを思い返していた。成化豆彩馬上杯の出番を、今か今かと待っているときの雰囲気に似ている。ただ、状況は大きく異なっている。今回の場合は、こちら側で競ろうとしているのだ。

 

 ――やがてそのときが来た。競り人の横に並んでいる会主の一人、長身の長い髪が口火を切る。

 「はい!それでは、これより、本日のメイン・イベントです!」それにともない、「中国モノうぶ口」4点が、競り台の左端から載せられると順繰り右へ移動。まもなく最初の競り品の南京赤絵皿十枚とその箱が、競り人の前に置かれた。

 「はい! これからは、ゆっくり、丁寧にいきますよー!」競り人は、古箱に軽く手を乗せると声高に言った。それに応じ会場内に緊張が走る。

 最初の二点、明末の赤絵の皿十枚と、染付の皿二十枚は、類品の多々あるモノなので相場は安い。だいたい10万~20万といったところ。ただ2点とも、由来の良いうぶ口ということもあって競り上がり、20万と35万でそれぞれ落札された。予想通りのすべり出しである。

 続いて「砧青磁香炉」が競り台の中央にやってきた。「中山家売立図録」の元染の前頁にカラー版で載っていた、今回の目玉の一点である――

 「青磁は、どのくらいかな?」ぼくが小声で訊くと、才介は顎の下に手を当て、「うーん。300は超えるだろうが、500まではいかないんじゃないか」とつぶやくように答えた。

 青磁の競りが始まった。「50万円!」と会主の一人から威勢の良い発句が入るや、「70万」「80万」「100万」のあと「150万!」と飛ぶと、すぐに「200万!」と声が出た。見ると、中国人の何人かが携帯を耳にあて、手を上げている。オークションでいう電話ビッドの状態。向うにいる買い手の注文を受けながら競っているのだ。

 300万を超えると、中国人同士の闘いとなった。天然パーマのもじゃもじゃ頭と、背の低い小太りの男である。「350万」で手を上げたのが、天パーのもじゃ男。そこから10万円刻みで二人の一騎打ち。やがて、500万を超え、競りはスローペースに。「超えたな、500」と才介。両者とも日本語が不慣れなのか、数字は競り人が示している。

 「580万」の天パーを受け、競り人が「600万?ロク?」と、手指のジェスチャーで小太りに投げかける。携帯で喋り続けている小太りが、少し経ってからすっと手を上げた。値段が600万に乗ったことで、会場内から、「おおっ!」と声がもれる。そのあとはまた10万刻みになり、最後は競り人の「650万」の声に手を上げた天然パーマが勝負を制した。

 「高いねえ」「びっくりだ」「倍だよ、倍」と、方々から口々に驚きの声があがる。「あの小ぶりな青磁がこの値段になると、元染は厳しいかもな……」才介はそうつぶやくと、「ふう」と大きく息を吐いた。

 

 砧青磁の余韻はすぐに落ち着き、ついに元染玉壺春の出番となった。

 「それでは最後でーす!」と競り人が瓶を目の前に据える。一瞬の静寂。皆が会主の発句に身構えたそのとき、参加者の一人から「100万円!」と鋭い声が発せられた。ぼくはびくっとする。それを受け競り人が、「はい!100万!」そのあと、あっという間に数字は上がり、300万まできた。才介はまだ声を発していない。様子を見ているようだ。競っているのは、どうやら日本人のよう。やがて、350万の声がかかった。中国人たちは、概ね携帯を耳にあてたまま、まだ誰もアクションを起こしていない。皆、相手の出方を窺っているような気配だ――

 「350万!」競り人がもう一度数字を繰り返したところで、ようやく才介が「400万!」と片手を上げた。競り人がこちらを向き、「400万」と応える。そこで思わぬ間があいた。

 競り人は再び「400万!」と発し場内を見回す。それに続く声がない。えっ? 買えたか? ぼくは一瞬そう思い、才介も「よしっ」と拳を握ったその瞬間、「50」と声が入った。――やはり、来たか。当然だろう。そう簡単に決まるモノではない。ここからが本当の勝負かもしれない。その声は、どうやらこちらとは逆側の後ろの方から聞こえた。日本人のようだ。才介がすかさず「500!」と開いた右手を突き出した。少し間があり、また「50」という声が。その抑揚のない声を聞き、ぼくは、あっと思った。ひょっとして、あの声の主は――

 ぼくはそれを確かめようと反対側の人混みに目を向ける。人垣の隙間から小柄な銀縁眼鏡が顔を覗かせた。――果(はた)して、贋作堂であった。まだ値が安いとみて競ってきたようだ。

 ぼくがそれとなく才介に耳打ちする。「相手は贋作堂だぞ」それを聞くなり才介は目を血走らせ「600万!」と声を張り上げた。やや間を置き、また「50」という冷めた声が放たれた。才介は、考える間もなく「700!」と言うと、贋作堂の方へ顔を向けた。すると、贋作堂もこちらに視線を向けた。両者の目が互いにぶつかり合う。なにやら睨んでいるような目つきだ。そこには、いつものにたりとした不敵な笑みはなく、こんな顔をするのかと思うほどの険しさが滲み出ている。その真剣な表情を見て、あいつも勝負をかけているのかもしれない、とぼくは思った。

 またもや間があいたことで、競り人が、もう一度「700万円!」と言って確かめる。その声を聞いたあとに、ようやく贋作堂が「50」と、目つきと裏腹な鈍い声を漏らすように出した。しかもその声は、ぼくらに顔を見据えたままの状態で発せられたのだ。これは、完全に勝負を挑んでいる。

 才介は怒りを鎮めるように、一度大きく深呼吸をしてから、「800万!」と声をあげた。

 これは、先ほど話した限りでは、才介が用意できる目いっぱいの数字であった。それゆえ声に気迫が感じられた。ぼくは、じっと贋作堂を見つめていた。贋作堂もこちらから目を離さない。しかし、声を出さずにそのままだ。しばしその状態が続く。それにしびれを切らした才介が、目をそらしやや上方を見上げた。だが、贋作堂は動かない。その目は、声を出そうかどうか、迷っているようにみえる。あっちもギリギリなのだろう。遠くにいながら、やつの息遣いが聞こえてくるようだ。

 二人のマッチレースを、ここにいる全員が息を呑んでみつめている。

 間があいたのをみて競り人が、「800万円!」と贋作堂の方に体勢を向け、問いかけるように言った。――反応がない。それを受けて競り人が断を下したように、「じゃあ、800万!」と言って才介の方へ指を向けた。「よしっ!」とぼくがガッツポーズをしたその瞬間――「50」と声が入った。会場内がやや騒然とする。競り人は、才介から贋作堂へ向き直り、「850万!」と応えた。すかさず才介が、「いや、こっちに落ちたでしょ!」とクレームをはなつ。周囲からも「今、落ちたぞ」の声。それに対し競り人は、「ギリギリ声が入りましたので、取ります。最初に、丁寧に競りますって言ったでしょ」と、贋作堂の850万の声をひろった。

 才介は舌打ちし、地団太を踏んだ。これで、予算額を超えてしまった。負けたか、と悔しい思いがぼくの胸をよぎる。

 才介は、目を閉じ「くそぅ」とつぶやき下を向いた。その反応を見て、勝負ありと思ったのか、競り人は贋作堂に手を向けたまま、「850万!」と言って会場を見回した。才介は「ううっ」と小さくうめくと、奥歯を噛みしめながら贋作堂を見やった。そのときである。贋作堂がにたりと嘲(あざけ)るような笑みを浮かべたのだ。この勝負おれの勝ちだといわんばかりの。

 それを見た才介が「くっそう…」と両拳をわなわなと握りしめた。そして次の瞬間、その右拳を上に思い切り突き上げるや、勢いよく手を開いた。

 「900万!」指先にまで力が籠(こ)められる。すかさず周囲から「おおっ!」と声があがる。それを受け競り人が「900万円!」と応える。と同時に、贋作堂に視線を移した。その瞬間、贋作堂から薄い笑みが消え、こちらをじっと睨むような顔に戻った。

 「900万円!」と競り人が繰り返す。贋作堂はそのまま考え込んでいる。その顔に向けぼくは「降りろ、降りろ」と念を送る。――「900万円!」再び競り人が声をあげた。贋作堂は微動だにしない。さてはまた、ギリギリで「50」と発するつもりなのか――。全員の目がやつに集中。しかし反応が無い。それを見て競り人が、「それじゃあ、900万円!」と才介の方へ手を差し出したそのとき、贋作堂が正面に向き直った。

 「来る気だな」と思った瞬間、贋作堂はくるりと踵を返すと、人混みのなかに埋もれるようにして、その場から立ち去っていった。

 それを確認した競り人が改めて、「はい、900万円!」と大きくうなずき、才介を指さした。

 「やった。勝った!」ぼくは力を入れて才介の肩を揺する。才介は大きく肩で一つ呼吸をすると、白い顔をしたままひとをかき分けながら、ふらふらと会場をあとにした。

 

 会が終了したのは5時半を回っていた。今日の便で帰るのは難しいということで、ぼくらは博多で一泊してから東京へ帰ることに。

 元染の受け渡しに関しては、会主の一人がブンさんの知り合いということもあって融通がきき、代金900万のうち、才介の500万と、三彩碗を清算後のぼくの残40万を足して内金として払い、残りの360万は後日の送金でOKということになった。なので、現物は今日持って帰れることになり、才介は風呂敷に包むと、懐で大事そうに抱え持つ。来たとき以上に大事そうに。当然のことであろう。500万の現金以上の、その何倍かになるかもしれない品物なのだ。

 帰り際、上背のある長髪の男のほか何人かの会主が御礼にやって来た。「今回は、ありがとうございました」「いえいえ」「ブンさんに、よろしくお伝えください」そのうちの一人が深く頭を下げた。

 

 東京への帰る道々、ぼくは今後の予定を尋ねた。「これから、どうすんだ?その瓶」「うん。先ずはE氏に連絡を取って、場合によってはすぐに預けることになるかもな」才介は揚揚と答えた。「取りあえずは、評価額を出してもらって。それからだな」「いくらくらいかな?」「うーん。来歴が良いから、最低1500万はすると思うがね。首にキズがあるとはいえ」「なるほど。となると、図録を探すか?」「あったらそれに越したことないけど。この情報を伝えれば、オークション会社で勝手に用意するだろ。わけないことだ」まあそうだろうと思ったが、この「中山家」の売立図録については、犬山にでも訊いてみようとぼくは考えていた。案外すぐに手に入るのかもしれない。

 「しかし、予算オーバーしちゃったからなあ。ブンさんに借りないとな」才介はやや顔をしかめ俯くと、首筋を何度もさすった。「でも、買えたんだから。良かったじゃん!」ぼくは励ます。「アイツに、勝ったんだからさ」「そうだな。まあ、あとは、何とかなる!」と、最後は顔を上げ陽気に笑った。

 

 それから数日後のこと。ぼくは宋丸さんの店を訪ねた。何だか、ぼくに用事があるような。Reiが笑顔で出迎える。

 「少し待っててください。もう着くと思うので」ぼくは応接間のソファに腰をおろす。やがてReiがお茶を置いた。「何なんだろう?」ぼくの目に、Reiは首を傾げた。「わからないわ。K君を呼んでくれって言うだけで。いったい何ですか?って訊いたんだけど、そのあと何にもおっしゃらなくて」「ふうん。まあ、嫌な用事じゃなけりゃ、いいけどね」とぼくはReiに笑みを返した。

 

