「骨董商Kの放浪」(11)

 ひと月前に、才介から言われた「あんた、中国美術を学んでくれよ」の提案を受けて、僕はそれを実行に移そうと考えていた。日曜日になると余計に届くチラシのなかから、或る文化講座のお知らせをみつけたのが、先月の中旬である。『中国陶磁勉強会』と題した講座が、1月から3月にかけて、隔週で計6回行われる。第1回が「古代」、続いて「隋・唐時代」、「宋(そう)時代」は2回にわたり、「元(げん)・明(みん)時代」、最終回が「清(しん)時代」と中国1万年ともいわれる陶磁史をわずか三カ月で修得できる、何と効率の良い講座があることを知り、早速に申し込んだ。講師は、大学の教授でもなく、美術館の学芸員でもなく、骨董商であることも、僕の興味を甚(はなは)だ引いた点である。

 

 1月の第二水曜日の午前10時に、都心にある文化センターの一室で第1回が開かれた。30人ほどが受講しておりほぼ満席に近い状態。講師の骨董商は、この業界では若手に属する40代前半くらいの好印象の男性。チラシに記載されたプロフィールによると、南青山にある中国陶磁専門店の三代目とあり、初代のときに世界を相手に広く商売を展開し、その名を築いたという骨董界では名(な)うての店舗である。三代目は、それを受け継ぐ前途洋々の人物らしく、豊富な知識を有していて、こうした文化講座を度々請け負っているようだ。参加者の大半は、40代~60代の落ち着いた感じの有閑マダム。まあ、平日の午前10時からの講座なので当然ではある。あとは、結構年配の60代~70代の男性が何人かいる。こちらは、それぞれ癖の強そうな面々。若いのは、僕の他、30歳くらいの度の強そうな眼鏡をかけた女性がいるくらい。三代目の講義は、主にスライドで各時代を代表する作品を流しながらの細やかな説明と、最大のヤマ場は、一通り終わったあとの15分間にあって、ここで彼が持参した実物を手に取って見ることができるのである。僕は、この講座を取った幸運を感じていた。

 最初の講義は、「古代」ということなので、紀元前3000年くらいの新石器時代から、漢時代を挟んで、六朝(りくちょう)といわれる6世紀までであった。新石器時代は、あいちゃんの部屋で嫌というほど見せられた土器が中心で、漢時代になると、釉薬(ゆうやく)の掛かったモノが登場し、3世紀以降、青磁が陶磁器の主流になる、という内容だった。最後の15分で、僕は、三代目の持参した小ぶりな灰釉(かいゆう)陶器や、漢時代の緑釉(りょくゆう)のモノ、4~5世紀の古越磁(こえつじ)と呼ばれる初期の青磁の一群を目の当たりにした。これを一点一点手に取りながら、彼はその特徴と見どころを解説する。何と素晴らしい授業だろう。皆も興味深く聴き入っている。

  「それではまた次回」と三代目が授業の終了を告げるや否や、70過ぎのいかつい顔の爺さんがいきなり手を上げた。「では、ここで、わたしのコレクションを一つ、披露しましょう!」爺さんは紙袋のなかから何やら取り出して、テーブルの上に置いた。こげ茶色の釉(うわぐすり)の掛かった、ひどく鈍重な器形をした壺である。瞬間受講者全員の眼が、さっと三代目の顔に注がれる。三代目は、困ったような表情で「うーむ」と考えたあと首をひねりながら、「これはですねえ、時代がありそうで、ないと言う人もいますし…。窯は、特定できないかもしれません…」と一生懸命かわそうとしている。すると爺さんは、「いや、その通りですよ、先生。ただ、○○という文献によると、○○窯では、この時代に、まれにこのような色の釉が生み出されているのです。世界的にたいへん珍しい作品です!」と自賛する。しかし、それはどう見てもおかしなモノだ。これがニセモノであるくらい、一年ちょっとのキャリアの僕にでもわかる。三代目の説明を爺さんは何度も肯(うなず)きながら「おっしゃる通り」と聞いていたが、たぶん、この手の爺さんには何を言っても無駄だろうと、受け答えをしている彼の表情が物語っていた。ただ、爺さんは真贋問題より、自分のコレクションを人に披露することが目的のようで、それが済むと気持ちよく帰っていった。僕は三代目に近づき挨拶をすると、彼は爽やかな笑顔を向けながら、「興味があったら、店の方にも来てください」と名刺を渡してくれた。僕はありがたく受け取った。

 

 その2週間後の「隋・唐時代」の講義を受けた数日あと、僕と才介は師匠に呼ばれて日本橋の店にいた。そこは一年前と変わらず、床上を占拠するように、風呂敷の被さった箱の山々が連なり、「愛国」の大きな扁額がそれを見下ろしている。

  この殺伐と緊迫の融合した空気のなか、師匠はゆっくりとソファに腰を落とし、これからの計画を打ち明けた。「いいか、よく聞け。場所は福井だ。かなりの旧家で、大仕事になることは間違いねえ」それを聞いた才介が顔をゆがめる。「この寒いのに福井ですかあ?まいったなあ」「ばかやろう!これはなあ、普通の仕事じゃねえ。でっかい商売になる!」師匠は手でテーブルを一発叩くと「これが、このわしの最後の商売だ!」と言うや否や、横に丸めて置いてあった風呂敷を僕に向かって投げつけた。僕がひょいとそれをかわす。どうやら師匠は、興奮するとすぐ風呂敷を投げつける癖があるようだ。

 僕が仕事の内容を訊くと、師匠はにたりと笑いながら簡潔に答えた。「地方の旧家には蔵があってな。代々のお宝はそこに保管されている。こうした蔵も今じゃ少なくなったがな。今回のは大物だ。大きな蔵出しになる」才介は、眠そうな目をこすりながら、始終うつむき加減で右の頬をかいてはあくびを繰り返した。出発は明後日。取りあえず当日の段取りを聞いて、その日は解散となった。

 帰る道々、僕は才介に訊いた。「師匠、かなり気合入ってるな。最後の商売だってよ」それに対し、才介は鼻で笑った。「ふん。おれはあのセリフ、20回以上聞いてるよ。何回最後の商売やんだよ。ジジイ」「今度は大物だって言ってたけど」「毎回だよ。そう言って手伝わせて、大した儲けはくれねえ」ジャンパーに両手を突っ込みながら、かったるそうに歩く才介の姿を見つめながら、僕は何となく、師匠の言葉が嘘を言っていないような気がしていた。

 

 先方には午後一の約束となっているため、僕と才介は、朝6時前に駅前で旧式のタウンエースを調達し、梱包材を押し込み出発。取りあえずハンドルは才介が握る。「くっそう!この真冬に、福井かよ。ばかやろう」才介は、信号で止まるたびに「ばかやろう」を連発する。蔵出しは、僕にとっては初めてだったので、とりあえず成り行きに任せようと思っていた。

 福井までは、いくつもの高速道路を辿りながら進む。最初のサービスエリアで運転を交代。才介は、助手席のリクライニングをさらに倒して、足を投げ出す。大きなあくびをしたあと、「で、どうだい。中国陶磁の勉強は?」僕は空(す)いている道路を軽快に飛ばしながら「おもろいよ」と答える。「南青山の老舗の三代目の講義だから間違いないし、実物見れるし」のあと、「ただ、毎回贋物(がんぶつ)持ってくる爺さんがいてさ。知識は豊富なんだけど」それを聞くや才介は膝を叩いて笑い出した。「いるんだよ。そういう頭でっかちの野郎が。眼でなくて頭で考えるやつ。いったんニセモノの道に入っちゃうと、今度は本物がわからなくなるからな。骨董は入口が最重要ってことだ」僕もそう思っていた。だから今は三代目の講義を、みっちりと頭に叩き入れようと強く感じる次第で。「三代目って、どんなモノ持ってくるんだ?」「毎回の時代に合わせて…」と言ったところで、前回の授業で見た唐三彩(とうさんさい)の小さな丸壺が頭に浮かんだ。「この間の唐三彩。きれいだったなあ」「唐三彩か。昔は高かったらしいけど、今は安くなっちまったからなあ」そう言って才介は腕を組む。「何で?」の問いに、「20年くらい前から中国で盗掘が盛んになって、香港のマーケットに出回るようになったんだ、大量の出土品が。それで暴落よ。ブンさんが、昔と桁が二つ違うって言ってた」「じゃあ、安く買えるのか?良いやつが」「まあ、可能性はあるけど、めっちゃ贋物が多いらしいぞ」と言ったあと、「そこで、あなたの勉強が活きてくるのよ、われわれに」才介は両手をぽんと合わせてにたりと笑った。「どういうこと?」「だから、これからは中国モノを相手にするってことだ」「無茶言うなよ。たかだか三カ月の講座受けたくらいで、身につくかよ」「そりゃ、そうだけど。先ずはスタートだ。そうだろ?」僕がまあなと頷くと、才介は「そして、香港だ!」と拳を突き上げた。「香港?行くのか?」僕が目をやると、「ほうよ!中国陶磁の市場といえば、15年ほど前から香港が中心になって激しく動いてる。そこで、早々と儲けたやつらがわんさかいる。おれは、これからでもまだ遅くないと思ってるんだ。よろしくな!」「よろしくなって、おれも一緒に行くのか?」「ああいうところは、そこら中(じゅう)に落とし穴がある。一人より二人の方がいいに決まってる」僕は、いずれにしても多勢に無勢だと思ったが、才介の意気込みを見て、言葉にはしなかった。