 宋丸さんが、のっそりと扉を開けて入ってきたのは、それからほどなくしてだった。「悪いなあ、呼び出したりして。出張だったんじゃなかったのか」笑みを向けながらソファに腰を落とす。「いえ。一泊くらいのもんでしたから」「何か、あったのかい?」「はい。実は別府に行ってたんですが、元染の玉壺春が出ていて」「へえー!」と大声を出すや「元染かよ?」と目を丸めてぼくを見据えた。「はい。結構古い伝来物みたいで。売立図録にも出ていて」ぼくは、Reiの淹れてくれたお茶を手に取る。「買ったのか?」「実は、ぼくじゃなくて、友だちが買いまして」それを聞くなり、宋丸さんは「おおっ!」とうなった。「それは、やったなあ。古くから日本に入ってる元染なんか滅多にありゃせんから、そいつはめっけもんだよ」「そんなにないモノですか? 伝来の元染って?」宋丸さんはお茶を一息に飲み干すと、Reiにおかわりを要求した。

 「ぼくは見たことがないなあ。でも、古くから渡ってきているモノがあることは知っている」「そうですか」「東博の魚藻(ぎょそう)の壺なんかは、その類いだろ」――東博の魚藻の壺とは、現在東京国立博物館所蔵になっている魚藻文様の描かれた高さ20センチ少々の、元時代としては小ぶりな壺のこと。将来が古いため、重要文化財に指定されている。それを考えると、来歴のはっきりする元染は、相当な貴重品ということになる。宋丸さんですら見たことがないレベルであるわけで。あのときは興奮状態で余裕がなかったが、冷静に考えると、これはたいへんなことなのかもしれない、とぼくは感じていた。

 「ところで、用事って何ですか?」「ああ、そうだった」宋丸さんは腕を組んでゆっくりとソファにもたれかかると、「この間見せてくれた、定窯は、まだあるかよ」「定窯ですか?」宋丸さんはにたりとうなずいた。――香港の葉(イエ)氏の店で仕入れてきた刻花(こっか)という彫り文様の入った白磁の碗のことである。以前見てもらったときに、「これは、良いモノだ」と褒めていただいた品。その後は別段ひとに見せるあてもなく、そのまま部屋のクローゼットの奥にしまいっぱなしだ。

 「はい」と答えると、「実は、ちょうど、あれを気に入ってくれそうなお客さまがいるんだよ」「それでは、すぐに持ってきましょうか?」宋丸さんはちょっと前かがみになって、「いや、その方を紹介するから、きみが直接持って伺ってくれよ」

 「はあ。ぼくが、直接ですか?」「そうだ」宋丸さんはまたにたりとすると、「おい、お嬢さん。メモ帳持ってきて」とReiの方へ顔を向けた。

 

(第35話につづく 3月24日更新予定です)

唐三彩印花碗 唐時代(7世紀)



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骨董商Kの放浪(33)

 二月上旬の午前9時、ぼくと才介は大分空港に着いた。ここからホバークラフトという何とも乗り心地の悪い水面を走る船を利用し、別府に着いたのが10時前。

 「何か、寒いなあ。東京より気温低いんじゃない?」才介が首をすくめ身体を縮めた。清らかな空気は、確かに冷たさを感じる。ぼくらは足早に、会場となる小さな市民ホールのような建物のなかに入った。

 今日はここで、骨董商が俗に「温泉市(いち)」と呼んでいるオークションが開催される。オークションといっても、海外のような派手なものではなく、知る人が知る、ほぼ100%商売人が参加する小さな競り市。その参加者も「初出(うぶだ)し屋」と呼ばれる、店を持たない、リサイクルショップに毛の生えたといったらたいへん失礼だが、そのレベルの、いわゆるヒエラルキーの「底辺」に位置する人びとが主(おも)(当然ぼくも入る)。彼らのなかには(ぼくも入る)、こうした場所で掘り出し、美術俱楽部の会や海外オークションなどで売って儲(もう)けを出す者も少なくない。地方の小さな市であれば買値はそれなりに安く、そのなかにたまたま優良品が入っていたら、売ったときの利潤が驚くほど大きくなったりすることもある(先だっての香港で売れた筆筒のように)。なので、その一発目当てに集結する輩(やから)が、こうした小規模な地方市にこぞって参加しているわけであるが、当然もって現実はそう甘くはない。

 基本的にがらくた市(いち)であるので、業者間では「ゴミ」なんていう酷い言葉でくくられる、ろくでもない、二束三文的なモノが圧倒的に多いのが通常。ただ本当にごくたまに、そのゴミのなかにキラリと光る珠(たま)があったりするのもまぎれもない事実。上手い具合にそうしたモノを、いわゆる掘り出して、ドンと当ててガッツリ儲けるひとがいることも現実、なのである。――つまりは、目が利いて勘が鋭く、常に流動する相場状況を的確に把握し、先の読める商人がその成功者になるのだ。

 だから、さきほど「底辺」といってしまったが、富裕な層もちらほらといて、今日なんかの温泉地での開催となると、前乗りし老舗の旅館で宴会を開いて翌日に臨む、という羽振りの良い御仁もみられる。さきほどまでぼくの前を歩いていた、一見大工の親方然(ぜん)とした白髪交じりのオヤジもどうやらその層のお方のようで、すれ違うひとに頭を下げられ、集まっては言葉を交わし合っている。――「昨日は、ごっそうさんでした!」「おおきに! おかげで今日、二日酔いですわ、はは」「○○ちゃん、昨日は白翠楼け?」「ほうよ。しかし、別府も芸者、落ちたのう」「そりゃぁ、しかたないちゃ」「やけど、さびしかね」「そげですね」――というように、地方市には多様な言葉も入り混じる。こうした市は、以前行ったことのある熱海とか、九州、四国、中国、北陸地方など、日本各地様々な場所で行われており、前にも述べたとおり、それらを渡り歩いて商売するひとたちが仰山(ぎょうさん)いるのだ。

 

 さて、本日の「温泉市」であるが、実はこの市場(いちば)、昨今注目を集めている。なぜならば、これは半年以上前の話しになるが、ここで中国明時代15世紀初めの径が30センチ近い大ぶりな、中国では「剔紅(じっこう)」と呼ぶ堆朱(ついしゅ)の楼閣山水図合子(ごうす)が出品され、このとき1000万で中国人の業者が落札したのだが、これが、昨年の秋に北京でおこなわれたオークションで5000万という高値で売れた、という噂がまことしやかに流れてきたからである。またこの会は、福岡、大分、熊本あたりの旧家からのうぶ口がよく出ることで知られており、そのなかに古渡りの中国製の文房具、漆器、陶磁器などが入っていることもあるため、中国モノを手掛けている業者たちの間で、俄然脚光を浴びるようになったのだ。

 この別府の市は、三カ月に一度の割合で開かれている。才介はこれまで三度来たことがあったようだが、ぼくは初参加。入り口の受付で参加費の二千円を払い、ぼくらは小学校の教室のような部屋のなかに入った。同じような部屋が隣にもう一つあり、この二部屋に出品荷が並べてあるようだ。最初の部屋のなかには既に30人ほどが下見をしていた。まだ暖房が効き渡っていないのか、皆上着を着たままモノを手にして確認している。

 「なんだか、なかの方が寒いんじゃね?」才介は懐に抱えた鞄に力を入れた。だいじそうに両腕で抱いた鞄のなかには、なんと500万が入っている。そして、ぼくのリュックには50万。今日は現金市(いち)のため、ぼくらは現金を持参したのだ。――つまり、買ったらその場で代金を払いモノを持って帰るという、いたってシンプルな仕組みの会。ただ、最近は、安いモノは現金払いだが、高額品に関してはあとで振り込みができるシステムになっているようで。まあ、当然だろう。現金を持ち歩くのは、なにかとリスキーだ。では、いくらからが高額かというと、それは特に決まりはない。

 中国モノになると、こういう小さな市場(いちば)でも、千万単位で動くこともあるので、そのあたりになると、主催者側と応相談という感じになる。たとえば、何割か内金を現金で払い、残りは銀行送金をし、その後でモノを受け取るというふうに。

  なので、今日は無理して500万もの現金を持ってこなくてもよかったわけであるが、これは、東京で「良い中国モノのうぶ口が出るぞ」の情報に奮い立った才介の、熱き思いが起こした行動であり、その気迫に乗せられ、ぼくも昨日銀行からお金を引き出し持って来たのだ。ただ、当然その場で払えればモノを持って帰れるわけである。別府くんだりまで来たのだから、また取りに来るのは七面倒――ということもあり、この際現金を持っていくかということになったのだ。

 

 入口に近い部屋に入ると、次々と隣の部屋に足早に向かう人の群れが目に留まった。どうやら、隣の部屋にメインの荷が飾られているようだ。ぼくらも先ずそちらに向かう。部屋の奥に特設の陳列スペースが設けられており、そこに15人ほどが群がっていた。その脇には主催者の一人だろう髪を伸ばした中年の男性が、われ先に見ようと密集しているひとたちに向かい大きな声で指示を出している。

 「はい、はい!  順番にお願いしますよ。そこ、押さないで!」集団を見ると、ぼくら世代かちょい上か、という若い年齢の中国人たちが七、八人ひしめきあっていた。一攫千金を狙ってここまで来るのだろう、放恣(ほうし)と熱情を併せ持つ名もなきブローカーたちが、中国モノの高騰とともに、こうした下市(したいち)にめっきり増えた。彼らの姿を見て、自分もその内のひとりなのかもしれないと思いながら、ぼくは上下左右、人垣の隙間から前を覗こうと必死になって頭を動かす。

 そしてようやく、紺色の毛氈の上に飾られた4点の品物と古い箱が目に入るや了解した。どうやら、これが先日聞いた中国モノの「うぶ口」のようである。

 長髪の監視役の采配により群がる人びとの交通整理がなされ、幾人かの隊列が組まれるようになると、ぼくらは先ほどより近距離でモノをとらえることができるようになった。皆の目線は、4点のうちの1点に集中していた。

 比較的若そうな男性が、地べたに座ってルーペとライトを使いながら主役の品を入念に確認し、それを数人が取り囲むように上からじっと覗いている。

 ――「元染の玉壺春(ぎょっこしゅん)か……」と、一つ後ろから首を伸ばした業者のひとりが、そう声をもらした。

 並んで15分ほど経っただろうか。ようやく順番が回ってくると、ぼくらは飾り台の前に立った。さっそく年配の坊主頭が染付の瓶を手にすると、前のひとたちと同じようにその場にどかっとしゃがみ込むや、掌のなかでじっくりと見始めた。その手下なのか若い者が、直ちに小形のライトを取り出しモノに当てる。ぼくらはその年配者の一挙手一投足に集中。

 

 ――それは、元時代の青花、つまり元染の瓶であった。高さ30センチ弱。下膨れた胴に細い首、喇叭状に広がる口部を持つ、俗に「玉壺春(ぎょっこしゅん)」と呼ばれる瓶。元時代の染付や青磁にしばしば見られる器形である。

 「元染の玉壺春」といえば、中国陶磁のなかでも知名度が高く、それゆえ、この時代を象徴する作として、著名な美術館には必ずといってよいほど収蔵されている。三代目の「元時代」の講義でも、いくつもスライドで紹介されていたのをぼくは思い出していた。

 

 今、男が手にしているモノは、全体を八角形に面取りした形を成している。玉壺春はたいていふっくらとした丸い胴部をしているが、これは異色作。面取りされた主要な部分には、種々な花文様がそれぞれ描かれている。――口縁部には唐草文が、頸部には蕉葉(しょうよう)文という芭蕉の葉をデザインした文様が、肩部と裾部には、いかにもモンゴル王朝らしいチベット仏教由来の「ラマ式」と呼ぶ蓮弁文様が、各面にあらわされている。

 坊主頭の男は、一番細くなっている首の箇所を手のひらで切るようなしぐさをすると「やっぱり、折れてるね」と、覗き込んでいる何人かに向けて顔を上げた。それを聞くなり、先ほどから爛々と目を光らせている才介が一つ大きくうなずいた。

 ひとしきり見たあと、男は瓶を横にいる同輩に渡すと、玉壺春の箱の横に並べてある古本を指さした。若手が即座に反応し、その本を手渡す。

 ――これだ。さっきから気になっていたものは、とぼくは思った。それは、犬山の部屋に置いてあった、あの「売立図録」と同様の仕立てがしてある。これはたぶん、戦前期の入札目録に違いない。開いて置かれた図版の箇所に青い付箋が貼られているところを見ると、おそらくその頁にこのモノが載っているのだろう。

 坊主頭は本と作品をしきりと見比べ確認作業を続けたのち、「間違いないな」と周囲に聞こえるように言うと、何度もその頁を指で叩いた。それが済むと立ち上がり、今度は飾り台に置かれている他の荷の方へ向かった。それにともない年配者を囲んだ群れが移動。ここでようやく、ぼくらに元染が回ってきた。

 瓶を受け取ると、才介も同じようにあぐらをかいて座り、そのなかで食い入るようにみつめた。濃く発色されたコバルトブルーが目に映える。その青を包み込む透明釉はやや青味を帯びているが、これは元染の特徴でもある、と三代目が講義で解説していた。八角形に面取りされた胴部は、おそらくイスラム製の金属器をうつしたのだろう、なかなかシャープな造りをしている。

 

 才介が見ている間、ぼくは図録を手に取った。A4判サイズで3センチほどの厚みがある豪華本――厚紙の表紙の中央上部に「もくろく」と平仮名の草書体で書かれた貼り紙があり、それを挟んで左右に家紋入りの亀甲文が三つずつ配され、下半分には風になびくすすきの群が二段に分けて描かれている。――淡褐色の地に、銀、緑、赤などの色で彩られている絢爛な装丁は、この売立の格の高さを自ずと示していた。

 表紙をめくると、中央に「加州 中山家藏品展觀入札」という題字が大きな文字で記されている。次をめくると見開きになっていて、右頁には、「昭和九年十一月廿六日入札並開札」と「東京美術俱樂部」の名、つまりこの会の期日と会場の場所が記されており、その横下に「札元(ふだもと)」の名前がずらりと、右から左頁にまたがって並んでいる。――「札元」とは、入札会を主催する骨董商のことをいう。当時は茶道具全盛なので、彼らは「道具商」とも呼ばれた。入札会の規模により札元の数も変わる。ここには十名に及ぶ有力道具商の名前が記されているので、この売立が大々的であったことが窺い知れる。

 ぼくは改めて、そのなかの真ん中あたりの青い付箋の貼ってある頁に目を落とした。そこに元染瓶が載っている。原色刷りだ。一番後ろを開くと「總数三百五十點」とある。全てに写真が付いているわけではないが、主要なモノは写真掲載されているようだ。そして、そのうちのメインピースがカラー版――つまり、この入札の目玉商品は、原色版印刷となっている。

 それは極端に少なく、だいたい10点ほどだろうか。ぼくはざっと頁をめくって見てそう思った。

 売立図録の大抵が、先ずは古書画から始まり、次に茶器などの道具類の順番となっている。この図録も同様で、やきものなどは半ばから始まり、その最初の3点が原色刷り――つまり道具の目玉3品の内の一つが、この元染ということである。

 カラー頁は厚手の紙が使用され、その前にぺらりとした薄い和紙の扉が付き、そこには「一四八 元染付花面取花入」と、出品番号と作品名が中央に縦書きで印刷されていた。カラー図版のみが、このような特別仕様となっている。

 

 才介は眉間に皺を寄せ、本の写真と手にした瓶を交互に見つめながら確認している。戦前の原色印刷なので、写真に立体感がなく、色も平坦であるため判別がしづらい。才介は八つに面取りされたそれぞれの面をずらしながら、掲載写真に合わせている。そして、手が止まった。

 「ここだ!」正面の花柄が合致する。その上の焦葉文の輪郭線の幅がやや太くなっているのを確認したぼくは「そうだな」と同意した。それを受け才介は、先ほどの年配の坊主頭と同じように、「間違いない」と指で頁を叩きながら、首を数度大きく縦に振った。

 下見のとき、このように品物に図録を付けて飾られるケースはよくみかける。ただ、このとき注意しなければならないのが、掲載品と出品物が同一のモノなのかどうか――ということである。つぶさに見ると、図録の写真と並んでいるモノが違っていた、なんていう例が往々にしてあるからだ。これらが一致して初めて付加価値がつくわけだから、類似品では何の意味もなさないのである。このことは、言うまでもなく、ここにいる業者連は皆承知していることなので、彼らの様子からみて先ず問題ないと思ってはいたが、実見しぼくらは腹におさめることができた。

 

 図録の件はこれでクリア。次にぼくらは、来歴を裏付けるもう一つの重要アイテムである「箱」に注目した――

 江戸時代はあろうかという、黒漆の塗られた古びた外観は、上の方が朽ちかけており、四方に通された茶色い紐は色褪せ途中でちぎれている。身に貼り付いている箱書の紙も経年で詫びた色をなし、ところどころ剥がれているが、墨書で書かれた「元染付花面取花入」の文字はちゃんと確認できた。これは、売立図録に記載してある作品名と一致している。――間違いない。「花入(はないれ)」とあるので、この瓶は、茶席の床の間を飾る花瓶として伝来したのだろう。

 ――俗称の「玉壺春(ぎょっこしゅん)」であるが、中国では「春(しゅん)」の字がしばしば酒の名に用いられていることから、酒器であったという説がある。大形の徳利みたいなものだろうか。だが日本では、当時そんないわれがあることなど知る由もなかっただろうし、なにしろ中国から渡ってきたやきものを「唐物(からもの)」といって、崇(あが)め奉(たてまつ)った時代だ。貴重な舶来の瓶は、寸法もちょうどよいことから、花を活けて床に飾る「花入」として珍重されたと思われる。ぼくは納得の表情を浮かべて、その箱をみつめた。

 

 そして、再び図録を手にした。実は青い付箋が、この玉壺春の頁以外に、もう一つ付いていたのが気になったからである。元染の前頁である。

 そこには、青磁の香炉の写真が同じく原色で載っていた。三つの小さな脚をともなった円筒形の小ぶりな作品。「一四七 碪靑磁竹節三足香爐 銘北千鳥」と和紙に印刷されている。そして、飾り台に目をやると、元染瓶の隣りに青磁香炉が置かれていた。

 ――これか。ぼくはじっと見つめる。名称にあるように、胴部に巡らされた幾重もの弦文が竹の節をイメージさせる。こうした香炉も、お茶席の床飾りとして珍重されたため、伝世品が数々遺されている。これも「北千鳥」という銘が付せられていることから、秀抜な作として代々受け継がれていたようだ。

 ――わが国では、南宋時代後期(13世紀)の龍泉窯青磁を「砧青磁(きぬたせいじ)」と呼びならわし賞玩した。日本でいう「青磁」という概念は、この砧青磁から派生したといってもよい。いわゆる青磁の代名詞がこうした龍泉窯なのだ。

 この香炉も今回のメインの一つのようで、次つぎとひとが手に取っている。ぼくもそれを手にし、図録の頁と見比べた。澄んだ青緑の釉色は、これぞ伝世という艶やかさをまとっている。この青磁も、図録に掲載されている写真と同じモノであることをぼくは確認した。

 続いて、他の2点であるが、一つは「南京(なんきん)赤絵(あかえ)」と称する七寸ほどの色絵の皿が十枚。もう一つは、「古染付(こそめつけ)」と呼ぶ、これは五寸ほどの皿が二十枚。両者とも、17世紀の明時代末頃に景徳鎮窯で焼造された輸出用の磁器で、当時日本に渡り宴席道具として伝わったものだろう。これらも相当古い箱に入っている。

 これら4点は、「中国モノの初(うぶ)口」たる気分を、充分にたたえていた。その内2点が、「中山家」という旧家から出たモノということだ。

 

 図録を元の場所に置こうとしたところ、一枚の紙が置かれているのに気づいた。

 ――「図録は付きません。撮影不可」と書かれてある。

 どうやらこれらを買っても、この図録はもらえないらしい。おそらく稀覯本(きこうぼん)か何かだろう。ぼくは手帳に、この売立図録に関するもろもろの情報を記録した。また、「撮影不可」とあるので、モノの撮影は禁止のようだ。

 オークションの出品物は、おおよそ携帯などによる写真撮影は許されているが、この4点に関しては、それができないようだ。今どきは、携帯の写メであっという間に情報は拡散される。特にモノを知らない中国人ブローカーの間では、撮った写真をすぐに買い手に送り、注文を受けて競るという行為が横行している。あらぬところにまで行き渡ってしまうこのやり方を、たぶん出品者が嫌がったのだろう。自分が出品していることを、知人などに知られたくないことはよくあるケースだ。

 

 ぼくが図録と青磁、その他の2点を見ている間、才介は、元染をじっと手にしたまま俯いて考え込んでいた。すると後ろから、「早くしろ!」と声が掛かった。それを潮に、才介は瓶を戻すと一点を見据えたまま部屋を出て行った。ぼくはあとを追いかける。

 二階へ続く階段の下に来ると、才介はその一段に座り込んで、右手で眉のあたりをしきりと掻きながら顔をしかめ、「うーん」としばらくうなっていた。後方から、元染のことを聞いた人びとの逸るような足音が次つぎと耳に入ってくる。それに応じて、ぼくの気持ちもざわついていった。

 すると才介はすっと顔を上げると勢いよく立ち上がり、「よしっ! 勝負だ!」と腹から声を出した。「買うのか?」ぼくが即座に尋ねる。「うん! これはチャンスだと思う」才介の細い眼に鋭利な光が宿る。「するってえと、問題は、これだ」と、横に置いた鞄に手を掛け二三度叩いた。「いくらくらいするかな?」ぼくの問いに、才介はいったん軽く目を閉じ、「わからねえ。ただ、これだけじゃ、無理だろう」と言って、もう一度鞄を叩いた。

 「5年くらい前かな。一度玉壺春が海外のオークションに出たときがあったけど、あんときは確か、1000万くらいだったと思う。今なら、1500から2000はするだろう。それにこれだけの来歴があったら、ひょっとしたら3000くらいいくかもな」「そんなにするのか?」「うん。今、元染は人気だからな」

 先日の3億円の大皿のニュースが、それに拍車をかけていることに相違ない。そう言ったあと、才介は腕を組んで顔を上げ、「しかし、無い袖は振れねえ。おれが用意できるのは、あと300万だ。それならなんとかなる。……都合、800万だ。こういう小さい市場だ。うまくすれば買える可能性はある。あとは……」才介は再び目を閉じ考え、そして「まあ、出たとこ、勝負だ」と、組んだ腕を解き、パンっと両手を力強く合わせた。

 

 今日の市は一日限りである。午前中が下見で、昼に弁当が配られ、そのあと午後1時くらいから競りが始まる。元染の順番はちょうど中盤くらいなので、だいたい3時あたりか。ぼくの腕時計は11時半をさしていた。

 いったんひと気のない廊下の隅の方に行くと、ぼくらは作戦を練る。才介が部屋を行き交う人びとに目を配りながら話した。

 「問題は、どういうやつらが競るかだ。今のところ、おれの知ってる東京や関西の強い業者は来てないようだ。ただ、この情報はそういう奴らにはすでに回っているだろう。でもここは別府だ。すぐに飛んで来れる場所じゃない。撮影も禁止。古い売立図録も簡単には手に入らないから、注文するやつも、固い数字しか出さんだろう」「固い数字は、いくらだ?」「おれだったら、モノを見てないんじゃあ、精々500~600万くらいだと思う」「なるほど」「ただ……一番の敵は、中国人だ。今日来ているやつらはモノのわからない仲介業者だから、その向こうにいる金主がいくら出すかだけど、あいつらは、金は持ってる。オークションなんか見ても、図録の写真だけでかなりの額まで競るからな」「そうだな」――前回出たという堆朱の大合子も中国人が落札している。