 

 適度に運転を交代しながら、最後のサービスエリアで昼食をとり、北陸道から国道に入る。「鯖江の駅だったよな?」僕は、大きく右へハンドルを切りながら訊く。「ああ。ジジイはそこに1時前に着いてるそうだ」「旧家らしいんだろ?」その問いに、才介はひょいと身体を起こした。「それだ。実は別筋から聞いたんだけど。かなりの旧家らしい。師匠が若いときから知っていたところらしいんだが、代が変わってようやく売るって話しだ。だから、結構なお宝があると、おれは踏んでいる」才介の細い眼が異様な輝きをみせた。「何だよ。乗り気じゃないような言い方していて」「ハハハ。最初に言ったじゃん。今師匠ははぶりがいいって。それとこの旧家の件、昔よく師匠から聞いてたからな。デカい家だと」「ほお」「でもな、こういう仕事はあまり期待しない方がいいんだよ。あとでがっかりすることがよくあるからさ」

 鯖江の駅に到着すると、厚手の黒のコートにマフラーをぐるぐる巻きにした小柄な老人が目に入る。手には革の鞄。すでに駅の待合室に座っていた師匠は、「おつかれさん」と手を上げた。今日はスーツ姿だ。お客さんのところへ行くので当たり前か。僕らは駆り出し要員なのでかなりのラフ装。師匠を後ろの座席に乗せ、国道から県道に入る。そこからは道なりの一本道が続く。到着するまでの20分間、師匠はこの旧家との関わりを語り出した。

 

 「わしが、まだ20代の駆け出しの頃だから、今から50年前くらいになるか。世の中急なインフレになって、モノの値段が何十倍にもなって。そんな時、数人の先輩に連れられて、この旧家に買い出しに来た。十何代目かにあたるそのときの当主は、全く売るつもりがないと頑としてわしらをはねつけた。先輩たちは、ではせめてお宝を拝ませてくれと頼んだところ、当主は、蔵のなかにある幾つかを見せてくれた。わしもまだ若かったから、あまり覚えちゃいないが、そのなかで唯(ただ)一点、わしの頭をぶち抜いたモノがあった」師匠の眼の玉が横に鋭く動く。「又兵衛の絵だ!」「又兵衛?」ハンドルを持つ才介と助手席の僕の声が重なる。「岩佐又兵衛だ」一拍してから、才介が首を後ろに動かす。「何すか、それ?」「今、説明している暇は無い!」と、その語尾が甲高く車内に響いた。

 

 目的地に近づくにつれ、師匠は窓の外の景色にしきりと目を向けている。「そうだ、こんな感じのところだった」ハンドルを握りながら才介が訊く。「師匠、何で今頃急にこの話しが出てきたんですか?」師匠は頷きながら話す。「うん。それが昔話のように、わしの若いときの話しを同業の仲間にしたことがあってな。そうしたら、そのなかの一人が、師匠の言ってた旧家がまだありましたよって、紹介してくれたんだ。まあ、縁てやつだな」それを聞いて才介は神妙な顔つきになった。

 やがて、左に折れて道は細くなり、道なりに進むとまた大きな通りに出る。それを右に曲がったところにその家はあった。間口10メートルほど、大きな檜の門が聳え立ち、奥には豪壮な庭に、瓦葺きの高い屋根が特徴の二階建ての木造家屋が建っていた。その右奥の敷地には、白壁の土蔵が二棟、仲良さそうに並んでいる。門前で、「ごっつい家だなあ」と才介が仰ぎ見る。師匠は「そうだ。こんなところだった」と言うなり玄関に向かって歩き出した。

 旧家らしい古木の玄関の扉を引くと、なかから女性が出てきて取り次いでくれ、僕らは十畳の広間に通された。やがて、当主らしきかなりの枯れた老人が現れ、師匠は手をついて挨拶。やがて茶と菓子が運ばれ、目の前に置かれる。当主は、「ようこそ、遠いところへ、よくきとくんなさった」と礼を述べたあと、「この家も私の代でそろそろと。ご先祖様もお許しくださっでしょう」と笑みをみせる。師匠は、大きくうなずいて「はい。それも時の流れでございましょう」と言って、一口茶を啜ってから、「まあ、ご当主。時間もあれですので、早速に取りかからせていただきます」と腰を上げると、当主は怪訝そうに顔を向けた。「あれま、でも、あらかた持ってかれましたげ、少のうですよ」その言葉に師匠は座りなおして、当主の顔をじっと見つめる。