 「だけど、ラッキーなのは、その写真が出回らないこと、図録もすぐに手に入らないってことだ。実物を見ているおれらのほうが、一歩も、二歩も先にいる。いろんな意味でツイてると思う」そう言って才介は顔を上気させた。そのときぼくの頭に犬山の顔が浮かんだ。

 「そうだ。売立図録にちょい詳しい友だちがいて。ちょっと、訊いてみようか。その中山家って、知ってるかどうか」「頼む!そういう情報はあればあるほど、ありがたい!」才介はぼくの腕をつかむと目に力を込めた。

 ぼくは携帯を取り出し、犬山に電話。暇なのか一回で出た。「なんだよ?」「あのさ、売立図録について訊きたいことがあって」「ほお? 何か名品でも出たか? ハハ」相変わらず呑気な声だ。「加州中山家の売立って知ってるか?」「加州?中山家?」「そうだ」犬山は少し考えながら「加州っていったら……、加賀藩か?」「持ってるか、その図録?」「いや、ここにはないけど……」と言ったあと、急に声のトーンが上がった。「ああ、思い出した! 加州中山家! それは、ごっつい家だ」「売立図録がそばにあるんだけど、かなりの豪華版なんだ」「たしか、あれは……加賀藩支藩の……何つったかなあ、忘れたけど、その藩のえらい家臣の家だ」と言ったあと少し間を置いてから、「そうだ。全国の売立図録を隈なく調べた学者がいて、それをまとめた本がおれの部屋にある。それ見ると詳しくはわかるかもな」「マジか!」「いつの売立だよ?」ぼくは即座に手帳を開く。「ええと、昭和9年11月26日だ」「場所は?」「東京美術俱楽部」「OK! 調べてから、また電話する」「よろしく頼む!」

 ぼくが以上の内容を知らせると、才介は「そいつは、頼もしい!」と顔を綻ばせた。

 犬山の電話を待っている間、ぼくは、さきほど坊主頭の業者が元染の首のところを指し「折れてるね」と言っていたことを思い出した。あのとき才介は、それを聞くなり大きくうなずいていた。ぼくが問うと才介は、「あれか――」と言って話し始めた。

 「前からよく聞いてたんだ。不思議と元染の玉壺春は、首がはずれてるということを。たいていがそうらしい。何でだかわからないけど、首の途中が折れて繋いであったり、その上が欠損していて丸々後補だったりするものも結構あるって。あれも、首の一番細い部分が一回外れて修理がしてあった。だけどあとはオリジナルなので、キズはあるが、それで値打ちが下がるほどでもないと思う。むしろ、折れていたことは、これが元時代の本物の証明にもなるからな。それでおれは、間違いないと思ったんだ」

 ――なるほど。ぼくは初めて知った。大体の玉壺春の首にキズがあるということを。今度、三代目にでも訊いてみよう。

 

 才介が元染で頭を悩ましている間、ぼくは別の部屋にあるモノの下見をした。隣のうぶ口に集中して他の荷を見ていなかったからだ。しかし、その部屋に並べてあるモノは、昭和時代の贈答品のガラスや陶磁器、よく見かける木彫りの熊、ガラスケースに入った日本人形、昔祖父(じい)ちゃんの家にあったような天眼鏡、明治時代の火鉢などなど、雑貨品のようないわゆる「我楽多(がらくた)」がそこかしこに置かれていた。

 そんな感じだから、全く期待せずに漫然と見て歩いていたところ、安南(あんなん)と呼ばれるベトナムの、15~16世紀の染付香合が5,6個置いてあるのが目に入った。古いモノもあるんだなと思って側に寄ると、そのなかに唐三彩の平たい碗がぽつんと一つ置かれてある。ぼくはそれを手に取る。

 口径10センチ、高さ4~5センチくらいか。球の下四分の一を横で切ったような形で、高台は無い。外面には半円形の小さな蓮弁のような文様が、底部から幾重にも連なるようにあらわされ、その蓮弁のなかには鱗状に小さな点がいくつも入っている。これは、手彫りではなく型押しでなされているようだ。外側は褐釉一色、内側には、緑、白、褐の三色が掛けられている。

 型の抜けが良かったのか、外側の文様は立体感があり、ぼくの眼はその碗に吸い込まれていった。釉調も冴えていて、なかなか瀟洒な趣を持っている。が、何となく色の具合が綺麗過ぎるようにも思えた。――ニセモノか? ぼくは気になった。モノの横には箱が無い。いわゆる裸である。ぼくは、いったん飾り台に戻してから、もう一度眺めた。一見良いように思えるが……、うーむ……。見れば見るほどわからなくなってしまった。

 ぼくが首をひねっていると、部屋の出入り口から才介が手招きを繰り返しているのが見えた。それに対しぼくは降る手に力を込め、逆に才介を呼んだ。才介が不機嫌そうに近寄って来る。

 「いったい、何だよ?」ぼくは三彩を指さす。「これ? どう思う?」才介は大儀そうに碗をつまみ上がるや裏側をひっくり返すと、一瞥して元に戻し「こんなん、新物(あらもの)だろ」と一蹴。「うーん、そうかあ」ぼくが再びモノを手にしてしばし見つめる。「そんなの、香港にたくさんあったじゃん。箱無しの裸じゃ、最近香港から来たレプリカだよ。間違いない」

 元染に意識がいっているせいか、才介は全く取り合わない。まあ、そう言われてみれば、香港の贋物ショップにたくさんありそうなタイプだ――

 ぼくが釈然としないまま三彩を飾り台に置いて下がろうとすると、横からぬっと出た手が碗をつかんだ。ぼくはその方(ほう)に目を向け、思わずはっとなった。長い髪を後ろで束ねた痩せた顔のなかで、薄い銀縁眼鏡が微妙に動いている。――贋作堂だ。才介も気づいたようで、表情をこわばらせている。贋作堂はしばらく三彩碗を見たあと、ぼくらに目もくれず前を横切ると、隣の部屋へと向かって行った。

 

 「来てんのか、あいつも」姿が見えなくなってから、ぼくがそう言うと、「あの野郎。どうせ、こういうところで贋物安く買って、儲けんだろう」才介は三彩に目をやり、「あれも買うかもしれんな」ぼそりとつぶやいた。

 ぼくが嫌な気分に襲われたそのとき、携帯が鳴った。どうやら犬山が、売立図録について調べてくれたらしい。ぼくは三彩碗に目を向けながら携帯を開いて耳にあてた。

 「わるいな。わかったか?」ぼくがそう尋ねると、「もしもし……」と女性の声。「?」「ごめんね、Kさん。お仕事中に……。今、大丈夫……?」それは、久しぶりに聞くReiのそれであった。

 

(第34話につづく、3月3日更新予定です)

 

青花花卉文八角瓶(玉壺春) 元時代(13-14世紀)

青磁三足香炉(砧青磁) 龍泉窯 南宋(13世紀)

 

三彩印花碗 唐時代(7世紀)





 

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骨董商Kの放浪(32)

 温泉市(いち)の情報を聞いた数日後の一月の下旬、ぼくは総長の家を訪れた。香港で買ってきた漢時代の蝉炉の代金を頂戴するためである。

 

 正月三が日の過ぎた頃、ぼくは総長から電話をもらった。家に遊びに来ないかとのこと。そのときぼくは香港で仕入れたこの蝉炉を持って参じたのだった。

 案の定、総長はこれを大いに気に入り、値段を問わずお買い上げになったのである。ぼくとネエさんが想像していた、崩れるような笑顔が、このとき現出したのであった。

 展示台の一箇所に作品を置き、二人してしばし見入ったあと、総長は優しいまなざしをそのままに、軽く首を傾げ訊いてきた。

 「Kさん、いったい、どんな味なんでしょうかねえ?」――成虫か幼虫か判然としないが、方形の七輪にかけられた二本の串の上に、蝉が五匹ずつ並んで載っている。漢時代には、死後の世界も同じ日常がおくれるようにと、こうした現世の一コマを切り取ったような明器(めいき)(副葬品)が多数つくられている。これもその一つ。当時蝉がこのように炭を入れた炉で焼かれ食されていたのであろう。

 「味かあ。うーん……」ぼくがにわかにイメージできず、首をひねって考え込んでいると、「2000年前の味ですよ?」と総長はつけ加えると、笑みを湛え感じ入るように言った。「ぼくはねえ、こうして串の上で焼き上がってくる間、周りにいるひとたちは、みんなはお腹を鳴らしてたんじゃないかなあ。夕方前のちょうど小腹が空いた頃で、早く食べたいなあって。そう思うと、何だかこれが、美味しそうに見えてくるんだなあ。いやあ、愉しいなあ」

 モノのなかにすっと入り込んでしまう総長の嬉々とした横顔を見つめながら、ぼくは、込みあげてくる喜びをかみしめていた。Lioの店でこれを見たとき浮かんだ映像が、そのまま現実となったからである。香港出張で最後に巡り合ったモノが日本へ渡り、今こうして好事家のもとへおさまる。その橋渡しを自分がしているわけで。

 ちょっとおおげさかもしれないが、骨董商冥利に尽きると。このとき、そんな気分に浸っていた。――正月早々、ぼくは確実に一つ商売を果たしたのだ。

 

 ということで、今日はそのお代を受け取りに、いつものように、コンクリートが露出しているスタイリッシュな展示室のなかへ入ったところで、ぼくは立ち止まり少々驚いた。そこに先客がいたからである。

 四十歳くらいか。眼鏡をかけた利発そうな男性が立ち上がってお辞儀をした。総長が紹介する。

 「こちらは、愛知県にある美術館の学芸員の先生」学芸員はCと名乗った。「C先生ですか」ぼくらは名刺を交わした。「さあ、座ってください」総長の言葉で椅子に座ると、テーブルの上には蝉炉が載っている。

 「Kさん、実は良い知らせがありましてね」総長の笑みが弾む。「今開催している展覧会があるでしょう。これを、この度追加出品することになりまして」それを聞いてぼくは「えっ!」と驚きの声をあげた。その横でC先生がにこりと微笑んでいる。

 

 昨年11月から東京近郊の美術館で、『中国古代の暮らしと夢』というタイトルの展覧会が開催されており、ここに総長の所蔵品がいつくか貸し出されていた。以前ここで拝見した元~明時代の四合院(しごういん)という家屋のミニチュア模型や、ネエさんの店で最初に買われた青銅加彩の人物鎮(ちん)など。

 展覧会には、開催してまもなくの頃に、総長とネエさんと三人で伺った。いかにも総長好みのモノが満載で、一点一点じっくりと都合三時間以上かけて見ていたのを思い出す。

 ――中国古代、主に漢時代(前2~後2世紀)につくられた、「水榭(すいしゃ)」と呼ぶ三層もしくは四層の火の見櫓(見張り台)や楼閣をはじめ、穀倉、農舎、豚小屋、鳥小屋、井戸、竈、便所などの建築明器の他、人物や牛、犬などの動物を象った「俑(よう)」と呼ばれる土偶の一群など、概ね陶製の副葬品を一堂に会した展覧会で、当時のひとびとの生活をある意味一望できる充実した内容となっている。

 その展覧会に、この蝉炉も追加で出品されるとのこと――。自分の見つけてきたものが、展覧会に陳列されるとは光栄の至りであるが、ぼくは突然のことで実感を持てずにいた。

 蝉炉を見ながらC先生が、「いやあ、これは実に面白い作品です。類例もないし。もちろん今回の出品物にも見ないものですので。是非にと思って」「いつから、出品されるのですか?」ぼくが尋ねると、「今度のうちの美術館からの展示にと思ってます」それを受け、総長が目を細めた。

 「愛知県ですね。いいでしょうねえ。あそこは広いから」

 ――この展覧会は、先ず東京で開催し、その後、愛知、大阪、岡山、山口の美術館を巡回し、最後に今年の秋になるが、再び東京の美術館でおこなわれる一年以上の長期に及ぶ大規模なもの。

 「図録はもうすでに出来上がっていますので掲載できませんが、よろしかったら、次の愛知県から最後の東京まで展示させていただけたらありがたいです」C先生の依頼に、「もちろん、どうぞ」と総長は笑顔で快諾した。

 

 帰り道、ぼくとC先生は並んで駅までの道を歩いた。

 「Kさんは、あの蝉炉を香港で買ってきたんですよね?」「はい」「ぼくもね。たまに香港に行くことがあって、骨董街、何て言いましたっけ?」「ハリウッド・ロード」「そう。そこに行ったりしますが、なかなか、これはってモノ、ないんですよね。さすが、プロだな」

 プロだと言われ、ぼくは気恥ずかしくなってしまい、「まだ、プロではないですよ」と手を横に何度も振って、「詳しい先輩にいろいろと教わって。たまたま、見つけました」「あれは、学術的にも、美術的にも面白いモノですよ」ぼくはさらに気恥ずかしくなり、しきりと後頭部を掻いた。

 「うちの美術館にも中国陶磁があることはあるんですが、みんな寄贈品で。数が少なくてね」「さっき、総長が仰ってましたが、すごく広いって」「はい。本当に、広いんです。敷地だけだと日本屈指じゃないかな」そしてやや苦笑ぎみに、「だから館内も広くってね。展示品を飾るのもたいへんなんです。うちは、やきものの美術館で、収蔵品はやたらとあるんですが、ほとんどが日本陶磁でね。もっと中国陶磁が欲しいと思ってるんです」

 そう言うと、C先生はいったん足を止めてぼくの方へ向き直った。「ですから。今回みたいなモノがあったら、紹介してください」その熱い視線に、ぼくは思わず「あっ、は、はい!」と声を張り上げ背筋を伸ばした。それを見てC先生は口元を緩め、「でも、公立なので、そんなに予算はつきませんがね……」と言って歩き出す。その背中を見つめながら、ぼくはこのとき、身体のなかに新鮮な力が湧いてくるのを感じていた。自分の前に、何か道が広がったような気がしたからである。そしてすぐに歩を早めると、C先生の横に並んで歩き出した。

 少し会話が途絶えたところで、ぼくは改めて尋ねた。「先生の専門分野は、中国のどこですか?」「ぼくですか?ぼくは、元時代の青花です。元染(げんそめ)ですね」「元染?」「はい。昨今、景徳鎮(けいとくちん)での研究が進んで、よく学会が開かれるんですが、その度に行ってます」「景徳鎮にですか?」学者は「はい」とうなずいた。

 ――景徳鎮とは、江西省にある窯業都市。やきものの町。ここで宋時代から優れた陶磁器が生産されている。特に、元時代から明、清時代にかけて、この地で青花、五彩などの官窯磁器が焼造された。

 「行くたびに、びっくりしますよ。研究の進歩の速度は当然のことですが……」と一つ間をとってからにやりとし、研究者とは違った顔を覗かせた。

 「めちゃくちゃ、上手い贋物がつくられていて」「――贋物?」ぼくはぎょっとした顔で見返す。「贋物がつくられてるんですか? 景徳鎮で?」「おそらく――」

 ぼくはそのとき、先日伺った大屋敷で見た元染の大皿が目に浮かんだ。しかし、そんなものは全く比でないレベルの贋物なのだろう。ぼくは大いに気になった。

 ――「そんなに上手いんですか?」「はい。何しろ、元や明時代の地層から当時の土を採取して、それを使って景徳鎮の陶工がつくってますから、見分けがつかないくらいです」その情報を聞いてぼくは仰天した。専門家がわからないくらいのニセモノがつくられているという実態――。何ということだろう。一つ息を飲んでから、覗き込むように訊いてみた。

 「それって、市場(マーケット)に出てたりしてるんですかね?」その問いに、学者は間髪入れずに答えを出した。「たくさん出てますよ」「えっ!」ぼくのその表情を見ながら、「だから、プロヴィナンスの無いモノは怖いですね」と話しを締めた。

 ――プロヴィナンス-「来歴」。つまりこれがあるかないかが重要、ということである。

 

 その翌日、ぼくはZ氏の店に向かった。品川駅の露店市の帰り道、「実は、今、うちに名品がきています。見に来ませんか?」と、あまりにもストレートに、ぼくのハートを鷲掴むような勧誘を受けたからである。

 相変わらず、目立つことを自ら拒んでいるかのような佇まいの店先に立ち、ぼくは静かに扉を押した。もちろんアポを取っていたので、なかに入るや否や癒しの笑顔が出迎える。

 「お久しぶりです」Miuの向こうの畳の間にはカリスマが座っている。「この間は、どうも」「さっそく、参りました」ぼくは軽く頭を下げてから、畳の上にあがる。しばらく雑談。その間Miuがお茶菓子を目の前に置く。羊羹をスポンジで挟んだ小ぶりなシベリアのような洋菓子。それを手でつまむと、器が目に入った。程よい大きさの曜変天目の欠片(かけら)。前回伺ったときに話していた陶芸家の作だろう。曜変の青白い光彩が煌めいている。菓子皿が下げられると、抹茶が一服出される。

 その茶碗を見て僕は目を丸くした。これは、アンダーソン土器ではないか!?

 ――アンダーソン土器とは、紀元前2500年頃に甘粛省でつくられた、黒と紫に近い赤色の顔料で幾何学文様の描かれた「彩陶(さいとう)」と呼ばれるやきもの。これらの様式の一群を、20世紀初めにスウェーデンの地質学者アンダーソン博士が発見したことからその名が付いている。アンダーソン土器の多くは、両側に耳の付いた胴が横に張った大形の壺であるが、ごくまれに小形の容器のような作品が見られる。これは、かなり小さく茶碗に使える寸法。とはいえ、土器であることに違いはなく、しかも表面に顔料が塗り付けられているので、実際お茶碗として使うには何とも抵抗がある。

 それを見てZ氏は説明する。「口をつける部分、口縁部には、漆を施して仕上げてあります。また、表面は透明の樹脂でコーティングしてありますので、使うには全然問題ありません――」

 ぼくはあっけにとられ、しばし新石器時代の土器の茶碗を見つめた。本来は茶碗より大きな容器なのだが、壊れた口縁部をきれいに処理し漆で作り直している。内部もコーティングされているので、Z氏の言うように、お茶を点てても何ら問題はなさそうだ。

 ぼくは、お茶道具に関してそれほど深くは知らないが、アンダーソン土器のお茶碗は、いくら仕立てたモノとはいえ、世の中にこれ一点だけだろう。要するに、想像の彼方にあるようなものだ。ぼくは驚きと同時に、カリスマの「新骨董」という境地を、改めて思い知らされた気がしていた。

 「これは、驚きです!」飲み切ったあとの器の拝見をしながら、ぼくは感嘆の声をあげた。それをカリスマは笑顔で返す。「誰もしない意表を突く発想が、案外、斬新なものになったりするものです――」

 

 いったん奥に下がったZ氏が、30センチほどの高さの古びた箱を、両手で抱えるようにして戻ってきた。

 これが、名品か。ぼくは注視する。

 Z氏はゆっくりと畳の上に置くと、箱の手前の差し蓋を上に引き上げたのち、中身を取り出そうと身体を前に屈めた。左右の手をそれぞれ箱内の脇下に入れ、手前に引き寄せる。どうやら、飾り台に載った作品のようだ。

 ぼくは、以前ネエさんのところで見たハッダの頭部を思い浮かべた。黒い台の上に飾られていた女神の美しい顔立ちが脳裏をよぎる。Z氏は、下の台を手繰り寄せるように、少しずつ手を動かしている。そして、モノを取り出した。

 Z氏はぼくの真正面に坐しているので、こちらからは箱の陰に隠れてしまっていて、まったく本体が見えず。カリスマは取り出すと、いつもの深く優しい眼をいったんモノに置いたのち、箱を横に動かした。と同時に、漆黒の木製の台座に載った赤い煉瓦色をした後頭部が現れた。――土偶だ。縄文土偶か……。息を飲んだ瞬間、Z氏はゆっくりと反転させた。土偶の顔がぼくの正面を向く。

 ――それは、埴輪の女性であった。

 穏やかなカーブを描く頬のライン、筋の通った鼻梁、穿(うが)たれた目と口、飾りを付けた耳、細い頸部、頭頂部の結った曲げは失われているが、後頭部に多少残っており、顔面には何やらベンガラで色が施されていたのであろう、表面がところどころ赤くなっている。

 それは、ぞっとするほど美しい埴輪の顔であった。

 そして、ぼくはその顔をどこかで見た気がしていた。すっとした鼻筋にくっきりとあらわされた目と小さいながらきりっとした口元の表現、そしてなよやかな細い頸筋。

 ――そうだ。これは、あの数学博士、教授の家の、寝室に飾ってあった一枚の水彩画と同じものだ。

 あのとき教授は、これを「天皇陵から出土した皇女の像」と言い、そして、「今は行方が不明だが、いつかきっと出て来る」、「ぼくはこれを手に入れるためにこの絵に願をかけている」というような話をしていた。そのときの教授の粘着質なまなざしと、ベッドに身体を横たえたときに、その絵が、ちょうど目に入る位置に掛けられていたのを見て、ぼくは背筋が寒くなったのを覚えている。

 「こ、これは……天皇陵から出土した……行方不明のモノ……」ぼくがそう言った瞬間、カリスマの弓のような細い目が崩れた。

 「知ってましたか?」「いや、前に、そんなことを言っている方がいて。それで、これなんじゃないかと、ふと、そう思っただけで」「そうしたら、おそらく。このことでしょう」その眼はまた、元の緩やかな曲線に戻った。

 埴輪は、高さ20センチ弱の、一見すると何とはない首から上の人物像であったが、Z氏が「名品」と評したとおり、その顔立ちに、ただならぬ気配を漂わせていた。

 頬の丸い膨らみをあらわす緩やかなラインと、黒い台座の上に据えられたたおやかな細い首は、この像が少女であることを示していた。それは、切れ長のやや大きな目の形と、小さな口の表現にも感じ取ることができる。齢は十二、三、いやもう少し下に見えなくもない。

 高く通った鼻筋、宙の一点をしっかりと見据えている凛々しい目つき、そして僅かな微笑を湛えているかのような口元、これらが相俟った面貌には、幼いながらも凛とした威厳が感じられ、まさに「皇女」に相応しい品格が備わっていた。

 

 ――埴輪は、主に古墳時代の5世紀から6世紀に制作され、圧倒的に多いのが「人物埴輪」と呼ばれる人物を象った作品。

 鎧を纏った武人、冠を頂く官人、装飾性の強い結髪をした高貴な男女など。基本、素焼きの土製品のため土質は粗くもろい。また副葬品として土中に長く埋まっていたせいか、発掘した時点で壊れてしまっているものが大半。よって、完形品は皆無に等しい。人物像も、このような顔部分のみが残り、装飾の施された頭髪部分は欠損していることが多々。人物の顔は、鼻を付け、目と口は無造作にくり抜かれ孔(あな)が開けられているだけの、精緻さのかけらもない簡素な造り。――ただこの一見無表情ともとれる顔立ちが、実に豊穣な面相を繰り広げるのである。

 粗野な紅い土の上に、思いのままに落とし込まれた目と口の何気ないつくりが、かえって深奥な表情となってあらわれ、見る者の心をとらえて離さないのである。そこには、同じ日本の土偶であっても、縄文土偶には無い日本の血がかよっているようにみえる。「やまと」の美がそこにあるのだ。

 