 「あらかたと言いますと…」「はあ、あなた様をご紹介して下すった方が、こなんだ5~6人でみえましてな、だいぶ整理されていきましたさけ」当主はやや前かがみになって、「お聴きになってませんでしたけ?」その言葉を聞き僕と才介は目を合わせる。師匠はわなわなと震え「あの奴ら」と言って立ち上がり、「ご当主、お蔵の方へお願いします」と庭に面した廊下を大股で歩き出した。当主は当惑気味に「はあ」と言ってあとに続いた。

 白壁の土蔵は、20坪ほどであろうか。二階建てで、入口の右手に大きな階段がついていた。なかは、二つとももぬけの殻だった。しかもきれいに掃除までしてあり、むき出しになっている木材が、やけに主張している。一つの蔵の入って右奥に、10点ほど掛軸の箱が固めて置いてあった。それを見るや師匠は飛びつき、一点一点確認する。そのあと、がくっとうなだれる後姿が僕の目に入った。

 師匠は悄然と肩を落としたままじっと動かない。少し経って、才介が近寄ってしゃがみ込む。「師匠、行きましょうよ」という声に師匠は無反応。「そりゃ、そうだな」僕は思う。才介もしばらく師匠の横にしゃがんでいる。師匠は目を閉じてそのままだ。ただ、それは何かを考えているふうでもある。外の気温以上に、土蔵内部は冷えているように感じた。僕はダウンコートに手を入れたまま様子を見守るしかなかった。

 

 やがて師匠がむくっと立ち上がった。そして蔵の入口に戻ると、振り返って内部をぐるりと眺めた。厳しいまなざしだ。何をしているのだろう。僕は不思議に思う。すると今度は隣りの蔵に入り、同じように上下左右に首を動かしながら隅々まで目を向けた。そして、師匠は眉間にしわを寄せ、目を細めじっと考え、「何かが、違う」と首をひねると、今度は門の外に出て、この屋敷の外観をしばし眺めていた。そのあと、再び土蔵のなかに入ると、もう一度内部を確認。その間、才介は残された掛軸を風呂敷に包み、車のなかへ入れる。外の寒さもあり、当主は家のなかへ戻っていた。師匠は玄関の扉を開け、当主に声をかける。当主が玄関先に出てきた。

 「ご当主、失礼ですが、この家と同じような建物は他にありますかな?」と訊いた。ばかな。そんなことはないだろうと僕が思っていると、意外にも「はい」という答えが返ってきた。「どこに?」「少し離れてますがな、ここからは。敷地はこちらの方がありますが、しかし、造りは一緒です。あちらが本家になります。同じ時期に造りましたで」と当主は話す。師匠は、「よし!」と拳に手を合わせる。場所を訊くなり、「出発だ!」と言って僕らを促し車に乗った。

 

 約10キロ離れたところにその家はあった。その前に立ったとき、僕は目を疑った。高い瓦葺きの屋根を持つ二階建て。二つ並んだ白い土蔵。全く瓜二つの光景がそこにあったからである。師匠は、足早に玄関に向かい声を出す。しばらくして当主と思(おぼ)しき50代の男性が現れた。師匠が事情を説明すると、当主は受けつけない。何度も頭を下げ続ける師匠の姿を、僕らは少し離れたところからみつめていた。

 やがて、二人が土蔵の方へ向かったので、追いかける。土蔵の一つを開けるや否や師匠は飛び込んだ。僕らもそのあとに続く。師匠は、様々な道具類が眠っている蔵のなかを捜索する。僕は、その土蔵の内部に、外壁同様の白い漆喰が塗られていることに気づく。先の土蔵は、木材がむき出しになっていた。師匠は、二階に上がり、奥へと進むと、数多(あまた)ある掛軸の箱を次々と手に取る。その作業がしばらく続く。そして手が止まった。師匠は、その箱を見つめたあと、あわて急いでなかから軸を取り出し、それを目の前に広げる。一瞬の静寂がその場を包んだ。師匠は、手にした掛軸をそっと下に置き、身体を折り曲げた。やがて、「くっ、くっ」と発する声に続いて「はあっ、は、はっ!」と大きな笑い声をあげたかと思うと、今度は、床に両手をついて身を屈め「うおぉーん!うおぉーん!」と、張り裂けんばかりの声で号泣し始めた。その声が、冷気に包まれた土蔵のなかにしばらく響き渡った。僕にはそれが、ようやく獲物を仕留めたことを知らせている、狼の遠吠えのように聞こえた。

 

(第12話につづく 6月13日更新予定です)

唐三彩小壺 唐時代(7-8世紀)

青磁蛙形容器(古越磁) 4-5世紀 




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