 畳の上から床の間に移され、飾られているうら若き乙女の像に、ぼくの眼は釘付けになっていた。先ほどまでは眼の前だったが、やや距離を置いて眺めるとまた格別である。顔だけであるにもかかわらず、背筋の伸びた姿勢の良さが感じられ、その容貌に気品が満ち溢れている。

 見つめているうちにだんだんと、なぜ教授がこの像に執心しているかがわかるような気がした。切れ長の目と微笑を湛えた口元の醸し出す雰囲気が、国も性質もまったく違うにもかかわらず、あの博士が後生大事にポケットのなかにしのばせている北魏の鍍金仏像の顔に、一脈相通じているように思えたからである。

 そして、これを見てしまった以上は、教授に伝えなくてはならないだろうと。ぼくは少し頭を整理してから口を開いた。

 「これは、売りモノですか?」もはや単刀直入に訊くのが自然の流れのように思え、ぼくはそう尋ねた。「はい――」カリスマは表情を変えず端的に答えた。

 すると今度は、値段である。ただ、それを直ちに訊くのはさすがに憚られた。当然であろう。買える身分でもないくせに、それは誠に失礼である。だが、この話しを教授にしたら、必ずや値段を訊いてくるにちがいない。ぼくは口を閉ざし、皇女を見つめながら熟考した。いったい、いくらくらいだろうかと――

 

 ――品物には、それに対しての相場というものがある。現在中国陶磁は高騰しているが、それはすべての分野ではない。元、明、清時代の官窯作品は、先日の香港やパリの海外オークションで何億も、十何億も売れたりして、飛び抜けて高くなっているが、古代の、例えば先ほどまでぼくの目の前に置かれていたアンダーソン土器は、その代表的な大きな壺ですら、どんなに高くても100万はしない。総長におさめた漢時代の副葬品は、何十万程度。

 マーケットはその時々の流行を背景に、需要と供給のバランスで値段が決まっていくわけであり、現在中国古美術市場の主導権を握っている中国人バイヤーの好みは、元、明、清時代の作品に集中している。なので、それ以外は案外安いのだ。

 それでは、埴輪はどうだろう――

 これは日本美術で、中国のような国際市場ではない。よって、取引は主に日本国内に限定されることから、相場は決して高くはない。ぼくはまだまだ詳しくはないが、市(いち)で見聞きした情報を基に考えると、人物の頭部だけだと、高くて数百万だ。よっぽどのモノなら、500万はするかもしれないが……。

 ただ、カリスマが「名品」と位置づけた特別な作品である。当然その上をいくことは相違ない。

 

 ――「名品」の価格は、相場があってないようなところが多分にある。つまりは、「言い値」の世界――このクラスになると、いくらでもいいから欲しいというひとたちがいたりするので、もはや値は「言ったもん勝ち」みたいなところもあるのだ。

 ただそうは言っても、やっぱり相場というものがちゃんとあって、モノに対する思いが強く出過ぎたり、商いの利欲が絡んだり、傍観者たる通人の無責任な声を鵜吞みにして途方もない額を付けたりすると、今度は肝心の売買が成立しなかった、というケースはよくある話で。――要するに、主観的なところは大事であろうが、客観性を失ってはいけないのだ。なので、その値決めは甚だ悩ましく、よって予測は困難極まりない。

 

 という諸々の事情が頭のなかを巡り、ぼくは値を訊くのを躊躇っていたが、これに関しては教授の身になって考えねばならず、それは必然的に数字に帰着することになる。やはり、ぼくはその額を知り得なければならないのだ。そして、ぼく自身、カリスマが付ける埴輪の名品の価格がいったいどんなものであるのか、この点においても、はなはだ深い興味を抱いていた。

 ぼくは埴輪に視線を向け「実は……」と切り出した。

 「この埴輪を以前から追い求めているコレクターがいらして、たぶん今日の話しをしたら、是非見たいとおっしゃると思います。「そして……」目をカリスマに移し、「もし、差し支えなければ、お値段を……お聞かせ願えますか?」

 ぼくは正座した膝上に載せた両手をぎゅっと握った。Z氏は変わらぬ笑顔でぼくを見つめ、「はい。わかりました」と答えると、床の間の埴輪に目を向け、「値段は……」と言ってから一度口を結んで、切れのある声を放った。

 ――「7000万円です」「‼」その数字に一瞬耳を疑ったが、こちらに目を戻したカリスマの、淡々とした表情を見て現実に返ったぼくは、大きく息を吞んだ。

 想像を遥かに超える金額に、目は開き拳にはさらに力が入る。硬直した身体をそのままに、ぼくはしばらくZ氏を見つめていた。そして、ようやく息を整えてから「凄い……値段ですね」と一言。それを受けZ氏は二、三度小さくうなずいて「はい」と言ったあと

 「実は、これは、わたしの付けた値段ではなく、この持ち主の付けた金額なのです」

 なるほど。――この埴輪は、どうやらZ氏の商品ではなく、所有者から売却を委託されたモノであり、値段はそのひとが決めたということのようだ。要するに、現在の所有者が7000万円でこれを売ってくれと、Z氏に頼んだということである。

 それを知り、ぼくはある意味釈然とした。めっぽう強い値段の理由(わけ)。――これはまさに、このモノの価値を十二分に理解していて、しかも商売を度外視した、コレクターの情熱が遺憾なく反映された、最終プライスだ。蒐集家の付ける値とは、往々にしてそういうものなのかもしれない、と。

 「よほどだいじにしていたモノなのでしょうね」ぼくは当然ともいえる質問を投げかけた。「はい。30年くらいは持っていたのではないでしょうか。他のモノは全部手離されましたが、これだけは最後まで身近に置いていて」

 そのコレクターがどんな方かは知らないが、それはぼくが知らないだけで、この業界ではとうに知られたひとなのかもしれない。宋丸さんなんかに訊いたら「――ああ、あのひとか」とすぐに名前が出て来るような。名品だけでも相当数ある大コレクションを築いているような。――たぶん、そうにちがいない。何ていったって、あの教授が執念を燃やし求め続けている名品を、最後まで手離さなかったひとなのだから。

 ぼくは改めて7000万という数字を頭に描いた。市場(いちば)に出入りする業者からすれば、狂っているとしか思えない金額であろうが、この埴輪に惚れ込んだ高尚な愛蔵家からすれば、当然の価格なのだろう。最もだいじにしていたモノに対する値段である。

 ――これは、この作品の芸術的価値をあえてお金に換算したときに最後に行き着いた、ある意味崇高ともいえる数字なのだ。値段を訊いた瞬間は驚愕したが、今この出色の埴輪を見ていると、それは決して法外な額ではないような気がし、ぼくは身が引き締まっていくのを感じていた。

 

 それからしばらくの間、粛然とした空気を感じながら、ぼくはZ氏とともに無言で埴輪を見つめていた。

 やがてMiuがぼくの横に座り、そっとお茶を置いた。番茶であった。ぼくは軽く深呼吸をしてからそれを啜った。

 Z氏は視線を少し浮かせるようにして床(とこ)を見やり、静かながら流暢に語り始めた。

 「これをお持ちだったひとは、二回事業に失敗して大きな借金をつくり、そのため所蔵品を売り尽くしましたが結局完済できず、挙句の果てに家屋は取られ一家離散、その後生活保護を受けながら三畳一間の安アパートに独り暮らし、昨年重い病のため余命半年の宣告を受けて、現在は施設に入り死期を待っています。わたしは、その方から、これの売却依頼を受けました――」ぼくは思わぬ話に、Z氏の顔をただ見つめるばかり。Z氏は、今度は力強い視線を埴輪に向けると、話しを継いだ。

 「倒産時に会社から個人的に借り受けていた額、十年に及ぶ協議の末離婚が成立した前妻への慰謝料、年利50%の闇金からの借入総額、行方知れずの知人の残した借金の連帯保証料、友人から借りた借用証書六件の総額、埴輪の売却時に生ずるわたしへの仲介手数料、そして、ささやかながらご自身の葬儀代、〆て7000万円。これで、この方の人生はフラットになる。その金額です――」

 呆然とし焦点の合わないぼくの顔に目を移すと、Z氏はふっと口元を緩めて言った。「なんという、世俗的な数字だと思ってらっしゃるでしょう――」返答不能のぼくを見て、「――骨董とは、そういうものです」カリスマは細い眼のなかに異様な光りを灯した。

 

 「ただ、7000万という数字は……」Z氏は再び埴輪に目を向けると、「このモノに相応しい値段だと思ったので、取り扱わせていただいたのです」

 そしていっそう力を込め、「これは天下の名品です! わたしの憧れのモノでした。埴輪の首に、7000万! いったい、誰が払いましょう? 普通でないことは重々承知。かなりの覚悟が必要です。その覚悟に価する数字です。上にも下にも行きません。これが適性の額だと思い、わたしはそれを厳粛に受け止めました。このモノの価値を後世に残すためにも、譲歩してはならない額なのではないか、と思ったのです」

 「そのモノに相応しい額」、「譲歩してはならない額」というフレーズを聞きながら、ぼくはふと、以前宋丸さんが買ってくれた高麗青磁の小皿の一件を思い浮かべていた。――代金だと言って300万を渡されたとき、ぼくはてっきり30万かと思いそれを告げると、「それはモノに失礼だろ!」と一喝されたあの出来事である。

 そのときぼくは、その意味を深くわからないでいたが、今Z氏の話しを聞くに及び、理解の縁に立ったような思いがしていた。

 流通価格はあるにせよ、それに流されず、質の高いモノに対しては、適正な判断をして値を付け動かさなければならない、ということを。特に、「名品」は別格で、尊厳と覚悟を持って対峙しなければならない、ということを。安売りなんてしたらそのひとのレベルの低さが露呈されることになるわけで。

 ――つまり品物の値決めは、その商人の「格」が示されるのだ。

 ぼくは、「骨董商の本来」を、まだほんの入り口ではあるが、確(しか)と感じたように思え、ありがたい思いを胸に埴輪をみつめた。

 カリスマは最後に次のような言葉で締めくくった。

 「名品の値は、破格であって当然です。それは、名品だけが持てる特権といってもよいでしょう。それに対し、われわれは、ただ、胸に手を当て、頭を下げるのみです――」

 

 埴輪の顔の、目の下から頬にかけて粧(よそお)われているベンガラの朱の色が、まるで血が通ったように艶を増したように見えた。

 それはきっと、皇女が一瞬微笑んだからだろうと、ぼくは思った。

 

(第33話につづく 2月10日更新予定です)

 

埴輪女子頭部 古墳時代(5-6世紀)

緑釉水榭 漢時代



彩陶茶碗(アンダーソン土器) 前2500年頃






 

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骨董商Kの放浪(31)

 年明け早々に、香港から雍正筆筒の代金が才介の口座に入金された。手数料を差し引き840万円ほど。「半分送るぞ」と、ぼくの口座に約420万が振り込まれた。そこから、Saeから借りた300万を返金する。手許には120万ちょい。300万を失ったことを考えれば上出来である。

 年も改まり、美術俱楽部でブンさんの所属している個人会の初競りがあり、ぼくと才介はブンさんの店員ということで参加。そこで才介は、香港で仕入れた細々とした品を売ることに。品選びは、ブンさんを中心に当然才介も手伝う。「今、中国モノは上り調子だから、このあたりでも結構売れるぞ」ブンさんの太い腕がこまめに動き、才介が持ってきたなかから20点ほどをブンさんの荷と一緒に、赤い毛氈の敷かれた飾り台の上に並べた。堆朱の小ぶりな香合や筆、奇石と呼ぶ奇怪な形をした黒い石の置物に翡翠のような色をした印材など。香港では、細かなモノを50点ほど仕入れているので、今回はその一部である。

 自分たちの荷飾りが終わると、ぼくらは下見を始めた。この会は会員500名という美術俱楽部で行われる個人会としては最も規模が大きく、名の知れた業者は皆入っている。反面、間口も広いので怪しげな奴らも多い。下見会場には、三代目の姿があり、贋作堂がうろついていた。こうした「交換会」と呼ばれる業者間によるオークションが、毎週のように美術俱楽部を会場として行われているのだ。

 今回は初競りということもあり、出品点数が2000点ほどと例会よりかなり多い。よって、下見が一日、競り日が一日と二日間にわたる。競りの当日は、売り順によって、飾り台から「ぼて」と呼ばれる黒い和紙を貼った長方形のトレイのような籠にモノが移され、それが会場内を回り最後は競り台に運ばれる。流れているぼてのなかで、最後にモノの確認をする業者も少なくない。会場正面の競り台には、会を主催する何人かの業者が立っており、中央の競り人の差配によって売り買いがなされていく。茶道具、古陶磁、古書画、刀、近現代絵画、新作陶器など様々なジャンルのモノが出品されているため、主催者側の業者にはこれらの分野に精通したひとたちが入っていて、各々の専門のモノが競り台に上がると、彼らが「発句(ほっく)」という最初の値段を発して競りが始まるのだ。例えば、志野茶碗の場合は、主催者の茶道具商から「○○円!」という威勢の良い発句が入り、それを受けて会場内から声が上がると、競り人が値段と声主を確認し、最終価格を発した業者に落札されるというしくみ。オークションでいうと、競り人はオークショニアということになるが、海外のオークションが、オークショニアの提示した値段を受けてパドルで購入意思を示すのに対し、美術商による交換会では、買主が自ら声を出して値段を示し、それを競り人がひろっていく形になる。したがって、「10万円」という発句のあと、「100万円」と、一気に値段が飛ぶこともしばしば。競り声も、相手を抑えるような鋭く威圧的な場合もたびたび。交換会は、プロ同士の戦いなので、オークションとはまた違った緊迫感が漂っている。

 二日目の午後にブンさんの売り順が巡ってきた。売主は出品物の確認をするため、競り人の側に立つ。ブンさんが前に立つと同時に、才介の荷の入っているぼてが次々と競り台の上に載せられていく。「売れてくれよ」と才介が小さく手を合わせた。発句はほとんどが「3万円」であったが、右肩上がりの中国骨董市場を反映しているのか、方々(ほうぼう)から声があがり値は伸びていった。最終的には、それらは予想をはるかに上回る額で落札され、最後の品が売れると同時に、才介は思い切りぼくの背中をバンと一つ叩いた。

 

 その日の晩は、ブンさんの仲間たち6~7人と食事。ブンさん行きつけの西銀座にある割烹料理屋の座敷で、わいわいがやがやと話しが盛り上がる。熱燗の銚子が何本か運ばれてくると、才介がそれを持って先輩方に注いで回る。「しっかし、才ちゃんの荷物、今日よう売れとったなあ」香港ママを紹介してくれた大阪の業者が、飲んだ杯を才介に返すと徳利を傾けた。「おかげさんで。上手くいきました」才介は満面の笑みでその杯をぐいっとあける。皆の皿が空いたのを見て、ブンさんが店員を呼び追加の品を注文。ブンさんも自分の荷物で一つ高く売れたモノがありご機嫌の様子。濃く太い眉と切れ長の鋭い目が、笑うと一気に崩れ愛嬌のある顔になる。この真顔とのギャップがブンさんの魅力になっている。ぼくがブンさんにお酌にいくと、その愛嬌ある笑顔で「なあ、Kちゃん、おれは中国モノあまりやらないから知らんが。なんだか凄かったらしいな、香港は」ぼくは返杯を受けてから「いやー、こんなくらいのものが16憶ですから」目の前に置かれた高さ6~7センチの向付を指して答えた。「成化の豆彩か」「まあ、日本にはないでしょうけど」それを聞いてブンさんが目を光らせた。「この間、パリのオークションで元染(げんそめ)が出ただろ?」「あの3億円で売れた大皿ですか」先月、パリでおこなわれたセールに元染の大皿が出品され3億円で売れたとニュースは、ぼくらの間では話題になっていた。

 「元染(げんそめ)」とは、元時代(1341-67)につくられた青花(染付)磁器の呼び名で、単に元時代の染付を縮めたもの。白磁にコバルトの青で文様が描かれる染付(中国では青花と呼ぶ)は、今ではごく一般的であるが、その始まりが元時代。その後の明時代以降、染付はやきものの主流となり、優れた作品の多くが江西省にある景徳鎮窯で生産された。元染は、大形の作品が多く、その象徴的な器形が口径40センチを超える大盤である。その一つが3億で売れたということ。

 ブンさんは続ける。「あれが何で、評価額の何倍もの値段で売れたかわかるか?」「何でですか?」「あれは、日本からの出品だったからだ」「はい。それは、図録に書いてありました」元染の出ている頁に、このモノが1972年に日本でおこなわれた展覧会に出品されたと書かれてあった。「今のオークションでは、来歴が重要視される。裏を返せばそれだけ贋物が多いってことだ。日本の古い展覧会か書物に出ていれば、間違いのないれっきとした証明になるからな。だから高くなったんだ」その言葉を聞きながら、先日犬山が語っていた「売立図録」の話しを思い出した。図録に出ているのと出ていないのとでは大違いだ、とあいつも力説していた。「所載物かどうかで、値段が何倍も違ってくる。たしかに、昔からそういうところはあったが、これからは、もっと顕著になる」ブンさんはそう言って杯を手にし、「こうなってくると、日本からどんどん海外に流れるな」と、それが良いことなのか悪いことなのか、どっちともつかない表情で酒を口に運んだ。元染のニュースは、この間の香港セールを目の当たりにしているぼくからみると、さほど驚くものではなかったが、この仕事をしている者にとっては大いなる関心事なのだ。

 「そうだ」ブンさんはいったん杯を置くと、僕に顔を寄せてきた。「さっき、才介には言っといたが、おれのお客さんで終活をしているひとがいて。まあ、ガラクタだが数がやたらとある。だからあんたら二人にやってもらおうと思ってて。大企業の元社長さんだ。ごっつい家に住んでる。小遣い稼ぎにはなるだろう」それを聞きぼくは「ありがとうございます」と頭を下げた。

 そろそろお開きの時間となりブンさんが「お勘定」と言って手を上げると、完全に酔っぱらっている才介が腰を上げるや片手を伸ばしそれを制する。「ブンさん、ブンさーん!今日は、今日は、おれに、おごらせてぇ、くださいっ!」「まあ、まあ、才介。そうしたら今日は、割り勘でいこうや」「いや、いや、駄目でーす!おれが、おれがあ、払いますっ!」才介は、ふらふらとレジに向かって歩いて行った。

 

 翌日の朝、ぼくは新聞の一面を見て驚いた。『中国古美術、日本から続々と流出-チャイナマネーで高騰』という見出しと、元染大皿の写真が目に入ったからである。記事は一面の四分の一を占めている。内容は、先月のパリに出品され約3億円で落札された元時代染付の大盤は、長らく日本人が所有していたもので、昨今の中国バブルにより、こうした品々が海外のオークションに流れ高額で中国人が購入しており、この勢いは当分おさまらないだろう、というものだった。最後にそのコメントをしたひとの名前が出ている。それは南青山の三代目だった。ぼくは、その文に何度も目をとおす。三代目の最後のコメントが頭に残った。「美術品はいつの世もお金のある方へ動くのが宿命。名品は格差のある社会にとどまる。社会が平均化している日本ではもはや中国に太刀打ちできないでしょう」その通りだと思った。この間の香港セールに出た小さな色絵馬上杯の16憶円と闘える日本人は、おそらくいないだろう。昨晩ブンさんも言っていたとおり、今後は日本からどんどん名品が海外に流れることに違いない。

 

 一月から二月にかけて、美術業界はいたって静か。国内ではちらほらと小規模な交換会が行われる程度。海外のオークションはどこも開催されていない。フェアなどのイベントも全くない。美術館の展覧会はというと、どれもありきたりの内容で特別感はない。要するに、シーズンオフなのだ。なので、一月の中頃になってから、ぽつぽつと仕事を始める業者も少なくない。しかし、そんな悠長なことはいってられないぼくは、巷の骨董市に足を運んだ。

 ここは、品川駅港南口に直結しているビル奥の、まあまあ広いスペースを二フロア使って隔週日曜日におこなわれている。ただ、ほとんどが古着や古道具類で目ぼしいモノはないのだが、休日ということもあり、毎回何やかやと人が集まっている。暇人のぼくは時間をかけながらゆっくりと、床に広げられた品々を見て回った。二階、三階にまたがり30ほどの露店を三周したが、案の定買うモノは無し。ぼくが駅に戻ろうと歩を進めたとき、独りしゃがんでモノを手にじっと考えている男性の姿が目に入った。しばし見つめる。どこかで会ったような。そして二三歩近づいて了解する。「あっ」近づいて「お久しぶりです」と挨拶。ぼくの声に優し気な眼が振り向いた。カリスマ骨董商Z氏である。

 「やあ、あなたでしたが。こんにちは」Z氏は目を細めて立ち上がる。「たしか、Kさんでしたよね?」「はい。でも、驚きました。こんなところにもいらっしゃるんですね」「よく来ますよ」Z氏はいつもの吸い込まれそうになる笑顔をみせ、「ぼくはね、美術俱楽部の会とかは逆に行きませんでね。こうした露店の市の方に出向くことが多いんですよ。こちらの方が性に合ってるのかもしれませんね」「こういうところで、仕入れたりもするんですか?」「もちろんです。そのために来ているんですから」なるほど。考えてみれば、「新骨董」という領域をつくろうというひとだ。それも何となくうなずける気がする。ぼくなんかには及びもつかない独特の感性でモノと対峙しているのだろう。確かに、美術俱楽部に出入りするひとびととは、次元の違う空気を宿している。

 ぼくは先ほどまでZ氏が手にしていた紙切れに目を注いだ。10センチ四方のなかに何やら絵が描かれている。「絵画の断片ですか?」ぼくはしゃがんでそれを手に取る。右半分は、薄緑色の葉に覆われた樹木が。左には濃い紫色で山が描かれ、山の緩やかな稜線に沿って四本の木の頭の部分が見えている。その上には空が水色で塗られていた。水彩でもなく、油絵でもなく、岩絵の具のような質感に、ぼくは日本の江戸時代初めくらいのモノかと思い、「大和絵ですかね?」とZ氏に目を向けた。「いや、これはインドのモノですね」「インド?」「はい。ミニアチュール。その上半分くらいじゃないでしょうか。おそらく下には、何人かの女性像が描かれていたと思います」「細密画ってやつですか」

 ぼくは以前、総長の家でミニアチュールというペルシアの細密画を見せてもらったことを思い出した。文字通り精緻な筆致で描かれた図様に、鮮やかな色彩が躍動していた。確かに、その雰囲気によく似ている。空の水色も清らかに映ったが、樹木の葉の緑色が濃淡を使い透き通るような色合いで、一枚一枚丁寧に描かれている。それを見て、ぼくは心が奪われた。と同時に、この存在に全く気がつかなかった自分を悔いていた。と同時に、カリスマの炯眼に敬意を表していた。

 「これを仕入れるんですか?」「はい」とZ氏はにこり。「今日はこれと出会えただけで来た甲斐がありました」ぼくは訊いてみた。「これも、新骨董、ですか?」Z氏はうっすらと笑みを浮かべ「いえ、これは17世紀のモノですから。新しいモノではありません。ただ…、」カリスマは宙に視線を置くと眼に力を込めた。「格好いい額に仕立てたら、必ずやモダンになるでしょう」確かに。紙自体は年代を経てくたびれ下の方はちぎれているが、本質は優れているのだ。見せ方によってまったく違った顔を見せるに違いない。ぼくは、以前教授のお宅で目にした、見事に額装された遮光器土偶の目を思い出していた。古いモノでも仕立て次第で新たな息吹が吹き込まれる。飾り台や展示ケース、額装や表装など、骨董は上手な手の入れ方によって、何倍もの輝きを見せたりするのだ。

 駅へ向かう帰り道すがら、Z氏は静かに言った。「実は、今、うちに名品がきています」「名品?」「はい。名品です」「名品」という言葉を受けて、僕の胸は高鳴り、そして踊った。「Kさん、よかったら見にきませんか?」「えっ、いいんですか?」ぼくの身体が急に熱くなる。カリスマの言う「名品」とは…。その言葉だけでは、まったくもって想像できないが、とにもかくにも興味深い。「はい!伺います」取りあえずぼくは即答。カリスマはにこりと僕に笑みを向けて言う。「是非。娘も待っていますので」名品は想像できなかったが、このときぼくの頭のなかに、Miuの癒しの笑顔が出現した。

 

 ぼくと才介は、都心からやや離れた場所にある豪壮なお屋敷の庭内に来ていた。先日ブンさんから頼まれた、大企業の元社長の家の片付けをするためである。ぼくはあんぐりと口を開けたまま庭を見回す。優に千坪は超えているだろう。ひょっとしたら千五百、いやもしかしたら二千坪はあるか。まるで小規模な公園を歩いているようだ。ぼくらを先導しているのは家主である元社長。恰幅のよい80歳くらいだろうか、豪放磊落といった雰囲気のする禿げ頭の老人。横に、精悍な顔つきをした黒いドーベルマンを従えている。この犬が十歩ずつのタイミングで振り返りぼくらを睨む。

 するとご主人が急に足を止めた。「あれれ、こっちじゃないなあ」そして周りを見て確かめる。「ちょっと待てよ。こっち、じゃなかったか」止まっている間中、犬がこちらを向き口を開け尖った歯をみせている。「ごめんなさいね。ちょっと迷っちゃったよ」ご主人は、はははと笑うと、「こっちだ」と指をさしまた歩き出した。自分の家で迷うなんて、どんだけ広いんだよと思いながら、ぼくらは後に続く。そして、「あった、あった、あれだ」ご主人は30坪ほどの二階建ての木造家屋に向かって歩を早めた。近づいていくと、「ここにね。置いてあるんですよ」正面の扉に手を掛けるが、開かない。「ん?おかしいな。鍵がかかってるわ。こりゃ、困ったなあ」ご主人が考え込む。ぼくらはドーベルマンの視線をもろに受けながらその場に佇む。鍵を取りに玄関まで戻る途中で迷うんじゃないか、何となくそういう展開になりそうだと思っていると、ご主人が携帯電話を取り出し話し始めた。「ああ、おれ、おれ。あのねえ、物置の鍵、持ってきてくれる。わるいけど」10分程して奥方が鍵を持って現れた。奥方に、すみませんねと頭を下げられぼくらは恐縮。ご主人が扉を開けなかへ入る。続いてドーベルマン。ぼくらはそのあとに。「あのね、靴脱がなくてもいいから、そのまま上がってください」ぼくらはそれに従い家のなかへ足を踏み入れる。と同時に、黒犬が一回振り返る。いわゆる普通の一軒家だ。人が住まなくなってかなり久しい感じのよう。「ここはね、うちの運転手一家が住んでいてね。もうかれこれ30年以上前かな」と説明しながら、「どうぞ、こちらです」と、ご主人は入ってすぐ右手の部屋へ促した。

 六畳くらいのなかに、引っ越し用サイズの段ボールが三十箱ほど積み重なるように雑然と置かれていた。ちらりと見える段ボールのなかには、木箱が窮屈そうに詰め込まれている。「このなかにね、おれが間違って買っちゃったモノがね、入っててね。ハハ」ご主人は笑いながら、今度は左手のおそらく居間だったのだろうやや広めの部屋に入っていった。「こっちはね、絵だね」部屋の半分を占拠している絵画の箱を指し、「たいした絵描きじゃないけど、付き合いでね。あとは、貰いもんとか、いろいろでね」2メートル近くの大きな額が10点くらいあるのを見て、「おい、これ1回じゃあ、到底無理だぞ」と才介が顔を寄せてきた。今日借りてきたバンでは乗り切らないのは一目瞭然だ。「ご主人、これ、1回じゃあ無理ですので、何回かに分けて運びます」それに対し、「ああ、そう。でもね、あまり時間かけないでよ」「はい、もちろん」ご主人はいつの間にか不織布のマスクをしている。「ほこりがね。わたしは、喉が弱いから」そして、「あっ、そうだ。あんたたちもマスク要るでしょう」と言ってまた携帯を取り出し、「ああ、おれ、おれ。あのねえ、マスクね、二つ…」「ご主人、大丈夫です。大丈夫。ぼくらは大丈夫ですので」ぼくらは制する。マスクごときで、またここまで奥方にお出ましいただくわけにはいかず。ご主人は、「ああ、そう」と言って携帯をポケットにしまった。

 

 「先ずは、大きいモノから運ぶか」「そうだな」と、絵画の置いてある部屋に入ると、次の間に、50センチ四方の木箱が6点置いてあるのが目に入った。これもデカい。大皿か何かの箱のようだ。「ご主人、こちらもでしょうか?」と訊くと、「ああ、それねえ」と顔をしかめた。「恥ずかしくてね。あんたたちの兄貴分の、何てったっけ?」「ブンさんですか?」「そう、そう。そのブンさんに、見せられなくてね。でも、いずれ処分しないとなあ」ぼくは真新しい箱に目を落とす。いかにもわざとらしい古色をつけた貼り紙には「元青花牡丹唐草文大皿」と書かれてある。「開けてよろしいでしょうか?」「まあ、どうぞ」ご主人は苦笑しながら、こめかみのあたりを掻いた。上蓋を取ると、40センチを超える染付の皿が出てきた。先月のパリのオークションに出た3億円の元染とまったく同手の大皿。しかし、これは見るからに完全なニセモノである。

 「ははあ、改めて見ると、ひどいねえ」ご主人が上から覗くように見て自嘲気味に笑った。「おれが、まだ骨董買い出したときでね。結構つかまされたよ」大盤を持ち上げると、その下に領収証が入っていた。それを見てぼくらは目を剝いた。「30,000,000円」と記されてあり、そして、その下に「玩博堂」の名が。ぼくと才介は目を合わせ唖然とする。すかさずぼくが、側に重ねて置いてある同じような大きさの箱を指さして訊いた。「すみません。こちらも全部同じところからお買いになったんですか?」ご主人はバツの悪そうな顔をして「まあね」と、首筋をなでながら答えた。僕はモノを箱に戻しながら、これらを市に出したところで、せいぜい1点、1万円だろう。いや、それ以下かもしれない。こりゃあ、ひどい。ぼくが領収証を睨んでいると、才介が「ご主人、これは、ひどいです。詐欺ですよ!」と声を荒げた。「まあな。おれが悪い癖つけちゃったかもな」ご主人はそう言うと、「これは、最後でいいよ。どうせ、二束三文だろうから」と鷹揚に笑った。

 ぼくらは、車を玄関からぐるりとこちら側に回して止めると、車内にモノを運んだ。ご主人は「あとはお任せします」と言って母屋に戻っていった。ただ、忠犬だけはその場に残り、ぼくらの作業を見張っている。「何だか、やりずれえなあ」才介はぶつぶつ言いながらモノを車に押し入れる。ようやく最後のモノを入れ車がパンパンとなったところで、「今回はこれまでだな」とぼくらは後ろの扉を閉めた。すると、ドーベルマンが「ワン、ワーン!」と大きくほえながら、母屋の玄関の方向へ走り出した。その声に才介がビビる。どうやら終了を主(あるじ)に伝えにいったようだ。「しかし、おっかねえ犬だな。めっちゃ迫力あるわ」才介が首をすくめる。「この広大な屋敷に老夫婦二人暮らしのようだから、番犬としてはこのくらいがちょうどいいんじゃないか」「まあね。入口のでっかい門のところに、『警察犬』ってステッカー貼ってあったもんな」やがてご主人が現れた。「どうも、ご苦労さん」「すみません。二週間後にまた来ます」預かった品はすぐに美術俱楽部に運び、ブンさんの所属している交換会に出す流れとなっており。それがひと月に二回あるのだ。

 

 運転席でハンドルを握るや、才介がいきり立つ。「しかし、ひでえもんだな。贋作堂!」「あれは、完全な詐欺だ!」僕も激しく同調。「ああいう、大金持ちの家に入って…。あれ、何点あったよ?」「6点だ」「一つ3千万として…1億8千万か!」才介が叫ぶ。「今日のは氷山の一角だろう。そりゃあ、銀座の大通りに店構えるわけだ!」ぼくは贋作堂の商売の実態を垣間見て、ある意味愕然としていた。「しかし、あんな真っ赤なニセモノ、判(わか)らないもんだろうか?」ぼくの素朴な問いに、「あのご主人も言ってたろ。骨董を買い始めたときにつかまされたって。証明書のない世界だから、最初は判らないもんだと思う。そこにつけ込みやがるペテン野郎どもがいるわけだ、骨董の世界は」贋作堂の、目尻は垂れているが、その奥の瞳は決して笑っていない表情が頭に浮かんだ。と同時に、三代目が常日頃言っている「骨董は入口が最重要」の意味を痛切に感じていた。

 

 大きな交差点を右に曲がったところで、才介が話題を変え張りのある声を出した。「ここのところ、おれ、商売調子いいんだよ。筆筒の代金も入り。この間の初会でも良く売れて」「そんな感じだな」「多少金もできたから、ここで一つ大きな商売でもして、店構える資金をつくろうかと思ってんだ」「店、出すのか?」「うん!具体的には決めてないんだけど。その足掛かりをつくろうかと思ってて」才介の口から、「店」という言葉が出てくるとは予想してなく、ぼくは正直びっくりしたが、考えてみれば当然のことなのかもしれない。まだ駆け出しのぼくには現実味がなかったが、この仕事をしている者にとって、自分の店を持つことは、先ず誰しもが目指すところである。才介はこの仕事を始めて十年くらいは経っており、あと数年で三十を迎えるわけで(ぼくもそうだが)。そうなると、自然と考えることだろう。自分の行く末について。

 

 美術俱楽部で荷物を下ろし一階の会場でモノを広げているとき、近しい年齢の同業者が近寄ってきた。「来月の温泉市に、いくつか中国モノのうぶ口が出るらしいぞ」「本当か!」それを聞き才介が気色ばんだ。「温泉市」とは、大分県の別府で行われる現金市場(いちば)のこと。温泉地で開かれるので自然とその名がついている。「うぶ口」とは、まだどの業者の目を通っていない、直にお客から出る荷物のことをいう。業者間による「交換会」と呼ばれる市は、全国各地で行われていて、会で仕入れたモノを別の会で売って儲けを出すひとも大勢いる。たとえば、場末の小さな会で買ったモノを、美術俱楽部などの大きな会で売って利益を出すという商法だ。したがって、どの会でいくらで売れたとかいう情報はたいへん重要となる。会を渡り歩いて商売をするひとらにとっては、これが生命線となるわけであり。

 それに対し、まだ誰の目垢(めあか)のついていない、つまりは、お客から直(じか)に出たモノを「初(うぶ)」という表現をし、会では一目置かれ、その荷物「うぶ口」は、競い合って高額になることが間々あるのだ。またそういうモノは、大概古くから日本に入ってきているので、良い来歴が加味されたりすると、海外のオークションではいっそう高値が付く。特に昨今、中国モノはそれがはなはだしい。先だっての元染大皿のように。

 

 温泉市の情報を知った才介は、勢いよく立ち上がると、「よし!何だか、良い風が吹いてきたな。いっちょう、勝負といくか!」と拳を握り、眼を光らせた。

 

(第32話につづく 1月27日更新予定です)

青花花卉唐草文盤 元時代



 

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